逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「GⅢが湿気たレース、か。なかなか剛毅だな」
「もう既にウオッカは初戦を阪神に定めてる。それ以外のジュニア級は今のところ眼中に無し、だそうだ」
阪神ジュベナイルフィリーズが初戦とは、大胆な選択だ。
途中で既に実戦経験を積んだウマ娘の真っ只中にいきなり初陣で乗り込むのは、精神的なプレッシャーがあるだろうに。
ウオッカによほどの信頼がなければ選ばないだろう。
「ホープフルは?」
「阪神を楽勝で勝てるだけのコンディションとフィジカルを持ち込まないとな、とウオッカのトレーナーが狙いを絞らせた。もっとも、阪神の結果次第ではそのまま出走希望を出すだろうがな」
「まぁ、そうするだろうな。ダイワスカーレットはどうするんだ?」
「ティアラ路線を公言しているし、やはりまずはチューリップ賞から、と思ってたんだが……やっぱり師走のマイルGⅠは気になるらしい。阪神に出走希望を出す準備は出来ている」
「そうか……たぶん、女帝が来るぞ」
「うちの姫様が負けるかよ。そのために俺達も、こっちに来たんだ」
ターフを見れば四人が固まって、挨拶を済ませている。
マヤノトップガンには、次走以降の指示も出してあるから勝手に走り出すハズだ。
「マヤに対女帝戦想定のアグレッサーをさせているのは予想済みだったわけか」
「一番最初に女帝とやり合うのはお前とスズカだ。間違いなく、女帝戦を意識したトレーニングをしてると踏んだんだ。ついでにマヤノトップガンにマイル戦を覚えさせているのもな。仕上がってたら朝日杯に出すつもりだろ?」
ハルヤマの問いに、バッサリと返す。
「いや、マヤはホープフルに直接送り込む。マヤがトゥインクルシリーズを見くびらないように、一回目で脅かして引き締めてやる必要がある。楽勝だったらそれはそれでヨシとするが」
「おぉ、怖。下手したら年末で潰すぞ、それ」
「そうしないための調整をするのがトレーナーだ。それに、そのくらいで潰れるような凡百なウマ娘だったら、サイレンススズカ相手に仮想敵役は務まらない。見てみればわかる」
最終コーナーでサイレンススズカとダイワスカーレットが並んで競り合い、一瞬だけ空いた真ん中を後ろから頭を思いっきり下げたマヤノトップガンが飛び出して、トップスピードに乗り切る前の二人の前に出る。
サイレンススズカとダイワスカーレットはそのままマヤノトップガンの後ろでスピードを伸ばしきれずにマヤノトップガンに蓋をされたまま終わる。
その後ろのウオッカは外から差しにかかったがマヤノトップガンまでは差しきれずに、二番手。
マヤノトップガンの完勝だ。
「あの差し方、ってか……お前!」
「気付いたか。僕も最初は、面白いことをねだるマヤに暇潰しで過去のレースから他のウマ娘の走り方を教えてたんだがな。あんまりにもアッサリ覚えて真似するものだから、いろいろ教えてしまった」
マヤノトップガンは、今の時点でも名バの博物館だ。
映像記録でもそこそこあればそれなりに真似出来るし、実物なら一度並走したらあとは自由自在にそのまんま返し出来る。
シニア級相手ではフィジカルの差が誤魔化せないが、クラシックくらいなら今でも余裕で通じるレベルで模倣出来るだろう。
「だからマヤが手に負えない、と前のトレーナーは嘆いていたわけだ。天才だな……ありゃ」
「並のウマ娘で相手になるようなウマ娘じゃないんだ、マヤは。まともに競り合ってなんとか勝ってるのはサイレンススズカくらいしかいない。マヤが真似出来てないのも、な」
「……それほどか」
「それほどだ。あの二人は、間違いなく時代を変える希代の優駿だ。だからこそ、預かったからには最大限に伸ばしてやらないといけない……僕のトレーナーとしての、義務だ」
「サイレンススズカがサウジアラビアロイヤルカップに……ほう、なんの因果か、わざと狙ったか……」
「エアグルーヴとぶつかるだけならともかく、その舞台がサウジアラビアロイヤルカップとは……そう思わざるを得ない」
シンボリルドルフはコーヒーを静かに啜る。
生徒会室には、シンボリルドルフと男が一人。
「フユミ君は、嫌いかね?」
「嫌いというわけでは……しかし……」
「君も、かわいいところがあるな」
「んっ……ふん……ふぅ……はぁ……突然何を」
飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになったのを堪えた結果、シンボリルドルフはむせてしまった。
顔を赤くしたシンボリルドルフに、男はにこりと笑う。
「フユミ君が私とダブって見えたのがなんだか無性に腹が立った、なんて理由で苛立っていたのが可愛らしくてな」
「私はそんなことは一言も」
「消去法と推察。まず、フユミトレーナーは嫌いではない。昔の私と会った時の感覚がした。たぶん優秀だと思う。でもなんか腹が立った。腹が立った理由がフユミにはないのは自分でわかっている。まぁ、ここまでがここ最近の君の言動から聞き出せた範囲。あと、私は君に好かれてる自覚があるからね」
「やめてもらえないか……聞かされてると、その……恥ずかしい」
シンボリルドルフが顔を赤くしながら俯くのを見て、男は彼女の頭の上に手を伸ばす。
「まだ後続に負けるつもりはない。私も君も。そうだろう?シンボリルドルフ」
「ああ、もちろんだ」
「ならしっかり構えてなさい。ジャパンカップで、皇帝のレースってのを見せてやろうじゃあないか」
割とキーマンなのに名前がないやつが多々いるのがこの作品の悪いところ