〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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1-4:戦い続ける者/Survivor

 

 よくある依頼だった。

 

 ゴブリンを見た。作物を盗まれた。家畜を奪われた。娘が攫われた。助けてくれ。

 

 よくある話だった。

 

 冒険者歴数分の新人たちが、肩慣らしだと依頼を受けた。二時間後には現地にいた。あれから一日が過ぎている。

 

「俺は三百年続く冒険者一族の八代目だ。初代から受け継がれてきた技がある。素人と思わないでくれよ」

 

 勇ましく剣を振りかざした彼は、ゴブリンを三体殺した。それが彼の戦果のすべてとなった。彼の血脈は、こうして断絶した。

 

「僕にはすごい特技なんてありませんが、ギルド職員として学んだ知識があります。これからは支援するためではなく、肩を並べて戦うためにそれを使います!」

 

 彼はもう二度とギルドの敷居を跨ぐことはない。彼の頭に詰め込まれた知識は、冷たい土の上にこぼれて流れた。

 

「へぇ、虫螻の中にもそんなでかいやつがいるんだ。ま、そのホブとかいうのが出たら、あたしが派手に燃やしてやるよ」

 

 ホブゴブリンはいなかった。彼女はこの場でまだ一度も呪文を唱えていない。喉を震わせ叫んだのは、罵詈雑言と命乞いと、あとは意味を成さないただの音だった。

 

 よくある結末だった。

 

 ありふれた冒険者たちの、ありふれた悲劇だった。どこかの村がゴブリンの魔の手から救われる、少し前に。

 

 残念ながら彼らの冒険は、ここで終わってしまったのだ。

 

 

 

§

 

 

 

「巴の雷?」

 

 森に分け入る冒険者の一党。その頭目(リーダー)たるゴブリンスレイヤーは、聞き馴れぬ言葉に鸚鵡(オウム)返した。

 

「ああ。戦の前に教えておく」

 

 大きな体で器用に木々のあいだを抜けていくのは足軽、ではなく侍だ。腰に大太刀肩に外套、背には大弓。完全武装なら、それなりに様にはなる。

 

「待ってました! もうずーっと気になってたんだから」

 

 先頭をゆく妖精弓手は勝手知ったる未開の森林、と後ろ歩きで危なげなく進む。樹精(ドライアード)が散歩しているかのようだった。

 

「前を見んかい前を。あ、いや見てんのか。胸と背中の区別がつかんわ」

 

 精霊使いたる鉱人道士には、そうは感ぜられなかったのか。売り言葉は在庫が尽きず、買い手にも事欠かず。始まった舌戦はもはや冒険の環境音(B G M)のようなもの、と言うにはいささかやかましすぎた。

 

「お二方。侍殿から大切なお知らせがあるようだ、離れるか口をつぐむかされたい」

 

 シュッと鋭く息を吐いた蜥蜴僧侶の一睨は、蛇よりも恐ろしい。森はそれなりの静寂を取り戻した。

 

「雷、昨日のあれですよね。呪的資源(リソース)の把握は基本ですから、はい。ぜひ教えてください」

 

 実は話を続ける機を逸して困っていた侍を、拾う神の従者あり。真面目な女神官が襟を正せば、まだ小声でやり合っていた二人もさすがに黙る。

 

「巴の雷とは、神なる竜に舞を捧げ、その力の一端を借り受ける異端の技だ」

「舞、ですか」

「竜の力、とな」

 

 神と聞いて竜と聞いて、それぞれに縁深い聖職者たちがさらに興味を深めた。

 

「そうだ、ゆえに俺の剣は舞に近しい。渦雲の彼方、仙郷の竜にその技が認められれば、雷が分け与えられる。だが天に座する竜の力ゆえ、地に足つけては扱えぬ。宙を舞うのだ」

 

 侍は己の秘術を奇跡に近しいと語っていた。実際神の力なのだから奇跡と括れなくもないが、その在りようは確かに異端であった。

 

「でもあの雷、自分に向かって降ってきてたわよね。危なくない?」

「危ういとも。人の身には余る力だ。御し切れねば、焼かれるは己よ」

 

 今は籠手に隠されている、侍の両腕を覆う壮絶な火傷の痕。その所以を、一同は悟ることになった。

 

「加えて俺の技量では、鉄鎧を纏ったままでは雷が散ってしまい操れぬ。それと当たり前だが、空が見えねば雷は呼べぬ」

「あれこれ条件がつくっつうのは、儂の術も似たようなとこあっけんど、輪をかけてむつかしいの」

「しかれども、雷電竜もかくやと思うておれば、よもや雷電竜そのものの力とは。侍殿が手負いでなくば、かのデーモンとて一射で殺し切れていたでしょうや」

「日に何度使える」

 

