〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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Session 3.5:暁光の章
3.5-1:不屈の男のお話/Iron Man


 

 彼は、奴隷の子としてこの世に生を受けた。

 

 誤解を招きがちだが、奴隷とは財産であり、常識を弁えた主人ならぞんざいに扱うことはない。働きさえすれば生活は保証される。読み書き計算ができるのなら会計などの要職を任されることもある。武術の心得があれば、剣奴(グラディエーター)として名声を得られる可能性もある。程度の差はあれ、少なくとも新人冒険者などに比べれば安定していると言えよう。籠の鳥として享受する安寧か、大空を羽ばたく自由か。どちらがより価値あるものと考えるかは、人それぞれだ。

 

 しかしながら、何事にも例外はつきものだ。もしも、常識を弁えない主人と巡り会ってしまったら。その場合は、自由も安寧も剥奪されることとなる。

 

 彼の母は、人身売買を目的とした人攫いの被害者だった。ごくありふれた悲劇だ。只人に比べ膂力に優れる馬人は主に労働力として需要があり、こうした被害は古来よりあとを絶たない。買い手となった豪商が只人至上主義(ヒューマニス)に傾倒しており、獣人を家畜か愛玩動物(ペット)かさもなくば害獣として扱う輩だったことも、珍しい話ではない。

 

 その商人が、彼の父親だ。

 

 身籠もった奴隷を、商人は存外に丁重に扱った。取り上げられた子を、商人はかわいがった。初めのうちは。

 

 混血(ハーフ)は、両親どちらかの形質が強く発現する。彼が只人として生まれていれば、未来は大きく変わっていたかもしれない。父は妻帯しておらず、また異種交配の受胎率の低さもあって、ほかの奴隷とのあいだに子はいなかったのだ。

 

 だが彼は馬人だった。耳が頭の上ではなく側面にあっても、尻尾が生えていなくても。彼の下肢には毛皮があり蹄があり、どうしようもなく馬人だった。どうにもならず、奴隷となった。

 

 あまり愛嬌のある顔立ちとは言えなかったせいもあるだろう。彼は長ずるにつれて、父から疎んじられるようになった。母の懇願もあって追い出されはしなかったものの、掃除に荷運びにと子供には酷な量の仕事を課された。

 

 蹄で床に傷がつくと、殴られた。なら靴が欲しいと言えば、動物にそんなものは不要だと、蹴られた。傷にならないように慎重に動いたら、仕事が遅いと、食事を抜かれた。いつしか彼は音もなく、素早く歩く術を体得していた。

 

 ほかの奴隷は彼を助けなかった。彼の目もとには奴隷たちの嫌悪感を煽るに足るくらいには、父親の面影があったのだ。

 

 彼を愛したのは母だけだった。疲れ果てた身も心も、母が癒してくれた。

 

 真冬のある日、母が酷い風邪を引いた。その頃には商人は母から興味をなくしていて、暖を取らせることさえせず、衰弱していく母を捨て置いた。

 

 だから、彼は薬を盗んだ。どこの、どの棚の、何段目に何があるかは、雑用をこなすうちにすべて把握していた。

 

 これできっと元気になってくれる。首尾よく調達した薬を飲ませようとする彼を、母は制止した。

 

"人様のものに手をつけてはいけません"

 

 母に叱られたのは、それが初めてだった。とても息苦しそうな声だった。言いつけられ、彼は薬を元の場所に戻した。

 

 次の朝、母は目を覚まさなかった。

 

 彼は泣き、泣きながら考えた。母が薬を断ったのは、盗みが発覚して我が子が罰せられるのを懸念したためだろう。母が守ってくれたおかげで、生きている。この命、粗末にはできない。

 

 彼はよりいっそう仕事に励んだ。愛想をよくして、ほかの奴隷とも積極的に交流を持った。勤勉で、どこか憎めないやつ。周囲の評価はおおむねそれで統一された。

 

 見捨てられないように、助けてもらえるように、彼は立ち回った。それでも、父の眼差しだけは冷たいままだった。

 

 だから、魔が差した。いくらかの歳月が過ぎた夜、屋敷に侵入した盗人と鉢合わせた彼は、その奇妙な頭巾を被った鼠人を見逃してやったのだ。

 

 翌日、彼は父に呼びつけられた。暗く狭い地下室には、ほかの奴隷もいた。父のお気に入りの一人だった。たまに、食べ物を分けてくれる女だった。少し、腹が大きくなっていた。

 

 昨夜、盗人を見たが、怖くて隠れていた。そのとき、盗人を手伝う者の姿を見た。そう歌って、女は彼を指差した。

 

 彼は父に激しく打擲された。何度も、何度も。生まれるべきではなかったと、罵声を浴びせられながら。そして彼は、自分の足が人を殺す武器になりうることを知った。自分の足が、ほかのどの奴隷よりも速いことも知った。

 

 彼は逃げた。逃げて、逃げて、逃げ続けて、捕まった。街の経済を支える豪商を殺害した奴隷は、言うまでもなく街の敵だった。

 

 処刑台に引き出された彼は民衆の侮蔑と憎悪と、熱狂に晒された。

 

 どうすればよかったのだろう。向けられたいくつもの顔は、何一つ教えてはくれなかった。

 

 何かを教えてくれたのは、顔を隠した誰かだった。鼠は恩を忘れないものだと、その男は言った。しわがれた声だった。

 

 煙。怒号。解かれる拘束。引かれる手。足が、自然と大地を蹴っていた。彼は、自分より足の速い者がいることを知った。

 

 彼はもう、奴隷ではなかった。

 

 

 

§

 

 

 

 王都、冒険者ギルド本部。

 

 上質の絨毯と壁の絵画が、過美にならない程度に色を添える、それなりの広さのある面接室に男女が二人。長机を挟んで片方は手もとの羊皮紙に目を落とし、もう片方は黙して待っていた。

 

「……書類に不備は見当たりません。手続きは完了です。ギルド本部は貴方を歓迎します」

「ヘヘッ、どうも」

 

 胡散臭い愛想笑いを浮かべた馬脚盗賊は、机上に差し出された真新しい()()の認識票をつまみ上げた。応対する黒髪の、男物の制服を着こなす女性職員はニコリともせず、鼻先に指を一本立てる。

 

「くれぐれも問題を起こさないように。ご自身の置かれた状況については、重々承知ですね?」

 

 三階級降格と、一年間のギルド本部管理外での活動禁止。やむにやまれぬ事情があったとはいえ、彼は意図してほかの冒険者の生命を脅かした。その大罪に対し下された処分が、これだ。甘いか厳しいかで言えば、大甘もいいところだろう。永久追放(B A N)のうえで衛視に突き出されていたとしても、おかしくはなかった。

