〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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2.5-2:冒険に貴賎はないというお話の続き/Doodlebug

 

 累々と横たわる巨大蟻の骸に、常識的な寸法の蟻がたかっている。やがて彼らやほかの虫、動物、大地と草木の糧となるのだろう。歓迎されざる外来の侵略者は、死してようやく森の一部として認められるのだ。

 

「死骸はほったらかしか。巣に持って帰ってくれてりゃ楽だったんだけど」

 

 死を呼ぶ者たちがやってくる。収集物を庵に預けた一行は、先の遭遇戦の現場へ取って返していた。少年斥候が這うような姿勢で視線を走らせる間、残る面々は周囲を警戒。護衛として同行している二人の茸人と、圃人と同程度の背丈の小茸人も草陰に睨みを効かせている。

 

 茸婦人とて、森が蝕まれていくのを黙して眺めていたわけではない。分身を駆使して巣穴の捜索を試みてはいた。だが彼女の能力ではあまり数を揃えられず、敵の妨害もあって発見には至らなかった。ゆえに、少年斥候に活躍の場が巡ってきたのだ。

 

「実は野伏もやれんだぜ、ってな」

 

 本職ほどではないが、追跡(トラッキング)の心得はある。感覚を研ぎ澄まし、目星をつけろ。

 

「あっちこっちバラバラに逃げてっけど、数が多いのは……っし、こっちだ、みんな」

 

 不自然な角度の草やそこに隠された足跡が、相手の遁走経路を教えてくれる。森になんの痕跡も残さず移動するには空を飛ぶか、さもなくば森人に生まれ変わるしかあるまい。

 

「わっかんねぇ。何が見えてんだよ」

「やっぱり斥候の勉強はしたほうがいいかも」

 

 新米戦士と見習聖女にはただの草むらとしか思えないし、おまけに斥候と野伏の違いもよくわからなかった。獣も通らぬ道をおっかなびっくりついていくので精いっぱいだ。

 

「仲間を増やしてはいかがですか。お二方だけですべてをこなそうとする必要はありませんよ」

 

 そんな子鴨の尾羽を守る軽剣士は小さな花を跨ぎながら、街歩きも同然の歩調で進む。森人の血の濃い彼にはとっては、むしろこういった環境のほうが慣れているのかもしれなかった。

 

「稼ぎ、足んねぇからなぁ。せめて黒曜に上がりゃ、ちったぁ報酬もよくなんだろうけどさ」

「まだしばらくは二人きりね」

 

 欠けている探索技能や、できれば飛び道具の扱いにも習熟している仲間がいれば、彼らの一党の安定度は大きく向上する。となると狩人か、ないし山岳猟兵。いつか、よき出会いがあるだろうか。

 

「たまにだったら今日みたいに手伝ってやんよ。ま、俺も辺境最高の看板しょってっから、安かないけどな!」

「調子に乗らない、余所見しない」

 

 歩きながら振り返った少年斥候の頭を少女巫術師が両手で挟み、進行方向に戻す。

 

 まったく、転んだらどうするのか。彼女の懸念は直後に現実のものとなった。転倒したのだ。小茸人が。顔面から。

 

「わわ、大変! 怪我ありませんか?」

 

 助け起こされると、小茸人は首または腰を縦に振って意思表示とした。分身にすぎないといえど本体と感覚を共有しているため、傷の痛みも伝達されてしまう。心配しない理由はない。

 

「……なあ、お前は平気か?」

「何、転びそうに見えるの?」

「あ、いや。そういうんじゃなくてさ」

 

 歩みを再開した少年斥候たちから気持ち距離を置き、新米戦士は声を落とした。

 

「怪我させちまったろ。俺がトチったせいで。だから、大丈夫かなって」

 

 あの庵での威勢のよさは鳴りを潜め、申し訳なさげに目を伏せる。よい意味で忘れていた悔恨が、きっかけを得て湧出したのだ。

 

「大丈夫に決まってるじゃない。毒も抜けたし、手当もしたんだし、だいたいあんたが悪いわけでもないし。ちょっと気にしすぎ。冒険者ならこんなかすり傷ぐら、い」

 

