〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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3-2:寂びついた錨/Remember

 

 例によって例のごとく、冒険者ギルドは街の入口近くに居を構えていた。

 

「ほんとにここ? 間違えてない?」

「看板があるだろう」

「そうだけどさ」

 

 まるで気にしたふうもないゴブリンスレイヤー以外は、困惑ぎみの妖精弓手の心中を察して皆同意していた。彼らが寝泊まりするギルドと目の前のこれ。両者を分かつ(ギャップ)が、看板(板切れ)一枚では()の役に立たぬほどに大きすぎたのだ。

 

「これは、なんとも。趣がある、とでも申すべきか」

 

 蜥蜴僧侶の言は無論のこと手心を加えた表現である。年月を経たというよりはただ顧みられていないだけと思しき石造りの外壁に、曇った窓がいくつか。蝶番に錆びが散りばめられた自在扉は、本当に自在に開けられるのかどうか不安で仕方がない。向かって左側からはお隣さんの圧力を至近距離からぶつけられ、実に肩身が狭そうだ。反対側に設けられた小ぢんまりとした空き地に、馬車を停めておけるだけの広さがあったことは、せめてもの救いだった。

 

「眺めていても始まらん。入るぞ」

「あ、はいっ」

 

 やや慎重に扉を押し開けたゴブリンスレイヤーに女神官が慌てて追従し、ほかの者もそれに倣う。蜥蜴僧侶は頭を低くして、また侍は武具をぶつけないように注意せねばならなかった。

 

 内部は奥行きがあり、外観から予想できるほどには狭苦しくはない。ただ薄暗く猥雑としていて、並べられた卓を占める冒険者であるはずのまばらな人影は、ことさらにならず者じみている(ローグライク)

 

もぐり酒場(スピークイージー)かなんかと違うんか」

 

 それもぼったくられる類の。鉱人道士はぼそりとこぼした。冒険者ギルドの原型は、冒険で糊口を凌ぐ無頼の徒がたむろする酒場だったのだが、室内に立ち込める雰囲気はむしろそちらのほうが近しいようだ。

 

「なんだ、あいつら」

「新入りって感じじゃねぇ。余所者か」

 

 戸の軋む異音に気づいた者たちが、値踏みするような目線を投げかける。女神官などは居心地悪そうに身を縮こまらせたが、ゴブリンスレイヤーは歯牙にもかけずにズカズカと進んでいく。彼のみすぼらしい風体を嘲弄する声が上がらないのは最低限の礼節を守ったのではなく、単に自分たちの身なりとさして変わらないからだろう。

 

「今、いいか」

「どうぞー。伺います」

 

 受付台(カウンター)に頬杖を突いて書類に筆を走らせていた気怠げな若い女性職員が、来訪者の姿を認めて申し訳程度に姿勢を整えた。国営組織たるギルドに勤めているからにはやんごとなき家柄の生まれだろうに、彼女はそれこそ場末の酒場の店員、といった印象だ。

 

「西の辺境からきた者だ。ギルドからの紹介状を持っている。ここの支部長に取り次ぎを頼みたい」

 

 どちらが役人かわからぬほど事務的に述べ、ゴブリンスレイヤーは襟元から認識票を引き上げた。話している相手が上位の冒険者だとわかり、職員はさすがに表情を引き締めた。

 

「銀等級だと? けっ、お貴族様に尻尾振る犬かよ」

 

 その様子を横目に見ていた中年の男が、陰口にしては大きすぎる声量で吐き捨てた。己の首に提がる白磁の小板との差を妬んだ、というよりはもっと直接的な侮蔑の色が滲んでいる。

 

「あー、あの! 支部長はただいま応対中ですので、少々お時間をいただきたいのですが」

「わかった。待たせてもらう」

「ありがとうございます。では、一度書類をお預かりします」

 

 喧嘩を売られた側は、またしても歯牙にもかけない。この種の雑音は聞き慣れたものであり、一度たりとも気に留めたことのないものでもあった。とはいえ表情が確認できないために職員は気が気でない。早足で二階へ続く階段へと逃げる彼女は冷たい感触が背筋を伝うのを覚えつつ、天上の差し手たちに向けて祈る。何も起こりませんように。後ろで露骨に不機嫌そうにしていた森人の人も、どうかあのまま鉱人の人に制止されていてくださいお願いします、などと。

 

「おい、貴様」

 

 しかし、憐れ。声なき祈りは届く前に、地の底から響くがごとき声によって掻き消された。

 

