もしクローン武蔵がマジ恋の世界で誕生したなら 作:チョコレート・マウンテン
武蔵が目覚めたと同時刻。彼が持つ圧倒的なまでの気に各地の猛者達は一斉に反応しだした。
「総代ッ! これハッ……!?」
「なんと……! 恐ろしいほどに濃厚で膨大な気じゃのう……! ワシやヒュームに匹敵……いや、或いはそれ以上になろうか……」
武術の総本山と謳われる川神院が総代、川神鉄心。稽古中だった彼は道場内の誰よりも早く武蔵に気を察知し、次いで師範代ルーも突如現れた謎の気に反応し、鉄心に詰め寄った。
普段はのんびりとした性格の鉄心でもこの時ばかりは目を開き、冷や汗をかいていた。こんな鉄心を見るのは長年川神院に従属しているルーですら、見たことがなかった。
「誰の気なのデショウか?」
「分からん。だが、これほどの気にワシはあったことがない。今まで日の目に出てこなかったのか、それとも………」
この気から感じられるのは新しくもあり古くもあるという矛盾した気質。相対する性質ながらも何故か異様にマッチしており、疎外感を感じさせない。
鉄心が長年の鍛練で培った
言いかえれば、まるで生まれ変わったような気質だった。
「何事もないといいがのう……」
これから来る嵐の前触れのような事態に鉄心の不安は虚空に消えていった。
~親不孝通り~
かつて川神院を追放された元師範代、釈迦堂刑部はインスタントラーメンにお湯を淹れようとしたところで武蔵の気に感づいた。
「……おいおい、なんだよこの気の量はよ。あのジジイじゃねぇよな? どっからかとんでもねぇ奴でも呼び寄せちまったのかよ」
「師匠どうしたのー?」
釈迦堂の異変に気づいた弟子達が様子を伺ってきたが、膨大な気に気づいていない彼女らに呆れた。
「おいおいお前らはわかんねぇのか? 今しがた、でッけぇ気の塊が生まれたばっかなんだよ。こりゃ、正真正銘の化けモンだな。奥が底知れねぇ」
「マジかよ! 師匠がそう言うなんてよっぽどの化け物なのか!」
「ああ、俺なんか瞬殺だろうな。お前らも長生きしたけりゃ、自分より強ぇ奴には手ぇ出すなよ」
軽口を言いつつ、釈迦堂はお湯を淹れ直す。こういう時は飯を食うのが一番! 釈迦堂はとりあえず飯を食って忘れることにした。
九鬼従者部隊序列零番のヒューム・ヘルシングはもちろんながら武蔵の気を感じ取っていた。
かつて鉄心とは世界最強の座をかけて死闘を繰り広げてきたヒュームだったが、その時の鉄心の気すら越える代物にヒュームの口角は上がっていた。
「む? どうしたのだ、ヒュームよ。具合でも悪いのか?」
ヒュームの様子を紋白が心配そうに覗き込んできた。おっといけない。護衛対象を前に優先順位を間違えてしまったことにヒュームは自身を恥じた。
「……いえ、何でもありませぬ。私などにご心配してくださるとは紋白様はお優しいのですな」
「何を言う! 部下を労るのは当然の事であろう! 行くぞヒューム! クハハハッ!」
先行する紋白に従属しながら護衛に目を光らせるヒュームの心情は少年のように好奇心で高ぶっていた。
(……まさか。とうとう目覚めたかッ! フフフっ、年甲斐もなく血が騒いでるッ……! 待っていろ武蔵ッ。天下無双のその力、いずれ喰ってやるわ!)
