逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
チューリップ賞
GⅡ 阪神 芝 1600m 外
阪神JF、朝日杯FS以来の阪神芝1600m。
桜花賞のステップレースであり、桜花賞と同じコースというステップレース屈指の大本命。
条件から考えれば、ここでの走りを桜花賞でも見せる可能性がかなり高いハズであり、ここで好走するウマ娘こそが桜花賞の本命と言えるかもしれない。
ティアラ路線の口開けは桜花賞というより、このチューリップ賞と言ったほうが正しいかもしれない。
つまり今後のティアラ路線を占う上で、チューリップ賞はかなり重要なステップレースである。
え、21年優勝のメイケイエール?
テメー、重賞3つしかもひとつはレコード勝ちのメイケイエールさんをディスってんのかぁン!?
がんばって、メイケイエール。身体に気を付けてね。あと、桜花賞でうまだっち暴走逆噴射した時のおかねかえして。
『春迫る阪神レース場、暖かい日が続き天気は抜けるほどの快晴、バ場状態も文句無しの良バ場での発表です。桜花賞ステップレース、チューリップ賞、芝1600m。現在の一番人気は阪神JFを制したウオッカ、二番人気はエアグルーヴ、三番人気はダイワスカーレットとなっております』
地下通路からパドックに出て見上げた空が清々しいほど青い。
阪神JFの時、そういえばどんな天気だっただろうか。
空すら見上げる余裕がなかったのかもしれない。
バカね、アタシ。
なんのためにスズカ先輩に無理言って併走頼んだり、桜花賞出走を頼んだりしたのよ。
マヤノや年明けから学園に来たタイキさんにも、かなり世話になった。
どうやったらスズカ先輩を差せるか、スズカ先輩ならどう逃げるか、今のアタシはどんなレースだって勝てる。
それなのに、さっきまでアタシじゃないアタシとして走ろうとしてた。
今日の仮想敵はウオッカとエアグルーヴ先輩。
どう走ってくるかは、想定済み。
アタシがやることは、その二人に勝つレースを思い描いて、実行するだけ。
その答えは、もう出来ている。
「スカーレット、待ってたぜ」
「アンタ、わざわざ待ってたの?」
「ったりめーだろ。年末年始返上で修行して、そのあとも自分を追い込んで鍛えていたのが、自分だけだと思わねぇようにな!勝負と行こうぜ!スカーレット!」
油断しているわけじゃない。
間違いなく、強敵なのはわかってる。
なのに、どうしてだろう。
いつもなら意地を張って、自分自身すら半信半疑……もっと疑っているのに。
今は、確信を持って言える。
「今日は、アタシが勝ってやるわ」
うん、絶対に勝てる!
「そろそろ始まるな」
「はい」
モニターの前、ソファーに座るとサイレンススズカとタイキシャトルが両側に、マヤノトップガンが膝の上に座る。
なんだか最近はこの形が普通になってきたが、外から見たらけっこうマズい絵面だと思う。
一回、そのことを言ったら全員から拒否されたので今更言わないが。
今年デビューしそうなウマ娘が誰も寄り付いてこないのは、このせいじゃないかと思わなくもない。
これ以上、担当が増えたら過労死が見えるからこちらとしてもノータッチのつもりだが、あまりノーリアクションでいると理事長とたづなさんが小言を言ってきそうなので、何かしら言い訳が欲しいところだ。
もし、次の世代を担当しろと言われたら「自主的でラクな娘なら」と言ってみようか。
ダメだ、あの二人にそんなことを言う度胸はない。
そんなことを思っている内に、実況アナのナレーションと共にチューリップ賞の中継番組が始まる。
「チューリップカップ、ワタシも走りたかったデス」
「アネモネになんとか捩じ込みたかったが、抽選落ちになるとは、な……悪かったな」
チューリップ賞にダイワスカーレットとエアグルーヴが出走申請を出した上に、阪神JFを勝ったウオッカまで意味不明な出走申請を出したせいで、チューリップ賞を危険と回避したスプリント寄りではない脚のウマ娘がこぞってアネモネステークスに集中して出走申請を出した。
そのせいで出走枠は抽選となって、成績上はシンザン記念に一回勝っただけのタイキシャトルはレート負けで落選となってしまった。
念のためにスプリングステークスに出走申請を出していたのは通ったので、とりあえずはそちらに切り替えてトレーニングを積ませることにした。
といっても、実際にやることは少なめだ。
狭い狭いと駄々を捏ねるゲート嫌いとあちこちを見過ぎてしまう集中力の無さをどうにかするだけ。
あと、前に他のウマ娘がいない時のペースキープの問題。
何かを追い回す時のタイキシャトルは恐ろしく速いのだが、前に追い回すウマ娘がいなくなった瞬間に走るペースが安定しない。
ハッキリと言えばジュニアクラスの時点で普通ならある程度はどうにかするような初歩の問題だ。
ついでに「一人だと寂しいデース!」とすぐにやめたがるので、どうにもし難い。
仕方ないので現状は、サイレンススズカとマヤノトップガンをひたすら追い回させている。
自分のペースで走れないなら、誰かのペースを追わせるしかない。
全力で逃げるサイレンススズカをあれだけ追い回してタイミング次第では捩じ伏せられる脚があるなら、マイルまでならあとはフィジカル任せの力業でもなんとかなるだろう。
本当は2000mまでは射程に収めたいところだが、彼女の強みはサイレンススズカを一時だけなら追い回せる瞬間的な切れ味なので、今はそこを伸ばしたい。
「あ、スカーレットちゃんだ」
マヤノトップガンが指差した画面には、空を見上げているダイワスカーレットの姿。
画面越しだし、ダイワスカーレットとそこまで付き合いがあるわけではないが、阪神JFの時より落ち着いて見える。
あとはエアグルーヴだが、一時期は入院までしていたほどの体調不良からの復帰戦にも関わらず二番人気なのはここまでの善戦と根強い母親の人気に引っ張られた形だろう。
ウオッカの一番人気は、理由不要だ。
……いかん、眠くなってきた。
「マヤ、コーヒー買ってきてくれ。あとマヤ達のジュースもついでに」
「アイコピーっ」
ポケットから小銭入れを出して、マヤノトップガンを膝から降ろしておつかいを頼む。
レースが始まるまで、あと20分はかかるだろう。
スタジオの芸能人の当たらない予想を見ていても仕方ない。
自販機に駆け出したマヤノトップガンを見送り、背もたれに身体を沈める。
妙にふかふかなソファーで、身体がよく沈む。
このまま、寝てしまいそうだ。
「トレーナーさん、お疲れですか?」
「いや、そうでもないが……昼寝するには、ちょうどいい時間かもな……」
両手と膝の上に花とか、体操着ダスカちゃんとか、緊急うまだっち案件だらけだったので落ち着きませんでした。