〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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3.5-2:不屈の男のお話の続き/The Man with the Golden Sun

 

 彼の命を救った老いた鼠人は、義賊を自称する仕掛人だった。

 

 私腹を肥やし享楽に耽溺するばかりの富豪から財貨を盗み、持たざる者たちへと分け与える。夢物語の英雄めいた人物が、彼の目の前にいたのだ。

 

 弟子にしてほしい。彼は礼を言うことすら忘れて頼み込んだ。考えるそぶりすらなく、断られた。その蹄では無理だ。せっかく逃げおおせたのに、自分から処刑台に引き返すような真似をするものではない。面倒を見てくれる当てはあるから、そちらの世話になれ、と。

 

 彼は物音一つ立てず、足跡一つ残さず辺りを歩き回ってみせた。弟子にしてくれないのなら、勝手についていくだけだと食い下がった。

 

 無理だと言われた。まずは静かに歩くだけでなく、静かに走れるようにならなければ話にならない、と。

 

 その日から、彼は自分とさして変わらない大きさの師の背中を追い、多くを学んでいった。より速く行動するコツ。他者の死角を取る身のこなし。罠の見つけ方と外し方。裏社会(ストリート)での礼儀作法(エチケット)。盗賊の神たる奪掠神への祈りの言葉。読み書き計算。

 

 ただ教わるばかりではない。成長していく肉体は師よりも重く、筋力があった。ゆえに師のようには動けず、また師とは異なる動きができた。只人に近い外見を活かし、自身を只人に見せかけるための歩法を編み出したりもした。

 

 盗賊としての才能には恵まれなかった。だが彼は諦めが悪かった。できるまで、やる。できたら、もっとうまくできるまで、やり続ける。わずかな改善点も妥協せず、納得いくまで突き詰めた。

 

 成人する頃には、彼は師よりも速く駆けられるまでになり、師の助手を任されていた。侵入脱出の経路を彼が確保し、師が獲物を盗み出す。二人組の義賊は、盗賊たちの隠し街において一目置かれる存在だった。

 

 いずれは、助手から相棒へ。その願いは、しかし叶わなかった。

 

 いつものように戦利品を分配しに向かった師が、いつまで経っても戻らない。事前の取り決めに従って非常用の隠れ家(セーフハウス)へ急行した彼が目の当たりにしたのは、師の亡骸と、今際の際にしたためたと思しき遺書だった。

 

 遺書の内容は、まだ表の世間には名の知られていない彼には討手はかかっていないと告げる文に始まり。その先は、悔悟と謝罪が綴られていた。

 

"人のものを盗んではいけない"

 

 どんな大義名分を掲げようとも、結局のところ盗みとは罪だ。自分はただ、ほかに能がなかっただけのケチな盗人にすぎない。にもかかわらず義賊を騙り、幾人もの追随者を生み出し、飽きたらず弟子まで取った。人の生き方を、歪めてしまった。出会ってしまって、すまなかった。

 

 お前は、まだ間に合う。伝えた技術のすべてを忘れて、真っ当な人生を歩んでほしい。それが、師の遺言だった。

 

 彼は物言わぬ師に縋りつき、泣き喚いた。涙が涸れると遺体を埋葬し、隠れ家をあとにした。遺書に記されていなかったことを知るために。

 

 彼らの盗みの恩恵を預かる対象の一つに、とある寺院があった。知識神を祀るこの寺院は、貧しい家の子供や浮浪者を受け入れて無償で衣食住と教育を提供すると共に、働き口の斡旋も行なっていた。

 

 この寺院の司祭が、裏切り者だった。

 

 持たざる者の味方は、持てる者の敵だった。師は、権力者の恨みを買いすぎた。賞金首となっていた師を、司祭は継続的な支援契約と引き換えにして売り飛ばしたのだ。衛視の待ち伏せに遭った師は逃走するも深傷を負い、隠れ家で命脈尽きた。これが、事の顛末だった。

 

 調べをつけた彼は、真夜中の寺院に忍び込んだ。血に塗れた師の頭巾の内側、彼の頭は報復心に支配されていた。寝台に身を横たえる司祭を蹴り起こし、頭巾がよく見えるように顔を近づけ、裏切りの理由を問いただした。

 

 慈善活動にも資金はいる。わずかばかりの寄付や写本の報酬だけでは、とても立ち行かない。そのために仕方なく、汚れた金を受け取っていた。だが関係が露見すれば共犯扱いとなり、神の与えたもうた使命を果たせなくなってしまう。早晩、縁を切らねばならなかった。

 

 司祭の言い分に憤慨し、彼は短剣を振り上げた。そのとき、騒ぎを聞きつけたほかの住人たち、つまり司祭が支援する貧しい人々が部屋に踏み入った。

 

 小さな子供が、怯えながら彼を見ていた。痩せた女が、憎しみを込めて彼を見ていた。

 

 彼は司祭を放し、窓から身を躍らせた。走って、逃げた。悪党は排され、正義が勝った。最悪の結末(ハッピーエンド)だ。惨めで、悔しくて、涸れたはずの涙がまた溢れ出した。

 

 これを境に、馬人の義賊は影の世界から姿を消した。しばしのち、忌々しいほどまぶしい日の光を背に受けて、彼は冒険者ギルドの門戸をくぐっていた。

 

 価値を、示さなければならない。己と、己の技の、価値を。

 

 母が自分を産んでくれたことも、師との出会いも、絶対に間違いではなかった。彼は、それを証明したかったのだ。そのために、冒険者となった。

 

 彼は盗賊、騙して隠れて盗んで逃げる。恩人たちの願いに添っているとは言えない生き様だ。

 

 それでよい。母の言いつけも、師の遺言も、己が人生の言い訳にはしない。進む先は自分で選ぶと、彼はそう決めた。

 

 彼はもうとっくに、奴隷ではなくなっていたのだから。

 

 

 

§

 

 

 

 霊廟の最下層。深い竪穴の底部に、それはあった。

 

 門だ。石造りの大扉が、外へ向けて細く開かれていた。至るところに見受けられる人骨を象った彫刻からは、至高神への信仰ではなく、邪悪な想念を主張している。

 

 この先は、明らかに霊廟とは異なる遺跡だ。霊廟は、この領域に蓋をする形で建立されている。封じるべき何かがあったのだ。

 

 門の周囲、円筒形の空間の壁面にはいくつもの硝子張りの棺が埋め込まれており、ことごとく破壊されていた。収められていた死者がどうなったかは、想像に難くない。

 

「BRRR……」

「IAAA」

 

 門の両脇で凝然としているかつての聖騎士たちが、すなわち答えだ。封印の人柱となった殉教者の遺体が今や、異なる理由のために門を守護していた。

 

 その不本意な役目も、間もなく終わる。

 

「RA——」

 

 頭上から舞い降りた何者かが、亡者騎士の体を踏み潰しざま、顔面に大の刃を突き立てた。重量と落下速度の総和が兜の強度を上回り、頭部の裏まで貫徹する。

 

「BRAAA!」

 

 もう一体が振り下ろした鋸剣を、襲撃者は武器の柄で弾き返した。全鋼製の武器であればこその芸当だ。その動作を反撃へと転じ、防護の薄い膝裏、続けて兜の下へと刀身を滑り込ませる。うなじを断たれた屍は二度目の死を受け入れて、ようやくの安息を得た。

 

「……クソが、最悪だぜ」

 

 他方、生者には煩悶がつき纏う。腕にきつく巻かれた血のにじむ手拭いに手をやりながら、馬脚盗賊は心身の痛みに呻きを漏らした。

 

 裏切られることが冒険者の常だったのは、ギルド発足以前の話だ。というよりそういった状況への憂慮が、ギルドによる管理体制が敷かれる一因となったのだ。騙して悪いが、なんて。そうそうあってたまるものか。

 

 要するに。彼はとてつもなく運が悪かったのだ。

 

「ツイてねぇ、ツイてねぇよ……!」

 

 師が個人的に行なっていた、自身の一族の起源(ルーツ)に関する調査を引き継いで、その過程で接触した太陽神の信徒たちとのあいだで起きた前回の地下墓地の一件。再出発を期して挑んだ今回の冒険。一難去ってまた一難。フライパンから火の中へ。

 

 運も実力(ステータス)のうちというなら、鍛える方法を教えてほしい。彼の心底からの願いである。

 

「RAIII」

「だが、やるしかねぇか」

 

 物音を聞きつけて門の内部から姿を現した亡者騎士を処理しつつ、馬脚盗賊は気概を練り直した。文句を垂れている場合か。一党の皆の生存が懸かっている。

 

 見捨てるつもりなど、元よりない。死人占い師の口振りから、捕縛されても命を奪われるまで猶予があると読み取り、あの場で犠牲者を出す覚悟で抵抗するという選択肢をまず捨てた。即興の寸劇もうまくいった。逃走にも成功した。あとは、救出するだけだ。

 

 他者を顧みず、己に都合のよい状況(シナリオ)を構築することに汲々とする独善の徒。冒険者界隈ではそういった輩を大間抜け(マンチキン)と呼ぶ。一度は道を踏み外した彼とて、踏み外した自覚はあり、二度とあってはならぬと猛省してもいる。ここで逃げ出したならば、あの恩人たちにも、師にも、母にも、合わせる顔がない。

 

 孤独な戦いが、始まっていた。

 

「しかし、なんだこりゃ」

 

 門をくぐった彼を迎えたのは、骨だった。それも装飾ではない。

 

 二階まで吹き抜けになった大広間を、無数の骨が埋め尽くしていた。只人や森人、鉱人に圃人。ゴブリン、巨人(トロル)剣歯虎(サーベルタイガー)まで。天井に吊るされているのは、飛竜の全身骨格だ。ただし原型を保っているのはその飛竜くらいで、大半は欠けているか、なんの生物かもわからぬほどバラバラに混ざり散っていた。

 

「骨はもう見飽きたぜ」

 

 悪態に返事が返ってこないことを祈りつつ、壁沿いを慎重に歩いていく。敵が死人占い師だと判明したからには、周囲の骨すべてを兵器も同然と見なしておくべきだ。特にあの飛竜の真下は通りたくない。

 

 移動しながら、彼は広間を詳しく観察していた。入口の対面には重厚な鉄扉、両側には二階への階段。上階にもいくつかの扉が並んでいる。どこから探索するか。

 

 床に注目する。年月が塵となって覆いかぶさり、加えてあちこちに骨が転がっているとなれば、そこを通る何某かは必ず痕跡を残しているはずだ。

 

