〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

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2-4:照らす光/Dawn of the Dead

 

 沈んでいく。

 

 熱を失っているためか、水の冷たさは我慢できないほどではなかった。望まぬ超常の力を得た瞳には暗い水底が鮮明に映り、そこに至るまでの時間が驚くほど短いことを知らせている。

 

 落ちていく。

 

 浮力を忘れた肉体は間もなく降着し、自力で這い上がることは決してできないだろう。

 

 そして最後の吐息が口から逃げ出し、儚いあぶくとなって溶け失せた。

 

 

 

§

 

 

 

「まず、そうだな。呪いについて説明しようか」

 

 上体を縛り上げられて座らされている馬脚盗賊は、どうにも似合わない真面目くさった顔つきで語りだした。

 

「ここで死ぬような傷を負ったやつは、一度きりの復活と引き換えに、魂を奪われちまう。今の俺たちは、からの器ってわけだ」

 

 床に置かれた角灯をあいだに挟み、対面にゴブリンスレイヤー。その隣に女神官、鉱人道士が並び、逆側には凶器を確保した蜥蜴僧侶が趺坐している。妖精弓手と侍は、()()()の左右についており、何かあれば相応の対処をする構えだ。

 

 口車に乗ってやる。頭目はそう決断したのだ。信用するわけではないが、窮状を脱することのできる可能性があるのなら、危険を承知で賭けてみたいと。彼はそう思い、一党の者たちに頭を下げた。なぜ謝られるのかわからない、ただそれだけ返された。

 

 依頼は受けた。今は質疑応答(インタビュー)の時間だ。

 

「俺を雇った腐れ聖職者ども、ああ、冒険者じゃあないやつらな。連中、使命がどうだかで"聖杯"を探すためにここにきたと言っていやがった。俺が見つけた石碑によると、どうもその聖杯が魂を捕らえているらしい」

 

 聖杯。手にした者を神の御許にいざなうとも、注がれた水を口にすれば不老不死となるとも。古今東西、聖杯探索(グレイルクエスト)の伝承は数知れず。しかしその実態も実在も不確かな、幻の聖宝(レリック)。それが、ここに眠っているという。

 

「体が使い物にならなくなっちまうとスケルトンの仲間入り、その前に聖杯に辿り着けりゃあ、魂を取り戻せる。門番がいるらしいんだが、竜司祭なら話を通せると雇い主の一人から聞き出した」

 

 これが本題だ。彼がゴブリンスレイヤーたちに目をつけた何よりの理由。蜥蜴僧侶こそが、鍵を握っているのだと。

 

「ふむ? 拙僧が竜司祭でなければ、どうする腹づもりで?」

「へっ? 聖職者なんだろう。蜥蜴人で聖職者っつったら、竜司祭じゃあないか」

「そうとも限りませぬぞ」

 

 祖竜信仰が柱であることは間違いないが、闘争により位階を高めるという点で縁のある戦女神や、旅人へ御利益があることから武者修行と相性のいい交易神に仕える者もいる。祖先を敬い、そのうえで神を祀る。なんの撞着があろうか。

 

「……おい、マジかよ。話が違うぜ!」

「えっと、聖職者か、としか聞かれていません、から」

「おおかた、ちょうどいい作り話が思いつかんから、聖職者を探しとるていで確認しようとしたんだろ。人、騙そうとすっからこんなことになんだよ」

 

 本当に、詰めの甘い男であった。

 

「まあ、拙僧はお目当ての竜司祭ゆえ、大事には至らなんだが」

「な、なんだ、脅かすなよ。心臓に悪いぜ」

 

 はっはっは(NICE JOKE)。蜥蜴僧侶は笑っているが、馬脚盗賊としては生きた心地がしなかっただろう。

 

「話を、続けろ。聖杯とやらを手に入れて、どうすればよいのだ」

 

 抜き身の大太刀で顎の下をペチペチとはたかれ、弛緩しかけた表情が真顔に戻る。

 

「すまねぇが、そいつぁ実際に聖杯を見つけるまでは教えられねぇな」

「貴方、まだそんなことを!」

「待て」

 

 掴みかかる妖精弓手を、ゴブリンスレイヤーが遮った。

 

「用済みになれば、俺たちがこいつを殺さん理由がなくなる。向こうからすれば、そうなる」

 

 信用できないのはお互い様なのだ。右手で握手をしながら、左手に短剣を隠し持つ。一度刺してから握手を求めるような手合いに疑われるなど甚だ不服、それでもこらえねばならない。

 

「……ふん」

 

 渋々、といったふうを露わにしながらも、仕方なく引き下がる。成熟した大人とも、聞き分けのない子供とも違う。二千歳とは微妙な年頃なのだ。

 

「聖杯の在処に目星はついているのか」

「あちこち探ってみて呪いを解く方法までは分かったが、手詰まりでね。しょうがねぇからもう一度、雇い主どもの生き残りを締め上げてみるかと思っているところさ」

 

 雇い主ども。どのような者たちなのだろうか。鉱人道士には、思い当たる節があった。

 

「その依頼人っつうのは、黒い鎧の騎士かや」

 

 落下地点で交戦した黒騎士のスケルトン。軽く検分してみたところ、武具の造りは現代のそれだったのだ。

 

「おう。会ったのか?」

「中身は骸骨だったがの」

「そうかい。ざまぁねぇぜ、ウヒャヒャヒャヒャ……」

 

 憎悪に裏打ちされた嘲笑だ。どこまで本気なのか掴めない男だが、こればかりは心底からの情動であると感ぜられる。あるいは、よほどの役者か。

 

「……だが、残っていやがるのは厄介なやつらでな。竜司祭らしい尼と、お付きの騎士長だ。尼のほうはわからねぇが、お供はそうとうな腕っ節だ」

 

 いっそう忌々しげに顔を歪める馬脚盗賊は、無意識のうちに首元を撫でていた。

 

「先を越されて、聖杯を持っていかれたらどうなるかは考えたくねぇ。もう一度言うが、協力してくれ」

 

 協力することについては、もう決定したことなので議論はしないとして。彼の言う強硬手段に訴える前に、ゴブリンスレイヤーには一つ確かめておきたいことがあった。

 

「あの中は、調べたのか」

 

 目線をくれた先にあるのは、部屋の中央に揺れる水面だ。夜中に覗き込む井戸底めいた、不気味な暗闇がそこにあった。

 

「いや、そいつぁ無理だぜ。同じような水場はいくつか見つけたが、どれも深すぎる。アンデッドは水に浮かねぇからな、溺れ死んじまうよ」

 

 蟹が出てくるのは見たな、生死は定かではないが。などと口には出さずにつけ足した馬脚盗賊に対し、ゴブリンスレイヤーは首を傾げた。

 