 そこで、見習聖女ははたと気づく。今まで、怪物の攻撃によって負傷したことなどあったか。なかったはずだ。薬水の味だって知らない。いつも体を張っているのは、前衛を務める相棒なのだから。

 

「……そうよ、あたしだって冒険者よ。覚悟はできてる。守られるばっかりの村娘じゃないんだから」

「でもさ、そしたら俺がいる意味ないじゃんか」

「そんなわけないでしょ、莫迦!」

「なんで怒鳴るんだよ!?」

 

 言いたいこと言いたくないこと、ぎゃーすぎゃーすとぶつけ合えば、周りの者も何事かと足を止める。肩に軽剣士の手が置かれるまでのわずかな時間に、新米戦士たちは体力をひどく浪費していた。

 

「続きは、帰ってからに」

「……はい。ごめんなさい」

「すんません」

 

 互いの顔を視野の外に追いやり、離れる。茹だった感情は急速に冷やされ、細かなひび割れが残された。

 

「あー、えっと。ちょい、あれ見てみろよ」

 

 一行のあいだにも居心地の悪い冷風が吹き通っていく。そんななか、少年斥候は幸いにも何かを嗅ぎつけた。指差す先には毒々しい赤色が散る、踏み荒らされた草地があった。

 

「蹄の跡だ。猪か、鹿?」

「猪です。とっても大きな」

 

 不規則な足運び。周囲に刻みつけられた六本足の爪痕。奇怪な踊り(ボアトロット)の相手は、巨大蟻の群れだったようだ。

 

「寄ってたかって、毒で痺れさせられちゃどーにもなんねーか。四匹がかりで担いで、あっちに持ってったっつーわけだ」

 

 獲物の質量の分だけ深くなった足跡が、森のさらに奥へと続いている。ならば当然、それを追っていった先には。

 

「……あれだな」

 

 うずたかく積み膨れた蟻塚が、門戸を開いて待ち構えていた。

 

「周りは見ておきます。皆さんは、手筈どおりに」

 

 狩りから戻ってくる住民と出くわすおそれは多分にある。軽剣士と小茸人が見張りに立ち、残る面々は巣穴に近づいていった。入口から窺う限りでは、内部への道は只人が三人ほど並んで通れるだけの横幅だ。また、やや急ではあるものの、歩いて入れる程度の下り勾配となっているようだ。

 

「縦穴じゃねーのな」

「重い動物を運び込むためかもしれません」

 

 どうあれ好都合であった。観察を続ける二人の後ろで鞄を開いていた見習聖女は、常備している鉤縄には触れず、厚手の革袋を取り出した。

 

「はいこれ。使うんでしょ」

「お、おう」

 

 気まずさやら戸惑いやら余計なものはいったん捨て置き、新米戦士はこれからやる作業に集中することにした。己の発案した策だ。率先して動かねばなんとする。

 

「じゃ、ちっと離れてくれ」

 

 少年斥候たちが退がり、代わりに茸人が左右につくのを確認。渡された袋をひっくり返し、収められていた細枝の山を巣穴の前に盛る。

 

「私がやる?」

「いや、俺がやるよ。お前ももう離れてろ。ほら、危ないから」

「そ。わかった」

 

 素直すぎて肩透かし、などという雑念も放棄だ。受け取った麻屑を配置し、火打ち石を鳴らす。火の粉は火種に、やがて炎となり、煙が昇り始めた。

 

「よし、頼んだ」

「はい」

 

 速やかに身を引いた新米戦士に続いては、少女巫術師の手番(ターン)だ。

 

「《風の乙女(シルフ)乙女(シルフ)、接吻おくれ。みんなの森に幸あるために》」

 

 涼やかな《追風(テイルウィンド)》が煙に飛び込むと、杖を導に集った風精(シルフ)たちの輪郭が露わになった。白いドレスに召し替えた彼女らは、我先にと巣の中へ翔ていく。

 

「あとは待つだけ、ってか。みょーなこと思いつくよな」

「昔、蜂が納屋に巣を作りやがったとき、爺さんが燻して退治したんだ。ただの煙じゃ蟻にも効くかわかんねぇけど、()()ならいけんだろ」

 