 鉄扉の前にも階段周辺にも、比較的新しい往来の気配がある。ただ前者のほうが人数が多い。おそらくは、こちらが当たりだ。とりあえずの目星をつけ、馬脚盗賊は扉に近づいた。施錠はされていないものの、錆の浮いた蝶番は、さぞ盛大な不協和音を奏でることだろう。聞き耳を立てると、向こう側からは金属質の足音が二体分。密かに、とはいきそうにない。

 

 その蝶番に、馬脚盗賊は衣服のあちこちに隠してある、七つどころではない盗賊の仕事道具を潜らせた。同業以外には用途の知れぬ針や細板が、無音のままに役を為す。

 

「よし、こい」

 

 扉を叩いてもう一度耳をそばだてる。警邏の兵の片割れが釣られたのを確認し、適時を計って数歩退がり。

 

「こんちわ!」

 

 鉄扉の中央へ、思い切り跳び蹴りを見舞った。

 

「BRAAAA!?」

 

 蝶番を外されて枠から脱落した扉が亡者騎士に激突、そのまま床に押し潰し、侵入者を上に乗せたまま滑っていく。鎧越しでも衝撃は痛打となり、全身の骨を砕かれればアンデッドとて動けまい。

 

「NARR!」

 

 廊下の奥にもう一体。斬り結ばんとする鋸剣を、勢いのまま躍りかかる馬脚盗賊の大刀が打ち払った。胸甲と面頬の隙間、無防備な喉もとへ刀身を突き刺し、そのまま対者の体を支点とした逆さ振り子のごとく跳び越える。着地からわずかに遅れて、頭蓋の剥離した死体が床に転がった。

 

 あとに続く何事もなし。束の間の安堵の息吹が、(かび)臭い空気を追い払った。

 

「存外、手薄だな」

 

 死人占い師の用兵が拙いのか、一度窮地を脱した者が、危険を冒してまで味方の救助を試みるとは思いもよらなかったのか。あるいは、単なる()人手不足なのか。なんにせよ彼にとっては追い風、不幸中の幸いだ。

 

「ツイて、いや、クソ。このぐらいじゃあ足りねぇよ」

 

 いつもの微笑を噛み殺して、馬脚盗賊は自戒した。蛇の目(ピンゾロ)に睨まれなかっただけで喜ぶのは、卑屈になりすぎだ。不運に挫けないことと慣れてしまうことはまるで違う。

 

 そう、喜ぶにはまだ早い。前方に待ち受ける螺旋階段を見ろ。階下から染み出してくるのは黴臭さばかりではない。濃密な、えずくような血の匂いは、吹き溜まった死の残響にして前兆だ。

 

「……いくか」

 

 さりとて熟達の盗賊たるもの不安は生ずれど、怯えを呼ばず、適度な緊張感をもたらすのみ。足取りに淀みなく、等間隔で設置された悪趣味な意匠の燭台に見送られ、歩を進めていく。下り切った先でまた通路を抜け、扉を開けると。

 

「酷ぇな」

 

 そこは、牢獄だった。

 

 左右に並ぶ錆び果てた鉄格子の赤と、床や壁を染める変色した血痕の黒が、視覚を侵食する。内側には朽ちかけた拘束台、打ち捨てられた奴床(やっとこ)や鋸に、使いみちを想像するだけで正気を試されかねない奇怪な器具の数々。

 

 それから、住人たち。幾体もの喰屍鬼、もとい爆屍者が、休眠状態でうずくまっている。これほどの多勢に単騎で当たる羽目になった日には、さすがの馬脚盗賊も無事では済むまい。

 

「あいつらはどこだ……?」

 

 敵を刺激せぬよう忍び足で、臨戦態勢を維持しつつ一部屋一部屋確認していくも、知り合いの顔は見当たらない。どこもかしこも死体ばかりだ。やがて行き止まりに当たり、彼は最後の房に目を留めた。

 

 中にいるのはやはり、死体だ。死体だが、ほかのものとは様子が異なる。喰屍鬼に擬していない、只人と思われる木乃伊が、壁を背にして胡座をかいている。壁面には鎖で手枷と繋がれた鉄輪が据えつけられており、その前の床には何かがこすれたような傷が残っていた。

 

「あからさまだが、さて」

 

 牢の戸に手をかけ、軽く力を込めてみる。鍵はかかっていない。機嫌を窺うようにそろりと開き、慎重に侵入した。鉄輪を調べる、前に。まずこの木乃伊が気になるところだ。

 

 どうしたものかと思案する馬脚盗賊の目が、部屋の隅に落ちている黒曜石の小刀(メス)を見つけた。つまみ上げれば、まだ刃を残しているとわかる。彼はこれを躊躇なく、木乃伊へ向けて投げつけた。喉もとに命中し。

 

「MUGYAOOOOOOOOOOOOOOOO!」

「うおぉう!?」

 

 破れた声帯から、絶叫が迸った。

 

「GLLLL……」

「GUGUUU……」

 

 それが目覚めの鐘だったのか。叫ぶだけ叫んで役目を終えたらしい木乃伊の代わりに、爆屍者たちが一斉にうめき声を上げ、固まった肉体を広げ始めた。

 

「おい、マジかよ」

 

 ほかの牢が開かないことにか細い期待を抱きつつ、馬脚盗賊は急いで例の鉄輪に指を伸ばす。慌てず静かに引くと、壁に偽装されていた隠し扉(シークレットドア)が暴かれた。

 

「頼むからついてくるなよ……!」

 

 素早く体を滑り込ませ、扉を閉じる。大刀の柄に指先をかけたまま、しばし。

 

「こねぇ、か」

 

 追跡の気配はない。復路を思えば気が重くなるが、いったん脇に置いて、馬脚盗賊は改めて秘匿された区画の検分を行なう。行おうと、して。

 

「LLLAA」

 

 目が合った。亡者騎士が一体。二体、三体、四五六……半端に狭い通路を塞ぐ形で展開する敵部隊。退路は、今しがた考えないことにしたばかり。

 

「はぁ……ツイてねぇよ、やっぱり」

 

 思わず吐き出された溜息を、大刀が掻き消した。

 

 

 

§

 

 

 

 彼の奮戦が、遺跡をかすかに震わせでもしたものか。

 

「……お?」

 

 牢屋の床に趺坐していた青年薬師は、ふと瞼を上げた。行き詰まり、思い悩み、心定まらぬとき。今は亡き師匠にして育ての親と過ごした修行時代と、同じように瞑想に耽っていれば、いつも新たなる希望が垣間見える。

 

「どうかしたのぉ?」

 

 壁に寄りかかって座っていた女剣士が、何かに気づいたらしい仲間の所作に気づき、直後にその何かに気づいた。治療師も、無言で視線を巡らせている。

 

 扉が荒っぽく開け放たれる音がした。彼女たちの収容されている監房は、側面に牢が並ぶ細長い部屋の最奥にあるため、入口の様子は目視できない。誰かがゆっくりと歩いてくる。不規則な足取り。転倒。金物が転がる。

 

 亡者騎士の兜が、中身と一緒に目の前に転がり込んだ。

 

「よう。お迎えにきてやったぜ」

 

 生首が喋った、わけではない。喋ることもあるが、これは違う。視界と意識の外から音もなく出現したのは誰あろう、馬脚盗賊だった。黒革の装束は傷だらけ、腕からは血の雫を垂らし、いつもどおり胡散臭く笑っていた。

 

「貴方……! すぐに手当てしましょう。開けてくださいさあ早く。あぁそれと、救出にきてくださってありがとうございます」

「わかったから落ち着け、順序が逆だ」

 

 医療担当者の使命に燃える治療師の勢いにいささか面食らいつつ、彼は牢に身を寄せた。先端が(ピック)になった針金と紙剣(ペーパーナイフ)を指に挟み、手妻を一つご覧あれ、だ。

 

「やー、でもほんとに戻ってくれるとはびっくり」

「言ったとおりだったでしょー。信じてたよぉ、あたしは」

 

 すると、格子越しに伸ばされた女剣士の手が馬脚盗賊の手首にそっと触れ。

 

「ヘヘッ、さっきはすぐに察して話を合わせてくれたよな。いい女は機転が利くもんだ」

「ありがと。まあそれはそうと……」

 

 握り。

 

「あのとき、なんか酷ぉいこと言われた気がするんだけどぉ?」

 

 締める。

 

「いや違うんだ聞いてくれあれは芝居でいてててて痛い痛いたいたいたい!」

「うーん?」

「すまん悪かった悪気はなかったけど俺が悪かったって!」

「よろしい」

 

 繊細な乙女心を抉った罪は重い。にこやかな執行者による当然の報いをひとしきり受けたのちに、解放された咎人は手首をさすり、改めて鍵穴に仕事道具を差し入れた。

 

「畜生、苦労した甲斐がないぜ、まったく」

「あん、怒らないでぇ。お、ね、が、い」

「へいへい」

 

 軽口混じりに、《解錠(アンロック)》の呪文よりも手早く錠を破る。彼からすれば、あまりにもお粗末な防備だった。

 

「娑婆が待っているぜ。荷物は向こうだ、とっとと準備しな」

 

 小気味よい鳴き声を伴って開かれた戸が、緩やかに弧を引く。馬脚盗賊は肩越しに入口付近を指し示し、自由の身となった一行を促した。

 

「はぁい。ほらいくよぉ、太陽ちゃん。聞いてるー?」

 

 だが動こうとしない者が一人。

 

「太陽よう……」

 

 やけに静かなものだから呑気に眠りこけているのかと思いきや。部屋の隅で膝を抱え、太陽騎士が見るも無惨に黄昏ていた。

 

「どうしちまったんだ、あいつ」

 

 あの男の鎧はあんなにくすんでいただろうか。彼の座する一角だけやけに暗いのは気のせいか。空気が重く澱んでいる。そのうち床に埋もれていくのでは。

 

「誰かさんが虐めるからぁ、太陽ちゃんすーっかり沈んじゃったんだよねぇ」

「俺か? ……俺か」

 

 思い当たる節はもちろんある。先頃の狂言の内容を再び想起し、馬脚盗賊は顔を覆って低い天井を仰いだ。

 

「俺らが声かけても上の空で」

「心の負傷となると私にも手の施しようがなく」

「責任、取ってね?」

「ああいう騒々しいやつはそう簡単にへこたれるもんじゃあないと思っていたんだがな……しょうがねぇ」

 

 迷える者との対話とは、まこと聖職者らしい行いである。彼が迷わせた張本人でさえなければ、もう少し格好もついたはずだった。

 

「おい、あんた。なんかしょげた感じだな? まさか、俺の冗談を真に受けちまったのかい? ヘヘヘッ」

 

 覚悟を決めて太陽騎士の傍らにかがんだ馬脚盗賊は、気さくに声をかけた。まずはこの辺りから、間合いを推し測るのだ。

 

