〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン   作:Jack O'Clock

9 / 18
Session 2.5:若草の章
2.5-1:冒険に貴賎はないというお話/Alchemist Works


 

 薫風にくすぐられ、重なり合う枝葉が身をよじってさんざめいている。波打つ木々にはそれでも陽光の通る隙間は空かず、下生えを覆う影は形を変えない。

 

 暗い草むらを掻き分けて泳いでいく、栗鼠(リス)が一匹。時々立ち止まっては後方を確認し、また走る。繰り返すうちに視界は明るくなり、澄んだ湖が()()を出迎えた。

 

「わあ、綺麗なところですねぇ」

 

 栗鼠のあとを追ってのんびりと歩いてきたのは、宿木(ヤドリギ)の絡みつく杖を持った小柄な少女だった。只人を縮尺したような矮躯に、若干先の尖った耳。草木の棘を踏んでもまるで堪えない頑丈な足裏で、靴も履かずに野山をゆく者。圃人だ。

 

「案内、ありがとうございます」

 

 しゃがみ込み、任務を果たした栗鼠に野苺を手渡す。巫術師(ドルイド)、厳密には女巫術師(ドルイダス)である彼女は自然と心を通わせ、動物の共感者(アニマル・コンパニオン)の協力を得ることができるのだ。

 

「やった、ありました」

 

 水辺に群生する大輪の花に似た緑の野草を丁寧に摘み取り、背中の籠に収めていく。これを蒸留器にかけることで抽出される精油は、強壮の薬水(スタミナポーション)の主要な材料だ。

 

「貴方も見てないで手伝ってください。女の子にだけ働かせるなんて最低ですよ」

 

 少女巫術師の振り仰ぐ樹上には、只人の少年の姿があった。

 

「ひっでー、俺もちゃんと仕事してんじゃんよー」

 

 不安定な枝の上で危なげもなく、少年斥候は大げさな手振りで肩を竦めた。手の中で弄んでいた木の実を一つ、放って寄越す。

 

「腹減ったら食っていいぞ」

 

 受け取ってみれば、それは白い産毛の生えた団栗(ドングリ)だった。虫下しや免疫強化の薬効があることから治療薬(パナケア)の作成に利用されるものの、非常に苦すっぱく、そのまま食用とするには適さない。

 

「食べませんよっ」

 

 よって、抗議と共に投げ返す。彼女は日に五度食事をするのだが、別に大食らいなわけではなく、ただ圃人にはそういう習慣があるというだけのこと。食い意地が張っているのだとからかわれるのは、うら若き乙女として実に心外なのだ。

 

「あ痛!」

 

 無用なところで幸運を発揮して頭部直撃(クリティカル)。標的はもんどり打って藪の中へ転落した。

 

「あっ、ごめんなさい、大丈夫ですか!?」

 

 彼が本気で自分を貶しているわけではないことくらい、六年も一緒に冒険をしている少女巫術師にはわかっている。いつものじゃれ合いのつもりが、つい勢いでやりすぎてしまったのだ。

 

「えっと、この辺に、あれ?」

 

 血相変えて駆け寄り、草を掻き分け探してみるも、見つからず。

 

「わっ!」

「ひゃうっ!?」

 

 真横から飛び出した少年斥候の待ち伏せ(アンブッシュ)にまんまと嵌り、尻餅を突く羽目になった。

 

「ははは、ばーか、斥候が着地ミスるかっての」

「もう! ほんと! 最低!」

 

 結局、いつものじゃれ合いだった。静かな湖畔の森の陰から、少年少女の声がする。ああ、のどか。

 

「二人とも。そのくらいにしておきましょうね」

 

 いやいや、仕事中だ。先ほどまで少年斥候が立っていた枝よりもさらに高い位置から、窘める青年の声がかかった。木立の幹を蹴って三角跳んで、華麗に降り立つ。スラリとした長身に、笹葉とまではいかないが長い耳。森人、ではなく半森人の軽剣士だ。

