逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
観音山参道
アスファルト 2000 登り往復 夜
世にも珍しい、個人の私費で作られた50m越えの巨大観音像が山頂にある山道にして参道。
ガードレールを跨げば下手をしたら木々が並ぶものの崖の下という部分も点在する状態で普通車がなんとかすれ違える程度の細く、緩やかに曲がりくねった道が続く。
スタートからすぐにほぼ直角のクランク、中間地点には急な曲がり角のS字ヘアピンコーナーがあり、ここをどうパス出来るかが勝敗を分ける。
コーナー部分や長いストレートの中間に点在する街灯がなければ月明かりしかない山の中。
足元のアスファルト舗装は古く、ところどころ剥がれたり崩れた部分、小石やひび割れ、道路を横断するグレーチングといった罠がコースのあちこちに存在する。
それらのアクシデントに負けない足の踏み込み、バランス感覚、リスクマネジメント、それら全てを問われるためターフに慣れているほど走りにくいコースとなっている。
豆知識だが道交法で馬は軽車両扱いである。
たぶん、ウマ娘も走ってると軽車両扱いだと思うので今から描かれるのはバッチリ道交法違反である。
ルールとマナーを守って楽しくレースをしよう!イイネ?
「んじゃ、用意はいいな?」
日が落ちて、見物人も集まってきた頃合い。
サイレンススズカと芦毛のウマ娘が山道の入り口に並ぶ。
山道の各所の脇には見物に来た物好き達が立っている。
確かに一時期に比べたら寂れたが、それでもここには人が集まっているらしい。
二人の先、道の真ん中に金髪のウマ娘が指を広げた右手を挙げる。
「カウント行くぞ!ワン、ツー!サン!シーッ!」
じゃりっ、と地面から音が鳴る。
カウントに合わせて、親指、小指、薬指、中指と畳んでいく。
「ゴーッ!!!」
金髪のウマ娘が腕を振り下ろすのと同時か、それよりも早くか、サイレンススズカが飛び出した。
芦毛のウマ娘も追い掛け、走り出す。
入り口からいきなりの登り坂、勾配は仁川のラストスパートよりもキツい。
その坂を、サイレンススズカの足はしっかりと捉えて登っていく。
対する芦毛のウマ娘はスタートこそゆっくりだが、広い歩幅のストライドで走っていく。
芦毛のウマ娘の走りは、見た目以上に速い。
サイレンススズカが走るのに3歩必要な距離を2歩で走っていくのだ。
スピードが乗り出して、往復ポイントである頂上までのこの登り坂でストライドを維持するだけのスタミナがあるなら、サイレンススズカに食い付き続けるかもしれない。
ストレートを登って左真横に曲がるコーナーに二人の姿が消えるまで見送る。
「あの娘の靴を取り換えていたようだけど、フィッティングをどう弄ったのかしら?」
サイレンススズカ達が走って行ったあと、グランマがフユミに訊いてくる。
グランマは実際に二人が走り出すまでどちら側にも肩入れしないでいたが、走り出してしまえば興味のほうが勝るらしい。
「昼間は砂利とかで足を取られても力任せに地面を踏めば止まれる柔めのゴム底に、食い込む小石が痛くないように厚手のクッションを入れていたけど……今は硬めのゴム底の靴にインソールは爪先をペラでヒールを厚め」
「感覚がまるで違うじゃない。ぶっつけでそんなの履かせて大丈夫なの?」
「それはまぁ、スズカ次第。ここでどう走ればいいか、スズカの脚がちゃんと理解してその通りに走れば……まぁ、どうにかなるだろう」
爪先がしっかりと路面を捉えてくれる。
同じ力でも坂を登るペースが、さっきまでの靴より速い。
最初からこの靴じゃダメだったのだろうか?
そんなことを思うくらい、速く走れる。
ただ、全てがいいわけではなく、路面をしっかりと捉える代わりにデコボコの感触も足裏で敏感に捉えてしまう。
ちょっと大きい石を踏んだら痛そうだ。
その代わりに、多少の小石なら滑るのを気にせずにそのまま踏み付けて走れるのだけど。
靴を履く前に、トレーナーさんが念入りに足裏をマッサージしていたのは、たぶんこの感覚で足の疲れが出てしまうからだろう。
私にこの一回を全力で走らせるために、彼がどれだけの神経を尖らせて私の足を手入れしたのか、それに応えるにはひとつしかない。
この勝負、勝たなきゃ!
登りのコーナーはいつものターフで走る時と同じように曲がっていける。
いや、スピードがさっきより乗っているから身体を少しインに倒し気味で。
あれ、いつもと感覚が違う。
さっきまでとも感覚が違う。
軽く足を出しているハズなのに、足裏全部で路面をしっかり踏めている?
スピードに振り回されずにコーナーをパス出来る。
むしろ、流すように走っているのに、しっかりと前に出られる?
コーナーを出たら、すぐに逆向きのコーナー。
よく見たら、コーナーの外やガードレールの外とかに人が立っている。
この人達、なにをしてるんだろう?
まぁ、いいか。
「お、上がってきたぞ!」
「おい、先に上がってきたのは栗毛のほうだ!芦毛は4バ身遅れてる!」
「あの栗毛のウマ娘はえぇ!」
「芦毛は4バ身後ろか。だが、このままやられっぱなしってことはないだろ!」
見物人達がどよめく中、ニット帽を被ったウマ娘が登りで注目処の中間地点、大曲りのヘアピンコーナーの外に、立て膝で待ち受ける。
たまたま近くに来たら、ウマッターで騒ぎになっていてこの観音山まで見物に来てみたが、なるほど確かに速い。
このコーナーさえパスしてしまえば、あとは緩やかなカーブが左右に一回ずつ折り返すだけでほぼストレートだ。
後半になるほど平坦になっていく道だから、このダブルヘアピンコーナーを抜けるとウマ娘としての脚力がモロに出る。
栗毛のウマ娘はコーナーのインをまるで回転ブランコのようにくるりと抜けていく。
芦毛のウマ娘はこのコーナーを大きく膨らみながらもごり押しで登る。
いつもならここで減速した前のウマ娘に迫ってストレートで追い付いて決着のハズだが、今回は相手が速い。
被っているニット帽を手でずらして直し、下りの見所に向かう。
下から2つ目のコーナー、そこで縺れてすらいないのなら、もはや勝負になっていない。
相手の着ている体操服、それは確かにトレセンの物だった。
ウマッターでは船橋の奴が来たと騒いでいたが、船橋の体操服とは色が違う。
あれは、中央の体操服だ。
まったく、最悪な相手に喧嘩を吹っ掛けたものだ。
ニット帽のウマ娘は、すれ違った瞬間にその顔に気付いて思い出した。
ジュニアクラスでGⅠを取るウマ娘は毎年、三人しか生まれない。
彼女はその中の一人。
朝日杯フューチュリティステークス優勝者、サイレンススズカ。
彼女が、なんでこんなところを走っている。
写真越しですら焦げた匂いを感じる笑顔の男がインタビューに答えている写真を思い出す。
トレーナーであるあの胡散臭い笑顔の男が、ここにいる?
面白そうだ。
予定を変えて、坂を一気に走って下る。
新しい勝負の場への足掛かりが、坂を下りきったそこにいるハズだ。
よい子のみんなは山道を走っちゃダメだからね!