「……貴公。なぜ、ここに。牢が……? おお、そうか。貴公、助けにきてくれたんだな。ありがとう。たった一人で、すごいものだ」

 

 どうやら、今の今まで状況をろくに知覚できていなかったらしい。声音にも覇気がなく、別人のようで。

 

「それに引き換え、俺はどうだ。悪魔殺しなどと息巻いておきながら、この体たらくだ。ひどく、滑稽なことだなぁ……ウワッハッハッハッ……」

 

 本格的に、心が折れそうだ。

 

「まあ、運が悪かったよな。そういう日もあるさ」

 

 目と目を合わせる、には兜が邪魔だ。仕方がないので細い目出し穴の奥を覗き込み、肩に手を置く。その手が、弱々しく掴まれた。

 

「運じゃない。貴公の言ったとおり、すべて俺のせいだ。俺の油断のせいで、仲間の命を危険に晒してしまった。やはり俺は神殿のやつらが笑って囃したように目玉が見えない、とんでもない愚か者だ……」

 

 吐露したきり、太陽騎士はまた力なくうなだれた。実直な人柄が自責となって跳ね返り、打ちのめされているのだ。

 

「だが、あんたはまだ生きているじゃあないか。だったら次があるさ」

「次もうまくいかないかもしれない」

「そうしたら、その次だ」

「今度こそ仲間を失うかも」

「それでもだ」

 

 腰を上げた馬脚盗賊はいつになく神妙な面持ちで、後輩を見下ろしていた。釣られて仰ぎ見た相手の瞳と、ようやく視線が重なる。

 

「積み重ねた失敗を無駄にしないために、亡くしてきた大事なもん全部に報いるためには、死ぬまで諦めずにやり切るしかねぇのさ」

 

 彼の信ずる掠奪(タスカリャ)神は、"やりたいようにやる"ことを第一の教義とする。目的のために手段を選ばず、手段のために目的を妥協しない。やると決意したからには万難を排し、未踏の隘路すら突き進む。

 

 師から教わった神の教えを土台とした、それは彼の信念であった。

 

「……まあ、あんたが何を考えて冒険者をやっているのかは知らねぇし、あんたの神がなんて言ったのかも知らんが。ただ、あんたはこう言っていたぜ」

 

 何気ない一言だったのかもしれない。だからこそ、きっと心からの発言だった。少なくとも馬脚盗賊はそう信じて右手と共に、受け売りの言葉を本人に贈り返した。

 

「太陽は、沈むたびに昇るもんだ」

「……それ、は」

 

 太陽騎士が目を見張る。音もなく気配もなく、影のごとき黒ずくめ。己からもっとも遠いところより掌を差し伸べるこの男が、これほどまでにまばゆく感ぜられようとは。

 

「そうか……そうか」

 

 手を掴む。今度は強く。伝わる熱が総身を巡り、強張った足腰に喝を入れた。

 

「貴公も、太陽だったのか」

「なんだそりゃあ」

 

 引き起こされて真っ先に、妙なことを口走りつつ。太陽騎士はここに復活を遂げたのだった。

 

「太陽とは希望だ! 闇を払いぬくもりをもたらす、夜明けの約束だ。貴公の言葉は厳しくも優しい、まさに太陽の光だった!」

 

 繋いだままの手をブンブンと上下させる。普段どおりの暑苦しさだ。

 

「俺もずっとそんな存在に、誰かにとっての太陽たらんとするために剣を振ってきたんだ。嬉しいぜ、俺たちが太陽だ!」

「やめろ、柄でもねぇ」

 

 うっとおしげに振り払い、馬脚盗賊が背を向けると、装備を取り戻した三人が支度を終えて待っていた。女剣士が回収した剣と盾を頭目に手渡せば、いよいよ冒険の続きだ。

 

「お話は終わりましたね? では治療です」

 

 と、その前に。空気を読んでいた治療師、正確には空気を読んだ青年薬師に制止されていた治療師が、患者の肩を捕らえた。

 

「たいした傷じゃあないさ。そんなことより早く、あいつをブチのめしにいこうぜ」

「そんなことより治療です。戦場においては戦死者よりも、適切な処置が施されないことに起因する戦病死者のほうが多いという事実をご存じ?」

「痛だだだだわかったわかった力強いなあんたも!?」

 

 抵抗するも早々に観念し、馬脚盗賊は比較的素直に指示に従った。小傷も蓄積すれば無視できない痛痒(ダメージ)になることくらい、彼も理解している。だからといって、この程度で薬水(ポーション)に頼るわけにもいかない。あれは強力だが、劇薬だ。あまり連続して服用してよいものではない以上、このあとの戦闘に備えて温存しておく必要がある。時間は惜しいものの、応急手当てそのものに否やはないのだ。

 

「そこに座って、袖から腕を抜いてください。先にそちらの傷の状態を診ます。頰の傷はあとで」

 

 鞄から取り出した丸灯(ランプ)に燭台の火を移し、治療師は仕事を開始する。手拭いに隠されていた傷口はいびつに崩れ、少量ながら出血が続いていた。鋸剣や炎紋剣(フランベルジュ)といった特殊な形状の刃物の危険性がこれだ。こうした傷は塞がりにくく、素人では対処しづらい。

 

「これは……刃の一部でしょうか」

 

 加えて、硬い黒革の防具を裂く負荷によって破損したと思しき鋸刃の破片が、内部に残留してしまっていた。異物は怪我の癒えを妨げる。摘出、のちに縫合。専門家(プロフェッショナル)の技術が不可欠だ。

 

「麻酔の準備を。すぐに処置を始めます」

「はいはーい」

 

 針や鑷子(ピンセット)の先を火で炙って清め、冷ます。その間に、控えていた青年薬師が、無色透明の薬液を充填した小瓶を用意していた。

 

「何を準備するって?」

「麻酔、感覚麻痺の薬ですよ。痛みを消したり、あと筋肉を緩めて手当てをやりやすくしたりとか、そういうやつ」

 

 説明しながら瓶の栓を抜こうとするのを、馬脚盗賊は逆の手で制した。

 

「おいおい、これから殴り込もうってときにそんな薬を使えるかよ。我慢するからこのままやってくれ」

「わかりました」

「いっ……!」

 

 言質は取ったと容赦なく、治療師か傷口に洗浄用の蒸留酒(スピリッツ)を流しかけた。これも飲ませればある種の感覚麻痺の薬として機能するが、今の彼には無用。祝杯はお預けだ。

 

 なお、このあとのことについては少々割愛させていただく。押し殺した男の悲鳴を聞き続けていたいなどという、おぞましい嗜好の持ち主など、そうそういないだろうから。

 

 

 

§

 

 

 

「ここだろうか」

「ここだろうな」

 

 治療師の芸術的手腕によってつつがなく事を終え、探索を再開した一党は、露骨に怪しい複雑な意匠の扉を発見していた。幸いにもこの区画の警備は馬脚盗賊によって殲滅されていたため、苦もなく辿り着くことができたのだ。当人にとっては、たまったものではないが。

 

「んーで、どうするぅ? 今度こそ扉、蹴り破ってぇ、ガーッとやっちゃう?」

 

 この先におそらく、獲物がいる。待ち切れないとばかりに抜剣した女剣士が、妖しく獰猛に歯を剥いた。牢の内でくすぶっていた屈辱と殺意は、激発寸前だ。

 

「そうしたいが、中の状況も敵の人数も手札もわからんからな。もう少し算段を立てる材料が欲しいところだ」

 

 彼女を宥め、太陽騎士は憂慮する。突入した先でまた、爆屍者の群れの歓待を受ける羽目にもなりかねない。慎重にもなろうものだ。

 

「そんなもん、あいつに直接聞けばいいじゃあないか」

 

 悩むことでもあるまい、と口を開いたのは馬脚盗賊だった。

 

「野郎、こっちの質問に大喜びで答えていやがった。聞いてもいねぇことまでペラペラとな。なら、適当に油断を誘って喋らせてやりゃあいい」

 

 相手は油断と慢心で着飾った、典型的な自己陶酔型。たとえ死霊術の達人だったとしても、悪党(ヴィラン)としては隙の多い部類だ。和やかに座談会(テーブルトーク)とはいかないまでも、語らせれば勝手に落ちるはず。

 

「得られた所見を元に後出しで対応していく、と。確かに、退路が確保できている現状では、無理に前のめりになる必要もありませんからね。有効な戦術かと」

 

 この一計に、治療師が同調を示した。医療においても問診は重要であり、彼女がそれを理解しているのも当然だ。

 

「じゃあなんかこう、とりあえず脱出はできたけどギリギリでやばい、みたいな空気出してみます?」

「俺はあんまり冗談にならねぇがな……いや、そのほうが騙せるか?」

 

 乗り気の青年薬師の提言は児戯のよう。けれども+1(プラスワン)でも勝算を増やせるならば、使える手を渋る理由はない。

 

「よし、ではそれでいこう。だが貴公の案も一部採用だ」

 

 話はまとまった。太陽騎士は正面から扉と向かい合い、ふと女剣士を見やった。

 

「疲弊した、勢いだけの冒険者なら、空元気で扉を蹴破ることもあるだろうさ!」

「あはっ、そぉーうこなくっちゃ!」

 

 作戦を編み、万全を期する。大切なことだ。それはそれとして。罠に嵌められたのは、やはりどうしようもなく腹が立つ!