 

「あまり騒がしくすると、熊や大猪の興味を引いてしまうかもしれませんよ」

 

 どちらも恐ろしい獣だ。少女巫術師の位階(レベル)では対話は不可能。少年斥候の力量では討伐も難しい。二人はあふれる想像力に喉を詰まらせたらしく、押し黙ってしまう。

 

「そうなったら大変です。特に前衛の戦士などは」

「俺ぇ!?」

 

 木の根に躓きかけつつ反応を返したのは、腰に棍棒と長剣を提げ、左腕に小ぶりの円盾を括った少年だ。下水道を主戦場、巨大鼠(ジャイアントラット)大黒蟲(ジャイアントローチ)を宿敵とする新米戦士であるところの彼は、野外の冒険(ウィルダネス・アドベンチャー)には慣れていない。農家の生まれで野遊びの経験くらいはあっても、ろくに人の手の入っていない深い森林に挑むとなると勝手が違うのだ。

 

「もし出たら逃げるわよ、絶対。熊とか無理。猪だって、牙で太腿に穴開けられちゃうんだから」

 

 そんな幼馴染の差し出した手を取って、ほんの少しだけ頬を赤らめながら危なっかしい有様で続く少女。青い茸が入った籠を背負い、簡素な物だが至高神の象徴である天秤剣の錫杖を携えた、見習聖女だ。

 

「マジか」

「マジです。しっかり、彼女を守ってあげてくださいね」

 

 言い残し、軽剣士は猫顔負けの身のこなしで大木に登っていった。危惧する事態に備えて、周囲を見張るつもりなのだろう。

 

「いいなぁ。種族はしゃあないけど、俺も斥候の技能覚えたらもちっと動けっかなぁ。いや魔法戦士ってのもいいかも」

「欲張らないの。戦士の経験だってまだまだなんだから、ちゃんと地に足つけてかなきゃ。ほら、それ採って」

「うーい」

 

 軽剣士は元より、気軽に話せる友人であるあの若い二人もまた、彼らにとっては先輩だ。年齢をごまかして成人を待たずにギルドに登録したがために、昇級がかなり遅れているとはいえ、場数はそれなりに踏んでいる。憧れるのはよいが、当面の目標とするには遠い。

 

 差し当たっては、まず目の前のことに集中せねばなるまい。

 

 世に冒険の種は尽きまじ。とりわけ彼らが活動している西方辺境は開拓の最前線(フロンティア)であるため、依頼の重要度はともかく数に関しては都を上回る。必然、冒険者の数も、消費する薬水などの量も多い。しかし厄介なことにそれらの調合に必要な材料には、人工栽培の手段が確立されていない薬草や藻類茸類が含まれている。つまりは、冒険者の出番というわけだ。

 

 とはいえ、辺境の街周辺だけで乱獲していてはいずれ枯渇してしまいかねない。それゆえ輸入によって調達している部分もあるのだが、このところ主要な仕入れ経路の一つが滞っており、供給に若干の不安が生じている。そこで普段は対象外としている比較的遠方への採集依頼が発注され、新米戦士と見習聖女がこれを引き受けたのだ。

 

「お、見っけたぞ」

「んー、なんか違くない? ねえ、ちょっと。これどうかな」

 

 引き受けたまでは、よかったのだが。報酬も、よかったのだが。こういった依頼が初めてだったのはまずかった。

 

「はーい……あっ。触ってませんよね?」

「うん」

「よかった、それではそのままにしておいてください。絶対」

「触ったらどうなってたんだよ……」

 

 茸の有毒無毒など判別がつかぬ。それ以前に冒険者となってからこちら、遠出したことすらない。無謀だった。仕方あるまい、報酬がよかったのだから。

 

「俺らいなきゃ大惨事だったなこりゃ」

「貴方だって、茸の目利きなんてできないではありませんか」

(おとこ)識別ってのがあってな」

()()()()みたいなこと言わないでください」

 