 

 初犯であること、当事者たちの報告に食い違いがなかったこと、前述のとおり酌量の余地があったこと、相手側が特に厳罰を希望しなかったこと。それから実績ある貴重な戦力を簡単に手放すわけにも、野に放って銀等級相当の危険な破落戸(ごろつき)を生み出すわけにもいかないこと、依頼を受理したギルドにも責任の一端があること。ついでにこんな不祥事(スキャンダル)はできるだけ早急かつ穏便に鎮火させたかったこと。

 

 諸々の理由と罪垢を混ぜ合わせて、お役所の体質という名の濾材で濾し取った結果。残ったのが、この認識票だ。

 

「もちろんさ。お袋にだって誓えるぜ」

 

 それを、彼は気落ちしたふうもなく首にかけた。さもあらん。命があるだけ儲け物、おまけもつくとはなんたる幸運、文句のあろうはずもなし。

 

「結構! それでは、貴方によき冒険がありますように」

 

 腐らず前を向く姿勢をよしとして、職員は出会ってから初めてとなる笑顔を餞別に、馬脚盗賊を送り出した。冷淡に見えて、心根には温かなものを持っているらしい。

 

「おう、世話になったなハニー」

「……はい?」

「なんでもない忘れてくれ」

 

 だからといって調子に乗ってはいけない。ちょっと寒くなった気のする室内から、馬脚盗賊はそそくさと退散した。

 

 格好はつかなかったが、ともあれこれが再出発の第一歩だ。そのまま二歩、三歩と廊下を歩いていけば、喧騒が近づいてくる。

 

「おらん村の近くに、ゴブリンが巣をこさえよったんでよぉ。助けとくれ!」

「落ち着いてください。まずは依頼書の作成からです」

「なあなあ先輩、あの人の依頼受けていいかな。そろそろ鼠じゃなくてもっと怪物らしいやつと戦いたいんだ!」

「ひよっこが生意気言いやがる。だがまあ、よし。受けといてやるから、お前はこれで治癒の薬水(ヒールポーション)解毒剤(アンチドーテ)二本ずつ買ってこい」

「やった!」

 

 依頼人と職員と、種族性別年齢問わぬ多様な冒険者たちでごった返す色とりどりの野菜鉢(サラダボウル)。その人混みの合間を縫って、彼は掲示板へと歩いていく。

 

「さてと、青玉の盗賊が単独(ソロ)でやれる仕事は、と」

 

 認識票を服の上に晒したまま、わざと周囲に聞こえるように独りごちた。もちろん、勧誘を受けるための自己主張(アピール)だ。

 

 彼は元々特定の一党の専属だったわけでもなく、単独行の経験も豊富にある。等級相応の依頼を受けるのであれば宣言どおり一人でも別段問題はないのだが、いずれ高位を目指すなら、早いうちにほかの冒険者と関係を結んでおきたいところ。これが掃いて捨てるほどいる只人の戦士の男なら見向きもされないだろうが、盗賊となると話は別だ。

 

「貴公、今盗賊と言ったか! 一人ならどうだろう、貴公と俺の一党、互いが冒険の助けにならないか?」

 

 そらきた。幸先よしと気分よく、馬脚盗賊は首を巡らせて相手を確認し、そこで硬直した。

 

 羽根飾りのついた円筒兜(グレートヘルム)に、鎖帷子。鎧を覆う陣羽織(サーコート)には、誰にでもそれとわかる聖印が大きく描かれている。

 

「た、太陽……」

「いかにも。俺は見てのとおり、太陽に仕える聖騎士だ!」

 

 あの地下墓地で己を裏切り、死の淵に追いやった者たちの同属。彼が今もっとも関わりたくない存在が、そこにいた。大きな声と大きな身振り手振り(ジェスチャー)によって全身全霊で太陽を表現しているかのような、暑苦しい男だった。

 

「ちょいちょい、初対面からガンガンいきすぎだって、軽く引かれてますよ」

 

 思わず顔をしかめたのを気後れしたのだと誤解して、太陽騎士のそばについていた青年があいだに入った。冒険者とは思えぬほど生白い面相には、真顔だか半笑いだか判別しがたい曖昧な表情が湛えられている。小太りの体躯を焦茶色の長衣(ローブ)で包み、裾から覗かせているのは杖の先。見るからに魔術師だ。だが当人がのちに語るところによれば、本業は薬師のつもりなのだそうな。

 

「おっと、すまん。困らせるつもりはなかったんだ」

「あ、あぁいや、むしろ助かったぜ。この街にきたばっかりで、誰かと組む当てもなかったからな。まあ仕事の内容次第だが、とりあえず話を聞かせてくれや」

 

 再起した頭で、馬脚盗賊は思案する。聖騎士と魔術師、自分が加われば斥候壁役後衛が揃い、それも全員呪文使いだ。この時点でも悪くない編成と言える。冒険者三人寄れば、世界だって救えるものだ。最初の白金等級冒険者がそうだったように。

 

「そりゃよかった! じゃあ、残りの仲間にも紹介しよう」

 

 しかもこれで四人以上は確定した。四人なら白金等級が制定される以前の、はじまりの勇者の一党と同じだ。もし五人であれば広大な樹海も踏破できるし、六人なら死の迷宮も攻略できる。

 

「おう、頼むぜ」

 

 軽く返事をした彼を、太陽騎士たちは円卓の一つに案内した。待っていたのは二人、その片割れが緩く片手を上げる。

 

「おかえりなさぁい、太陽ちゃん。意外と早かったけどぉ……へぇ、青玉じゃあん」

 

 幻想的な美声に間伸びした抑揚を加えて喋る、金髪の女だ。丈長で頭巾(フード)つきの黒い外套(マント)で体を覆っていることからこちらも魔術師を連想するところだが、頬杖を突く前腕には無骨な籠手(ガントレット)が装着されていた。外套を腰の後ろで膨らませているものの正体も含めて考えれば、剣士という結論に達する。

 

「我々よりも一つ上、ですが三等級ごとの壁は厚いと聞きます。協力してくださるのであれば、頼もしい限りですね」

 

 もう一人はやや早口ぎみの、薄亜麻色の髪の女だった。身に纏う真紅の軍装は俗に癒し手とも呼ばれる、王国軍の戦場医療部隊に所属する治療師(メディック)の制服だ。

 

 これで全員らしい。前後二人づつ、均整の取れた四人の一党だ。五人になるかどうか、馬脚盗賊は前向きに見極めることにした。

 

「鋼鉄か」

「そですよ、っていうか最初に教えなきゃ駄目なやつだったわこれ。みんな冒険者になって一年ちょっとの鋼鉄ですけどいいですか? 大丈夫ですか?」

「構いやしねぇよ」

 

