よく考えたらこの話までがプロローグなので連続投稿します
あの電話の後、キングヘイローは入賞式を終え、ライブで盛大に盛り上げ、最後までファンサービスをこなしてみせた。
そして学園寮に戻ってからスペシャルウィークに改めて祝福の言葉を贈ったらしい。
貴方とお母様の夢と誓いが叶ったこと、悔しいけれど祝福してあげるわ、などと笑顔でだ。
だから誰も知らない、気づけない。
キングヘイローが今まで積み上げてきた努力の全てを無様の一言で否定されたことを。
無駄な努力なんて止めて帰って来いと再三に渡って言われていることなど。
ましてやそれが彼女の実母からの言葉だとは。
知っているのはこの学園でただ一人。
キングヘイローの専任トレーナー、ジャックだけだ。
「……凄まじいな、ここからさらに伸びるか」
彼は今、学園から与えられた
こうして振り返ってみれば明らかだ。
この試合は一部始終をスペシャルウィークが支配していた。
勝つべくして勝ったのだ。
その在り様はジャックがかつて掲げていた理想のキング像に近い。
ライバルの実力を限界まで引き出させ。
その上で、圧倒的なパワーにて叩き伏せる。
観客が盛り上がること間違いなしの名勝負だった。
事実、あの試合はすでに歴史的名勝負とまで言われて騒がれている。
ネットではそこかしこの掲示板で大盛況だ。
その中でキングヘイローの評価は両極端である。
さすが黄金世代、あるいは黄金世代の恥さらし。
最初から最後までスペシャルウィークの後ろにくっついていただけ。
これはいつ逆転してもおかしくなかったとも取れるし、ついていくだけで精一杯だったとも取れる。
事実はその両方だろうとジャックは見ていた。
逆転を狙って喰らいつき、最後の最後で刺す予定だったはずだ。
だがスペシャルウィークの渾身の走りがそれを許してくれなかっただけ。
決してキングヘイローが弱いわけではない。
重賞で三位というのは容易く手に入る結果ではないのだ。
トレーナーとしての身内贔屓なしに彼女の実力は本物だと断言できる。
戦術眼、差し足の鋭さ、そして不屈の精神も、ついでに美貌も、そのすべてが一級品だ。
特にジャックから評価が高いのは差し足の鋭さ―――――ではなく、その戦術眼の高さだ。
会場、バ場の状態、レース展開に合わせた走りを柔軟に組み立てられ、一度立てた戦術に拘らないのも良い。
勝つためにトライ&エラーを戸惑わない。
それがあるからこそマイル、中距離、長距離のすべてで上位入賞という結果を叩き出している。
だがそれ故に想定を超えるような、魂を燃やすようなデットヒート必至のGⅠでは
限界の限界まで己の実力を出し切り、その上で限界を超える。
そこまでしなければ重賞は奪えず、彼女はまだその領域に立てていない。
何故ならば、キングヘイローは己の限界まで実力を出し切れていないからだ。
次の目標である菊花賞までにその課題を克服することができるのか。
「……」
ジャックは日本ダービーの映像を頭から再生しなおし、思考の海に沈んでいった。
_____ヘイロー―――――
「キングちゃんキングちゃん! すごかったねー!」
「はいはい。もう、何度目かしらその話は」
「えーっとねー、えっとねー! ……たくさん!」
「ウララさん、少しは落ち着きなさい。一流のウマ娘ははしゃいだりしないものよ」
そこはキングヘイローとハルウララに割り当てられた相部屋だった。
風呂上がりの湯気を身に纏ったキングヘイローは髪の毛に液体を塗り込み、何度も櫛を入れ、と手入れに余念がない。
そんな彼女にお構いなしに抱き着いてはしゃぐのはハルウララだ。
天真爛漫の四字が彼女以上に似合うウマ娘もいないだろう。
そう思わせるだけの魅力がハルウララにはあった。
彼女が夜遅くにも拘らずテンション高めなのには当然理由がある。
……特に理由がなくても元気いっぱいな彼女だが。
ここまではしゃいでいるのは日本ダービーのせいだ。
ハルウララには日本ダービーに出馬できるだけの実力がない。
だがそんなことを気に悔やむ前に友人、いや親友たるルームメイトが出走するとあって数日前から楽しみにしていた。
そしていざ始まってみれば優勝争いのデッドヒートだ。
キングヘイローの活躍に盛り上がらないハルウララはいない。