 沈黙を守っていたゴブリンスレイヤーが唐突に、または当然に口を開き、皆の視線が集まる。彼は頭目だ。本人は向いていないと考えているが、それでも頭目は頭目なのだ。女神官が述べたように呪的資源の把握は基本であり、特に頭目にとっては必修課題だ。

 

「修練では常に倒れるまで舞い続けていたゆえ、なんとも。七十より先は憶えておらぬ」

「ウッソだろ」

 

 鉱人道士が信じがたいものを見る目をしている。これも当然だ。術など四度か五度も放てれば上位の遣い手を名乗っていい。七十など、神話伝承の世界の話だ。そこは称賛されるべきだが、練習内容への呆れも強い。こういう輩はときに変態と呼ばれる。

 

「とは言ったが、同じ戦場でそう幾たびも使うものではない。いかな奥義とて、繰り返せばいずれは破られよう。必ずな」

「そのとおりだ。何事も手を変え、品を変えるべきだ。ゴブリンの学習能力は侮れん」

「そういうお話でしたっけ……?」

 

 すべての道はゴブリン退治に通ず。この男は本気でそのような思考形態をしているのだから、そういう話なのだ。そうなるのだ。

 

「とりあえず、カラドタングから雷の匂いがするわけは理解したわ」

「雷の、匂い? あるんですか?」

「うん。雷がくる! ってときとか、あと深い森の中でも同じような匂いがすることがあるわね」

 

 森人の聴覚が鋭敏であることは、耳を見れば予想のつくことだが、それだけではない。目もよければ、鼻も利く。だからこそ彼女は、野伏にして斥候(スカウト)という役割を担っているのだ。

 

「金気の臭いは、どうだ」

 

 侍以外、全員がゴブリンスレイヤーの発言の意味を知っている。妖精弓手の返答如何で、侍の初めての冒険への感想が大きく変わってくるであろうことも。

 

「大丈夫。きっと雷の匂いのせい。ほんと、大丈夫、大丈夫だから。いいわね?」

「ああ」

「よし。安心して、貴方のことは守ってみせるから」

「よくはわからぬが、わかった」

 

 危険を察知し、これを未然に防ぐ。斥候の使命は果たされた。

 

「止まって」

 

 いや、本当の出番はここからだ。

 

「GRRRU」

 

 各自手頃な茂みに身を潜め、丘の側面に空いた洞窟へ注視する。細部を観察できるのは妖精弓手だけだが、目が多いに越したことはない。

 

「トーテムはあるが、見張りはどこだ」

「あの木の後ろ。サボりね。狼はいない」

 

 ここで言うトーテムとは主に人や動物の骨を組み合わせたオブジェや稚拙な壁画で、ゴブリンの魔術師、小鬼術師(ゴブリンシャーマン)は必ずと言っていいほどこういった意匠で己の知恵や力を誇示しようとする。またゴブリンは食料備蓄に余裕が出てくると、狼を食わずに飼い慣らし、騎獣とすることがある。

 

「と、いうわけです」

「なるほどな。覚えておこう」

 

 一党でゴブリンスレイヤーに次いでゴブリンに詳しいのは、女神官だ。本人にそう伝えれば、赤くなりながら謙遜するだろう。それは褒められたことではなくただの悪影響だという、妖精弓手の抗議ももれなくついてくるだろうが。このかわいい妹分が、先ほどのようなゴブリンスレイヤー式解釈にも疑問を呈さない、なんか変な子となる事態は避けねばならぬ。最年長者の悲壮な決意であった。

 

「ほどよい川があるではないか」

「お前もそう思うか」

「ちょっと。水攻めとか、駄目だからね」

 

 彼女の気苦労は絶えない。

 

「わかっている。約束だからな」

 

 水攻め禁止。火攻め禁止。毒気攻め禁止。その他、およそ冒険にそぐわない奸計は随時禁止事項に追加される。

 

「それに今回は虜囚がいる」

「いなくてもやらないから、普通」

「戦に常道などあるまい。……外道は、あるが」

「然り、然り」

「これ戦争じゃなくてゴブリン退治。あと貴方も便乗しない」

 

 虜囚がいるというわりには悠長だと、はたから見ればそう思えるかもしれない。だが焦りは人から余裕を奪い、余裕のなさは思慮の浅さに繋がる。恐れるなかれ正義は我らにありと、天使(セレスチャル)のように大胆に突っ込んで薙ぎ倒す(ハックアンドスラッシュ)、大いに結構。それが運よく成功したとして、二度も三度も幸運が続くものか。駆けだしに必要な資質は慎重さであり、熟練者に求められるのは初心を忘れないことだ。

 