 等級差への懸念を口にした青年薬師に、些末事だとばかりに答えた。彼は以前の拠点では唯一の銀等級だったのだ。格下を先導(エスコート)するのにも慣れている。それに鋼鉄の一党となれば勇者のようなドラゴン退治は難しくとも、気張れば飛竜(ワイバーン)くらいならなんとかなろうものだ。落胆するほどのこともなし。

 

「そいつはありがたい。さあ、依頼を確認してくれ」

 

 太陽騎士の勧めた椅子に腰を下ろし、馬脚盗賊は卓上の依頼書に目を通していく。

 

「地下霊廟の喰屍鬼(グール)退治、それに指輪の奪還、ねぇ」

 

 喰屍鬼。アンデッドの性質を備えて生まれてくるという、奇怪な生物だ。外見はおおむね人型だが知能は低く顔貌は犬に似ており、手には鋭い鉤爪を生やしている。そしてなんといっても最大の特徴は、屍肉しか口にすることができず、とりわけ人間の死体を好んで喰らうという点だ。これがために喰屍鬼はしばし墓暴きを働き、また空腹であれば生者を屠殺してでも食料を得ようとするのだ。

 

 爪に麻痺毒を持っていたり人語を解するといった変種もいるが、それでも鋼鉄等級の冒険者四人が対応するに過大な敵というほどではない。特にこの、頭目と思しき男は聖騎士だ。アンデッド狩りの手管の一つや二つは心得ているはず。

 

「問題は指輪のほうでな。俺たちはまだ、迷宮と呼べるほど本格的な遺跡には潜ったことがないんだ」

「あたしも一応、斥候はできるけどぉ、宝探しは本業じゃないしぃ?」

「なるほど、それで腕利きの盗賊をご所望ってわけかい」

 

 彼らも、戦いに関して危惧しているわけではないらしい。おそらくは殴り込み(ハクスラ)特化の一党なのだろう、それならば専門の斥候を擁していないというのもよくある話では、ある。馬脚盗賊は理解しつつも、内心では首を傾げていた。

 

「だがよ、ならなんでわざわざこんな依頼を受けたんだ? 報酬は悪くねぇが、敵の数も霊廟の規模も構造もからっきし情報なしってのは、探索の練習にしては高難易度(ハード)すぎるぜ」

 

 こうなると、報酬額がかえって不安を誘う。

 

「そこはその、申し訳ない。元はといえば俺のせいなんだよね、これが」

 

 返答したのは青年薬師だった。頭巾越しに頭を掻き、いささかバツが悪そうにしている。

 

「どういうこった? 金に困っているのか」

 

 借金で首が回らなくなり、とにかく貰いのよい仕事ばかりを選ぼうとする冒険者というのも時折いる。彼もその類なのかと、馬脚盗賊は推察した。褒められたことではないが、一党揃って納得づくなら外野が文句を垂れるのも筋違いだ。それとできれば外野のままでいたい。

 

「大丈夫、この一党で素寒貧なのは俺だけだ。ウワッハッハッハ!」

「太陽ちゃん、弱ぁいくせに札遊び(カード)挑んでくるんだもん。自業自得だよねぇ」

「次は勝つ!」

 

 そんなことはどうでもよい。指摘される前に、治療師が咳払いをして話を連れ戻す。

 

「我々の主目的は報酬ではありません。デーモンの討伐です」

「なんだって? あんたら鋼鉄だろう。デーモン退治の依頼なんざ回ってくるはずがねぇ。だいたい、この依頼はデーモンとは無関係じゃあないか」

 

 余計に話が見えなくなった。混沌の具象、魔界からの侵略者たるデーモンは、ゴブリンなどの尋常の怪物とは一線を画する。駆けだしの冒険者からすれば、下級魔神(レッサーデーモン)ですら出会ってしまったら死を覚悟するほどの強敵だ。当然、ギルドもデーモンへの対処は中堅以上の実力者に任せている。

 

「そこで、彼の出番だ」

 

 今度は比喩でなく首を傾げる馬脚盗賊への回答として、太陽騎士は青年薬師の背中を叩いた。

 

「いやな予感がする。彼がそう感じた依頼を受けると、ほぼ必ずデーモンと偶発的遭遇(ランダムエンカウント)できるんだ。一種の天才というやつだな」

 

 野生の勘だとか第六感(シックスセンス)だとか、なんか首筋がムズムズチクチクするとか。そうした漠然とした感覚に従うことで命を拾う冒険者は少なくない。経験によって研ぎ澄まされていくそれを新人のうちから発揮しているというなら、確かに才能だ。活かし方を間違えている感は否めないが。

 

「デーモンとやり合うために、やばそうな依頼にあえて突っ込もうってのか」

「そうとも。俺たちは、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)なのさ!」

 

 大きく出たものだ。世を知らぬ駆けだし者の理想か夢想か暴走か。馬脚盗賊はこれを莫迦だとは思えど、莫迦にはしない。莫迦げた旗印を振りかざし、一敗地に塗れれば戯れ歌に、為し遂げれば武勲詩となる。冒険者とは、つまりまったくそれでよいのだから。

 

「太陽ちゃあん、あんまりおっきな声で言わないでくれるぅ? せめてこんな裏技みたいなことしなくてもぉ、普通にデーモン狩りの依頼を受けられる等級になってからじゃないと恥ずかしいかなーって」

 

 周りの同業者たちも弁えているのだろう、女剣士の羞恥を余所に、彼らから向けられる目は嘲弄や呆れの籠もったものではなかった。どちらかといえば、好意的な値踏みのそれだ。新人にしては評価は高いか。

 

「でもほら、このお兄さんがいれば一応うちも青玉の一党ってことになったり」

「しません」

「ですよねー」

 

 そもそもまだ参加するとは言っていない。青年薬師と治療師のやり取りに心中で割り込みつつ、馬脚盗賊も値踏みを続ける。

 

 白磁から黒曜に昇級するだけでも数年を要する者も珍しくないなかで、一年で鋼鉄までのし上がる手腕。将来有望と称して差し支えあるまい。

 

 足すことの、個人的な事情。金に困っているのは、彼のほうだ。

 

 貯えのほとんどをあの地下墓地で世話になった面々への謝礼に充てたため、懐にあるわずかばかりの路銀が全財産だ。借りた部屋を追い出されるまで、残すところ三日。金品や贅沢事に頓着しない彼とて、馬小屋で寝起きする馬人などという冗談めいた存在になるのは御免だった。

 

 依頼の危険度と報酬、それから一党の雰囲気も加味して。

 

「まあ、事情はわかった。じゃあそろそろ……打ち合わせ(プリプレイ)を始めようや」

 

