〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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3-5:自由を求めて/Element of Freedom

 

 明くる朝。

 

 本日天気晴朗なれど波高く、港湾に勢揃いした大型船(ガレオン)十二に小型快速船(キャラヴェル)が二十四、締めて三十六隻もの軍船(いくさぶね)に打ち寄せ急き立てる。

 

 艤装品の点検、物資の積み込み、航路の最終確認に家族との抱擁。忙しなく動き回る海兵たちの面構えはどれも皆、高揚と緊張と不安の綯い交ぜになったものだった。最低限の防備を除くほぼ全戦力を傾けての海戦、十一年前の戦争以来となる大規模戦闘だ。現在の海兵隊には当時を経験していない若者も多く、彼らの心中はすでに大荒れとなっている。

 

「ったく、だらしねぇ。水遊びしか知らんひよっこが、使いもんになんのかね」

 

 いかにも不機嫌そうに眺めていた鉱人の船大工が遠慮なく毒づくと、厳つい肩に掌が置かれた。

 

「そう言うな、棟梁。雛鳥なら、親鳥がしっかり嚮導してやればいい。それに彼らがあまり頼りになりすぎると、我々老人の立つ瀬がない」

 

 老人、と強調して穏やかに笑う鯱は、物騒な得物を担いでいた。長筒(マスケット)を短縮して取り回しやすくした騎筒(カービン)に大型の銃剣(ベイオネット)を装着した、あるいは剣の柄を鉄砲に挿げ替えたかのごとき異様な武器だった。

 

「てめぇは耳長ん中じゃまだまだ若造だろ、嫌味か」

 

 はたき払われかけた手を引っ込め、鯱は船団の端に投錨する一隻の船に目を向けた。

 

「いや、老いたとも。彼女を見て、感傷が胸中を満たす程度には」

 

 最新型の軍船の威容と比べれば明らかに見劣りする、ガレオンとキャラヴェルの中間程度の大きさの老船だ。黒塗りの船体に、告死精(バンシー)船首像(フィギュアヘッド)が据えられている。海賊船:自由への先駆け号。鯱のかつての座乗船が、影のような佇まいで主の帰還を待っていた。

 

「よく間に合わせてくれた」

「どっかの莫迦が、急に乗りてぇと抜かしやがったからな」

 

 見れば、年月を感じさせる外観に反して索具や帆は真新しい。可能な限り補修も施されており、十年ぶりの航海へ向けて整備状態は完璧だった。

 

「すまんな。彼女より速い船を知らないんだ」

「調子のいいことを」

「事実だ。ところで、私が依頼のために訪問したときには、すでに整備作業が始まっていたように思えたんだが」

「定期点検だ。造ったからにゃどんだけ古くなろうと、海の上にあるうちは面倒を見る。うちらはうちらの仕事をこなしとるだけだ」

 

 言い終えると、棟梁はさっさと背を向けてしまう。

 

「見送ってはくれないのか?」

「こっちも忙しいんだよ。てめぇらが帰ってくるまでに船渠を空けとかにゃならんからな」

「フッ、相違ない。では私も、自分の責務を遂行してくるとしよう」

「おう。うちの最高傑作を失くしてきやがったらただじゃおかねぇぞ、しっかり気張んな」

 

 ぶっきらぼうに片手を上げる棟梁を見届け、鯱は桟橋を踏み締めて愛船への家路を辿る。

 

「あっ、鯱の兄貴!」

「すげぇや、俺たち本当に兄貴と一緒に海に出るんだ!」

「またご一緒できて光栄です」

 

 年若い水夫がいた。老いた操舵手がいた。街の興廃この一戦にありと耳にした海賊上がりの商人たちが加勢を申し出たところ、鯱は武装商船には街の警備に当たってもらいたいと説き伏せて謝絶。ならばせめて人手を貸すだけでも、ということで半ば勝手に義勇兵たちが参集したのだ。

 

「ああ、私もだ。あとで孫にも会わせてくれ」

 

 甲板に跳び乗り、各々と軽く挨拶を交わしながら操舵輪のある船尾楼甲板(プープデッキ)のほうへ歩いていく。そこには冒険者たちの姿もあった。

 

「継続しての協力、心より感謝する」

「気にすんない。まさに乗りかかった船っつうやつだかんの。ま、報酬はきっちり上乗せしてもらうけんどな」

「一言余計よ業突く張りの鉱人。それに冒険者なら、こういうときは渡りに船って言うべきでしょ。街の平和を守る英雄になるのよ、私たち!」

「ほほう、野伏殿はわかっておられる。戦となれば思うさま首級(くび)を挙げ、功徳を積む好機にほかならぬ。今日を生き延びれば拙僧もまた一歩、竜に近づけるというものよ」

「このとおり我ら皆、助力は惜しまぬ。いかようにでも使え」

 

 故あって二名不在となったが、これにて役者は揃った。さらには語り手も。

 

「それで、本当に同行するつもりなのか、君も」

「ももももちろんだとも。新しい伝説を生まれる端から詩にできるなんて幸運を、みすみす手放すもんか。最高の武勲詩を仕上げてみせるさ、楽しみにしててくれ!」

 

 リュートの首を折れるのではないかというくらい強く握り締めた吟遊詩人は、なんとか笑顔を取り繕った。自分の活躍を記録したい騎士が吟遊詩人を連れて出征するのはよくあることだが、どうやらこの男には従軍経験など皆無らしい。とはいえ楽器一本歌一つで世を渡ろうと決意して旅立った身の上、逃げださないだけの度胸は持ち合わせている。

 

「承知した。それならば、後世に伝承するのに恥じるところのない振る舞いをしなくてはな」

 

 潮騒が呼んでいる。舞台が待っている。あとは、座長が壇上に登るだけだ。

 

「諸君! そのままで構わない、聞いてくれ」

 

 外套の裾を翻し、鯱は芝居がかった抑揚で言葉を紡ぐ。

 

「私は、多くの闇人がそうであるように地底で生まれ育った。絶対的な階級社会(レイヤード)、閉塞し切った秩序に支配された地下帝国(コンプレックス)だ。自身を監視する隣人を監視し、密告されないために密告する。弱者を利用し、強者を弑逆する。朋輩、恋人、家族、すべてが立身のための階梯であり、また陥穽でもある。陰謀の縛鎖で雁字搦めにされながら、私は生きていた」

 