 

 ゆえに彼は足甲に鎧われた右足を蹴り上げ、また誰も彼を止めなかった。攻め入る側にとっては胸のすくような、攻め込まれる側にとっては不快で恐ろしい音を伴って、扉が弾け開く。

 

 円形の部屋。壁に本棚。並べられた四つの棺。中央には最近になって運び込まれたと思しき天蓋つきの大寝台が据えられ、その上では死人占い師が、あの依頼人の女の膝に頭を預けて横臥していた。

 

「うわっ!? なんだ、君たち、なんでここに!?」

 

 部屋の主は飛び上がり、口蓋から惑乱を垂れ流す。対して女はさしたる反応も見せず、ただ場違いなほどに柔らかく微笑むのみだ。

 

「っはぁ、は……ヘヘッ、木偶人形に任せたのが間違いだったな。もっとマシな兵隊はいなかったのかよ、ほかにお仲間は?」

 

 肩で息をしながらも、馬脚盗賊は精一杯強がってみせる。という、ふりをする。もちろん探りを入れることも忘れない。

 

「そうか君か、君が……!」

 

 怒りと焦りで思考を掻き乱された死人占い師は舌をもつれさせるも、寄り添う女に手を包まれると一転、平静を取り戻した。

 

「……ふう、いや、まあいいか。あぁ、仲間がどうとか言ったかな? そんなもの僕にはいないし、いらない。僕には彼女がいる」

 

 揃って立ち上がり、大仰に一礼。

 

「改めて紹介しよう。僕のたった一人の家族を」

「なんだと」

 

 想定の外から飛んできた発言に、冒険者たちは頭目以下全員残らず困惑し、同時に言いようのない気色の悪さを覚えた。

 

「僕の祖先はこの研究所を封印した聖騎士団の生き残りでねぇ。一族はずっと墓守として、封印の維持を使命にしてきた」

 

 聴衆の顔色が変わったことなど気にも留めず、死人占い師は気分よさげに語り続く。

 

「成人した日、僕は父親に連れられて霊廟を下りた。そこで、出会ったんだ」

 

 少年の行先を決定づける、運命の邂逅。人生の師か、未来の伴侶か、はたまた相容れぬ宿敵か。それが英雄譚の序章であることもある。立身出世物語の書き出しかもしれない。彼の場合は、彼以外にとっての悲劇の始まりだった。

 

「人柱たちの中に、ある聖女の遺体があった。硝子の向こうで眠る彼女はすごく綺麗だった。何よりも。誰よりも。絶対に手に入れたいと思ったよ」

 

 少年の心臓が、おぞましい慕情によって激しく脈打った。紛れもない狂気であった。そして狂気の香りは、さらなる狂気を呼び寄せた。

 

「そのとき、声が聞こえたんだ。僕は生まれたときから、死霊の声を聞くことができた。だけどあんなにはっきりした声は初めてだった」

 

 声はささやいた。少年の望みを叶える手段を教えようと。父親の言葉は、もう耳に入らなかった。

 

「封印の扉の奥に、つまりここに、ずっといたんだ。聖騎士に殺された大昔の死人占い師の霊が、研究への執念だけで、ずっと。僕を待っていたんだ」

 

 少年は扉を開いた。己の身に流れる聖騎士の血こそが、鍵だった。父親が何かを喚いていた。少年の手には、自身の血糊がついた短剣があった。やがて父親は、何も言わなくなった。

 

「僕はここに蓄えられた叡智をすべて吸収して、研究を引き継いだ。死霊術の限界を超える偉業、死者の復活!」

「ありえない。それだけは、決してありえない!」

 

 聞き捨てならぬ。治療師は思わず声を上げていた。死を遠ざける術はあれど、死を覆す方法などありはしない。世界の仕組み(システム)がそれを許さない。だからこそ、彼女は癒し手として戦っているのだ。

 

「そう、確かにありえない。この世の理に従っているうちはねぇ」

 

 当然の指摘は期せずして、死人占い師にとってほどよい演出になったらしい。いよいよ顔を紅潮させ、語りを核心へと導いていく。

 

「だから、取引して用意したのさ。僕らとは根本から違う異次元の生命、魔神の魂(デモンズソウル)を」

 

 デモンズソウル。デーモン。その単語に、冒険者たちは目つきを変えた。青年薬師の嫌な予感は、どうやら的中だ。

 

「デーモンとしての肉体を得る前の無垢なデモンズソウルは、何色にも染まり、どんな形にも変わる。それを特別な加工処理(エンバーミング)を施した死体に宿らせれば、アンデッドとは違う、新しい生物として生まれ変わる」

 

 死人占い師は女を引き寄せた。愛おしげに抱擁を交わす両者は実際に家族に似ており、より正確に表現するとすれば。

 

「こうやって僕は、()()を創ったんだ」

 

 まるで、親子のようだった。

 

「そうさ。一族の役目を継がせることしか考えてなかった父親も! 僕の才能を呪いだと言って疎んじた産みの母親も! 最初からいらなかったんだ! 僕にはママがいる、ママさえいればいい!」

 

 狂熱に浮かされ恍惚と、母の頬へ口づける。偽りの母は笑顔でこれを迎え入れた。愛しの我が子の望むままに。

 

「……だけど、ママはまだ未完成なんだ。もっと研究を進めなくちゃ。もっと素材がいる。君たちにも協力してもらわないとねぇ」

 

 されど子の強欲は底を知らず、血に塗れた食指が次の玩具を求めて動きだす。前口上はどうやらここまでだ。母はもう、笑っていない。

 

「さあ、ママ。ご飯の時間だよ」

「……MOOOOORT!」

 

 人の形をしたデーモンの喉が、人ならぬものの咆哮を響き渡らせた。すると、彼女の下肢がみるみるうちに蕩けて流れ、ドス黒い粘菌(スライム)状の流動物質となって室内を浸食し始めた。死人占い師の体がズブリと沈み、寝台に立てかけられていた杖が飲み込まれ、氾濫する汚泥は体積を肥大させていく。

 

「ねえちょっとこれやばくなぁい!?」

「だいぶやばいと思うんですがそれはー!」

「あれと戦うには狭すぎる、いったん逃げるぞ!」

 

 頭目が決断を下すが早いか、一党は全速力で部屋を脱出した。壁の表面で粘液が跳ねる異音を背後に聞きながら、入り組んだ回廊を駆け戻る。

 

「ちなみに俺たちは帰り道を知らん! 捕まったときは棺に入れて運ばれたからな!」

「先に言え。前、代わるぞ。ついてきな!」

 

 虜囚の運搬方法については死人占い師の趣味にすぎなかったが、脱獄者を迷わせる効果はあったらしい。ただそれも、斥候役を逃してしまっては無意味だ。

 

 首尾よく隠し扉まで到達し、彼らは牢獄の狭間を通り抜ける。敵の足はそう速くはないらしい。今注意を払うべきは後ろよりも、進行方向だ。

 

「GUUL!」

「うくっ!? 離っ、せっ!」

 

 向かい風になびく女剣士の外套を、閉ざされた牢の隙間から腕を伸ばした爆屍者の爪が捉えた。やむなく留め具を外し、事なきを得る。

 

「あぁん、もう最悪ぅ!」

「負傷はしていませんね、よかった」

「よくなぁい、下ろしたてだったのぉ!」

「そいつは気の毒だが、とにかく走れ!」

 

 先に言うべきだった。馬脚盗賊は心中に失点を刻み、目を合わせないようにした。そもそも全面的にあの死人占い師が悪い。自分を納得させて足を動かす。階段を上り、通路を過ぎれば、そこはもうあの骸骨広間だ。

 

「ここでやるんです?」

「骨の山で、死人占い師の相手はしたくないものだ」

「ですよねー」

 

 デーモンに取り込まれるのは見えていたものの、よもや自死したわけでもあるまい。いざ戦闘となれば何かしら術を仕掛けてくるのは明白であり、わざわざ敵に有利な環境で待つなど愚策も愚策だ。

 

「聖堂まで上がろう。そこで迎え討つ!」

 

 よって、目指すは地上。大扉をくぐり、霊廟の底部に出る。一見して目に入るのは立ち並ぶ棺のみだが、よく観察してみれば石壁が二重になった箇所があり、裏に階段が隠れていた。当然、馬脚盗賊はこれを事前に発見している。

 

「こっちだ、最短経路ならたいしてかからねぇ。はぐれるなよ!」

「はぁい」

 

 階段、通路、橋。階段、通路、橋。枝分かれも行き止まりも、すでにすべて彼の頭の中に書き写されている。迷宮はもはや一党の邪魔をする要素たりえない。残る障害は、追手だけだ。

 

「MOOOOR!」

「やはり、簡単に逃がしてはいただけないようですね」

 

 デーモンの流動する半身が、下方の床を塗り潰していく。それは波打ち、泡立ち、己の一部を吐き出した。

 

「待て!」

 

 着弾した黒い塊は、気分の悪くなる異音を伴って橋上の染みとなった。混ざり込んだ骨が軸をなし、粘液は膨れて固まり肉となる。出来損ないの泥人形めいた何かが、冒険者たちの行手を遮っていた。

 

「どんどんきちゃってるんだけどぉ……!」

 

 背後にも、壁にも、次々とデーモンの分裂体が飛来する。構築されつつある包囲網が、獲物を急き立てた。

 

「相手をしている暇はないな!」

「どきやがれ!」

 

 太陽騎士の盾と馬脚盗賊の左足が、邪魔者を橋から退場させた。転落する様になど目もくれず、ひた走る。また一つ階層を上がった。

 

「ぜっ、はっ、はっ、ひっ……!」

 

 階段の途中から、持久力(スタミナ)に不安のある青年薬師が徐々に遅れだしていた。魔術師の泣きどころだ。

 

「俺がなんとかする。あぁ、次は左だ」

「わかった、任せるぞ!」

 

 案内人を一時休業し、馬脚盗賊は歩調を緩めた。脇腹を押さえて息を切らす後輩と並走しつつ、先達として応援の言葉を送る。

 

「《神よ、我が身に禹歩の奇跡をお貸(God, lend methemiracleof Silly Walk)しください》」

「おっ!?」

 

 祈りを込めて張り手を一発。背中を押され、つまずくかと思われた両足が奇怪な動作で加速する。

 

「おっ? おっおっおっ!?」

 

 《禹歩(シリーウォーク)》の加護を受ければ、全力疾走でなくとも追走できる。それどころか、あっという間に頭目まで追い越してしまった。

 

「んぷふっ、ちょっと、なぁにその動き、あははっ」

「や、普通に走ってるんですー! 足が勝手に暴れるんですー!」

 

 制御不能である。他人をこの奇跡の対象にしたことのなかった馬脚盗賊には、予想もつかぬ事態だった。それは失敗と呼ぶには些末である一方、この場においては明確な綻びでもあった。

 

「GYAOOOS!」

 

 壁にへばりついた分裂体が形を変え、飛竜の頭蓋を核とした大蛇となり、青年薬師と後続とのあいだに飛び込んできたのだ。石橋に激突して砕けるかに見えた顎門は自身を構成する粘液の中に沈み、一拍置いて水面を割るかのごとく鎌首をもたげた。

 

「大丈夫ですかー!?」

「いけません、前を!」

 

 気を取られて思わず振り返り、はっとしたときにはもう遅い。足もとに着弾した分裂体から腕が生え、杖を掴む。引っ張り合う間に腕がもう一本。手首を捕らえ、さらに立ち上がるようにして胴と下肢が現れると、今度は逆に押し倒さんとする。揉み合ううちに後ずさり、片足が不意に虚空を踏み抜いた。

 

「——え」

「足を動かせ!」

 

 内臓の浮く感覚によって漂白された思考が、馬脚盗賊の大呼に上書きされた。言われるがまま、両足をがむしゃらに泳がせる。すると、青年薬師の体は重力に抗って宙を昇り始めた。掠奪神の慈悲が、信徒ならぬ彼を支えているのだ。