「狭そうですし、中に昨日のデーモンみたいな大きいのはいないはず、ですよね」

「でかくないやつはおるかもしれんがの。いつもどおり出たとこ勝負ぞ」

 

 もちろん、大胆さが不要というわけでもない。出目が悪かった場合を想定しているからこそ、思い切って賽を振れるという話だ。生きて帰れさえすれば、大失敗(ファンブル)とて得がたい経験となろう。

 

「こんなところでしょ。そろそろ、いい?」

「ああ。頼む」

 

 頭目の許しを受け、妖精弓手は水松樹(イチイ)の長弓を構えた。弦は蜘蛛糸、番える矢は枝、矢羽根は葉で鏃は硬い芽。森人は鉄の武具を好まない。

 

「お主、そこからどう射るのだ。木を抜くつもりか?」

「できないし、やらないわよそんなこと。森人は無闇に木を傷つけたりしないの。ま、見てなさい」

 

 草木に囲まれ弓を取る森人ほど、絵になる情景もそうはあるまい。引き絞るのは一瞬、解き放たれた矢はまさしく弓なりの軌道を描き、前言を違えることなく木をよけてゴブリンの脳幹を横切った。

 

「ふふ。これが森人の射法よ。十分に」

「十分に熟達した技術は魔法と見分けがつかん、だったかの」

「あーっ、この無作法者! 決め口上の邪魔するなー!」

 

 侍は目を見開いていたが、この一党にとってはいつものことだ。森人は曲射をするものだし、鉱人と喧嘩をするものなのだ。

 

「見事だ。わずかな指捌きで矢筋を曲げるとは」

 

 今度は侍が驚かれる番だった。

 

「野伏殿の手の内が視えたのですかや」

「ああ。生半には盗めまいが」

「……貴方、実は森人の血が流れてたりしない?」

「親類縁者に耳長はおらぬ」

 

 侍の出生の秘密が明かされようとしていないときに、ゴブリンスレイヤーはズカズカと屍に近づいていった。女神官も追従する。

 

「あいつは大丈夫だと言っていたな」

「私も大丈夫です」 

 

 神官服の内側から首にかけた小袋を手繰り出し、力強く宣言した。猟師が自然に溶け込むために携行する、香袋だ。

 

「お前はどうだ」

 

 振り返り、妖精弓手にとても大事なことを問う。返答如何で、彼女のこの仕事(ゴブリン退治は冒険と認めたくないらしい)に対する感想は大きく変わってくるだろう。

 

「もっちろん、私も大丈……夫?」

 

 狩装束をあちこちまさぐり、なくてはならないものを探す。そこまで隠しどころの多い服ではない。悪足掻きだった。

 

「……駄目?」

「ああ」

 

 悲鳴を上げなかったことは、評価に値する。

 

 

 

§

 

 

 

 ゴブリンの巣は多くの場合、暗闇に包まれている。熱を視覚情報として捉えられる目と、優れた嗅覚を併せ持つ彼らは、このような環境でもなんら不自由はないのだ。冒険者にとって厄介なのはどちらかというと嗅覚のほうで、金臭さや女、特に森人の体臭は撒き餌も同然。対策としては香袋や、ゴブリンの臭いを利用するといった手段が挙げられる。

 

「部屋出るときに確認しなかった私のっ、莫迦……!」

 

 おぞましい臓物の汁と血に塗れた、妖精弓手の匂い立つ無残な姿はそう、仲間のために我が身を犠牲にする確かな意志の体現なのだ。

 

「お主に助けられたようだ。まこと、かたじけない」

 

 斬り合いの返り血なら慣れているものの、()()は侍も嫌だった。誰だって嫌だ。彼の数歩前で松明を掲げているこの男なら、嫌かどうかはさておき嫌な顔はすまいが。

 

「……必要なことだ」

 

 森人や鉱人、蜥蜴人はある程度の暗視能力を備える種族だ。光源に頼らねばならないのは只人たちであり、女神官は後衛、侍は戦闘になれば武器で両手が塞がる。五人が六人になっても変わらず、松明はゴブリンスレイヤーが担当することになった。これも必要なことだ。つまりやるべきことをやっているのだから決して無駄ではないのだぞと、彼は精一杯慰めているつもりなのだ。

 

「わかってるわよ、もう」

 

 洞窟は緩やかな下り勾配で、幅は詰めれば三人並べるか、という辺りだった。選んだ隊列はゴブリンスレイヤーと妖精弓手、侍と女神官、鉱人道士と蜥蜴僧侶の順で二人三列。接敵時は妖精弓手と蜥蜴僧侶が入れ替わる、というのは常どおりだが、今回はそこに侍の遊撃が加わる形だ。

 

「脆いの、いやな予感がするわい」

 

