逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「はぁ……はぁ……どうだった?」
目を閉じていても、隣にマヤノトップガンが立ったのがわかる。
彼女と走ったことで、ようやく自分が一番求めていたものの片鱗が、見えた気がした。
「……見えた……かも……しれない……」
「…………見えたって、何が?」
「…………わからない……でも……きっと……私はこれを……見たかった……だと……思う……」
とさっ、と隣に座ったマヤノトップガンの質問に、サイレンススズカはターフに寝転び目を閉じたまま息絶え絶えながら答える。
答えを聞いたマヤノトップガンは、えへへと笑った。
「スズカちゃん、すごいね!」
「……なにが?」
「今まで、マヤの前を走って最後まで追い抜ききれなかった人、スズカちゃんが初めてなんだよ!」
「……そう……なの?」
「うん、他の人はね。背中をずっと追い掛けて最後のコーナーで思いっきりばびゅーん!って内側に入っちゃえばみんなそのまま後ろにさよならだったの……でもね、スズカちゃんはそのままずっとマヤの隣から下がらなかった。マヤから初めて逃げ切った人なんだよ?スズカちゃん」
「……ずっと……私の背中に?」
まるで、気付かなかった。
つまり、マヤノトップガンにもきっと、見えていた。
「うん!付いていくの大変だったけど、スズカちゃんの走り方見ながら追い掛けたから、なんとか離されなかったよ!」
マヤノトップガンの言葉に、サイレンススズカは苦笑しながら、ゆっくりと身を起こす。
初めて、レースで充実した気持ちになったかもしれない。
レースで走る理由が、サイレンススズカの目にも少しだけ見えた。
「クラシックどころかメイクデビュー前のウマ娘が芝2400、それを2:32.8で駆け抜けるとは思わなかった」
「ハナ差もない完全な鍔迫り合いから差し合いの激闘!そして逃げ切り!録画していないのが残念です!この優駿の片鱗を世に広めるのに、私のペンだけでは到底足りません!」
隣でストップウォッチを見ながらレース内容を録画する機材がなかったことに惜しむ記者が興奮して悶えている。
言わんとすることはわかる。
おそらく、自分も目の前で見ていなければ、この芝2400は与太話としか思わないだろう。
これが現実なのは、自分で握るストップウォッチだけが保証している。
レースが最終コーナーに入る直前、記者は意味のわからないことを言い出した。
「おそらく、この勝負はサイレンススズカさんの勝利です!」
「サイレンススズカの走りはまだ洗練されていない、ぶっつけ本番の走りだ。アラが少しでもあれば後ろからマヤが差すに決まっている。そのためにマヤは最初からサイレンススズカの背中に、眼前に尻尾が掠めるギリギリまで近付いて追撃している。マヤの前にいたウマ娘で、あの状態のマヤに差されなかった奴を僕は知らない。このコーナーで、マヤがサイレンススズカを撃墜する」
「では、サイレンススズカさんが勝ったら、ひとつお願いしますね」
ウマ娘の走りに賭けは御法度だ、と言おうとしたが、そんな間もなく予想通りに最終コーナーでの鍔迫り合いが始まって、そして直線でのスパート。
予想を越えてほんの一瞬だけ空いた内ラチに突撃したマヤが、読み通りに前に出た。
サイレンススズカが少しでもよれるか垂れて減速するようなら、差し切るマヤノトップガンの末脚に2バ身差で敗れる。
その予想は残り200で覆った。
マヤノトップガンは減速などしていない。
にも関わらず、まるでマヤノトップガンが遅くなったのかと錯覚した。
サイレンススズカが、芝2400をずっと全速で駆けてきて、その残り200で更に加速した。
有り得ない。
ここまでずっと、サイレンススズカはトップスピードだったハズだ。
ラップタイムも、ここまでサイレンススズカが最高速で駆け抜けていることを示している。
にも関わらず、サイレンススズカはコーナーを抜け、マヤノトップガンが差しにかかった、その直線残り200から逆に差しに来た。
マヤノトップガンが二歩踏み込む度に、サイレンススズカは三歩踏み込み、サイレンススズカの二歩はマヤノトップガンの三歩の距離を駆けた。
150でマヤノトップガンを後塵に離し、100で1バ身差になり、50でマヤノトップガンを差し切った。
サイレンススズカがゴール板を抜けた時、マヤノトップガンは2バ身後ろにいた。
レースの常識は、大差で完敗した。
「さて、フユミトレーナー。賭けは私の勝ちです。ひとつ、お願いを聞いてもらいますね」
乙名史はほぼ直感でサイレンススズカの勝利を予期して言い当てた。
直感とはいえ当てたからには、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「まったく……なんですか?」
「これから、サイレンススズカさんとフユミトレーナーの番記者として密着取材をさせていただきたく!是非とも!」
絶対に次のトゥインクルシリーズの中心に来るのは彼女だと、確信した。
張り込み取材をしなければ!
乙名史はそう意気込み、頼み込む。
「無理ですね」
「即答ですか!?」
トレーナーのあまりにも手早い拒否に、乙名史はたじろぐ。
「彼女のことは、次の模擬レースまでの預かりです。彼女の取材は、彼女本人と、彼女の本来のトレーナーに訊いてください。僕にはなにも答えられません」
それでは、僕達はここで。
トレーナーはターフに座る2人に向かって歩き出す。
乙名史が見たその背中は、どうしてか、力無く寂しげでトレセン学園のトレーナーの背中には見えなかった。
ランクインどころか、ランキング二位……だと……
やはりバクシン!バクシンあるのみか!