 ただの煙ではない。毒煙だ。もちろん発生源もただの木ではない。夾竹桃(キョウチクトウ)だ。美しい薄紅色の花を咲かせる東方伝来の小高木で、その花に実に葉に枝に幹に根に樹液に燃やして生ずる煙に、果ては植っている土に至るまで毒性を示す天然兵器。あつらえ向きの毒物はないかと茸婦人に相談したところ、提供されたのが錬金素材として保管されていたこれだったのだ。

 

「毒気攻めって、ねえ。あたし、聞いたことある気がするんだけど」

「ああ、うん。煙を使うって考えたら、()()()の話を思い出してさ」

 

 見習聖女の指摘どおり、この一計は結局のところただの受け売りだ。同期の友人、今や鋼鉄等級となった地母神の神官の。さらに元を辿れば、その友人が行動を共にしている銀等級の冒険者による、対ゴブリン戦術の一つだ。

 

「なんか、かっこつかなくてごめんな。さっきも情けねぇこと言っちまったし」

 

 学ぶべきことは数知れず、ただ己の未熟を知るのみ。恥じ入って頭を下げる彼に、返ってきたのは微笑だった。

 

「ううん。あたしこそ、変な意地張ってごめんね」

 

 長いつき合いだ。互いがそこにいるのが当たり前で、喧嘩になるのも当たり前で、仲直りするのも当たり前。いかなる因縁が、いかなる感情が交差しているにせよ、得がたい仲間であることには相違ない。

 

「……頑張るか」

「うん」

 

 煙る不明瞭な行先を、二人はしっかりと見据えていた。

 

 

 

§

 

 

 

 煙が収まるまで、特にやることはなかった。

 

 何も起こらなかったわけではない。耐えかねて巣から飛び出した敵もいたし、外から向かってくるものもいた。茸人に殴り潰されるなり軽剣士に首を刎ねられるなりして、楽に死ぬことのできた果報者がいたのだ。

 

 そうならなかった場合。洞窟に突入した一行を出迎えた惨状が、すべてを物語っていた。

 

「うげぇ」

 

 小茸人の傘が発光し、それを頼りに先陣をゆく少年斥候の眼前に、折り重なって事切れた巨大蟻たちを照らし出す。脱出しようとして渋滞を起こし、力尽きたのだろう。中には虫の息以下のくたばり損ないながらも一矢報いんとする剛毅な輩も見受けられたが、冒険者の敵たりうるにはほど遠い。

 

「どぉうりゃあ!」

「TIRIRI……!」

 

 新米戦士の振るう鈍器が、唸りを上げて打ち倒す。確かな手応えに満足した彼は、光芒の内に新たな武装を掲げてみせた。

 

 それは棍棒と言うにはあまりにも細すぎた。細く、長く、軽く、そして洗練されていた。それは、紳士御用達の(ステッキ)だった。

 

「どうなの、それ」

「そうだな……」

 

 黒蟲殺し二世(ローチキラーツー)。先代が破損したため、茸婦人より譲り受けた阿利襪(オリーブ)の杖を代わりとしたのだ。金属で補強された先端が遠心力を生み、外観に似合わぬ破壊力を示す。示した。そこで閃く。

 

力丸(マイティ)、とか」

「名前はどうでもいいから」

 

 性能(データ)が変わらなくとも、素敵な見た目や名称は己を鼓舞する役には立つ。こともある。見習聖女には解せぬらしい。

 

「俺も短剣になんか名前つけてみっかな」

「男の子って……」

 

 少女巫術師にも解せぬらしい。

 

「ふふ、よいではありませんか。女性の名などいかがです? 愛着が湧くかもしれませんよ」

 

 夜な夜な微笑みながら己の武器に愛を囁く狂人を想像してしまった少女たちの苦い顔に、軽剣士は気づいているのか。後方索敵に意識を割いているからきっと無理だ。毒の影響から立ち直る暇を与えないための速攻戦ゆえ、巣穴の分岐を無視している。体格の問題で入口の防備に残ってもらった茸人たちは信頼に足る戦力ではあるものの、それだけでは挟撃を受ける可能性は排除し切れないのだ。

 

 ……杞憂だったろうか。餌運びの足跡をなぞる道すがら、生きている敵は想定より少なく、抵抗は拍子抜けするほど弱々しい。楽勝だ。

 