 壁を指でなぞり、鉱人道士は目つきを険しくした。地下を故郷とする鉱人が土に触れて嫌な予感が、など洒落にもならない。

 

「壁抜きは、怖いですものね」

「なんの。先人に曰く、罠は嵌まって踏み潰すものであり、嵌まれば覚えるもの。踏破し糧にするがよろしいかと」

「避けることよりも、避けられなかったときのことを考えろ、ということでしょうか。一理ある、ような?」

 

 そのようにして、歪な通路を進んでいくと。

 

「……声。女の人が一人。それとゴブリンが、五」

 

 はたして、妖精弓手の耳は確かだった。

 

 曲がり角の先のちょっとした広間、ゴブリンの詰所らしき天井の高い空間に、火が焚かれている。彼らにとって必要なことではない。これはただの、娯楽だ。

 

「ぎいぃぃあぁっ!」

「GOBBBR!」

 

 傷だらけの柔肌に、新たな傷が生まれる。ゴブリンが虜囚の娘に押しつけたのは燃える木の棒であり、二十四時間ほど前までは魔術師(メイジ)の杖だったものだ。己の粗末な持ち物だけではおもちゃが足りなかったのだろう。

 

「BRGOGRG!」

「あっ……が……うぅ……」

 

 侍は事前にゴブリンの生態について説明を受けていた。彼らはほとんどのものを掠奪で賄おうとする。生産能力というものが皆無なのだ。

 

 食い物は作れない。奪えばいい。高度な道具は作れない。奪えばいい。雌は存在しないから、子は作れない。ほかの種族の雌を奪えばいい。

 

「下衆どもめ」

 

 戦国の世においても、巻き込まれた民が乱妨取り、すなわち掠奪の被害に遭うことはままあった。金品や食料、それに人。雑兵たちは大名の黙認あるいは容認のもと、暴虐の限りを尽くしたのだ。

 

 ところが、この侍が身を置いていた家は事情を異にしていた。彼らにとっての戦とは盗られたものを盗り返すか、盗られぬように守るか。隣国への侵攻などしないのだから、必然的に戦場となるのは自国領だ。乱妨取りなどするものか。時折、弁えない者もいたが、そうした輩は皆斬って捨てられた。もしも今この場に臨むのが彼一人であったなら、あと先考えずにゴブリンたちも即刻斬って捨てていたことだろう。

 

「奥の通路の先は、わかるか」

「ううん、ここからじゃ無理」

「どうするよ。眠らせっか」

 

 鉱人道士は、術の触媒が満載された愛用の鞄に短い腕を差し入れた。

 

「いや。音を消せ、タイミングは任せる」

「準備しておきます」

 

 錫杖を握り直した女神官と頷き合い、ゴブリンスレイヤーは動きだした。松明は不要、通路の角に転がしておく。平時の無造作な歩みとはまるで違う、鎧のこすれ合う音すらない静粛さだ。ほどなく広間の入口に辿り着き、今度は壁を登攀する。

 

 そういえば昔、同じようなことがあったと彼は頭の片隅で思い起こした。記憶の倉庫に積み上がるのはどれも、暗いゴブリン退治の記録(リプレイ)ばかりだが、中には特別な(スパーク)を宿すものもある。あの頃は単独(ソロ)だった。今は違う。彼自身も違う。かつてとは、業前(レベル)が違うのだ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、遍くものを受け入れられる、静謐をお与えください》」

 

 《沈黙(サイレンス)》が広間を支配するのと、ゴブリンスレイヤーが跳ぶのは同時だった。最初の獲物の首筋へ剣を突き下ろし、心臓に達した刃をねじり、わずかな溜めから一気に引き抜く。開放された傷口から間欠泉めいて噴き出す血飛沫が細かな雫となり、あっという間にゴブリンたちの視界を覆い尽くした。

 

「——!?」

 

 前述のとおり、ゴブリンには熱感知と鋭い嗅覚がある。これが霧や砂塵なら、なんの障害にもならなかっただろう。だが咽せ返るほどの鉄錆の臭いを振り撒く温かい血煙の中では、そんな特性は役に立たない。

 

「——! ——!?」

 

 虜囚に腰を打ちつけた姿勢のまま硬直していた狼藉者は、刺される痛みを思い知って絶命した。これで二つ。ゴブリンスレイヤーは娘を担ぎ上げ、脇目も振らず通路に駆け戻る。彼とて、この赤い煙の中では何も見えはしない。ゴブリンとの差は、地形や彼我の位置関係を瞬時に把握し憶えられるかどうかだ。

 

「この娘を頼む」

「はい!」

「煙はすぐに晴れる。切り込むぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーは再突入した。鉱人道士は介抱する女神官の護衛として手斧片手に待機し、四人で攻撃を仕掛ける。

 

「そこ!」

 