~河川敷~
「……ふふふ。誰だかは知らんが、なんという気だ……!」
いつものように鍛練をサボって寝そべっていた百代も武蔵が持つ膨大な量の気を感じとった。
だが、この気の持ち主は一体誰なのか。これほどの気を持ち合わせる戦士となれば両手で数えられる程度。しかしその誰とも適合しなかった。
「むむ……、ジジイや揚羽さんでもないな。まだこんな気を持つ奴がいるとは……世界は広いなぁ。あー、戦ってみたい!」
武蔵の濃厚な気は好戦的な百代にはドンピシャだった。天才が故に完敗と呼べる敗北を味わったことのない百代にとってこの気の持ち主はいい餌だ。自身の昂った闘争心を沈ませられるだろうかと期待に満ちていた。
だが、百代はまだ知らなかった。
宮本武蔵と戦うまであと半年もないという事実に──。
強者達は待ちわびる。伝説の剣豪と相まみえるその日まで──。
◇◇◇◇◇
現世に蘇った宮本武蔵は驚くしかなかった。
聞けばここは武蔵が生きていた戦国末期から四百年後の日本だという。
それを聞いた武蔵はその言葉を疑った。何せ、目に写る全ての物体、全ての存在が異様なのだ。
あるかないかも分からないほどに透き通った
人力を使わずに自分で開く
高速で上下移動する
武蔵の生きていた時代など影も形もないほどに変化した相模国に武蔵はただ息を飲むしかなかった。これが日ノ本だと? 化生の国にでも迷い混んだかと思い込みたくなるような光景だった。
「
自分がいた時代から四百年遡れば鎌倉時代だ。鎌倉と戦国を比べてみると四百年経ってもほとんど変化はないというのに、
だがそれ以上に武蔵が聞きたかったのは別の事だ。
「で、この俺を呼んで何をしようというのか?」
その問いに帝は何の迷いもなく答えた。
「貴方らしくあればいいッ! 俺はそれだけで満足だ。文句はないよな、マープル!」
「……ええ、ええ。これも何かの縁。武蔵殿の赴くまま、それもいいでしょう。ですが、一つお願いしたいことが御座います
貴方のその剣術をどうか世界に知らしめてもらいたく存じます」
「──つまるところ、指南か?」
武士道プランの弊害として生まれた本物の宮本武蔵だが、実案者であるマープルからすれば棚からぼた餅のような話だった。
出来ることならばこの武蔵にクローン達、ひいては若者達の武術指南を担ってもらいたいと考えていた。
何せ、武士道プランの目的は新たな人材確保である。だが、いくらいい人材が居たとしても道を標し、導き、後押しする者がいなければ人材は育たない。
鳳凰とて卵から孵ったときは何も出来ない。親が飛び方を教えなければ綺麗な翼も飾り物として終わってしまうのだ。
「田舎の我流剣法だが、それでもよいか?」
「だからこそ、天下無双の名を欲しいままにしたのでしょう」
そう言われては悪い気はしない。どうせ行く宛もないので九鬼のところで世話になるのも悪くはないだろう。
武蔵の腹は当に決まっていた。
「承知した。して、これからどうすればよい?」
「うむ。まずは貴方の力を見せていただきたい! ついてきてくれ」
武蔵が案内されたのは広い部屋だった。
壁にかけられた木刀や木製の薙刀。隅に寄せられた拳法鍛練用の
木床に足を踏み締める度に懐かしい感触でいっぱいだ。死して四百年ぶりに本来在るべき場所に帰ってきた。
「うちの部下達は何かしらの武術を嗜んでる奴らが多い。この部屋はそいつらのための鍛練場だ」
「ふむ。……む?」
「お待ちしておりました、帝様、クラウディオ様、マープル様、そして宮本武蔵様」
部屋の中央で迎えてくれたのは袴姿の老年の男だった。ニコニコとした顔で一同を招いた姿だけ見れば単なる好好爺のようなイメージだろう。朝方、通学路で小学生の旗振り誘導でもしてそうなお人好しさで満ち溢れていた。
だが、その手には好好爺に不自然に似合わぬ日本刀が握られていた。無骨ながら実戦型の拵え。武蔵もよく見たことがある造りだった。
故に──。
「──ッ……!」