 彼はまた、胡散臭い笑みをこぼすのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 人里離れた丘にひっそりと建つ、至高神の聖印を戴く古い大聖堂。すでに日は傾き、昼間は鮮やかな色硝子(ステンドグラス)の窓も、今は色調を落としている。梁を渡された天井に据えられた荘厳な吊灯(シャンデリア)が陽光の代わりに、天秤剣を携えた女神像と、長身の女の姿を照らし出していた。

 

「こんな辺鄙なところにお越しくださって、ありがとうございます」

「気にする必要はない。これも冒険者の、何より聖騎士の責だ」

 

 丁寧に一礼する依頼人を手で制し、ドンと胸の太陽を叩く頭目以下冒険者五名は、思い思いの動作で挨拶を返した。

 

「さて早速、詳しい話を聞かせてもらってもよいか」

「わかりました。二日前のことです。この聖堂に、喰屍鬼の群れがやってきました。霊廟に保存されている不朽体……聖人たちの遺体が狙いだったのだと思います」

 

 依頼人はうつむき加減に、搾り出すように言葉を継いでいく。

 

「代々墓守りを務めている夫が、私を守るために囮になって、地下に下りたまま……っ」

「ご無理はなさらず」

 

 すかさず身を寄せた治療師が、白手袋を嵌めた掌で依頼人の手をそっと包み込んだ。冷えきった指先よりもなお冷たい、小さな赤い石をあしらった指輪が、孤独な光を放っていた。

 

「ごめんなさい、大丈夫、です。……夫は、きっともう、戻らないでしょう。だから、せめて、指輪だけでも、と」

 

 依頼は、夫の救出ではない。これについて、冒険者たちは何も言わなかった。二日は、長い。曖昧な希望に寄りかかり続けるのが、困難になる程度には。

 

「それとおんなじ感じのやつですかね?」

 

 不意に訪れた沈黙を破る青年薬師の気さくな口調は、きっとこの場においては救いだった。

 

「そうです。夫のものには、緑の石がついています」

「んでもさぁ、中どうなってるかわっかんないんでしょー?」

「はい。地下の構造については一族の掟で、霊廟の地図を作ることは禁じられていて、先代が次代を案内することでのみ伝えられているのです」

 

 続けて問うた女剣士は、合点がいったと頷いた。

 

 墳墓の類が迷宮の体をなしている例はいくらでもある。盗掘者や怪物の侵入を防ぐと共に、なんらかの要因によって死体がアンデッドと化して目覚めてしまった場合に、外に出てこられないようにするためだ。内部の地形情報が秘匿されているのも当然であり、今回はそれが悪く働いた形だ。

 

「ただ、私たちの指輪は対になった魔法の指輪で、指に嵌めてもう片方のことを考えるとお互いの石が光るようになっています。暗いところでなら、目印になるかもしれません」

 

 依頼人は指輪を一撫でしてから外し、冒険者たちに差し出した。

 

「お預けします。お役に立てば、いいのですが」

「役立てるとも。これを嵌めて——」

「待て」

 

 受け取った太陽騎士が指輪に指をくぐらせようとしたところで、馬脚盗賊が鋭い声を上げた。訝しげな目を向けられ、取り繕うように薄ら笑う。

 

「あー、そいつは、俺がつけたほうがいいだろう。探索、捜索のために俺を一党に引き入れたんじゃあないのかよ」

「む、それもそうか」

 

 渡された指輪をつまみ、彼は明かりにかざして目を眇めた。

 

「魔法の指輪か。光るほかに、何か効果はあるのかい?」

「いいえ。そんな、たいした品ではありませんから。あまり皆さんのお仕事の助けになるようなものではなくて、ごめんなさい」

「いや十分さ、確認しただけだから気にしないでくれ」

 

 黒革の手袋に包まれた、左手の中指を通すと、指輪は自ずから径を広くしてこれを迎えた。魔法の指輪とはこういうものだ。間もなく彼の脳裏に目標である片割れの影が映し出され、そこに意識を集中させると、指輪の石が淡く輝き始めた。

 

「よし、ではそろそろ——」

「や、その前にちょっといいですかね」

 

 準備は整ったと見て出発を告げようとした頭目を、今度は青年薬師が遮った。長衣の懐から小瓶を取り出し、収められた丸薬を仲間に示す。

 

「喰屍鬼の中には爪に毒があったりするやつもいるって怪物事典(モンスターマニュアル)に書いてあったから、抗毒剤(レジストドーテ)なんて作ってみましたよっと」

 

 ある種の苔がつける実には、さまざまな毒への免疫を高める作用がある。そこにさらに複数の薬草を加えて調合したものが、この抗毒剤だ。

 

「気ぃ利くじゃあん、相変わらずお役立ちぃ」

「やー戦いとかだとまだ、あんまできることないからねぇ俺。ほかのことで地味に頑張ってかなきゃならんわけですよ」

「ご謙遜を。予防に勝る治療はありません。いつもありがとうございます」

 

 菓子を前にした子供のようにひょいぱくと口に運んだ女剣士を皮切りに、一党全員が礼を述べて丸薬を嚥下した。本人は面映がって自虐ぎみに苦笑しているが、有用な薬品類の有無が生死を左右することもある。ギルドに認可されたそれらはどれも手間賃込みで高額だ。自前で用意できれば会計の気苦労も減り、物資(リソース)の充実にも繋がる。彼の貢献が決して地味なものではないことを仲間たちはもちろん、馬脚盗賊もよく理解していた。

 

「んじゃあ改めてぇ、張り切っていってみよっかぁー」

「貴公……」

 

 頃合いを見計らって、女剣士が気の抜けた号令を発した。仕事を盗られた頭目はしょんぼりだ。

 

「では、霊廟の入口を開きます」

 

 小さく頷いた依頼人は一党を女神像の前までいざなうと、脇に立つ柱の装飾を押し込んだ。すると像が震えだし、地鳴りめいた音を伴って祭壇ごと奥へと引き込まれていく。その下に隠されていたのはほかならぬ、地下への階段だった。仕掛けが動作を停止すると内部の燭台に独りでに火が点っていき、それでもなお払い切れぬ暗がりが、冒険者たちを手招いていた。

 

「この先です。皆さん、どうかご無事で」

 

 もう一度、深々と腰を折る依頼人に見送られつつ、一党は闇に身を沈めていく。

 

「心配無用だ。太陽は沈むたびに昇るものだからな!」

 

 振り返る代わりに軽く拳を掲げ、意志を示す太陽騎士。彼を追い越して馬脚盗賊が先頭を歩み、後方では治療師と青年薬師が隣合い、殿(しんがり)を守るのは女剣士だ。隊列を組んで進む五人、足音は四つ。並ぶ灯火に導かれ、石造りの床へ壁へと踊り回る影法師は数多。

