〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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1-2:明日への道行/Brand New Day

 

「ぐっ」

 

 また小石でも踏んだのか、馬車が跳ね、侍の尻も跳ねた。元より人を運ぶことを前提としていない荷馬車だ。乗り心地など言うに及ばず、慣れぬ者にはつらい。一方ほかの乗客たちは平然としている。乗れればよし、それも幌つきなんて上等も上等、といった思考だった。

 

「毛布、敷きますか? それだと傷が痛むでしょうから」

 

 白い長衣(ローブ)の少女が鞄に手を入れるのを、侍はやんわりと制止した。

 

「心遣いまこと痛み入る。だが体に障りはない。お主のおかげよ」

 

 

 

§

 

 

 

「かたじけない」

「いえ。お役に立てれば幸いです」

 

 木陰に胡座をかいたまま頭を下げる侍の肩に、少女はそっと毛布をかけた。地母神に仕える女神官(プリーステス)たる彼女が何かを唱え手をかざすと痛みは薄れ出血も止まり、加えて常備していたらしい解毒剤(アンチドーテ)によって毒も抜け、侍は回復を果たしたのだ。祝詞を捧げ神の御業を顕す者。侍は彼女を(かんなぎ)の類だと解釈することにした。

 

 ゴブリンは死んだ。デーモンも死んだ。夜明けはまだ遠いが、辺境の村を襲った危機は去ったのだ。村人たちは手当てだ火消しだと忙しく動き回っている。皆疲れ切っていたが、どこか活き活きとしていた。

 

「お主らにも援けられた。礼を言う」

「なぁに、雷光の弓矢なんつう、珍しいもん拝ませてもろうたかんの。こらぁ、儂もなんぞ手妻の一つも披露せにゃならん、と思うてな」

 

 一人勝手に祝杯を上げる白髭の精霊使い(シャーマン)、あるいは道士は、東洋風の衣服にくるまれた太鼓腹をどんと叩いてみせた。顔立ちからして同郷ということもなかろうが、と侍は相手の出自を計りかねて小さくうなる。彼が鉱人(ドワーフ)やその他の種族についての知識を得るのは、もう少しあとのことだ。

 

「そう、それよそれ! 何さっきの! 魔術!? 奇跡!? それとも魔法の武器!? 私にもできないかしら!」

 

 運命的な美しさ、とでも表現すべきか。細くしなやかな肢体に狩装束を纏う耳長の野伏(レンジャー)は、同じ弓の遣い手として興味を惹かれたというより、じゃらされた子猫も同然の無邪気さで侍に迫った。背後から伸びた手に後襟を摘まれて回収されていく様は、これまた子猫めいている。太古の妖精の末裔、悠久を過ごす上の森人(ハイエルフ)にしては、なんとも落ち着きのない性分であるらしかった。

 

「怪我人ですぞ。自重召されい」

 

 侍よりもさらに大柄な蜥蜴人(リザードマン)は少女を降ろすと、鋭い爪の並ぶ指を複雑な形に組んだ。

 

「拙僧の連れが失礼をば。申し訳ない」

 

 その動作が合掌なのだと、侍は遅れて理解した。口振りから、この男(かどうかも判別できないが)は僧職である、とも。革と羽飾りの奇妙な出立ちは、どうしても僧衣には見えなかったが。

 

「ごめんなさい。すごく綺麗だったから、つい興奮しちゃって」

「構わぬ。それより、俺のことはもうよい。村の者らを助けねば」

 

 腰を浮かせようとするのを、女神官はやんわりと制止した。

 

「そうですね。では、私たちはいきますから。ちゃんと休んでないと駄目ですよ?」

「……あいわかった」

 

 こう釘を刺されては、頷くほかない。自覚なく無理をしようとする、どうにも仕方のない輩の対処には、手慣れた様子だった。

 

 高さのバラバラな後姿を見送り、侍はなんとなしに視線を上げた。すでに雲は散り失せ、空には双つの月が変わらずたゆたっている。道は二つ。生きるべきか、死ぬべきか。侍は、己に迷いがあることに気づいていた。それこそが、問題だった。

 

「よう、あんた。やっと見つけたぜ」

 

 そうしていると、鎖帷子の戦士が左腕を吊った姿で歩いてきた。別に侍を探していたわけではない。

 

「ほら、よ。ったく、よくこんな重たいもんブン回せるな」

 

 肩に担いでいた大太刀を、なんとか侍に手渡す。戦士とて筋力は人並み以上だが、愛剣の三倍もの重量となると軽々とはいかない。

 