「アンデッドとは、動く死体……の、ようなものなのだろう」

 

 それならば。

 

「死体に呼吸が必要なのか?」

 

 呼吸を忘れて黙り込む。それをもって、結論は下された。

 

 

 

§

 

 

 

 要するに、錯覚だ。

 

 肺腑が空気を求めてもがくのも。胃が空腹を訴えるのも。死んだ体で生きているがための、誤作動にすぎなかった。

 

 口を固く結んで水底を歩いているうちに、息をしたいという衝動は飼い慣らされた。結ばれているのが口だけであれば、この奇妙な水中散歩を楽しむ余裕もあったかもしれない。縄の食い込む痛みに、馬脚盗賊は溜息の一つもつけずにいた。

 

 ほかの面々はどうしているだろう。視界を傾けると、絡みつく長衣の裾と喧嘩しながら漂う女神官の姿があった。地図はもう諦めた。よって角灯もなし。彼女の手には錫杖と、小さな青い貴石があしらわれた指輪が煌めいている。

 

 水中呼吸の指輪。《呼気(ブリージング)》の術が封入された魔法の指輪だ。ゴブリンスレイヤーが一党の全員に配ったこれらが、長時間の潜水を実現していた。

 

「ほら、力抜いて。私に任せて」

「ありがとうございます」

「いーえ」

 

 人魚(マーメイド)もかくやという優美さで舞う妖精弓手が、女神官の華奢な胴に手を回して補助に入った。全身を包む空気の薄膜のおかげで発声が可能、ある程度近づけばこのとおり会話もできる。また体温を保ち、水の抵抗も抑えられるものの、自在に動けるかどうかは当人の身体能力に懸かっている。

 

「手慣れとるの、かみきり丸」

 

 肉が重い鉱人道士と鉄が重いゴブリンスレイヤーは、アンデッドのごとく歩いている。別に浮かべないわけでもないが、こちらのほうが楽なのだ。

 

「何度も使っているからな」

 

 指輪の持ち主はなるほど、確かに淀みない動きだ。新人(イヤーワン)の時分に見つけた初めての魔法の道具(マジックアイテム)。効果は限定的なようでいて、ことのほか応用が効く。過去のゴブリンアドベンチャー(G A)においても、たびたびこれに頼んで策を講じてきた。

 

「あちらは、いかがか」

 

 馬脚盗賊の肩を叩いたのは、アンデッドそのものとなっている蜥蜴僧侶だ。大刀を背中に括った彼も、指輪を嵌めている。水が染み込んでこなくなる性質を利用して地図を書き、水先案内用に角灯を灯しておくためだ。

 

「……」

 

 指差す先、斜め上方にあるのは水路の出口か別の入口か。返答は首を振ることで為された。

 

 盗賊たる者、高度な地形把握(オートマッピング)能力を備えているのは当たり前。現在地と探索済みの区画との位置関係など、壁の向こうを透かし見るかのように特定できる。あれは、ハズレだ。

 

「む、出迎えですな。お任せしまするぞ」

 

 悪い目が続く。分かれ道に差しかかったところで、剣を帯びたスケルトンが三体、ユラリと歩む。蜥蜴僧侶でも対処はできるが、適役なのは彼ではない。

 

「うむ」

 

 壁を蹴り、大太刀を突き込む。一撃離脱にして一撃必殺、三度繰り返して終いだ。旗魚(カジキ)の狩りを目の当たりにしたことのある者がこの場にいれば、侍の泳ぐ姿はそのように映っただろう。

 

 水練もまた武士の嗜みだ。具足を纏い得物を手に、川を渡り堀を越える。ときに騎馬と並んで重要視される、必須技能なのだ。とはいえ指輪の助勢を加味しても、この侍の動きは泳ぎ上手などという次元のものではなかったが。

 

鰓人(ギルマン)

「河童じゃねぇかな」

 

 かっぱ? 東にはそういう水棲種族がいるそうな。鉱人と森人による侍の血統予想は錯綜していく。

 

「お見事」

「鍛練に比すれば造作もなし」

 

 蜥蜴僧侶のそばまで退がり、侍は平然と述べた。真冬の川で人喰いの大魚を狩ることを引き合いにすれば、こんなものは行水も同然だ。

 

「彼奴ばらは右から現れましたな」

「では、そちらだ」

 

 いつもの即決だ。指輪の連続稼働時間は八時間。効力を失うまでに探索が終わらない可能性は考慮すべきだ。それ以前に、件の聖職者たちが聖杯を見つけるかもしれない。無駄にできる時間などありはしないのだ。

 

 敵襲(蟹もいた)、分岐、行き止まり。それらを幾度か繰り返しながら、一行は前進していった。どうやらここには罠は仕掛けられていないようだ。少なくとも、先頭を歩かされている馬脚盗賊は何も発見できず、何も起きていない。問題は、途中からスケルトンではなく()スケルトンが見られ始めたことだ。

 

「……どうやら、ここが終端のようですな」

 

 やがて、道は一本に収束する。床に対して()()にそびえる水面が、魔法視覚すら通じぬ異様なうねりを孕んで蠢いていた。

 

「このまま通れそうだ」

 

 フィート棒代わりに差し込んだ剣に異常がないのを確認し、ゴブリンスレイヤーは躊躇なく踏み出した。一行もそれに続き、外気に身を晒す。装備の表面に残るはずの水気が拭われているのは、水路に蓋をする力場のせいだろう。

 

 最初に感じたのは、明るさだった。立ち並ぶ石柱に据えつけられた結晶の髑髏が、寒々しい輝きで大広間を満たしている。灯火が欲しくなる程度には薄暗いものの、これまでついて回ってきた、のしかかるような闇ではなかった。

 

「待ちなさい」

 

 緩やかな上り階段を隔てて一段高くなったところに、物々しい雰囲気を醸し出す巨大な石扉がある。その前に人影が二つ、人でない影が一つ。

 

 言葉を発したのは、灰色の長衣と黒のフードで肌を覆った、おそらくは尼僧。仮に竜尼僧とするが、口元や輪郭からして蜥蜴人以外の種族、見たところは只人か森人だ。蜥蜴人の聖職者が皆、竜司祭というわけではないのと同じく、竜司祭が全員蜥蜴人というわけでもないのだ。

 

「貴公……よりにもよって蜥蜴人を連れてくるとはな。どこまでも我々の邪魔をするつもりか」

 

 もう一人は、青い陣羽織と外套で鎧を飾った黒騎士の長。右手に長剣、左手には大型の馬上盾(カイトシールド)を携えている。

 

