〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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Session 2:気骨の章
2-1:古強者たち/Argonauts


 

 侍の朝は早い。

 

 黎明(寅の刻)のうちに寝台から起き上がり、着流し姿でギルドの裏手へ向かう。桶を借りて井戸水で満たし、いったん自室へ。寝巻を脱ぎ手拭いで体を清め、それが済んだら平服に袖を通す。

 

 彼が鉱人道士の贔屓にしている仕立て屋を訪ねたのは、最初の冒険の直後のこと。店主は妙な抑揚で話す丸眼鏡をかけた(バク)の獣人で、初めて来店した本物の侍にいたく感激した様子だった。あれよあれよという間に採寸が終わり、明日の朝一番でこいと言われ店を出れば、背後で閉まる扉に"閉店中"と読めない文字で書かれた札が。

 

 そうしてあつらえられたのが先ほどまで着ていた寝巻と、これだ。深紫の小袖に、黒の袴。裾は、爪先を鋼板で補強したブーツに突っ込んでおく。鎧下を兼ねているため、平服といっても戦装束のようなものだ。

 

「んにゃ、おはよーございまーす、侍の旦那ぁ。今日もありがとねぇ……ふわぅ」

「よい。鍛練のついでだ」

 

 ギルド裏へ舞い戻り、酒場の薪割りを手伝う、というか代行する。さすがに刀は使わないが、ただの手斧であるにもかかわらず芸術的なまでの精度で統一規格の薪を量産していく様は、まさに侍。勝手口から顔を出した獣人女給も、思わずぽふぽふと拍手を送った。

 

「終わったら席で待っててねー。朝ごはんもうすぐできるから」

「今日も早くからすまぬな」

「いいっていいって。お代貰ってるし手伝ってもらっちゃってるし、これは対等な取引なのだ!」

 

 いつも賑やかな酒場にも、営業時間外というものは存在する。冒険の帰りが遅かったり、夜に明かりを灯して読書に熱中していたら空が白み始めていたり。そんなときは空腹に耐え、座して開店を待つことだ。

 

 つまるところ、この朝食は女給と料理長の厚意の表れなのだ。

 

「うまい」

「あたし様の仕込みにおっちゃんの腕前。まずいわけがないよねーまぐむぐもぐ」

「よっしゃよっしゃ、そんなら予定どおりメニューに加えようかね」

 

 本日の賄い料理:試製大蒜(ニンニク)抜きミネストローネ改。

 

 たっぷりの野菜を浮かべたスープで、そこに少量のショートパスタや米が入ることもある、というのが通常のミネストローネだが。侍から聞いた湯漬けの話に着想を得た料理長は、(ボウル)に米を盛り、スープと具材をかけてみることにした。健啖家の冒険者も満足の、食べ応えのある一品である。スープには肉や骨を使っていないため、伝統的に肉食を忌避する森人も安心だ。

 

 そんなミネストローネ漬けを掻っ込む侍の得物は、一対の細い木の棒だ。尖筆に見えなくもないが、それよりも半倍ほど長い。そう、箸だ。

 

 秦皮樹(トネリコ)の薪木を一つ譲り受け、素材を確保。女神官の勧めで購入した便利な道具一式(コンポーネント)、冒険者ツール付属の小刀で削り出し、工房で借りた鑢で形を整えた。まではよかったが、そこで漆がないことに思い至る。さて仕上げはどうしたものか。工作、細工物。それは鉱人の領分であると教わっていたので、鉱人道士に相談したところ、蜜蝋を塗るのがよいとのことだった。

 

 こうして完成した専用箸(マイ・ハシ)は、侍の手の中で万能食器として絶賛活躍中だ。

 

「うーん、やっぱりスプーンで食べてるよりおいしそうに見える。なんでだろ」

 

 酒場の米の消費量が急増しているのは、何も侍が大食いなせいだけではない。その食べっぷりに触発されて米に目覚める同業者は増加傾向にある。妖精弓手などはその筆頭だ。

 

「馳走になった」

「あいよう、今日も気張りな」

「ああ、お主らもな」

 

