〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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3-4:繋がれざる街/Libertalia

 

「BRRRRUUN!」

 

 不快な羽音が暗い地下祭儀場に響き渡る。高速で飛び回る異音の主は、巨大な(ハエ)と人体が融合したような姿形をしていた。悪名高き魔神王(デーモンロード)の一柱たる蝿の首領(フライプリミアー)、その眷属だ。

 

「うぅぅ……耳がゾワゾワする……! さっさと墜ちなさい!」

 

 自慢の聴力が仇となり、集中を乱された妖精弓手の射撃は精彩を欠いていた。そうでなくともあの機動性では、やすやすと命中させることは叶うまい。

 

「こら、妖精(ピクシー)に頼んでも追っつかんぞ。お前さんら、なんとかできんか!?」

 

 森人の照準を速度だけで振り切る相手だ。近距離ならともかく、遠間を飛ばれては鉱人道士には荷が重い。ではほかの()()呪文使い(スペルスリンガー)はどうか。

 

「《マグナ(魔術)……ノドゥス(結束)……ファキオ(生成)》」

「《マグナ(魔術)……レモラ(阻害)……レスティンギトゥル(消失)》」

 

 魔女の口ずさむ括りの言葉が、《抗魔(カウンターマジック)》に掻き消される。見えざる縛鎖は標的に届くことなく断裂し、彼女は小さく落胆の息を吐いた。

 

「ちょ、と、難しい、かも」

「こいつが無理ってんなら俺にも無理だな、っと危ねぇ!」

 

 魔女のなよやかな肢体を槍使いが片腕で抱きかかえ、言葉とは裏腹に危なげもなく跳びのく。想定以上の難敵と、床に衝突して散る(ウジ)の群塊のおぞましさに対して、精悍な顔立ちを忌々しげに歪めた。

 

「いやはや。そう、たやすく解決させてはいただけぬようですな」

 

 もう一人。聖職者も広義の呪文使いではあるが、蜥蜴僧侶の手の中によい札はあるだろうか。

 

「さりとて、あちらの術の数も無限とはいかぬはず。重ね続ければ、いずれは崩せましょうや」

 

 あったようだ。

 

「つまりゴリ押しじゃねぇか」

「こんだけ術師が揃っとりゃあ、そいつもありだの」

「ふ、ふ……単純な、手段のほう、が、有効なこと、も……あるもの、ね」

「DLLLLLE!」

 

 何か嫌な予感でもしたらしく、蝿のデーモンは冒険者たちの策が成る前に排除せんと攻撃態勢を取った。そこへ放たれた矢が回避を強いる。

 

「なんでもいいけど、矢がなくなる前にやっちゃってよね。とどめは私が貰うから!」

 

 

 

§

 

 

 

「……幾度かの攻防の末、ついに蝿男の翅が止まる。墜ちゆく体が地につくより早く、必殺の一矢が闇を切り裂いた!」

 

 紅白の香石竹(カーネーション)が咲き広がる、公爵邸が擁する庭園の中心。日除け屋根の下、四人の男女が大理石の円卓を囲んでいた。話し手は弓を引く動作をしてみせ、それから溜めを作って焦らす。一つ、二つ、三つ。

 

「そして静寂が訪れた。耳障りな羽音がその平穏を破ることは、もう二度とない。悪しきデーモンの企ては、ここに潰えたのである!」

 

 語り結んだ妖精弓手へ、送られる拍手は二人分。残る一人の同席者は、生憎とそのような文化のある土地の出身者ではなかった。

 

「さすがだ」

「でしょー?」

 

 代わりに簡潔な称賛を述べ、侍は紅茶を口に含んだ。

 

「それで、教団に利用されていた方々にはどのような沙汰が下ったのですか。悪事の片棒を担いでしまったとはいえ、騙されていたのなら被害者です」

 

 品位を保ちつつも興奮を隠し切れていない公女は、一方で冷静な疑問に解を求めた。細部に意識が向くのも、聞き入っていた証左だ。

 

「うん。その辺りの証拠もしっかり押さえてあったから、お咎めなしになったわ」

「それは何よりです、ずっと気がかりでしたので。完璧なお仕事ですね」

「ええ、頼りになる方々です」

 

 女商人は激しく同感としきりに頷く。いずれ為政者として街を動かしていくことになる公女に有用性を印象づけておけば、将来的には冒険者たちへの信頼に繋がるはずだ。などという打算は頭になく、友人(とその同輩)が褒められて嬉しいだけだった。

 

 さて、そろそろ首を傾げる頃合いだろう。何を呑気していやがるのだこやつら、と。

 

 こう見えて、また当然ながら、決して遊んでいるわけではない。要人二名に冒険者二名、その他庭園の各所に配置された衛視たち。どう見ても、警護態勢だ。

 

 古老がどのような目論みで街に現れたのかは知れずとも、起こりうる最悪の凶事は自明であり、公女の身に危険が及ぶことがそれだ。とはいえ海上ならともかく陸で海賊が正規兵相手に、莫迦正直に正面戦闘を挑むとは考えにくく、ならば想定すべきは単独ないし少数の刺客。そうした手合いは閉所でこそ厄介な存在となり、加えて防衛側は数的有利を活かせなくなるため、屋敷の中ではなく外に布陣しているのだ。

 

「報告します。海上封鎖は完了。今のところ、異状はありません」

「うむ。引き続き警戒を厳にせよ」

了解(アイ、サー)!」

 

 港から走ってきた伝令が短いやり取りを終え、きた道を辿り去っていく。相手は数名の侍女兼護衛と並び、鋭利な鉤爪を備えた鳥脚で公女の後方に立つ海兵隊総司令、通称博士だ。

 

 衛視隊は海兵隊から選抜された者たちであるからして、この梟人が陣頭指揮を担うのは必然だった。侍と妖精弓手がここにいるのも彼の差配によるものだ。敵が撤退した際、守備戦力から人員を割くことなく出せる討手がほしいというのがその理由。あれだけ冒険者へ依頼を出すことに難色を示しておきながら作戦に組み込んでいる辺り、利用できるものは遠慮なく利用し尽くそうという魂胆か。あるいは、手元に繋いでおかねば信用できないのか。