 どこまで不毛なのか。なんという息苦しさか。それを厭い這い上がろうとすればするほど足場は狭く、いよいよ身動きが取れなくなっていく。

 

「あるとき、私は唐突に解放された。地下水脈の氾濫が何もかも水没させ、激流に呑まれた私は期せずして地上への脱出に成功していたのだ」

 

 大空の青を知った。草原の緑を知った。日と月と星を知った。只人の街の喧騒を知り、そして彼らから見た闇人がどのような存在なのかを思い知った。

 

「未知の世界をしばらく彷徨した末に、この街に漂着した。まだ海賊の根城だった頃だ。公爵閣下、いや親方のおかげで一定の秩序はあったが、平和とは言えなかった。それでも、自由があった」

 

 進んで無法者(アウトロー)となる者はそう多くはない。たいていは、少なくとも本人にとっては、やむをえぬ事情があって外道を歩むことを選ぶのだ。人の心を抱えたまま、人の世を追われた者たちのための楽園。それがのちに公爵となってこの街を治めることになる、一人の海賊が目指したものだった。

 

「闇人が、昼日中に白粉で肌色を偽装することもなく散歩ができて、海を眺望しながら食事を取れる。酒杯を酌み交わして談笑し、困難に当たっては支持し合う仲間と出会える。そんな街がどれだけあることか。私はこの街から自由を拝領した。私はこの街で本当の私になることができた。私はこの街でようやく生まれた。この街こそが、私の故郷なのだ」

 

 鯱は、身命を懸けると決めた。己を拾い上げた男の理想に。志を同じくする友たちに。手にした巵杯(ジョッキ)に注がれた一杯の糖酒に。結局は海賊、やることは掠奪行為、他者を食い物にして生きることになんら変わりはないとしても。街の守護と発展のためならば、悪魔となろうと決めたのだ。

 

「その故郷が今、窮地にある。古老。自由に拘泥するあまり一線を越えた、かつての同志の暴走によって。親方の定めた鉄則に背き、街の住人すら毒牙にかける放縦を、容認するわけにはいかん」

 

 やがて時代が移り変わり、悪魔である必要はなくなった。人に戻ることを選んだ者と悪魔であり続けようと望んだ者は、このとき決定的に袂を分かったのだ。

 

「これは、私のやり残しだ。私は幾度も失敗してきた。よりよい答えを追求する試行の連続が、致命的な歪形を発生させた。それを修正しなくてはならない。……古老を、討伐する。犠牲なき決着の機会はとうに喪失した。やつの死をもって過去の因縁を清算し、海賊に強奪された故郷の安寧を、海賊の流儀で奪還する。どうか、皆の力を貸してほしい」

 

 固く結んだ拳を掲げ、そっとほどいて差し伸べる。この手を取ってついてこいと。

 

「私の、私たちの最後の掠奪だ。諸君。派手にいこう」

「うおぉぉぉっ!」

 

 歓声が上がり、熱狂が船員たちを満たしていった。寄せ集めの義勇軍が、鯱の意志のもと一つになったのだ。

 

 すると、それに呼応するかのようにどこかで鐘が歌いだした。博士が乗る海兵隊旗船:女王の騎乗槍号の船鐘が出撃を告げると共に、主帆柱(メインマスト)へ多色多様な旗が掲揚される。棚引くそれらは声なき文字なき、連なる図柄にて意味をなす船乗りの暗号。

 

『本船は各員が己の使命を果たすことを確信する』

 

 旗旒信号がこう宣言すれば、応じて鳴らす鐘の大合奏が港を祝福する。

 

「抜錨、出帆!」

 

 そして船長命令は下された。錨綱が巻き上げられ、開かれた帆が風を孕む。海賊討伐船団三十六足すことの一隻、勇壮なる船出に街の住民たちが手を振った。

 

「故郷か」

 

 離れゆく街並みを眺めながら誰知らず、侍は潮風に独り言を含ませた。銭のためだけでない、仲間たちへの恩でもない、斬り合う理由がこれで()()

 

「ならば……守らねばなるまい」

 

 

 

§

 

 

 

 薄霧が、辺りを包んでいた。湿った冷気が肌を撫でる。低い空に海鳥は見えず、水面下に魚はいない。

 

 出港から数時間が経ち、船団は鯱の船が先導する形で古老の海図に示された海域に舳先を進めていた。生命に忌避された、あるいは生命を拒絶するこの霧の海は、船乗りたちにとっても近寄りがたいものだ。海賊が潜むには都合がよい。それゆえ過去何度か海兵隊による捜査が行われたものの成果はなく、いつしか捨て置かれていたのだから、なおさら都合がよい。

 

「ぬふぅ……」

 

 そんな敵地のただなかで、侍は船縁にへばりついていた。呼吸は荒く、額には脂汗が浮かぶ。なんたる不覚、人生初船酔い(バッドステータス)の洗礼である。

 

「平気?」

「大事、ない」

 

 大惨事ではないか。ひどく心配そうに覗き込む妖精弓手に空元気を見せる余力すら、臓腑の内から逆流してくる衝動を抑えることに費やされている。開戦を待たずして、侍は死闘の渦中にあった。

 

「ちくと船室で休んどったほうがよかろ。鱗の、頼まぁ」

 

 仲間も船員たちも船酔いを体験したことはない。侍が苦しむ原因に思い至るまでにしばらく時を要したほどの、まったくの想定外だった。適切な薬なども当然用意しておらず、鉱人道士は処置なしと憐憫の眼差しを向けた。

 

「侍殿、立てますかな。いやさ、担いだほうがよろしいか」

「待、て、待て。すぐに治まる、気遣いない」

「しかれど、そのご様子では」

 

 問答もそこそこにやや強引に連行しようとする蜥蜴僧侶。平素ならばまだしも、今の侍では子供に手を引かれても抵抗できるかどうか怪しく、もはや負傷者と変わらない。速やかに戦火から遠ざけねば。繰り返すがここは敵地、今すぐにでも海賊が。

 

「前方に船影! 数は……多数、としか!」

 

 お出ましだ。帆柱に設けられた檣楼で、遠眼鏡(とおめがね)を手にした監視員が声を上げた。灰色の景色の上に滲み出すように現れる船、船、船。大きさはまちまちでいずれも海兵隊の主力級ほどではない代わりに、数では勝っていると思われる。というのも、この霧と密集陣形のせいで正確な把握が困難なのだ。ついでに本当に海賊船かどうかも未確定だが、こんな状況で疑う余地がどこにある?