 しっかり三杯を平らげて、侍は刀を手に三たび外へ出ていく。腹ごなしと鍛錬。素振りの時間だ。大上段から地に着く寸前の一文字。勢いを殺さず流れを変え、手首を返し横薙ぎを往復させ、体ごと回転して袈裟懸け。さらに続けて……舞うように。睨む空に雲はなく、剣風いまだ竜に届かじ。師や祖父の高みは、どこまでも遠い。

 

 そのまま一刻(約二時間)ほど休まず剣を振り、朝の準備運動は終いとする。今度は部屋には戻らない。

 

「よう」

「うむ」

 

 ギルドロビーの中では、今日の依頼書の張り出しが始まるのを待つ冒険者たちが、めいめいに集まって雑談に興じていた。侍の姿を認めて片手を上げたのは眉目秀麗な青年、辺境最強の呼び声高い槍使いだ。格式ばった一礼を返されて、なんとも決まり悪そうにしている。

 

「お、おう……もうちょい気軽な感じでもいいんじゃねぇか?」

「性分だ。癪に障ったか」

「いやいや、そういうわけじゃねぇよ。それがお前の流儀(スタイル)だってんなら、構いやしねぇさ。んで、どうだ。ここの生活にゃ、もう慣れたかよ」

「戸惑うことは減った。皆が世話を焼いてくれるゆえ」

 

 侍が冒険者となってから、一週間が過ぎていた。学び、鍛え、戦う日々だ。(まつりごと)に心を砕く必要がないのは気楽だなどと、かつて彼の傅役だった男が聞けば説教が始まるだろうか。賊の頭目から身を起こしたかの者は、豪放磊落であっても決して浅慮ではなかった。戦上手というだけでは、侍は務まらぬものだ。

 

「そらよかった。けどあいつの一党にいるっつうことは、毎日ゴブリン退治ばっかだろ? 飽きてきたら声かけろよ、俺が本物の冒険ってやつを教えてやる。噂に聞く侍の戦技を見てみてぇしな」

「ふ、ふ。期待……の、大型新人。だも、の……ね」

 

 蠱惑的な肢体の線を長衣の布地に浮かび上がらせ、鍔広の帽子を目深に被った美女が、相棒である槍使いに寄り添った。酒場でたむろする男衆が肴代わりに夢想し合う"イイ女"。それが、魔法の力で現実になったかのよう。彼女はどちらかといえば魔法を使う側、魔女(ソーサレス)なのだが。

 

「よさぬか。今はあの男が俺の(かしら)だ。それに、どのような枕詞をつけようとも、新参者に変わりはあるまい。より鍛錬を重ね経験点とやらを積まねば、轡を並べたところでお主らの荷となろう」

 

 いつもの面子が揃わない。余所から誘いがあった。などの理由で、普段とは異なる顔触れ同士による臨時の一党が結成されるのは、ままあることだ。冒険者のそうした自由な気風には、侍はまだ馴染めていない。

 

「律義で勤勉、しかも謙虚ときた。まったく、うちの一党の小僧にも見習わせたいものだ」

 

 目鼻立ち凛々しく、白鉄の鎧に金の長髪が映える女騎士。彼女の言う謙虚さとは無縁と思しい、堂々たる歩みでの参上だ。

 

「というわけで、そんな熱心なお前のためなら、また訓練につき合ってやることもやぶさかではないぞ」

「どういうわけだよ莫迦。それで冒険にいく前から強壮の薬水(スタミナポーション)飲む羽目になったのを忘れたのか。ガキどもに示しがつかねぇだろうが」

 

 大剣(だんびら)を背負った重戦士が、壁役(タンク)らしく戦友の暴挙を阻止しにかかった。冷や水を浴びせられた女騎士の視線(ターゲット)が移る。

 

「莫迦とはなんだ莫迦とは! いいか。至高神に仕える高名な聖騎士(パラディン)になる予定のこの私が、勝負の途中でバテて引き下がったままなど、それこそ示しがつかんではないか」

 

 足りないのは信仰か威厳かやはり謙虚さか。ただ奇跡を賜っただけの騎士と聖騎士の間には、剣術だけでは埋められない隔たりがあるらしい。

 

「ならば、またいずれ勤めのない折に手合わせ願おう。それでよいか」

「おお、話のわかる御仁だ。ではそのときを楽しみにしておくがいい。今度はせめて奥義を披露しよう」

「秘剣の秘を簡単に投げ捨てようとしてるんじゃねぇよ」

 