「すまぬ、手間を取らせた」

 

 受け取ったほうは小枝か何かのように掌中で回し、刃や目釘を改め始めるのだから、戦士が何か不可思議なものを見る目つきになるのも当然だ。

 

「その腕はどうした」

 

 やがて満足したのか、侍は刀を鞘に納めた。

 

「戦ってる最中はてんで気にならなかったんだが、終わったら急に痛みだしやがった。たいしたことはねぇが、娘がな。おとなしくしてろって、手伝わせてくれねぇのさ」

 

 鉱人が火の前に仁王立つのが見えた。手にした盥からブチ撒けられた水が不自然にうねり、燃え上がる家屋に絡みつく。戦火が消えていく。

 

「森で何があったか、あいつから聞いたぜ。村でのことも含めて、本当にありがとうよ。あんたにゃあ、感謝してもし切れねぇ」

「よい。助けた折、あの娘から焼き菓子を貰った。とても、うまかった。その恩を返したまでよ」

「あいつが、そうか……そうか。そう、だったな」

 

 呟く戦士に、訝しげな視線が向けられる。ややあって取り繕うように肩を竦め、一言断ってから座り込み、木にもたれかかった。

 

「昔、傭兵だったんだ。俺が若い頃は、今より国が荒れてたからなぁ。腕っ節しか自慢できることのねぇ俺でも手っ取り早く金を稼げるっていう、安直な考えさ」

 

 この国の外交情勢が一応の平穏を得たのは十年ほど前、先王が崩御し現国王が即位してからだ。今が凪ならばかつては大時化だった。寄せては返す波濤に洗われる砂浜めいて、国境は何度となく書き換えられ、多くの命がそのなみまに消えていったのだ。

 

「あるとき俺のいた部隊が駐留してた村で、いい仲になった女がいてな。かっこつけて、馬鹿馬鹿しい理想の将来を語って、再会の約束をして……それっきりさ。何年かしたら、すっかり忘れてたよ」

 

 ありふれた、夢見る若人たちの儚い恋の物語だった。少なくとも、傍観する限りはその程度のものだ。当人たちにとっては、たいていはそんな耳触りのいい言葉で語れる話ではないが。

 

「だいぶあとになって、たまたまその村の近くを通る機会があった。それで急に思い出して、どうにも気になっちまってな。どのツラ下げてってやつだが、見にいったわけだ」

 

 後ろめたさからか、あるいは淡い期待でもあったものか。いずれにせよ、彼が何かを後悔したのは間違いない。

 

「村は飢饉にやられて、酷い有様だったよ。食い物目当ての連中が襲いかかってきやがる始末だ。そこに、あいつがいた」

 

 寝台に横たわる痩せ衰えた女性。すがりついて嗚咽を漏らす少女。二人を取り囲む、飢えに正気さえ蝕まれた村人たち。その場で行われようとしていたことについて、あえて語る必要はあるまい。

 

「例の女は死んでたよ。歳取って、骨と皮だけになっても、意外と誰だかわかるもんだ。で、あいつと話して、あいつが俺の娘で、母親がずっと俺を待ってたんだってことも知った」

 

 儚い恋などと、とんでもない。一生を懸けた大恋愛だったのだ。だが、すべては遅きに失した。

 

「俺は死体を担いで、あいつと一緒に村から逃げた。あいつはすぐに歩けなくなって、だから持ってた焼き菓子を食わせて、で担いだ。歩いて、歩いて、辿り着いたのがこの村だ」

 

 彼の住居、かつて老いた木樵が住んでいた小さな家の裏手には、簡素な墓標が建てられている。彼の良心の必死の抵抗の成果であり、また罪垢の証でもあった。

 

「傭兵稼業はそのときに廃業したよ。情けないが、心が折れちまったからな。俺の過去も、未来も、人生が全部無意味な気がしたんだ。亡霊にでもなったみたいだった。でもな」

 

 食え。食って、生きてくれ。彼がそう言って押しつけた焼き菓子を泣きながら頬張った少女は、かすかに、しかし間違いなく、笑っていた。きっと、とてもうまかったのだろう。

 

「あいつは、いい子に育ってくれた。それならまあ、少しぐらいは。俺がしたこと、生きてきたことに、意味はあったのかもしれねぇと思うのさ」

 

 彼は少女に恨まれているかもしれない。軽蔑されているかもしれない。しかしその出会い以来、少女は彼を父と呼び、父の背中を見ていた。それだけは確かだった。

 