「当たり前だろうが。騙して悪いが、なんて舐めた真似してくれやがって。生きていて恥ずかしくないのかよ!」

 

 どの口が言うか。

 

「適当なところで手を引けと、警告はした。金目当てか好奇心か知らんが、雇われごときに至宝を拝観する機会を与えるはずもなかろうに。クックックッ……」

「てめぇッ!」

「どうどう」

 

 縄を引き千切らん勢いで激昂する馬脚盗賊は、蜥蜴僧侶に押し戻された。

 

「拙僧らは、解呪さえ成れば去りまするゆえ。お目こぼしいただけませぬかな」

 

 呪われた者同士、相争うのも不毛がすぎる、と。蜥蜴人らしからぬ、だが実に彼らしい穏やかな提案だったのだが。

 

「いいえ、残念ながら」

 

 答える竜尼僧もまた穏やかで、それでいて取りつく島もなかった。

 

「祝福を受けていない方々は、安全に外までお送りしましょう。ですからそのあとはもう、放っておきなさい。私たちのことも、ここで果てる者たちのことも」

 

 語り口はごく柔らかく、確信的。平素は人を教え、導く立場なのだろう。そんな態度は状況や言葉の内容とはあまりにも乖離していて、そこに静かな狂気が垣間見えた。

 

「断る」

 

 話にならない。今日はよくよくつまらない冗談を聞かされる日のようだ。ゴブリンスレイヤーとて、皮肉の一つも思い浮かぼうというもの。

 

「では、始末するほかありません」

 

 竜尼僧が背後を振り仰ぐ。扉と向かい合う白い巨体を見やる。

 

「守人よ、古き勇士たちを招聘し、盗掘者から聖杯を守りなさい」

 

 全高およそ八メートル、ほぼ人型の骸骨だ。ゆっくりと向きを変えたその頭蓋骨には一本の角と、一つきりの眼窩があった。

 

「門番っつうのは、単眼巨人(サイクロプス)だったんか……! 鍛冶神様の従者として神代の武具を鍛えた、半神(デミゴッド)ぞ!」

 

 鉱人道士にとっては畏怖をもって接するべき存在、その成れの果て。以前に末端を相手取ったことのある百手巨人(ヘカトンケイル)とは異なり、戦闘に特化した種族ではないが、単純な骨格の強度だけでも脅威には違いあるまい。

 

「COLLLLC!」

 

 歯を鳴らす音が呼び声の代わりなのか。壁に埋め込まれていたいくつもの大棺が開き、目覚めたスケルトンたちが武器を手にして一行を囲んでいく。

 

「小鬼殺し殿、角灯を」

「ああ、すまん。それで、どう見る」

 

 頭目の問いかけに、今回は即座に答えが返ってきた。

 

「あれはアンデッドではなく、竜牙兵と同じ人形(ゴーレム)の類のようだ。おそらくは指示を受けて門を開く、鍵の役目を担うものかと」

 

 あの大扉がこれまで同様ノック一つで開く仕掛けだと期待するのは、いささか以上に浅慮だ。どうにかして、鍵を手中に収めなくては。

 

「斃せるかどうかは別として、斃すべきではない。さりとて、放置しておれば何をしでかすやら、わかりませぬぞ」

 

 雑兵を壁に、にじり寄る騎士長と竜尼僧、後方に控える巨人。戦力比は。呪文の残りは。地形は。勝利条件は。ポケットには何がある。

 

「よし、やるぞ。手はある」

 

 その言葉を待っていた。女神官、妖精弓手、鉱人道士に蜥蜴僧侶は知っている。侍は知りつつある。馬脚盗賊はこれから知るだろう。彼はやると言ったからには、必ず何かを()()()()のだと。

 

「尼僧に当たれ。殺さない程度にな。それと竜牙兵は、なしだ。敵と誤認しかねん」

「承知」

「騎士を頼む。無理には攻めなくていい」

「応」

「援護射撃だ」

「はいはーい」

「後衛の護衛につけ」

「ほいよ」

「合図を待て」

「わかりました」

 

 打てば響く返事が五つ。それとここにはもう一人。

 

「遊ばせておく余裕はない。働いてもらうぞ」

 

 ほどいた鉤縄を女神官に返却し、ゴブリンスレイヤーは馬脚盗賊に大刀を押しつけた。

 

「あの、巨人をこちらに近づけるな」

 

 死んでこいと告げるようなものだ。この男が、銀等級の盗賊でなければ。職業(クラス)としての盗賊とは斥候の類縁であり、撹乱陽動こそは彼らの独壇場だ。

 

「おう、任せな。後悔はさせないぜ」

 

 乱戦下で自分を一党から遠ざけておきたいという意図もあろうと、馬脚盗賊も理解はしている。そこに文句をつけない程度の分別はあるらしく、ためらわず得物を受け取った。

 

「まずは、敵をこの入口付近まで引き寄せる」

 

 左足を前に、姿勢はやや低く。盾は遠く、剣は高く、蠍の尾のように。剣術の師を持たぬゴブリンスレイヤーが独力にて伝書(フェシトビュッフ)を読み解き体得したその構えは、人頭獅子(マンティコア)を象っていた。

 

「いくぞ!」

 

 開戦だ。敵先陣、スケルトンの剣先を盾でいなしてそのまま殴り倒し、長剣を突き下ろした。両側では大太刀が、爪が暴れている。

 

「《伶盗龍(リンタオロン)の鉤たる翼よ。斬り裂き、空飛び、狩りを為せ》」

 

 二人の竜司祭が、同時に祝詞を唱えた。蜥蜴僧侶の握り込んだ小さな牙が瞬く間に姿を変え、鋭利な曲剣、《竜牙刀(シャープクロー)》が形作られる。

 

「ここでも、立ちはだかるのは貴方がたですか。竜もどき」

 

 対する竜尼僧の手には、研ぎ澄まされた牙の大鎌が現れた。直前まで武器を隠して正面から奇襲をかける、思惑は互いに同じだった。

 

「させるものか」

「させない!」

「させぬ」

 

 割り込み(インターセプト)への割り込みと割り込み。飛来した木芽の矢を盾で受けた騎士長へ、侍が打ちかかる。大太刀と長剣、斬り結びは攻め手が押し勝ち、受け手は退がらざるをえない。

 

「白亜の園を歩みし偉大な羊よ、永久に語られる闘争の功、その一端なりしを授けたまえ!」

 

 決闘の果てに対手と相討ったという祖先へ向けて吼え猛り、蜥蜴僧侶は牙刀を振りかぶった。長首を刈らんとする鎌をくぐり、脇腹を狙う一撃。躱されたらばと伸ばした尾を、強引に引き戻す。削がれた鱗が数枚、わずかな血糊と共に散って落ちた。