 

「と、飛ん、飛んで、飛んでっ、落ちる!?」

 

 ぶら下げた重石を引き剥がそうともがきながら、右へ左へ空中を漂った末、天地が回って墜落。柔らかいものと硬いものが同時に破壊される音がした。

 

「……俺、生きてる」

 

 我に返った彼は腰を大きく反らし、敵を両腕で抱えて頭から足場に叩きつけているという、なんとも奇妙な格好だった。首を折られて活動を停止した分裂体は溶解し、骨だけが残される。

 

「ぶぐっ!? いってぇ!」

 

 当然、姿勢を保てなくなって今度こそ頭を打った。悶絶する様はあまりにも無防備で、敵も味方もそんな彼を見過ごしはしない。

 

「そぉ、れぇい!」

 

 機を見て浸透した女剣士が、新たに出現した分裂体を蹴飛ばして早々に脱落させた。

 

「毎度、お世話になりまっす」

「気にしなぁいの。ほら、手ぇ。……そっち、大丈夫ぅ?」

 

 青年薬師を助け起こしつつ、彼女は後方へ意識を向けた。援護を強行した代償として、背後の守りに穴が空いているのだ。

 

「はい」

 

 常と変わらぬ調子で答えた治療師は、二メートルを軽く超える大型の分裂体と対峙していた。襲いくる太腕を冷えた瞳で観察し、難なく回避する。追撃も空を切った。三発めを避けずに逸らし、捕らえ、関節を極める。揺らいだ足を払って崩し、引き倒したところで延髄に銃口を押しつけた。

 

「お構いなく」

 

 そのまま引鉄を絞り、処理を終えた。人体の構造を知悉した戦場医療者に、人型の骨格で徒手格闘など挑んだのが間違いだったのだ。

 

「おい、こいつの頭も吹っ飛ばしてくれ」

「無理です」

「知っているよ」

 

 残る障害は大蛇型だ。その鼻先を、余所見に軽口にと余裕を見せる馬脚盗賊が剥ぎ飛ばした。

 

「GYYYYA!」

 

 分裂体にも感情があるとすれば、これはきっと逆上だ。横倒しになった大顎が限界まで開かれ逃げ道を塞ぎ、獲物を丸呑みにせんと喰らいつく。

 

「あっぶ、ねぇ、な……!」

 

 閉じる牙列が中途で止まった。鋼の大刀がつかえ棒となり、安全圏を生み出していたのだ。

 

「今だ、やっちまえ!」

「ああ!」

 

 太陽騎士が側面から回り込み、標的の脳天に剣尖を突き込んだ。さすがに効いたのか、振り払おうと激しくくねる。放り出されて背中を強打した馬脚盗賊は、刺さった剣に両手でしがみつく頭目の姿を見た。

 

「うおぉぉぉぉ!?」

「マジかよおい、死んでも離すんじゃあねぇぞ!」

 

 すぐそばに落ちていた太陽印の盾を手に、敵の横面へ遮二無二突進する。残念ながら太陽神の起こす奇跡に、墜死を防ぐ類のものは存在しないのだ。

 

「おとなしくしやがれ!」

 

 馬人の剛力を知るがよい。速度を乗せ盾を構えて体ごとブチ当たる、ただそれだけで、のたくる巨獣が動きを止めた。

 

「ぬぅん!」

「GYAAAAAS!」

 

 その間隙に、太陽騎士の剣がねじ込まれる。分裂体は逃げ惑うがごとく、再び激しくもがいた末に、完全に沈黙した。

 

「ほらよ、返すぜ」

「ああ、すまん。みんな怪我はないか」

「なんとか。っていうかまあ、助かったっちゃ助かったけれどもですよ。飛べるならそうと先に言っといてもらえませんかねぇ!?」

「悪かったな、言う暇がなかったんだ。愚図愚図している暇もないぜ」

 

 青年薬師の抗議もどこ吹く馬耳東風。借り物の盾を持ち主に返却した馬脚盗賊は、道案内の務めに戻った。地上まではもう一息。走り続ける冒険者たちを、際限なく湧き出す分裂体が咎めたものの、大蛇型に匹敵する難物が現れることはなかった。

 

「よし、あと少しだ」

 

 そうして、一党は最初の階段まで帰り着いた。吊灯の明かりは近く、追討の気配はまだ遠い。入口は彼らが突入したあとに閉じられていたが、内部から開放するための仕掛けが隠されており、すでに馬脚盗賊によって解決済みだ。

 

「誰も遅れていねぇな!」

「はい、こちらに、います」

「もー足疲れちゃったなぁ。太陽ちゃんおんぶぅー」

「それは無理だ! 俺もややきつい! ウワッハッハッゲホッ」

 

 今の彼らからすれば、目的地もまた遠く思える。隠し切れない疲労に喘ぐその上を、青年薬師が悠々と越えていった。

 

「やー、慣れてくるとわりかし便利なのですなぁ、これが」

「ヘヘヘッ、だろう? 掠奪神と俺に感謝してほしいもんだな」

 

 一歩ごとに爪先を頭より高く上げて下ろすと同時に一礼するという、この男の柔軟性では本来不可能なはずの挙動で誰より速く移動する。足腰が莫迦になりかねないが、そうならぬからこそ奇跡なのだ。

 

「だが斥候より前には出るなよ魔術師」

「おうふ」

 

 外套の裾を引っ張られ、今回はしっかり減速。先んじて階段を上り切った馬脚盗賊は梁の上や柱の陰に目を光らせつつ、地下道の入口から距離を取る。敵影がないことを確かめると、ようやく足を止めた。

 

「なんとか一息入れられそうだな」

 

 次に青年薬師がフワリと降り立ち、薬瓶を差し出した。

 

「そんじゃ、一本いっときます?」

「おう、助かるぜ」

 

 自家製強壮の薬水(スタミナポーション)を、追いついてきた仲間たち含め全員に配っていく。特に馬脚盗賊は継戦を重ねているのだ。さほど態度には出さずとも、消耗は少なからず蓄積している。

 

 ……それはそうと、太陽騎士はほとんど隙間のない円筒兜を被ったままで、いったいどうやって薬水を飲んでいるのだろうか。この種の兜は古い様式で、開閉機構は設けられていないはずだ。

 

「んん、元気溌剌!」

 

 階段のほうに睨みを利かせながら瓶を干した彼の背中は、何も教えてはくれない。世界は謎と不思議に満ちているのだ。

 

「今のうちに態勢を整えよう。術はあといくつだ?」

 

 謎めく男が仲間たちへ向き直り、頭目らしく場を仕切る。

 

「俺はあんたたちを助けにいくときにも一度祈って、さっきので打ち止めだ。無理すればもう一回ぐらいはやれるが、期待はするなよ」

「大丈夫だ、俺たちは温存できているからな。俺と彼で、三回だ!」

「や、四回ですって。俺も弾数、増えたの忘れてません?」

 

 すかさず訂正を挟んだ青年薬師は、懐をまさぐって手持ちの薬を改めている。先刻の取っ組み合いで薬瓶が割れなかったのは幸いだ。

 

「損害は軽傷一名のみ。許容範囲でしょう」

「二名二名、あたしの外套が行方不明ぇ」

「許容範囲です」

「あん、冷たぁい」

 

 鉄砲を再装填する治療師に軽くあしらわれた女剣士は、太陽騎士に矛先を変えた。どうやらまた札遊びによる資金調達を目論んでいるらしい。放っておくと怪しい露店か何かでガラクタを掴まされて帰ってくる人種であるこの男への憂慮から、財布を握っておこうという魂胆があることを、眺める青年薬師は知っている。

 

 生死を賭けた戦闘の合間であっても、彼らは変わらず笑っていた。ギルドで卓を囲っているときと同じように。きっと、酒場で語らうときとも同じように。頼れる仲間と酌み交わせば、苦薬も美酒と大差なし。酔っているのだ、冒険の高揚に。それを分かち合える喜びに。

 

「……悪くはねぇな」

 

 準備を進める馬脚盗賊は無意識に、小さく独りごちた。彼も、自然と目を細めていた。

 

「何がです?」

 

 青年薬師に聞かれていたようだ。気恥ずかしげに頭を掻き、適当な返答を捻出する。

 

「あんたたちのことさ。よくやっているよ、優秀な冒険者だ。鋼鉄等級にしては、な」

 

 嘘はついていない。余計な一言をつけ足す辺りに、この男のひねくれ具合が見え隠れしているが。

 

「ありがとう。貴公こそ、よい先輩だ。俺たちを導き、助けてくれた。本当にありがとう」

「……あー、やっぱり、礼はあとにしてくれや」

 

 対照的に太陽騎士はどこまでも真っ直ぐで、輝いていた。南の街のギルド、破落戸(ごろつき)紛いどもの巣窟で過ごすことに慣れた瞳孔には、あまりにもまぶしすぎる。外した眼差しは地下へと向けられた。そこには闇が、うごめいていた。

 

「きやがったぜ」

 

 どす黒い巨大な腐肉の塊が、(ウジ)蛞蝓(ナメクジ)のごとく這い出してくる。それは蠕動し、また拍動していた。

 

 にわかに動きが激しくなる。何かが内側から肉を押し上げ、突き破った。腕だ。前腕部の長さだけで只人の背丈ほどもある、石膏像にも似た白い腕が露わになった。左、右、さらに足。仰向けの形で晒された肢体は大きさを別とすれば紛れもなく人のもので、だからこそ異様さが際立つ。

 

 只人の背丈ほどの長さというのは、単なる目測ではない。実際に、只人の女の死体が表皮に溶け込んでいるのだ。まるで削り出されたかのように、完全に融合している。

 

 自由になった両手が今度は外側から肉塊を掻き分け、裂き開く。そこにはかつて聖女だったものの顔があった。美しい面輪には一片のひずみもなく、ただ眼球だけはひどく濁っていた。

 

「MOOOORRRTOOO!」

 

 へばりつく腐肉の残骸をドレスとして纏う、漆黒の聖女。彼女の腹部は、大きく膨らんでいた。

 

『待たせちゃったかな? すまないねぇ、ママの化粧直しが長引いたものだからさ』

 

 表裏逆さの四つん這い、体を持ち上げた手足から声がした。死体の口が喋っている。一人の男の声と言葉を発している。

 

「うーわぁ、ひょっとしてあの中にいるのぉ?」

 

 女剣士が指差す先は、あえて言うまでもなく。

 

『そうさ、僕はここだよ。世界でもっとも安全な場所、ママのお腹の中さ!』

 