 

「梟、か」

 

 大曲剣を背負い翼腕を組んだその佇まいに得も言われぬ胸騒ぎを覚えた侍は、娘たちの談笑に紛れて思わず漏らした微声を取り繕うように、紅茶をもう一口すすった。南蛮茶器を傾ける武者の姿というのはなんとも奇矯だ。

 

 大太刀大弓具足、それにベルトにぶら下がる御守りから防具に昇格した真新しい東洋式の兜。この兜は彼の知識を参考に工房で新造された試作品であり、特に鍬形なども取りつけられていないものの、陣笠を被るよりは()()()見栄えになっていた。

 

 このように侍は完全装備。妖精弓手も傍らに長弓を立てかけ、護衛対象の片割れであるところの女商人は、細く引き締まった腰に長短一組の宝剣を帯びている。誰も彼も武装して、その中心には幼い公女。平静を装うも、不安は滲む。滲んでいた。見かねた最年長者が武勇伝(リプレイ)を披露することを思い立つまでは。

 

 平和な街を侵食する邪教団(カルト)の暗影、至高神の神殿から盗まれた神器、それを追ううちに暴かれていく悪事の数々。強行捜査(ガサ入れ)を決行し教団本部にて教祖を捕縛して一件落着、とはならず。至高神の霊験宿す青い瞳の宝珠(オーブ)が副教祖を射竦めたとき、人の形をした化けの皮は引き剥がされ、デーモンの醜貌が露わになったのだ。

 

 と、いった内容を努めて表現を選びながら物語ってみせた。頭目が登場しないのはいかがなものかと彼女自身も思いはしたが、そこは致し方あるまい。ゴブリンが出たのでゴブリンスレイヤーがゴブリンを退治する話は、情操教育(レーティング)的に大変よろしくないのだから。

 

 とにかく、妖精弓手は依頼人の精神安定に一役買ったのだ。となれば。

 

「じゃ、次。カラドタングの番ね!」

 

 勢い、こうなる。

 

「お主……」

 

 無茶振りという語彙は侍の字引には記述されていない。茶の席で年端もいかぬ娘を喜ばせるような話題もだ。……本当に? 読み直せ。

 

「ならば、ある武士の話をしよう。蹴鞠好きの武士の話だ」

 

 以前ふらりと城に現れて、城主たる彼の祖父と意気投合した老境の武者がいた。酒の回った舌が回り、その男が語った若き日の物語。使命を帯びて妻と連れ立ち天下一周、行手を阻むは忍びに剣客それから水軍、丁々発止の大立ち回り。

 

 これなら童子(わらし)の心を掴めるかもしれない。少なくとも当時、元服したばかりだった己は大いに楽しんだものだ、と侍は想起しつつ語り出しを考えていたところで。

 

「……けまり?」

 

 出鼻を挫かれた。当然である。侍の考えが足りなかった。しかし興味は持ってもらえたようなので問題なし。そういうことにして、立て直しにかかる。

 

「鞠を、鹿革を縫い合わせた、このような大きさの玉をな。地につけずに幾たびも蹴上げ続ける、技芸よ」

「お侍様の芸、ですか。見てみたいです」

「鞠があれば」

「代わりになるものでしたら、心当たりがあります」

「お待ちを、お嬢様」

 

 一応は非常事態であることを忘れかけているかもしれない公女は屋敷の中へ向かおうとして、そこに博士が立ちはだかった。

 

「席にお戻りください。御身に万に一つがあってはなりません。どうかこの老体めを、お母君との約束を反故にするような不義理者にしないでいただきたく」

「……わかりました」

 

 こうべを垂れる亡き母の直臣を前にして、公女の心の中にいる少女は公女を思い出した。それでも少女が最後の抵抗とばかりに公女の表情を露骨に曇らせると、博士はほんのわずかに相好を崩す。

 

「侍女に取りにいかせましょう。お嬢様はもう少々、人を使うことを覚えねばなりませんな」

 

 曇りのち晴れ。公女を押しのけて少女が復活し、侍女の一人に駆け寄った。何事か耳打ちして、背を見送ってから公女に戻って優雅に席に着く。

 

 それから数分後。侍たちの前には紅茶のおかわりと、謎の黒い球体があった。

 

「なぁに、これ……わ、グニってなった」

「不思議な手触りですね」

 

 好奇心の権化である妖精弓手が上からつつくと、女商人もそれに倣った。表面に沈んだ指先が、弾力でもって押し返される。金属でも木材でも、皮革でもない。

 

「これは護謨(ゴム)と言って、南洋の島々に生えているある種の木の樹液を固めたものです。あちらの子供たちはこの護謨球を蹴り転がして遊んでいた、と聞き及んでいます」

 

 遠洋から帰ったこの街の貿易船乗りは、旅先で珍品を見つけては公女への献上品(おみやげ)にしている。これもその中の一つだが、転がる球を追いかけて彼女も一緒に階段を転げ落ちるという事故を起こして以来、ずっと仕舞い込まれていた。久々に出番に恵まれて、そのとき顔面蒼白で謝り倒していた贈り主も少しは報われたことだろう。

 

「いかがでしょう、その、鞠の代わりになりますか?」

「ふむ……」

 

 取り上げてみる。大きさ、重さ、強度。軽く確認すると、侍は微笑して頷いた。

 

「やってみよう」

「お願いします」

 

 席を離れ、手鞠を突いて弾み方を見る。二度、三度、四度目で足を出し、甲で受けて止めた。本来は作法や装束に場の準備にあれやこれや決まりがあるとはいえ、今は気にしても仕方がないので頭から追い出して。

 

「では」

 

 まず、垂直に上げる。爪先、内側、蹴り足を変えて甲、膝。さらに高く飛ばして背後に落ちようかという辺りで踵で打つ。立ち位置を大きく動かすことはなく、鞠を目で追いもしない。

