〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

7 / 18
2-3:取り戻すために/Patch Up

 

 ずんぐりとした指で印を結び、声を張り上げる。彼の行動は迅速だった。

 

「《土精や土精、バケツを降ろせ、ゆっくり降ろせ、降ろして置いてけ》!」

 

 精霊たちが重力を宥めすかし、一行の落下速度を大きく減じた。《降下(フォーリング・コントロール)》の準備をしていた甲斐があった。そうならなければ、よかった。

 

「手が、届かない……!」

 

 斜め下方で力なく漂う巨体へと、懸命に伸ばされる女神官の指先が、それでも触れられず。白い袖口が、ゆっくりと噴き上がる鮮血を浴びて赤く染まっていく。

 

 《小癒》には決められた範囲内のすべてに効果を拡散させる遠隔と、対象に手を触れ集中させる直接、二通りの施術方式がある。後者を二度、駄目なら詠唱限界を突破する超過祈祷(オーバーキャスト)でもう一度重ねる。そうでもせねば、助かるまい。彼女の判断は正しかった。正し、かったのだ。

 

「手伝ってください、早く、早くしないと!」

「う、うぅ……!」

 

 請われ、それを黙殺する。妖精弓手は泣きじゃくっていた。彼女が、森人が気づかないはずがなかった。

 

「足を、地へ向けろ。備えねば、ならぬ」

 

 絞り出すように、侍は発した。何が起ころうと、何を失おうとも、ここはまだ戦場(いくさば)なのだと。そう、教えていた。

 

「でも、でもっ」

 

 嗚咽がもう一つ増える。こぼれる雫はふわふわと、場違いなほどの美しさで、松明の火を映して舞っていた。

 

「クソったれめ」

 

 吐き捨てる頭目に、誰もが心中で同意した。

 

 それきり言葉を発する者はおらぬまま、奈落の底へと行き着いた。危惧していたほどの高低差はなく、自由落下でも死にはしなかっただろう。今回ばかりは、その事実は一行には悪い知らせだ。

 

「CRACARACR!」

 

 骨片の山から一つ、また一つと這い出す、原形をとどめていたスケルトンたち。それと、おそらくは巨大な蟹。右の鋏は捥げており、残った左手は血に塗れていた。

 

「ちくと待っとれよ。片ぁついたら、すぐに連れ帰っちゃるかんの」

 

 代わり映えのしない床を足裏で捉えるが早いか、鉱人道士は短い腕を広げ、冷たくなりつつある友の体をそっと受け止め横たえた。悼むのはあとだ。

 

「どう見る」

 

 頭目の反射的な問いかけに、答える者はいない。

 

「……的を照らす。射て」

「ああ」

 

 明かりをかざして駆けるゴブリンスレイヤーは雑兵を適当に跳ね除け、大物へ接近する。迎え討たんとする鋏の根元を、矢が射切った。追撃は別の角度から、仰け反り隙だらけの腹を狙うのは、細工を施された木芽の鏃。

 

「こん、のぉッ!」

 

 怒りを乗せた矢は、二又に分かれていた。矢羽根の役を果たす葉が生む回転を貫通力ではなく、ひねり破ることへ利用するものだ。背甲よりは脆いとはいえ殻は殻、決して刺突の通りやすい箇所ではないのだが、これには耐えられず穿たれる。

 

「予想はしとったが、こやつもか」

 

 後衛を狙うスケルトンの鎖骨を手斧で叩き斬り、鉱人道士は蟹らしきものを見やる。破孔の内側は、虚だった。骨を持たぬ外骨格生物(モノコック)だと、こうなるらしい。

 

「中に、何か光って……? 呪いの、烙印かもしれません!」

 

 こんなときに、アンデッドを前にして、聖職者がいつまでも泣いてなどいられるものか。涙を拭った女神官は屍蟹(デスハット)観察(ルック)していた。一党を支えねば。斃れた仲間の分も——

 

「しからば、意趣返しの好機なり」

 

 ——斃れた仲間の、声がした。幻聴ではない。霊感でもない。皆が聞いた。皆が見た。

 

 こんなときに、聖職者がいつまでも寝てなどいられないのだ。

 

「イィヤァァ!」

 

