逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「一人では出来ないことも、ありますよね」
意外にも、サイレンススズカはマヤノトップガンが来ることに前向きらしい。
多数決でも負けだ。
一人でも手一杯だ、なんて言ったら何を言い出すかわからない。
「はぁ……トレーニングは無理をしない。自主練は必ずしただけの量を言うこと。外を走る時は何があってもいいように連絡出来るようにしておくこと。お互いに迷惑かけないこと。あとあんまりなワガママは言わないこと。いいな?」
譲歩出来るのはそこまでだ。
これを破ったら流石に面倒見れない。
そこまで釘を刺してようやく、だ。
「アイコピー!」
「はい。よろしくね、マヤちゃん」
「えへへ!よろしくね!」
サイレンススズカも割と重めなトレーニングを求めてくるし、マヤノトップガンもサイレンススズカと一緒ならそこまでワガママを言わない、と願いたい。
「マヤ、そもそも次の出走予定はあったのか?」
「んー、ないよ。面白いレースなら何でもいいよ」
雑過ぎる。
どうやら、完全に一から二人分のローテを考える必要があるらしい。
マヤノトップガンの脚がどちらかと言えば長距離向きなのはわかっている。
それと気分屋な上にどうとでも走れるから戦術もへったくれもないことも。
「とりあえずマヤの予定は……大舞台のほうがいいだろう。ホープフルステークス、有馬の前夜祭を目標にする。いいね?」
「アイコピー!」
「あの……私は?」
「希望はある?」
「んー……」
サイレンススズカは俯いて口元に手を当てて考え込んでしまう。
希望を聞き出すのも、トレーナーの仕事だ。
しかし、さすがに考え込んだままとことこと歩き出してその場で回り出したのは、ちょっと気になる。
まぁ、考えさせておくか。
とりあえず出走申請書をいくつか用意したあとに、もう一度見上げる。
デスクの前にいたハズのサイレンススズカは、長テーブルの向こうにいた。
答えを急ぐこともなし、今日はレースのあとだ。
ゆっくりさせよう。
そう思ってカバンに必要なものをしまって見上げると、またデスクの前に戻ってきていた。
「サイレンススズカ」
「んー……んぅ……」
生返事のまま、サイレンススズカは歩いている。
いや、回っている。
回りながら、長テーブルの周りを回っている。
さすがにマヤノトップガンも、興味津々なのか後ろをとことこ付いていく。
なんで回ってるんだろう。
試しにそのままそっとしておいたら、一時間後くらいに、ようやく気が付いたサイレンススズカは、改めて答えた。
「どうしたらいいですか?」
「部屋をぐるぐる回るまで考えなくていい。希望がないならいちおう候補は決めてある」
用意していた出走申請書を見せる。
いくつかある中で、一番の有力候補にしていた。
「サウジアラビアロイヤルカップ。まずはこれを落とす」
「それは本当か?」
『はい、確かに出走候補にも追加されました。次のサイレンススズカの出走はサウジアラビアロイヤルカップです。調整期間が少々短く感じますが……』
「……フユミってトレーナー、とんだ食わせ者だぞ」
編集長は受話器を片手に、棚から引っ張り出した資料を捲っていく。
サウジアラビアロイヤルカップをわざわざ選んだ理由、そのひとつはマイルとしてそこそこの距離であることから、逃げウマのトータルの実力を発揮しやすいことだろう。
ただ、それだけなら朝日杯フューチュリティステークスでもいいハズだ。
サイレンススズカの才覚と実力なら、余計なG3レースを挟むことなく、むしろライバルのデータ取りを出来るだけ遅らせたいハズだ。
そもそもマイル戦なら他にもいろいろ選びたい放題な中でサウジアラビアロイヤルカップを選ぶとしたら、理由がひとつしか出てこない。
もしも、そのひとつのためにサイレンススズカを出走させるとしたら、フユミトレーナーは相当な性格の悪さだ。
『食わせ者、ですか……マイル戦でサウジアラビアロイヤルカップを選ぶのが?』
「マイル戦じゃなくサウジアラビアロイヤルカップに用があるんだよ、フユミは。過去の記録を遡ってみろ!」
受話器を置いた編集長は、今年のトレーナー白書に載っている新人トレーナーの章からフユミのページを開く。
まだトレセン学園に来た頃のフユミの写真は、人のよさげな胡散臭い笑顔をしていた。
「フユミトレーナー、っすか?」
金髪トゲトゲ頭の若手が、編集長のデスクを覗き込む。
「ああ、そうだ。サイレンススズカのピックアップは続けるが、フユミトレーナーもマークしておかないといかんかもしれん」
「これを?どう見ても、外面は人のよさだけが取り柄みたいな冴えないフツーの兄ちゃんっすよ?そりゃ、サイレンススズカのデビュー戦は見事でしたし、マヤノトップガンが移籍したって話も驚きましたが……所詮は新人のトレーナーっすよ。聞いたとこじゃ、3人既に潰してるようなヘボトレーナーっす。乙名史パイセンだって、番記者してるのはあくまでもサイレンススズカなんでしょ?」
若手が言うことのほうがもっともだ。
だが、編集長は頭のモジャモジャに刺さるペグシルの一本を摘まんで、そのまま頭を掻くようにゴリゴリと動かす。
「それで済むなら、私の深読みし過ぎというだけなんだがな。どうにもむず痒い」
「そんなチリチリ頭だからっすよ。剃ったらどうっすか?」
「バカ言え。こちとら編集長就任からずっと、この髪型で売ってんだ。編集長辞めるまではこれで行くに決まってんだろ」
若手が「マジっすか……」とぼやくのも尻目に、フユミトレーナーのプロフィールを読む。
長年の勘が当たっていたなら、次のトゥインクルシリーズは嵐になる。
その嵐の目には、きっとこの胡散臭い笑顔がある。
(デビュー後の話を)やっと書けたねー……
どんすとっ!どんすとっとぅみー!