「ひっ……!? なん、だよ」

 

 視線を外した、その意識の空隙を縫って接近していた侍の眼光に、中年男はただそれだけでへたり込みかける。胆力で耐えたのなら少しは格好もついたのだろうが、たまたま壁に寄りかかっていなければどうなっていたやら。

 

「我らの(かしら)への悪口(あっこう)、断じて聞き捨てならぬ。表へ参れ。せめて、その腰のものを握ったまま死なせてやろう」

「お、おう、言うじゃねぇかクソ野郎。返り討ちにしてやらぁ!」

 

 冒険者同士が難癖つけた、つけられたで刃傷沙汰に発展するのは稀といえば稀であり、よくあるといえばよくあることだ。この中年男とて、降りかかる火の粉を払う程度の気概は持ち合わせていたらしい。外に出るどころか、この場で抜剣する勢いだ。それは半ば以上虚勢で構成された、それでも明確な敵愾心だった。

 

「余所者が、調子に乗りやがる」

「ちょいとヤキ入れてやるか」

 

 敵意は伝播する。一人、また一人と席を立つ冒険者たちに囲まれ、ゴブリンスレイヤー一行は各々異なる反応を示した。喧嘩上等とばかりに口端を吊り上げる妖精弓手、やれやれと首を振りながらも腰帯に手挟んだ手斧を掴む鉱人道士。戸惑う女神官を巨体で守り、蜥蜴僧侶が仁王立つ。事ここに至っては乱闘もやむなしかと、頭目もわずかに重心を落とした。

 

「手出し無用。たかが十かそこらの雑兵ごとき、お主らの技を見せてやるまでもあるまい」

 

 ただそう発した侍だけは、邪魔にならぬようにと肩に吊るした刀と弓をそのままに平然として振り返り、激昂する荒くれどもを睨み返した。向けられた背中に無防備なことだとほくそ笑み、中年男は右手を剣の柄にかける。

 

「そこまでにしてもらおうか」

 

 同時。落ち着いた、それでいてよく通る男の声が階段上から投げかけられた。

 

 眉目秀麗長身長耳、漆黒の外套(コート)を纏う森人()()の何者かがそこにいた。森人であるものか。日の光のもとよりも暗がりが似合う青白い肌と、整えられた銀色の頭髪は、森に住まう種族の特徴ではない。

 

闇人(ダークエルフ)……!」

 

 上の森人が答えを導く。喧嘩腰から臨戦態勢へ。鉱人なら喧嘩で済むが、闇人ではそうもいかない。鉱人と同じ地下の住民であっても、あちらは地上と協調して暮らすが、こちらは地上に災禍をもたらす混沌の眷族どもだ。かてて加えて、ゴブリンスレイヤーたちは侍の来航以前、闇人と対決し打倒している。警戒度を跳ね上げるのは必然と言えよう。

 

(シャチ)の兄貴」

 

 一方、周囲の者たちは毒気を抜かれたような面持ちを浮かべた。取って代わるのは緊張と敬意。鯱という字名で呼ばれたこの闇人は、彼らにとって仰ぎ見るべき人物であるらしい。

 

「頼む。刃を収めてくれ」

 

 そんななか、鯱はじっと一人の男を注視していた。

 

「……ふん」

 

 侍だ。視線を交差させること数秒。彼は中年男の喉元、薄皮一枚裂いた矢を静かに下ろし、(うつぼ)に返した。刀より速いためか、それとも刀を使うまでもないと判断したか。いずれにせよ相手は九死に一生を得て、今度こそ床にへたり込んだのだった。

 

「すまんな」

 

 頭を下げる鯱からは、特に悪意は感ぜられない。それで気を緩めるほどゴブリンスレイヤーたちは能天気でもなかったが。

 

「あれは、確か正道(ルタ)神様の……」

 

 正しい答え、よりよい未来のために絶えず研鑽と前進を続けることを教義とする、求道者たちの神。その象徴の一つである真円の聖印が、外套の胸元で揺れていた。目を留めたのは女神官だ。世間にはあまり知られていない信仰ゆえ、彼女が聖職者でなければそれと判別することは難しかっただろう。

 

「そのとおりだ。君と同じく、秩序の神に仕えている」

 

 肯定する言葉に嘘はあるまい。正道神の典則(レギュレーション)は厳しいのだ。信徒を騙る冒涜的背教者であれば天罰覿面、この場で神の怒りを思い知ることになるだろう。

 