 頭目を務める重戦士と、黙っていれば格好いいと評判の女騎士。この場にはいないガキどもこと少年斥候と圃人の少女巫術師(ドルイド)に、会計係を務める半森人の軽剣士。辺境最高の一党とは彼らのことだ。

 

「デーモンの首級(くび)を手土産にギルドに現れ、熟練者(ベテラン)にも一目置かれる。あれが白磁……? では我らはいったい」

「よーし、気合入れ直せおめぇら。青玉ぐらいで満足してたら、あっという間に追い抜かれっちまうぞ」

「一番呑気してたのはあんたでしょ」

 

 この街のギルドを止まり木とする八人の銀の冒険者、そのうちの半数と、今話題の侍が語らっている。それはもう注目の的にもなろうというものだ。

 

「おう、雷光の。それにお歴々も。いつの間にやらよろしくやっとるみたいで何よりだわい」

「うむ。人脈もまた力。淘汰の波を乗り越えるのは得てして、強大無比な個ではなく、多様性に富んだ群れですからな」

 

 そこへさらに銀等級、鉱人道士と蜥蜴僧侶が上階から降りてきた。後ろには、少女二人を連れ立っている。こちらも片方、あまりしっかり者ではないほうは銀等級だ。

 

「ほら、足もとに気をつけてくださいね。冒険の前に治療の薬水(ヒールポーション)を飲むことになっちゃいますよ?」

「んゆぅー、そしたらぁ、貴方に《小癒(ヒール)》かけてもらうー……」

 

 いかに慈悲深き地母神とて、こんなことで頼られては御手を差し出すことを渋りかねない。寝惚けた程度で上の森人が転げるかどうかは、さておき。

 

「……ん」

 

 長耳がぴこと跳ね、半開いた目はギルドの入口へと向かった。半開きが全開きになったあたりで自在扉も開け放たれ、ズカズカと無造作な足音がロビーに響く。なんだあいつはと知らぬ者は囁き、なんだお前かと知った顔が挨拶を交わす。前者は少数、後者が多数。彼は彼で有名人だ。

 

「おはようございます、ゴブリンスレイヤーさん」

「ああ」

「一応、聞いといてあげるけど。今日の予定は?」

 

 残る一人の銀等級。その異名は辺境最優、小鬼殺し。なれば己に課した使命は一つ。

 

「ゴブリン退治だ」

 

 

 

§

 

 

 

 森の中にある木々を一束、巨大な手でまとめて引っこ抜いたような、空白地帯。緑の広場となったそこに、明らかに異質な暗闇が口を広げて待っていた。

 

「見張りなし、トーテムなし。情報どおり、居着いたばかりか」

 

 まともな冒険者ならば迷宮(ダンジョン)だお宝だと心躍ることもあるのだろうが、ゴブリンスレイヤーにはどうでもよいことだ。少なくとも今の目的は冒険ではなく、ゴブリンなのだから。

 

「人の足跡があるわ。ゴブリンのよりも前、何日か経ってる。鎧が五人と、あと軽装の、たぶん女の人が一人。……外には、出てないみたい」

「見たとこ、最近掘り出されたばっかの遺跡だの。どこぞの冒険者が潜って、そのあとでやつばらが住み着いたっつうとこだろ」

 

 草の上なら森人が、土の下なら鉱人が。まったくもって多様性とは力であった。

 

「で、でも、受付さんからそういうお話は伺っていませんよね?」

「拙僧らの拠点とは別の街のギルドに属する者たちでしょうや。縄張り(テリトリー)の外のことまでは把握できまいて」

 

 街の下水道や周辺の野山ばかりが舞台(ステージ)となるのは、駆け出しのうちだけだ。等級が上がるにつれ、遠方へ出向く機会も増えていく。そうして名声を広めて凱旋を果たすこともあれば、二度と戻らないこともある。

 

「どう見る」

「先行した冒険者はいまだ攻略のさなか。小鬼どもはすでに成敗されている。と、いうのはいささか楽観がすぎる。一党壊滅のうえ女人一名、囚われたと仮定して動くべきかと」

「そうだな。中の規模はどの程度か、想像はつくか」

「ちくと待っとれ」

 