 

「合戦準備! 後方へ伝達!」

「アイアイ、船長!」

 

 鯱が声を張り上げると敵船見ゆの報は旗に託され、船団全体へと伝言されていく。各船は航路を微調整して射線を確保すると、搭載されたいくつもの大弩(バリスタ)を霧中の影に照準し、射程に収まるのを待った。

 

「風をくれ!」

「あいあいさー、っと」

 

 外洋をゆく船には風の司が乗り込むのが常であり、この船においてその役目を担うのは鉱人道士だ。両手を広げて天を仰ぎ、精霊の姿を探して呼びかける。

 

「《風の乙女(シルフ)乙女(シルフ)、接吻おくれ。儂らの船に幸あるために》」

 

 霧中を泳ぐ風精(シルフ)が《追風(テイルウィンド)》の求めに従い、帆を大きく膨らませた。彼女らの加護のある限り、船は風向きによらず自在に走ることができるのだ。船足が増し、彼我距離が詰まっていく。あと少し。もう少し。

 

 入った。

 

発射(てぇー)っ!」

 

 こすれ合う機構が弓とは異なる金属音を響かせて、大矢を解き放つ。低く放物線を描く鉄の驟雨が海を木を帆を人を穿ち、水と木端と血が飛散した。

 

「面舵! 左弩戦!」

 

 当然、敵も黙って針鼠(ハリネズミ)になるばかりではない。射ち込まれた矢を投げ返すがごとく、応射が船団に襲いかかってくる。その一拍前に右に転舵して回避運動、さらに列をなして弦側に居並ぶ大弩を敵船に向けた。船は構造上正面や背後からの攻撃には脆く、また同時に使用できる武装の数も側面のほうが多いのだ。

 

 対する海賊船団は、取舵を選んだ。すれ違う反航戦ではなく並走する同航戦、自分達の損害を抑えるよりも相手への命中率を優先する動き。もちろん両者条件は同じ、ここからは壮絶な射ち合いだ。

 

「俺らの船が簡単に沈むか!」

「痛いのをブッ喰らわせてやれ!」

 

 いよいよ海賊たちの顔が識別できる距離となった。只人だけでなく圃人や蟲人に蜥蜴人、雑多な種族が雑多な装束を纏って一様に怒号を飛ばし、討伐船団と矢雨の応酬を交わす。この激戦はしかし小手調べ。大弩だけで決着がつくことはまずない。敵船に乗り移っての本格的な戦闘に備え、冒険者たちは身をかがめて機を窺っていた。彼女以外は。

 

「おいこら耳長娘、あんま無茶すんない!」

「わかってる!」

 

 物陰から物陰へ、帆柱から帆柱へ。船上を所狭しと跳ね巡り、妖精弓手は的確に敵船の射手を沈黙させていく。すぐに死体が引きずり下ろされて代わりが射撃を再開するが、そうして稼いだわずかな時間は決して無駄ではない、味方が無駄にしない。攻撃の密度に差がつき始めた。

 

「貰っていくぞ」

「へ? あ、おう……?」

 

 他方、待機している右弦(みぎげん)側では、誰かが射手の傍らから大矢を一本引っ掴んで走りだしていた。

 

 唐突だが、ここである荒武者にまつわる話をしよう。

 

 その男、身の丈二・一メートル(七尺)の巨躯に超常無双の怪力宿す。左腕が右と比べ十二センチメートル(四寸)ほども長く、五人張りの強弓を好んで用い、番えるのは一・四メートル以上(十八束)の手槍も同然の大矢であった。鎧武者をやすやすと貫くばかりか、後ろに控えた者の鎧すら射通してようやく止まる弓勢。また兜の鍬形だけを砕き、手元が狂ったと見て侮る対者へ情けゆえ故意に外したのだと返し、退かぬならば次はそちらの望む場所に当ててみせようと言ってのけるほどの精度もあった。晩年は両腕を傷つけられ膂力は衰えたものの、技量はいよいよ全盛となり、ただ一矢にて軍船を撃沈せしめたという。

 

 さて。ここに、五人張りの弓を使いこなす者がいる。ここに、大弩用の大矢がある。ならば、かの武士の船射ちの絶技、まことに能うものか否か。

 

「一つ、試してくれよう」

 

 船首楼甲板(フォークスルデッキ)に堂々と構え、侍は大弓を引き絞り限界まで撓めた。彼は船の造りを知らない。が、頑丈そうな箇所ほど破壊されればただでは済まぬもの。船首から船尾へと渡り船底を支える背骨めいた船材を狙い、放つ。

 

「あ?」

 

 犠牲船の舳先近くにいたこの海賊は、何が起きたのか理解できなかった。いや、船員の中に正しく認識できたものはいなかっただろう。船の背骨、竜骨(キール)の船首側のうち水面に近い部分が折れ砕け、そこを中心に船体が裂け落ちたのだ。均衡を失った船は風に押されるまま前にのめり、轟沈した。

 

「矢を持て」

「へ、へい!」

 

 はたから見ていた者には、かろうじて理解できた。なんか大弩より威力のある弓を使う只人がいる。事態を把握した水夫が自分の使うはずだった大矢を侍に譲ると、もう一隻船が沈んだ。

 

「嘘……従兄(あに)様みたい」

 

 妖精弓手は従兄から聞いた武勇伝を思い出していた。それを聞けば当の従兄は一緒にするなと憤慨するだろう。船の動きからもっとも負荷の集中する部位と瞬間を割り出して精密に狙撃する、というのが彼の射法であり、こんな力技とは違うのだと。とはいえ。

 

「そろそろ人かどうかも怪しくなってきおったわ」

 

 いずれにせよ人間業ではないという点では変わるまい。

 

「お見事、侍殿。船酔いにも無事打ち勝ったようで何より」

「思い起こさせるな……!」

「失敬」

 

 お労しや、と合掌する蜥蜴僧侶の前で、侍は若干顔を青くしつつもさらなる獲物を見定めた。次はあの船を、と矢を番えかけたところで、敵船団に動きがあった。

 

「反転だと? 何を企図している」

 

 海賊たちが回頭して船尾を向けたのを見て、鯱は訝しんだ。侍の弓に恐れをなしたか。それにしては各船の挙動が揃いすぎている。三々五々に逃げ散っているわけではあるまい。そんな懸念は時間の無駄だと言わんばかりに、速度自慢のキャラヴェル部隊が追撃に踏み切った。進む先に待つものも知らずに。