「改めて、初見となる。私は、この街の商会の代表を務めている者だ。勝手ながら事情は聞かせてもらった。客人への非礼を、まずは詫びよう」

 

 再度、より深く腰を曲げる。鯱の後ろにはギルドの支部長らしき初老の男と、先の女性職員の姿があった。揉め事の兆候を放置せず速やかに上司と有力者に対処を丸投げしたのは、この職員の英断であった。

 

「ついては何か、埋め合わせをしたいところなんだが。昼食は、もう済ませているだろうか」

 

 一行は顔を見合わせる。彼らは今一度、太陽の位置を思い出す頃だった。

 

 

 

§

 

 

 

 港に臨む通りに建つ、大衆向けの酒場(タヴェルナ)。昼時にふさわしい賑わいにあふれるこの店の外席(テラス)に、ゴブリンスレイヤーの一党は案内された。格式張った高級店では気が休まらないだろうという、鯱の心配りである。

 

「うまい」

 

 円卓を囲み、めいめいに注文した品に舌鼓を打つ。侍が食べているのはやはり米だ。米を補給している。リゾットではない。パエリアだ。旬の二枚貝(バイバル)をふんだんに使った海鮮パエリアを、持参した箸で食べている。パラつく米粒を一切こぼさない、熟達の箸捌きであった。

 

「して、これはどう食えばよいのだ」

「貸してみい」

 

 大皿を半分ほど綺麗にしたところで、中心に居座る大鋏海老(ロブスター)に行手を阻まれた。そこへ差し伸べられた鉱人道士の手が卓上に添えられていた器具を駆使し、硬い殻を花びらのように次々と分解していく。わずか三十秒の早技だ。

 

「ほれ」

「すまぬ。半分(はんぶ)ほど、食うか」

「くれるっつうなら遠慮なく」

 

 茹で上がった身の弾力を楽しみ、それから強めの糖酒で流し込む。酒飲み二人は仲良く息をついた。

 

「これは、よい」

「そだろ」

「……しかしな」

 

 左隣では、ゴブリンスレイヤーが揚げ物に串を刺していた。狐色の衣に包まれているのは、潰した豹芋(ジャガイモ)と無髭鱈の身を混ぜて練ったものだ。それを黙々と味わう。兜の面頬の隙間から。ねじ込むように。

 

「何ゆえ、兜を脱がぬ」

 

 行軍中に糧秣や水袋で同じことをするのは、わかる。野営中などは獣に襲われる可能性もあるので、まあわかる。だが今は街中だ。ほかの客の両目に怪訝の二文字が映っているではないか。という侍の疑問への解答が、これだ。

 

「ゴブリンはどこにでも現れる。奇襲され、頭を殴られればそれで終わりだ」

「常に戦場(いくさば)に在る心持ち、ということか。見上げた覚悟よ」

「うむうむ、まさに戦士の鑑ですな」

 

 納得したようだ。同調する蜥蜴僧侶は、はて本気なのかどうか。スライスと呼ぶには分厚すぎる熟成された羊乳チーズの塊に、生ハムを乗せてかじりつき。

 

「濃厚……甘露!」

 

 と快哉を叫ぶ彼の真意は、胃の腑の底に呑まれて消えた。

 

「感心しちゃ駄目。こういうのは病気って言うのよ病気」

「もう、見慣れちゃいましたけどね」

 

 納得できない妖精弓手と諦観の境地にある女神官は、赤茄子のガスパチョを行儀よくもやや速めに匙を動かしてすすっていた。店の地下にある氷室に蓄えられた氷でほどよく冷やされ、細かく切ったパンや胡瓜に三色の菜椒(ピーマン)を潜らせたスープは、この季節の人気料理だ。

 

「気に入ってもらえたようだな」

 

 食事を楽しむ一行に、微笑みかける鯱。赤茄子煮込みの肉団子を上品な所作で口に運ぶ彼と目が合い、妖精弓手は若干顔を強張らせた。

 

 闇人は森人とは違う。こうしてごく当たり前に肉を食し、森の緑よりも大地の裏側に広がる暗黒を好む。同族と決別して出奔し、善と義のために双剣を振るった異端の闇人にまつわる伝説ならば、彼女も知ってはいる。伝説の真偽がどうあれ、そのような存在は特例中の特例であり、善き闇人などそうそう巡り会えるものではないということも知っている。

 

「むーん……」

「……何か?」

 

 見詰められ、小首を傾げながらも変わらず笑みを湛えた蒼い顔貌に、やはり信用し切れないところがあったのか。決心した表情で、妖精弓手はついに切り込んだ。

 