 

 長い階段を下っていくと、やがて通路へと差しかかり、地上からの光はもう届かなくなっていた。煌めく指輪がよく目立つ。これだけ離れれば依頼人に聞かれることもあるまいと、馬脚盗賊が口を開いた。

 

「そうだ、一つ忠告するが、得体の知れない指輪を考えなしにつけようとするもんじゃあないぜ。呪いの指輪だったら洒落にならねぇ」

 

 たとえば、人を斬らずにはいられなくなる魔剣。たとえば、自動的かつ無差別に呪文を放ち、持ち主すら巻き込む兜。破棄しようとしてみても、愛しい人への想いにも似た執着心に支配され、気づけばまた手もとに戻ってきてしまう。

 

 冒険を繰り返していればこうした呪われた装備の一つや二つ、出くわす機会はある。苦難の果てに見つけた宝箱に収められていた戦利品を、いかにも強そうだからとその場で身につけてみれば、頭の中にこだまする不快な異音。なんとしたことか、呪われてしまった! ……鑑定の手間と費用を惜しんだ浅慮な冒険者の通過儀礼だ。

 

「依頼人が嵌めていた指輪だぞ。だいたい、仮に呪いの指輪だったとして、俺たちに渡す理由があるか?」

「つけるだけじゃあ発動しない、何か別の条件がある呪いかもしれんだろう。理由は"呪いを解く手段を教えてほしけりゃ言うことを聞け"とかな」

 

 そして拾い物に対しては用心深くとも、借り物貰い物となると気が緩むものだ。依頼を受けたのが間違いだった、などという災難に見舞われでもしない限り、たいていの冒険者は依頼人を疑うという発想にすら至らない。

 

「度しがたい。そんな卑劣な真似をする輩がいるのか」

「似たような経験ならあるぜ」

 

 馬脚盗賊は災難に見舞われたこともあれば、見舞ったこともある。後者に関して彼が述懐することは、金輪際ないだろう。

 

「でも、わりとあっさり指輪嵌めちゃってるわけですが?」

「おう、そいつはな」

 

 痛恨の過去については口をつぐまざるをえないが、青年薬師の疑問はどうやら解消できそうだ。

 

「《看破(センスライ)》。裏取りは礼儀作法(エチケット)の一環さ。ちとクルード……雑なやり口だがな」

 

 呪いの有無を確かめる手っ取り早い解決法としては《鑑定(ジャッジ)》の奇跡があるものの、これは至高神だけの御業だ。馬脚盗賊には縁がない。されど彼の信ずる奪掠神は、彼に虚言を見抜く力を与えたもうた。罠の解除は盗賊の役目なれば、人語のうちに仕掛けられた罠に備えるのも当然のことだ。

 

「ふぅーん……」

「なんだよ」

 

 若干得意げな馬脚盗賊へ、女剣士の視線がまとわりつく。

 

「いんやぁ? ほんとに聖職者だったんだぁ、って思ってねぇ」

「おい、疑っていやがったのかよ」

「だってぇ、聖職者嫌ってそぉうな顔してるんだもん」

「……どんな顔だ」

 

 即答も否定もしかねた。別段、聖職者を目の敵にしているわけではない。ただ——

 

「俺は、神を言い訳に利用するやつが大嫌いなだけだ」

 

 吐き捨てざま、彼は聖職者嫌いの顔相とやらを背けた。穏やかならざる胸中は、霊廟の暗闇に隠しておく。

 

「あぁ、いるよねぇ、勘違いしちゃった神官サマ。ああいうのはあたしも嫌ぁい」

「同感だな。神は信徒の行いを正当化しない。信徒が神の正義を証明するんだ。弁えない輩は許せん」

 

 そんな馬脚盗賊の言葉に共鳴する部分があったのか、女剣士と太陽騎士の語調はどこか、実感を伴う響きを孕んでいた。

 

「正義、ねぇ。正義と言やぁ、俺は混沌の神に仕える身、あんたから見たら邪教徒だぜ。そこのところはいいのかい、聖騎士さんよ」

 

 険しい雰囲気を霧消させた馬脚盗賊は、冗談めかして歯を剥き、悪人面をしてみせた。似合いすぎて冗談にならない。

 

「何、どうせ俺も、神殿から追い出されたはみ出し者だ!」

「なんだ破戒僧かよ、正義はどこにいったんだよ」

「頭の上に。神殿の中じゃない。太陽は空にある」

 

 しれっと明かされた太陽騎士の過去もまた、冗談にならない。しかし本人は些事だと言わんばかり。

 

「太陽はでっかく熱く、偉大で寛大だ。従うべき教義はたった三つ。人々を照らし、ときには厳しく燃え、悪疫を滅ぼし、夜にはきちんと休む」

「つまり四つですね」

「そのとおり! ウワッハッハッハッハッハ!」

 

 治療師の冷静な訂正にもこの反応。細かいことを気にしない性分は、まさしく太陽的と形容するにふさわしい。豪快な笑い声は大きく響き、前方に開けた空間があると教えていた。

 

「……こいつは、確かに迷宮だな」

 

 闇の中に、いくつもの火が浮かんでいる。燭台はやはり頼りなく、只人たちは目を凝らす。ただ馬脚盗賊だけが、母親から受け継いだ暗視能力をもって全容を見通していた。

 

 立ち並ぶ柱と幾本もの石橋とが絡み合うかのごとく交差しながら層を作り、竪穴の底へと続いている。空中回廊、といったところか。橋の幅には余裕があり、隊列を保ったままでも渡れる程度だ。ただし親切に柵など設けられていたりはしないため、見てくれは実に心臓に悪い。

 

「落っこちるなよ、あんたたち」

「ああ。全員、仲間の手が届く範囲にいてくれ」

「みんなで手ぇ繋いでこっかぁ? んふふふっ」

「それみんな一緒に落ちるやつじゃないですかやだー」

「手足の骨折までなら回復の見込みはあります。落下地点に気をつけましょう」

「落ちるなっつってんだろうが」

 

 石を投げて高さを推し測るまでもなく、底まで転落すれば命も落とす。橋から橋へ飛び降りていったほうが早そうだとしても、馬脚盗賊であれば実行可能だとしても、一党の安全のためには慎重を期して攻略すべきだ。

 

「む、分かれ道か。貴公、頼めるか」

「ちょっと待ちな」

 

 最初の橋を半ばまで進んだ辺りで、左右への分岐に行き当たった。盗賊の仕事の始まりだ。足もとに手を這わせ、視線を巡らせる。

 