 魔子母神(マザーズデーモン)の胎の内で、死人占い師は楽しげに()()()を打った。

 

死体漁り(ネクロフィリア)ど畜生(マザーファッカー)とは、徹底的に救えねぇな」

「ええ、手の施しようがありません。あれは病巣そのものです。速やかに切除しましょう」

 

 医療の徒としても女としても、許すわけにはいかない相手。鉛の丸薬と火の秘薬、つける薬はこれしか知らぬと、治療師は銃把を握り直した。

 

『あれ、もう逃げるのは諦めたのかい?』

「逃げられる気もしないしねぇ。逃げるつもりもないけども」

 

 お前に術をかけてやる(キャスト・ユー)。杖突きつける青年薬師の仕草は、魔術師が憤怒を示すためのものだ。

 

「逃がす気もないからぁ、そこのところよろしくねぇ?」

 

 女剣士が低く構え、鎖を解かれるときを待つ。

 

「そういうことだ」

 

 眼前に剣をかざし、太陽騎士は敵の背後に鎮座する女神像へ向けてこうべを垂れた。

 

「神の家を穢し、死者を冒涜し、虚言を弄して人を食い物にしようとした。断じて見過ごすわけにはいかん。至高神が天秤剣に代わり、太陽神の剣たる騎士が、罪人に裁きを下そう!」

 

 高く掲げた剣先が天井を、その彼方の天を指す。

 

「《太陽礼賛! 光あれ!》」

 

 捧げられた《祈誓(セイクリッドオース)》に、とうに落ちたはずの日が応じた。降り注ぐ光柱が、信徒と同胞たちを照らし出す。

 

「さあ、この太陽の輝きが恐ろしくないなら、かかってこい!」

『……生意気だよ、死なないと役に立たない屑肉のくせに』

「MRRRR」

 

 威嚇する強大な怪物を前に、臆せず対峙する我らが冒険者たちの勇ましさよ。世に仇為す祈らぬ者(ノンプレイヤー)を成敗すべく、今は名もなき、いずれは名高き、名乗りを上げし悪魔殺し。

 

「似合わねぇな、本当に。だが……あぁ、まったく、悪くねぇ」

 

 たぎる血潮が命ずるままに、馬脚盗賊は大刀を振るい風を巻く。総身を包む陽光と、隣り合う男の気炎に当てられたのか。久しく冷え切ったままだった義侠心が、再び燃え上がっていた。

 

「懺悔の時間だぜ。覚悟しろよ甘ったれ野郎(モリカドル)!」

 

 そして風は烈風となって吹き荒ぶ。馬蹄が先陣を切って踏み出し、いやさ一番槍の誉は譲れぬと、女剣士が床を弾いた。

 

「お先にぃ!」

 

 初撃、横薙ぐ右手を背面跳びで躱しざま、身をひねって斬りつける。与えた傷は、一瞬にして焼け焦げていた。

 

「MOOO!」

 

 着地の隙を狩ろうとする逆の手は、太陽印の盾が受け逸らした。まさか人一人の膂力で防がれるなどとは思いもよらず、衝撃で硬直するデーモンの指先を、長剣が切断する。

 

「これが太陽の力だ!」

 

 総身にみなぎる活力。刃に帯びた神聖なる光。邪悪に相対する冒険者たちへ、惜しみのない祝福を。己を導く太陽を謳い、太陽騎士は真っ向から挑み続ける。

 

 まさに陽動。頭目が敵意(ヘイト)を買い占める間に、馬脚盗賊が回り込んでいた。弱点であろう腹部には得物が届かない。大物狩りの定石どおり、足もとから攻める必要がある。

 

 その足が、不意に蹴り上がった。

 

「なっ、うお!?」

 

 間一髪の横っ跳び、踏み潰される前に離脱する。明らかに位置を把握されてしまっていた。

 

「バレていやがったか」

 

 であれば、堂々と殴りにいくまで。多角的に叩けば対処も飽和するはずだ。しかし、敵はまるで上体と下半身が別の生き物であるかのように、浅手をこうむりながらも三人の攻勢を捌いていた。

 

「なーんか動きおかしくないですか?」

「確かに不自然ですね」

 

 離れて観察していた後衛組は、これに違和感を覚えたらしい。

 

「音を頼りに狙いをつけているにしては、正確すぎます」

「じゃあ後ろが見えてる? どうやって?」

「それは……」

 

 答えを探す治療師の目が、デーモンのものと交差する。目が合った。見られている。単純な話だった。

 

「目、目です! 敵は四肢に癒着した死体の目を通してこちらを見ています!」

 

 視野を広げたければ、瞳を増やせばよいのだ。

 

『おめでとう、正解だよ。今、僕の脳は死体たちの脳と繋がってる。この目で見たものは僕にも見えるし、音も聞こえるし、僕のほうから脳を通してママの手足を動かすこともできる。ママの死角は僕が、僕の死角はママが補う。これが僕らの絆の力さ!』

 

 母と一体になった死人占い師は、狂熱の絶頂にあった。戦場を見渡していながら、本人の両目は何も映していない。愛する者に愛される自分の姿以外は。

 

「腹の中で、よく喚く赤ん坊だぜ。……つまりあの余分な頭か、目だけでも潰せば見えなくなるんだな」

 

 ここが聖堂でなければ、唾を吐き捨てていただろう。馬脚盗賊は嫌悪感も露わに、改めて示された標的を確認した。

 

「彼の援護を頼む。集中してとにかく一箇所、崩すんだ」

「太陽ちゃんはどうするのぉ?」

「守りに徹すればしばらくは持つ。持たせるとも!」

 

 算段を整えた太陽騎士は有言、即座に実行に移し、壁が迫ってくるかと錯覚するような張り手打ちを押しとどめた。開かれた道を駆け抜けざま、女剣士は小さく感謝を述べる。ついでに敵のくるぶしに一太刀浴びせていくのも忘れない。

 

「大丈夫ぅ? 手伝ってあげよっかぁ?」

「おう、派手に暴れてくれ!」

 

 駿足と俊敏、速さ自慢たちが肩を並べた。身の軽い女剣士が相手の注視(ロック)を揺さぶり、生じたわずかな認知の空白を、馬脚盗賊が攻撃の機へと変える。急拵えながら、巧みな連携だ。

 

『鼠みたいに、うっとおしい!』

 

 徐々に削られる状況に焦れた死人占い師の操作により、デーモンは床を乱雑に踏みしだいた。脅威だったはずの精度を捨てたのだ。

 

「鼠の牙は痛いぜ!」

 

 足裏の作る影をくぐった馬脚盗賊は双刃を閃かせ、背後に落ちた踵の腱を半ば断裂させた。体を支持できなくなった右足が勢い余って投げ出され、縛られた死者の目は天井を見上げた。

 

「こっちはもぉっと痛いよぉ!」

 

 眼窩に、女剣士の小剣が刺し埋まる。そのまま右から左へ無理矢理引き裂き、視覚を脳ごと破壊した。まず一つ、まだ一つ。息つく間もなく、戦況は次の段階へと移行する。

 

「MRRRRROO!?」

『クソッ、遊びは終わりだ!』

 

 立て直したデーモンの両脇腹に穴を空け、一対の触手めいた器官が飛び出した。うねり、しなり、それは長大な肉の鞭となる。

 

「こいつ、はっ!? いったん離れるぞ!」

「さぁんせーい!」

 

 速度はさほどでもないが、とかく間合いが広すぎた。前衛たちは迷わず離脱を選択し、後方の二人と合流した。

 

「迂闊に近寄れないな。なんだあれは」

「見たところ、臍帯かと」

「臍帯、ってへその緒? 太すぎるし、二本あるんですが」

 

 母胎の体液に塗れた、くすんだ白色の生きた紐。実物を目の当たりにしたことがあるのは治療師だけだったが、言われてみればそうとしか思えぬ。母子を繋ぐ命の架け橋を、命を奪う武器とする。死人占い師にとっては、これも親子の絆の形なのか。

 

「お腹の中にぃ、三本めがあったりしてぇ?」

「どうでもいい。で、治療師の先生には何か気の利いた助言とかないのかい」

 

 どうもこの女の観察眼は当てになりそうだと、馬脚盗賊は意見を求めてみる。

 

「臍帯が動くとき、体のほうは止まっているようでした。おそらく手足と同時には動かせないのでしょう」

 

 実際、デーモンは臍帯を揺らめかせながら待ち構えており、自分から行動する様子がない。急場の仮説の裏づけとしては十分だろう。あとはどう攻略するかだ。

 

「では、向かって左の一本は俺が引きつけよう」

「もう片方は俺だな」

「んじゃあ、あたしは右手の目ねぇ」

「そうだ、やるぞ!」

 

 散開、再突入。肉鞭を太陽騎士の盾が遮り、馬脚盗賊の大刀が打つ。見かけ以上の弾力を持つ臍帯は打撃はおろか斬撃さえも容易には通さず、二人は危うく押し負けるところだった。とはいえ上首尾、一手は凌いだ。

 

「今ならぁ」

 

 女剣士が馳せる。届かない臍帯は代わりに先端、口と呼ぶのが正しいかは定かではないが、とにかく口らしき部分を開く。漏れ出す血と殺気を、彼女の目端は感知していた。

 

「っ、とぉ……!」

 

 急停止したその半歩先の床石の上で、何かが砕け散った。骨だ。臍帯から発射された、骨片の矢だ。さらに次射、三射。跳びのく際に掠めた腿に、一筋の朱が引かれた。

 

「ビビるな、いけ!」

 

 相手の弓は二つだ。別角度から背中を照準し飛来する矢を、射線に割り込んだ馬脚盗賊が大刀を旋回させ、はたき落とした。やはり骨は骨、初速はあっても重さが足りていない。

 

「道は俺たちが照らす!」

 

 反対側から直接突き込んでくれば、太陽騎士がこれを食い止める。無事接近を果たした女剣士の前で、デーモンは拳を固めていた。

 

「《サジタ()》……《ケルタ(必中)》……《ラディウス(射出)》!」

 

 だがこちらにも射手はいる。青年薬師が外套の裏に仕込んだ鏃を手挟み、呪文を刻んで擲った。魔力の燐光が矢柄となり、矢羽根となる。形作られた二本の《力矢(マジックミサイル)》が、目標を捉えた。

 

「MOOO!」

 

 鉄の鏃と魔術と太陽。重ねた威力は決定打にはほど遠くとも、敵を怯ませるには十二分だ。

 

「もぉ、ひとぉつ!」

 

 そこに女剣士が斬り込んだ。昏く虚ろな死者の視線を、小剣が断って絶つ。

 

「MRRROT!」

『僕とママが、負けるはずがないんだ!』

 