 

「何かしら、あれ」

 

 妖精弓手にははっきりと目視できていた。最初の攻撃に参加しなかった海賊船が幾隻か、戦列の向こうからこちらを遠巻きにしている。その中にひときわ大型の、造りの異なる船があり、船員がごく小さな火の灯った槍状のものを掲げている。彼のそばに何かが。判別はできない。似たものをつい最近目にしているものの、それらを結びつけるには大きさが違いすぎた。

 

「大きな鉄の、筒?」

「何っ!? どこだ!」

 

 だが侍にはその文言だけで十分だった。指差し示された船に標的を移し、焦りを滲ませながらも狙いは過たず大矢を羽ばたかせる。

 

 水柱が、立った。

 

 外したか。そんなはずはない。逸された。

 

「またしても矢避けの術か、いかぬ——!」

 

 舌打つ間も惜しいとばかりに、侍は鯱のほうを振り向いて口を開いた。声は届かなかった。雷轟じみた炸裂音とそのあとに続く破砕音が、すべてを掻き消したのだ。

 

「ひうっ!? まさかあれも鉄砲!?」

「国崩しだ。あの音、忘れるものか」

 

 妖精弓手は鉄の筒と表現したが、正しくは青銅製。予め砲弾と発射薬を込めた脱着式の薬室(チャンバー)を複数用意しておくことで、速やかな再装填が可能な大筒(カノン)だ。費用がかさむうえに構造と工作技術の問題から精度に難があり暴発の危険もあり、運用の難しい部類ではあるものの、射程と破壊力は侮れない。その恐ろしさは、侍の脳裏に深く刻まれている。

 

「駄目だ、転覆する!」

「ど畜生が、なんで海賊があんなもん持ってんだよ!」

 

 一隻のキャラヴェルが被弾していた。半球を鎖で繋いだ特殊な砲弾によって帆柱を折られ、それに引きずられる形で致命的に傾斜している。砲撃の威力を見せつけられた友軍は、慌てて引き返していった。

 

 やはり敵の動きは計算されたものだった。標的が自分から向かってくるように、射線を遮らないように、作為的な後退だったのだ。

 

「そこか、古老」

 

 回避運動を指示した鯱は、転舵する船に揺られつつも件の砲船から視線を外さずにいた。

 

「ここだ、相棒」

 

 聞こえるはずのない呟きに、聞こえるはずのない返答があった。自分を睨みつけているであろう男へ、古老は顎を歪めて不気味な笑みを贈っていた。

 

「さあ、刺激的にやろうぜ」

 

 敵と味方の注目を浴びながら、主帆柱を跳ね登って頂上へ立つ。四本の腕を大きく広げ、詠う呪文は讃歌のように高らかに。

 

「《カエルム()……エゴ()……オッフェーロ(付与)》!」

 

 吹け。吹け、風よ吹け。帆を吹き破らんばかりに暴れ狂え。力ある言葉の命ずるまま、天空の理はねじ曲げられた。降りだす雨は飛瀑のごとし、うねる波濤は山か壁か。颱風(サイクロン)が渦を巻く、中心に静かな海と海賊たちを囲い守り、外敵を掃き飛ばさんと吹き荒れる。

 

「帆を畳めー!」

「面舵、面舵だ、ぶつかるぞ!」

「利かねぇよ舵なんか!」

 

 船に寄り添う風の乙女たちは、根こそぎ嵐が拐かしていった。水と風、《天候(ウェザーコントロール)》に支配された周囲のすべてが討伐船団に牙を剥く。海兵たちは船体にしがみつき、沈んでくれるなと祈るしかなかった。

 

「錨を下ろせ!」

「アイ——えぇぇっ!?」

 

 祈るのはあとだと聖職者たる鯱は指示を飛ばした。血迷ったかと船員たちは驚愕しているが、それはさておき手は動かす。海中に消えた錨が、捉えるのは展望かどん底か。

 

「ねぇっ、またあの国崩しとかいうの撃ってくるわよ! 避けないと!」

「狼狽するな。命中すると決まったわけではない。君たち冒険者風に表現するなら、生きるも死ぬも一天地六の賽の目次第だ」

 

 嵐の向こうに火がチラつくのが、上の森人には目視できていた。闇人はさらにその先を見据える。

 

「私も君も、賽を振り続けていればいつか、誰かに敗北して死ぬことになる」

 

 衝撃が、彼らを襲った。

 

「だがそれは今日でもなければ、やつらにでもない」

 

 船が急激に進路を変え、横滑り(ドリフト)したのだ。

 

「のわぁぁぁ!?」

「術師殿ー!」

 

 直後に撃ち放たれた鎖弾(チェーンショット)を躱しつつ、海賊たちのほうへと回頭することに成功。不幸にも積まれていた樽と一緒に転がっていった鉱人が一名いたものの、水夫を手伝っていた蜥蜴僧侶の尻尾によって無事救出された。

 

 何が起きたのか。答えは水面を突き破ってやってきた。

 

「QUIIIIII!」

 

 白と黒の体表に、眼の上にもう一組大きな眼があるかのような特徴的な模様。魚に似て、魚とはまるで異なる存在。呼称は様々あり、どう呼ぶべきか。

 

「鯨ぁ!?」

「いんや、こら鯱か!」

 

 ほかには逆戟(さかまた)殺人鯨(キラーホエール)虎鯨(オルカ)とも。全長三十メートルにも及ぶ巨大な虎鯨が、錨綱を咥えて船を曳航しているのだ。

 

「鯱……鯱?」

 

 主に城の屋根に棲息している虎頭の魚を想像して、納得のいかない表情をしている侍は置いておくとして。

 

「なるほど、《使徒(ファミリア)》。船長殿の字名はつまるところ、こういうことにございましたか」

「そういうことだ」

 

 系統は違っても同じ聖職者、蜥蜴僧侶がその正体を察した。高位の神官などはしばし神より使徒を授けられる。生ける奇跡たる使徒は主人と精神や感覚を共有し、共に成長していく。この虎鯨が種の限界を超越し、怪物の域に達する体躯を得たのはこのためだ。

 

「QUUU! QUIII!」

 

 長らく港の守護者の任に就いていた彼は、久方ぶりの大洋を悠々と泳ぎゆく。海賊たちが討伐船団を迂回して街に向かうことを憂慮した鯱が、つい先ほどまで別行動を取らせていたが、もうその必要もなくなった。船団の最後の一隻がこれで揃ったのだ。

