・3月19日 18:59 台湾・墾丁沖南方70キロ水深200M 中国人民解放海軍所属 漢級原子力潜水艦「妲己」
※日本時間
「艦長、本艦は台湾南方海峡を通過しました。現在6ノット。このままの速度で進めば、掲陽の艦隊拠点には明日未明には入ることができます」
副艦長の呉仙栄が神妙な面持ちで報告してくる。それを聴いた艦長の趙混丁は言葉を発せず、やはり神妙な面持ちで頷いた。
呉が敬礼して、艦司令室を後にすると、趙は操舵席や観測席を見渡せる椅子にどっかりと腰を下ろし、制帽を目深に被り直した。乗員たちに表情を読み取らせんとしたかったのだが、彼の忠実な部下たちは、自分たちの司令が深い憂慮を抱えていることをひしひしと感じていた。
「米国と日本が共同開発している新たな兵器の披露を妨害し、我が軍を示威せよ」
そう命じてきたのは、北京の中央政府ではなく、共産党政治部の殷軍務部長であった。
誤解されがちだが、人民解放軍は中国政府配下なのではない。あくまで「中国共産党」という政党の私設軍隊なのである。だが共産党は中国政府の上部に位置付けられるもので、党の要員が政府を飛ばして人民解放軍へ指示を出すことは決して珍しいことではなかった(その行為が度々党内の権力闘争に発展し、政局が混乱することが多いのもまた事実である)。
そして今回の日本領海を侵犯する行動は、事実上殷軍務部長の独断であった。中国人民解放軍の示威を・・・というのは、建前に過ぎない。
海軍南海艦隊を我が物顔で扱い、出身地の広東省掲陽市で小エビや鮑の養殖ビジネスに携わって巨額の利益を上げている殷だが、やはり高級魚介類の養殖をサイドビジネスにしている上海・東海艦隊を要する党の商務部長である紳とは犬猿の仲なのだ。そして紳が擁している東海艦隊は、2年前に日本の南西海域・・・古代の遺跡が新たに発見された海域・・・に同じ漢級原子力潜水艦を派遣し、「強い中国」を標榜している人民から熱烈な支持を受けていた。
直後に同海域にて怪獣・・・日本で名付けられたものでは、チタノサウルスと呼称されるらしい・・・と接触したことは国家機密となったものの、東海艦隊が賞賛される様にはだいぶ気を揉んでいるようだ、と殷の側近から耳にしたことがある。
日本はもちろん米国の軍事的影響力が低下したこと、そして新兵器披露のタイミングで、南海艦隊の威容を発する・・・そんな意図がある。
当然、趙は軍人である。上層部からの命令には従わなくてはならない。とはいえ・・・思わず深いため息が出た。
どこの国も、戦争を起こそうとするのは軍人ではない。あまつさえ当の軍人は、武力行使など望んでいる者はいないほど臆病なのである。
その可能性が低いことは殷からも、そして海軍情報部の分析機関からも伝えられていたものの、もしも日本領海を侵犯し、日本や米国が威嚇行動、果ては撃沈行動に移った場合、50名余りの乗員を危険に晒すことになる。そしてもしも撃沈された場合、事は南海艦隊と東海艦隊の権力闘争 どころではなくなる。世界を巻き込んだ軍事衝突に発展しかねない。
ひとつの鑑を統べるものとして、そんなことは到底容認できない。
それに・・・これは口にしようものならすぐさま軍法会議が開かれるほど、そして腹心の部下である呉にも話していない考えなのだが・・・。
我が人民解放軍が、本当に相手にしなければならぬ相手は何か?