「三千と、五百歳!」

「残念、三千と八百だ」

「だー、惜しい」

「なんじゃいそら」

 

 悩んでいたのはそこかよとか、鉱人の一生分の年数を誤差扱いするな、とか。諸々すべて、鉱人道士は溜息混じりの呟きに集約して吐き出した。それ以上とやかく言わないのは、打ち解けようという努力を邪魔するほど野暮ではないからだ。

 

秩序にして善(ローフルグッド)の闇人、なのよね」

「ああ、そのつもりだ」

「でもさっきの混沌にして悪(ケイオティックイヴィル)っぽいやつら、貴方の言うこと聞いてたみたいだったけど」

 

 混沌や悪といえど曲がりなりにも冒険者である以上は言葉持つ者(プレイヤー)の範疇に収まる程度、一線を越えて祈らぬ者(ノンプレイヤー)に堕した輩とは違うはずだが、それでも信条(アライメント)が真逆の相手とはまず相容れない。ゆえ、あのギルドにいた者たちの鯱への態度は、いささか不自然なものに思われた。

 

「もっともな疑問だ。ふむ。この街の成り立ちについては、把握しているか?」

「え? え、っとぉ……」

 

 目線を送って助けを求める。応じたのは女神官だ。

 

「はい。昔は海賊の街だった、って」

「そうだ。今でも、ここにはかつて海賊団に所属していた者が大勢暮らしている。あの冒険者たちも多くは元海賊、私もそのうちの一人だ。一応、船長をやっていた」

「するってぇと、あやつらはお前さんの仲間だったんか」

「仲間、というよりは同志だな。同じ船に乗っていたわけではないが、志を同じくしていた」

 

 海を眺望する鯱の瞳は懐古の念を帯び、闇人にとっては最近のことを、しかし遠い昔日の思い出として幻視していた。

 

「私掠行為が国に禁止され、我々は生き方を変える必要に迫られた。だが、堅気が肌に合わない者もいる。あれらは、そういった手合いだ」

 

 冒険者ギルドに、暴力的社会不適合者がそのまま社会の敵とならぬよう設けられた安全装置(セーフティネット)としての一面があることは、周知の事実。この街のギルドは、しっかりと役目を果たしていたらしい。

 

「君たちに因縁をつけたのは、等級の高さが理由だろう。自由を束縛する国も国家機関であるギルドも職員たちも、そしてそれらの覚えめでたい上位の冒険者も、彼らはことごとく気に食わないんだ」

「己もまたギルドに属しているにもかかわらず、ですかや」

「だからこそだ。矛盾を抱えた憤懣が淀んだ空気を醸成し、往時を知らぬ若い世代の思想すら汚染する。その結果があの有様だ」

 

 身内の恥を晒すようで忍びないが、と鯱は首を振った。活力を失くし劣化するばかりの知人たちに、複雑な思いを募らせる。他方、もう一人の耳長の情動は単純だった。

 

「なぁにそれ、ただの八つ当たりじゃない。やっぱり一発ぐらい殴っとけばよかったのよ。カラドタングもそのつもりだったんでしょ?」

「否」

 

 水を向けられた侍は、すでに食事を終えていた。彼はそれこそ食後の雑談でもするかのごとく、平然と返す。

 

「斬るつもりだった」

「えっ」

 

 どうやら、何か齟齬が生じている模様だった。

 

「いや、そりゃあ相手は剣持ってたけどさ。何も命まで取らなくても、貴方ならなんとでもできるじゃない」

 

 喧嘩は買うが、あくまでただの喧嘩にすぎない。腹は立つものの、適当に躾をしてそれで終わりと考えていた妖精弓手。

 

「頭が誹りを受けたのだ。たとえ丸腰であろうとも、斬って捨てるが道理よ」

 

 対する侍は苛烈。只人と森人の認識の差? 違う。

 

「俺は気にせんが」

「気にせぬで済むものか」

 

 彼が、侍だからだ。

 

「お主は頭だ。お主が頭なのだ。頭の面目は一味の、一党(パーティ)の面目。お主の兜に泥を塗られたということは、一党の皆の顔に泥を塗られたに等しいと心得よ」

 

 誇りが命よりも重い世界に身を置いていた男だ。それも一国一城の跡目である。されど市井の生まれであり、背負うお家の歴史はわずかに二十年。侮る声があった。資質を疑う目もあった。言いたい者には言わせておけばよい。そんなわけにはいかなかった。