 

「こいよ()無し。仲良くしようぜ!」

 

 その攻防によって生じた間隙を見逃さず、馬脚盗賊は敵陣をすり抜けた。

 

 平地を疾駆する馬人には、森人ですら追いつけはしない。眼前に迫る巨骨の拳を見上げながら滑り込み、大刀で床を突いて跳び上がる。進路を塞ぐスケルトンを二体、着地と共に双刃にて払い倒した。とどめなど刺さずとも、あとは巨人が勝手に掃除してくれる。

 

「問題はないな」

 

 あれは放っておいても大丈夫だろう。馬脚盗賊の力量を確かめたゴブリンスレイヤーは、己の役割(ロール)に集中することにした。

 

 蜥蜴僧侶の背に忍び寄る輩の椎骨を縦一閃、向かってくるものには全身を回転させ裏拳の要領で打ち抜く盾殴撃(シールドバッシュ)。さらに今度は自身の後ろ、体を回す動作の中で把握した敵の位置へ、振り向く勢いで袈裟斬った。

 

 ゴブリンより的が大きい。ゴブリンほど小賢しくはない。弱点を突くのは面倒だが、やることはいつもとたいして変わらない。好みに合わない重たい長剣も、骨を断つには具合よし。よって。

 

「やはり、ゴブリンよりは楽か」

 

 哀れ、古き勇士とやらは、ゴブリン以下と評されたのだ。

 

「とはいえ、いかんせん多いな」

「こっち回せい。たまさかにゃあ、鉱人らしい戦をする日っつうのも悪かねぇやな」

 

 単騎で捌ける数には限度がある。無茶は禁物とゴブリンスレイヤーが素通しした一体の攻撃を、戦利品の盾で止めた鉱人道士は、そのまま押し返して反撃の手斧を見舞った。

 

「叔父貴みたく巧かねぇが……!」

 

 鉤に見立てた斧頭の端を相手の盾のふちに噛み込ませ、一気に引き剥がす。

 

 これぞ世に言う、鉱人の盾砕きよ。

 

 すかさず蹴手繰り転ばせ、得物を振り下ろした。およそ体幹の強靭さに関して鉱人に勝る言葉持つ者(プレイヤー)はおらず、その軸に支えられた斧の威力たるや、人の骨など微塵に破砕して余りある。

 

「はい、ちょっと通るわねっと!」

 

 そんな鉱人の斧と並び名高きものは、森人の爪弾く水松樹(イチイ)の長弓。後隙を補う矢が、前傾する鉱人道士の頭越しに獲物を射抜いた。

 

「おいこら、危ねぇだろが」

「大丈夫よ、すっとろい鉱人が頭を上げるまでに三本は射れるもの」

「抜かしおる!」

 

 有言実行とばかりに二の矢三の矢、蜥蜴僧侶と侍の背が守られた。

 

「はっ!」

 

 その甲斐もあり、こちらはほぼ一騎討ちの様相を呈している。斜め十字を描く侍の大太刀を騎士長の剣がなんとか捌き、続く刺突は脇に流す。すかさずの返礼は空を斬り、大きく跳びすさりながらの射撃が盾を激しく揺さぶった。

 

「逃さん」

「逃げぬとも」

 

 弓で刃は防げまい。好機とばかりに距離を詰めんとする騎士長は、右の肘当てを強かに打たれて出端を挫かれた。

 

「侍の居合とやらか!」

「否。ただの抜き打ちよ」

 

 筋力、技量、得物の射程。現状、主導権(イニシアチブ)は侍にある。それでもある要因が、決着を遠のかせていた。

 

 重厚な板金鎧(プレートアーマー)や金属盾は、いかな名刀といえど生半に斬り裂けるものではない。装甲の継ぎ目や隙間を狙うにも、南蛮甲冑の構造など知識の埒外。侍には、騎士との戦闘経験が不足しているのだ。

 

「もう矢は射らせんぞ」

 

 そこで、射通せるか試してみた。嫌がっている様子からして有効ではあろう。盾が邪魔だ。刀を打ち込み続ければ腕が持つまい。無理に攻めるなとは言われたが、ここは攻めどきだ。と、考えていたというのに。

 

「《太陽礼賛! 光あれ!》」

 

 短い聖句を紡いだ騎士長はごくあっさりと、盾を手放した。両の手で握り締めた長剣が揺らめく《陽炎(ミラージュエッジ)》へと変貌し、太刀筋をなぞる()()幻影の刃が一振り二連の斬撃を生み出す。

 

「面妖な、術を」

 

 剣圧が倍になったのだ。縦横に奔り畳みかける連係(チェイン)は侍の防御を突破するには至らなかったものの、体勢が乱れたところへさらなる強打を浴びた。受けて、止まるのは一瞬。鍔迫(バインド)だ。

 

 刀身に巻きつくような動作で回り込んだ長剣が、顔面を突く。刀にはない裏刃によって緒を斬られた陣笠が、寸前で傾けた頭から飛んだ。

 

 切先近くが重く、高速に乗った攻撃で真価を発揮する曲刀である侍の大太刀。手もと重心で、細かな制御と表裏の切り替えが可能な騎士長の直剣。このような土俵においてどちらが有利かは明白だ。あの女騎士との模擬戦がなければ、彼とて今の技巧を凌げたかどうか。

 

「チィ!」

 

 押し上げ、籠手を打たんと滑り込ませた刃は、手首を返しつつ棒鍔(ガード)に阻まれる。そこから側面下方へ誘導された直後、柄頭(ポンメル)がこめかみに炸裂した。

 

「消えてしまえよ」

 

 騎士長は頭上で剣を逆転させ半歩後退。首筋へ迫る死の予感に従い、侍は前転して事なきを得た。立ち上がり追撃を弾き、間合いを図る。

 

 天秤は傾いた。

 

「《捕食者たる狩人(ヤトウジャ)よ、我が身を光の影となせ》」

 

 それを嗅ぎ取り、竜尼僧が動いた。斬り込むと見せかけてすれ違い、蜥蜴僧侶の視界から消える。

 

「いかぬ、小鬼殺し殿、背後に!」

 

 仲間の邪魔はしない。遠近対応する侍が抑え込まれて射線が一つ減ったならばと、司令塔と思しき男を目標に定めたのだ。蜥蜴僧侶もあとを追うが、スケルトンへの対処で一手番を費やしてしまう。

 

「ふんっ」

 