 

 それは舞だった。舞って蹴り、鞠が舞い、鞠と舞う。どう蹴ればどう返ってくるのかを見越し、思い描くまま足を繰り出せば、思い描くままの軌跡が現出する。鞠が意思を宿して自ら侍と戯れようとするかのごとき、自在の演舞だった。

 

「これが蹴鞠だ」

「すごーい!」

「まったく姿勢が崩れませんでしたね。体幹が違う」

 

 やがて無造作に伸ばされた手に鞠が降り収まると、大中小と年齢順の音量で娘たちの拍手が響いた。妖精弓手は芸に、女商人は技に目を奪われていたらしい。

 

「お見事です、お侍様。ありがとうございました」

 

 公女からも好評だ。御前蹴鞠は成功と言って差し支えなく、なのに侍はどこか浮かない顔だった。

 

「う、うむ」

 

 上品ながらも無邪気に称賛する貴き童子。その様が()()と重なり、侍は一礼して視線を外した。込み上げる昏い感情はことごとく、この場にはふさわしからぬものであるがゆえに。

 

「……ごめん、静かに」

 

 だが、杞憂であったろうか。もっとも騒がしかった者が声音をガラリと変えれば、雰囲気も一変する。茶会はここでお開きと相成った。公女を残して娘たちは席を立ち、侍はそっと鞠を足もとに置く。博士が手信号で指示を飛ばし、衛視たちが隊列を組んだ。

 

「地面の下、掘って、近づいてくる。位置はまだ待って、わかんない」

 

 妖精弓手が感じ取ったのは振動だった。出どころを探るために長耳を石畳に押し当てれば、極めて遺憾ながら聞き慣れてしまった、土を掘り進む音が鼓膜を苛む。そのうち卓上の紅茶が波立ち、さらに鞠が独りでに動き出すと、細い指先が花園の一角を指し示した。

 

「出てくるわ!」

 

 弾け飛ぶ土と花。姿を見せたのは、暗灰色の外骨格を持つ巨大蟻(ターマイト)だった。

 

「TRRRII——!?」

 

 だったものは即座に、鉄鏃と木芽鏃、二本の矢を受けて砕け散った。

 

「うわあぁぁっ、たっ、痛ぇ!」

 

 するとその背中に剣を突き刺したまま振り回されていたと思しき小男が、投げ出されて顔面から地面に飛び込んだ。痛いで済んだからには矢を受けてはいないわけだから、実に運のいい男だ。

 

 二又の尻尾めいた飾りの垂れる目出し頭巾をすっぽりと被り、夜空にも似た濃紺の装束を纏う辺りは、隠密行動を志向しているように見える。そのくせ鮮やかな黄色の外套を羽織り、佩剣は特徴的な波打つ刃を備えた大振りの炎紋剣(フランベルジュ)と、隠れたいのか目立ちたいのか。種族は圃人か鉱人か、いや腰の下から伸びる本物の尻尾が鼠人(ムーソ)であると主張している。

 

「何者か」

「海賊の仲間かしら」

 

 よりにもよって公爵邸の庭園へ、直下からの闖入である。敵の襲撃とみなすのは当然、衛視たちの慌ただしい足音を背後に聞きながら、二人は油断なく謎の鼠人に次の矢を突きつけた。

 

「違う違う違う話聞けって聞いてくれよ!」

「そうだ」

 

 肯定の言葉は、立ち込める土煙の向こうから。掘り穿たれた穴より地上に現れたさらなる人影は、冒険者たちの見知ったものだった。

 

「え、なんでここに、何してるの!?」

「仕事だ」

「です!」

 

 もったいつける必要はなかろう。得物を小型の曲剣である舶刀(カトラス)に持ち替えたゴブリンスレイヤーと、女神官だ。予期せぬ合流に当惑する妖精弓手に、手短な説明がなされる。

 

「海賊は地下に潜伏していた。あの蟻はどうやら、やつらに使役されているらしい」

「街の下に蟻の巣を掘ったか。して、その男は」

 

 説明が必要なことがもう一つ。先に蟻穴から転がり出た、この小男について。ゴブリンスレイヤーが答える前に、当人の方から口を開いた。

 

「俺はあんたらの心強い助っ人、街の影を駆ける謎の義賊! 私腹を肥やすばかりの悪どい金持ち(セレブリティ)から、持たざる者のために富を盗り返す。伝説の灰色鼠の跡を継ぐ、気高き義賊さ。自分で言うのもなんだが、役に立つと思うぜ」

 

 胸を反らして矮躯を精一杯大きく見せ、頭巾の上からでも得意げな顔が想像できるほどの自信に満ちた口上を決める。やはり目立ちたいのかもしれない。

 

「畢竟するに、盗人か」

「義賊だ! 俺は節操なしの溝鼠(ドブネズミ)とは違う」

 

 こう言ってはいるものの。素性の知れぬ盗賊らしき男となれば、ゴブリンスレイヤーたちとしては苦い経験が直近にあったわけで。

 

「怪しいわね」

「少なくとも敵の敵ではある。味方かどうかはわからんが」

「味方だって言っただろ! さっきも背中を預け合って戦ったじゃないか」

「私よりも後ろにいらっしゃったような……」

「挟み討ちに備えてたんだよ俺は!」

 

 ひたすらに締まらない空気が噴出している。が、一応は非常事態だ。新たな敵の気配が這い出さんとする隧道(トンネル)に、衛視たちが踏み込んでいく。ひとしきり指示を出し終えた博士はついでとばかりに喧しい鼠人を一瞥。

 

「その男は知っている。ケチなコソ泥だ、警戒する価値もない。せいぜい囮にでもしてやればいい」

「なんだとこの——っげぇ、海兵隊のジジィ!?」

 

 反射的に悪態をつきかけた鼠義賊は、一睨みで沈黙させられた。鼠が梟に敵うかという話だ。すぐに興味も失せ、博士は小さく鼻を鳴らす。

 