 飛びかかり、腹甲の割れ目を両手で裂き開く。鍛え上げられた肉体は抜け殻ごときたやすく押し倒し、続く跳躍横転からの尾の一打ちでもって、怪しげな印は粉砕された。

 

「ふむ。仕留めきれたようで……む」

 

 宣言違えず意趣返しを為した蜥蜴僧侶。その無防備に見える背中を狙ったスケルトンが、円盾に横殴られた。

 

「おっと、これは()()()()命を拾いましたかな」

「無事、なのか」

 

 傷跡こそ見当たらないが、装束には穴が空き、赤黒く染まっている。何事もないわけがあるか。

 

「無事とは言えますまいが、それよりも。彼奴ばらには弱点がある模様。骨なしは甲羅の裏側、では骨ありならば?」

 

 最初の部屋で交戦したスカルゴブリンを思い出す。ゾンビからスケルトンに変態できなかったもの、骨となったあとで機能を停止したもの。共通項があったはずだ。

 

「背骨か!」

 

 あのときと同じ動作で敵の足を払い、倒れたところで同じ部位を踏み割る。これは人骨だが、何。人とゴブリンの骨格は似ているのだ。

 

「う、ぐすっ、い、今、見えた、印が見えたわ! 背骨、一個一個の、上から十四番目!」

 

 再びあふれ出す涙に滲んでいても、視界に入りさえすれば森人の目は見逃さない。完全に止まったスケルトンの椎骨の、剥離した断面に確かにあった。死すべきものを現世に縛りつける枷、今にも消えゆこうとする刻印が。

 

「細っけぇわ。わからんぞそんなもん」

 

 一呼吸で冷静さを取り戻した鉱人道士は、適当に当たりをつけて斧を振り下ろした。三つ四つ、まとめて破壊すれば問題なしだ。

 

「ならば、こうしよう」

 

 大上段からの一文字。頭から腰、正面から薪のように両断せしめれば、確実に殺し切れよう。二の太刀は、不要だった。

 

「それから、こう!」

 

 生前ならば鳩尾があるべき場所を矢がくぐり、そこで跳ね上がる。胸骨の向こうに隠れた標的を、過たず射ち砕いた。

 

「このまま片づけるぞ。松明をくれ、そろそろ消える」

「は、はい!」

 

 どこかへ飛んでいた思考を慌てて座らせ、女神官は次の松明を取り出してゴブリンスレイヤーに投げ渡した。受け取って火を分け、燃えさしは放っておく。

 

「うわ、何こいつ動甲冑(リビングメイル)!?」

 

 照らし出されたのは、赤い陣羽織(サーコート)と外套を重ねた傷だらけの黒騎士だった。ひしゃげた樽型兜(グレートヘルム)の内側に、生きた人間の頭が収まっているとは思えない。

 

「どれ、ご尊顔を拝見」

 

 装備が重たいのか、大型の長剣を振り上げるその動きは緩慢だ。容易に背後を取った蜥蜴僧侶が兜をむしり取ると、頭蓋骨の残骸が転がり落ちた。

 

「そうとわかれば」

 

 強引に跪かせ、襟元から中に突き入れた手で背骨を千切り抜く。崩れ落ち、けたたましい金属音を断末魔として、黒騎士は沈黙した。

 

 こうなってしまえば、残るは無手のスケルトンだけ。数こそ多かったが、光源が一つになる頃には殲滅は終わっていた。

 

「さてと、まずは。ご迷惑おかけして、申し訳ありませぬ。奥の手に気づかなんだとは、一生の不覚」

 

 合掌し、深々と頭を下げる。自他共に認める軍師役だけに、失策の責をことさらに重く捉えているのだ。

 

「いや、最終的な判断を下したのは俺だ。あの男のことも含めて、俺の責任だ。すまなかった」

 

 責任と言うならば、生真面目なこの男がそこから逃れようとするなどありえない。すると互いに下を向いたままになり、どこで顔を上げるべきかとやや悩むのだ。

 

「はい、そこまで。別に迷惑なんてしてないし、悪いのはあいつでしょ。最後の橋の仕掛けも、きっとあいつよ」

「ほうよほうよ、奇跡的に耳長の言うとおりだわい」

 

