逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
『本日の一番人気、マチカネフクキタル。そして二番人気、サイレンススズカです』
レース前のパドックで、全ての出走ウマ娘がその姿を御披露目する。
その中で注目を集めていたのは二人。
月刊トゥインクルが注目記事を書いたサイレンススズカ。
そして『招き猫14人串刺し事件』マチカネフクキタル。
事実上、今回のレースはこの2人の一騎討ちだろうと、この場の大半の者が予想していた。
パドックでの御披露目のあと、サイレンススズカとマチカネフクキタルはそれぞれゲートに向かう。
サイレンススズカは4番、マチカネフクキタルは14番に。
他のウマ娘も二人に続いてパドックを離れたところで、実況のマイクパフォーマンスが始まる。
『さて、今回のメイクデビュー戦はいつもと少し様子が違う!体調不良により辞退した一枠に、今回のメイクデビュー戦からトゥインクルシリーズに参戦するウマ娘の実力を試すためか!?このウマ娘が電撃参戦です!』
大外の一枠が一昨日、該当選手の病気欠場で急遽空いていた。
出走表でその枠が、今朝の時点で黒塗りとなっていた。
出走がないなら空欄、あるなら名前があるところが黒塗りになっていたことには、レース関係者も来ていた観客もざわついていたが、今回のマチカネフクキタルとサイレンススズカの一騎討ちほどは注目されていなかった。
そして、その黒塗りの正体がパドックに姿を現した。
その緑色のブレザー姿のウマ娘を、誰もが知っている。
その姿を見た者の反応は様々だ。
混乱した。
歓喜した。
絶句した。
驚愕した。
戦慄した。
そして、そのウマ娘が観客席に姿を大きく見せるように両手を広げる。
その口は開かずとも、彼女の言葉は観客席には既に伝わっている。
さぁ、我の名を叫べッ!
観客席は、彼女の名を口々に叫んだ。
「ルドルフッ!」
「シンボリルドルフッ!」
「皇帝ッ!」
「皇帝ーッ!」
両手を広げただけで、レース場をその名と肩書きを呼び叫ぶ声だけで揺るがすようなウマ娘など、一人しかいない。
『新世代のウマ娘の戦いは、彼女の威光を揺るがせるか!?絶対皇帝ッ!シンボリルドルフッ!ここに参戦ですッ!』
「あいつ!ここに何しに来た!」
「メイクデビュー戦が皇帝のヒーローショーになっちまった!」
「クソッ!こんなの聞いてねぇ!」
トレーナー達が溜まっている一角は混乱の極みだった。
せっかくこの日に調整してきた担当ウマ娘が、皇帝の気紛れで前座どころか賑やかしのガヤレベルの扱いだ。
混乱しているのは、ゲート前にいるウマ娘達もそうだろう。
自分も本当なら、きっとあっち側にいたのだろう。
今の自分にとっては、あまり関係のないことだが。
フユミはパドックで未だに観客席からの声を浴びるシンボリルドルフを見る。
サイレンススズカの走りを、この観客席から見るには遠いとターフに直接乗り込んできたか。
『今回、シンボリルドルフの結果はレースに反映されませんッ!また、コースの真ん中より内側には入らないという制約での参戦ですッ!』
そんな制約を付けてまでこのターフに入りたかったか。
なんというワガママ。
だがしかし、ここでシンボリルドルフを相手に勝ったなら?
その心意気で恐れず挑んでこい、ということだろう。
もっとも、それはシンボリルドルフが本気で走るなら、だが。
フユミは、どうにも真意を掴み切れないシンボリルドルフの姿を見ていると、背中をとんとんと叩かれる。
「ん?」
「えへへ、久しぶりっ!」
「マヤ、久しぶりだな。どうしてた?」
実は今日のメイクデビュー戦まで、マヤノトップガンはフユミの前に姿を見せていなかった。
何か、サイレンススズカの姿に思うところがあったのかと思ったが、あまりに姿を現さないのでさすがに気になってマヤノトップガンのトレーナーを見かけた時に尋ねたら、真面目に授業やトレーニングに出ていると聞いて驚いた。
そのマヤノトップガンが今、ここにいる。
「スズカちゃんが頑張ってるから、邪魔したくなかったの」
「そっか。聞いたぞ?真面目に授業やトレーニングに顔を出すようになったって?」
「うん、ワガママばかりだと一番のワガママを聞いてもらえないと思って」
マヤノトップガンはフユミの左手を、両手で握る。
「マヤね、トレーナーちゃんのところに移りたいの!」
「ふふ…………ふふふ………………皇帝………………皇帝ですか………………」
シンボリルドルフの姿にどよめくゲート前、他のウマ娘達の中でマチカネフクキタルはぶつぶつと呟く。
俯いて呟く様は、背中の招き猫と相まってなかなかの絵面だ。
「そうですか…………そうですか……わかりましたよ……シラオキ様ぁ……やりますよ……やってやりますとも……」
そんなマチカネフクキタルの姿を見ながら、サイレンススズカはゲートに向かう。
サイレンススズカにしたら、皇帝だの、シンボリルドルフだの、招き猫だの、メイクデビュー戦だの、全てに興味がない。
サイレンススズカは、フユミから言われた言葉を一度だけ思い返す。
『何も考えずに、気持ちよく走りなさい』
ゲートの中で少し、口許が弛む。
目を閉じて、手を合わせて、時を待つ。
ゆっくりと目を開いた先には、ゲート越しにターフの緑が広がる。
いつもと、同じことだ。
他のウマ娘もゲートに収まった。
最後に、一番大外の18番にシンボリルドルフが入る。
『ゲートイン完了、出走の準備が整いました』
サイレンススズカは目を見開き、左足の裏でターフを捉えて、構えた。
静寂、後のゲートが開く音。
その音が聴こえるよりも早く、ゲートから白い影が飛び出した。
扉が開いている真っ最中、自分の身体の幅ギリギリを、まるで掠めるように。
観客席にまでゲートが開いた音が聴こえた時には、サイレンススズカは三歩目を踏み出していた。
絶体絶命は自分を変えていくチャンスなので、逃げずにレジェンド会長と戦いましょう