そりゃもう飛んだ跳ねたの大騒ぎ。
生憎と会場に駆けつけることはできなかったがトレセン学園の大型モニターの前ですごいすごいの連呼だった。
三位になり表彰台に登る姿を見届けてしまえば居ても立っても居られない。
興奮冷めやらぬままライブ会場へダッシュもやむなしである。
途中でバテて、専用シャトルバスに拾われるというアクシデントもあったが。
レース会場はチケットが取れなかったものの、ライブ会場の方は他ならぬキングヘイローからチケットをもらっている。
重賞レースのたびにキングヘイローは自身の取り巻きやルームメイトにチケットを配ったりしているのだ。
あなた達にセンターで踊るキングを称える権利をあげるわ!とは当人の言である。
なお関係者優待チケットを自分のお小遣いから捻出していることは彼女とそのトレーナーしか知らない。
そしてそれなりに良い席で他の取り巻きウマ娘と一緒にキングコールもしてハルウララは全力で楽しんだ。
その興奮が落ち着いてはぶり返しているらしい。
キングヘイローに抱き着きながらハルウララの可愛らしい尻尾がブンブンと揺れている。
いつもならそろそろキングヘイローの堪忍袋の緒が切れ、うっとうしい!とベッドに投げ込まれるところだが。
どうやらその元気も残されていないようだ。
無理もない。他の黄金世代はエルコンドルパサーを除き、すでに就寝についている。
スペシャルウィークに至ってはライブの幕が降りると同時に眠り込んでしまったほどだ。
「それでね! それでね!」
「仕方のない子ね、もう」
ため息をついて櫛を化粧箱の中へ。
抱き着かれたまま器用に立ち上がり、ベッドへと座り込んだ。
もちろんハルウララも一緒だ。
てしてしっ、とふわふわベッドを叩く尻尾の音がする。
ハルウララの元気な尻尾をそっとキングヘイローの尻尾が抑え込み、撫でるようにして滑り落ちた。
かつて己が母親から同じように窘められたことを彼女は覚えているだろうか。
「いいことウララさん、こんな夜更けに騒いでいたら他の方に迷惑でしょう?
レースが近くに控えている方も中にはいます。
だからお静かに……と言って聞いてくれる貴方ではないわよね」
「え!? わたし頑張って静かにするよ!」
「ちっとも分かってませんわね……」
三位でこれなら菊花賞で優勝などしたらどうなってしまうのだろう。
そんな一抹の不安を抱えつつ、キングヘイローは掛け布団を大きくめくり上げた。
「今夜は特別にキングと一緒に眠る権利をあげるわ」
「え!? いいの!!」
だからもう寝ましょう?
そう言うようにハルウララの肩を押す。
どうせ今は元気いっぱいだが彼女もはしゃいで疲れている、ベッドに潜ればすぐにでも意識を手放すだろうという判断だ。
というか、この調子では別々に寝たところで夜中ベッドに潜り込んでくるに違いない。
これだけキング漬けの一日だったのだから独りでは寂しかろう。
そんなことを考えてしまうほどに彼女との付き合いも長い。
……いや、まだ暮らしを共にし始めて一年と二か月ほどだが。
「ほら、電気を消すわよ。アラームのチェックは大丈夫かしら?」
「うん! うらら~、うらら~♪」
ちっとも確認しないで返事が来た。ご機嫌のお歌まで飛び出す始末。
キングヘイローもため息と同時に消灯した。
待ちきれないというようにハルウララが布団を叩く。
すでに自分の体をベッドの奥まで押し込めて準備万端だ。
誘われるままに潜り込めばハルウララにギュッと抱き着かれる。
キングの形の良い胸に顔をうずめるような格好。
彼女がベッドに忍び込んでくる時は決まってこの格好になる。
自分の胸はそれほど居心地がいいのだろうか?とキングヘイローが悩むも、就寝前の無駄な思考でしかない。
結論はまとまらず、そっと彼女の頭を抱えるようにして応えてあげる。
「なんか変な感じ。いつもはわたしがそっち側だもんね」
「夜中勝手に忍び込んでくるからでしょう? びっくりするから止めなさいと何度も言ってるじゃない」
ベッドの奥、壁側にキングヘイロー。反対側にハルウララがいつものポジション。
今はそれが逆転している。
見え方が違ったり、横を向く方向が違うのが新鮮なのだろう。
薄暗闇の中で視線をあっちこっち。しきりに動かしては目を輝かしている。