 など、とは。若い衆でさえ思ってはいなかった。

 

「そりゃ、蟻だもんな。いる、よな」

 

 ドーム状の広大な空間の、三分の一近くを占拠する異形。そばに十数体ばかり控えている、通常より一回り大柄な巨大蟻が子供にしか見えず、また実際に子供なのだろう。無造作に放り出されている大猪ですら、これほどの体躯と比べては可愛げがあるとさえ思える。

 

 社会性昆虫について、今さら詳細な説明など必要あるまい。わかっていたことだ。

 

「GIRIRIGGI!」

「女王蟻……っていっても、大きすぎじゃない!?」

 

 著大蟻(ヒュージターマイト)だ。大物狩りの経験のない二人は目眩すら覚えていた。対峙したことはないが、これではドラゴンと変わらないのではないか。

 

「お、落ち着いてください。大きいのはほとんどお腹です。頭を叩けば、やっつけられるはずです!」

 

 まともに移動することすら困難になるほど肥大した、その腹部が厄介の種だ。少女巫術師の指差す先で、幾分か小ぶりの巨大蟻が産み落とされている。幼虫だ。胎生なのか卵胎生なのか、そんなことはどうでもよい。重要なのは、放っておけば一行の数的不利がより苛烈なものとなるという事実だ。

 

「ありったけブチ込んで殴り斃す(ビートダウン)、いつもどおりやるっきゃねぇってことか」

「奇跡の使い、じゃない、お願いしどころね」

 

 見習聖女が神への請願を試みることができるのは日に一回のみ。決定的な瞬間を狙わねばならない。

 

「私もとっておきがありますけれど、準備にちょっとかかります」

 

 もう一人の術師も、手札を残している。即座(インスタント)には発動できない分、威力に期待が持てるというものだ。

 

「そんなら俺はやつらの誘導(コントロール)だな」

 

 時間稼ぎの要諦を担うのは少年斥候。派手に立ち回り、引っ掻き回して敵意(ヘイト)を集める。彼の軽捷さが活きるときだ。

 

「直掩は私が。背中は気にせず、お好きなように暴れてください」

 

 双剣を広げた軽剣士が、少女たちを守る盾となる。少年たちの背中を見送る目は、変わらず優しげだった。

 

 ——ところで。誰かを忘れてはいまいか。

 

「よっしゃいくぞって、おい!」

 

 そうだ、茸だ。小茸人が新米戦士の真横を通り過ぎて、いの一番に走りだしたのだ。一歩ごとに傘から振り撒かれる微細な粒子が、光を浴び煌めいている。甘い香りが漂っていた。

 

「RRRITTI」

「TRII」

 

 誘引された巨大蟻たちは獲物に気を取られ、不用意に尻を晒す。動作は緩慢だ。巣の最奥ともなると毒気の被害も十分とはいかなかったようだが、確実に弱っている。

 

「も、らいっ!」

 

 この隙を見逃してなるものか。少年斥候が敵の体を踏んで勢いをつけ、脳天目がけて短剣を突き下ろした。ひねって抉る、致命の一撃でもって即死だ。そこから素早く跳び馳せる(クイックステップ)。慌てた様子で矛先を変えた別個体の顎をくぐり、すれ違いざまに足一本攫っていく。

 

「だっしゃぁあ!」

 

 動きの止まったところへすかさず追撃を見舞う新米戦士。棍棒が体幹を崩し、長剣が急所を射抜く。これで撃破二。敵軍、戦列に風穴が空いた。射線が空いたのだ。

 

「ブッ放せ!」

 

 生態系の歯車を狂わせるもの、外なる害意。やつらは紛れもなく秩序の敵だ。

 

 ゆえに。ここに、天誅を下さん。

 

「《裁きの司、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し(さぶら)え》!」

 

 見習聖女が唱えれば、顕れしは至高神の剣光、蒼雷の《聖撃(ホーリースマイト)》。真直ぐに咎人へと奔り打った。

 

「RRRIGGIGII!?」

 

  直撃。腰を反り返らせて苦しむ著大蟻は、煙を上げながら膝を折った。さすがにこれだけで死にはしないものの、力なくうなだれている。

 