「武蔵さん、紹介するぜ。この人はうちの従者で序列七位の野村秋次郎。財閥きっての剣豪だ」
「剣豪?」
「あの、帝様……」
「斬った数は貴方と比べてしまえば劣るが……それでも三十人以上。日本、いや世界でもこれほど人を『斬った』男は存在しないだろうよ」
「帝、様……」
「つまるところ、人斬りか?」
「まあな。今はうちの従者やってるが、昔は"人斬り秋次郎"として裏社会じゃ知らねぇ奴はいねぇぐらいに有名だったんだぜ」
「ふむ……」
「あのッ、帝様ッ!」
大量の汗で顔を濡らしながらも精一杯の呼び声に帝は驚いた。
「おいおい、どうしたよ? 声を荒げるなんてお前らしくないな。トイレでも行きてぇのか?」
「……私のような汚れ物を拾ってくださった恩……、それに応えるならまた"人斬り秋次郎"に戻ることもやぶさかではありません。ですが……今回ばかりはこの武蔵様との決闘、受けることが出来ませんッ!」
野村は深々と頭を下げ、重苦しく謝罪した。
突然の出来事に帝は呆気にとられたが、そんな帝の様子など気にも止めずに野村はただひたすら謝り続けた。
「人斬り稼業十八年……。その間に逆に撃たれた事、斬られた事は数度……。その時はどんな重傷を負っても死への恐怖を感じたことはありませんでした……。
ですがッ! この人との
弱音を吐いた野村など初めて見た。九鬼の従者に採用して以来、テロリストすら斬り伏せるその剣裁きに救われたことは何度あっただろうか。
そんな男が戦意を打ち砕かれ、惨めったらしそうに頭を下げている。夢とでも疑いたくなるような光景だった。
「な、何があったんだ野村?」
「武蔵様がこの部屋に入ってから六度……ッ。い、いや、今ので七度目。……私は武蔵様に七度殺られていますッ」
帝は驚いた様子で武蔵を見ると、彼は満足したとでも言うようににっこりと笑っていた。
「いやいや、失礼した。久方ぶりの剣士の匂いについ遊んでしまった」
「遊んだ? 何をしたんだ?」
帝の疑問に後ろに控えていたクラウディオが答えた。
「武蔵様が為さるとなると答えは一つでしょう。『斬った』のです。そうでしょう?」
「……ッ。如何にもッ。一刀目は……"八文字"。物の見事に……」
頭から刀を振り下ろして人体が薪のように左右二つに分かれることから八文字。または逆八文字ともいう。
「二刀目は喉。がら空きだった故──」
さらに"大袈裟"、"面割り面頬"、"本胴"、"敷き袈裟"、"太々"──と武蔵は次々にどう斬ったかを教えてた。
しかし、疑問がある。武蔵は刀はおろか刃物すら持っておらず、もっと言えば構えてすらいない。そんな状態で野村を『斬った』だと? 何を言っているのか帝は理解できなかった。
「私だけではなく、李やステイシー、桐山も体験したはずです。実際に刀を持っているわけではないのに『斬られた』のです。……正確には斬られたと錯覚させられた、というのが正しいでしょうか?」
「錯覚?」
「闘気による斬撃です。実際に『斬られた』者にしか分からないことですが、刀剣状に型どった気で斬りつけたのです。イメージ攻撃と言いましょうか?
先程の──、地下の実験施設で武蔵様が背後に立ったとき、私は決死の攻撃をしようとしました。──ですが、それよりも先に見えない刀剣が身体を通過するのを感じました。傷こそはありませんが、私の身体と記憶にはしっかりとその跡が刻まれています。あの一戦は私の敗けです」
その一言に帝は驚いた。いや、帝だけではなく、長年一緒に仕え続けたマープルまでもが表情が驚愕に染まっていた。
ヒュームほどではないが、クラウディオも九鬼従者部隊の三位を担うだけあってその実力は折り紙付きである。事実、九鬼帝の命を狙うテロリストやこの九鬼ビルに進入してきたスパイなどの撃破に一役買っている。その他にも従者達の指南なども兼任しており、"ミスター・パーフェクト"の名は伊達ではないことは帝がよく知っていた。
そんなクラウディオが敗けた?