 ゴブリンスレイヤーが振り返りざま擲った長剣が、()()に防がれた。敵の姿を捉え切れない。ただ目だけが光っていた。竜尼僧の肌や装備が蛸めいて色を変え、背景に紛れているのだ。《擬態(カモフラージュ)》。光量の乏しい環境で視野の制限される兜を装備していては、角灯を借り受けてもなお、暗視も魔法視覚もない彼ではあまりにも不利だ。

 

「ぐはっ!」

 

 大鎌の峰に腹を打ち上げられ、体が高く浮かぶ。首にかかろうとする凶刃に対して反射的にかざした円盾が軌道をずらしはしたが、肩口を浅く抉られ、そのまま床面に引き落とされた。腰の角灯が割れ、火が散り。

 

「《掲げよ燃やせや松明持ち(ウィル・オ・ウィスプ)。沼地の鬼火の出番ぞな》」

 

 突如としていくつもの飛沫となって、竜尼僧に殺到した。火勢は弱く、怯ませる以上の効果はなくとも、《使役(コントロール・スピリット)》の求めに応じた精霊は健気に務めを果たす。火と土こそは鉱人の友なれば、助勢を惜しむことはなし。

 

「っ……!」

 

 主人が炙られるのを見て気が逸れたか。動きの鈍った騎士長の目の前に、頭蓋骨が飛び込んできた。もうご存じだろう、侍の足癖を。弓の早さを。

 

「がっ!?」

 

 死人と視線が交差した、瞬間に爆散し、騎士長は兜を襲った衝撃により打ち倒された。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

「軽傷だ。だが潮時だな、引け!」

 

 起き上がったゴブリンスレイヤーは、予備の剣を鞘から抜いてスケルトンを払いのけつつ、速やかに退却した。前線の混乱により、雑兵に対処する妖精弓手の負担が増している。無理に攻めるな、だ。

 

「巨人を説き伏せろ、それから敵を黙らせろ!」

 

 聖職者二人が首肯する。

 

「《大地を冠せし馬普龍(マプロン)よ。仮初なれど、我らを群れに加えたもう》」

 

 竜司祭ならば話せるという門番。蜥蜴僧侶は最初からこの可能性を考えていた。

 

「守人よ、どうか矛を収められませい!」

「COOL!」

 

 父祖たる竜の力添えが、言語の壁を乗り越えさせる。《念話(コミュニケート)》は成功だ。巨人と、率いられるスケルトンたちはその場に立ち尽くした。当然、竜尼僧がこれを黙って眺めているはずもないが。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、遍くものを受け入れられる、静謐をお与えください》」

 

 黙っていてもらおう。沈黙を破った女神官が囁いたならば、あとに残るは真の《沈黙(サイレンス)》のみ。《念話》はどのような形であれ、言葉に思念を乗せて交信(テレパシー)を行う術だ。発話不能な状態では意味を成さない。

 

「——! ——!?」

 

 もはや趨勢は決した。さりとて窮鼠の牙は鋭いもの。あの尼僧に扉を開けさせるという副案も無用になったからには、遠慮は無用だ。ゴブリンスレイヤーは腰後ろの雑嚢を漁り、切り札を場に晒した。

 

 それは、筒状に丸められた一枚の羊皮紙だった。留め紐を解き、文字と図形に埋め尽くされた内側を露わにする。あふれる光輝は魔力の証。魔法の巻物(スクロール)だ。

 

「——!」

 

 矢の刺さった兜の奥で砕けた耳から血を流しながらも、騎士長はゴブリンスレイヤーと竜尼僧との間に割って入った。我が身を主人の盾に、その矜持は見事。ただし、望む結果が得られるとは限らない。

 

 まず、冷気が吹き込んだ。雪だ。吹雪だ。……違う。

 

 これは、雪崩だ。白き怒涛、静かなる雪崩(サイレント・アヴァランチ)が、すべてを飲み込み押し流す。

 

 やがて、収まる頃には。広間に冬景色が生み出されていた。

 

「何を、した」

 

 静寂が去り、侍は白い息と共に問いを発した。

 

「《転移(ゲート)》。離れた場所同士を繋げる、魔法だ。雪山の、深い雪の中に繋げた」

 

 《転移》の巻物といえば、主に敵陣への奇襲や緊急脱出に用いられる道具だ。もしくは希少価値の高さから売り飛ばされるか。いずれにせよ、こんな使い方をするのはこの男くらいなものだ。

 

「大丈夫なんですか!? その雪山の近くの村とか、潰れちゃったり」

「それはない」

 

 自動的に消滅していく巻物を無造作に捨て、彼は首を振った。もちろん、不幸な巻き添え(コラテラル)への配慮はしている。

 

「あんなところには、野生の熊でも寄りつかん」

 

 懐かしむような、それでいて苦虫を噛み潰したようでもある、不思議な声色だった。

 

「それで、どうだ。水でも、火でも、毒でもないぞ」

 

 一転、なぜか少し得意げに。それが妙に小憎らしく、妖精弓手はあれこれ言おうとする。だいたい少し前に実際に雪山で雪崩を誘発して、自滅しかけたではないか、などと。そうして、判定は。

 

「……遺跡とか、洞窟とかなら、よし」

「そうか」

 

 不本意だったのだろう、そっぽを向いたまま妖精弓手は答えた。それに満足したのか、ゴブリンスレイヤーは足取りも軽やかに、雪原を踏み締めていく。

 

「アンデッドでよかったと思うことになろうとは」

 

 想定外の雪中行軍になってしまった。《呼気》の副次作用で寒さに多少耐性がつくとはいえ、蜥蜴人としては生身では長居したくない環境だ。

 

「指輪なしでやんなよ。鱗のが凍っちまわぁ」

「わかっている。状況は選ぶ」

 

 水中呼吸の指輪は必須か。さもなくば、すぐに移動するか火を用意するかせねばなるまい。

 

「そうだ、さっきの火は助かった」

「気にすんない。やっぱ儂ゃあ、術のほうが性に合っとるわ」

 

 冷えるからと口実をつけ、火酒を胃の腑に充填した鉱人道士はからからと笑った。

 

「角灯は弁償する」

「いえ。それも気にしないでください。ゴブリンスレイヤーさんのせいじゃないですから」

「そうもいかん。今後に備えて、もっと頑丈なやつを買おう」

 

 つまり。彼からの、贈り物。

 

「それじゃあっ、……お願い、します」

「ああ」

 

 声が上ずってしまったことはどうか見逃してあげてほしい。女神官とて十六歳の少女なのだと、すでに述べたはずだ。

 

 ところで。この広間にはもう一人味方、かどうかわからないが、とにかくそのような者がいたような。馬脚盗賊。その姿がない。見えているのは馬脚だけだ。天地逆さの。

 

「むん」

「ぶほっ!」

 

 侍によって雑に引っこ抜かれた盗賊が、雪の上に転がった。

 