 そんな迷える若人たちを救ったのは、お姉さんこと女騎士だった。"ならば、うちのガキどもを訓練がてら連れていけ"と提言。さらに"さすがにこいつらだけじゃ、ちと危ねぇかもしれん"という重戦士の判断にもとづき、御目付役として軽剣士が同行を申し出た。採集依頼の報酬は歩合制なので、人手が多くなっても貰いが減るどころかむしろ増える可能性のほうが高い。断る理由はなく、かくして臨時の一党が結成されたのだ。

 

 その後一日を準備と休息に費やし、本日明朝に出立し、現在に至る。

 

「あら、あれってもしかして」

 

 と、このような経緯で採取を続けることしばし。少女巫術師は視界の端に何かを捉えた。仲間たちから離れ、地上に飛び出した根の下を覗き込む。

 

「やっぱりそうだ」

 

 彼女が発見したのは、燃えるように真っ赤な茸だった。露骨なほど危険な風体とは裏腹に毒性は持たず、筋力上昇の薬水(ストレングス・ポーション)の原料になる物だ。

 

「ん、う、届かない」

 

 ひとまず杖と籠を置き腹這いになって、短い腕をいっぱいに伸ばしてみる。もう少し、あと少しで、手が。

 

「きゃあぁっ!?」

 

 何かに捕らえられた。

 

「なんだ、どした!?」

 

 急行した少年斥候の前には、取り残された道具があるのみ。叫び声の主は見当たらなかった。

 

「お、おい、さっきの仕返しかよ。そんならさっさと出てこいって」

 

 返事はない。代わりにガサリ、とすぐそばの藪が鳴いた。安堵の溜息を一つ。さてどうしてくれようか、斥候に奇襲など通用せんぞと笑ってやろうか。

 

「TIIIIIRRR!」

「へっ、なっ!?」

 

 どうすればよい? 自身の身の丈ほどの全長を持つ暗灰色の白蟻(シロアリ)が、鍬形虫(クワガタムシ)のそれと遜色ない大顎を開いて襲いかかってきたのなら。答えはこうだ。

 

「退がって!」

 

 言われるまでもなく跳びのいた少年斥候の眼前で、舞い降りた軽剣士の双曲剣が巨大蟻(ターマイト)の頭部を斬り離した。

 

「すみません、遅くなりました。あの子は?」

「消えちまったんだ、どうしよう!」

 

 焦燥に駆られながらも、軽挙妄動を慎み判断を仰ぐ辺りはさすがの冷静さ。短剣を抜いた彼の耳はすでに、人のものでない足音を複数拾っている。当然、軽剣士も同様だ。

 

「囲まれかけています。まずはあのお二方との合流を優先しましょう」

「わかった!」

 

 二人の姿は……見える。あちらも悲鳴を聞きつけてきたところで、敵に行手を遮られたようだ。

 

「どらぁ!」

 

 新米戦士が右手の得物で気合一閃、横殴る。名を黒蟲殺し(ローチキラー)あるいは潰し丸(マッシャー)、はたまたぶんぶん丸(スイング)。その正体は知ってのとおり、脱落防止の革紐(ストラップ)を追加しただけの、ただの木の棍棒である。

 

「TRII!?」

 

 ただの棍棒が莫迦にできない威力を誇ることまでは、あまり知られていない。衝撃でひっくり返った相手の無防備な胸部へ、左の長剣胸破り(チェストバスター)を突き立て、仕留める。

 

「よし」

「TITII」

「TRRIR」

「RIRRRT」

「何もよくない!」

 

 続々と集まってくる増援を前にしては、一体斃した程度ではたいした意味はあるまい。形勢不利と見た彼らはひとまず逃げを打った。完全な包囲を避けるには有効な手立てではある。

 

「いけません、戻ってください!」

 