 

「嵐を抜ける。主帆(メインスル)前帆(フォアスル)三角帆(トライアングラー)開け! 風は?」

「まだフラれとらんよ!」

 

 錨は回収せずにそのまま綱を噛み切らせ、虎鯨にはいったん潜水してもらう。風精たちが舞い戻り、船首側と中央の大帆、それに後部の三角帆が裂けかねないほどに膨らんだ。

 

主上帆(メイントップスル)前上帆(フォアトップスル)! 船首帆(スプリットスル)も開け!」

 

 帆柱上部の残る二枚と、船首像の頭上を越えて前方に伸びる船首帆柱(バウスプリット)の帆も全開に、船は風を追い越さん勢いで猛進した。目標は敵船団中央、古老の船だ。

 

「兄貴ー! 俺らも忘れないでくださいよー!」

 

 後方からは出目がよかったらしい友軍が五隻、航跡を追ってくる。

 

「鯱を掩護する。遅れるな」

「アイ、サー。信号を」

「不要だ。どうせあの莫迦者どもは勝手にやつについていく」

 

 その中には梟の船もある。水気を吸ってすっかり重たくなった翼腕を鬱陶しげに振り、老司令官は溜息をついた。

 

「クク、さすがだ相棒」

 

 迎え討つ海賊は、数の優位を活かして押し包みにかかった。それでも怯まず向かってくる敵を睥睨し、古老は笑みを深くする。

 

「ならこいつはどうだ」

 

 海中。敵旗船を目指して潜航する虎鯨が、真っ先に異変に気づいた。この種の生物には、反響音を利用して地形や物体の位置形状を把握する能力が備わっている。だからそこに何かがあることはわかっていた。ただ誤認していたのだ。岩礁と。

 

「海から、何かが浮上してくる! 正面、注意しろ!」

 

 使徒が探知したのなら、主人も同時に知覚できる。鯱が警告を発して数秒、乗員たちが身構えてさらに数秒。また、海が突き破られた。

 

「GIRIRIIRIIII」

 

 それは蟲だった。黒玉色(ジェットブラック)の外殻に総身を覆われ、団子虫(ダンゴムシ)に似た体躯に八本の短い脚を生やした、ガレオンと同等の大きさの大鎧熊蟲(ターディグレード)だった。

 

「取舵一杯!」

 

 とにもかくにもまずは回避せねば。全速(フルセイル)で衝突したら一巻の終わりだ。引き起こされた波に舵を揺さぶられながら方向転換する自由への先駆け号に、海兵隊も追従する。

 

「口が、開いて……何かするぞあれ!」

 

 隊列の中ほどに位置する船の上で、海兵は見た。大鎧熊蟲の口腔から針状の器官が飛び出し、自身へ向けられているのを。それが、彼の最期の記憶となった。

 

「GIIIII!」

 

 体内に充填した海水に圧力をかけ、射出する。言葉にすればたったそれだけ。それだけで、船が両断された。大剣のごとき激流の刃が、船体を叩き割ったのだ。

 

「……っ、退避!」

 

 鯱は一緒に吹き飛ばされそうになった思考を繋ぎ止め、即座に対応した。どうやら水圧を維持できる距離は短いらしく、近寄らなければ問題はなさそうだった。

 

「うわ、こっちくるぞ!」

「逃げろ逃げろ逃げろ!」

 

 問題は相手が敵意ある怪物であることと、ガレオンは小回りが利かないという点だ。鯱の船は難を逃れたが、海兵隊は振り切れない。大弩が唸り、侍と妖精弓手の弓もそこに加わって支援するが。

 

「通らぬか」

 

 装甲と言って差し支えない堅牢な外殻が、すべてを防ぎ切った。侍の放った大矢だけは刺さりはしたものの、貫徹には至っていない。

 

「QIIII!」

 

 となれば、怪物には怪物をぶつけよう。呼び戻された虎鯨が全力の体当たりをブチかまし、大鎧熊蟲を押しとどめた。が、そこまでだ。体積も質量も違いすぎる。足止めが精一杯だ。

 

「なんつう戦いだ。儂らの出番はあるんかいな」

「きましたぞ、上から」

「もう、今度は何っ?」

 

 促されて見上げる空に、海賊船から飛び立ったいくつもの影。

 

「BEEEEE」

 

 無数の巨大蜂(ジャイアントワスプ)が、雲霞のごとく押し寄せる。しかも彼らは皆、自身の腹部ほどの大きさの石を抱えていた。

 

「これは、ちょっと気合い入れていかないと、ね!」

 

 敵の意図を察した妖精弓手が、遠間のうちから対空射撃を開始した。昨日からこちら、侍の技に驚かされっぱなしだ。このうえ弓の戦果まで只人の後塵を拝するばかりでは、上の森人としての面目が立たない。奮起する彼女が残矢も気にせず連射すれば、おとなしく的になってくれるはずのない巨大蜂たちがいともたやすく撃墜されていく。

 

「ほれ、矢ぁ取れ」

「ありがと!」

 

 甲板に用意してあった予備の矢筒を投げ渡し、鉱人道士は敵編隊を見やった。すべて墜とすにはいくらなんでも数が多すぎやしないか。

 

「何匹出てくるの、さすがに、きついかも……!」

「まずい、海ん上じゃ止められる術はねぇぞ」

 

 敵船を相手取っていた侍も狙いを変え、大弩を持ち上げて無理矢理仰角つけて迎撃する水夫たちもいるが、どうしても討ち漏らしは生じてしまう。敵、直上。予想どおり投下された石が降り注いだ。当たりそうなのは数個だが、船底まで穴を空けられかねないだけの速度が乗っている。しかも海の上では土精(ノーム)の力も希薄だ。《降下(フォーリング・コントロール)》は使えない。

 

「イィヤァァ!」

 

 そこで、物理だ。先刻は鉱人道士を救った蜥蜴僧侶の尾が、石をまとめて薙ぎ散らした。

 

「ごめん、大丈夫!?」

「なんの、なんの」

 

 剥げ落ちた鱗と流れる血に、しゅんと耳を下げる妖精弓手へ、掠り傷だと涼しい顔。どうにか被害なしだ。この船は。

 

「浸水を確認しろ、急げ!」

 

 ほかの船はそうはいかない。暴風雨から逃れたもののうち一隻はすでに撃沈され、加えてこれで中破二、小破二。

 