「生きてる意味なんて、生きてみなけりゃあ、わからねぇもんだ」

 

「生きねば、わからぬ……」

 

 黙って耳を傾けていた侍が、ぼそりとこぼす。それを合図に戦士はハッとして、決まり悪そうに苦笑した。

 

「悪い、妙な話をしちまった。忘れてくれ。あー、ところでよ。助けた礼に菓子を貰った恩返しでさらに助けるってのは、変じゃねぇか?」

 

 至極もっともな指摘に、侍は真顔で返してのけた。

 

「何も異なことはない。()()()()()()()()()()への礼ゆえ、な」

「なんだそりゃあ、屁理屈かよ。ワハハハ——あん?」

 

 弾かれたように立ち上がった二人は、各々の得物に手をかけた。暗がりに何かがいることに感づいたのだ。よくは見えない。火事は消し止められていたものの、篝火が灯されており、そちらを視界に入れていた彼らは夜闇に目が慣れていないのだ。

 

「……ゴブリンか?」

 

 誰何に応答があれば、それでよし。そうでなければ、抜くしかあるまい。侍は鯉口を指で撫でた。

 

「いや」

 

 答えたのは、低く何かに反響する、若い男の声だった。闇の中から染み出すように、不気味な鎧姿が出現する。飾り気のない外見を唯一飾る、兜の上で踊る千切れた赤い房が、いやに目立っていた。その様は、打ち捨てられた甲冑が独りでに彷徨い歩くがごとく。

 

「俺は」

「ゴブリンスレイヤーさん! その、終わったんですか?」

「……ああ」

 

 小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)。そう称される男がそこにいた。駆け寄った女神官に頷き、後ろに続く馴染みの面々と、この村の長らしき男を軽く見やる。

 

「巣に逃げるゴブリンどもは殺した。別の方向に散った形跡はない。そちらの首尾はどうだ」

「万事つつがなく。小鬼どもは全滅、デーモンも討ち果たし、犠牲者なし。大勝利と申し上げてよぉございましょう」

 

 深手を負った村人もいたが、癒しの術を会得した聖職者である、この蜥蜴僧侶(リザードマン)と女神官が命を繋ぎ止めた。これこそまさに奇跡だった。

 

「デーモン、とはなんだ」

「あそこに倒れてるでしょ、あの大きいやつ。デーモンぐらい知っときなさいよね、小鬼殺し(オルクボルグ)

小鬼殺し(かみきり丸)だもの、しゃあねぇしゃあねぇ」

「小鬼殺し殿ですからなぁ」

「ゴブリンスレイヤーさん、ですし」

 

 侍は困惑した。戦士はいつの間にやら村長のもとに移動していて、あれやこれや話し込んでいる。色々と置いてけぼりのところに、助け舟が出された。

 

「ま、儂らが着く頃にゃ、あらかたケリはついとったけんどな。そこにおる侍が、そうとう気張ったみたいでの」

 

 侍。侍とは鎧を装備しているものではないのか。あれでは蛮族(バーバリアン)なのでは? ゴブリンスレイヤーは困惑した。水を向けられた当人は、集まる視線を泰然と受け止めている。

 

「村の者らもよく戦った。お主らもだ。これは、我ら皆の手柄よ」

「……いや。少なくとも俺は今回、失敗した。手柄とは言えん」

 

 事態の推移はこうだ。近隣の廃坑を根城にしていたゴブリンを退治すべく乗り込んだゴブリンスレイヤー一行は、巣の規模に対して敵の数が少なすぎることに違和感を覚えた。その後の探索によって裏口と、この村へ通じる大量の足跡を発見。急行するもゴブリンたちがすでに潰走しつつあったため、ゴブリンスレイヤーは村のことをほかの者に任せ、自分は敗残兵の掃討を開始したのだ。

 

「夕暮れ時にやつらが動いたのは想定外だった」

 

 ゴブリンは夜行性だ。夕方とは彼らにとっての明け方にあたる。勤勉などという言葉とは無縁の生物であるからして、そんな気怠い時間から活動することはない。別の何かの意思が介在しない限りは。

 

「デーモンがゴブリン連れて村を襲うなんて、どうやって想定しろっていうのよ。親玉は城とか遺跡とかの一番奥でふんぞり返ってるものでしょ」

「あんデカブツじゃあ、城や遺跡はともかく、さっきの廃坑にゃ入れんだろ。腹がつっかえっちまわぁ」

「あら、鉱人が通れるなら平気だと思うけど?」

「ほ、耳しか引っかかるとこのねぇ金床娘がなんぞ言いおる」

 