「それよりも。侵入口周辺は我々が確保する。貴様らはそののち、内部の調査に移れ」

「わかっている。お前らも、準備は済んでいるな」

「ああ」

「もちろん」

「いけます」

「……おい」

 

 ここからはいよいよ本格的に冒険者の領分だ。といったところで侍たちに続いて声を上げたのは、いつの間にか近寄ってきていた女商人だった。

 

「私もいきます。戦います。戦えます」

 

 愛剣の鞘を握り締めて目つきは鋭く、固い意志を示す。この刃は飾りではないのだと。

 

「待って待って、貴方はもう冒険者じゃないでしょ。荒事は私たちの役目。心配してくれるのは嬉しいけど、これ以上つき合わせるわけにはいかないわ」

「自分の身は自分で守ります。今回は足手纏いにはなりません」

「いや別にこの前も足引っ張ったわけじゃ……うー、オルクボルグー」

 

 即座に制止しにかかる妖精弓手は押されぎみ。きっぱりと断るべきだと頭では理解していながらも、こうも真っ直ぐにこられては無碍にするのも憚られ、やむなく頭目に助けを求めた。

 

「……呪文二回は、大きな戦力だ」

「ちょっと!?」

「ふふっ。また一緒に冒険したい、ですよね?」

「えっとその、はい。こんなときに、不謹慎なのはわかっているのですが」

 

 そのゴブリンスレイヤーは術師二名の不在を憂慮して前向きに検討中。女神官は友人の真意をあっさりと見抜いて悪戯っぽく笑った。これで二対一だ。

 

「じゃあ、貴方の意見は?」

「ここはもはや戦場(いくさば)だ。剣を手にして戦場にいる者に、戦うなとは言えぬ」

 

 平時は民、戦時は兵。侍の故郷において兵士とはそういった存在であり、境は実に曖昧なものだった。武器を取って将のもとに集ったならば、誰であれその時点で兵力として数えられる。覚悟ある者を拒む理由はない。今この場でもそれは同じく。

 

「あーもー! 絶っ対、私の目の届くところにいてよね!」

「はい、よろしくお願いします」

 

 こうして飛び入り(ゲスト)二名を加え、一党の体裁は整った。あとは出陣を待つのみ。

 

「皆様」

 

 そこへ、護衛に囲まれた公女が歩み寄る。護謨鞠を抱えた腕にやけに力が入っているのは、緊張を顔に出すまいとする努力の余波だ。

 

「どうか、お気をつけて。事態が解決したら、お茶会の続きをいたしましょう。ほかのお仲間と、そちらの鼠人の方も」

「お嬢様、この男は」

「街のために戦ってくださるのなら、素性は問いません。恩人は恩人です」

「あ、あぁっと、光栄だ、です、公女様」

 

 貴人相手では視界に入れてすらもらえないと思う程度にちょっと卑屈なところのある鼠義賊は盛大にしどろもどろになりつつ、不恰好ながらも彼なりの最敬礼で応えた。

 

「それと、お侍様?」

「なんだ」

「先ほどのお話の続き。あとで、お聞かせ願えますか」

「あいわかった。あとで、必ずな」

 

 交わす微笑みは互いにどこかぎこちなく、それでも約束は交わされた。

 

「進路確保完了!」

 

 報告に戻った衛視が告げれば、手番(ターン)と賽子が回ってくる。

 

「では任せたぞ、冒険者」

「ああ。いくぞ」

 

 突入だ。ゴブリンスレイヤーを先頭に、一党は地下へと下りていく。女神官が内部に残していた追従灯を導に、巨大蟻の死骸を踏み越えて深く、深く。

 

「思ったほど出てこないのね、蟻」

「巣の奥に毒煙を流したからな」

「なっ、貴方、街の真下で毒とか!」

 

 道すがら、公女が聞いたら卒倒しそうなことを平然と宣う輩がいた。一歩間違えれば大惨事、海賊よりタチが悪い。当然、妖精弓手が黙っているわけもなし。

 

「前に使った、硫黄と松脂の煙玉だ。毒気が地上に上がってくることはない」

「そもそも毒気禁止って約束でしょー?」

「ただの害虫駆除に、手段を選ぶ必要もあるまい。蟻なぞに手こずって消耗させられるわけにもいかんだろう」

 

 しっかり理論武装済み、おまけに目に見えて効果がある辺りが、なおのことタチが悪い。その後も浴びせられる文句をことごとく兜の隙間から通り抜けるに任せ、ゴブリンスレイヤーは前進を続けた。

 

「よし、戻ってきたな。おい」

「やっと出番か、待ちくたびれたぜ。さ、ちゃんと俺に着いてこいよ。海賊どもの塒に連れていってやる」

 

 蟻の死骸の転がる中にそれ以外の屍が混じり始め、隧道は分岐する。ここで調子に乗り直した鼠義賊が自信満々、先導役を代わった。

 

「まことに仔細ないのか、この男に案内(あない)をさせて」

「罠だったら罠だったで、そこに敵がいるならやることは変わらん。当てもなくさまようよりはマシだ」

「剛毅な。だが、道理よな」

 

 どうにもどこぞの禿頭を思い出してしまう状況に、不安が漏れるのは無理からぬ。とはいえそこで足が止まるようなら冒険者などやってはいられない。危険を冒すから冒険なのだとすでに心得ている侍は、それ以上何も言わなかった。

 

「信用してくれよぉ……」

 

 物申したいのは鼠義賊のほうだ。

 

「まず覆面を脱いでいただかないことには」

「いや俺謎の義賊だから」

「顔も晒せない人を信じるのは難しいかと」

「そうですか?」

「えっ。……あっ」

 

 顔も知らない男に全幅の信頼を寄せていることに思い至り、女商人は言葉を見失う。こうして不意に訪れた沈黙が破られる頃、一党は隧道の出口、または入口に辿り着いていた。

 

「これは、遺跡か」

「ああ、この辺りにはでかい遺跡が埋まっててな。連中、その隠し部屋を利用してやがったらしい」

 

