お昼を食べ終わった後の移動も滞りなく進んでいくことができた。
雨に降られることもなかったし、異族に遭遇することすらなかった。
私が運んでいった荷車も最初はもたついてこそいたものの、重量が相当なものではなかったので、慣れてきたころには、滞りなく動かすことができた。いざという時の交代も大丈夫そうだ。
野営に適した場所を発見し、夕食を食べて、鍛錬を行い、順番に作られたお風呂に入ってテントで眠る。そんな流れで一日を過ごすことができたのも嬉しかった。
鍛錬についても、前より連携が取れるようになったし、成長が実感できた。まだ、無理ができるほどお互いを理解できてはいないけれど、少しつづ、動き方は把握することができている。
……お風呂については、ドラム缶風呂みたいなものが用意してあった。律儀に火傷しないようにしてあったから安全に入ることができたけれど、ひとりひとり順番に入っていく都合、のんびりしているのも少し気恥ずかしかった。
街でも森の奥でもない場所から見た夜空も綺麗で、キャンプのように味わう夕食も美味しかった。
……移動中の何気ない時間でも、生きている実感を覚えることができたのは、戦場に赴くという覚悟ができたからなのかもしれない。
前の私とは世界の見え方が変わっていっている。
その事実は、不思議なくらい、悪い気持ちはしなかった。
ボタンの村に到着するまでの道のりを私たちは進んでいく。
マスターであるソクラが先頭なのは変わらない。
私とクラウ・ソラスは武器を懐に置きながら、その後ろを付いていく。
今はクラウ・ソラスが荷車を動かしている。
「……なんだか、少しだけ妙だと思うんだよね」
考えるような仕草をしながら、ソクラが疑問の声をあげる。
「依頼のことかい? 怪しい情報でも見つかったとか……」
「いや、依頼については気にしてないんだけど、妙に静かだなって」
「……異族が襲撃してこないことでしょうか」
私が気に留めていたことを口にする。
元々暮らしていた森の奥地ですら、異族が襲撃してきたことはあったのに、今回一度も遭遇していなかったのは、気がかりだったのだ。
「そうだね。そのことが引っかかってる」
「言われてみれば……本来なら一度や二度は襲ってきても変ではないな」
クラウ・ソラスもそのことに対して疑問を覚えたらしい。
彼女も原因を探りはじめた。
「行商人が長期間の移動の際に奏官やギルドの力を借りたりするのは、異族の襲撃が当たり前のようにあるってことを知ってるから。それなのに、今の私たちには一度も襲撃してきてない。これってなんだか不審だと思わない?」
「……異族の数が減少しているのでしょうか」
「なんらかの理由で討伐されているのは可能性としてありえるかもな。マスター、このあたりに有力なギルドはあったりするかい?」
ソクラに対して、問いかけの言葉が投げられる。
ギルドに所属しているマスターが定期的に撃破しているのなら、数が減っていてもおかしくはない、といった感じだろうか。
「うーん、この地域は街からそれなりに離れた場所なのもあって、目立ったギルドが活動している経歴はないかな。街を出る前にささって調べてはいたけど、そういうのはなかったはずだよ」
「そうなると、野良のキル姫が討伐している可能性が高くなるな」
「うん、その線が推理としては近いのかも」
「……もしかして、暴走したキル姫が討伐しているのではないでしょうか……?」
憶測だけれども、心の内に秘めたままにするよりは、言葉にした方がいいと思ったので、恐る恐る口にしてみた。
「無差別に攻撃を繰り返しているのなら、ありえない話ではないな」
「もしそうなら、ボタンの村周辺は結構危ない状況になってるのかも……」
時間が進むにつれて、状況が変わっていくのなら、どんどん悪くなる可能性だってある。それをソクラも感じ取ったのか、真剣な表情で振り向いて、私たちに号令した。
「よし。日が暮れるより前にボタンの村に行けるように、早足で進もう。作戦会議とかは、村の中で考えることにする。まずは、村の安否の確認がしたいからね」
「マスターの考えに従うよ」
「はい、急ぎましょう……!」