 妖精弓手(エルフ)が仕掛ければ、鉱人道士(ドワーフ)がやり返す。周囲そっちのけで喧々囂々、戦端を開いた二人に、侍は少々目を白黒させる。

 

「止めずともよいのか」

「絆の形は人それぞれと存じまする」

「そうですね。ああ見えて仲、いいんですよ。……あれ、ゴブリンスレイヤーさん? どうかしましたか?」

 

 兜の奥で光る深紅の双眸は、横たわるデーモンをじっと睨みつけていた。

 

 

 

§

 

 

 

 そして現在。うららかな初夏の日差しを浴び、二台の馬車が進んでいく。先行する一台の幌の下に、侍とゴブリンスレイヤーたちの姿があった。

 

「うっ」

 

 硬い荷台は侍を虐めるのに余念がなく、彼は小さく溜息を吐いた。

 

「やはり、馬は車を引かせるものではなく乗るものよ」

「ほほう、侍殿は騎馬の心得もおありか」

「馬に乗れぬでは侍は名乗れぬ」

 

 武士の道は弓馬の道。剣に優れるのみでは、勝負に勝てども戦に勝てぬ。弓射ち馬駆け、刀を抜くのは最後の段。それが侍の合戦というものだ。

 

「その格好だと侍っていうより狩人って感じだけどね」

 

 麻織のシャツに鹿革のズボンとブーツ、肩を覆う黒い短外套(クローク)。それは実際、あの村の猟師から譲り受けた狩装束だった。いつまでも武装半裸ではいずれ、どこかの街の衛視(ガード)に捕らえられて原義どおりの地下牢(ダンジョン)に放り込まれていただろう。幸運にも体格の近い者に縁があったことで、そんな事態は未然に防がれたというわけだ。あとついでに髭も剃った。大太刀で。

 

「侍さん……どういう職業(クラス)なのかよく知らないんですよね。刀を使うってことくらいしか」

「儂ゃ、一度剣を抜いたら誰ぞの首落さんと気が済まん殺人魔人と聞いとるがの。ほんとけ」

「拙僧は、天よりの侵略者どもを木刀一振りで叩き伏せる豪傑と伺っておりまするが、いかがか」

 

 侍は思案する。抜けば必殺というのは、まあそのような血気盛んな荒武者が知己に多いのは事実。木刀はともかくとして、故郷の伝承によればかつて雲上から降りきたあやかしの軍勢を、侍たちが撃退したことがあるとか。ということは。

 

「おおむね、そのようなものだ」

「マジかよ」

「なんと」

 

 冗談混じりに持ち出した眉唾話に是と返されては、呆気に取られるのも無理はない。

 

「俺は」

 

 黙々と装備の具合を確かめていたゴブリンスレイヤーが、その手を止めた。この男、先だっての戦闘でゴブリンの動向を読み違えたことが尾を引いているのか、ほかの者が宿で休む中で不寝番を決め込んでいた。明けて早朝、馬車に乗ってようやく寝入ったかと思えば、二時間足らずで起きてこのとおり。その間一度も兜を外していない。

 

「侍の斬撃は遠間の敵すら両断すると、聞いた。本当か」

「俺はその境地にないが、そういった芸当のできるお方を知っている」

 

 侍の祖父は、剣聖と謳われるに相応しい達人だった。約十八メートル(十間)先の丸木を斬り分けてみせた彼に、なぜそのようなことができるのかと問えば"いかに斬ろうか、いかに斬るべきか。そう突き詰めるうちに、気づけば刃は飛んでいた"などと答えるのだから、幼き日の侍は煙に巻かれたと不貞腐れたものだ。

 

「そうか」

「いやそこもっと驚くとこ! まるで伝説の森人(エルフ)の勇者じゃない! あ、そうだ、伝説といえば。ねぇ、ちょっと弓見せてくれない?」

 

 これが興味本位で武器に触ろうとする素人なら、にべもなく突っ撥ねているのだが。彼女がそうではないことは侍も承知している。

 

「構わぬ」

「ありがとっ」

 

 荷台に横たえてある大弓を持ち上げ。

 

「重」

 

 弦に指をかけ。

 

「おっ……もっ……!」

 

 引けなかった。

 

「五人張りだ。怪我をしたくなくば、早々に諦めよ」

 

