逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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女帝の病床と帝王の宣戦

「極度の過労からの熱発、筋肉痛を拗らせての炎症、ついでに消化不良と軽度の睡眠障害……どこぞのブラック企業の新入社員のカルテだ、それ」

 

「貴様に言われるようなことではない」

 

そう言って強がるエアグルーヴの顔色は、そんなにいいものではない。

いつも少しだけしている薄化粧が落とされてるせいか、不調が隠せていないようだ。

実際、それなりの期間は休息が必要らしいことを、エアグルーヴ自身から聞いた。

桜花賞のトライアルまでに調子が戻せるかは、彼女のトレーナー次第だろう。

 

「お見舞いに来た知人は大事にするものだ。僕の知人が救急車で運ばれた時、さいごまで誰も来なかったのを見たことがある」

 

翌日、昼間にチームルームに郵送で届いた荷物を荷解きしたあとに、サイレンススズカと一緒にエアグルーヴのお見舞いに来た時、改めて症状を問い質して答え合わせをする。

サイドテーブルで山積みの紙袋の中に水筒があるのを、ちらりと見る。

どうやらなかなか気合いの入った見舞いが既に来ていたらしい。

リンゴとみかんを3つほどと、いちおうネズミの国印のはちみつクッキーを紙袋に入れて持ってきたが、エアグルーヴはなかなか人望があるらしい。

 

「あ、トレーナーさん。リンゴは切ってあげたほうが……」

 

「食いたくなったら割ってかじればいい。かじる気にもならない食欲なら、まだ食わないほうがいい」

 

「でも……」

 

「スズカ、そいつの言う通りだ。物凄く腹が立つ言いぶりだが、な」

 

淡々と言い切るフユミに、サイレンススズカは何かを言おうとしたがエアグルーヴに止められる。

エアグルーヴとしても、意地はあるのだろう。

 

「私の時には、切ってくれたから……」

 

「おい」

 

「ぬ……」

 

サイレンススズカの言葉に、フユミとエアグルーヴは違う理由ながらも、同じような味の苦虫を噛み潰したような顔をする。

共通したのは「今、それを言うなバカ」である。

 

「え、なに?二人ともどうしたの?」

 

「……はぁ……エアグルーヴ、切るか?」

 

「そうしてくれ……はぁ……」

 

溜め息を吐きながらフユミはナイフでリンゴを剥いていく。

せめてもの抵抗に、わざわざウサギの形に切って置いていく。

長い耳をピンと立てたウサギカットのリンゴを食べる女帝という黒歴史を誰かに見られてしまえ。

サイレンススズカは呑気に「まぁ、かわいい」と言っているが、エアグルーヴは顔を引きつらせている。

 

「貴様……わざわざッ!」

 

「いちいち皮を全部剥く手間をかけるほど、お前に肩入れする立場じゃない。今のうちに頭から行くかしっぽから行くか悩んでなさい。今のお前にはそのくらいしか出来ん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまんないなぁ」

 

あのあと、まっすぐに寮まで運ばれてしまった。

夢の国から出た外は、また灰色の現実だ。

トレーナーちゃんは夢の国の中でもやっぱりトレーナーちゃんで、スズカちゃんに何かあったらしいことも、興味が湧かなかった。

寝ても起きても、隣のベッドに同室だったテイオーちゃんはいない。

あのあと、話はひとつもしていない。

 

ハッキリ言えば、ホープフルステークスはガッカリだった。

今まで遊んでいたゲームを置いて、勝ちに行ったらあんなに簡単に勝っちゃった。

“シャンデリア城の妖精さんホール”のほうが面白かったと思う。

 

いつもの威勢のいいトウカイテイオーは、中山の短い直線で死んじゃったみたい。

最後に見たトウカイテイオーは布団にくるまって団子になっていた。

ルドルフの再来って、あんなに弱かったんだ……

 

つまんないなぁ……

 

トレーナーちゃんと旅に出られたら、少しは楽しくなるのかなぁ。

でも、トレーナーちゃんはきっと、この府中から去ることはない。

自分じゃないか、府中に釘付けにしたのは。

 

あの日にスズカちゃんに引き留めさせたのは、自分だ。

自分だったら、あのまま電車に乗って旅に出てたのに。

 

スズカちゃんが壊れちゃうのが嫌だったから、それが出来なかった。

不器用だなぁ……

 

あとは、スズカちゃんだけか。

スズカちゃんを大きなレースで完全にぶち抜くことが出来たら、ここでの遊びもおしまいなのかな。

クラシックだとたぶん、トレーナーちゃんはスズカちゃんと戦わせないと思う。

 

一番早く、スズカちゃんと戦えるのは……

来年の冬の……ここかなぁ。

 

屋上からだから見える、府中のレース場。

トレーナーちゃんはきっと、ここでスズカちゃんに最大の勝利を上げさせるつもりだと思う。

 

自分はたぶんそこを外して、年末の中山でのお祭りを目指すんだと思うけど、そんなことはさせない。

あんなカビ臭く落ちぶれ朽ちてきたことを隠せない古祭が本番だなんて、トレーナーちゃんは思ってる訳がない。

本命の府中の大舞台で、大逃げするスズカちゃんをぶち抜く。

たぶんきっと、それがここで一番面白いことだと思う。

 

「マヤノ!」

 

うるさいなぁ。

振り向いた後ろには、一昨日、後ろから差して撃ち落としたら涙目で控え室に飛び込んできたトウカイテイオーの姿。

 

「皐月賞でボクと勝負だ!」

 

「勝負?」

 

どうせトレーナーちゃんのことだから皐月賞には出すだろう。

だから、出走すること自体は別に問題はないけど。

 

「テイオーちゃん、出走資格分のランク足りないよ?」

 

「若駒ステークスを取ってくる!ボクはそこで勝って、皐月賞に行く!」

 

無敗を失ったけど、トウカイテイオーはまだ走るんだ。

クラシックに少しだけ、面白い遊びが見つかったかもしれない。

 

「ふーん……がんばってね、テイオーちゃん」




ウサギリンゴはこのあと入れ替わりで見舞いに来たファインモーションに見つかりました

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