「QUUU!?」

 

 さらには虎鯨も標的にされていた。直前で水中に逃れていたのだが、巨体が仇になったのだ。赤く染まる海面が、受けた傷が浅くないことを教えている。

 

蟲の王(マイルフィック)……蟲の王だ……!」

「やめねぇか、御伽話だろそんなもん」

 

 およそ人と人の争いとは思えぬ異質な攻撃に晒され続け、さしもの海の男たちも意気を削がれつつある。

 

 蟲の王、と誰かがこぼした。無数の蟲や混沌の怪物を従えてすべてを喰らい尽くす、蟲人の王者。それは飛蝗人の姿をしていると伝えられているが、実際に目にしたと語る者はいない。本当に御伽話なのか、それとも目撃者が皆殺しにされているのか。真偽は定かならず、この場にある事実は、蟲の軍勢の向こうに一人の飛蝗人がいるということだけだ。

 

「いずれにせよ、早急にやつを排除せねば。せめて旗船に打撃を与えたいが、しかし」

「いってください、船長。船は、我々が」

 

 何事かを思い悩む鯱に、老いた操舵手が頷いてみせた。それで十分だった。

 

「諸君! 古老が蟲の王かただの海賊か、私が直接確認してこよう。帰還するまで彼女の面倒を頼みたい」

「そんな、船長がいなきゃ俺らは」

「莫迦野郎お前、船長はさっさとカタつけて俺らを守ってくれるっつってんだ。留守番もできねぇガキじゃねぇだろ、しゃきっとしやがれ!」

「は、はい!」

 

 不安げな若い衆を叱咤して背筋を伸ばさせた水夫に、鯱は声にせず感謝を送った。冒険者たちといくつか打ち合わせ、敵航空戦力の第二波を視界に捉える。

 

「では、またのちほど会おう」

 

 船板を蹴り縄を蹴り帆柱を蹴り、高く高く登っていく。前帆柱(フォアマスト)の頂点からその身を躍らせると、さらなる高みに座する存在へと意識を旅立たせた。

 

「《御照覧あれ、これよりお見せするは四方にてもっとも疾き道筋なり》」

 

 顕れる奇跡は打開への《先駆(パスファインダー)》。空に流星の軌跡描く神速の飛翔でもって、百メートル近い距離を消し飛ばす。次の瞬間、彼は巨大蜂を見下ろしていた。

 

「BEEB!?」

 

 眉間に銃剣を突き立て、引き抜きざまに体を踏み台にして跳ぶ。繰り返し繰り返し、宙空に死の足跡刻み、敵船団への接近を試みる。

 

「やつだ、撃て!」

 

 下方から撃ち上がる歓待の鉛弾を、当てられるものなら当ててみろと言わんばかりに無視して先へ。海賊船から海賊船へ跳び移り、行手を阻まんとする巨大蜂をさらなる足場に変えて、古老のもとへ辿り着いた。

 

「古老ォ!」

「きたか、相棒」

 

 そこへ割って入る巨大蜂。突剣と見紛う長大な針で、同族の仇討ちをせんと迫る。

 

「邪魔だ」

 

 応じる一撃は剣ではなく銃によって。通常より大口径の弾丸が、それに見合う多量の装薬から力を受け取り撃ち出される。巨大蜂を胴から二つに分け、その先で待つ古老の足もと、帆柱の先端を粉砕した。

 

「クックック……!」

 

 心底楽しげに笑いながら、古老は平然と跳びのいた。両者は帆桁(ヤード)の上に降り立ち、ついに対峙する。

 

「親方ー! お助けしやすー!」

「手を出すんじゃねぇ! お前たちは海に集中しろ!」

 

 掠りもしない短筒をなおも構える手下を古老が一喝。鯱はその間に腔圧に耐え切れずたった数発で破損してしまう銃身を、繋がった火皿ごと破棄し、外套の裏から取り出した次弾装填済みの予備に交換した。

 

「親方を僭称するとは。不遜の極地だな、貴様」

「あいつらが勝手にそう呼んでいるだけだ。やつらは希望が欲しいのさ。お前に見捨てられたあいつらは、な」

「見捨ててなどいない、新生した街に馴染めるように尽力した」

「何が新生だ。国に都合のいいように作り替えられただけじゃねぇか。お前も親方もあの女に誑かされたんだ。街はあのままでよかった」

「違う! ただの無法者の根城のままで構わないなどという惰弱な発想では、壊死を待つばかりだった。街が存続するには、革命が必要だったんだ」

「革命だと。街のためにと叫んで仲間を殺すのが革命か。そうだな相棒、俺たちは所詮海賊、殺して奪うしか能がない。だから街を殺して自由を奪う。これが俺の革命さ」

「その自由こそが貴様を制縛しているものの正体だ、古老。私は生きるために自由を願ったが、貴様は自由のためにしか生きていない。まるで、自由の奴隷だ」

「説教のつもりか、それともお得意の演説か? どっちも聞き飽きたぜ、煽動家風情が偉そうに」

「思想家気取りの狂人は、人の言葉も解さんらしい」

 

 舌戦はこの辺りまでだ。ここからは刃が語る。その前に手向けの挨拶を。

 

「《御照覧あれ、これより披露するは四方の風より勝る我が走り》」

「《セメル(一時)……キトー(俊敏)……オッフェーロ(付与)》」

 

 開戦の合図は神への嘆願と神々の言の葉。世界すべてを置き去りに、ただ二人だけが《加速(ヘイスト)》した。真っ向から斬り結び、跳んで離れれば追って跳ぶ。この超常の決闘に、船一つでは狭すぎる。隣り合う船へ、そこから別の船へ。目まぐるしい攻防を繰り広げながら、彼らは元いた場所から遠ざかっていった。

 

 それが、もう一つの合図となる。

 

「弾込めよし」

「点火——!?」

 

 大筒を設置された船首楼甲板で、砲声の代わりに悲鳴が響いて消えた。海から這い上がってきた侍が、砲手の首を刎ね落としたのだ。

 

「ふん」

 

 次いで、ろくに見もせずに軽く刀を一振り。国崩しは青銅、斬って斬れぬことはないと自負してはいるが、それよりも木製の砲架を破壊したほうが楽だ。支えを失ってゴロリと転がった大筒はもうまともに狙いなど定められず、脅威ではなくなった。しかし場数を踏んだ海賊たちは、このくらいでは怯まない。

 