今はただ前に。
焦らないように、一歩一歩進んでいくべきだろう。
「……あと、あえて今言うね」
「なんだい、マスター」
「昨日の夜に移動していた方がよかったな、とは何があっても言わないこと」
「あぁ、わかった」
「それは、どうしてですか……?」
「未来は変えられるけど、過去は変えられないからね。あと、無理に動いたことで失敗しちゃうよりは、気持ちに余裕を持たせて行動した方がうまくいくってわたしが思って提案した行動だったから。責任はわたしが持つよ」
「わかりました」
感情を追い込んでしまわないようにするために、言葉を発したのだろう。
わざわざ、なんて思う人もいるかもしれない。けれど、私はそのソクラの行動が優しいと感じた。後悔をさせない為の言葉を言う。マスターとしての真面目さだ。
「行こう、ボタンの村に」
「はいっ」
「了解だっ!」
荷車の音が力強く響く。
きっと大丈夫だと語り掛けるかのように。
私はどんなことがあっても、私なりに支えようと思った。
野営していた場所が、ボタンの村に比較的近かったからか、村には早期に到着することができた。
「あれがボタンの村だよ。地図が間違ってなければね」
「村人は何事もなく生活してるな」
「厄介事が起きる前に到着できたみたいで何よりです……」
正午を少し過ぎた時間。食事を済ませた後あたりの時間に到達することができたのは焦らず急いだ成果でもある。多くの村人が平和そうに暮らしているのをみて、ほっとした。
「すみません、ここはボタンの村で合っていますか?」
洗濯物を干しているおばあさんにソクラが声を掛ける。
「あぁ、合ってるよ。そちらは?」
「ラグナロク協会から依頼が届いて、派遣されたマスターです」
丁寧に頭を下げて簡潔に説明する。
……対暴走執行官と名乗らないのは、知らない相手に混乱を招かないためだろう。
「なるほどねぇ。やってくるって話は聞いていたよ」
「よかったです。あの、村長とお会いすることはできますか?」
「イロニさんなら、この村で一番大きな建物にいるよ。そこにいけばきっと会えるさ」
「ありがとうございます」
「お仕事、頑張ってね」
隊の各々が頭を下げて、おばあさんにお礼を言う。
村に付いたから、ひと段落。なんてことにはならない。むしろ、ここからが本番だ。やらないといけないことは多い都合、時間に余裕があるとは言い難い。
「まずは、村長さんに会いに行こう」
「あぁ」
「わかりました」
荷車を動かしながら、私たちは村の中央部にあるイロニがいる建物まで向かうことになった。
「……村そのものはのどか、ですね」
大きい街のような場所ではないのもあって、活気があるというわけではない。
それでも、村を歩いていると元気そうにはしゃいでいる子供は見かけるし、少し耳を澄ましたら水源から通っている川の水が流れる音も聞こえてくる。
暴走したキル姫を討伐するといった任務で来ているはずなのに、びっくりしてしまうくらい平和だ。
「そうだな。雰囲気も落ち着いているし、戦いの経歴もこれといって発見できない」
「危機管理がうまくできてるのかも。ここに滞在してる奏官さんの指揮能力が高いなんてのも理由にありそうだし、色々調べてみるのは大事かも」
ソクラはさっきのテキパキした態度とは違い、ゆったりとした口調に戻っていた。オンオフの切り替えが素早いのはできる大人、みたいな印象を与える。
「この地に人が集まるようになった経歴も気になるな」
「わかる。なにかしら理由があるはずだよね、開拓者がいたりとか……」
「それが、村長さんなのでしょうか……?」
「会ってみないと詳しくはわからないけど、指揮した人はいそうだよね」
「今の村長はイロニという方だったな。……気難しい人でなければいいが」
「初対面で悪態を付いたりしなければ、お互い大丈夫だよ、きっと」
些細な会話から考察まで、色々な話をしていると、村の中心部まで到達できた。
大きな建物はちょっとしたお屋敷だった。人がひとりで暮らす場所には思えないくらいの大きさだ。赤い屋根をしていたり、目立つ装飾の旗があったりするのもあって、なんだかお城のような存在感を発している。