それは米国でも日本でも、台湾でもない・・・。
数年前より、日本を、そして世界を蹂躙してきた怪獣である。
米国や日本と比較して中国は被害が少ないとはいえ、遼寧省より出現した怪獣・メガギラスによって朝鮮国境の丹東市は壊滅的被害を受けている(なお中央政府はメガギラスによる被災人民を500名と発表したが、実際は数十万人もの人民が被災している)。
そして何より、あらゆる怪獣たちとは別格の存在であり、広き海洋を棲家とし、第二次大戦後よりどの国の軍隊にも語られ、仮想敵とされている、あの最大の脅威に対抗するためには、権力闘争だ国威発揚だなどと言っている場合ではない。米国、日本、そして韓国と台湾の海軍と協調し、互いに演習を実施して海洋から出現する怪獣の脅威に備えるべきである・・・。趙の持論である。
幸いにも米国と日本、そして台湾も軍事行動こそ起こさなかったものの、艦と乗員の命を預かる者として、この1日は臓物が口から出てきそうなほど緊迫した時間を過ごした。そんな艦長の憂鬱を、優秀な部下たちはみな敏感に読み取っていた。
「艦長」
副艦長の呉がそんな趙を察して、花茶を持ってきた。
「ありがとう」
短く発すると、殷はひと口飲んだ。華やかな香りが鼻腔を抜け、少しは気が休まった。
副官として仕えている呉は、隣で茶を口にしつつもそれ以上余計な事は口にしなかった。
茶を嗜んだ趙からは、いくぶんか柔らかいため息が出た。とにもかくにも、今回の作戦行動は終了した。浮上して揚陸するまで、行動中とはいえいささか落ち着ける時間となるであろう。
「艦尾後方、4海里。正体不明の物体」
艦長席にもたれ掛かり、目を瞑って花茶の余韻を嗜んでいたとき、観測手の李が口を開いた。一気に艦内は緊張の度合いを増し、趙と副官の呉は李に詰め寄った。
「正体は何か?」
自身の報告が艦内の空気を一気に圧迫させたことに、やや気後れを感じている李を慮り、趙は努めて穏やかに尋ねた。
「不明です・・・潜航音及びレーダーへの接触から推察して、我々と同等の大きさかと考えられます」
「総員、警戒配備」
すかさず趙が命じると、優秀な乗組員たちは即座に持ち場につき、神妙な面持ちで事に構えた。
「物体、延べ10ノット。当方を追うように接近中」
さすがの趙も固唾を呑んだ。
「速度15ノット。潜横舵中央」
趙の指示を復唱し、操作する操舵手。これでなおも後を追ってくるようであれば・・・そのような事態とならぬことを、趙は祈った。
傍らでは、副官の呉が歯を食いしばっている。いや呉だけではない。本当は艦内にいる誰もが、突然の追跡者に対する疑問、憶測を口にしたかった。だが隠密性を何よりも重視する潜水艦において、余計なおしゃべりは御法度も良いところ。これ以上の事態進展がない限り、誰もが欲求を堅く封じ込めた。
「物体、速度を上げて本艦追尾するように接近。速度20ノット。距離3.5海里」
もはや、何をか言わんや・・・相手は明らかに、本艦を目指して距離を縮めてきている・・・。
「ソナー感。目下正体不明。相手もアクティブソナーを発信しました」
職務上、普段から小声の李だが、思わず声が上擦っている。
「艦長、相手は明らかに、本艦を目指していると考えられます」
顔面が汗でびっしょりになっている呉が話しかけてきた。
「どう思うね?」
この状況でも、趙は敢えて副官に考えさせる。上官としての役目なのだが、呉としては上官である趙に発言を委ねたい気分であった。
「日本、いや・・・米国の原子力潜水艦、でしょうか?」
これは機密情報なのだが、当方中国海軍の原子力潜水艦は年々精度が増しているとはいえ、隠密性、機能性においては米国海軍の原子力潜水艦には及ぶべくもない。そして日本は原子力潜水艦こそ保有していないが、潜水艦の隠密性に関しては通常動力機動艦で世界最高クラスである。遺憾ながら、まだまだ中国海軍がまともに相手をするには脅威となる。
「いずれの可能性が高いとして、ここは公海だ」
趙の言葉に、呉は頷いた。他の乗組員は艦長の口からどのような命令が下されるのか、凍てつきながらも熱い緊張が艦内を覆った。
「全速前進。艦速最大。潜横舵右40度。本艦は一刻も早く本国領海内へ戻ることを最優先とする」
艦長の命令を忠実に復唱し、実行する。若い乗組員は攻撃命令ではないことに拍子抜けするような顔をしている者もいる。だが・・・ここは公海である。どこの国の誰がどのような行動をしようと、それを咎める根拠は何もない。そして当方は、命令といえど相手国の領海を侵犯しているのだ。理はどこにあるのか、語るまでもない。
艦の最大船速である30ノットを出して、一気に距離を引き離そうとする。こうなれば隠密性も何もない。だがいまは、とにかく距離を取ることが何よりも重要なのだ。
「間もなくわが国領海です」
呉が告げた。
「対象の行動は?」
