逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「おや、ポニーちゃんは眠り姫かい?」
「ああ、そうなんだ。あとは頼めるか?」
「心得た。その代わりにしてほしいことがある」
夜深くにようやく府中まで戻り、寮の玄関で待たせていたフジキセキに、背負っていたマヤノトップガンを預ける。
フジキセキからの頼み事とは、珍しいこともある。
「君の頼み事はそう無下にする訳にもいかないな。なんだ?」
「サイレンススズカのことだ」
眠るマヤノトップガンを抱えたフジキセキがちらりと見たほうには、玄関から外に出ずに俯いているサイレンススズカの姿。
あの状態から珍しく左に回ってない辺り、何かあったのはわかる。
落ち込んでいるように見えるが、落ち込むようなことがあったのだろうか?
「スズカ、どうかしたか?」
「いえ、その……」
「ケガ……とかではないか。なにかあったか?」
「あの……その……エアグルーヴが」
顔が俯き、横に目が泳ぐ。
何かは、あったらしい。
その何かは、サイレンススズカ本人のことではなく、エアグルーヴに起きたこと。
そして、なにかしらの理由でその場に居合わせたのだろう。
エアグルーヴになにがあったのか。
その詳細は、サイレンススズカの口より饒舌な説明が出来るところから聞こう。
今は、サイレンススズカの話を聞く時だ。
「外に走り出したくて、エアグルーヴに併走を頼んだの……そしたら、なんだか調子悪そうにしてて……」
状況はわかった。
サイレンススズカが何らかの理由で併走相手を捕まえられず、ぐるぐる廊下かどこかで左回りをしていたのだろう。
当然、他の生徒が「またサイレンススズカが廊下でぐるぐる回ってる」とエアグルーヴに言ったのだろう。
話を聞いた以上は当然、エアグルーヴは様子を見に来てサイレンススズカに話し掛ける。
サイレンススズカは、これ幸いとばかりにエアグルーヴに併走を頼んだのだろう。
エアグルーヴは自身の不調は伏せて、併走を断らなかった。
不調の理由は、サウジアラビアロイヤルカップと阪神ジュベナイルフィリーズの連敗から焦って生徒会の仕事が忙しいにも関わらず、無理なハードトレーニングをしたとか、まぁ有り得るのはそこら辺だろう。
「その時のことを1から10まで話してごらん。1刻みじゃなくて1/10刻みくらいで」
「はい」
「ん?」
どたっ、と物音がした。
後ろをちらりと見る。
後ろを走るエアグルーヴの姿がない。
その場で足踏みしながらくるりと振り返る。
少し後ろに、ジャージ姿のウマ娘が倒れている。
それが、すぐにエアグルーヴだと認識出来なかった。
少なくともエアグルーヴは、人前で倒れたりすることを、意地でもしないのは知っているから。
しかし、倒れているウマ娘の姿は間違いなく、エアグルーヴのものだ。
「エアグルーヴ!?」
慌てて駆け寄って、仰向けにして抱き起こす。
細い息、肩どころか全身で息をしているのに。
力が入らないのか、手足はだらりと伸びている。
「エアグルーヴ!ねぇ!エアグルーヴ!?」
「……すまない、スズカ。少し起こしてくれ」
うっすらと目を開けて、小さな声でエアグルーヴは言う。
「無理しないで!えっと、えっと……」
電話を持ってきてたっけ?
ポケットに手を突っ込み、ない。
こっちのポケットには、こっちにもない。
後ろのポケットには、入れたら潰して壊れちゃうからそもそも物を入れない。
忘れてきた?
そもそも持ち歩く習慣があまりない。
慌てて探してようやく見つけたスマホの画面を見て、誰に連絡すればいいのか迷う。
トレーナーさん?
今日はマヤちゃんのデートに専念してもらうんだからそれはない。
マヤちゃんも同じく。
スカーレットはそもそもどこにいるのか知らない。
ハルヤマも同じく。
フクキタルはこういう時にはなんの役にも立たないタイプだ。
きっと横でほんにゃかはんにゃかはわはわするだけだ。
自分もそうじゃないか!