「左だ。何度も往復した跡がある」

 

 歴代の墓守たちが残した轍が、目的地への道標だ。轍といっても素人目には識別しがたい、かすかな擦り減りにすぎない。先人の足跡を辿れるのは訓練された盗賊か、鉱人くらいなものだ。

 

「この先に、遺体が安置されているということですか」

「で、お腹を空かせた喰屍鬼たちもそこにぃ……まだいるかなぁ?」

「食い尽くしてなけりゃあな」

 

 橋を渡り切り、次の通路へと進行していく。静寂を乱すのは冒険者たちの話声ばかり、怪物の気配はいまだ皆無だ。

 

「ところで一個気になってたんだけども。遺跡に眠ってる聖人様の死体って、もう骨か木乃伊(ミイラ)になってるんじゃ? 喰屍鬼ってそんなのも食べるんです?」

 

 会話に引っかかりを覚え、青年薬師が疑問を差し込んだ。喰屍鬼の食性など、図鑑にも詳しくは記載されていなかったのだ。

 

「そうか、貴公が知らないのも無理はない。依頼人が言っていた不朽体というのは、聖人の功績を称え記憶するために、特殊な術をかけて朽ちないようにされた遺体のことなんだ」

 

 回答は、聖職者たちからもたらされた。

 

「神様の御加護すごいですね」

「いや、死霊術だぜ?」

「え、死霊術? 死人占い師? 死人占い師なんで?」

「善き死人占い師ってやつは、死者を供養するのが務めだからな。寺院に雇われていることも珍しくねぇ。俺たち冒険者が会うのはほとんど、ろくでなしのほうだがな」

 

 実際、目立つのは邪悪な死人占い師だ。おかげで昏い風評がはびこっており、真っ当な死人占い師からすれば、はた迷惑極まりない。彼らの実態を正しく理解しているのがアンデッドを不倶戴天の敵とする聖職者だというのは、必然と言うべきか皮肉と言うべきか。

 

「戦場医療の現場でも、死人占い師は活躍していますよ。遺体を扱ううえで彼らが培った防疫の知識と術は、衛生管理に役立ちます。それに、我々治療師は生者を救うことはできても、死者を救うことはできませんから」

 

 理解者がもう一人。戦場は死体にあふれ、ゆえに傷病と怨嗟が降り積もる。双方に対処できる死人占い師の重要性を、元軍属である彼女が知らぬはずもない。

 

「物語の中だといっつも悪役だけど、いい人もいるんだねぇ。やー勉強になります」

 

 一党のうちでは最年少となる若き薬師は、素直に謙虚に知識を吸収していく。変わらずどこか呑気な態度のまま、しかし続く声音はわずかに低く落ち込んだ。

 

「でも、そうやって世間からあんまり知られてないところで頑張った結果が喰屍鬼の餌なんて。なんか、やだね」

「ああ、霊廟を守ってきた墓守たちも、このままでは報われないだろう」

 

 首肯する太陽騎士も、兜の下で表情を引き締めた。見据える先では通路が途絶え、古びた扉が待ち受けていた。

 

「太陽ちゃん、気合い十分じゃあん。その勢いで突っ込んじゃう? 迷宮の扉は頭目が蹴破るのがぁ、冒険者の習いだって聞いたけどぉ?」

「怪物の巣と化しているならそうするが、ここは違うし、巣にさせるつもりもないからな。死者の眠りを妨げないように、粛々といこうか」

「鍵はかかっちゃいねぇ。いつでもいいぜ」

 

 手早く検分を終えた馬脚盗賊と入れ替わり、太陽騎士がゆっくりと扉を押し開いた。霊廟に反響する軋めきに、すぐさま異音が混ざる。

 

「GULLLL……」

「GLUUU!」

 

 暗がりにうごめく不気味な人影が複数。無論、人型の影であって人にあらず。理性の対極に位置するただれた眼光が一斉に、玄室に踏み入った冒険者たちへと向けられた。

 

「いくぞぉ!」

「粛々とは」

 

 青年薬師の呟きは吹かれて消えた。長剣の鞘を払い、聖印が輝く中型の円盾を構え、太陽騎士が先陣を切る。後方では、女剣士が外套を跳ね広げていた。

 

「ひゃっほうっ! せぇーんとぉう開始ぃ!」

 

 下着鎧(ビキニアーマー)一歩手前の鱗状鎧(スケイルアーマー)によって申し訳程度に装甲された、絞り込まれた肢体が露わになる。きめ細かな肌の下で筋肉をたわめ、左手を床に突き這うような姿勢を取る様は、獲物を狙う猫さながら。

 

「スッといって」

 

 編み籠状の護拳(ナックルガード)を備えた小剣を抜き放つのと、敵陣へと飛びかかるのは同時だった。太陽騎士を置き去りにして、まずは一撃。

 

「ドスッ、と」

 

 肋の隙間を突き通し、心臓を抉る。極端な軽装に小剣という組み合わせは剣奴の装備に似るが、そのくせ彼女の剣術は興行(ショー)のためのものというより、効率と確実性に重点を置く暗殺者(アサシン)の技だった。

 

「GLULLUU!」

「うわ、しぶとぉい!」

 

 されど一撃は必殺に届かず。肉体の構造が人とさして変わらずとも、秘められた生命力は大きく上回る。アンデッドの恐ろしさとは、すなわちこれだ。

 

「GLLU——」

「ふんっ!」

 

 女剣士が反撃の爪から逃れると、合わせて踏み込んだ太陽騎士が盾をブチかました。

 

「とう! はぁあ!」

 

 怯んだ隙に唸る長剣が膝を破壊し、次いで顔面を薙ぐ。大きく裂けた顎門をさらに裂かれ、ようやっと最初の一体が斃れた。

 

「GULGUU!」

「はぁい、残念!」

 

 背後を狙う小賢しい輩は、女剣士がこれを阻む。側面から急襲すると共に肺腑へと剣を突き立てそのまま床に組み敷き、なおも暴れる相手の後頭を護拳で二度三度と殴打して黙らせた。

 

「とどめを焦るな、まず足を奪え!」

「りょーかーい」

 

 後続が追いつくのを確認し、二人はさらに前進した。玄室の奥に見える階段から続々と下りてくる敵勢を、互いを庇いながら削ぎ落としていく。およそ下位冒険者とは思えぬ見事な連携だった。

 

「やるもんだ」

 

 それを平然と見守っていた馬脚盗賊がおもむろに、背負う異形の大刀(グレイブ)を掴んだ。踵を返した彼を思わず目で追った後衛たちは、自らが危うい状況に陥りつつあったことを知る。

 

「GLULULU」

「GULGGG」

「ちょっ、後ろからもきたー!?」

 