「気を落とされるな翁殿。確かに斬ったが、浅かった。袈裟斬りに真っ二つにするつもりだったが、何かが邪魔をした。皮一枚残させるとは、何やら不思議な道具を使うな。これは糸か? まるで鎖帷子のようだ」
見透かされているッ。使ってもいないのに、得物を看破されているッ。
さらに武蔵は横を見た。武蔵と闘ったという三人──、李、ステイシー、桐山の順に一通りに一瞥する。
「そこの者は……暗器か? 手裏剣も持っておるな。足音もせずに歩いてるとなると、元は忍か?」
「黄金色の髪の
「腿が鍛えられている。琉球に足蹴りを『技』として使う武があると聞く。その方もその類いか?」
「「「………!」」」
当たっている。あの一時の間にそこまで見越すというのか。
(間違いない……! 本物──、いや本物以上だッ!)
丸腰で相手を完封するその実力。短時間で敵の全てを把握するその観察眼。
やっと確信が持てた。こいつがッ、この人がッ、この男こそがッ、天下無双・宮本武蔵であるッッ!
「して、まだ誰か闘いたいなら相手するが──、如何いたす?」
見たい、もっとやり合って欲しいッ!
──と言いたいところだが、興奮しつくした我が身を一呼吸して冷まして落ち着かせる。
見れば時刻はもう九時を回っていた。
「……いや、今夜はもう遅い。俺もやり残した仕事があるし、今日はここまでしよう。また詳しいことは明日話す。武蔵殿、貴方の部屋に案内させよう。おい」
「武蔵様、こちらに」
「おう、すまぬな。では九鬼殿、また明日」
「なにかあれば気軽に言ってくれ。じゃあな」
別の使用人に案内されて去っていく武蔵の背を見つめる帝に野村は再度頭を下げた。
「申し訳ありません帝様! 了承しておきながら約束を反故にするこの体たらく! 従者部隊として責任はとるつもりです! 望むのなら序列七位の座を返還することも──」
「いや、そこまでしなくてはいいわ。それより野村、あの武蔵に何を感じ取った?」
問われ、野村は考えた。
武蔵とは一体何なのだろうか。一番近いもの──。それが野村の脳裏に浮かぶまでに一秒もかからなかった。
全てを吹き飛ばすような圧倒的なまでの武力。老若男女すべての国民に知られているほどの知名度。迂闊に手を出せば身を滅ぼしかねないほどの性質。
立ち会った時、武蔵の背後に巨大なキノコ雲が映った。それはつまり──。
「核兵器ッ……!」
その一言に、帝は戦々恐々とした。だが、同時に形容しがたい高揚感が身体の奥から沸き上がってきた。
「いいね! やっぱ武蔵はすげぇぜ! ぞくぞくしてきたわ! 寒子さんに頼んで正解だったな! あ、寒子さんこれからどうするよ? ここで飲んでくか?」
「いいよ。あんたの元気な姿を見れただけで充分だわ。今日はもう帰ることにするわ」
今の今まで事の顛末を見守っていた寒子だったが、帝からの誘いを断り、早速帰宅の準備をし始めた。
『つれねぇなあ』と愚痴を溢す帝に何度も降ろしてきた寒子だからこそ分かる忠告を入れた。
「気をつけな、帝の坊や。あれは化け物だよ。虎とか龍とかで済ませられるもんじゃない。天災だとでも思いな」
「寒子さんはそう思うのか?」
「ああ、そうさ。抜き身の刀身みたいな男さ。使い方を謝ると身を滅ぼすよ。それだけは気ぃつけな。そんじゃ」
手をヒラヒラと仰いで去っていく寒子の背中は武蔵の背中とは違って見た目以上に大きく感じた。
野村秋次郎
九鬼従者部隊、序列七位。見た目はどこにでもいそうな優しい中年の男だが、若かりし頃は"人斬り秋次郎"と呼ばれ、裏社会で恐れられていた。剣の腕だけなら世界トップクラスの実力者。
モデルは幕末の人斬り、中村半次郎から。