「おおゥッ!」

 

 雄々しき戦吼(ウォークライ)を轟かせ、新米戦士が畳みかける。左、右と殴打して、稚拙な防御に使われた顎の片方を断ち砕いた。休むことなく今度は垂直に振り下ろし、跳躍してもう一度叩き潰す。

 

「もういっちょ!」

 

 逆手に持ち替えた剣を傷口に突き入れ、深く、深く。あわよくばこのまま……と、欲張ったのは迂闊だった。

 

「GIRRRGR!」

「クッソ、まだ——」

 

 激しくもがく敵から刃が抜け、新米戦士は数メートル跳ね飛ばされた。背中を強かに打ちつけながらも後転、素早く体勢を立て直す。鼠と格闘する日々も無駄ではなかったらしい。おかげで命拾いをした。もし受け身を取れずにいたら。

 

「そんなのありかよ」

 

 己の腹部を自力で切除して突進する著大蟻に、轢き殺されていたに違いない。

 

「蜥蜴か、こいつは!」

 

 反射的に横っ跳んで難を逃れたはいいが、いやよくはない。後衛に素通ししてしまった。

 

「悪い、抜かれた!」

「お任せを」

 

 応え、軽剣士が双剣を重ねて構えると、刀身を軸に荒ぶる風がとぐろを巻く。そこから繰り出される回転斬りは小さな竜巻となり、間合いに入っていた幼虫たちをまとめて吹き飛ばした。さらに速度を増す二回転でもって、地を這う暴風の波を解き放つ。

 

「GIRR!?」

 

 よもや己の巨体が押し返されようとは、翅もないのに宙に浮かぶことになろうとは、著大蟻には思いもよらなかっただろう。背中から落下、転がって着地。受け身まで真似してほしくはなかったと、新米戦士は内心でぼやいた。

 

「……うん?」

 

 ぼやくついでに余所見をした、というわけでもないのだが。なぜか目が合ってしまった。

 

「BOAA……」

 

 大猪だ。なんという生命力(タフネス)か、巨大蟻の群れに切り刻まれたうえに毒を吸い、それでもなお立ち上がるとは。

 

 このとき新米戦士は淡い期待を抱いていた。蟻どもと戦ってくれるのではないか、と。

 

「BAOOO!」

「やっぱりかぁぁぁー!」

 

 淡い期待であった。半分ほどは。邪魔な巨大蟻を蹴散らしながら猛進する猪は、毒殺未遂の犯人へ一直線に向かっていく。

 

「おいおい、やべーってあれ」

「何やってんのあいつ! あの、またさっきのやつお願いします」

「いえ。その必要はなさそうですよ」

 

 新米戦士は走った。闇雲に、ではない。敵味方の位置関係は把握している。あとは速度とタイミングだ。足音が近づく。間に合うか。

 

 ここだ!

 

「ごめんな、()()()!」

 

 本日二度目の横っ跳び、ただしこれは緊急避難ではなく攻撃だ。

 

「BOOA!?」

「GII!?」

 

 硬いものと柔らかいものが、一時にひしゃげる音がした。大猪と著大蟻の、互いの顎と牙とが交差する正面衝突。期待どおりの展開とはいかなかったが、期待以上の威力はあった。猪の命と引き換えに、敵首魁は深手を負って再び地に伏したのだ。

 

「……お待たせ、しました。戻ってきてくださーい!」

 

 そして仕上げの支度も整った。集中を高めた少女巫術師の合図を受け、新米戦士はまだまだ走る。妨害する巨大蟻が一体、飛来した何かがぶつかって砕けると、大仰なほどに悶えて怯んだ。

 

「急いで!」

 

 見習聖女の手にあるのは投石紐(スリング)、投じたのは虫下しの団栗だ。

 

「腕上げたな」

「練習したもん」

 

 合流成功。仲間たちに囲まれた少女巫術師は、地面に立てた杖を握り直し、精霊へと呼びかける。

 

「《お還りなさい薪の王(ウィッカーマン)。供物をこれに、大地の懐へ届けてちょうだい》!」

 