「ここ、ですよね」
「あぁ。なんていうべきか、村らしくはない建物だな」
「ここだけ、空気感が少し違うよね」
各々が屋敷の感想を述べていると、屋敷の表口から誰かが出てきた。
長い金髪。綺麗な顔立ちをしている。
キル姫だというのはすぐにわかった。けれど、名前が出てこない。
「なっ、カラドボルグ!」
「あら、クラウ・ソラス。あなたがここにやってくるなんて、ちょっと意外だったかも」
すぐに彼女のことを理解したのはクラウ・ソラスだった。
まるで知っているかのように振る舞っていたから、驚いた。
「クラウ、知り合いなの?」
「いや、知り合いではないのだが……その、因縁の関係というべきだろうか……」
「神話の関係性から、意識しちゃってるのよ。きっとね」
「あぁ、キラーズの繋がりね」
それで把握したのか、ソクラはそれ以上突っ込まなかった。
私が真っ赤な夕焼けから、敵意のようなものを感じてしまうのと同じような感覚だろう。意識してしまうのも仕方がない。
「どうにも意識してしまうから、好きにはなれないんだ」
「あら、そっちから来たのにそういうことを言うの?」
「……カラドボルグ。私は喧嘩しにきたわけじゃないからな?」
「わかってるわよ。仕事で来たってことくらい、こっちだってわかっているもの」
会話のペースを全体的にカラドボルグが持って行っている印象だ。
馬が合うかどうかはわからないけれど、ライバル関係なのは様子を見ていても伝わってきた。
「教会から連絡は届いてたってこと?」
「えぇ、マスターのところにしっかり届いてたわ。あなたがソクラでしょ?」
「うん、間違ってないよ」
「そして、そっちが新入りのミストルティン」
「は、はい。ミストルティンです」
「なら、問題なさそうね。私はカラドボルグ。マスターと一緒にこの地域を守っているわ。……探しているのはマスターなんでしょ?」
「そうなるね。もしかして、ここにいるマスターが村長さん?」
「そうよ。イロニは、今のボタンの村の村長で私のマスターなの」
「なるほどね」
適度に情報を整理しながら、ソクラが頷く。
つまり、イロニさんは村長でもあり、マスターであるみたいだ。
土地を守るだけの力を持っているということなのかもしれない。
「それにしても……」
まじまじとソクラと私がカラドボルグに見つめられる。
ソクラはともかく、私は見つめられるのが得意ではないので、少し目を逸らしてしまいそうになる。
「……うん、いいわね。好きな瞳だわ」
けれども、相手が先に満足してくれたので、見つめられる時間は少なくてすんだ。
「わたしたちのことを認めてくれる?」
「それは仕事でうまく立ち回ってくれたらの話ね。ただ、信頼はできるって感じたわ」
「そうなんですか……?」
「クラウ・ソラスみたいなしっかりした瞳をしてたもの。間違いないわ」
「私が基準なのか」
「あら、不満?」
「……いや、不満はない。マスターのことを信頼してくれるのは、こちらとしても嬉しいからな」
「いい信頼関係を築けてるようでなにより。じゃあ、さっそくマスターのところまで案内していくわね」
「お願いします」
「お願いするよ」
「よろしくお願いします……!」
屋敷の前から屋敷の中まで、カラドボルグに案内される。
整った屋敷の内装は、高価なものはないにしても、住居性はよさそうな印象を感じさせる。適切にお金を使っている、といった感じなのだろうか。綺麗に整備されているのもあって、少し落ち着いた空気を感じさせてくれた。
客室。
私とクラウ・ソラス、そしてソクラの三人がひとつのソファーに座ることになった。
「待たせてすまなかったな。俺がイロニ、今の村長でカラドボルグのマスターだ」
紅茶を持ってきたカラドボルグと、村長のイロニが向かい側のソファーに座った。
イロニは村長という言葉の雰囲気からはかけ離れているような印象を感じさせた。
背が高い男性だ。そんなに歳もいっていないだろう。
街にいるような風貌をしているのもあって、村長らしい佇まいではないように思える。
「よろしくお願いします、イロニさん」
「君は対暴走執行官のソクラ、で合ってるよな」
「はい、問題ないです」