 弦を張るのに五人がかり。この侍は平然と引いてみせるどころか自力で同じ強さに張れるのだが、本来なら張ろうと考えることすら狂気の沙汰、という領域だ。少しは弦が動いているあたり、あの細腕で存外やる、と侍は密かに感心していた。

 

「そうする。うん、やっぱりこれも伝説っぽい!」

 

 弓術を嗜む者として多少は落ち込むかと思いきや、むしろ瞳はいっそう輝くばかり。勢いよく立ち上がる、には幌の高さが足りないので、中腰の姿勢で指を立てた。風精(シルフ)と戯れるようにくるくると空気をもてあそび、優美な声音で語りだす。

 

「かつて災厄の黒き竜あり。その飛びゆく跡に残るものなし。古き森は息吹に焼かれ。鉱の山は爪牙に砕かれ。狭間に栄えし谷の街は、大翼の一扇ぎにて崩れ去る。仇敵討たんと我ら森の民、幾百幾千矢を射かけども、その鱗貫けず。ならば怨敵同じくする山の民、幾千幾万重ねた宿縁、今いっとき忘れよう」

「よかろう!」

 

 膝を立てて白髭しごき、森人の詩を鉱人が割り込み引き継いだ。酒宴の席で披露する、武勇伝もさながらに。

 

「おうさ、任せい、森の友よ。喧嘩仲間と言うからにゃあ、仲間に違いはあるまいて。どれどれモノを見せてみぃ、さあさあ我らが技を御覧じよ。神気満ちたる白木の太枝、真銀(ミスリル)の弦を張ってやりゃあ、稀なる強弓一丁上がり。お次は白鷲の風切羽、こいつは矢羽根に打ってつけ、鏃に矢柄は金剛鉄(アダマンタイト)の一本造り。これなる真白い竜狩りの弓矢、担い手たらんと欲すは誰ぞ?」

「え、あっ、えっと……!」

 

 手番(ターン)がやってくるなどとは、思わなかった女神官、慌てた様子で居住まいを正す。詩歌の腕前に覚えなどないもので、幼子に聞かせる御伽に似せて。

 

「森の人には重すぎる。山の人には大きすぎる。それならその弓、我が引こうと、手を挙げたのは谷の街の狩人でした。崩れかけた塔の上で一人、ドラゴンに立ち向かうのです。ぎりりと引き絞る彼の勇気に応えるように、弓が聖なる煌めきを発し、弦へ、矢へと宿ります。そして放たれた一筋の光が、真っ直ぐに飛んでいきました」

「GUYYYRRAAAA!」

 

 竜の咆哮、真似てみせた、竜がごとき蜥蜴の人。僧職にして武人であれば、武勲詩歌うはお手のもの。

 

「地を這う小さき者が一匹、灰も残さず去ぬがよい。青き炎たぎる顎門、開かれたそれを矢が砕く。長首二つに割り裂かれ、心の臓腑が穿たれる。黒き竜は大地に墜ち、もはや空駆けることなし。どうか、よき輪廻のあらんことを」

 

 合掌。

 

「って、なんでドラゴンの肩持つ流れになってるのよ!」

「いや何。拙僧、恐るべき竜の血脈に連なる者にして、いずれ己も竜となる身ゆえ。先達には敬意を払わねばなりますまい」

 

 ぐるりと目玉を回す蜥蜴僧侶は、はてどこまでが諧謔なのか。その表情から窺い知るのは、つき合いの長い者でなければ難しい。

 

「ちなみに、ゴブリンスレイヤーさんはご存じでしたか? 有名なお話なんですけど」

「昔、姉に聞かされた。確か"ダークスレイヤー"の物語、だったか」

 

 頭の中身がゴブリンばかりであっても、それだけというわけではない。彼とて、無垢な少年時代を過ごしたのだ。

 

「そら儂らの言う"影墜とし"のこったの。空飛ぶ真黒い巨影を墜とす、鉱人会心の弓矢の銘が、狩人の二つ名として伝わったわけよ」

 

 聞き捨てならぬと長耳が揺れる。

 

「ちょっと、半分は森人が託した素材ありきだって忘れてない? "光輝の妙弓(カラドタング)"。そう渾名するのが正しいんだから」

 

 森人語を唇に乗せた妖精弓手は、名案ありと手を叩いた。

 

「と、いうわけで。貴方のことはカラドタングと呼ぶわ」

「伝説の弓取りの字名など、俺には分不相応だ。勲しの格が合わぬ」

「これから伝説を作ればいいのよ。そう、()()()になって、ね」

「冒険者? それはどのようなものだ」

 