 妖精弓手に眉間を射抜かれて三体。その隣で頭が爆ぜて四。

 

「うっわぁ……」

 

 今さらではあるが。弓矢でこのような現象が起こるのはおかしい。彼女が目を疑うのは仕方のないことだ。

 

「——!」

 

 熟達の射手二人の掩護のもと、ゴブリンスレイヤーはやっと反撃に出た五体目の短剣を盾で払い、胸板に剣を埋めて仕留めた。これで室内は敵影なし(クリア)だ。

 

「うぅむ、拙僧の分は残らなんだか」

「ゴブリンはまだいる」

「それは重畳」

 

 奇跡の効果は切れ、薪木の弾ける音がした。

 

「お怪我はありませんか」

「ああ。悲鳴が消えたことで物見がくるかもしれん。奥からは見えない位置にいろ」

 

 松明を持った女神官は指示どおりの場所に移動し、鉱人道士がそこに毛布に包まれてぐったりとする虜囚の娘を横たえた。ほかの者は手早く死骸を隅に片づけていく。血痕は問題ない。彼らがくる前から随分と汚れていた。

 

「お主の術で癒さぬのか?」

「命に関わるほど酷くはありませんから、安全を確保するまでは温存です……いいですよね?」

「ああ。それも任せているからな」

「はいっ」

「静かに。一匹、くるわ」

 

 尊敬する先輩からの信頼に、思わず声が弾んでしまう。恥じるように口もとを抑える女神官を見て、妖精弓手は少し意地悪だったかもと心の中で謝罪した。

 

「GRR……!?」

「七つ」

 

 外の見張り含む。喉を裂かれては奇跡などなくとも叫べず、物見の兵は沈黙した。

 

「うん、もうこっちには——その子、止めてッ!」

 

 そのとき、全員の注意がゴブリンに向けられていた。ゆえにわずかな間隙が生じたのだ。

 

「嫌だ嫌だ嫌だいやいやいやぁぁぁぁ!」

 

 娘を駆り立てるのは、半端に浮上した意識にこびりついた恐怖と痛苦と絶望。錯乱するまま近くに落ちていた短剣を拾い上げ、まだ穢れた熱を帯びているように思えてならぬ、己の腹へと突き立てた。

 

「駄目、駄目です、駄目っ、です!」

 

 なおも自傷を繰り返そうとする娘を、女神官は必死に押し留める。すぐさま鉱人のゴツゴツとした手が短剣の刃を掴み、捥ぎとった。

 

「毒はねぇぞ、すぐに治療せい!」

「俺が押さえる」

「お願いします!」

 

 拘束を侍に任せ、女神官は放り出した錫杖を縋るようにして掻きいだいた。一番近くにいたのは彼女であり、託されたのも彼女だった。自責の念であふれる思考をなんとか整理し、神への嘆願で上書きする。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》!」

 

 守り、癒し、救え。そう教える神ならば、そう願う信徒の声を無下にはすまい。柔らかな《小癒(ヒール)》の光が、真新しい傷を塞いだ。

 

「《呑めや歌えや酒の精(スピリット)。歌って踊って眠りこけ、酒呑む夢を見せとくれ》」

 

 赤い壺から酒を一滴垂らし、鉱人道士は術を成した。怪物相手なら口から霧吹き撒き散らすところだが、範囲が人の顔一つ分ならこれだけで事足りる。娘は《酩酊(ドランク)》の中でいっときすべてを忘れ、安らかな寝息を立て始めた。

 

「オルクボルグ」

「わかっている。数は」

「とにかく大勢」

「そうか。ここで迎え討つ。備えろ」

 

 とはいえこれだけ騒げば、こうなる。

 

「GRROBR!」

「BGGRO!」

「BOROBG!」

 

 やつらがやってくる。せっかくの安穏なる我が家を踏み荒らす招かれざる客を、誅戮せしめんとやってくる。

 

「《禽竜(イワナ)の祖たる角にして爪よ、四足、二足、地に立ち駆けよ》」

 

 蜥蜴僧侶の祈祷に応え、彼の手から投じられた竜の牙が泡立ち形を変えていく。組み上がった竜頭の骨人形、《竜牙兵(ドラゴントゥースウォリアー)》は物言わず、主人の命を待つ。多勢に無勢、されど寡兵であればこそ、一つでも数を増やすことの価値は大きい。

 

「待って、なんか大きいのもいる!」

 

 それはすぐに、森人の耳でなくともわかる、重い足音と共に現れた。

 

「OGRGRAAA!」

 

 ホブゴブリンが子供に思える体長三メートルの巨体に、それに見合う()大棍棒。最弱たるゴブリンの一種にして、手練れの冒険者すら油断できぬほどの例外的強者(イレギュラー)