 

「こたびはこの男の顔を立てたが。本来であれば、俺を止めるにせよあのまま斬らせるにせよ、お主が下知を下すべき場だったのだ。面目を潰されてなお波風立てぬようにと黙っていれば、新参者の我らは見縊られ、かえって禍根を生ずることにもなりかねぬ」

 

 舐められたら終わりなのだ。腹の中で野心を飼い肥えさせた輩はどこにでも、いくらでもいる。どれだけ平和を望もうとも、火種が向こうから飛んでくる。真っ先に焼かれるのは国だ。己でなく。

 

「そういう、ものか」

「そうだ」

「……そうか」

 

 わかったのかわかっていないのか、重々しく応えたゴブリンスレイヤーは悩ましげにうつむき、それきり沈黙した。教える側と教わる側。出立前とは立場が逆だ。

 

 そんな両者を妙に暖かく見守る一行(なぜか鯱もだ)だったが、ふと何かに気づいた妖精弓手が悪戯っぽく笑った。

 

「つまり、オルクボルグはもっと一流の冒険者らしく振る舞えってことよね。吟遊詩人の歌の中みたいに!」

 

 吟遊詩人。その単語に、そばを通りかかった人物が思わず足を止めた。昼時の酒場で一曲ご披露と意気込んでいたであろう彼は、まさにその吟遊詩人だった。それも、知った顔だ。

 

「お、あんた確か、前に水の街で会った」

「ええ。おかげでちゃんと見つけられたわ。辺境勇士、小鬼殺し」

 

 聴衆の容姿などいちいち憶えてはいなくとも、これほどの美人と言葉を交わしたとなれば忘れはすまい。平素であれば再会を祝して即興詩の一つも歌い上げるくらいの機転を利かせるところだが、席を立った妖精弓手が不気味な鎧の男の肩に手を置くのを見て、嫌な予感に頬をひきつらせた。

 

「でも()()()()貴方の歌の内容と本人との間に食い違いがあったのよねぇ」

「……歌になっていたのだったか、俺は」

「然り。拙僧と術師殿は野伏殿からその歌を伝え聞き、そのとき初めて小鬼殺し殿のことを知ったものでしてな」

「そういえば、ちゃんと聞いたことはありませんね」

 

 まずい。この流れはまずい。風聞を好き勝手に脚色して創作した英雄譚(ヒロイック・ファンタジー)だ。このままではそれを当人の前で披露させられる羽目になる。もちろん、話を盛りはすれど名誉を傷つけるような文句は一音たりとも含まれてはいないと断言できる。だからといって。だからといって。

 

「お、おお、かの小鬼殺しの英雄と対面できて光栄だ。出会いを祝して、この街の歌を送ろう。送らせてくれ!」

 

 そんなわけで、吟遊詩人は機転を利かせる。多少苦しい。反応はいかに。

 

「それはいい考えだ。私もぜひ聞かせてもらいたい」

「はっ!? 闇人、ってことは、あの鯱……!?」

 

 大失態だ。動揺のあまり、これから歌う物語にも関わりのある街の名士が、目の前に座っていることにも気づかないとは。もはや退路は絶たれた。半ば自棄になりつつも、吟遊詩人は商売道具のリュートを構える。

 

「よし。よーし、ではしばしおつき合い願いたい。これより皆様を、追憶の海へと招待させていただく。ようこそ、歓迎しよう。盛大にな!」

 

 

 

 荒波越えて彼らはきたる 嵐のごとき滅びの軍勢

 

 迎え討つは我らが親方 嵐を穿て不退の攻勢

 

 向かい風にも涼しげに 恐れず続けと笑いかけ

 

 笑顔のままに散ってゆく 我らの涙も見ぬままに

 

 波濤押し寄せ 暴風吹きつけ 火は消ゆる 火は消ゆる

 

 暗闇にただ一人 膝を屈せぬ者が一人 黒衣を纏う寡婦が一人

 

 波濤押しのけ 暴風切り裂け 火を灯せ 火を灯せ

 

 飛沫は玉と散ってゆく 我らに涙も見せぬまま

 

 向かう姿は壮麗に 恐れず続けと高らかに

 

 導き駆ける我らが女王 嵐を照らす首飾り

 

 荒波越えて我らはゆかん 嵐の彼方へ夜明けを見よ

 

 

 

「海の勇者たちと、麗しの公爵夫人へ捧ぐ歌。"女王の首飾り"。まずは、これまで」

 