 一部聞き捨てならぬと無言で異議を唱える妖精弓手には構わず、鉱人道士は続けた。

 

「んで、お前さんいつ奇跡使うたんだよ。心配させよってからに」

 

 晒された鱗の肌、傷があったはずの箇所を拳槌で軽く小突く。その感触に、思わず眉をひそめた。

 

「なんぞ、冷やっこいぞ。おい、平気なんか」

 

 自分の種族は温血であると公言している蜥蜴僧侶だが、それもお得意の諧謔だったのか。そんなことを考えられるほど、仲間たちは呑気ではなかった。

 

「……アンデッド」

 

 口にした本人こそが、死人のように青ざめていた。神官たる彼女は、いち早く感づいていたのだ。

 

「の、ようですな」

「何よ、それ。嘘でしょ、ねえ!」

 

 勢いよく、だが恐る恐る、蜥蜴僧侶の胸板に触れる。そこにあるべき律動が、ぬくもりが、彼の体躯から亡くなっていた。

 

「死人帰り。……呪い、か」

 

 これが、蘇るゴブリンの真実だった。力なくへたり込む妖精弓手に、誰も声をかけられなかった。

 

「察するに、墓地そのものが呪われているのでしょうや。内部で死した、あるいは瀕死となった者を不死に貶める呪縛。まこと、幸不幸は撚り糸のごとしよ。はっはっは」

 

 笑っている場合か。鉱人道士は乱暴に酒を呷った。笑えないし、素面でもいられなかった。

 

「となら、呪いをどうかせにゃあな。そうすりゃ、元に戻せっかもわからん」

 

 "元"が死体でなければいいが。彼はその一文を、二口目の酒で流し込んだ。

 

「祓か。お主ならば、どうか」

「そんなに大がかりな呪詛ですと、私じゃとても。やっぱり、根源を絶つしかないと思います」

 

 ということは、だ。

 

「じゃあ死人占い師だかなんだか知らないけど、とにかく奥にいるやつをやっつければいいのよね!」

 

 跳ね立った妖精弓手は、努めて明るく言い切った。そう単純な話とは限らないが、できること、やるべきことは変わらない。

 

「では、遺跡の最奥を目指す。ゴブリンは……ひとまず、後回しだ」

 

 松明が、高く掲げられた。

 

 

 

§

 

 

 

「さあ、参りましょうぞ」

 

 松明はあまり探索の役には立たなかった。というより、彼が役立ちすぎた。理由は、これだ。

 

「む、出迎えですな、お相手つかまつる!」

 

 ちょうどここに、武装したスケルトンがいる。彼または彼女に、眼球はついているだろうか。眼窩に不気味な光球が収まっているが、そこに受容器としての機能などありはしない。ではどうやってものを視認しているのか。

 

 魔法視覚。暗視すら用を成さないほどの暗黒空間であっても、超自然的感覚でもって見通せる、アンデッドや魔法生物の能力だ。亡霊や幽体離脱を行った術師といった幽世(アストラル)の存在が持つそれは、物質界(マテリアル)を正しく認識できない不完全なものだが、実体があるのなら。

 

「剣や盾など備えたところで、振るう筋肉がなければ他愛ないものよ」

 

 なんの障害もなし。闇に飛び込んだ蜥蜴僧侶の姿に照明が追いつくまでに、処理は済んだ。

 

「無論、拙僧が竜牙兵の親戚となった暁には、一騎当千を確約しまするが」

「やめい、やめい」

 

 やっぱり笑えない。鉱人道士は渋面のまま、スケルトンの構えていた盾を拾い上げた。精緻な彫金と流れる溝の加工が施された、騎士の盾だ。かなりの厚みで、相応に重く扱いは難しかろうが、逸品だった。

 

「状態がいいな」

 

 隣でゴブリンスレイヤーが拾い上げた長剣も似たようなもので、長らく地下に眠っていたとは思えないほどに刃を保っていた。先刻獲得した黒騎士の剣は予備として鞘に残し、こちらもいただいていく。自前の小剣は破損により廃棄済みだ。

 

「よすぎるわい。魔法の品でも真銀(ミスリル)でもなしに、どんな合金と技法で造ったんか、見当もつかん」

 

