逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
『タイキシャトル!信じられないほどのパワフルな走りでこの京都のターフを切り付けながら突っ走る!この時点でも既に圧倒的だ!圧倒的な力を見せる!』
タイキシャトルがコーナー出口からストレートに入り、完全に一人で突っ走る。
日本の高速バ場の踏み方をわかっている?
いや、そもそもターフの踏み締め方がキッチリと足裏に身に付いているのだ。
おそらく、本人は思った以上に速く走れていることに驚きすら感じているだろうが、彼女の想像出来る範囲での背景を考えたら当たり前のことだ。
彼女はケンタッキーの大地を様々な理由で生活の合間に常日頃から時や場所を問わずに走り回っていたのであろう。
恐らくだが、トレーニングで後天的に積んだものではない、かといって先天的なものというわけでもない、日々の生活で必要に迫られて培った能力だ。
だからこそ、ただのパワーバカではなく、パワーをどう生かしてターフを踏めば速く走れるか、脚の裏でちゃんと理解している。
そして、バ場状態だの、繁殖芝の種類だの、ダートだのは、彼女には関係ない。
そこが地面であれば、タイキシャトルは構わず走れてしまうのだ。
考える限りで一番、隙がないタイプだろう。
そして、一番生まれにくいタイプでもある。
『タイキシャトル、どんどん差を広げていく!面白いように差が広がる!2番手のセブンスナナ、もはや食い下がることも出来ません!』
普通に考えたら生活の片手間で走ったり家事の手伝いで付いた筋力が、才能の片鱗を見出だされて走ることだけを考えてトレーニングされた筋肉に走りで勝つわけがない。
確かに今回の出走ウマ娘はトゥインクルシリーズでは今のところ成績がパッとしない者達だが、それでも地方に行ったら全レースを牛耳ることが出来るだろうエリートの集まりだ。
そのエリート集団をまるでパイロンか何かをかわすかのようにアッサリとぶち抜いて、更にここから引き離そうとは。
本当に、本当に、まったくもって
「理解……出来ねぇんだよ……っ!」
有り得ないのだ。
絶好調で先頭を飛び出したサイレンススズカだって、マチカネフクキタルに大差を付けていないのだ。
それがこれじゃまるで、ウサギとカメだ。
本当にこれはURA公式開催の、中央の、重賞のレースなのか?
野良レースでたまにいるそこそこ脚の速い奴の独走ではないハズだ。
それが、他のウマ娘をまるで子供扱いだ。
みるみる内に2番手との差が開いていく。
見ていて、このあと大敗する2番手に合掌したくなるような差がどんどん広がる。
『先頭のタイキシャトル!後続に既に8バ身か!?9バ身か!?ハロン棒ひとつ越える毎に差が決定的に開いていく!セーフティーリードを取ってもまだ手を抜かない!気を抜かない!タイキシャトル!どこまで走る!?』
なんでだよ。
なんで、こんなに苛烈な現実が繰り広げられるんだ。
選りすぐりの優秀なウマ娘をかき集めたトレセン学園で更に篩にかけられたエリートばかりが集うトゥインクルシリーズのレースで、どうしてこんなに圧倒的なレースをしてしまうような天才が、こうもあっさりと目の前に現れるんだ。
現実はいつだって、不条理で理不尽だ。
『タイキシャトル!残り50m!独走!完全な独走だ!このままどこまでの差を付けて勝つつもりだーっ!?』
「はっ!はっ!はっ!」
ダイワスカーレットは、初動からスピードはあまり出していない。
いや、スピードを出していないというのは語弊があるか。
ただ、サイレンススズカのような振り切れたスピードは出していない。
ターフの踏み心地を確かめている?
いや、そうじゃない。
コーナーも内ラチから膨らまず、そこそこの速い走りの範囲にペースを収めている。
ダイワスカーレットが動き出したのは、第4コーナーの前のミニストレート。
明らかに一段階、脚を踏み込んだ。
第4コーナーに入るタイミングでの加速を始めるのは、ダイワスカーレットの得意な走りだ。
しかし、そのくらいはウオッカも既に読んでいる。
「っらぁああっ!」
加速始めのそのタイミング、ウオッカは一気に踏み込んだ。
ダイワスカーレットが一番弱いタイミング、そこで差す!
勝負はコーナー出口から次のハロン棒まで。
ダイワスカーレット、一番の弱点はそこだ。
「どうだフユミ!タイキシャトルを引き受けると言ってくれ!これだけの逸材!お前がトレーナーならほっとけないハズだ!」
『タイキシャトル、圧勝!?圧勝だーっ!?最後尾からの怒涛の巻き返し、そのままぶっちぎりで突き放しての圧勝だーっ!』
「イーサンジュニア、僕は……」
タイキシャトルがゴール板を抜けたのを見て、マヤノトップガンを膝から降ろして立ち上がろうとする。
その時、左腕を掴まれた。
そちらを見れば、サイレンススズカがキッと睨んでいる。
「トレーナーさん」
マヤノトップガンまで振り返ってこっちの顔を下から見上げて覗き込む。
「ウィナーズサークルに、行くんですよね」
気持ち悪くて、吐きそうなほどなのに。
サイレンススズカが左腕を掴む手が、わずかに震えている。
そうか。
僕が何を思うか、サイレンススズカは察したのだ。
そして、まだサイレンススズカはあの雨の日をまだ……
だから、怒ってそうなのに泣きそうな目をしている。
僕のことなんか、どうでもいいだろ。
今、ここで僕がタイキシャトルを引き受けなかったら……
「トレーナーちゃん……行こうよ」
掲示板には、堂々の大差の文字。
タイキシャトルが右手を突き上げて勝利宣言をしている。
これは、どうしようもない。
頭がぐるぐる回る。
それでも。
息を長く吐いて、ゆっくりと吸う。
年明けの冷たい空気が、喉奥まで昇っていたものが、少しは下がった。
大丈夫、まだ僕は大丈夫なハズだ。
「……迎えに行こう。ウィナーズサークルで独りぼっちには出来ない」
「おおっ!?じゃあ」
「出走ローテの組み直し、トレーニングの日程調整、出さなきゃいけない書類、雑務は山程あるんだ。次の出張まで手伝え」
単発で理事長がウェディングマヤちゃんをくれました。
ジークサイゲ、ハイルサイゲ。サイゲの犬になります。