 仲間との位置関係を正しく把握していればの話だが。ずっと二人組だったことが仇になった、と言うのは酷か。

 

「TIRIRR!」

「回り込まれてる!?」

「止まんな、突っ切る!」

 

 跳びかかって振り下ろす。技量の介在する余地のない筋力任せでも、大きいとはいえ蟲の頭を叩き割るには事足りる。そのはずだった。

 

「やべっ」

 

 しくじった(ファンブル)。硬い顎が棍棒を挟み込み、文字どおり食い止めたのだ。思考に空白が生まれて一つ、引っ張り合って二つ、剣があることを思い出すまでに三つ。三拍分の遅れの代償は、武器ごと真横に引き倒されることだった。

 

「離れな、さい!」

 

 窮地を救ったのは、見習聖女ががむしゃらに振り回した天秤剣だ。金属製の秤皿が複眼に直撃し、巨大蟻を怯ませる。その弾みでいやな音を立てて折れた棍棒を腕にぶら下げたまま、新米戦士は立ち上がりざまに敵を刺し貫いた。

 

「ごめん、助かっ——危ねぇ!」

「あぁっ!?」

 

 咄嗟に引っ張り寄せた軽い体を庇いつつ、死角を狙った下手人を長剣で打ち払う。間一髪。

 

「足が……!」

 

 間に合ってなどいなかった。スカートを裂いて肌を掠めた鋭い顎は、そこに充填された麻痺毒を微量なれど、血管に送り込んでいたのだ。左足が突然言うことを聞かなくなった見習聖女は、たまらず転倒してしまう。

 

「やられたのか、しっかりしろ!」

 

 囲いを崩した軽剣士たちが向かってきている。あと一手だ。あと一手凌げば活路はあるのだ。複数を相手取り、動けない仲間を守り、己も生き残る。その一手を掴む、手が足りぬ。

 

 見逃した。木陰から機を窺っていた伏兵に気づいたときにはもう遅く。

 

「TIRRR——」

 

 敵はすでに、爆散したあとだった。

 

「へ?」

 

 茸だ。どう見ても茸だった。高さ三メートルにも達する、手足と眼らしき器官を備えた巨大な茸だった。赤傘の茸人(マイコニド)が、拳を叩き込んだのだ。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 彼ないし彼女の体ないし柄の後ろから、少女巫術師が顔を出した。見習聖女のもとへ走り寄り、肩を貸す。

 

「こっちの台詞だっつーの!」

「ですが、無事で何よりです」

 

 合流を果たした少年斥候は茸人のほうにも意識を割きつつ、すかさず仲間と巨大蟻とのあいだに割って入った。同族の悲惨な末路に恐れをなしたのか後ずさる敵勢を、軽剣士が撫で斬る。わずかな生き残りは、脇目も振らず退散していった。

 

 こうして、この遭遇戦は冒険者たちと、謎の茸の勝利に終わったのである。

 

 

 

§

 

 

 

 そして、茸だ。

 

 茸人に案内されて一行が辿り着いたのは、森の奥深くにそびえ立つ大樹の(うろ)。より正確には、洞を改造した住居だった。

 

「ん、済んだぞ」

「ありがと」

 

 大きな茸の傘の上にうつ伏せになっている見習聖女の足に軟膏を塗り、新米戦士は息をつく。毒は即効性と引き換えに持続力の低いものだったらしく、解毒剤(アンチドーテ)の世話になる前に麻痺は解けていたし、傷自体も浅い。

 

「よかったわ、たいしたことなくて」

 

 まったくそのとおりだけれども、ところで貴方はなんなのだ。二人は胡乱な視線を向けた。

 

 本と得体の知れない瓶詰めの何かと実験器具が並ぶ中に彼女、少なくとも声は女性のものであるその茸人は生えていた。四肢はないが、やはり眼のようなものがある。ちなみに口は見当たらない。どうやって喋ったのやら。