「こ、殺す気か!」

「いや。アンデッドに呼吸は必要なかろう」

 

 近距離なら圧死もありえたが、この位置なら窒息にさえ対策しておけばおおむね安全だ。

 

「死なれては困る。……扉を」

「うむ。守人よ、門を開かれよ!」

「CLO」

 

 そんななか、微動だにしていなかった巨人。ざっくざっくと大扉に近づき、今こそ己の使命を果たさんとする。古き半神の残骸に込められた、力のすべてを懸けて。

 

「COLOOOC!」

 

 伝統に則り、扉を蹴破った。

 

「なんか思ってたのと違う」

「そら、こやつに頼まんと開けられんわな」

 

 質量という錠前を解除する、万能鍵(マスターキー)の仕事はこれで完了だ。間もなく塵に帰っていった巨人に、女神官と蜥蜴僧侶は小さく祈りを捧げた。

 

「あれが、その、なんだ」

「聖杯だ、これで生き返れるぜ!」

 

 豪快に解放された扉の先、円形の部屋の中央にある祭壇に、それは安置されていた。暗い緑の結晶でできた、上下対称の奇妙な杯。腰の長い砂時計、といった風情だ。

 

「まず、俺が毒見役をやる。いいだろう?」

「構いませぬ。どうぞお先に」

 

 許可を得た馬脚盗賊は手指をそっと大刀の刃に這わせ、傷をつける。漏れ出す血の雫を底なしの闇をたたえた杯へ垂らすと、まばゆい光の塊が解き放たれた。何かを探すように室内をさまようこと数秒、急に角度を変え、血の主へと吸い込まれていった。

 

「お、おお。熱い、いや寒い!」

 

 生きている証左である。魂を取り戻した(SOULS RETRIEVED)。解呪は、成ったのだ。

 

「ヘヘッ、ありがとうよ。この恩は忘れないぜ。さあ、あんたの番だ。やり方はわかったろう」

 

 蜥蜴僧侶の目は、馬脚盗賊が間違いなく生者に還ったことを認めていた。少なくとも、呪いについては嘘はついていなかったということか。

 

「では」

 

 真新しい掠り傷から血を掬い、儀式を執り行った。蜥蜴僧侶は、晴れて温血動物へと復帰したのだ。

 

「平気? 調子悪いとかない?」

「絶好調ですぞ、野伏殿。あとは腹にチーズが入れば完璧かと」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。これで、ようやく地上に戻れる。チーズは奢ってやろうと、妖精弓手は心に決めた。

 

「……待って。何か、後ろ!」

 

 その安堵を真っ先に捨て去ったのも、また彼女だった。振り向く先で、積もった雪にヒビが走り扉へ猛進する。雪片を散らして飛び出した巨大な影が、一行に覆いかぶさった。

 

「よけろ!」

 

 左右に道を空けた彼らには目もくれず、それは祭壇に食らいついた。鋭い牙を覗かせる顎門、一対の鹿角。灰色の鱗に鎧われた長くくねる体と、蝙蝠に似た翼腕。

 

「竜、だと」

「ドラゴンか?」

 

 只人の男たちが乏しい怪物知識を汲み上げる。確かに、竜だ。が、ドラゴンではない。

 

蛇竜(ヴィーヴル)です! 図鑑に載ってました、けど、いったいどこから!?」

 

 知恵と武力を兼ね備えた真の竜とは異なる、獣同然の亜竜の一種。されど竜は竜、脅威度は低くない。油断なく出方を窺う一行は、ゆえに相手の初動を止められなかった。

 

「う、ぐ、はぁ、はぁっ……!」

 

 床面まで下りてきた蛇竜の口の中から、光球が吐き出された。あとを追って這い転がった騎士長、手に聖杯を握った彼に、魂が宿り直す。

 

「申し訳、ございません。貴方の騎士でありながら」

 

 己を救出した竜と目線を合わせ頷き合うと、騎士長は部屋の奥へと離れていった。

 

「よもやあの尼僧、《竜装(チェンジ・ドラゴン)》の術を! いやさ、あれは父祖たる恐るべき竜の似姿を得るもののはず。何ゆえこのような」

 

 蜥蜴僧侶の困惑に、回答はなされない。蛇竜の舌先に言葉なく、代わりに炎がチラついていた。

 

「火を吹くのか?」

「たぶん!」

 

 そうはいくかと射手二人、番えて放てば不気味な金眼を穿って潰す。

 

「VOURRR!」

 

 激痛にのたうち回る、いや、回った勢いそのままに、全身を鞭として薙ぎ払う心算だ。

 

「らぁァッ!」

 

 受けて立つ侍が、弧を描いて大太刀を振り上げる。尾か胴かもわからぬものを深々と斬り開き、弾いてのけた。

 

「あの黒騎士、なんかしてる!」

 

 妖精弓手が見咎めたのは、改めてのたうち回る蛇竜の向こう。騎士長が見覚えのある巻物を開くと空間がひずみ、そこに草原と木々と、西日に色づく空と雲が現れた。墓地の外の風景だ。彼はその中に身を躍らせ、消える。

 

「《転移》か。ああいう使い方も、あるか。……む?」

「VUOORRRU!」

 

 直後に、蛇竜は断末魔の咆哮を上げて斃れ伏した。

 

「聖杯を持っていかれて、奪われた魂を見失ったんだろう。けっ、騎士が主を犠牲にして逃げるとはな。さすが似非聖職者様はやることがご立派だぜ、ウヒャヒャヒャ、ヒャッ!?」

 

 馬脚盗賊の笑いを、地鳴りが断ち切る。周囲の石組が震え境目から燐光が滲み、明らかな異常を告げていた。

 

「やっべぇ。遺跡を補強しとる魔法が綻び始めやがった。崩れっぞ!」

「それだけじゃない、みたいです!」

 

 前室の入口は、魔法の力でせき止められた水面だった。それが綻ぶとしたら。

 

「逃げるぞ」

 

 洪水になる。水路の規模を考えれば、広間やこの部屋を沈めるには十分な水量があるはずだ。激流に急かされた一行は奥へ、その先に見える隧道へと走った。

 

「オルクボルグがいっつも水攻めばっかりしてるから、神様が怒ってるのよきっと!」

「いつもではない。今回は違う」

 

 雪も水なのでは。指摘する前に、さらなる問題がやってくる。

 

「KUURUOOO!」

 

 白骨化した蛇竜が、もはや翼の役には立たないであろう腕で床を掻き、牙を鳴らして追い縋ってきたのだ。

 