 厳かに一礼する吟遊詩人の頭上を、拍手喝采が飛び交う。

 

海の女王(クイーン)万歳!」

()()()()()()!」

 

 いつの間にやら店の客以外の通行人まで旋律に誘われ、群集ができあがっていた。宮廷楽士にでもなったかのような緊張感が、会心の演奏を実現したのだ。

 

「素晴らしかった。きっと、女王(クイーン)にも届いただろう」

「ど、どうも」

 

 裏返しに置かれた帽子に鯱が金貨をそっと差し入れると、それを皮切りにゴブリンスレイヤーたちや聴衆も各々硬貨を放り込んだ。大戦果だ。口々にかけられる称賛に舞い上がる吟遊詩人。そこへ、古ぼけた長衣(ローブ)で全身を覆った人物が近づく。

 

「よかったぜ」

 

 低くしゃがれた、男の声だった。

 

「ああ、ありが……!?」

 

 応じ、吟遊詩人はぎょっとした。長衣の隙間から伸ばされた腕が、節くれ立った硬質の外骨格で形作られていたからだ。

 

 その異形の指先から落とされた金貨が帽子の中で音を立てるよりも前に、男の側頭に何かが突きつけられた。

 

「貴様。なぜここにいる」

 

 湾曲した木材と短い金属の筒で構成されたそれは、先ほどまでの穏和さが嘘であったかのように殺意を剥き出しにした鯱の右手の中で、己の役目を明瞭に主張していた。

 

「構えろ」

「え、あの、何が」

「わかんないけど立って!」

 

 それが武器であることも、どれほどの殺傷能力を秘めるのかもよく知っている侍が、誰より早く動いていた。滅多に目にする機会がないために遅れた鉱人道士と蜥蜴僧侶が続き、知識としてしか存在を知らなかったゴブリンスレイヤー、次いで当惑する妖精弓手と女神官。状況が飲み込めているとは言えないまでも、ひとまず長衣の男を半包囲する形で布陣した。

 

「なぜ、だと。おかしなことを聞きやがる。ここは元々、俺たちの街だったはずだ」

 

 どよめきが巻き起こる中、男はまるで動じた素振りも見せず、ゆっくりと頭巾(フード)を取り去った。

 

「だろう? 相棒」

 

 暗黄緑の体色。感情の読めない複眼。千切れて片方だけになった長い触角が、後ろに向かって流れている。蟲人だ。より詳しくは飛蝗人(ローカスト)、その名のとおり飛蝗(バッタ)の相を持つ種族である。

 

「……っ!」

 

 女神官は錫杖を強く握りしめた。飛蝗人は、ある日突然大群で飛来し地上のすべてを喰らい尽くす、生物災害だ。大地の恵みを全否定するがごとき暴威ゆえに、地母神の教えはこれを仇敵と定めている。彼女の反応は当然のものだ。

 

「脳髄まで黴びたか、貴様。街を捨てた裏切り者が、何をいまさら。老朽して魚の餌になるのが恐ろしくなったか、死に損ないの古老(オールドハンド)

「裏切り者はお前だろうが。あの売女の側について仲間を殺し、挙句今は……クックック、童女趣味はさすがに気色が悪いぜ、クックック——グ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 鯱と古老。罵詈雑言の応酬は、長くは続かなかった。苦しげな様に思うところがあったのか、鯱の右腕がわずかに垂れる。その隙を捉えた古老は武器を払いのけ、酒場の屋根まで一瞬にして跳び上がった。

 

「ハァ、ハァ……ク、ク……まあ、いい。あばよ、相棒。あのジジィにもよろしくな」

 

 さらなる跳躍でもって、古老は完全に姿を消した。

 

「農場のほうにいったぞ!」

「逃すな!」

 

 駆けつけた衛視たちが後を追う。鯱はその行先をしばらく睨みつけたのち、衛視と二、三言葉を交わしてからゴブリンスレイヤーたちに向き直った。

 

「すまん。また、身内が迷惑をかけた」

 

 字名の片鱗はどこへやら、鯱は穏やかな調子に戻っていた。とはいえ声色に若干の堅さは残っていたが。

 

厄介事(トラブル)みてぇだの。腕っこきの冒険者の手助けは入り用かえ?」

 

 そこに、鉱人道士は依頼遂行への糸口の気配を感じ取った。相手は商会の代表、こちらの目的は通商絡み。ずっときっかけを窺っていたのだ。

 

「……そうだな、必要な段階かもしれん。同行してくれ。事情は道中で説明する」

 