 

「私が不思議かしら。ええ、茸ですものね。自分でも不思議よ。ふふふ」

「そうなんですかーはははは……」

 

 それよりもまず、信用していいものかどうかだ。茸人はご覧のとおりの強烈な外見に加え、縄張り意識が強く他種族との共生が難しい性質のため、基本的に祈らぬ者(ノンプレイヤー)であるとされている。少女巫術師も助けられたそうだが、さて。どのような意図による行動なのか。

 

「怖がらなくても平気ですよ。いい人だって、この子も言ってます」

 

 その少女巫術師は、掌に乗せた栗鼠が小さな茸をかじる様を眺めて微笑んでいる。彼女を見て、軽剣士も相好を和らげた。

 

「改めてお礼を、ご婦人(レディ)。危ないところにご助力いただき、ありがとうございました」

「いいのですよ。子供を守るのは当然でしょう」

 

 聞けば、先の大茸人はこの茸婦人が自身の体から作り出した分身のようなものなのだという。彼女の意のままに操られ、見聞きしたことを彼女に伝えることもできるのだとか。いよいよもってなんなのだろうか、この生き物は。

 

「……あら、お仲間が戻ってきたみたい」

 

 戸外に立つ歩哨の眼を借りたらしい。少年斥候が扉を開いたのは、十数秒後のことだった。

 

「異常なーし」

「お疲れ様です。少し休んでおいてください」

 

 蟻は仲間を呼ぶものだ。尾行されれば大挙して押し寄せてくるおそれもある以上、追っ手の存在を確認しない理由はない。

 

「そーする、よっと」

「ひゃん!?」

 

 勢いよく茸に跳び座ると、隣で少女巫術師の尻が跳ねた。栗鼠も跳ねた。今日は悲鳴を上げてばかりいる気がする。

 

「あれ、意外と軽い?」

「意外ってどういうことですかっ」

 

 そんなやり取りは軽剣士がさわやかに叱りつけるまで続き、その頃には新米たちも警戒心やら緊張感やらを維持する努力を諦めていた。

 

「それにしても、さ。あんなおっかねぇ蟻がいるなんて、受付さん言ってなかったよな」

「うん。大きな獣のほかには、気をつけなきゃいけないやつはいないって話だったわね」

 

 獣については、森林に分け入るのであれば想定してしかるべき脅威だ。討伐ならともかくも、交戦しない前提での探索程度はこなせなければ、冒険者としてはやっていけない。だからこそ白磁等級の二人でも依頼を受けることができたのだが、どうやら状況が変わったらしい。

 

「あれは、この森の生き物ではないの。つい最近現れて、居着いてしまったのです」

 

 どう変わったのか。語りだす茸婦人は、どこか悲しげなように思われた。

 

「昔、この庵には私の友人の錬金術師が住んでいました」

 

 言われてみれば、なるほど確かに研究室といった趣だ。多彩な薬効植物の自生するこの環境は、錬金術の実験には最適だったのだろう。

 

「あの人が亡くなったあとも、ずっと森を見守ってきたのだけれど。私の力では、群れをなした巨大蟻を抑えることはできません。森の秩序は、食い破られつつあります」

 

 彼女が存外に表情豊かであることを、一行は知った。だから続く文言にも、予想はついた。

 

「貴方がたは、冒険者という人たちなのでしょう? それなら、どうか。あの蟻を退治して、森を救ってくれませんか」

 

 傘を傾けて一礼する茸婦人は、とても小さく見える。ゴブリンに平穏を脅かされ、冒険者ギルドに一縷の望みを託す農村の住人が、ちょうどこんなふうだった。

 

「私、助けてあげたいです」

 

 真っ先に声を上げたのは少女巫術師。精霊信仰(アニミズム)の根幹をなすのは大自然への感謝と敬意であり、調和を守るのは巫術師共通の使命なのだ。

 