 鉱人道士は階段を数歩下り、壁に床に掌を這わせた。綺麗に形を揃えられた暗灰色の石組はとても滑らかで、不自然なほどに月日の経過を感じさせない。

 

「状態はいいけんど、造り自体はそうとうに古い……へたすっと千年かそこらよりも昔、神代(かみよ)でも驚かんぞ。仕事は丁寧、しかも魔法で補強済み。入口はわざわざ隠されとった。こんだけ手の込んだ遺跡とならぁ、玄室一つ二つで終わりってこたぁねぇやな」

「裏口はあると思うか」

「そらあんだろうが、表っからわかるようにゃあなっとらんだろ」

「厄介だな」

 

 ところでお気づきのことと思われるが、こういった場面ではほぼ侍に出る幕はない。具足の腰帯を革のベルトに変え、右側にポーチを取りつけるなどして冒険に順応しつつあるものの、当人の自覚するとおり経験不足は如何ともしがたいのだ。もちろん遊んでいるようなことはせず、先達たちの言葉に耳を傾けながらも、周辺への警戒は怠らないが。

 

「おい、これはなんだ」

 

 その姿勢が功を奏したようだ。

 

「灰、かしら」

 

 風に吹き散らされた灰が、草葉に残っていた。ほかに火の形跡もなく、灰があるだけだ。

 

「ふぅむ。死せぬ死者(アンデッド)の残骸やもしれませぬな」

「だとすりゃ、ここは地下墓地(カタコンベ)か。墓場に不死のバケモンは、お約束だかんの」

 

 ここで途絶えた冒険譚が、アンデッドとの死闘があったとして、その成果はゴブリンたちの寝床のお膳立て(ベッドメイキング)だったのかもしれない。そうであるならば、なんとも救えない話だ。

 

「不死、だと。死なぬのか」

「たぶん貴方の思ってるのとは違うかな。呪いか何かのせいで死んだまま動くやつとか、あと天に昇れない怨霊とか、そういうのよ」

 

 不死者(イモータル)はかく語りき。と言っても、上の森人とて絶対に死なぬわけではない。寿命の概念がないだけで、傷病で命を落とすことはある。神を破壊した男の伝説すら語られるこの地に、はたして真の不死者がいるのかどうか。

 

「尋常の刀で斬れるのか、その、アンデッドは」

「効かないこともあるそうです。そうしたら私が、なんとかしないと……なんとか、します」

 

 死に損ないどもに何より有効なのは、聖職者による解呪だ。蜥蜴僧侶はどちらかといえば物理を本懐とする武僧であるからして、女神官が要となろう。

 

「一度侵入して様子を見るしかないな」

「偵察なら、私だけでもいいけど」

「いや、分断は避けたい。全員で動く。ゴブリンどもの数が多ければひとまず引く。少ないか、姿が見えなければ進む」

 

 侍の参陣により一党の攻撃能力(D P S)が大幅に向上したからといって、ゴブリンスレイヤーの基本方針が変わるわけではない。つまずくおそれは常にある。油断と慢心に手招かれて失敗すれば、そのときは死ぬだけだ。

 

「アンデッドと遭遇(エンカウント)した場合は、いかに」

「一当てしてから決める。どの道、先行した冒険者の捜索も可能な限りはやらねばならん」

「ゴブリンがおらんでも、かの」

「……そうだ」

「そこは即答せんかい」

 

 この会話の間に、女神官は鞄から松明を取り出していた。慣れた手つきで火打ち石を鳴らし、灯火を生む。たくましくも甲斐甲斐しい。

 

「どうぞ、ゴブリンスレイヤーさん」

「助かる。よし、隊列を組め。いくぞ」

 

 カビ臭い空気を焼きながら、一歩一歩下っていく。生者にも死者にも気づかれぬよう、慎重な足取りで。やがて入口が小さな光点になった頃、階段は終端を迎えた。一本道の先を、重厚な石扉が塞いでいる。

 

「調べるわ」

 

 迷宮の罠の探知などは野伏でも斥候でもなく盗賊(シーフ)技能(スキル)だが、いないのだから文句を言ってもいられない。鳴子(アラーム)落とし穴(ピット)罠矢(トリックボルト)。いらぬところで運試しをさせられたくなければ、必要なときに自分から賽を振ることだ。