 半減した知覚範囲、《祈誓》の効果を乗せた攻撃によって阻害されているデーモンの自然治癒力、それが影響してか鈍り始めた挙動。死人占い師の声色に、不安が混ざりつつあった。

 

「GUUUUL!」

「GLULUUU!」

 

 主の危機に、駆けつける者どもがいた。檻から放たれた爆屍者が、地下から上ってきたのだ。

 

『よし、よーし。お前たち、すぐに援護しろ!』

 

 下知に従い、死者が横隊を組んで歩む。一様に肉体を赤く発光させた彼らを前に、冒険者たちは後退せざるをえない。

 

「こんなときにかよクソが、邪魔くせぇ」

『擦り傷でもつけてみろ。即、爆発するぞ!』

 

 気をよくした死人占い師が、懇切丁寧に説明してくれる。後悔したのは直後だ。

 

「なるほど」

 

 これはいいことを聞いたと、治療師が遠慮なく撃鉄を弾いた。火打ち石が火花を咲かせ、火花が銃火を熾し、銃火が花火を炸裂させる。撃ち抜かれた爆屍者の一体が起爆し、同族すべてを誘爆させたのだ。

 

「歩き回る死体の群れなど、不衛生極まりない。汚物は消毒すべきです」

「うん、うん、それもまた太陽だ!」

 

 荼毘に付され、聖騎士に見送られ、亡者たちは眠りを得た。

 

「MOOOMRRRR!?」

『ちゃんと援護しろよぉ!』

 

 遺された者が、騒ぎ立てている。爆風に煽られたデーモンは体勢を崩し、立ち込める煙によって視界も奪われていた。これほどの好都合、彼が呆けて見ているわけがない。

 

「いただきだ!」

 

 馬脚盗賊の体が、大刀の刃が、一つの車輪となる。それはデーモンの左足を駆け刻み、植えつけられた死体を股から頭まで轢断した。余勢で空中に飛び出しつつ、己の戦果を確認すべく首を巡らせた、とき。

 

「まずっ——」

 

 闇雲に振り回された臍帯が、彼を鞭打った。

 

『やった、やったよママ! まともに喰らったよ、あいつ!』

「MOOORRT!」

 

 随分と狭くなった視界の端に、吹き飛ぶ敵の姿が引っかかったらしい。死人占い師は形勢不利の動揺を喜色で繕い、母の胎を蹴った。

 

『もう面倒だし、このまま全員グチャグチャにしちゃおうか。素材はまた集めればいいや』

「追わせるものか!」

 

 確実にとどめを刺そうと向きを変えるデーモンを、太陽騎士が咎めた。煙ごと払いのけようとする肉鞭を、盾で受ける。

 

『《最後に残るは麦一つ、偉大なる死を受け入れよ》』

「うく……!?」

 

 間際、肉体が異変を訴えた。脱力、関節の痛み、曖昧な五感。何が起きたのか理解できぬまま、彼は殴り倒されていた。手からこぼれた武具が主人の鎧共々、床を鳴らす。

 

「太陽ちゃん!」

 

 《老化(エイジング)》の術。死人占い師の詠唱の正体はこれだ。補助脳の喪失が進んだことで、デーモンの直接制御がほぼ不可能になった。これによって彼の思考に余白が生じ、呪文を発動する余裕ができたのだ。

 

『太陽は必ず沈むのさ』

 

 デーモンが拳を振り上げる。死の帷に覆われようとする太陽騎士は、昏倒してしまったのか身じろぎもしない。

 

「救護、任せてください!」

 

 叩き潰されるよりも早く、治療師が走っていた。患者の片足を抱え込みながら前転し、その勢いを利用して両肩の上に担ぎ、攫っていく。軍隊仕込みの搬送方法だ。彼女の技量ならば、ほとんど速度を落とさずに行える。

 

『無駄だよ、まとめてやっちゃえ!』

「MOROOOO!」

「いつまでも好きにさせるかよぉ!」

 

 頭の中で緒が切れ、豹変した女剣士が吶喊した。その速さはもはや、現状のデーモンに対応できる域を超過していた。

 

「《血は砂に、肉は石に、魂は塵となれ》」

 

 それでも、届かない。彼女の周囲の床面一帯から無数の死霊の手が生え、足を絡め取ったのだ。為す術なく転倒し、這いつくばって首を上げると、あの臍帯が砲口を開いていた。

 

『また一人。そろそろ、終わりかな?』

「うおぉぉぉ俺はやるときはやる男ぉぉ!」

 

 誕生以来の大音声で気合いの雄叫びを上げ、青年薬師が阻止を試みる。敷かれた《地縛(アースバウンド)》を飛行することで躱し、彼は女剣士を背に庇った。着地と共に《禹歩》の効果が尽き、新たな犠牲者を見つけた死霊たちが群がる。

 

 構うものか。一歩たりとも、動く気などないのだから。

 

「《マグナ(魔術)……ノドゥス(結束)……ファキオ(生成)》!」

 

 喰らいつく骨矢を六本、不可視の《力場(フォースフィールド)》でもって防ぎ切る。

 

『魔術師め、それなら直接潰しちゃえ、ママ!』

「MRRRROO……!」

 

 小技は効かぬと見るや、力任せに粉砕するつもりで、死人占い師が指示を下した。デーモンがにじり寄ろうと腕を浮かせ……そこで、沈んだ。

 

『ママ、ママ!? 動いてよ、ママっ、なんで動かないんだ!』

 

 我が子の懇願に反して自重すら支えられなくなり、擱座する。混乱の極みに叩き落とされた死人占い師が、死人の目を通して対手を睨んだ。

 

「よかっ、た。効かなかったら、どうしようかと」

『なんだ、何をしたんだ、なんの術だ!』

 

 要望に応えて、種明かしだ。青年薬師は懐から薬瓶を取り出し、貼札(ラベル)を指でなぞった。

 

「医術……の、悪用だね。ほんとはこんな使い方、したくなかったけども。さっき、みんなの武器に麻酔薬を塗ってもらった。馬銭の毒(クラーレ)を原料にした薬だよ」

 

 馬銭(マチン)の木から採れるある成分は、筋肉を弛緩させる効能を持つ。適量であれば手当ての際、痛みや反射で患者の体が意図せず動いてしまうのを防ぐ薬となるが、致死量では呼吸すら阻害する猛毒となるのだ。

 

『馬銭の毒だって、そんな、ありえない! アンデッドに毒が効くわけない!』

 

 とはいえ毒とは命ある存在を脅かすもの。死体には無意味。その認識は間違ってはいない。

 

「や、効いてしまうのだな、これが。自分で言ったじゃんか、"アンデッドとは違う"って」

 

 間違っていたのは、過ちを犯したのは、死人占い師の減らない口だったのだ。墓暴きが墓穴掘りとは、なんとふさわしい末路であろうか。

 

「死体のことばっか考えてるから、生き物のことがわからないんだ!」

 

 外套を大きくて翻し、指差して勝ち誇る。見え透いた挑発でも、相手を選べば有効だ。

 

『黙れ、黙れぇ! よくもママを、殺してやる!』

 

 このとおり。配下をことごとく危地に追いやった、無能な指揮官が吠えている。毒が回っているのはデーモンの体だけ。死霊術の行使を妨げるものは何もない。この一点が、彼の小心に虚勢を縫い留める最後の釘だった。

 

「はぁい、ざんねぇん!」

 

 二振りの剣が、それを無に帰す。激昂するあまり呪文の維持を失念していた死人占い師に対し、青年薬師はあくまで冷静に状況を見極めていた。彼の外套の陰で起き上がった女剣士が、自身の愛剣と太陽騎士の長剣を、デーモンの左腕の双眸に突き立てたのだ。

 

「相手が見えてなきゃあ、呪文はかけられないっしょお?」

 

 これで視線は完全に遮断、同時に術も封殺した。脳まで破壊するなら別段、両目を潰す必要はなかったのだが。わざわざ仲間の得物を拾って使ったのは、ただの仕返しの代行だ。

 

「ありがとぉ、かっこよく決めたじゃあん」

「やー、《力矢》一発だけじゃまるで成長してないも同然だしねぇ。で、あれどうしましょうかね」

 

 大きく跳びすさって戻ってきた女剣士と並び、青年薬師はデーモンに目を向けた。

 

『——!』

 

 もはや外へ語る口を持たぬ死人占い師が、胎の内で暴れていた。身を預ける暗闇が、安寧を約束する揺籠などではなく棺桶であるという事実に、いまさらになって気づいたように。

 

「お腹、掻っ捌いちゃえばいいんじゃなぁい。得意だよぉ、あたし」

「何この人怖い」

 

 いつの間にやら普段の態度になっていた女剣士だったが、怒りを鎮めたわけでもなければ、気を緩めたわけでもない。虫の息でも、その一吹きで人の命を吹き散らすのがデーモンだ。死人占い師にしても、視線を通す隙を与えれば反撃に転ずるに違いない。速やかに、かつ確実に仕留める必要がある。

 

 さてどこから刃を入れるべきか。考慮する彼女の前に、極端に具体的な妙案が降ってきた。

 

「MOO……RR……!?」

『——!?』

 

 吊灯だ。デーモンの腹を目がけて、吊灯が落下してきたのだ。いかに巨躯を武器とするデーモンとて、毒に蝕まれた体では衝撃を和らげることも耐えることもままならぬ。己の身はおろか、我が子を守ることすらできはしなかった。

 

「おっと、つい魔が差して落としちまった。まさか真下にいるとはな。運も相手も悪かったな、坊や。ウヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 

 半ば肉に埋まった吊灯の上に、彼はいた。頭から血を流しながら、馬脚盗賊がすべてを見下ろしていた。敵の目を盗み、壁の装飾を手がかり足がかりにして蜘蛛さながらに登攀し、天井の梁を渡っていたのだ。

 

「くるのがちょい遅いんじゃありません?」

「莫迦言え、あんたちの見せ場を邪魔しないように待っていてやったのさ」

「おいしーとこ、持ってったくせにぃ」

「そういうもんさ、盗賊の仕事ってやつはな。へへへッ」

 

 なんて余裕ぶって冗句を飛ばしているこの男、思いのほか危ういところであった。戦列への復帰が遅れたのは、頭を強打して朦朧としていたせいだ。当たり方次第では命を落としていただろう。軽傷で済んだのは、仕える神の冥助あってのこと。

 

 かつて《時》を拐かし、世界を大混乱に陥れたという奪掠神が権能、その残滓。《修正(リライト)》の奇跡が、彼の命を繋ぎ止めたのだ。

 