 

小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)……!」

 

 女神官の脳裏から肩へと、もうそこには痕跡すらないはずの咬傷の痛みが走った。ただの錯覚だ。忌まわしい過去の幻影だ。あのときだって最終的には勝てたのだ。彼女は怯えない。目を逸らさない。あれは斃せると確信しているからだ。

 

「遅すぎる」

 

 ああそうだとも、確かに斃せる相手だ。

 

 考えてもみてほしい。速射でも並のゴブリンの頭蓋骨を粉々にした強弓による、大型のデーモンすら角がひび割れ衝撃で体勢を崩しかけたほどの全力射撃。それが、いくら上位種とはいえゴブリンの、首に直撃したらどうなるか。

 

「えっ」

 

 間の抜けた声の主は女神官かもしれないし、ひょっとしたらゴブリンスレイヤーだったかもしれない。まさかゴブリンか? いずれにせよ、侍以外の誰かだ。

 

「GBO!?」

 

 飛んできた大きな頭に潰されたゴブリンだけは、最期まで何が起きたのか知ることはなかった。

 

 先ほどの記述に誤謬があったと認めよう。例外(イレギュラー)は過大評価だった。天地の狭間には、ときには地底にさえ、ゴブリンごときには想像もつかないほどの超越者がまだまだいるのだ。

 

「……今だ!」

 

 頭目が仕事を思い出し、浮き足立つゴブリンの群れに突っ込んだ。蜥蜴僧侶と侍も続く。こちらは動きやすい広場、あちらは通路にひしめき、ついでにたった今阻塞も出来上がった。またとない好機だった。

 

「あらぁ、弓っつうよか大弩(バリスタ)かなんかと思うたほうがよさそうだの。マジでドラゴンでも墜とせんじゃねぇのか。おっかねぇおっかねぇ」

「あの、私たち、かなり苦戦して、その」

「気をしっかり持って! あいつ絶対只人じゃないから。種族:侍! 記録用紙の書き方間違えた!」

 

 ほとんど自棄っぱちじみた一射は、それでも標的の急所を貫いた。

 

「ふはははは! お見事、お見事! なんと惚れ惚れする一撃か! かようなものを目の当たりにしては拙僧、武心のたぎりを抑えられぬ! イィィィィヤァァァッ!」

 

 それはそれは愉快そうに駆ける蜥蜴僧侶の手には武具などない。彼が只人であれば、素手で怪物に挑むなどと、嘲笑う者もいただろうか。しかしそこは蜥蜴人、爪爪牙尾と四度振るえば、四つ骸が折り重なる。

 

「あの身の丈でもゴブリンなのか。デーモンとやらではないのか?」

 

 対照的にこちらは冷静だった。閉所での戦闘に適しているとは言えない長物を、巧みに繰り出しゴブリンを屠る。戦がいつも刀を十全に振れる状況だとは限らない。組み討ちや屋内戦となれば脇差などに切り替える者もいるが、この侍は大太刀と弓ですべてをこなす。間合いを熟知していれば、壁に引っかける愚を犯すこともない。

 

「いや。あれはただのゴブリンだ」

 

 対照的と言えば、彼もそうだ。刃がこぼれつつある小剣を惜しまず擲ち、不用意に飛びかかる愚か者を撃墜。地面に落ちる前にその手から、ゴブリンには勿体ない上質の長剣を掠め取り、右の一体のこめかみに食い込ませる。逆側からくればこちらも逆の手の盾、鋭利に研ぎ澄まされたその縁で気道を断った。

 

 一振りの剣では五人と斬れぬ、とされる。金言に現在進行形で喧嘩を売る不届き者が真横にいるが、それはさておき。武器など消耗品、なくなっても買えばいいどころか敵が持ってくるではないか。ゴブリンスレイヤーはそう考える。その分、一つ一つの得物の扱いに関しては極めた達人になど遠く及ばないのだが、彼は気にしない。達人でなくとも、ゴブリンは殺せるからだ。

 

「っ! 後ろ、右の壁!」

 

 戦況は優勢、されど危惧したとおりの難事がやってきた。カリカリパリパリと、雨音に少し硬いものが混ざったような、ベーコンを焼く音にも似た異音が近づいてくる。

 

「離れい! こん娘は儂が背負う!」

「ごめんなさい、お願いします!」

 

 妖精弓手の警告は遅くはなかった。ただ、土の壁のさらに向こうまでは森人でも正確には探知できないというだけだ。

 

「GARAAOG!」

 

 土を砕き散らして現れたのは、二体目のチャンピオンだった。足もとには不気味な装飾を施した衣装に身を包む、杖を持ったゴブリンもいる。シャーマンだ。さらに取り巻きも多数。

 