 

 

§

 

 

 

 人垣を割って酒場をあとにした一行は、騒動に引き寄せられる住民の流れに逆らい、目抜き通りを上っていった。

 

「先王の時代に活動していた海賊たちの中に、堅気になり切れなかった者がいることは、先刻話したとおりだ。そこには街を離れ、未だに掠奪を続けている頑迷な者も含まれている。古老、あの飛蝗人は、そういった海賊団の首魁だ」

 

 歩調を気にする余裕もなく、鯱はスタスタと進む。女神官は早歩きになり、鉱人道士は小走りだ。

 

「前々から頭痛の種だったが、二年前に女王が亡くなったことで彼女が抑止していた不穏分子がやつらに合流し、勢力を増大させてしまった。近頃は、海上の船どころか港にまで破壊工作を仕掛けてくる始末だ」

「物流が滞っているのは、そのせいか」

「そういうことだ。このうえ古老自身が姿を見せたとなれば、間違いなくより惨憺たる事態が引き起こされる。何を企図しているにせよ、看過するわけにはいかん」

 

 今のゴブリンスレイヤーの質問への返答をもって、彼らは最低限の目標であるこの街の状況把握を達成したことになる。誰もそこには言及しない。乗りかかった船だ。という言い回しを用いるのにふさわしい場面は、他にあるかもしれないが。

 

 そうこうするうちに、彼らは街を一望する高台に建つ白亜の屋敷に辿り着いていた。鯱が一声かけると守衛が柵門を開き、来客たちを招き入れる。

 

「ここって、もしかして」

「公爵邸だ。そう、かしこまらなくてもいい」

「いえ、でも、急にお伺いして大丈夫なんですか?」

「話は私が通す。さあ、入ってくれ」

 

 大扉を押し開き、玄関広間(エントランスホール)へ。女神官にはよくわからない、なんかすごそうな絵画やなんか高そうな壺の飾られた廊下を抜けていく。我が家のように遠慮なく歩む鯱に案内された先は、食堂(ダイニング)だった。

 

「失礼する」

「食事中に、騒がしい。何事だ。それにそいつらは何者だ」

 

 染み一つない白布(クロス)の敷かれた長卓、席についているのはたった三人。鯱の突然の入室に厳しい声を飛ばしたのは、軍服姿の老爺だった。両腕を覆う羽は、装飾ではない。彼はおしなべて寿命が短いとされる鳥人(ハルピュイア)の中にあって例外的な長命種、梟人(ストリクス)だ。

 

「緊急だ、博士(はくし)。古老が街に現れた」

「なんだと……待て、ここでは」

 

 博士は食卓を囲む残る二人の片割れ、賓客たる貴族の令嬢へと目を向けた。当の彼女はそれに気づかず、ゴブリンスレイヤーたちを見て固まっている。相手方の反応も似たり寄ったりだ。それはそうなるだろう。一党と、かつて冒険者であったこの蜂蜜色の髪の女商人は、縁浅からぬ仲なのだから。どうやら、今日はこういうことばかり起こる日らしい。

 

「いや。もうそんな場合ではない。限界が間際であることなど、お前もわかっていたはずだ」

「ぬ……」

 

 思わぬ再会を余所に、鯱は食い下がる。沈黙を肯定とみなし、客人と、上座に座る白百合(リリウム)のような少女に視線を移した。

 

「御両所とも、食事時に大変申し訳ないのだが」

「あ、いえ。お気になさらず」

「構いません。どうぞ、話してください」

 

 我に返った女商人は少々慌てて。齢十ほどであろう幼い公女は、歳不相応な落ち着きで応じた。鯱は微笑して一礼すると、面を上げると共に表情をまた引き締める。

 

「古老は港の近辺に現れ、すぐに霧消した。以前から睨んでいたとおり、街のどこかに潜伏拠点があると推察する。私はその捜索をここにいる、西方からやってきた冒険者たちに依頼したいと考えている」

「血迷ったか」

 

 今度こそ我慢ならんと腰を上げた博士が、猛禽の眼光で鯱を射抜いた。

 

「これまでと同様に、我々海兵隊が事に当たる。そも、余所者に任せられるはずがあるまい。冒険者を雇うとしても、この街のギルドを頼ればいい」

「そうしたとも。そして、そのどちらも失敗した」

 

 失敗、とは言うが。荒くれの海賊を敵に回しての失敗ともなれば、その代償は死ぬほど高くついたことだろう。言葉を選んだのは彼なりの配慮だったが、利発そうな公女の前ではどれほど意味があったのかはわからない。