 街に帰還してから詳しく調べてみようと、盾を背負う。日の光が恋しくなり始めていた。

 

「なんかますます暗くなってきてない? 罠とか大丈夫?」

 

 鉱人ですらうんざりするほどなら、森人にとっては拷問だろう。しきりに耳を揺らしているのは、知覚をなんとか補おうとしているためだ。先導者(パスファインダー)の仕事をほぼ任せきりにせざるをえないことも、彼女の心労をかさませていた。

 

「戦場で用いられる簡易罠(ブービートラップ)ならばともかくも、遺跡の中となると。口惜しながら、心配ご無用とは申し上げられませぬ」

「仕方ないですよ。専門技能がないと、難しいですから」

 

 何事においても、そうだ。光源が足りぬと珍しく鞄から引っ張り出した携帯角灯(ランタン)を腰に提げ、錫杖を小脇に手挟み地図役(マッパー)を代理する女神官。苦戦しているのは彼女も同じだ。

 

「弩の絡繰であれば、俺が防ぐが」

 

 殿(しんがり)を務める侍の反応速度(Q T E)をもってすれば、背後からだろうが矢の風切り音を聞いてからでも対処は間に合う。もちろん、別種の罠の可能性もあるが。

 

「落とし穴だったら、どうしようかしら」

「尾を掴んではどうか」

「千切れない?」

「それについてはご安心召されい。蜥蜴とは違いまする、蜥蜴とは」

 

 尻尾をうねうね。呑気なものだ。一行はいつもどおりだった。内心がどうであれ、表面上は。それは、それでも、きっといい傾向だ。

 

 このようにして、進むことしばし。もう何度目になるか、すっかり見慣れてしまった扉を開くと。

 

「まさか一人だけとは。あんたたち、すげぇな」

 

 玄室の中心には静かな水面。それを背にして、武器を傍らに安置し下品な姿勢でしゃがみ込む馬脚盗賊がいた。

 

「覚悟はできているのだろうな」

 

 ゴブリンに対するときと同じ、冷徹な殺意に満ちた声。言うまでもなく、ゴブリンスレイヤーは怒っていた。即座に臨戦態勢に入った一行は、彼の指示あらば速やかに報復を果たすだろう。鎖を解き放つそのときを、だが彼は一手見送った。

 

「それとも、何か申し開きでもあるのか」

 

 わけもわからぬまま命をおびやかされ、わけもわからぬままにしておくのは納得しかねる。皆、異存はなかった。

 

「あるさ、あるとも」

 

 ぐっと体重を前に傾け、膝を突き手をつく。さらに頭も床石に押しつけた。

 

「悪かった。だけど悪気はなかったんだ。俺はあんたたちに、手を貸してほしいだけなんだ」

 

 骨格の関係上見た目はやや異なるが、それは土下座であった。

 

「お前は何を言っているのだ」

「莫迦じゃないの」

「阿呆かい」

「戯れ言を」

「……え?」

 

 それのどこが申し開きなのか。考える器官が劣化しているのではあるまいか。当然に呆れるし困惑する。ただ一人を除いて。

 

「なるほど、かような策であったか」

 

 もっとも憤怒すべき者、甚大な被害を受けた蜥蜴僧侶だけは、感服したとしきりに頷いていた。

 

「ヘヘヘッ、本当に話が早い」

「どういうことだ」

 

 ゆっくりと顔を上げた馬脚盗賊へ、疑問と苛立ちを募らせるゴブリンスレイヤー。だが返答には怯えの欠片もなく。

 

「呪いを解きたいだろう?」

 

 それこそ呪いの文言(スペル)のごとく、精神を揺さぶった。二の句を継げるのは、やはりこの男。

 

「同盟を結ぶからには、共通の敵、難題が不可欠。……この者、拙僧同様にアンデッドとなっておるようだ」

 

 死人めいた蒼白な面は、取りも直さず死相であった。黒衣を汚す血糊は当人のもので、彼もまた死に損なっていたのだ。

 

「呪われ同士はわかるのさ。視え方が違うからな」

 

 目元を指で叩く馬脚盗賊は、どこまでも不敵な態度を崩さない。この場を支配しているのは、間違いなく彼だった。

 