 

「見た感じは何もなさそうだけど……わっ」

 

 さてこれは、どんな目が出たものか。細指が触れた表面に蜘蛛の巣状の燐光が走り、扉はゆっくりと、くぐもった音を立てて左右に滑り開いた。その向こう。

 

「BRGRRG……」

「GBGBGRR……!」

 

 まず、血の臭いがした。咀嚼音が聞こえる。蠢くいくつかの緑の影。ゴブリンだ。食事に夢中らしい。やつらは雑食だ、人も食う。だが群がる怪物たちが奪い合う襤褸のような骸は……ゴブリンのものではないか?

 

「なんで、こんな……!?」

「八、いや七。弓、ホブ、術なし。潰すぞ」

 

 考えることは、殺してからでもできる。凄惨な光景に正気をすり減らした少女たちは動けず、慌てず騒がずの鉱人は動かず。それ以外の者は、先制の機会を逃さなかった。

 

「一つ」

 

 もっとも入口の近くにいた個体の喉を、嚥下しかけた肉ごと小剣が引き裂いた。

 

「では二つ、三つ」

「GOBRO!?」

 

 続いて侍も走り込み、あばらの隙間を縫う大太刀で心臓二つ、まとめて串刺し払い捨てる。

 

「四つ!」

 

 悲鳴を上げることも許さず肺腑を抉ったのは、爪を備えた蜥蜴僧侶の貫手だ。

 

「GBOOR!」

「五!」

 

 こちらは声を発する猶予くらいはあったようだが、それまでだ。遅れを取り戻すべく放たれた木芽鏃の矢が左目に吸い込まれ、半分の視野で天井を仰ぐ。

 

「六つ、おっと失敬」

「いや。これで六」

 

 遅まきながらの反攻を長尾に叩き落とされて虫の息のところに、小剣を突き立て楽にしてやる。が、深く刺しすぎたのかうまく抜けず、ゴブリンスレイヤーは舌打ちした。

 

「七つだ」

 

 同族の腕を振りかざし侍に抵抗を試みる者もいたが、自前のほうの腕を切断され、胸椎を蹴り砕かれた挙句壁に激突、頭部半壊という結果に終わった。

 

「あやつが相手じゃあ、ゴブリンに同情しちまわぁな」

「あ、ははは……」

 

 惨状から目を逸らしつつ、手斧を下ろす鉱人道士。傍らで少々顔を引き攣らせている女神官共々、何もせずに済んだのは幸いだった。術の切れ目が探索の切り上げどきならば、待機することも大事な仕事だ。

 

「強く蹴らねば仕損じると、学んだまでのこと」

「そうだ」

 

 火に照らされ翔る短剣の煌きが、そろりそろりと奥へ逃げようとする片腕のない一体の延髄を捉えて穿った。

 

「とどめは、確実に刺さねばならん」

 

 速く、遠く、正確に。投擲において只人に勝る種族はなく、彼は己の利点をよく理解している。練達の技巧だった。

 

「やはり八だったか……?」

 

 改めて小剣を回収し、刃の状態を確認して鞘に、戻さなかった。今度こそ動く敵はいない。いないが、彼は違和感を拭えなかったのだ。腕の欠けたゴブリンを数に入れなかったのは、どう見ても喰い荒らされていたからだ。一党の面々も、完全に意識から外していた。それがどうだ、あの死骸はろくに血を流してもいない。腕を捥がれた跡も、初めからそういう形に生まれてきたかのように綺麗に塞がっていた。

 

「見間違いだったのかしら」

 

 番えかけた矢を弄ぶ彼女もまた、自身の呟きに信を置くことができずにいる。森人に限って、この距離で見間違いなどと。

 

 いずれにせよ、次に起きた出来事については、皆はっきりと見えていた。

 

「まだ、終わりじゃないみたいです……!」

「全員、扉まで戻れ」

 

 警戒する一党の眼前で、ゴブリンたちの体が急激に腐り落ちていく。血肉は床石を汚す黒い染みになり果て、忌まわしいほど人に似た、その骨格だけが残された。あるいは、脱ぎ捨てたと言うべきか。乾いた音を響かせて組み(立ち)上がった彼らは、生前よりもずっと身軽なのだから。

