逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
もともとジャージ姿だったサイレンススズカは、そのままトレーナーと一緒にグラウンドに来ていた。
理屈抜きの本気で走れ、とはつまり今まで上手く出来ていなかったペースの管理やスパートの掛け方などを一切考えずに走れ、ということだろうか?
だとしたら滅茶苦茶な指示だ。
常軌を逸している。
下手なら上手くなるようにするのがトレーナーだろう。
それを要するに「どうせヘタクソなんだから忘れろ」と言われたようなものだ。
腹立つものの、実際にヘタクソなのだから反論は出来ない。
まずは必要性を身で実感しろ、というのだろうか。
それをトレーナーに問おうとした時だった。
「ラーンディーング!おまたせ!」
遠くから走ってきたかと思えばそのままトレーナーの前に滑りながら止まったマヤノトップガンに、サイレンススズカは驚いた。
早かったな、と褒められてトレーナーに頭を撫でられている彼女は息切れひとつしていないのだ。
グラウンドから離れている中等部の校舎から、このグラウンドまで真っ直ぐではない道を無邪気に走ってきただろうに、だ。
そして、芝の上をあの速度で滑走してピタリと止まる足。
普通なら、これだけでも危なくてまずやらない。
更に、それでピタリとトレーナーの前に止まったのだ。
しかも、トレーナーの前に向き直るように向きまで調整して。
サイレンススズカは、初めて他のウマ娘に驚いたかもしれない。
同時に、心のどこかに火が着いた感覚がした。
「よし、じゃあ早速だけど……とりあえず芝2400でレースだ。二人で思いっきり走れ」
サイレンススズカは、その指示が要するにこの少女と勝負しろと言っているのだと理解した。
「アイコピー!」
「……負けない」
マヤノトップガンの元気な返事の影で、小さいながらも決意の固い言葉が、サイレンススズカの口から漏れた。
トレーナーが聞いてたのかは、わからない。
「ねぇねぇ、スズカちゃん!スズカちゃんは、レースが楽しい?」
スタート地点に向かう途中で、唐突にマヤノトップガンに尋ねられた。
「え、えぇ、楽しい……わ」
「むー……」
虚を突かれたものの、ちゃんとトレセン学園のウマ娘としては理想の返事をしたハズだ。
なのに、目の前にいる少女は少しむくれている。
「スズカちゃん」
スタート地点に並ぶ前、マヤノトップガンはこちらに向き直った。
「マヤね、レースが大好きなの。レースの楽しさを、トレーナーちゃんが教えてくれたから」
「え?」
「たぶんね。トレーナーちゃんがスズカちゃんを連れてきたのは、今度はマヤがスズカちゃんにレースの楽しさを教えて、って意味だと思うんだ。だからね」
ちゃんと付いてきてね?
彼女の一言が、やけに心の中に響いた。
それがどうしてなのか、サイレンススズカは三分後に思い知ることになる。
「おや、そこにいるのはフユミトレーナー!お久し振りです!」
「ああ、えっと雑誌記者の……」
後ろから話しかけられてトレーナーは驚いて振り向くと、なかなか美人なスーツ姿の女性が走りにくいだろう靴でも構わず爆走してきた。
どっかで見た気はするが、トレーナーには確か雑誌記者だったという、うろ覚えしかない。
「月刊トゥインクルの乙名史です!こんなところで何を?」
「グラウンドだから、走るか、走らせるか、ピクニックか、草刈りのどれかしか出来ないと思いますよ。どれだと思います?」
正直、煩わしいので煙に巻くような答えをする。
今は、サイレンススズカとマヤノトップガンの一騎討ちに集中させてほしい。
「走らせる!つまりトレーニングですね!他の授業よりも優先して走らせたいというほど、フユミトレーナーのお眼鏡に適うウマ娘がついに現れたわけですね!」
単に、目星を付けていたウマ娘の尽くに声をかけそびれ続けて担当契約を他のトレーナーに取られていただけなのだが、この雑誌記者は深読みし過ぎだと思う。
「大袈裟ですよ。それに、まだ見極める段階です。せっかくです。ご覧になりますか?」
「あそこにいるのは、マヤノトップガンちゃんですね。隣にいるのは……確かサイレンススズカさんとお見受けしますが……確か既にサイレンススズカさんには他のトレーナーが……」
「いろいろな事情で次の模擬レースまで僕の預かりになってます。理事長が『疑問ッ!流石に1人くらいは気になる娘はいないのかッ!?』と煩かったのもありまして」
その度に「もう既に自分が気になった娘はお手付きでして」と説明したのだが、「不服ッ!このトレセン学園は才媛の宝庫ッ!まだ日の目を見ぬ原石も多々いるッ!それを磨き上げるのもトレーナーの使命ッ!」と返されていたところにちょうどよく奥多摩の入り口までアテもなく家出をした問題児がいたので、とりあえず模擬レースまでは彼女の面倒を見ることにしたのだ。
彼女が本物であったなら、確かに1人の優秀なウマ娘を取り零さなかったということになるし、単なる思い上がりのイミテーションだったなら自分の意見の信憑性も補強出来る。
どれほど気難しい少女なのかは、強烈なビンタの時点で察した。
ガワでは物静かな大人しい優等生のフリをしているが、実際はウマ娘の本能を服と多少の社会性で取り繕っているだけのモンスターだ。
もし、そんな彼女に本物の才覚が伴っていたとしたら?
その点で沸き立つ気持ちがない、と言えばトレーナー失格だろう。
まぁ、普通なら砂漠で砂金でも探すほうがまだ現実的だと思うが、トレーナーというのはそういう生き物だと思う。
これを口にしたら、軽蔑されるだろうな……そう、トレーナーは思い直し、改めて社会性のある説明をすることにした。
「彼女、如何にも私は善良な優等生ですって感じの空気出してますけど、常識的なレースがまるで苦手なようで、だいぶ燻っていたようなのですよ。では、試しに本来の自分の走りをしたらどこまで行けるのか?それが少々、気になりまして」
「ほほぉ……スバラシイッ!」
記者が突然吠えた。
なんだ、この記者。
当たり障りのないことしか喋ってないはずだが。
「つまりサイレンススズカさんにはレースの常識を覆すほどの未知の才能があると見込んでいるのですね!?その才能をトゥインクルシリーズで開花させてスターウマ娘の頂点まで高めたいと!スバラシイッッッ!!!」
そんなことは一言も言っていない。
そもそもひとまず模擬レースまでの付き合いだと最初に言ったハズだ。
なんだこの記者、こういうのが憶測やデタラメで記事を書くのか?
文章書いて金稼ぐ人種ってこんなのが大半なのか?
トレーナーは困惑しつつも、二人から位置に着いた合図に手を振っているのが見えたので、ピストルとストップウォッチを構えようとするが、隣の記者もストップウォッチを構えた。
え、なに、あんたも計るの?
いやまぁ、別にいいけど。
とりあえずレースを見せとけばその間くらいは黙ってるだろう。
とりあえず改めてピストルを上に構えて、トリガーを引いた。
軽い破裂音がする。
同時に、サイレンススズカとマヤノトップガンの二人が走り出した。
ようやく、冒頭の時間軸に近付いてきました。
URA公式発表ではバ場状態は良となっております。
疑うトレーナーの背後でモルモットのせんしが光る。アブナイ。