その度に彼女の髪の毛や耳がキングヘイローの顔に当たって実にうっとうしい。
落ち着けと頭を撫でるように叩いてあげればもう一度胸に顔をうずめられた。
「まったく……おやすみなさい、ウララさん」
「うん、おやすみー、キングちゃん……」
二人の口元から寝息が漏れ出すまでそう時間はかからなかった。
_____ヘイロー―――――
「……!」
キングヘイローは不意に目が覚めた。
己の鼓動がやたら大きく聞こえる。
尻尾がピンと逆立っているのも自覚していた。
「…………はぁ」
ここが己のベッドであり、実家のそれとは比べ物にならないほど狭いことを知って安堵のため息が零れる。
目の前で眠るハルウララを浅く抱きしめて、それでようやく尻尾から力が抜ける。
そのせいか、どんな夢を見ていたのかは忘却の彼方だ。
なんとなく覚えている限りでは。
「レースを……」
していた。
それも日本ダービーをいつものメンバーで走っていた。
結果はどうなったのだろう。
夢の中だからぶっちぎりで優勝したのか、それとも悪夢の類だったのか。
なんとなく、昨日の焼き増しだったのではないかと、そう思った。
だって、何度やっても昨日と同じような展開になる。
黄金世代の誰にとってもあれが理想のレース展開だったからだ。
異なるとすれば最後の百メートル。
あそこで誰が前に出るかで結果は異なるのだろう。
しかしスペシャルウィークの命を削るような末脚、あれがある限りキングヘイローに逆転はない。
『これ以上無様な姿をさらす前に帰ってくることをお勧めするわ』
不意に蘇るのは母の言葉。
その通りだと思った。
キングヘイローは心のどこかで彼女の言葉を認めている。
確かに入賞はすごいことだ。褒められてもおかしくない出来である。
だが勝負として見た時に勝ったかと問われれば、首を横に振るほかない。
レースは無情。
勝者と敗者をこれ以上なく決定づけるからこそ勝負と呼ぶ。
そして二位、三位は敗者だ。
もちろん四位も五位も、そこから先は等しく敗者である。
勝者はただ一人、一位の者に与えられるのだから。
翻って、入賞とは何ぞや?
一言で言えば残念賞だ。
凄かったよ。惜しかったね。次は頑張って。
そういった言葉をかけるため、敗者の代表を立たせ、さらすもの。
無様な姿。
なるほどその通りだと、首肯する他ない。
それをキングヘイローはよく分かっていた。
よく分かっていたから二位を取ろうがこの結果では満足できないと言い続けてきた。
そして皐月賞でも、今回の日本ダービーでも無様をさらした。
この学園へ来る前に何度負けたって首を下げない。
そう決めていなければとっくに心が折れていた。
スターウマ娘の子供だと期待が高かっただけに、口さがない言葉も聞こえてくる。
死ぬほど努力して、心臓が張り裂けそうなほど必死に走って。
それで結果がこれでは。
……一流などと、口が裂けても言えないのではないか?
「それでも……私は……」
そう。
それでも、だ。
一流だと言い続ける。
そう認められるまで、認めさせるまで主張し続けるのだと。
キングヘイロー。
その名にふさわしい自分であり続けたい。
自分に誇れる自分でいたい。
だってそうでなければ、目の前で幸せそうに眠っている子に顔向けができない。
いいや彼女だけではない。
キングヘイローの取り巻きは他にだっているし、一般のファンの人も全員が全力で彼女を応援している。
こんな自分を応援してくれる人がいるのだから。
その期待に応えたい。応えなければいけない。
何故ならば、一流のウマ娘とはそういうものだからだ。
「……一流の、証明を……」
応援してくれるファンのためにも。
重賞にて勝利を得なければならない。
即ち、菊花賞での優勝。
それで野次を蹴飛ばし、ファンに報い、母親に認められる。
すべてがそこにある。
気が付けばチチチという鳥の鳴き声。
いつの間にか夜明けを迎えていたらしい。
静かにベッドを抜け出し、カーテンの隙間を覗き込む。
朝日は寮の陰に隠れているが空は抜けるような青に染まっている。
すがすがしい朝がそこにあった。
「見てなさい、私こそがキングなのよ……」
誰に向けた言葉なのか。
それは彼女自身にも分からなかった。
尻尾に尻尾を絡めるのってなんかえっちくない?