「ああ、いい。自分で戻……くっ!」
無理に起き上がろうとしたエアグルーヴがバランスを崩したのを、抱き止める。
「ままならん、か……」
エアグルーヴが自分で出したスマホの画面を何度か指で叩いた後に、そのままスマホを握った手をお腹の上に置く。
「とりあえず……歩道まで逃げるぞ……」
「あっ、うん。そうね!」
持ち上げたエアグルーヴの身体は、思ったより軽かった。
「おいこら……はぁ……いい。助かる……」
何か言おうとしたエアグルーヴは、そのまま目を閉じた。
しばらくして、赤いランプを回しながら走ってきた車が近くに来て、どこかで見た人達がエアグルーヴを担架で医務室まで運んで行った。
「わかった。スズカが気に病むことはない。明日とは言わないが、年明けよりは先にエアグルーヴの顔は見られるだろう」
「なんで倒れたかも知らないのに、わかるんですか?」
「いちおう、僕もトレーナーだ。話からある程度の状況は推察出来る。それと、状況を僕よりは知っているフジキセキが特に動じていなかった。エアグルーヴがマズい状態だったら、学園は今頃こんなに静かな状態ではない。もちろん、楽観もあるが」
サイレンススズカの頭を撫でる。
知人が倒れたのを目の当たりにして動じるな、というのも酷だとは思う。
エアグルーヴのことは正直、どうでもいいほうに入るのだが、それでサイレンススズカが落ち込むのは少々困る。
サイレンススズカの気持ちが落ち着かないのは、よろしくない。
「明日、試しにエアグルーヴの面会に行こう。面会出来る体調なら心配はいらない」
「…………はい」
「……なんだ?」
既に消灯の時間ではあるが、ぐっすりと眠るには病室のベッドという落ち着かない寝床故に、仕方なく背中を起こして本を読んでいたところを、窓からこつん、こつん、と音がして、気になって窓を開ける。
「やっと気付いたか。窓から離れろ」
下から声がして、そちらを向くと走ってくる足音がする。
待て、待て待て!
ここは三階だぞ!?
慌てて窓を全開にして、窓の隣の壁に貼り付く。
窓から部屋に飛び込んできた影は、そのまま回りながらベッドを叩いて、反対側に着地する。
「遅くなった。出前だ」
平然と言ってのけるのは、脇に水筒を提げてきたナリタブライアンだった。
エアグルーヴは頭を抱える。
「遅くなった、ではない。面会時間どころか消灯時間だぞ!?」
「それはとりあえず見逃せ」
「見逃せ、ってもごっ!」
「騒ぐと当直が来る。静かにしろ。怒られるのはアンタもだぞ」
エアグルーヴの口を手で塞いだあとに、至って真面目に正論のつもりでナリタブライアンはメチャクチャを言う。
そもそも原因は貴様だろうが、という反論は見事に物理的封殺をされた。
「どうせ病室のベッドで寝付けないだろうと思ってな。気の利いたものを持ってきた」
そう言って、サイドテーブルにマグカップと水筒を並べ、水筒の中身をマグカップに注いでいく。
湯気と匂いからスープなのはわかるが。
「姉お手製の野菜スープだ。困ったことに飲むとだいたいの体調不良がそれなりに良くなるのを、私の身体が証明している」
確かナリタブライアンには、菊花賞を取った頭のでかいメガネの姉がいたが、料理をするとは知らなかった。
「まさか、これを用意するのに?」
「商店街を駆け回らされた上に謎の金の魚にお参りと鍋の火の番までさせられたんだ。元気になれとは言わないが、とりあえず飲め」
「……頂く」
何はともあれ、ナリタブライアンの行動は親切心からだ。
そこは、感謝しておきたい。
「エクリプス以来の快挙だな。アンタ」
「何が、だ」
「エアグルーヴも過労で倒れる。新しい諺の誕生だ。額縁に入れて飾っといてやる」
「……嫌味か、貴様ッ!」
「こういうのは小言って言うんだ。ミスタークラウンがアンタの世話はもうしない、って言った理由……わかるか?」
「……私は、見限られたのだろう……」
「ハァ……アンタは自分の中に答えを探しすぎだ。来週の中山は?」
「有馬記念……」
「歴史上最後になる年末最後のGⅠ有馬記念だ。皇帝の誘いを安直に受けて乗るのは気に入らないが、私も出る。そしたら、年が明けて……次はなんだ?」
「……職員新歓か。まさか新人の中から、自分のトレーナーを見つけろ、ということか」
「アンタもテイオーも、スタートの一年を棒に振ったんだ。残り二年で取り戻せ。そういうことだ」
ブライアン引きに行ったら頭のでかい姉が来た。どうして……どうして?(電話猫)