逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
ということでチューリップ賞開始です。
「ああ、お前が噂の」
「サンジョー、知ってたのか」
ハルヤマが知らない人間を、サンジョーが知っているとは思わなかった。
サンジョーは仕事以外では、そんなに社交的ではないし、合コンも人数合わせに仕方なく呼び出されて、向こうから話し掛けられなきゃ注文以外はロクに口を開かない堅物なのだ。
それが知ってるというのは、それなりに噂になってるということだ。
「ああ、デートに誘った男がまるごと撫で切りにされてしばらく仕事に身が入らなくなったせいであっちこっちですったもんだが起きてるという噂と、エアグルーヴにくっついて回っては邪険にされてもずっと追い掛けるものだから仕方なく契約したという噂のある新人だ」
「濃くね?噂の内容、濃くね?」
「あ、あの……どっちも間違いです……微妙に……」
「いや微妙に、って」
微妙に間違いってそれ、けっこう合ってるってことか?
ハルヤマの戦慄を他所に、ホオヅキは背負っていた中身が満載のリュックを下ろして膝に抱えると、空いていたハルヤマの隣の席に座る。
「エアグルーヴさんのことなんですけど、私は担当のトレーナーになった訳じゃなくて……まだ(仮)が付くというか……今回のレース次第というか……」
「チューリップ賞で勝利したらトレーナーとして正式に契約するとか、そういうところか」
「いえ、違います」
サンジョーの推察に突然、ハッキリと言い切るような口調になってぎょっとしたハルヤマを他所に、ホオヅキは少しだけ目付きを険しくして言う。
合コンの連絡を見咎められた時のスカーレットより怖い目をしていた。
「チューリップ賞の出走申請を私が手続きするのを前提に、エアグルーヴさんと賭けをしているんです」
「賭け?どんな賭けだ?」
「簡単です」
簡単に言ったことは、ハルヤマが同じ立場だったら簡単には言えないことだった。
少なくともトレーナーとしては、絶対に言えないだろうこと、だ。
「エアグルーヴさんが勝利したなら、私はトレーナーを辞める。掲示板にすら入らなかったなら、私と担当契約をする。入着したら、出走申請の手続きだけを引き受ける契約をする。たった、それだけのことです」
やべぇ奴が来た。
ハルヤマはピシリと自分が固まったような感覚を覚えた。
人畜無害そうなこの新人トレーナーは、どうやら女帝エアグルーヴを相手に、お前は入賞すらしないと言い切ったらしい。
仮にもトレーナーとして契約しようとしている相手に言うような言葉ではない。
「エアグルーヴに、お前は入着しないって言ったのか?」
「無理なトレーニングをしているのを見て、このままではチューリップ賞は無理だから休んだほうがいい、とは言いました。せめて桜花賞前ギリギリまで、大事を取るならオークスまで体調を調整したほうがいい、と」
「で、お前は見事に女帝の尻尾を踏んだ、と」
「明らかな無理をしていて復調していないのに、それでも力任せに勝てるなら、重賞レースに出るようなウマ娘にトレーナーなんていりません……エアグルーヴさんの言う通り、トレーナーの口出しなんて不要です……出走申請を出すだけのボットでいいという、彼女の言うことをこのレースの結果という形で正しさを証明したら彼女の言うことに賛同しましょう、というだけのことです……」
私は所詮は新人のトレーナーなので、実際その通りでしょうし……
そうショボくれながら締めたホオヅキの言葉に、ハルヤマはどこかで聞き覚えを感じた。
なんか、こんなこと言ってそうな奴がいたような……
初めて聞いたような意見に思えないのだ。
すごく、何かが、引っ掛かる。
こういう物言いをしそうな奴を知ってるような気がする。
そんなやり取りをしている間に、出走準備が進む。
もうすぐで、チューリップ賞が始まる。
『各ウマ娘、出走の準備を整えております』
ゲートの中で、エアグルーヴは目を閉じる。
あのふざけたトレーナーに一泡吹かせてやらねば、気が済まない。
思い出すだけでもイライラする。
「これ以上のトレーニングはダメだよ……休んだほうが……」
「あなたの体調は万全じゃない……桜花賞は回避してフローラステークスからのオークスに狙いを定めたほうが……」
いつからか後ろをくっついて回るようになったあの丸メガネの小さな新人トレーナーは、わかったかのようなことを散々言ってきた。
駄目押しに今回のチューリップ賞に至ってはとんでもないことを言い出した。
「仁川、マイル戦、調整不足、あなたには不利しかない。下手をしたら」
「下手をしたら、なんだ?そこから先を言ってみろ。入着すら出来ないとでも言うのか?どうなんだ!」
そこから先は、トレーナーとして言ってはならないことを言い出しそうだった。
もし、そんなことを言い出すならこのトレセン学園にいてほしくもない。
「入着出来ない程度で済むなら止めたりしない……あなたの身体は、マイル戦の高速レースに耐えられる状態じゃ……」
「貴様……ッ!この私をどこまで……ッ!!!……いいだろう。本当に私がチューリップ賞で入着すらしなかったなら、貴様の言うことを聞いてやる。だが、入着以上なら出走申請を出す以外のことは何もしない条件で契約しろ。チューリップ賞で私が勝ったなら……」
襟に留めていたトレーナーのバッヂを無理矢理もぎ、その自信なさげな顔の前に突き付ける。
「見る目無しのトレーナーはここには不要だ。そうだろう!?」
「……わかった……あなたがチューリップ賞で勝利したら、私はトレーナーを辞めます」
ずっと怯えたような縮こまった態度だったのに、この時だけはハッキリと返事をした。
それが尚更、癪だった。
人のことをどれだけコケにしたら気が済むのだ。
ふざけたことを、二度と言わせてたまるか。
私が入着すらしないだと?
そんなわけがあるか。
見かけた覚えの少ないトレーナーだった。
おそらくは今年の新人だろう。
だとしたら、自分は新人トレーナーに侮られたということになる。
認められるか。
認めてたまるか!
『各ウマ娘、ゲートイン完了。出走の準備が整いました』
ゲートが開く、その瞬間を睨み構える。
勝ってやる。
勝って、見返してやる。
そうすれば、私のことをちゃんと認めるだろう?
ガコンとゲートが開いた瞬間に飛び出す。
勝つのはこの私だ!
エアグルーヴだ!
『スタートです!』