 眼前にあるのは、至るところに損傷が見受けられる石造りの外壁。特に大きく破損した箇所が、点々と据えられた松明に薄ぼんやりと照らされる通路へと繋がっていた。内部を窺えば、そこかしこ壁や柱の残骸が積み上がっているのが視認できる。

 

「やけに静かね。騒ぎに気づいてないってことはないと思うけど」

「早々に逃げたか、待ち構えているかだ」

 

 定石に従い斥候が足もとや物陰に注意を払いつつ真っ先に踏み入り、仲間たちがそれを追う。遺跡探査なら本業だ。鳴子はないか、落とし穴はどうか。半端な仕掛け罠など意味をなさぬ。

 

 さりとて、どんな生物にも意識の死角というものが存在する。

 

「退がれ!」

「ぐえっ」

 

 侍に後ろから引っ張られた外套が首を絞め、思わず濁った悲鳴がこぼれてしまった。だがそれを聞いたのは本人だけだっただろう。耳をつんざく破裂音がこだますると共に、彼女が立っていた床石を何かが砕いた。体が宙に浮き仰け反った勢いで上向いた視界には、崩れた天井の向こうからこちらを見下ろす敵影が映っていた。

 

「このッ!」

 

 倒れかけた姿勢から瞬時の反撃を放つ。顎の下を射抜かれた標的は半秒ほど硬直したのち弛緩し、グラリと傾いて転落した。石材の山に衝突した肉体から異音と鮮血と、握られていた武器が飛ぶ。

 

「今、何が」

「隠れろ頭を下げろ!」

 

 侍に促されるまま倒れた石柱の陰で身を縮こまらせた一党を怒号と、あの破裂音が追い立てる。この攻撃はなんだ。何をされた。混乱する女神官の目の前に、金属の筒と木材でできた物体が差し出された。見覚えがある。街に古老が現れた際、鯱が似たようなものを取り出していた。

 

「鉄砲だ」

「てつ、ほう?」

「火の秘薬を爆発させて、鉛の弾を撃ち出す飛び道具です。当たりどころが悪ければ、即死です」

 

 血の気の引いた相貌の女商人にそう説明され、彼女以上に顔色を青くする。自身に向けられた凶弾にではなく、それが仲間の鼻先を掠めたという事実に対して恐れをいだいたのだ。

 

「そうか、これが鉄砲か」

「知らずに海賊の相手をするつもりだったのかよあんたら!? あいつら五人いたら一人は持ってるぞ!」

 

 本体に弾に火の秘薬にと、金のかかる代物だ。たとえ軍隊であっても全員の標準装備にするほどの数は揃えられない。とはいえ五人に一人の射手がいるだけでも大いに厄介だ。

 

「どうするの、なんか対策、っきゃあ!?」

「おら、出てこい!」

「さっさと死にさらせや!」

 

 森人の目をもってしても捉えられない速度で飛来する弾丸と森人の耳を蹂躙する銃声、徐々に接近してくる敵勢の気配が、妖精弓手から冷静さを奪っていた。このままでは早々に追い詰められてしまう。

 

「案ずるな、対する術を教える」

 

 しかしここには、鉛弾の飛び交う戦場を経験してきた男がいる。銃火のただなかを刀と弓で凌ぎ切る侍がいる。一つ、二つと指を立て、彼はごく落ち着いた声色でこう説いた。

 

「爆ぜ音に臆するな。怖気づけば、死ぬぞ」

「は、はいっ、頑張ります」

「弾込めは遅い。射返すのならば、そこを狙え」

「わかったわ」

「そして……」

「あっ、危ない!」

 

 飛び出す侍へ、己がそうされたように引き戻そうと伸ばした妖精弓手の指先は空を切った。間髪入れずに海賊の燧発短筒(フリントロックピストル)が吼える。同時、聞いたのは断末魔か——否。金属音だ。何かがぶつかった音だ。弾け飛ぶ音だ。

 

「俺の後ろに、弾は届かぬ」

 

 大太刀が、弾丸を跳ねのける快音だ。

 

「放て!」

「え、えぇい!」

 

 思い切って立ち上がった妖精弓手が返礼の矢を送り出し、迂闊な獲物を狩り取るつもりだった鉄砲持ちに、どちらが獲物だったのかを死をもって示した。さらに銃声が二つ、白刃が二度閃き鳴弦は三回、死体が三体。

 

「クソっ、(ハジキ)が効かねえ!」

(ヤッパ)でやるしかねぇ、いくぞ!」

「いくったって、あんな化物……」

 

 海賊たちの鬨の声が恐怖のどよめきに変わったとき、もうゴブリンスレイヤーは隠れることをやめていた。

 

「前進する。そのまま前を頼むぞ」

「応」

 

 舶刀片手に躍りかかってくる海賊を一刀のもとに斬り伏せ、侍はやや突出して敵を押し返していく。正対を避けて回り込もうとする者もいるが、そちらは後続が処理する。

 

「左をやれ」

「よ、よしきた!」

 

 頭目の指示を受け、鼠義賊が床を蹴った。鼠人の敏捷性と武器の長さが対手の予測を超える加害範囲(キルゾーン)を生み、先の先を奪った波刃が足首を薙ぎ裂く。たまらず転倒したところへとどめを振り下ろす間に、逆側ではゴブリンスレイヤーが二人分の血を剣に吸わせていた。

 

「悪くない」

 

 船上で誤って索具などを傷つけないよう短く造られた剣だけあり、舶刀は閉所戦闘においては具合がいい。おまけに予備はいくらでも敵が持ってくる。いつもどおりだ。海賊はまだまだやってくる、数の差は五倍か六倍かそれ以上か。いつもどおりだ。急所を突けば一手で殺せる。いつもどおりだ。ゴブリン退治でなくとも、ゴブリン退治と同じように対処できるのなら、彼は等級相応の強者であった。

 

「私も……!」

「焦らないでください。じっと待つことも呪文使いの大事なお仕事、ですよ」

「そうそう、そこのお姉さんの言うとおりよ」

「からかわないでくださいっ」

 