「儂らを巻き込むためにあんな真似をしよったんか! てめぇやっぱ騙りか、認識票よう見せい!」

「信じられないか? ほらよ」

 

 投げ寄越された銀の小片を虫でも握り潰すかのように掴み取り、鉱人道士はそれを火にかざし目を眇める。

 

「……嘘だろ、本物かよ」

 

 大きさ形、筆致など、ギルドは細かな規格を定めて偽造(チート)への対処としている。見るものが見れば、すぐに判別できるものだ。つけ加えるならば、馬人の盗賊などという風変わりな仕上がり(ビルド)の冒険者はそうはいない。特徴も一致している以上、他者から奪取したという線は薄い。

 

「おうよ、俺は真っ当な冒険者だぜ。いつもは真面目なもんさ」

「それならどうして、普通に依頼しなかったんですか!」

 

 ギルドを通さないその場での依頼受諾。事後処理が面倒になるうえに、報酬の支払いで揉めるおそれもあることから非推奨とされるものの、緊急の場合はやむなしと認められている。

 

「あんたたちが呪われていれば、そうしていたぜ。それなら、断られることはないだろうからな。だから今、改めてそうする。依頼だ。呪いを解くために、生き延びるために、俺と組んでくれ」

 

 再度、背を丸める。厚顔にもほどがあるが、至極真剣だ。

 

「手がかりはあるんだが、俺だけじゃあどうにもならん。あんたたちの力を借りたい。もちろん、報酬だってたんまり出すぜ」

「ふざけないで」

 

 引き絞られた弦を思わせる張り詰めた声色だった。部屋に入ってから、妖精弓手は鏃を突きつけたままだ。現実の弦を引かずにいられる時間は、もう長くはない。

 

「貴方がここを根城にする死人占い師で、私たちを何かの儀式に利用しようとしてるのかもしれないじゃない」

 

 あっ。そんな声を漏らした者がいた。馬脚盗賊だ。

 

「そうなるか」

「では斬るか? 俺はどちらでもよいぞ」

「ま、待ってくれ!」

 

 両手を組んでの命乞いだ。図星か、はたまた想定外の事態か。まともな体であれば、激しい脂汗が噴き出していたに違いない。

 

「俺は、依頼を受けて遺跡の調査を手伝っていただけだ。アンデッドになっちまったのは雇い主どもに裏切られたからで、死霊術か何か、自分で使ったわけじゃあねぇ! 信じてくれよ、同じ冒険者じゃあないか!」

 

 一度ならず、聞いた覚えのあるような言い回しだった。ゆえに、ゴブリンスレイヤーはこう返す。

 

「そうとも。その冒険者を、騙したのではないか」

 

 信用は金では取り戻せない、とは彼のよく知る人物の言葉だ。高くつくなどというものではなく、取り引きをさせてすらもらえない。それが信用を失うということだ。

 

「つうたかて、なぁ。正体隠して銀等級までいけるやつが、こうも簡単に馬脚を現すもんかね」

 

 いまだに信じがたいといった目つきで銀の認識票に刻まれた文字を追った鉱人道士は、どうにも腑に落ちぬ様子だった。監査官を欺ける者にしては、手口が雑すぎる。少なくとも、その雑な手にまんまとかかった自分たちよりは、ずっと御しにくい相手だろうに、と。

 

「そうなんだよ。昔から、詰めが甘いって言われていたんだ。俺みたいな間抜けに、大それたことができるもんか!」

 

 恥も外聞もなし。こんな者が悪の首魁であるなどとは、あまり信じたくはない。挑む側が情けなくなってくる。

 

「そ、そうだ《看破》! なあお嬢ちゃん、あんた使えないのか。俺が嘘をついていないって、証明してくれよ」

「えっ、と。賜ってなくて。ごめんなさい……?」

畜生(ガイギャックス)!」

「きゃっ!?」

 

 おお、なんということを。神の信徒を前にして、罰当たりな悪態を吐き捨てるとは。妖精弓手がうっかり手を滑らせてしまったではないか。

 

「うちの子を怖がらせないでくれる?」

 