 

「……貴様、また勝手な真似を」

「海兵隊も。第五位、紅玉等級の冒険者も成果なしだ。今の街にはそれ以上の手練れは存在しない。幸運にも居合わせてくれたこの銀等級の冒険者を除いては、な」

 

 小言の出鼻を挫きつつ、手で示す先に佇むのは安っぽい鎧の男。博士の眉間の皺は深くなる一方だ。

 

「そんな怪しげな男に、信を置けと言うのか」

「……信用なら、私が保証しましょう」

 

 そこへかけられた声は、女商人のものだった。決然と立ち上がり、ゴブリンスレイヤーの傍らへ移動する。

 

「悪いが、部外者の意見を考慮する必要は認められない」

「部外者? 私は商会と取引をしていますし、それにこちらの一党の実力を知っています。当事者を名乗る権利は十分にあるはずです」

 

 博士の冷ややかな威圧にも、怯む様子はまるでなし。若輩とて、いや若輩だからこそ、貴族社会の老人たちとの舌戦で鍛えられている。経験では敵わなくとも、度胸で劣りはしないのだ。

 

「さて、怪しいとおっしゃるなら明かしましょう。彼らは西方辺境にその人ありと謳われる小鬼殺しと、その仲間。ゴブリンをご存じですか?」

「最弱の怪物だ。それを殺したところで、誇ることなど何もない」

「ええ、そのとおり。弱く、狡賢く、群れをなし、武器を持ち、隠れ潜み、罠を張り、ときには呪文すら扱う怪物です。たとえば百匹。ゴブリンが百匹待ち構える洞窟を探し出して攻略するなら、貴方は何人の兵を送り込みますか?」

 

 百人だ。と、そう答えないだけの思慮はあった。確実に索敵、殲滅するなら最低でも同数は欲しい、それは事実。だが洞窟という前提だ。一度に突入できる兵力は限られる。多くとも六人一班で、湧き出すように迫るゴブリンどもを擦り潰しつつ、損害に応じて逐次投入。負けはすまい。犠牲を許容すれば。

 

 つまり、結論はこうだ。兵を送り込むべきではない。

 

「ゴブリンスレイヤーさん。貴方なら、何人で挑みますか」

 

 返答に窮するように仕向けられた博士が内心で舌打つ間に、女商人は風向きを掌握する。この奇妙な冒険者が話を合わせられるほど器用でないことは、わかっている。ただ、実直だ。疑いようもなく。

 

「洞窟の中なら百匹程度、俺一人でも勝てる」

「一党全員なら」

「二……いや、今ならその三倍は相手にできるだろう」

 

 《聖光(ホーリーライト)》で機先を制し、《竜牙兵(ドラゴントゥースウォリアー)》で手数を稼ぐ。大群のど真ん中に《酩酊(ドランク)》をかけて一網打尽にするのもよい。敵に射手がいれば、矢の補充もできる。それと、侍は一人で百匹斬りをやってみせるものとする。

 

 大言壮語のようでいて、その実冷静な計算の結果であった。

 

巨人(トロル)とか、人喰鬼(オーガ)がいたって平気です」

「デーモンだって目じゃないわ」

「直近だとあれか、アンデッドの軍団とやり合うたの」

「亜種とはいえ、竜とも対峙いたしましたなぁ」

「こたびの対手は与太者どもか。竜より手強いとは思えぬが」

 

 翻って、こちらは空気を読んで話を合わせられる者たちだ。それでも別段、大見得切ったつもりはない。事実と自負だけがある。

 

「人々の暮らしを脅かす悪意の走狗を影から狩り出し、これを討つ。ここにいるのは、そういうお仕事に精通した方々なのです」

 

 背中を押された。もう一押しだ。女商人は不敵な笑みを浮かべ、こう締め括った。

 

「在野最高位の冒険者との縁故(コネクション)を得る、貴重な機会でもあります。そちらにとっても、悪いお話ではないと思いますが?」




◆英雄譚・小鬼殺し◆

 ある吟遊詩人が伝えた、辺境の冒険譚。放浪の勇士、小鬼殺しの活躍が歌われている。

 小鬼の脅威に怯える弱き民の悲嘆あるところ、彼は必ずやってくる。その手にまことの銀の名剣携え、小鬼の王をも討ち果たしたという。

 美々しい物語には、誇張がつき物だ。

 とはいえ何事も、無から有は生まれないものだが。

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