 金枝が震え、光が漏れた。擱座したままの著大蟻の周囲から、無数の細い木々が生え伸びていく。絡まり、拘束し、形作られたのは不恰好ながらも人型の巨大な檻。それがわずかな間を置いて、発火した。

 

「GGGIGIII!?」

「TRRI!」

「TITRI!」

 

 爆発にも似た業火が、標的を焼き祓う。巫術師の秘伝、《炎棺(ファイアリンク)》の術である。助けようとしたのか乱心か、跳び込んでいく巨大蟻たち諸共に、残らず燃え尽きるのだ。

 

「あれ一発だけで終わってたんじゃないの?」

「私はまだ半人前なので、あまり強い火は熾せませんから。それに敵が元気だと、振りほどかれてしまいますし」

「あれで弱火なのか……」

 

 新米戦士たちは若干引きぎみだ。もっと引いている者もいる。物理的に。

 

「話してないで、いこーぜ。俺らも危ねーから」

「そうですね。このままでは窒息です」

「あっ」

「えっ」

「へ?」

 

 言われて気づいた少女巫術師とよくわかっていない二人は、そそくさと撤収にかかった。

 

 ところで。

 

「さあ、茸さんも早く!」

 

 今度は忘れていなかっただろうか? 

 

 一行から離れた場所にいた小茸人は、幼虫と呼ぶには大きい()()()()()巨大蟻をなんとか撲殺し終え、少女巫術師に駆け寄っていった。

 

 その後。女王と、切り離された母胎より這い出したただ一体の後継者を失った個体群(コロニー)は、急速に瓦解していくことになる。

 

 森の安穏は、取り戻されたのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 夜。人々は家でくつろぐか、早々に寝床に潜り込むか、それとも酒場に入り浸るか。そのような時間。酒場とも縁深い冒険者ギルドは、まだ業務中だ。依頼斡旋などは締め切っていても、帰還した冒険者からの報告を受けたり報酬を渡したりといった仕事がある。職員も楽ではない。

 

「うっけつっけさぁーん!」

 

 たとえば疲れているところへこんな調子(テンション)で話しかけてくる輩がいても、笑顔で対応するのが務めなのだから。

 

「はい、ご用件はなんでしょうか」

 

 受付嬢から見える顔の角度を斜めに調整し、槍使いは得物の石突で床をトンと叩いて胸を張った。

 

「デーモン退治、余裕の完了です。あの山羊頭、とんだ見かけ倒しでしたよ」

 

 平素よりちょっぴり低音で語る。そんな彼の背後で、艶のある含み笑いが奏でられた。

 

「で、も……連れてた、犬、に。かじられそう、に、なった、わよ……ね?」

「ぬぐ……! 言うなよ、躱したんだからいいじゃねぇか」

 

 言の葉を弄するは魔女の領分、戦士が敵うはずもなし。男前もあえなく形なし。

 

「そうですか、お怪我がないようでよかったです」

 

 これは営業ではなく本心だ。冒険に送り出した人物が戻らないことは、頻繁にはなくとも、たまにはある。残酷な現実を前に心折れ、職を辞した同僚もいた。自分がそうならずに済んでいるのは、待っていれば必ず帰ってくる者も存在するのだと証明するこの二人のような冒険者のおかげだと、彼女は理解している。であれば、労をねぎらうのもやぶさかではない。

 

「ですが、無理は禁物ですからね。体力回復に、強壮の薬水をお勧めします」

「一本ください」

「毎度ありがとうございます」

 

 やっぱり営業かもしれない。

 

「おや、いい飲みっぷりですね」

「ん?」

 

 受付嬢の厚意っぽいものを感じつつ一息に瓶を干した槍使いに声をかけたのは、隣の窓口で報告をしていた軽剣士だった。同期の実力者、しかも浮名を流す色男とあって、一目置く相手だ。

 

「ちなみに、その薬水の材料が何かはご存じですか」

「そらまあ、俺もペーペーの頃に素材集めやったことあるし、だいたいは」

「そうでしょう、そうでしょう。実は今日、我々のところの若い子たちとお友達が採集依頼で大変な目に遭いまして。何かご褒美があるべきだとは思いませんか」

 

 言って指し示す卓を、彼の所属する一党に駆けだし者二人を加えた六名が囲っている。

 