 翻って、後衛の様子はどうだろうか。初めて直面する鉄砲の脅威に怯えていたはずの二人はすでに余裕を取り戻しており、気持ちばかりが逸る女商人もそれを見て、剣持つ手が痛むほど力んでいることに気づいて頭を冷やした。無理無茶無謀が三拍子揃えば、たとえゴブリン相手だったとしても死に目に遭う。嫌というほど理解させられた事実だ。己の役割を見つめ直せ、それを果たすべきときは必ずくる。

 

「前、広いところに出るわ!」

 

 そうして押し進む一党の前方、大部屋が彼らを迎えた。敵影多数、ただ障害物となる瓦礫も多く、容易に包囲されることはなさそうだ。

 

「ふん、まさかもう嗅ぎつけてくるとはな。早すぎるが、まあ仕方ない」

 

 そして敵陣を挟んで部屋の反対側にあの飛蝗人が、古老が佇立していた。

 

「挨拶がわりよ!」

 

 先手必勝とばかりに迷わず弦を弾いたのは妖精弓手だ。狙うは頭、一直線。そのはずが、命中寸前の矢は見えない障壁に阻まれて逸れていった。

 

「《矢避(ディフレクトミサイル)》、ですね」

 

 驚くには値しない。事前に鯱から魔術剣士であると聞かされている。少なくとも、鯱が最後に相対した十年前までに習得していた呪文については把握済みだ。

 

「問題ない、破る手立ては知っている」

 

 似たような術を使う者と干戈を交えた経験ならある。ゆえに弱点もわかっている。一拍遅れて動き始めた雑兵たちを警戒しつつ、ゴブリンスレイヤーはベルトに並ぶ短剣を左手で抜き、擲った。《矢避》とはなんらかの道具から射出された矢弾の類を拒むもの。投擲なら素通しだ。

 

「クックック……余所者どもが、死に急ぐこともないだろうに!」

 

 跳躍して回避した古老は長衣の中から、鎌状に弧を描く諸刃の曲剣を解き放った。砂漠の戦士が好んで用いるという武器、鉤剣(ショーテル)だ。かすかな燐光を帯びた剣身を構え、天井を蹴って頭上から急襲する。跳び逃れたゴブリンスレイヤーはさらに短剣を投じ、それが弾かれるのも構わず追いかける形で斬り込んだ。ここにいれば弾丸は相手の術が勝手に防いでくれる。邪魔は入るまい。

 

「数を削れ!」

「任せて」

 

 先の矢は標的の目の前で逸された。ということはあの《矢避》の範囲は人一人分程度しかない。範囲の内側を飛ぶ矢弾には効果を及ぼさないという弱点につけ込まれるのを嫌ったのだろう。つまり、手下たちは丸裸だ。

 

「隠れたって無駄よ!」

 

 遮蔽物を迂回して襲いくる軌道自在の矢が、次々と目標を射斃していった。鉄砲による応射があれば侍が防ぐ。寄せくる者は鼠義賊が迎え討ち、さらにもう一人。

 

「けけっ、殺すにゃ惜しい上玉じゃねぇか」

「う……!」

 

 邪な視線と感情を浴びせられた女商人の手が無意識のうちにうなじへと伸びかけ、剣の重みがそれを押しとどめた。右の突剣(レイピア)を真っ直ぐ突きつけ、左の護短剣(パリングダガー)は体のそばへと寄せておく。一メートルを越す突剣の刃は、ただ向けるだけで防御と攻撃を両立させる。対手はまず剣を払わねばならず、そこに間隙が生じるのだ。

 

「ふっ!」

「ぎっ!? てめ……!」

 

 手首を返せば切先がクルリと円を描き、打ち合おうとした舶刀を躱して逆に手の甲を一突き。同時に跳び退がり反動をつけ、軽やかにかつ深く突き抜く。

 

「……が、あ」

 

 心臓を貫く手応えが掌中に染み込む。引き戻し、代わりに繰り出した護短剣で別の相手の攻撃を受け止めた。奇襲のつもりだったらしいこの男は見開いた目を閉じる間もなく、喉仏を掠め断たれて事切れた。

 

「っは、はぁ、はぁ……」

 

 たった数秒の攻防で、冷や汗が止まらない。それでも、まだ生きている。冒険者を廃業(リタイア)して以降も、鍛錬は怠らなかった。夢枕に忍び寄るゴブリンの幻影を振り払わんがための小娘の必死の抵抗は、あるいはだからこそ、彼女に現実と戦う力を与えていたのだ。

 

「手下どもはなかなか使えるらしいな」

「手下では、ない」

 

 一方、ゴブリンスレイヤーは苦戦していた。技量の差は歴然だ。加えて鎌にも似た鉤剣の剣身。こういった形状の武器は盾で防ぎ切るのは難しいと、すでに学習している。そのためへたに攻勢に出ることはせず、古老自身ではなく剣の腹を狙って打ち落とす、喧嘩殺法でもって時間稼ぎに徹していたのだが。

 

「だがお前は、話にならんな」

 

 長衣の内側から現れた()()()の手とそこに握られた(クロスボウ)が、小手調べは終わりだと告げる。

 

 獣人や蟲人という種族は同じ名で括られていたとしても、実際にはより細かく形態の違いが存在する。飛蝗人も同様であり、翅を背負い飛行能力を備える種がほとんどではあるものの、中にはこの古老のように飛べぬ代わりに二対の腕を生やしている例もある。

 

 それだけなら対処はできた。腕が多いことも弩を隠し持つことも、事前に得た情報の通りだからだ。初めからそのつもりで、真正面に長くとどまらず動き続け、また味方が射線に入らないように注意してもいた。

 

 想定外だったのは、発射された太矢(ボルト)がまるで五寸釘を束ねたかのごとき異様な代物であり、眼前で破裂拡散したことだ。

 

「ぐっ!?」

 

 よけ損なった何本かが腿に突き刺さり、ゴブリンスレイヤーは態勢を崩した。追い討つ鉤剣は反射的に、また不用意に持ち上げてしまった盾を越えて兜の庇の中へ潜り込んだ。

 