 日に一度しか祈願してはならない。深く集中し時間を費やさねばならない。加護を賜っていられるのは半刻だけ。効果を発揮するのも日に一度きり。

 

 神々の約定(ルール)により幾重にも戒められた力。それが可能とするのは、直後の結果を確かめたうえで自分の行動をやり直すという、時と因果の法則に逆らう神業である。彼は一党の救助のため霊廟の深部へ挑む前に、この奇跡を降ろしていたのだ。

 

 たとえ肉鞭の一撃に不意を突かれ防御をしくじり、首の骨が折れた()()()()としても。賽は再び投げられた。

 

 ゆえにすべては、なかったこと(ノーカウント)になったのだ。

 

「ぐ、うあ……」

 

 そんな彼のほかに、しぶとく命を拾った者がもう一人いたらしい。裂けたデーモンの腹部から、漆黒の羊水に流し出されて、死人占い師が産声を上げた。潰れた両足を引きずり母の胸元で這いつくばる様は明らかな瀕死、しかし手にはいまだ杖が握られていた。

 

「さっさと死に腐れ!」

「M……OOO!」

「チッ」

 

 決着をつけんとする馬脚盗賊は、緩慢ながらも迫りくる影に気づき、退避を優先した。味方と並び、デーモンと相対する。

 

「ママ……ママ」

「MMRR……」

 

 すでに指一本曲げる力も残されていないなかでも、母の想いがかろうじて、臍帯を動かしていた。それらは子を守って取り囲み、巻きついていく。

 

「マ、マ、待って、苦し、ぎ、ぃ……!」

 

 母は我が子を抱き()める。必死に。熱烈に。惜しみない愛情を込めて。どうしたのだろう、どうしたのだろう。痛むのだろうか。怖いのだろうか。いい子、いい子……

 

 やがて、赤子は泣きやんだ。

 

「MM……OOOOORRR!」

 

 慟哭が聖堂を満たす。すると床に広がりゆく黒い水溜りが震え、大量の分裂体が発生した。その姿は一様に、死人占い師を模していた。

 

「最後っ屁かよ、畜生」

「数、多いぃ!」

 

 産みの親の錯乱に共鳴し、押し寄せる死の濁流。迎え討ってみれば、撫でられただけで崩壊するほどに脆弱だ。代わりに出現が途切れることはなく、冒険者たちはあっという間に取り囲まれてしまった。

 

「抑えられねぇ、おいあんた早く逃げろ!」

「術、解いてなかったんでー! 一応なんとかなったりしてますー!」

 

 怪物の群れが、ドーム状に形状変化した《力場》を叩く。硝子窓のように手形が残ったりはしないが、全周から聞こえる湿った肉を打ちつける音は消えてくれない。本能的な恐怖で痺れる頭脳に喝を入れ、青年薬師は集中力を保ち続けていた。

 

「だがそう長くは持たねぇぞ! 大元をどうにかするしかないぜ!」

 

 見えない城壁を中心に双剣と大刀、四つの刃が竜巻となり、小兵どもを薙ぎ払う。だがそれでも圧殺されないようにするので精一杯だ。打開にはあと一手、望みはこの男に託された。

 

「ドカッとやっちゃって、太陽ちゃん!」

「——おうとも」

 

 治療師の肩を借りて、太陽騎士が立ち上がった。

 

「動けますか?」

「もちろん」

 

 《老化》の呪縛はすでに剥げ落ちた。気つけ薬を嗅がされて意識もはっきりしている。薬水を喉に流し込まれ、痛みも多少は引いた。いつまでも寝てはいられない。なぜならば。

 

「太陽は、沈むたびに昇るものだ!」

 

 駆けろ駆けろ、前へ前へ。剣はなく、盾もなく、されど心に()を灯して。見よ、仲間たちが奮戦し、注意を引きつけている。はぐれた敵が邪魔をしようものなら、追従する治療師が投げ倒す。進路を阻むものはなし。

 

「MOOORRTT……!」

 

 デーモンの瞳の中で、彼の姿が大きくなっていく。瞼の端からは、黒い涙が流れ続けていた。

 

「もう悲しむことはない、殉教者よ。すべては悪い夢、朝日と共に終わりにしよう!」

 

 聖女の嘆きを拭うため、聖騎士が馳せ参ずる。信仰を胸に、祈りを天に、掌を太陽に!

 

「《太陽礼賛! 光あれ!》」

 

 すると、光があった。光は激しい音と熱を伴った。それは聖なる雷だった。突き上げた手の先に浮かぶ雷の大槍、その銘は《霹靂(パニッシャー)》。

 

「おぉぉぉぉッ!」

 

 触れられるほどの距離まで接近し、腕を振り下ろす。至近から投じられた槍は杭のごとくデーモンの額に突き立ち、全身へと散り巡った。

 

「MOOOOORRRRアアアアあぁ……」

 

 穢され切った血肉が浄化され、白光に転じていく。最後に漏れた声息は、どこか安らかだった。

 

「太陽……万歳!」

 

 光の洪水が収まる。太陽騎士は両腕を斜め上に広げ、太陽を賛美する姿勢を取っていた。

 

「お疲れ様ぁ」

 

 そのまま倒れ込みそうになったところで女剣士が背を支え、ゆっくりと座らせた。気づけば分裂体たちも骨すら残さず消え去っていた。聖堂は、あるべき静謐を取り戻したのだ。

 

「確かに、少し疲れた。たくさん動いたし、もう遅いしな。眠い」

「もーう、子供じゃないんだからぁ」

 

 緊張の糸が切れすぎている頭目に、彼女はくたびれた様子で笑いかけながら剣を返した。今すぐ寝台に体を投げ出したい心持ちなのはこちらも同じだ。

 

「街に帰還する前にどこかで休息を取りましょう。治療も必要です」

「外に建ってた、たぶん例の墓守の一族の家だと思うんですけど、ちょっと貸してもらいますかね」

 

 帰るまでが冒険であり、道すがら野生の怪物(ワンダリングモンスター)に出くわすおそれも大いにあり、それを退ける余力はもう彼らにはない。せめて呪文一回分、眠らなければ事故が起こる。冒険者とは篝火一つあれば休める人種、先ほどまで亡者の巣窟だった霊廟のそばとて、屋根の下ならどこでも最高級泊室(ロイヤルスイート)だ。

 

「異存なぁし……何やってるのぉ?」

 

 互いを労い合う面々から離れ、馬脚盗賊は品のない姿勢でしゃがみ込んでいた。傍らに横たわっているのは置き去りにされた、死人占い師の亡骸だ。

 

「こいつは死人に喧嘩を売りすぎた。放っておけば怨霊どもが寄ってきて、呪いの苗床になっちまう。気乗りはしねぇが、葬ってやらなきゃあな」

 

 死人占い師は死んだ。が、仮にすべての死霊術の使い手をこの世から取り除いたとしても、アンデッドを根絶できるわけではない。死こそが、禍の根源なのだから。生きる者がいる限り、死ぬ者もいる。その狭間に供養する者がいなければ、両者はしばし望まぬ再会を強いられることとなるのだ。

 

「へぇー、聖職者みたいなこと言うじゃあん」

「みたいじゃあない、聖職者だ」

 

 真面目な話を容赦なくからかう女剣士。彼女の拾ってきた盾を受け取った太陽騎士が、痛みをこらえて腰を上げた。

 

「ああ、貴公はまさしく聖職の鑑だ。そういうことなら当然、俺も協力するぞ!」

「その前に治療です。生者に優先されるべき死者なんて存在しません」

「あっはい」

 

 "指揮官に逆らっても、治療師には逆らうな"とは、王国軍の兵士たちが用いる非公式の標語(モットー)だ。兵士でなくとも彼女にはあまり逆らわないほうがよいと、この男はすでに学んでいた。

 

「まあ、至高神に見張っていてもらえば、しばらくは大丈夫だろうさ」

 

 女神像へそれぞれの作法で畏敬を示し、聖職者二人はほかの者に続いて踵を返す。太陽神はともかく混沌の神たる奪掠神の信徒から頼られるとは、至高神も困惑しているに違いない。

 

「それにしても……あんたたちは毎度毎度こうなのか? こんな無茶ばかりやっていたら、この先生き残れないぜ」

「やー、いくらなんでもいっつも全滅しかけてるわけじゃないですよ。そこはご安心してもらいつつ、今後ともよろしくお願いしたいんですが」

 

 玄関へ向かうさなか、なんの気なしに発された言葉を、青年薬師はことのほか真剣に受け取った。馬脚盗賊はあくまで飛び入り参加の身だ。今回でお見限り、という結末もありうる。

 

「おう、いいぜ」

「いいんですか」

「仲間じゃあないか」

 

 などという憂慮はあっさりと吹き消えた。この新参者は、彼自身にとっても驚くべきことに、もうすっかり一党を気に入ってしまっていたのだ。

 

「ウワッハッハッハ! 頼もしい仲間が増えて誇らしいぜ! 共に太陽を為そう!」

「宗旨替えはしねぇよ」

 

 肩を組もうとしてくる頭目からスルリと逃れて、馬脚盗賊は瞬時に皆の認識から消えてみせた。戸惑う後輩たちを眺めて満足すると、蹄を高らかに打ち鳴らす。

 

「俺に太陽は似合わねぇ。せいぜい盗賊らしくあんたたちの影に隠れて、ケツを守ってやることにするさ」

 

 新たな仲間を迎えた悪魔殺しの一党。この世ならぬ人外百鬼を狩り続ける、彼らの旅路には困難と、驚くべき冒険の数々が待つだろう。冬の夜に眠れぬ少年を夢に招き、暁光へと導く、御伽語りとなるような。

 

 されど今宵は……ひとまず、これにて。




◆《祈誓》◆

 太陽神の聖騎士が、その証とする奇跡。

 固い誓いを捧げることで加護を受け、周囲を含め、能力を一時的に向上させる。特にデーモンやアンデッド、獣憑きなどの邪悪な存在と対する際には、さらなる強化をもたらす。

 太陽信仰はごく古く、言葉すら未熟な時代から、人々の心の寄る辺であった。

 聖句が簡素なのは、そのためだ。






◆《力矢・付与》◆

 基礎的な攻撃魔術である《力矢》、その亜流となる呪文。賢者の学院の教えない、異端の術の一つ。

 物体に魔力を注ぎ、必中の性質を与えて射出する。物理と魔法の両属性を備えた攻撃は容易には対処できないが、矢弾として使用可能な媒体の重さと大きさには限界がある。

 かつて極東から渡ってきた外交官の一団が、この術を編み出したという。独特の湾刀に理力の光を纏わせて戦う、卓越した剣士でもあった彼らは、この地を訪ねた最初の侍であった。
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