逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
ここから始まるマイレボリューションということで、本編です。
「狸寝入りだったなら、そう言いなさい。全部、聞いていたのだろう?」
「……はい。全部、聞いていました」
「なら、わかったな。僕は君のトレーナーになることはない。僕は、君をレースで倒したかった。もう、その手段はなくなったし、夢は潰えたけど」
フユミは言いながら皮が途切れたところから、改めてリンゴの皮を剥き始める。
「トレーナーさん」
「なんだ」
「私は、速かったですか?」
さり、さり、さり、とリンゴの皮を剥くナイフの音がしばらくする。
「……速かった」
「私は今でも、あなたが倒したかったサイレンススズカになれますか?」
「……君が、なりたければなれるかもしれない」
「……私、この前マヤちゃんと走った時に見えたんです……限界まで走って、走って、逃げて、駆け抜けた先……ターフと、空と、柵だけの、私だけの景色……」
皮を剥き終えたリンゴを皿に載せ、縦に刃を入れて割っていく。
「あの景色を、その先を、もっと見たい。そこに辿り着きたい」
切り分け、切り分け、八等分。
そして、ヘタと種の部分を切り落としていく。
「トレーナーさん……あなたが信じていた私のゴーストに、私を導いてくれませんか?」
「断る」
リンゴを切り終え、載った皿をサイドテーブルに置き、サイレンススズカに渡す。
「僕は、君がいずれそこまで来るという幻想を追っていた。そして、幻想に囚われて二人を潰した。今度は君自身まで、君の幻想に殺されるつもりか?」
「トレーナーさん……私は、あなたが信じていた私になれない……そう言うんですか?」
サイレンススズカはいただきます、とリンゴを一欠片取ると一齧りする。
「あの日、私に好きに走れと言った時に見ていたのは……あなたが思い描いていた本当に速い私ではないのですか?」
サイレンススズカがリンゴをまた一齧りする間に、フユミは一瞬言葉に詰まり、黙ってしまう。
「私の走りは無謀だ。素人がやることだ。こんなのは無理だ。もちろん、直接的に言われたことはなくとも、遠回しにそう言われたことはいくらでもありました」
手にしたリンゴを口に放り込み、しゃく、しゃく、と噛み締めて、こくりと飲み込む。
「……好きに走れと言ってくれたのは、あなたが初めてでした。私の走りを信じてくれる人がいた、それだけでも私は嬉しかった」
反論しようとしたフユミの口に、リンゴの露に湿った指先が添えられる。
「あなたの口はきっと、いろんな理由を付けて素直に言わないのはわかってます。私のことを恨んでいるだろうことも、わかってます。ただ、それでも」
サイレンススズカは、まっすぐにこちらを見る。
透き通った、見上げた青空のような、綺麗な目をしている。
わずかに、不安で揺れている彼女の瞳に、目を逸らせなかった。
「私のトレーナーになってほしいんです。私のことを、一番信じてくれていたのは、他ならぬあなただから」
「たづなッ!私は戻るッ!」
「え、理事長!?」
沈黙の中、誰もが考え込む保健室の前で突然の理事長の言葉に、たづなさんは驚いた。
理事長は、他の二人はともかく三人目と直接的に顔を合わせているのだ。
そして、フユミにトレーナーとして次に担当したいウマ娘を探せとも言ったことがある。
ハッキリ言えば、フユミを苛ませていた1人だ。
その理事長が、真っ先にこの場を離れると言い出したのだ。
「彼のこれまでの日々、苦悩、それら全てが、この日のためにあったと、私は信じるッ!彼が歩くと決めた時ッ!私は出来る最大のことをしたいッ!」
「理事長!?」
では、さらばだッ!と立ち去る理事長を1人で見送るわけにもいかず、たづなさんも追随する。
残ったのは、ハルヤマとダイワスカーレットとマヤノトップガンだけ。
「……ねぇ、トレーナー。スズカ先輩、たぶんフユミトレーナーのところに行きたいって言い出すわ」
「言い出すも何も、態度は完全にそうだった」
保健室の扉の向かい側のベンチに、ダイワスカーレットとハルヤマは並んで座る。
「でも、フユミトレーナーはこっちに戻れって置き手紙してた。スズカ先輩のトレーナーになるつもりは、さらさらないってことじゃない」
「そうだな」
「トレーナーは、スズカ先輩をどうしたいの?」
「俺は、フユミトレーナーが引き受けるというなら、スズカを送り出すつもりだ」
「いいの?」
「俺は、サイレンススズカという優駿に相応しくない凡走をさせていた。俺は、フユミが言うような優秀なトレーナーなんかじゃない。なにより、スズカがそうしたいと思っている願いを、ひとつくらいは叶えてやりたい」
ダイワスカーレットとハルヤマが並んで座るベンチの向かい側、マヤノトップガンは不貞腐れた態度をわずかに滲ませながら、窓の向こう、灰色の雲で覆われている空を黙って見ていた。
「あなたが見ていた、サイレンススズカのゴースト。それは、私が破ります。その先に、私の見たい景色が、きっとあるから」
サイレンススズカの言葉に、フユミは頭を抱えたあと、改めてサイレンススズカと向き合った。
「…………はぁ。サイレンススズカ、僕は三人をターフから去らせた無能だ」
「四人目はありません」
「僕は、君を倒したかった」
「なら私が、私を倒します」
「君が今、走れる足の下地を作ったのはハルヤマだ」
「それは感謝しています。ですが、私の走りを初めて信じてくれたのはあなたです」
フユミの言葉に、サイレンススズカは全て迷いなく毅然と返した。
口のよく回るフユミに、我を通すにはそれしかないとサイレンススズカはわかっていた。
「あなたは、あなたが見ていた私の……サイレンススズカのゴーストを、見たくはないですか?」
「……そうまでして、君は何を見たいんだ」
「レースを先頭で駆け抜けた先。そこに広がる、私だけの景色。それを、私は見たいんです」
マヤちゃんが黙ってる時は、かなり先のことを考え込んでいます。