「凡夫が」

 

 さらに無造作に振り上げられた右足が彼の体を軽々と吹き飛ばし、石壁に叩きつけた。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 すぐに治療に走らなくては。奇跡は仲間との合流前に一度使用して残り二回。《聖光(ホーリーライト)》で隙を作り、その間に彼に《小癒(ヒール)》を。

 

 ——違う。女神官は古老の顎から発せられる音を聞き、判断を変えた。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》」

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 《力矢(マジックミサイル)》がくる。妖精弓手の矢よりもなお不自然な軌道で迫る多数の魔力の矢が、必中の真言が示す通りに回避不能とされるほどの超追尾(ハイアクト)で侍に殺到したのだ。実体なきゆえに刀では防げぬそれはしかし、すんでのところで展開された《聖壁(プロテクション)》に遮られて消滅した。

 

「かたじけない!」

 

 これ以上好きにはさせまいと、侍は古老に肉薄した。銃撃からの守りは神頼みだ。

 

「次はお前か、侍」

 

 古老の四つ腕が蠢き下側の手が弩に太矢を番え、上側では得物を両手で握ったかと思うと、先端から縦に割るように分離させた。二刀流、本領でもって相対するべき手合いだと認識したのだ。

 

「参る」

 

 大太刀が閃き一合二合三合、様子見も牽制もなしの必殺を絶え間なく打ち込み剣戟音を奏でる。女神官の祈りが持つあいだに片をつけねば、戦線が瓦解しかねないのだ。

 

「おいおい俺たちだけで残りの敵を凌げってのかよ、無理だ、絶対無理だ!」

「あぁっ、そっちは駄目!」

 

 頼れる盾役が離れたことで臆病風に吹かれた鼠義賊は、喚き散らしながらも敵陣を引っ掻き回していた。気づかぬうちに《聖壁》の陰から出てしまっているが、全力で駆ける鼠人に命中させられるだけの射手は海賊の中にはいないのできっと放っておいても大丈夫だ。実際、何発も撃たれているのに掠りもしない。

 

「敵の隊列が……! こちらに戻ってください!」

「ひぇあ!?」

 

 たぶん今のは肯定の返事だ。そう結論づけた女商人は三つめの武器を掲げた。細指を彩る宝玉の指輪、魔術を補助する発動体に光が灯る。

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……ヤクタ(投射)》!」

 

 轟け雷鳴、ほとばしれ紫電。鼠義賊の低い背丈を飛び越えて落ちる《稲妻(ライトニング)》が、撹乱された挙句に密集してしまっていた敵勢をまとめて打ち据えた。

 

「やってくれたな」

「次は貴様だ」

 

 残敵はついに半数を割り、海賊たちはいよいよ浮き足立っている。大勢は決したと言えるが、古老を取り逃しでもすれば戦略的勝利は遠のく。侍は仕上げとばかりに剣圧を強めた。

 

「……う」

 

 そのとき、魔法の轟音に耳朶を揺すられたゴブリンスレイヤーは意識を取り戻していた。起き上がると体中が軋む。荒く呼吸を繰り返すたびに、鉤剣に抉られた頬から吐息が漏れ出していく。激痛で顔の筋肉が引き攣り、瞼を開けるのにも難儀する。だが幸い骨に異状はなさそうだった。折れていないなら動ける。動かせ。

 

 手からこぼれ落ちていた舶刀はそのままに、雑嚢をまさぐって小瓶を取り出した。治癒の薬水(ヒールポーション)を己の血諸共に飲み下せば、多少なりとも痛みが和らぐ。最近、改良され薬効が増したとのことだ。どの程度よくなったのかは体感できるものではなく、ともあれこれで動きやすくなった。動け。

 

 立ち上がり、今度は腰と雑嚢のあいだに括りつけてある鞘から短剣を抜いた。先ほど投げたものとはまるで違う。どちらかといえば古老の鉤剣に似ていなくもないが、これは内側に向かって反るどころか半ばで折れ曲がるようになっている。さらに柄の留め金を外すとその剣身は扇式に開いて三枚に分かれ、目を疑うほど凶悪な真の姿へと変形を果たしたではないか。

 

「お、おぉっ!」

 

 投げ放つ。三連刃(トリプルファング)が風を捉え回転飛翔、空間に曲線を刻み標的に視界外から喰らいつく。

 

「なんだとっ!?」

「はあっ!」

 

 片方の剣を弾き飛ばされガラ空きとなった胴を、すかさず逆袈裟がけに大太刀が一閃。薄黄色の血液を撒き散らし、古老は崩れ落ちた。

 

「畜生、こんなはずじゃ」

「ずらかるぞ!」

 

 手下たちが逃走を図る。一党は負傷者ありで追討は断念だ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、しっかりしてください!」

 

 祈りを中断した女神官は追う代わりに、壁に寄りかかるゴブリンスレイヤーのもとへ走った。女商人もあとに続き、妖精弓手は警戒を優先して見守るにとどめる。

 

「すぐに治療します、いいですね!?」

 

 頷くのを確認し、掌を鎧の胸に置いた。矢傷の処置は後回しだ。兜の中へと刃が突き込まれる光景が脳裏で繰り返され、乱れる思考をなんとか祝詞へと集中させて希う。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 天上よりの光は信徒に託され、傷ついた戦士の身へと流れ伝う。破れた頬が塞がり、ゴブリンスレイヤーはどうにかまともに喋れるまでに回復した。

 

「助かった」

「よかったぁ……」

「心臓に悪い方です。本当に」

「すまん」

「ほんとにほんとよねー」

「すまん」

 

 大事には至らず、仲間たちはほっと息をついた。侍ももはや心配はいらないとみなし、視線を斃れた対手に戻す。傍らには奇怪な形状の短剣があった。

 

「よもや、大手裏剣とはな。あの男、やはり——む」

 