 退路を失うのを厭い、扉を閉めておかなかったのが裏目に出たか。青年薬師が慌てて杖を上げるのを、馬脚盗賊が制する。

 

「あんたは前を気にしてな」

 

 重く分厚い双刃(ツインブレード)が、馬人の腕力によって軽やかに円弧を描いた。

 

「そらよ!」

 

 突き出す腕を、踏み込む足を、ガラ空きの脇腹を。迫る二体の敵のあいだをすり抜けざま、瞬目のうちに斬り刻む。回転の勢いをとめずに振り上げれば、控えていたもう一体の左足が鼠蹊部から飛び失せた。

 

「すっげぇ」

「前を見ていろって、の!」

 

 這いつくばりながらも牙を剥く犬面を蹄が踏み砕き、双刃は逆回しに先の二体を薙ぐ。首三つを手土産に、馬脚盗賊は青年薬師たちのもとへ戻った。その間にも増援を視認、息つく暇もない。

 

「ごめぇん、一匹そっちいった!」

 

 前も前で大忙しだ。運よく剣尖を掻いくぐることのできた敵が、後衛に狙いを定めたのだ。前衛は持ち場を離れられず、殿(しんがり)はちょうど通路側へ切り込んだばかり。いよいよ杖が火を吹くときか。

 

「問題ありません」

 

 閃光、轟音。脳幹を蹂躙され、怪物は手足をもつれさせながら糸玉のように転がった。標的に向けられていた杖の先から、煙が漏れている。鉄と木でできた短杖()()()それは、治療師の左手に握られていた。

 

「たった今、処置は完了しました」

 

 彼女の武器は、騎筒(カービン)の銃身を短縮し、台尻を取り払った短騎筒(コンパクトカービン)とでも呼ぶべき鉄砲だった。短筒とは異なり暗器として隠し持つには大型すぎるため、冒険者にも携行が許可されている火器の一つだ。費用対効果に難があるせいで好んで用いる者は少数派だが、瞬発的な阻害能力(ストッピングパワー)は侮りがたい。

 

「お手数おかけしまっす」

「いいえ」

 

 再装填する治療師に頭を下げ、青年薬師は改めて杖を構え直した。

 

 火蓋を開き鹿角製の容器から火皿に口薬(くちぐすり)を適量注いで火蓋を閉じ油紙の小筒を噛み切り中の弾薬(たまぐすり)と弾丸を銃口に流し入れ込め矢(カルカ)で奥へ押し固め撃鉄を起こす。

 

 弾込めというのはこのとおり手順の多い作業であるからして、戦闘中ともなると味方の掩護なくしては、おいそれとは行えないのだ。

 

「これ以上は通さん!」

 

 後方の心配はひとまず霧散したと見て、太陽騎士は眼前に意識を集中させる。盾を掲げて前線を堅守、せず。あろうことか、擲った。

 

「GU!」

「GLUU!」

 

 居並ぶ敵の足もとを、回転円盤が刈り払う。転倒したところをすかさず追い討つ女剣士が、呆れ混じりに笑った。

 

「んもう、太陽ちゃんったら。壁役(タンク)が盾を捨てちゃ駄目でしょー」

「攻撃は最大の防御とも言うぞ!」

 

 太陽騎士も彼女の背を守りつつ前進し、両手使いで剣を振り下ろした。殺し切るには至らぬままに、返す刃で別の獲物の足首を捉えて跪かせ、無防備となった延髄を断ち斬る。そこへ立ち上がった死に損ないが一矢報いんと目論むも、女剣士の拾い上げた円盾に防がれた。

 

「これでぇ、おっ終い!」

「だぁッ!」

 

 裏拳の要領で叩き込まれた盾と長剣に挟まれ、頭部のひしゃげた屍が崩れ落ちた。それを最後に静寂が訪れる。宣言どおり、打ち止めだ。

 

「手番が回ってこなかったなぁ」

「余力を残せたことを喜びましょう。皆様、お怪我はありませんか?」

 

 数秒待ち、警戒を緩めた青年薬師は未練がましく杖をもてあそんだ。治療師は対照的に、さっさと短騎筒を銃鞘(ホルスター)に収める。彼女にとっては戦闘後こそが本当の戦いだ。

 

「どーお? 綺麗?」

「ああ、掠り傷一つない」

 

 薄らと汗ばむ体を煽情的によじる女剣士に、粗布で剣の血脂を拭う太陽騎士は(たぶん)真顔で答えた。この手のからかいが通用しない程度に、彼は聖騎士をやっていた。なぜか若干強めに突き出された盾にほんのわずか面食らいつつ、こちらも磨いていく。

 

「残念だが、今はあんたの仕事はなさそうだぜ」

 

 敵方の仕掛けた挟撃策をただの戦力の分断という失策に貶めてみせた馬脚盗賊は、大刀に血振るいをくれて背に戻した。前衛が相手取っていたのと同数を単独で撃破しておきながら、疲労の欠片も見せない。せいぜい準備運動を済ませた辺り、といった風情だ。

 

「何よりです。では全員、水を飲んで一息入れましょう」

 

 こうして、初戦は冒険者たちの完勝にて決着した。とはいえ霊廟の闇は深く、底は知れず。長期戦に備え、しばし憩いのときだ。

 

「随分と調子よさそうだねぇ」

 

 そのはずが、玄室に響く空虚な拍手が再度、彼らに戦闘体勢を強いることとなった。

 

「騙されたとも知らずに……」

 

 いつからそこにいたのか。どこからそこに現れたのか。階段上から、黒い長衣の男が一党を見下ろしていた。声は高く、おそらくはまだ若い。尖り、ねじくれた禍々しい杖を腕にかけ、口もとをいやらしく歪めている。

 

「なんの話だ」

 

 正体不明、意図不明。想定、敵対者。警戒心も露わに、太陽騎士は再び剣を抜いた。

 

「君たちに仕事を依頼したのはこの僕さ。そうとも知らずに、おめでたい人たちだよ」

 

 なんであれ、莫迦にしているらしいことは明白だ。よって、こうなる。

 

「よくわかんないけどぉ……とりあえず、お話の続きは一発ブン殴ってからってことでいいよねぇ?」

 

 女剣士が小剣の切先を揺らし、重心を落とした。床を踏み締め襲いかかる、寸前。黒衣の男の手の中で杖が跳ね、石突が足もとを打ち鳴らした。呼応するのは横たわる骸の一つ、体温なき肉体がその内で火を灯し、膨れ。

 

「退がれ!」

 

 爆発した。

 

「太陽ちゃん!?」

「ぬ、う……大丈夫だ」

 