 話の腰を折るものではないと、知らぬ言葉は脇に置いて聞いていた侍だが、さすがにここは尋ねないわけにもいかなかった。

 

「当然、冒険をする者よ。冒険して、報酬を貰うの。いい? 冒険者になったら、貴方は魔導器の眠る地下墓所に潜ってもいいし、それこそドラゴンの棲む不帰の島に挑んでもいいわ。あとは、うーん、ゴブリン退治でも、いいけど」

「ゴブリン退治をするのか」

「まだ未定!」

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーは作業に戻った。

 

「待て待て、耳長娘。どうもこの()()()はまだここらにきたばっからしい。道を定めんのはいくらか落ち着いてからのがよかろ」

「何言ってるのよ。早いとこ落ち着くためにも、今のうちに足場を固めるべきじゃない。鋼は冷めぬうちに打て、でしょ」

「ぬう……」

 

 さすがに鉱人の格言など使われては、否と返すのも気が咎める。森人相手というのは、なんとも癪ではあったが。鉱人道士が悔しげな顔をするほどに、妖精弓手は得意げになっていった。

 

「そ、れ、に。突如現れた謎の侍、伝説に符合するような強弓、光の矢。これは何かの先触れかもしれない。冒険の、ううん、大冒険(キャンペーン)の予感がするわ!」

「そっちが本音かい。そらまあ、冒険者になること自体は反対せんが、無理強いはいかんぞ」

「わかってるわよ。あと、最初のだって別に建前ってわけじゃないから。人聞きの悪いこと言わないでよね」

「ん、悪くはないやもしれぬ」

 

 考え込む、というほどのこともなく侍は答えを出していた。仔細は不明ではあるが、己の武が役立つ仕事だというのは理解できる。というのも。

 

「ゴブリンどもを斬って食い扶持を稼げるとあらば、俺向きの勤めよな」

「やはりゴブリンか」

「そこに食いついてほしくはなかったかなぁ……」

 

 なんであれ、勧誘に成功したことには違いない。気を取り直して話を進める。

 

「ゴブリンは、いや、自分で言っちゃったし、ゴブリンでもいいけど。とにかく、冒険にいくなら私も同行するわよ」

「ふむ。察するにお主らは皆、その冒険者とやらであるらしい」

「ええ。しかも銀等級、上から三番目。ベテランよベテラン!」

 

 慎ましやかな胸元から、細鎖で首に下げた銀の小板を引っ張り出す。長方の角を丸めた形のこれこそ冒険者の証、認識票だ。

 

「そちらは全員じゃなくて、私だけまだ下から三番目の鋼鉄等級ですけれど」

 

 この一党(パーティ)の面子は女神官以外は皆、銀等級だ。卑屈になるほどではないが、こうして負い目を感じてしまうこともある。

 

「だーいじょーぶっ。貴方みたいないい子なら、すぐ上ってこれるわよ。あ、もちろん()()()()()()()ですぐに、ね」

 

 すかさず抱きすくめた妖精弓手に頭を撫でられ、くすぐったいやら恥ずかしいやら、赤面を禁じえない。

 

「つうたかて、焦るこたぁねぇぞ。一歩ずつでいい。なんせほれ、お前さん儂より足が長いかんの」

「然り。竜への道は長く険しく、突然変異などそうあるものでもなし。大いなる進化は、些細な成長の積み重ねの先にこそ待つものよ」

「そうだな」

 

 もう点検は終わったらしく、ゴブリンスレイヤーは真っ直ぐに女神官を見据えていた。

 

「お前なら、やれると思う」

「は、はい! 頑張ります!」

 

 それは見るものに幸せを分け与えるような、晴れやかな笑顔であり。

 

「……フッ」

 

 侍とて、かすかに笑みがこぼれる光景であった。

 

「とまれ、まずは侍殿が第一歩を踏み出すのが先でしょうや」

 

 王国西方、辺境の街。門は、もうすぐそこだった。




◆朱塗りの大弓◆

 異郷の侍が用いる独特の大弓。師から譲り受け、のちにより強く張り直したもの。鮮やかだった朱は酷使により半ば剥げ落ち、またひどく焼け焦げてしまっている。

 常軌を逸した強弓であり、使用者に尋常ならざる筋力と技量を要求するが、扱いこなせれば桁外れの威力を発揮するだろう。

 彼の弓の巧さには、武芸百般無双を誇った彼の祖父ですら舌を巻いた。

 こればかりは、誰にも劣らぬ。

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