「つっかれたぁ。明日は休もう。ぜってぇ休もう」

「賛成。けっこう貰えたし、のんびりしましょ」

 

 突っ伏す新米戦士の背をそっとさすり、見習聖女はまさに聖女然とした表情で同意した。共に疲労困憊である。行き帰りの手間がない下水はなんて楽なのだろう、でも臭いし汚れるし。立てかけられた錫杖の先で、天秤が揺れていた。

 

「俺も休んで、どっか買い物いくかな」

「それなら一緒にいきますよ。目を離すとすぐ無駄遣いするんだから」

 

 少年斥候と少女巫術師はまだ幾分か元気そうだ。それでも遊び回って帰宅した子供、といった風情がある。きっと放っておくといつの間にか寝てしまうことだろう。

 

「……あー、そうかよ、そういうことかよ」

 

 状況判断は済んだ。よりにもよって受付嬢の前でとは、おのれ策士め。槍使いは後頭部を乱暴に掻きつつ、卓に近づいていく。

 

「よう、坊主どもに嬢ちゃんたち。大冒険だったんだろ、話聞かせろよ。その代わり一杯、いや飯も酒も好きなだけ奢ってやるからよ」

「マジで!?」

 

 椅子を倒す勢いで立ち上がった少年組は、跳ねたり両手を掲げたりして歓喜を表現した。育ち盛りの身に食べ放題のお誘いは魅力的すぎる。

 

「牛肉、とか食ってもいいのか」

「おうよ、おかわりもいいぞ」

「やったな。さすが辺境最強、太っ腹ぁ!」

 

 消耗を忘れたかのようにはしゃぐ彼らを横目に、見習聖女は小さく溜息をついた。

 

「うーん、あたしあんまり食欲ないかも」

「あら、では私が貴方の分もいただきますね。甘いお菓子をたくさん注文してしまいます」

「そうしな。一つ二つ盗まれてもわかんねぇくらい山盛りのスイートロールとかな」

「お菓子。山盛り」

 

 故郷にいた頃も街に出てきてからも、甘味にはほとんど縁がない。それも蜂蜜や果物ではなく砂糖を使った料理なんて! 

 

「食べます」

 

 清貧、質素倹約。それは地母神の戒律だ。自分が仕えているのは至高神だから、遠慮なくお腹いっぱい食べても罰は当たらないはず。誰に対する言い訳なのかは彼女自身わかっていない。

 

「では私は麦酒(エール)だな」

「おい待て」

 

 至高神の信徒がここにも。さも当然といったふうに宣う女騎士に、さしもの槍使いも声を上げた。

 

「ガキどもを鍛えた私にも奢られる権利はあるだろう。何、一杯で構わんさ。もののついでと思え、ケチケチするな辺境最強」

「そうだぞ辺境最強、いいところ見せろ。あと俺も麦酒な」

 

 ここぞとばかりに重戦士の掩護が入る。この二人が息を合わせれば、つけ入る隙などあるものか。

 

「貴方、は、葡萄酒かし、ら?」

「ええ。いやぁ、すみませんね。こんなつもりではなかったのですが」

 

 もはや逃れることはできぬ。

 

「わーったよ、しょうがねぇな。おら、酒場いくぞ酒場!」

 

 戦いと報酬、仲間との語らい。食って飲んで騒いで。

 

 こうして、冒険者の日常は明け暮れていく。




◆風精の双魔剣◆

 大鷲の羽根を象った一対の曲剣。希少なエレメンタルウェポンの一つ。

 風精の加護により常に微風を纏っており、驚くほど軽い。またその気流は刃を合わせることで乱れ、嵐のごとく吹き荒ぶ。

 精霊の祝福を受けた武器は、自ら使い手を選ぶ。森人譲りの美貌と優雅な物腰が、乙女の心を捉えたのだろうか。






◆《炎棺》◆

 巫術師に伝わる精霊術。彼ら独特の神聖な儀式に用いられるもの。

 大地より呼び起こされた無数の木々が対象を封じ込め、炎上する。規模の大きさゆえに精神への負荷が激しく、半端な集中力では発動できない。

 火となり、灰となり、土へ還る。

 そうやって、命は巡る。

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