 冒険者たちは知る由もないことだが。彼らは昨夜と違い、裏口を先に引き当てたのだ。順路であれば、本隊から遠い位置から着実に攻略できたはずだった。そちらに待っていたであろう罠や伏兵の相手をするのとどちらが楽だったかは、もうわからない。

 

「ぬぉっ!? しもうた!」

 

 飛来した土塊をまともに受け、鉱人道士は吹き飛ばされた。痛痒はさほどでもなかったが、背中の娘が別の方向に転がってしまう。

 

「邪魔立てするか!」

 

 侍はすかさず弓を構えようとするも、気を取られた隙に次々と纏わりつく小兵が、残る二人共々手番を遅らせる。男たちは間に合わない。

 

「GOBRAGA……!」

 

 誰より早かったのは、男でも女でもない骨の兵だった。後衛の守りという任を預かった竜牙兵が、主人に倣い爪爪牙尾を叩き込み、チャンピオンを数歩退がらせる。これで敵の機先(イニシアチブ)は潰した。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷える私どもに、聖なる光をお恵みください》!」

 

 焚き火の灯などまるで線香。まばゆい《聖光(ホーリーライト)》が洞窟の暗黒を駆逐し、闇に住まう祈らぬ者(ノンプレイヤー)どもの目を焼く。

 

「GBRRGBR!?」

「やるぅ!」

 

 それがただの悪態だろうと詠唱だろうと知ったことかと、妖精弓手の放った矢がシャーマンの言葉を舌ごと引き千切った。

 

「あっ、あの人が……!」

 

 掠りもしない高さで滅多やたらに得物を振り回すチャンピオンのすぐ近くに、あの娘が立っていた。鉱人道士の背から落ちた拍子に目を覚ましたのだ。位置取りがまずい。侍がチャンピオンを射斃した場合、あの大質量の下敷きになりかねない。

 

 ——いや。この位置でいい。彼女にとってはこの位置がいい。これは、彼女の()()なのだ。

 

「OBGROA……!」

 

 ぺたり、と足に何かが触れる感触に、チャンピオンはそこにいたかと棍棒を振り上げた。

 

 虜囚、ではなく冒険者の娘は、元ギルド職員だという仲間から聞いていた。魔術戦士や、自衛の手札を増やしたい魔術師が用いる、呪文の応用技術がある。それは敵に接触して行われるために危険は大きいが、威力もまた絶大だ。

 

 彼女は仲間を信じた。つき合いは短かったが、信じたからこそ仲間だったのだ。だから今も信じて、冒険者となって初めて、真に力ある言葉(トゥルーワード)を口ずさむのだ。

 

「《カリブンクルス(火石)……クレスクント(成長)……ヤクタ(投射)》ァァァァッ!」

 

 杖などただの補助道具にすぎぬ。神が創世に用いたとされる真言が、理を曲げる力を発揮するか否かは、当人の理力次第。彼女は、よい魔術師だった。

 

「GRAAORAAAA!?」

 

 チャンピオンの体内で育ち、大きく膨れ上がった《火球(ファイアボール)》は片足どころか下半身を丸ごと爆発四散させ、余波と残骸が周囲のゴブリンを打ち飛ばした。至近にいた娘はどうなったかといえば、右手で押さえつけた毛布を英雄の外套のようにはためかせ、しっかりとそこに立っていた。

 

「ここで、こんなところで……終わってやるもんか!」

 

 

 

§

 

 

 

 その後の戦いについて、これといって特筆すべきことはない。一党は魔術師の娘とは別に囚われていた村娘も救助し、ゴブリンを殺した。ただ隠れていた敵や逃げた敵がいたとして、どれだけの長さかもわからないこの洞窟を、弾切れの魔術師と意識のない非戦闘員を連れたまま捜索して回るのは難儀だった。ので。

 

「《働け働け土精ども、楽しい仕事のあとになら、ミルクとクッキー待ってるぞ》」

 

 鉱人道士が洞窟の壁に生成した《隧道(トンネル)》を川に繋げ、綺麗に洗い流すことにした。

 

「この手に限る」

「限るな!」

「必要なことだった」

「それは……まあ、いいわ。今回は特別に、ちゃんとした冒険だったってことにしてあげる。カラドタングと、あの子に免じて、ね」

「そうか」

 

 何かをやらかしたゴブリンスレイヤーに妖精弓手が食ってかかる。これもまた、いつものことだ。

 

「はい、いいですよ」

「ありがとう……ございます」

 