「……もっとギラギラした目の執行官が来ると思っていたよ」
「そうね。キル姫なんて許さない、なんて言ってきそうな人が属してるって思ってたから意外だったわね」
「よく言われます」
ソクラを見ては、イロニは意外そうな表情を浮かべている。
逆にソクラは、そういうことを言われ慣れているのか、普段の同じ調子で返答していた。
「ただ、一般的な対暴走執行官のように、仕事はしっかりこなす予定です」
「頼もしいな。……今回の依頼はこの周辺で出没が確認された暴走したキル姫の討伐になる。それで間違いないか」
「その件でやってきました。……暴走したキル姫の詳しい目撃情報はありましたか?」
「見た人間はいない。痕跡が村の周辺で散見されているだけだ」
「そうですか。痕跡とはどういうものでしょうか」
「なにかの力で抉られた樹木や、戦闘の経歴はいくつか見つかっている。ただ、まだ人が襲われたなんて話は耳に入ってきていない」
話の内容を丁寧にメモしながら、ソクラが話を聞いていく。
私も他人行儀ではないので、覚えられるように丁寧に耳を傾ける。
クラウ・ソラスも、真剣な表情だ。
「……珍しいですね。無差別に襲い掛かることも多いのに」
「あぁ、不審だ。……だからといって、いつまでも襲わないとは限らない。早期に発見して、討伐できたらそれが一番だが、下手に動くと村に被害が及ぶ可能性がある」
「だから、遊撃として動ける存在が欲しかったということですね」
「蛇の道は蛇という。通常の奏官に頼るより、対暴走執行官の方が臨機応変に対応してくれると思ったから、依頼を寄せたんだ」
「ありがたい限りです」
頭を下げて、ソクラが感謝の言葉を言う。
「早速ですが、話を伺っていってもいいでしょうか」
目の色を変えて、次はソクラから話が切り出された。
「あぁ、構わない。なんでも聞いてくれ。俺が答えられない質問なら、カラドボルグが答えてくれるかもしれない」
「助かります。……早速ですが、ここ最近、周辺で大きな抗争のようなものはありましたか?」
「ギルド同士の争いといったものとは基本的に無縁な土地だ。そうした争いはない」
「クラウ、メモお願い」
「わかった」
クラウ・ソラスがペンを握り、そのまま紙に書き記す。
簡潔な言葉でメモ書きに言葉がつけ足されていく。
「ミストルティンは私の質問で気になったことがあったら、補足で追求してほしいな」
「わ、わかりました」
うまくできるかはわからないけれど、やれないと言うわけにはいかない。
ここは私なりに動けるようにするべきだ。
「……質問を続けます。最近、やってきたキル姫と奏官の名前の情報を共有することはできますか」
「それは問題ない。これまでにやってきた奏官の屋敷側で管理しているからここ数年の記録は見返せるだろう。カラドボルグ、資料を持ってきてくれ」
「わかったわ、マスター」
カラドボルグが移動する。
……ここで、私が言葉を重ねられる点はあるだろうか。
気になったことはあったから、恐る恐る聞いてみる。
「す、すみません。キル姫の状態などは、どうだったでしょうか……」
「どうだったというと?」
「その、見ていて精神的に荒れていたり、不安定だったことはありましたか……?」
「それはなかったはずだ。活発に活動している隊が多かったのは記憶している。心労が重なっている奏官なんていうのは見つからないかった」
「わかりました、ありがとうございます……」
「クラウ、今の情報も書きまとめておいて」
「わかった」
この様子だと、どうにか情報を引き出せたのだろうか。
こういうことは初めてだったので、緊張してしまった。
「ありがとね、ミストルティン。これも大切な情報だから、忘れちゃいけなかった」
「どういたしましてです……」
「そのミストルティンは新入りなのか?」
「そうですね。最近暴走したミストルティンの淘汰がありまして、その時に淘汰で打ち克ったミストルティンです。偶然私のバイブスと共鳴した縁で、仲間になっています」
「まだ未熟ではありますが、頑張りたいと思っています……!」
「頼もしいな」
爽やかな笑顔でイロニが微笑んだ。