「本艦に反応、速度30ノットで接近中。距離、3海里」
「よし。全員に通告。本艦は一刻も早い領海回帰を目指している。対象は当方領海を侵犯してまでの追跡は行わない可能性が高い。目下、現状を維持せよ」
そのまま、海底下で通常ではあり得ない追跡劇が続く。
「本艦、領海へ帰還」
「対象の行動は?」
「速度35ノット。方向、同じ」
李の報告に、趙と呉は目を見合わせた。
「掲陽の司令部へ報告。相手艦に警告を発しろ」
このままでは、相手が中国領海を侵犯してしまう。そうなると、最悪即座に撃沈されてもおかしくはない。それでも最低限のプロトコルとして、趙は警告を発することを何より優先させる考えだった。
「対象、中国領海内に侵入。速度40ノット。距離2海里」
思わず口を開けてしまった。他者のことをあれこれ言える立場ではないが、警告を無視した上に領海侵犯してまでなお追跡してくるとは・・・。
「艦長・・・!」
趙の覚悟を察したかのように、呉は決意を込めて言った。
「魚雷、発射用意!」
趙はとうとう最後のカードを切ることにした。できるのなら、もっとも避けたい命令だったが、もはや状況は深刻で、それ以外の選択肢はない。
「目標、速度維持。距離1.5海里。方位、010!」
艦尾の真後ろである。
「一番魚雷、発射」
趙は冷徹に告げた。艦が微妙に揺れ、深海を切り裂いていく痺れが伝わる。全員が経験したことのない緊張を覚えた。
「二番魚雷、発射」
確実に仕留めるため、もう一発を発射させる。再度艦内が震え、全員が歯を食いしばる。
「最大船速維持。潜横舵下方10度」
艦長命令に忠実な行動を取った直後、艦が大きく揺れた。衝撃音がそのまま海水を伝播したようだった。
「一番魚雷、命中」
言い終わらぬうちに、再度艦が著しく横揺れし、衝撃音が飛び込んでくる。
「二番魚雷、命中」
「艦長・・・」
思わず、呉は趙を仰ぎ見た。国際法上、当方は何ら違反はしていない。もちろん先の領海侵犯はすれど、相手国領内にまで侵入してきたことは、理由はともかく撃沈されて然るべきだ。
それでも、呉はこの後を考え深く憂慮した。場合によっては、全面核戦争にすら発展しかねない口火を切ってしまったのだ。どこの国に、戦争を始めて喜ぶ軍人がいるものか・・・。
だが趙は、堅く表情を崩すことはなかった。当方の行動に相当な自信を持っているのかと呉は思ったが、違った。単純に、上官は緊張をまるで解いていない。
「対象、速度維持し本艦接近。距離1海里」
李は大声を上げた。艦の全員が李を注視した。
「速度維持。潜横舵左45度」
趙の命令に、今度は呉が「艦長!」と大声を上げた。
「対象が原潜でない場合、何だと考える?我々の行動はどうすることが最適と考える?」
そうか・・・趙は、端から相手が「原潜以外」であることも想定していたのだ。そして、魚雷の直撃を受けても沈黙することなく行動する相手・・・そして趙の命令を咀嚼し、呉は大きく頷いた。
「最大船速維持。一刻も早くわが国領海を離れるぞ」
相手が得体の知れない・・・おおよその見当はつくが、考えたくはなかった・・・存在である以上、中国本土へ近づけさせることはできない。それまで混乱気味だった他の乗組員だったが、趙の命令を理解した。
「速度50ノット。距離、0.5海里。追いつかれる!」
李が怒鳴った。よもや、この距離で魚雷など放とうものなら、当方への被害は避けられない。こうなれば少しでも、本土から乖離させるのが最大の目的だ。
「司令部へ通告。対象は攻撃を受けなおも接近。救援要請放て」
もはや怒号だった。それに応じるように、艦が震え出した。
「これは・・・」
呉は思わず天井を仰いだ。これは・・・学生時代、故郷である首都・北京の動物園を訪れたときに幾度も聴いた。まるで猛獣の咆哮だ。
だがここは動物園ではない。深い海の底である・・・対象、とやらが何であるか、明確に悟った。
「対象、本艦の真上です」
李が告げた。それと同時に、中国領海を離れた。
「本艦は公海へ抜けまし・・・」
大きく艦が揺れた。李は椅子から転げ落ち、趙と呉は柵につかまり何とか体勢を保った。
「全速前進!」
趙が怒鳴るのと同時だった。再度艦が揺れた。まるで下から跳ね上げられるように艦内がひっくり返る。経験したことのない衝撃になす術なく、呉は額を柵へ激しく打ち付けた。視界が真っ赤に染まり、生暖かい液体が首筋を伝う。
大きく破裂するような音がして、操舵席が割れた。猛烈な海水が雪崩れ込み、勢い操舵室を文字通り、割った。凄まじい水圧はそのものが凶器と化し、必死に起き上がった李の身体を切り裂いてしまった。
さらなる衝撃が艦を襲った。もはや海水なのか汗なのか、はたまた自身の血液なのかわからぬ。全身がびっしょり濡れる中、鼓膜を揺らす咆哮に趙は身を震わせた。おそらく、世界各国どの国の軍属が耳にしたであろう、最大の仮装敵・・・ゴジラの咆哮だった。