 間一髪、立ちはだかった太陽騎士と彼の盾が、爆風を遮った。が、状況は何も好転しない。

 

「驚いたかい? それは僕の最近の作品、喰屍鬼型の爆屍者(ゾンビボム)さ。ただ死体の生む瘴気を利用して破裂させるだけの術とはわけが違う。より破壊力があって、僕の指示でいつでも爆発させることができて、しかも喰屍鬼の能力を完璧に再現してあるんだ」

 

 一党は理解した。罠に嵌められたのだと。散乱する骸のすべてが爆発物、包囲網を構築したこの男は。

 

「死人占い師……!」

 

 青年薬師の構え直した杖の先が、動揺していた。今、自分に何ができる。何が。何も。

 

「あの女性も、貴方が?」

 

 傍らで短騎筒の照準を合わせる治療師は平静を保ってはいたが、それゆえに引鉄は重い。鉄砲は強力とて一発では即死するとも限らず、たとえ致命傷を与えたとしても反撃を許せば、こちらが吹き飛ばされることとなろう。先ほどのような近距離、必殺の間合いでもない。己の命だけならまだしも、仲間の命まで賭け金にして勝負するわけにはいかないのだ。

 

「ああ、そうだとも! 美しかったろう、僕の最高傑作だよ。姿だけじゃない。人並みの知能を持たせつつ、記憶を操作して完璧に制御してるんだ」

 

 自慢げに、子供じみた興奮に舌を踊らせて、死人占い師は滔々と語る。

 

「もっとも、まだ未完成だけどねぇ。君たちに協力してもらったのも実験の一環さ。思考力、発話能力……うん、満足のいく結果だったよ。爆屍者の戦いのほうはついでだったけど、まあ面白い見せ物にはなったかな」

「どこから眺めていやがった」

 

 問われ、示した左手には、緑の石の指輪が光っていた。

 

視聴覚伝達(テレイグジスタンス)つがい指輪(ペアリング)。便利なものさ」

「チッ……!」

 

 忌々しい。馬脚盗賊は乱雑に、自身の手から指輪を抜き取った。湧き上がる怒りは己に向けて。

 

 失態だった。《看破》は嘘()()判別できない。記憶を操られた人形が、虚構を虚構と知らずに説いたのならば、それは誤りであって嘘ではないのだ。話術によって回答をはぐらかされることのみを警戒していただけに、このような抜け穴は彼の想定の埒外だった。

 

「おっと、言い忘れてたけど、もう一つ目的があるんだ」

 

 死人占い師が、大仰に両腕を広げる。すると、階段を騎士の一団が下ってきた。鎧に刻まれた聖印から、至高神に仕える聖騎士だとわかる。昏い瞳で生者を睨む彼らは、霊廟に眠っていたはずの聖人たちだ。だがその手に携えているのは生前振るった十字剣ではなく、大振りの牛刀と鋸と(のみ)を組み合わせた異様な解体処刑器具、鋸剣(ジョギリ)だった。

 

「BRRRAINN……」

「君たちも彼らと同じように、僕の作品に生まれ変わってもらうよ。無駄に嫌がったりしないで、武器を捨てて捕まってくれ。せっかくの素材を木端微塵にしたくないんだ」

 

 取り囲む亡者騎士(スリラーナイト)たちと爆屍者を前に、この場における逆転の一手にはついぞ思い至らず。一党は言われたとおりに投降するほかなかった。

 

「夜が更ければ死の気配が強くなる。そうしたら、施術を始めよう。人間として過ごす最後の数時間を、せいぜい大事にするといい」

「……クソッ、クソッ、クソッ、クソッ!」

 

 そんななか、馬脚盗賊だけは大刀を背にしたままでいた。

 

「おい太陽野郎、てめぇのせいだぞ! よくも巻き込んでくれやがったな!」

「う……」

 

 詰め寄る彼の怒声に、太陽騎士は思わずたじろぐ。

 

「ちょおっと聞き捨てならないかなぁ、それは。冒険者は自己責任、わかってるはずっしょ先輩さん?」

「うるせぇ、引っ込んでいろ売女が!」

「はい、やめやめ! 仲間割れしてる場合じゃないって!」

「ええ、どうか冷静に」

 

 口調はそのままに低い声で凄む女剣士に矛先を変えた馬脚盗賊、止めに入る治療師と青年薬師。死人占い師は完全に蚊帳の外に置かれていた。

 

「ちょ、ちょっとやめないか君たち! 勝手に怪我でもされたら僕が苦労するんだぞ!」

 

 やむなく亡者騎士に命じて、この粗野極まる馬人を取り押さえにかかる。鉄靴(サバトン)の足音が近づき、古めかしい籠手に包まれた腕が伸ばされ。

 

「っと!」

 

 その兜を、身を翻した馬脚盗賊が踏み台にした。跳躍して目指すのは敵首魁の陣取る階段、ではなく。

 

「あばよ!」

 

 開け放たれたままの、玄室の入口だ。

 

「待て、この……!」

 

 不用意に配下を動かしたことで、囲いに隙間が生じていた。このままでは間に合わないと踏んだ死人占い師は杖を突き、進路上の死体を起爆させる。

 

「うおっ!?」

 

 直撃こそ免れたものの着地の間際で爆圧に煽られ、加えて飛散した爪に頬を浅く裂かれてしまい姿勢を乱す。そこへ、鋸剣が繰り出された。

 

「NRAAA!」

「ぐっ、邪魔、するんじゃあねぇ!」

 

 左腕に食い込む刃の感触と痛みをこらえ、亡者騎士を蹴飛ばして駆けだす。追い立てる気配に振り返らず。誰の叫び声も聞き入れず。

 

 馬脚盗賊は、逃走した。




◆スキアヴォーナ◆

 籠状の護拳を特徴とする、上質の小剣。その名は"言葉持つ者"を意味するとされる。

 やや幅広の剣身は斬撃刺突両方に適し、また護拳の隙間を利用して対手の剣を絡め取ったり、そのまま殴りつけることもできる。装飾性の強い外観に似合わぬ、極めて実戦的な武器である。

 小剣は初心者向きの武器と侮られることも多いが、あえて愛用する冒険者もいる。短いからこそできる戦い方もあるものだ。







◆シャーリーン◆

 女性名を冠された、優美な短騎筒。

 短筒に比べ銃身が長く、また工作精度も高いことから、精密射撃に向く。反面大型ゆえに重量がかさみ、片手で扱おうとすれば技量だけでなく相応の筋力も要する。

 意匠にも凝った逸品であり、元は貴族による娯楽狩猟のために製作された道具だったのだろう。

 獣は戯れに狩りをしない。人間性の行き着くところは、ときとして獣性よりもよほど狂気に塗れている。

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