「まだ動くか」

「魂はなく、呪いのみが残る、と。……死してなお変身が解けぬ。何かしら、特異な触媒を用いたか。拙僧の知らぬ外法の類やもしれませぬ」

「なんでもいいから、とにかく急いで!」

 

 燃え尽きようとする蝋燭じみた魔力の輝きが、彼らを照らす。隧道は直線で、末端は広い吹き抜けにかかる橋に接続していた。とりあえず、溺死は免れたらしい。

 

「見ろよ、昇降機だ! 地上行きだといいんだがな」

「ほかに道はない、乗るぞ」

 

 上層にあったものと同じ、円柱状の外壁と足場からなる昇降機だ。馬脚盗賊は一も二もなく駆け込み、すぐに感圧板を押す。などということはせず、全員が搭乗するのを待った。最後尾は蜥蜴僧侶だ。

 

「まだ作動するようですな」

 

 上昇が始まる。幸い、魔力切れの心配はなさそうだ。動力が独立しているのだろう。親切設計だと、言えなくもない。

 

「一安心、ですね」

「そうでもないかも。近づいてくる、また、あいつが!」

 

 硬質の摩擦音が昇降機を追い越したかと思うと、壁を破壊して骨蛇竜(スカルヴィーヴル)の長首が侵入してきた。崩落する石の雨が降り注ぐ。

 

「伏せてな!」

 

 ここでまさかの馬脚盗賊だ。防御手段のない女性陣を特に庇い、大刀を頭上で旋回させた。うなる双刃の風車輪が、石塊を跳ねのける。

 

「ど、どーもっ!」

 

 悔しさを込めた矢を三本まとめ、妖精弓手が追跡者の指関節を破断させた。自重を支えきれなくなり落下、しかし昇降機の端に掴まりとどまる。

 

「きゃあっ!」

「中心に寄れ!」

 

 壁を削り取りながらしがみつく骨蛇竜。損傷が大きすぎたか、昇降路(シャフト)全体が崩壊していく。辛くも落石からは逃れられたが、支えなく空中を浮上する足場の上、もう敵から逃げる手立てはない。

 

「KROUUU!」

「往生際の、悪い」

 

 がむしゃらに振り回された尾の先端を、侍が斬り飛ばす。その間に敵の左手に肉薄した蜥蜴僧侶は、冷たい骨に掌を叩きつけた。

 

「《傷つきなおも美しい蛇發女怪龍(ゴルゴス)よ、その身の癒しをこの手に宿せ》!」

 

 武僧たる彼の本懐は物理である。だからといって、対アンデッドの心得がないわけではない。《小癒》を超える《治療(リフレッシュ)》の術だ。迸る生命の波、すなわち死を滅する猛毒が、呪われし骸を疾走する。

 

 灰となれ。

 

「KOURRRO!」

 

 片腕を喪失した骨蛇竜は滑落しかけ、そこから弾みをつけて強襲した。執念の為せる業か。大顎を開き、せめて一人でも道連れを。

 

「《仕事だ仕事だ、土精ども。砂粒一粒、転がり廻せば石となる》!」

 

 代わりにこれでも喰らえと放り込まれた粘土玉が、岩のような巨石へと変化して口を塞いだ。鉱人道士の精神力によって拡張肥大した《石弾(ストーンブラスト)》だ。

 

「RRUO——!」

 

 ついに重力に屈した骨蛇竜は、奈落へと消えていった。

 

「悔い改めろ、ってんだ」

 

 最後に千切れて取り残された右手の骨を、馬脚盗賊が蹴り落とした。このとき不用意にへりに近づいた彼が足を踏み外さなかったのは、まったくの幸運だ。

 

「うお、おわわわわ!」

 

 振動。明滅する魔力の光。減速。負荷がかかりすぎたのか。

 

「そんな、もうちょっとなのに!」

 

 見上げれば、一部が崩れているものの、橋があるのが確認できる。高度さえ足りれば跳び渡れるだろう。

 

「鉱人、これなんとかならないの!?」

「無茶言うない! 儂ゃ精霊使いで、こいつぁ魔術で動いとる。魔法にもいろいろあんだよ」

 

 魔法の足場。魔法の昇降機。魔法の……?

 

「《聖壁》だ、()()に張れ!」

「はっ、はい! 皆さん、集まってください!」

 

 ゴブリンスレイヤーの思考を瞬時に理解した女神官が、錫杖を掲げた。図ったかのように上昇が完全に停止する。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 昇降機がただの石板になり、落下していく。乗っていた彼女たちも同じ運命を辿りかけたが、すんでのところで地母神の手が差し伸べられた。

 

 魔法にもいろいろとある。これは、奇跡の昇降機だ。

 

「おお、なんと。拙僧、宗旨替えをする同族の心持ちがわかった気がしますぞ」

 

 ゆっくりと、確実に昇っていく。《聖壁》は術者の拒絶した対象にのみ干渉する、神宿る力の壁。《霊壁》とは違い設置場所を選ばず、また低速で移動させることもできるのだ。憂うべきは、敵からは見えないという点であったが。

 

「まこと、美しきものよな」

 

 神は存外、融通が利く。拒絶してはいても、敵ではないと見なされたようだ。淡く煌めく舞台上、祈る少女と冒険者たち。この光景を目の当たりにできた画家がいたならば、一心不乱に描画(スケッチ)していたに違いない。

 

「ごめんなさい。あんまり、速くは、できなくて」

 

 彼女はそう言うものの、ただ運ぶことのみに専心しているため、戦闘時よりは速度が出ている。あと少しだ。

 

「いや。よくやった」

 

 ほどなくして、十分な高度に達した《聖壁》を橋に寄せることに成功した。遺跡の揺れはかなり大きくなってきている。この橋もあまり長くは持つまい。

 

「いって、ください。私は最後に」

 

 馬脚盗賊を先頭に、一行は走りだした。女神官は己の魂魄の強度で七人分の重量を持ち上げているのだ。足をどけるほかに、彼女の助けとなる方法はない。

 

「神官殿、お早く!」

 

 蜥蜴僧侶の背に続き、祈りを途切れさせぬよう慎重に歩を進める。一歩、二歩、三歩。四歩目で足場が実体ある床に変わり、五歩目で彼女は祝祷を終えた。

 

「——え」

 

 そこで、石組が崩れた。誰かの悲鳴。緑の尾。届かない。浮遊感。それから。

 

「《神よ、我が身に禹歩の奇跡をお貸(God, lend methemiracleof Silly Walk)しください》!」

 

 まさかまさかの馬脚盗賊だ。自身の胸に手を当て何事かを叫ぶと、ただ一歩で後続の頭上を跳び越し、女神官のもとへ到達した。軽い体を肩に担ぎ、落ちゆく瓦礫を蹴る。だが高さも距離も足りていない。