 

「継戦だ、やるぞ」

「まずは一当てだな、心得た」

 

 骨小鬼(スカルゴブリン)は七体。屍——まともな屍のままなのは、侍に蹴り殺されたものだけだ。

 

「これも数える?」

 

 九、または一つ。結局使うことになった矢が、眼に不気味な光を宿した晒れこうべを弾き飛ばす。まだ止まらない。零だ。

 

「いらん。ゴブリンではない」

 

 研ぎ澄まされた刀ならまだしも、数打ちの剣では通るまい。ゴブリンスレイヤーは松明で足を掬い転倒させ、無防備な背骨を踏み割った。やっと止まった。

 

「こうしたらば、いかに」

 

 物理で対処できるなら武僧の出番だ。飛びかかってくるのを躱して足を掴み、手近な一体に叩きつけて諸共バラバラに。その間に、侍が別の獲物の腰を断っていた。

 

「駄目っぽい!」

「下がっとれ、耳長娘!」

 

 転がってきた頭蓋骨がカタカタと嗤うのを、鉱人お得意の斧が黙らせた。それでも無事な部位が再結合し、戦列に復帰してしまう。下半身のない者でさえ、這いずる、という表現が相応しからぬ速度で執念深く迫りくる始末だ。

 

「奇跡をお願いしましょうか!?」

「まだだ、今は引け!」

 

 愚直な突進を盾で打ち返し、ゴブリンスレイヤーは後退していく。視界に映るものが敵だけになったところで転身、通路へ、階段へと駆け戻った。

 

「ああもう、矢の効きが悪い相手とか大っ嫌い!」

 

 好きなやつがいるものかと誰かに指摘される前に、最後の数段を跳び越え脱出した妖精弓手は、着地と共に弓を構え掩護の姿勢を取った。次いで女神官、鉱人道士、蜥蜴僧侶、侍。最後にゴブリンスレイヤーが飛び出し、そこでさらなる異変は起こった。

 

 追い縋るスカルゴブリンたちが外気に触れた途端、鬼火に包まれたのだ。火は草を焦がすこともなく、ただ自然の摂理に背く死すべき者だけを焼き尽くしていった。

 

「なるほど。確かに、あれは残骸だったようだ」

 

 やがて塵に、灰に還る。取り残された短剣が、鈍く光っていた。

 

「お主、こうなるということがわかっていたのか」

「そうではない。迷宮の番人(ルームガーダー)は、受け持つ部屋から出られんらしい。あれはもうゴブリンではないから、そういう手合いかと思っただけだ。当ては外れたが、まあいい」

 

 戦闘終了だ。少々異臭の残る空気を吸い込み、一行は息をついた。鉱人道士などは、もう酒瓶の栓を抜いている。

 

「して、いかがするか。奥へ進むとして、あの異様な小鬼どもが再び現れたならば、同様の策に頼るのは難儀ですぞ」

「カチ合うたんびに耳長に引率(トレイン)させりゃあ、なんとかなっかもわからんがの」

「いーやーよ。反復作業(マラソン)は冒険とは言わないんだからね」

「止まるまで斬り刻めばよい。それで殺し切れるのであれば、楽なものよ」

 

 されどもまだ、最初の玄室を攻略したのみ。骸骨どもを動かす繰り糸の根本は秘匿(クローズ)され、迷宮はその腹の内をおいそれとは明かさない。

 

「撤退はしない。ゴブリンと生存者の有無は確認せねばならん。いざとなれば、今度は奇跡を頼む」

「はい。でも、一つだけ。生存者とゴブリンの、ですよ」

「……そうだな」

 

 暗闇(スクリーン)は変わらずそこにあり、ただその厚みだけが、いや増したように思われた……




◆銀の認識票◆

 冒険者の証である認識票。銀のそれは、第三等級を表している。

 冒険者とは一歩間違えればただの無頼漢であり、認識票の色だけが彼らの信用を保証する。ゆえに、昇級には武勲だけでなく社会への貢献や、よき人間性が求められるのだ。

 規格外の白金、国事に関わる金に次ぐ、事実上の在野最高位。それは一つの到達点ではあっても、冒険の終わりと同義ではない。至った者にしか、見えぬ景色もあるものだ。

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