……硬い表情をしていると、怖い人のように見えるけれど、笑顔になると柔らかい印象をどこか感じた。
「マスター? 他のキル姫にうつつを抜かしてるなんてことはないわよね?」
戻ってきたカラドボルグがやきもちを焼いたような表情でイロニを見つめた。
「まさか。俺の一番はカラドボルグだよ」
「なら、構いませんわ。おおよそ三年ほどの立ち寄ってきたマスターの情報をまとめたメモ帳を持ってきたから、うまく使ってね」
軽いやり取りをしながらも、資料を持ってきたことを報告してくる。
長年の付き合いみたいな関係性を感じさせる。
「ありがとう。クラウに渡してもらえると嬉しいな。彼女ならうまく纏めてくれるし」
「無駄にはしないでね? クラウ・ソラス」
「言われるまでもない。集中して資料として活用するさ」
カラドボルグが置いた資料を見つめながら、クラウ・ソラスは新しいメモにそれぞれ滞在日時などを整理していく。かなり丁寧な作業だ。
「クラウは臨機応変に拾える情報を拾ってくれたら嬉しいけど、無理しないようにね」
「あぁ。……マスターもメモするのかい?」
クラウ・ソラスが言っているように、ソクラもメモとペンを手に取った。
彼女も情報を書き留めるつもりだ。
「任せっきりになっちゃわないようにね。あと、ここから先はうまく私が言葉を繋げていきたいから」
「わかった、そっちは任せる。私は資料の整理整頓を担当するよ」
「よろしくね。……さて」
「聞きたいことはなんでも言ってくれ。満足な返答になるかはわからないが対応する」
準備を行ったソクラが改めて、質問を再開する。
「まず、このあたり周辺で有名なキル姫や人物について知りたいです」
「有名、か……そうだな。どのギルドにも所属せず、村の発展の為に止まり続けている俺は有名な存在だと言われていても変ではないはずだ。自画自賛のように聞こえてしまうかもしれないが……」
「自画自賛だとは思ってないですよ。実際、村を支えているというのは奏官を定期的に雇っていることからも伝わってきますから」
「……それならいい。あと、俺と行動を一緒にしているカラドボルグも歴戦の強者だ。並大抵の異族に後れを取ることもないし、雇ったマスターとのちょっとした決闘でも膝を付くことはなかった」
「あら、褒めてくれて嬉しいわ」
「……それは気になるな。是非とも模擬戦してみたい」
カラドボルグの話題になった瞬間、クラウ・ソラスが反応した。
ライバル意識が強い。
「私はいいけど、負けるつもりはないわよ?」
「私も戦うなら後れをとるつもりはないさ。模擬戦だといってもな」
「……その、会話が終わったあと、戦ってもいいんですか?」
ちょっと気になってしまったので、マスターであるイロニに尋ねてみた。
ここで駄目だったら素直に引き下がらせるべきだろう。私もしっかり声をあげて。
「のちの戦闘に後れをとらないなら構わないさ。お互いにいい運動にもなるだろう」
「……それならよかったです」
気になることがあったら、そのことばかりに気が取られてしまうなんてことはあるかもしれない。だから、こういうのはすっきりさせた方がいい。その方が、きっともやもやしない。
「イロニさんやカラドボルグ以外には有名なキル姫なんかはいないと」
「そうなるな。あとは特産品が有名で、マスターの行き来がそれなりに多いくらいだ」
「なるほど……」
会話内容を纏めて、ソクラが書き記していく。
……会話のみに意識が回っていないなら、私もうまく話を切り出すべきだろう。
「あの、過去に有名だった、みたいな方はいらっしゃいますか……?」
「過去、か……」
その言葉を聞いた瞬間、イロニの表情がどこか暗いものになっていくのに気が付いた。
……聞いてはいけないことだったのだろうか。失敗してしまったかと思って不安になる。
「す、すみません。無理に言う形になってしまうのであれば聞かなかったことにしても構いません……!」
「いいのよ。ミストルティン。マスターが言いにくくなってるのもわかるけど、ここは伝えないといけないところだから。……それでいいわよね、イロニ」
「……あぁ、逃げてばかりではいられない。いつまでも子供ではいられないからな」