 軟膏を塗り包帯を巻かれた左手をそっとさすりながら、魔術師の娘はかすかに口もとを綻ばせた。首には、あのシャーマンから奪還した()()の認識票が揺れている。詠唱限界である三回を使い果たした女神官に代わり、蜥蜴僧侶が治療の奇跡を、という申し出を娘は断っていた。応急手当てでは痕が残ってしまう。そのほうがいいと、彼女は言った。ならば、それでいいのだ。傷痕に、戒めと思い出を込めて生きていく。彼らの冒険はここで終わってしまったが、彼女の冒険はこれからも続くのだ。

 

「生きねば、わからぬ……か」

 

 夢破れた冒険者。一度は己の命を絶とうとしたあの娘は、仲間の仇を前にして怒りを燃やし絶望を焼き尽くし、ついには希望の種火を心に灯した。あのとき死んでいたら、ありえなかった今。そこに意味があるのかは、わからないが。生きてさえいれば、答えが見つかる可能性は常にある。

 

「のう鱗の。お前さん、憶えとるか。弓と矢の話」

「確か……方向性を定める矢羽根が拙僧、突き進む鏃は野伏殿。繋ぐ矢柄は術師殿」

「まとめて支える弓は娘っ子。番えて放つ射手はかみきり丸。とならぁ」

「うむ、まあ、消去法というわけでもありませぬが」

 

 決定打こそ魔術師に譲ったが、戦況に風穴を空けたのは侍だった。初手のあの致命打(クリティカル)がなければ、彼らはシャーマンと二体のチャンピオン、それに雑兵の大群に圧殺されていたとしてもおかしくはなかったのだ。ゴブリンスレイヤーならそれでも何かをやらかして切り抜ける可能性もあるが、どうあれタダでは済まなかっただろう。

 

 力だ。強敵には搦手で挑むのがお約束となっているこの一党に新たに加わった、真正面からすべてを打ち砕く圧倒的な力。それは彼の愛用するあの強弓が象徴するもの。ゆえに。

 

「弦、だぁな」

「弦、ですな」

「おい。少し、よいか」

 

 名前を呼ばれた気でもしたのか、少し離れたところにいた侍がゴブリンスレイヤーたちのもとへ歩み寄った。

 

()()()()

「……俺か」

「ああ、そうだ。一つ、(かしら)であるお主に言うべきことがある。機を逃していたゆえ、今この場で済ませることをまずは許せ」

 

 侍は笠を脱ぎ、武器と一緒に地面に並べた。そして自身も両膝を突いて腰を下ろす、すなわち正座の姿勢を取り、ゴブリンスレイヤーを見据えた。

 

「我が忠義はお国にのみ捧ぐもの。お主にこうべを垂れるわけにはいかぬ。されどこの異国の地にて拾い上げていただいた御恩、知らぬふりでは侍の名折れ。我が刃、我が弓、我が雷。武をおいてほかに能のない軍人(いくさびと)なればこそ、この武のすべてをもって、御恩返しいたす所存。何卒よしなに、願いつかまつる」

 

 困る。ほぼ部外者であるあの娘など、かなり困っている。こういうときに思い切った行動ができる者がいれば、話も進むのだが。

 

「か、た、い! うちの長老ぐらい堅い! とりあえず立って!」

「しかし」

「こういうときは一言、よろしく! これでいいの。私たち、もう仲間なんだから。そうでしょ?」

 

 仲間。問われたゴブリンスレイヤーは、この言葉を使うことにまだ慣れていない。

 

「違うの?」

「いや。そうだと、思う」

「ほら、頭目も認めてくれた。さあ立って立って!」

「……あいわかった」

 

 まだ微妙に得心のいかない表情ではあったが、すっくと立ち上がり、ゴブリンスレイヤーと向かい合った。

 

「では。よしなに、頼む」

「ああ」

 

 仲間。心中で繰り返してみても、どうにもしっくりこない響きだった。だからといって、頭目としての責任を放り出せるほど、ゴブリンスレイヤーは不義理な男ではない。新しい……仲間。迎え入れるのは、頭目の務めだ。

 

「こちらこそ、よろしく頼む」




◆焼き菓子◆

 開拓村の少女が一生懸命拵えた、不恰好な焼き菓子。出立の朝、侍に贈られたもの。

 見栄えは悪くとも、味は悪くない。一口かじればほんのり甘く、元気が出るだろう。できれば少し、飲み物も欲しくなるが。

 あの森の中で食べた焼き菓子は、とてもうまかった。

 もちろん、この焼き菓子も、とてもうまかった。







◆冒険の記憶・嚆矢の章◆

 侍の心中に息づく、冒険の記憶。すべてを失った男の、ありえないはずだった新たな思い出。

 未知なる土地に至った。未知なる文化に触れた。未知なる脅威に挑んだ。未知なる冒険の日々を共にする、得がたい仲間に巡り会えた。

 まこと、人の世、人の生は、未知にあふれている。

 生きてみねばわからぬものの、なんと多いことか。
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