「やりやがったなてめぇ、ぎゃっ!?」

 

 侍は背を向けている。今が好機と跳びかかった装填手は、無防備に思われた背中にしがみついていた竜牙兵に組み倒され、喉を喰い千切られた。骨は動くものと考えるほうがおかしいのだ。

 

「野郎ブッ殺してやる!」

「よせ撃つな、船が吹っ飛ぶぞ!」

 

 瞬く間に砲船をただの船に変えた一人と一体に激昂と罵声、銃口が突きつけられるも、彼らの傍らに積まれた弾薬が引鉄に躊躇を生む。鉄砲なんて捨てて剣で打ちかかっていくしかない。

 

 ここでもう三つ、海賊たちに不幸があった。一つは、転がった大筒が波に揺れる船上で踊り、逆向きになったこと。二つめは、砲手の落とした道火桿(みちびざお)に絡められた火縄にまだ火が燻っていたこと。最後は、侍が大筒の使い方を知っていたことだ。

 

「あまり好かぬが」

 

 蹴り上げた道火桿を掴み、大筒を足で踏み押さえて火縄を火門(タッチホール)に差し込む。点火薬が燃焼し、発射薬を起爆させる。これにより砲身内の圧力が急激に上昇し、栓をしていた砲弾が発射される。

 

「伏せろー!」

 

 そう叫んだのは集団の最前で侍に挑んだ男であり、ゆえに真っ先に犠牲となったのも彼だった。砲弾は海賊たちを薙ぎ倒して帆柱を掠め、船尾楼を喰い破ってようやく止まった。

 

 これで甲板が少し広くなった。侍は背後を竜牙兵に任せて敵陣の空隙に身を滑り込ませ、手近な者から順に次々と撫で斬っていく。爆発物から離れたかと思えば今度は同士討ちのおそれありで、またしても鉄砲は物の役に立たず。海賊たちは刃など通りそうも見えない骨の怪物と、怪物紛いの剣豪相手に白兵戦を余儀なくされたのだ。

 

「うわー駄目だー!」

 

 急襲による混乱は恐慌へと推移しつつあり、もはや海戦どころではない大騒ぎだ。得物を遮二無二振りかざして挑んでいく者、負傷して船内に後退する者が幾度も幾度もすれ違う。そこに見知らぬ男が紛れていることに気づくだけの冷静さは、誰にもなかった。

 

「首尾は上々、と」

 

 首にも尾にも特徴のある目立つ容姿も、統制を失った雑多な種族の寄せ集め衆に混ざるなら、さしたる問題にはならない。申し訳程度の変装として拾ってきた舶刀を放り捨て、蜥蜴僧侶は獰猛に微笑した。

 

 水練の心得のある侍と身体構造的に泳ぎに適する蜥蜴僧侶が、念のためにと頭目から借りてあった水中呼吸の指輪の助けを借り、鯱の単騎駆けを隠れ蓑にして水面下から接近。古老が引き離されたのを虎鯨の鳴き声から伝え知り、速やかに陽動と侵入を実行する。大鎧熊蟲を抑え込むために虎鯨を張りつかせざるをえないうえに、侍の射撃も防御されてしまう。この状況で旗船を叩く手立てが必要であり、仕上げを蜥蜴僧侶が担っているのだ。

 

「さて、務めを果たすといたそうか」

 

 船底の中央付近に触媒たる竜の牙を撒き、坐禅を組む。瞑目して思い馳せるは、遠き祖先の栄枯盛衰。

 

「《白亜の層に眠りし父祖らよ、背負いし時の重みにて、これなるものを道連れに》」

 

 祝祷を終えると、竜牙が泡立ち昇華した。恐るべき竜ですら、悠久の時の流れに呑み込まれればやがて骨となり石となった。竜の名を冠されただけの木端ごときが、その大いなる力の一端に触れたならばどうなるか。

 

「うおっ!? なんだ、今の揺れ!」

「多分浸水だ、誰か見にいけ!」

 

 甲板上で異変に気づいた者たちは、実によい感覚の持ち主だと言えよう。これが通常の損傷であったならば、応急対応(ダメージコントロール)が有効だったかもしれなかった。だが船底が竜骨諸共《腐食(ラスト)》の瘴気に晒され朽ちてしまっては、もはや手遅れだ。今すぐに沈む気配こそないものの、時間の問題だろう。

 

「頃合いか」

 

 敵の様子から策が成ったと悟った侍は、徐々に退却していく。蜥蜴僧侶は自分の空けた穴から脱出する手筈になっている。己も長居は無用と、竜牙兵に背中を守らせつつ海へ。

 

「ぬうぅっ!」

 

 いかせない。船内に繋がる艙口(ハッチ)の蓋が弾け上がり、蜥蜴僧侶が飛ばされてきたのだ。

 

「お主、斬られたのか!」

 

 甲板に打ちつけられた彼の体には、真新しい切創が刻まれていた。出血量からして深手ではなさそうなのは幸いだった。

 

「たいした傷ではありませぬ。それよりも、きますぞ」

 

 即座に立ち上がった蜥蜴僧侶と隣り合い、侍は大太刀を構えた。艙口から人影が飛び出す。何がくるかなど、問うまでもなく。

 

「まったく……手間をかけさせるなよ、冒険者ども」

 

 古老だ。自身と対手と、二色の血で長衣を汚した魔術剣士が、侵入者を迎え討つべく出陣したのだ。

 

 予測はされていた事態だ。相手がまた《分身》を使うであろうことまでは。想定外なのは、こんな中途半端なタイミングで出てきたことだ。本来なら侍が甲板上で暴れて古老をおびき寄せ、入れ替わりに蜥蜴僧侶が侵入するはずだったのだ。ところが船にとどめを刺すべく破孔を広げてやろうかというときになって、敵は破壊工作の現場に現れた。船がまだ浮かんでいるのはそのせいだ。

 

「船代は高く、ぐ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 怒気も露わに武器を構えた彼は、卒然として激しく咳き込みよろめいた。血反吐を吐きながら懐から小瓶を取り出し、乱雑に栓を噛み開けると、中身の丸薬を喉に流し入れる。

 

「船長! あんまり無理は」

「黙れ! いいからさっさと逃げろ、この船はもう持たねぇ」

 

 心配する船員を制して瓶を放り出すと、侍に鉤剣を突きつけた。

 

「邪魔はしてくれるなよ」

 