覚悟を決めた表情で、イロニが私たちの方を向く。
「かつて、この村を成長させたのは一人の青年と、キル姫だった」
「青年と、キル姫……」
「キル姫はヴォータン。そして、青年は……俺の祖父だ」
昔話を語るように、イロニが言葉を繋げていく。
「異族が多かったこの地を開拓し、村を形成し、今の姿まで繋げていけたのは、祖父が遺してくれた伝統とその力添えのお陰だ。奏官の力を借りて、見返りのものを手渡して生きるという、な」
「ヴォータンも強かったんですか?」
「強かったさ。俺は、小さなころしか見ることはできなかったが、槍を振るえば王者の闊歩。強く、たくましいその存在は、王たるものとは何かを考えさせてくれた」
「祖父は……」
「……奏官が立てた銅像が庭に置いてある。それで察してもらえたらありがたい」
「……わかりました。つかぬ、質問でしたね」
その言葉で、もういないという事実を皆が把握する。
重い空気。
それでも、確かに情報は前に進んでいる。
「……死に目を見ることができなかったのに、死んだとは言葉にしたくはない。そんな、自分勝手な我儘だよ」
「村を離れていたんですか……?」
「幼いころの俺は新しい文化に憧れてな。街で奏官として活躍しようなんてことを考えていた。行方不明になっていた父と同じようにな」
「行方不明、ですか……」
「どこかへ行ってくるって言ったのち、姿を現さなかった。……献花は銅像に与えられているから、生きているとは思うが、詳しいことはわからない」
事細かに、ソクラは言葉を綴っていく。
意味がないことはないというように。
「俺は強い奏官になることに憧れた。王のように立ち振る舞うこともしたかったし、評価されるように生きたかった。……自分のことながら、若かったと思ってるよ」
「でも、そのおかげで私と出会えたのだから、全部が無駄なんてことはないでしょう?」
「カラドボルグにはいつも支えてもらってるよ。感謝の言葉しかしか出てこない」
彼女の存在がイロニの救いになっている。
潰れていないのは、人の支えがあるから。それはきっと幸せなことなのかもしれない。
「……では、いつ頃、ボタンの村に戻ってきたんですか……?」
「おおよそ五年前。祖父が死んだ一か月後、遅れて届いた死亡通知を聞いた時に戻った」
「その時に、仕事も引き継いだんですか?」
「そういうことだ。引き継ぎ方を教えてくれる存在はいなかったし、この村長という仕事が手に付くまでは相当時間はかかった。だが、多くの人の力を借りて、俺は今、こうして村長をやれている」
「それは……なによりです」
村としてしっかり多くの人を支えられている。
後悔してでも、誰かの助けになろうとする献身の姿は眩しく見えると同時に、覚悟を抱いているようにも思えた。
……これで、話がひと段落しただろうか。
ほっと一息つこうとした時だった。
「質問、続けていいですか」
静かな声でソクラが言葉を繋げた。
なにか、核心に触れているような、そんな真実を探すような声で。
「……問題ない」
「聞きづらいことを前提で聞きます。……村に戻った時、ヴォータンを見かけましたか?」
「……見かけなかったな」
「村の人に聞いたりもしましたか?」
「した。……しかし、祖父がいなくなった後はばったり消息を絶ってしまったと言われて、それっきりだ」
「その後、ヴォータンが新しい奏官に仕えたなんて話はありましたか?」
「それはなかった。……消息も絶たれたままだ」
「それらしい死体が発見されたことはありましたか」
「……ない」
「暴走したキル姫が報告されたのは最近ですよね」
「あっている。……まさか」
「……イロニさん。辛いことを言います。まだ、憶測ではありますが、前もって聞いた方がいいと考えますので、あえて今、言葉にします」
冷たい空気に、真実を伝える言葉が響き渡る。
「暴走したキル姫は、あなたの祖父と一緒にいたヴォータンの可能性が高いです」
受け入れがたいその真実は、重く、心に突き刺さる。
そして、凍り付いたような空間の中、ソクラの声だけがまっすぐ響き渡る。
対暴走執行官。その仕事の重さを、私はまだ知っていなかったのだ。