 不意に、古老の体の輪郭が揺らぎだした。全身が淡く発光し、空気に溶けていく。ほどなくして跡形もなく、いや太矢の束と、一枚の羊皮紙を残して消滅してしまった。

 

「……《分身(アザーセルフ)》」

 

 魔術を知る者として女商人が、この現象の原因を言い当てた。彼らが辛くも勝利した相手の正体は。

 

「偽物、だったのかよ。せっかく見つけたってのに」

 

 落胆する鼠義賊に、一党は同意せざるをえなかった。

 

 

 

§

 

 

 

「とどのつまり、陽動だったということだ」

 

 酒場である。木の椅子と卓があり、棚に酒瓶が並び、丸灯(ランプ)の明かりを照り返す。地下遺跡群の一角を改装して造られたもぐり酒場に、彼らは集まっていた。彼らとは先刻の一党に、港から飛んできた残りの面子に、同行した鯱と護衛の衛視だ。それと壁際の席に鼠義賊の仲間であるという二人の獣人が腰を下ろし、帳場席(カウンター)にはもちろん酒場の主人と給仕たちもいる。

 

「儂らはまんまと引っかかったつうわけかい」

「いや、そうでもない。むしろ計画を半分は阻止できたと言っても誇張にはなるまい」

 

 糖酒片手にくつろぐ鉱人道士に、議長役の鯱が応じた。

 

「古老自身が囮となって我々の注目を誘導し、近海の海上封鎖の影響で沖合の警戒が手薄になったところで、悠々と船団を集結させ港に接近。さらに海兵隊が迎撃に出れば今度は街の地下から蟻の群れが出現し、混乱の坩堝に叩き落とす。陸海両面からの陽動だ」

「理に適っておりますな。しかしながら、なぜそのような策であったと断言できるので?」

 

 軍議慣れした蜥蜴僧侶が、真剣な面持ちで疑問を投げかける。回答は、提示された羊皮紙だった。描かれているのは升目に区切られた海と、島と大陸。そこに上から書き込まれたいくつかの印。

 

「古老の分身が持っていた海図だ。海賊の符牒がある。やつらの船がどこを合流地点にして、どう航行しようとしていたのかはこれで判明した。あとは……過去の行動から古老の思考を類推した結果だ」

 

 言葉を区切る。重要なのはここからだ。

 

「そして、わざわざ海図を残した理由も予想はつく。当初の作戦が頓挫した場合の代替案のためだ。我々の戦力を可能な限り多く、船団の停泊している海域まで誘引したいのだろう」

「あからさまな罠じゃねぇか、それ。つき合うことはないぜ」

「放置すれば海上交易は停滞したままになる。かといって半端な数を投入すれば無駄に損耗させられるだけだ。火中に飛び込むほかに、選択肢は残存していないんだ」

 

 苦々しげに首を振り、鯱は鼠義賊の提言を退けた。不利を呑んでの大規模海上決戦は、不可避の未来となったのだ。誰かの溜息を孕んだ空気が、沈痛な色に染まる。

 

「おい、お前たち。その鉱人を見習って何か注文しろ。ここをどこだと思っている」

 

 そこで、低い声を発したのは一人の女性だった。この酒場:迷い猫亭を取り仕切る、猫人(フェリス)の女将だ。大きな耳が飛び出す黒髪に縁取られた顔貌は冷ややかな美しさを湛え、赤い首輪の下、薄紅色の東洋着物に包まれた体躯は細身ながら大柄。ただの猫よりは、どことなく山猫(リンクス)に近い印象を受ける。

 

「おお、これは失敬。では拙僧も術師殿と同じものをば。それと何かチーズを使った肴を所望したい」

 

 いろいろと切り替えるちょうどよい頃合いと見て取った蜥蜴僧侶を皮切りに、各々何か腹に収めることになった。店主と同じ猫人や、兎人(ササカ)といった獣人の女給たちが扇情的な衣装を纏い堂々と歩む。その様を侍は目で追っていた。あの身のこなしは武人のものだ。

 

「奥に個室の用意がある。気に入った給仕がいるなら、そちらに()()を届けさせることもできるぞ?」

 

 そんな侍の様子もまた見られていた。しかも誤った認識つきで。山猫女将の言う果物とやらが何を意味するのかについては、ご想像にお任せしたい。

 

「あ、私も果物欲しい!」

「……は?」

 

 重ねて、そんな山猫女将の様子もまた妖精弓手に見られていた。やっぱり誤った認識つきで。というか彼女の気質からしてこの手の隠語が理解できるはずがない。

 

「私も、ちょっと甘いものが欲しいですね。苺とか」

「そ、そうですね。疲れていますし、はい」

「うん? 顔赤いですよ?」

「気のせいです。そうだ、この地方では芒果(マンゴー)が有名だそうですよ」

 

 女神官も無邪気に果物を希望している。女商人に関しては、どうやら少々耳年増だったようだ。

 

「柿はあるか」

牡蠣(カキ)?」

「ないようだな……」

 

 なお、提案された当人には通じていない模様。ちょっと残念そうだった。

 

「……それで、店主。ここは、この遺跡はなんだ」

 

 そんなこんなで酒と食べ物が行き渡り、人心地ついたのを見計らってゴブリンスレイヤーが口火を切った。鼠義賊に連れられて遺跡の奥へとやってきたわけだが、道中に人通りがあり、怪しげな店があり。これでは遺跡ではなく。

 

「隠し街だ。上の街が海賊の街なら、ここは盗賊の街。向こうと違って昔も今も日の光の当たらない、影の世界さ」




◆南洋投げナイフ・展開式◆

 この世のものとは思えぬほど禍々しい形状をした南洋由来の投擲武器。工房の親方が試作し、のちに改良を施した特注品。

 分厚い剣身は仕掛けにより三つに分かれて広がり、優れた飛翔性と殺傷能力を見せる。また変形前なら通常の短剣としても扱えるが、ゴブリンなどが乱雑に叩きつけでもすれば、簡単に壊れてしまうだろう。

 その価値は、やはり練達した者の手にあってこそだ。

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