 股間の直下、床石に当たって弾けた矢を目の当たりにして、馬脚盗賊は黙して二度三度頷いた。無駄射ちしたという呟きが耳に入ったが、今のは外したのか外れたのか、確かめる勇気は彼にはなかった。

 

「お前はどうしたい」

「私、は」

 

 流れで、と言うのもおかしいが、ともあれ女神官にお鉢が回ってきた。頭目の問いに唸って悩んで、答えはこうだ。

 

「ごめんなさい。私には、その」

「いや。構わん」

 

 無理もなかった。鋼鉄等級、もう駆け出しとは呼べない冒険者ではあっても、十六歳の只人の少女だ。その小さな手には、状況という荷が勝ちすぎる。

 

「……拙僧といたしましてはな」

 

 その辺りで、静かに佇んでいた蜥蜴僧侶は頃合いと判断し、厳かに歩み出た。

 

「是が非でも生き足掻かんとする意志は、理解できぬでもないのだ。ゆえ、この者の言行にもそれなりの理があるように感ぜられまする」

 

 適者生存(サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト)。蜥蜴人が真に寄る辺とする理念はこれだ。秩序と混沌、善と悪といった生き様(アライメント)はあとからついてくる。生を勝ち取った者こそが強者であり、正義なのだ。

 

「おお、あんた、話がわかるな。さすがは蜥蜴人、俺には真似できねぇ」

「しかれども」

 

 ずん、と。すり足がちに踏み込む蜥蜴僧侶は、得も言われぬ迫力を纏っていた。

 

「我が種のなんたるかを知らぬようで。呪いごときで脅しになるとでも。この身が骨に、あるいは灰燼と帰することを、竜の末たる拙僧が恐れるとでも」

 

 足掻いた果てに生き残ることが叶わぬとすれば、それは自身の弱さゆえ、致し方なし。命は巡り、いずれどこかに再誕(リスポーン)するもの。次の己はより強く在るだろう。そう信ずる限り、死に怯えることなどあるまいに。

 

「虚実にかかわらず、必要とあらば御手前と刺し違えてでも、同胞をここより逃がすことも厭わぬ」

「そんな、冗談だろう? チャマー、いや兄弟。命を粗末にしちゃあいけないぜ」

 

 にじり寄る大男に対し、馬脚盗賊は引き攣った愛想笑いを作りつつ上体を反らせていく。武器を取ろうとまではしなかったのは、賢明だった。

 

「心臓の止まった体に未練など」

「ちょっと寝ているだけだ! 解呪すればすぐに飛び起きるさ。あんたはまだ健在、ご存命、人生を謳歌している! 何があっても諦めるんじゃあねぇ、生きてさえいりゃあなんのことはない(ノーカウント)、取り返しはつくんだからよ!」

 

 この男はなぜ自分が死地に追いやった相手を激励しているのか。きっと本人にもよくわかっていない。

 

「……どうにも、まとまらんな」

 

 熱弁を聞き流しつつ、ゴブリンスレイヤーはそうこぼした。珍しいことに、彼は迷っているのだ。ゴブリン退治であれば、などという愚痴めいた余計な考えが邪魔をする。

 

(かしら)とはまとめる者でなく、断ずる者だ」

 

 そんな様を見かね、侍は若き将へ助言を送ることにした。

 

「迷わず、己の意に従い決めよ」

 

 将が迷えば兵も迷う。そして迷えば、戦に敗れる。冒険者とて、人が人を率いる限り、変わらぬ道理だ。

 

「案ずるな。選んだ道がなんであれ、斬って拓いてみせよう」

 

 つまりは、好きにしろと。自分がそのように促される側になるのは初めてかもしない。この思考もまた余計だ、ゴブリンスレイヤーは兜を振って諸々追い出した。

 

「わかった。今、決めた」

 

 さあ、どうする?




◆秘儀・徹甲矢◆

 森人の狩人が扱う秘儀の一つ。

 黒曜石の短剣をあてがわれた木芽鏃が自然と形を変え、二又の矢へと変質する。堅固な甲殻などにも有効となる反面、精度と射程は犠牲になってしまう。

 古い森には尋常の矢では歯が立たぬ、巨大甲虫が潜んでいる。これはそうした獲物に対する備えだが、ときに戦場で用いられ、凄惨な結果をもたらすのだ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。