 

 だから、彼はこうする。

 

「え。え、えぇ!?」

 

 "無"を踏む。その様は天馬(ペガサス)にはほど遠い。何かの不具合(バグ)で足が生えてしまい当惑する(パイソン)のような奇怪な動作で、蹄を鳴らさず虚空の(きざはし)を駆け上った。

 

 時の盗人、盗賊の守護神たる奪掠(タスカリャ)神が御業の一つ。その名を《禹歩(シリーウォーク)》。どれほど滑稽であろうとも、紛うことなき()()であった。

 

「愚図愚図するなよ、いけいけいけ!」

 

 やけに高い位置からの一喝で我に返ったゴブリンスレイヤーたちも逃走を再開した。腹立たしいほどの速さで飛翔を続けて先頭に戻った馬脚盗賊を追い、ひたすらに走る。

 

「出口です! 皆さん急いでください!」

 

 自分の置かれた状況は気にしないことにした女神官は、まともなほうの階段の先から注ぐ光を肩越しに捉え、瞳を細めた。

 

 そして、跳び出す。後方で轟く破滅的な不協和音がやむまで、一行は足を止めなかった。

 

 

 

§

 

 

 

「埋まった、か」

「そのようで。呪いの檻が形をなくしたのならば、亡者どもも眠りについたことでしょうや」

「それにゴブリンが残っていたとしても、もう生きてはいまい」

 

 全員生還、地下墓地は森の木々を巻き込んで陥没。これにて依頼は完遂(クリア)だ。

 

「ほかに考えるこたぁないんか、かみきり丸。逃げおった騎士とか聖杯とか、あとこやつとか」

 

 座り込む馬脚盗賊に目をやる。また魂が抜けてしまったのではないかというほど青ざめた面貌から、憔悴ぶりが見て取れた。

 

「超過祈祷。つうか、()()()()聖職者だったんかい」

 

 先刻彼の認識票を改めた際に鉱人道士は、そこに刻まれた技能欄に"神官"の文字が踊っているのに気づいてはいた。ほかに追及すべきことがあったうえに、よもやこの男の祈りが一党の助けになるとは思いもよらず、捨て置いていたのだ。

 

「まぁな。見てのとおり、さ」

 

 丸い頭を撫で上げた馬脚盗賊は、命を賭した祈念の代償として消耗の極致にあり、ぼんやりとしたまま笑みを浮かべた。生き延びるために他人の命を危険に晒しておいて、これだ。どこまで詰めが甘いのやら。

 

「で、どうするの、こいつ」

 

 妖精弓手は、複雑そうな表情で聖なるクソ野郎(ホーリーシット)を見下ろした。この男のしたことは、許されざる所業だ。なのだが。

 

「ゴブリンスレイヤーさん」

「ああ」

 

 雑嚢から小瓶を抜き出し、馬脚盗賊に握らせた。強壮の薬水だ。

 

「ギルドに引き渡す。あの騎士のことも、こいつの沙汰についても、向こうに委ねる」

 

 水に潜り雪を歩き、多少は怒りも冷めた。それに。

 

「自分を善悪の物差にできるほど、俺は上等な人間ではない」

 

 例えばの話だ。

 

 そんなつもりがなくとも、唯一の肉親を犠牲にして己だけ生き残った者と。

 

 意図して他者を利用しながらも、最終的に犠牲を出さなかった者と。

 

 いったい、どちらがマシだ?

 

「だから。それで、いいか」

「仔細ない」

 

 誰よりも早く答えたのは、侍だった。ゴブリンスレイヤーにどのような思案があったにせよ、決断は下された。重要なのは、それだ。

 

「頭とは、つまりまったくそれでよいのだ。鬼討ちの」

「私も、オルクボルグがそうしたいなら、別に」

「妥当なとこだろ。報酬も払うてもらわにゃならんしの」

「戦を終えたあとにまで、血を流すこともありますまい」

 

 そも、この期に及んで私刑(リンチ)など望む者はいない。冒険者と無法者は紙一重であって、同義ではないのだから。

 

「さっきは、ありがとうございました」

 

 何より。元を正せば馬脚盗賊が巻き込んだせいであるとはいえ、直接助けられたという事実がある。少なくとも女神官は、理屈よりも人情の人であった。

 

「そういうことになった。飲め。歩いてもらわねばならん」

「……おう」

 

 頭の中で殴り書いていた、この場を切り抜けるための言い訳の数々はすべて丸めて投げ捨てた。栓を抜き、瓶を高く持ち上げる。

 

「乾杯だ。俺の冒険と、あんたたちの冒険と、そこから生還できたことに」

 

 薄緑の薬水を飲み干せば、肉体に活力が戻ってくる。立ち上がった馬脚盗賊は、懐から小さな護符(アミュレット)を取り出した。

 

「報酬はあとで必ず払う。こいつぁまあ、ただの礼だ」

 

 戯画化(デフォルメ)された木彫りの鼠が、革紐にぶら下がっている。別段、特別な品には見えない。

 

「南の街にいくことがあったら、持っておくといい。厄介事に首を突っ込んじまったときに、きっと役に立つ」

 

 何かしら、まじないがかかっているのかもしれない。それとも呪いだろうか。念のためあとで鑑定を依頼するとして。

 

「貰っておこう」

 

 ゴブリンスレイヤーはそれを雑嚢に仕舞い、傾きつつある日差しに照らされた一党に目を向けた。

 

「……帰るか」

「はいっ」

 

 大変な一日だった。ありふれたゴブリン退治のはずが、思いがけない冒険になってしまった。と、そこまで考えて、彼はようやく自分が冒険をしていたのだと気づいた。

 

 これが始まりにすぎないということまでは、気づけなかった。




◆《陽炎》◆

 太陽神に仕える騎士、その異端が用いる奇跡。

 手にした武器の輪郭を揺らめかせ、太刀筋を隠す。さらに攻撃に一時的質量を持った幻影が追従するようになり、間断なく敵に襲いかかる。

 旅人を惑わせる砂漠の虚像は、太陽の力の昏い一面であり、追い求めるべきではないとされる。ゆえにこれは禁忌であり、影にある者たちによってのみ、ひっそりと伝えられてきたのだろう。






◆冒険の記憶・気骨の章◆

 侍の心中に息づく、冒険の記憶。すべてを失った男の、ありえないはずだった新たな思い出。

 後日一党に宛てて、財貨で満たされた長櫃と、それとは別に金貨一枚が届けられた。あの男なりに、通すべき筋というものがあるのだろう。

 馬脚盗賊。正道ならぬ、善とも悪ともつかぬ、人の道をゆく者であった。

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