 海賊たちが小舟を下ろすために散っていく。ここで余計なことをすれば、古老はその隙を見逃してはくれないだろう。それがわからぬ二人ではない。

 

「お主もゆけ。戻らねば船が危うい」

「致し方ありませぬな。どうかご武運を」

「互いにな」

 

 蜥蜴僧侶は迷わず舳先から海に身を投げた。強敵との闘争の機会に背を向けることには口惜しさもあったが、彼の軍師としての理性が本能の手綱を引いたのだ。

 

「お前にはつき合ってもらうぜ」

「望むところよ。貴様が分け身であろうとなかろうと構わぬ。幾たびでも殺すまで」

 

 船の海底行きを決定づけた元凶もその被造物たる竜牙兵も気に留めず、古老はずっと侍を見ていた。この男だけはここで仕留めなければならないと判断したのだ。それは侍とて同じこと。足もとで沈みゆく水時計にはまだいくらかの猶予がある。藻屑と果てるはどちらか、決着をつけるときだ。

 

「《アルマ(武器)……インフラマラエ(点火)……オッフェーロ(付与)》」

 

 先んじたのは古老だった。《火与(エンチャント・ファイア)》を受けて燃ゆる剣を分離させ、一歩踏み込む、その一歩が疾く深い。高速に乗った斬撃は重さと鋭さを増し、打ち合う侍は受け止めずに流して凌いだ。すれ違う形となった両者。二の太刀は振らせぬと竜牙兵が割り込むも、顎下を蹴り上げられてガラ空きとなった腰骨を切断され、沈黙した。

 

「ここならば矢は」

 

 《矢避》の内側なら弓が使える。侍の応手は跳びすさりながらの一射、まだ宙にある竜牙兵の残骸を目くらましとしたこれを、鉤剣が叩き落とした。

 

「当たらねぇさ」

 

 返礼は嘲弄と弩だ。散裂する太矢は帆柱を盾にしてやり過ごし、陰から飛び出すと同時に射返す。今度は防がず索具や帆桁を跳ね渡っていく古老には、嗾けられた矢のことごとくが届かない。

 

「なんという捷さか」

 

 勢い余ってあわや船外へ、と思われたところで船縁を蹴り急接近、斜め十字に斬り開く。侍は剣身の交点を正確に打ち据えて弾き、攻守は入れ——換わらない。船板を踏み締め低い姿勢から右の振り上げ、旋回して左また右、低く跳躍して縦回しの連撃。苛烈な猛襲のさなかにも刃の表裏を返して打ち合う点をずらす細やかな技巧を見せる古老は、押し切らんと攻め立てた。船上という不安定な足場においては、船戦(ふないくさ)に精通した海賊に分があるのは間違いない。されど大太刀の長刃は間合いを容易に詰めさせず、またその剛剣が寄せ手から体力を奪っていく。

 

「はっ!」

「やりやがるな、どうにも」

 

 太刀筋の緩んだ寸毫の間を逃さず、侍は反撃に転じた。長衣の端を裂かれながら後退した古老に追撃の刺突が迫る。顔面を捉えかけた切先はしかし、交差する鉤剣に挟み込まれわずかに逸された。

 

「だがまだ青いな」

 

 動きの止まった侍の腹へ、弩が向けられた。すでに空中で矢を番え直していたのだ。

 

「ぬ……!」

 

 刀身を寄せ戻す暇もなく、やむなく柄から手を離し大きく横っ跳んで太矢を避ける。古老は薄笑いを浮かべ、奪った武器を海へ投げ捨てた。

 

「そら、取ってみろ」

「言われずとも」

 

 間髪入れず大弓が弾け、宙を舞う刀の軌道と矢筋が重なった。船の上に跳ね返ってくる愛刀を掴み取る前に、駆けくる敵へ牽制射撃を見舞うことも忘れない。

 

「器用な真似、しやがる」

 

 自慢の得物と再会した侍。そこへ投擲された鉤剣が火の輪めいて飛来した。防御するには体勢が悪いと見て回避し、跳びかかりざまの兜割りを打ち振るう。身を引いた古老へ、続けて下段から突き込もうと両足に力を溜めた。

 

「がぁっ!?」

 

 そのとき、()()から喰らいついた炎刃が彼の右肩を抉り裂いた。尋常ならぬ魔の火炎は瞬刻のうちに傷を焼き焦がし、気が遠のくほどの酷痛をもたらす。刀を握っているのがやっとで、体幹を立て直すこともままならない。

 

「間抜けが」

 

 もし、侍がもっと冒険者として経験を積んでいたならば。剣を投げた時点で、投げても手もとに戻ってくる魔法の武器(エンチャンテッドアーム)である可能性に考えが及んだだろうか。やはり彼は古老の言うとおり、いまだ未熟だったのだ。

 

 そして熟練となる機会は今、もう一方の剣で首を狙う古老によって永遠に失われようとしていた。死神の鎌がその先端で皮を破り、肉を断ち。

 

 ——止まった。

 

「ぬ、う、おぉっ!」

「莫迦な!?」

 

 腕一本で押し返された古老は、驚愕のあまり絶句した。斬り落とすには至らずとも、確かに致命傷を与えたはず。

 

 いや。焼け爛れた傷は見るも無残、だが気道や頚動脈には達していない。死に体を晒した状態でも的確に急所を守り切る、侍の技術の為せる業であった。

 

 とはいえ好機には変わりない。追い討てば片はつくはずだ。それがどうしたことか、古老は動かない。むしろ無意識のうちに後ずさってすらいる。

 

「……あのとき、何がなんでも殺しておくべきだったか」

 

 斬られ、焼かれ、なお斃れぬ。顔色に生気なく、ただ剣気ばかりは、より一層たぎらせて。侍の凄絶極まる様が、恐れを知らぬ海賊の長の心胆を寒からしめたのだ。

 

「どうした。この首……まだ、落ちておらぬぞ」

 

 手負いの獣が低く唸る。鋼の爪牙を剥き出しに。

 

 風向きが、変わり始めていた。




◆死線逸らし◆

 致命の一撃を受けてもなお戦い続ける、武人の体術。

 回避も防御も間に合わぬ生死の鍔際において、わずかな体捌きで急所を刃から外し、最小限の手傷でやり過ごす。

 どこを斬れば殺せるのかがわかっているということは、どこを斬られなければ殺されぬかがわかっているということだ。

 それは、幾度も死線をくぐった猛者にしか得られぬ知見であろう。

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