「ま、このまま帰っちゃ兄ちゃんたちに自慢できねーしな」

 

 少年斥候は鮫のように笑った。幼さの残る顔立ちのせいでいっそ可愛らしいくらいのものではあったが、精いっぱい胸を張って。格好つけることも仕事のうちだと、彼は先達から学んでいる。

 

「待ってください。報酬の交渉が先ですよ」

 

 そう、これは仕事だ。であれば、軽剣士も己の務めを果たさねばなるまい。

 

「あの、あたしたちさっき助けてもらっちゃいましたし。恩返しってことでいいんじゃないかなー、って」

「そうそう、そんなギルドの人みたく固いこと言わなくても。俺ら冒険者じゃんか」

 

 弱々しく反論したのは見習聖女だ。いまだ新人(ニュービー)の域を出ない身の上、その日暮らしの生活からは脱したとはいえ余裕があるわけでもなく、貰えるものは貰いたいというのが本音。それでも、義理を通したいと願えるだけの意地は捨てていない。傍らで頷く相棒も同じだ。

 

「冒険者だからこそ、です」

 

 それを、軽剣士は容赦なく打ち落とす。平素と変わらぬ調子だというのに、有無を言わさぬ雰囲気があった。

 

「依頼を受けるからには相応の対価を得て、相応の働きを約束する。それが、専門家(プロフェッショナル)というものです」

 

 契約とは何か。冒険を販ぐとはどういうことか。認識票を首にかけるだけで正しく理解できるわけでもなし。若者たちは納得も否定もできかねて、言葉を詰まらせた。

 

「そうね、これはこちらの事情。なんの報酬も提示せずにただ助けを乞うばかりなんて、いかにも厚かましいお願いでしたね」

 

 だが理解できる大人がこの場にもう一人いる。茸婦人は決心に少しだけ間を要してから、こう続けた。

 

「ここにある研究記録をすべて、差し上げます。きっとあの人も許してくれるでしょう。死蔵しておくより、そのほうが有意義ですもの」

 

 世俗を離れた錬金術師の探究の成果。内容によっては値千金の掘り出し物となろう。一行には鑑定のしようのないものではあるが、何。迷宮(ダンジョン)で見出した宝箱だと思えばよい。

 

「よし、やろう。やるぞ」

 

 新米戦士は立ち上がった。

 

 鼠退治ばかりの日々だった。蟻のほうがマシとは言わないが。しかしながら、大切なものを守りたいという(茸だけど)女性の、心からの頼みだ。まるで英雄譚ではないか。こんな冒険の導入(オープニング)を夢見たことが、田舎を飛び出した理由の一つなのだ。

 

「報酬も決まったんだ、いいよな」

「ええ。交渉成立です」

 

 やけにあっさりとした軽剣士と視線を交わし、次いで依頼人に向き直る。堂々と、勇者のように。

 

「ありがとう。私もできる限り協力します。くれぐれもお気をつけて、よろしくお願いしますね」

「おう」

 

 あとは気の利いた台詞の一つも繰り出せれば完璧だ。ちょうどよい、彼には一度言ってみたかった文句があるのだ。

 

 皆が注目している。気恥ずかしさを押し殺せ。せっかくの機会を逃す手はあるまい。今だ、言うぞ、決めてやれ。

 

冒険者(アドベンチャラー)に任せとけ!」




◆金枝の導杖◆

 宿木の生えた楢の枝を、杖に仕立てたもの。巫術師の象徴として知られる。

 精霊術は理力と信仰の両輪を要するが、巫術師は特に後者、すなわち精霊との交流と信頼関係をこそ重視する。これは、そのための触覚なのだ。

 ひときわ古い楢の老木は、強い精霊を寄せるという。そこに根づいた宿木は力を受け継ぎ蓄えており、定められた儀式のもとで切り取れば朽ちることなく、また葉は輝くような黄に染まる。

 金枝と呼ばれる所以である。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。