ゴジラVSガメラ   作:マイケル社長

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ーChapter 4ー

・10月28日 6:32 大阪府大阪市北区梅田1丁目 ヒルトン大阪

 

 

微かな寝息を立てて微睡んでいる緑川を起こさぬようにベッドを抜け出すと、近藤はiPhoneを開き、この2日の間こなしてきた仕事の様子を収めた写真を抜き出すと、とあるところへメールで送信した。

 

ルームサービスで注文したまま昨夜から残っているシャルドネを含み、ブルーチーズとカナッペをつまみながら文字に書き起こした内容を反芻する。

 

『中国の商人たちが禁断の森に入り込んだ』

 

シンガポールに滞在していた近藤の元に、以前懇意にさせてもらったニューギニアのグミピ長老から衛星電話があったのは、1週間ほど前のことだった。

 

『商人たちが山から持ち出したものの中に、ギャオスの卵があるやも知れぬ。オオサワにも話すが、もしも卵を外に出すれば人類が滅んでしまうやもわからぬ。ひとつ、お前さんに力を貸してもらいたい』

 

大恩あるグミピ長老からの頼みでは断る理由がない。程なくして大澤蔵三郎の秘書からも連絡があり、ニューギニアを出て中国へ向かっている中国船籍の貨物船が港に入った際、積荷を確認した上で卵らしき荷物をすべて買収した上で処分してもらいたい旨を伝えられた。

 

ただし、時間が経過したとはいえ近藤自身のパスポートで中国へ入国した場合、昨年のあかつき号沈没とスマートブレイン社をめぐる経緯から中国当局に拘束されかねない。そのためシンガポールからひとまずフィリピンへ飛び、大澤の息がかかった現地の協力者の手を借り『静かに』中国へ入国。

 

ニューギニアからの貨物船が入港する広東省珠海市でやはり大澤の協力者である現地の黒社会関係者と落ち合い、外国からの密輸品を中国各地へ売り捌く生業をしている密売組織と交渉。多額の現金でニューギニアからのコンテナを買い取ると、卵とおぼしき楕円の個体を取り分けた上でガソリンをかけ焼き尽くした。

 

近藤が大澤に報告し終えると、ニューギニアで中国籍の商社に現地住人が襲いかかったこと、及び島の広範囲に山火事が発生したということが報じられた。

 

仕事を終えた近藤は改めて大澤へ報告するため中国を離れ、フィリピンから関西国際空港へ降り立ったのが昨日の午後だった。近藤にとって、昨年夏にニューギニアへ潜伏して以来、実に1年と3ヶ月ぶりの帰国となった。

 

シャルドネを飲み干し、クラッカーをかじるとベッドがむくむくと動いた。近藤はかまわずシャツとズボンを履くと、身支度を始めた。

 

「もう行っちゃうの?」

 

下着姿の緑川がベッドから半身を起こし、寝ぼけ眼で訊いてきた。

 

「やることが多くてな」

 

それだけ答えてスーツケースを閉じると、洗面所で顔を洗い髪を整える近藤。

 

緑川はグラスにシャルドネをたっぷり注ぐと、何かを振り払うかのように豪快にあおった。

 

「朝のミールクーポン。32階のレストランでビュッフェでも良いし、ルームサービスも頼める」

 

ジャケットのポケットから黄色のクーポンを出して机に置くと、緑川の顔を見ずに近藤はドアへ向かった。

 

「ねえ・・・!」

 

緑川がベッドから起き出し、近藤を止めるように歩み寄った。

 

「今度連絡する。またな」

 

一瞬振り返った近藤の視界に、やるせない表情の緑川が映った。名残惜しさも見せずドアを閉め、エレベーターで1階へ降りる。

 

フロントには頭部後ろまで禿げ上がった年配の担当がいて、近藤からルームキーを受け取り宿泊料の精算を済ませてくれた。

 

「またのお越しをお待ちしております」

 

折り目正しくお辞儀をする担当に微笑み、ホテルを出ようとした。

 

「近藤悟さん、だね」

 

視界の隅にロビーの椅子から立ち上がる男をとらえてはいたが、ふいに背後から自分の名を呼ばれて近藤は身をすくめた。

 

声をかけてきた男は耳を覆うほどの長い髪がつばめの巣よろしくモジャモジャになった天然パーマで、口許に笑みこそたたえているが近藤を見据える両目には油断ならぬ鋭さを発している。

 

「いきなりすまないんだが、ちょっと話をしたいんだ」

 

警戒を隠さない近藤と、入り口付近のホテルマンがこちらを凝視していることで、男は露骨ともいえる愛想笑いを浮かべてきた。

 

「誰だかわからん相手と話すのは趣味じゃないんだが」

 

こちらはホテルを利用した身だ。いざとなれば近くのホテルマンに危機を伝える心の準備をしつつ、近藤は足を引いた。

 

「悪かった」

 

モジャモジャ頭の男はズボンのポケットから名刺入れを取り出すと、中から1枚抜き出して近藤に渡してきた。

 

『株式会社斉田リサーチ 代表取締役社長 斉田 公吉』

 

素性こそ明らかになったものの、近藤は警戒を解くことはせず疑いの眼差しを向けた。昨年、ゴジラとガイガンの争いをYouTubeにアップした動画が1週間で3億再生を上回り、一躍時の人となって以降、近藤に近寄ってくる連中が急に増えた。

 

『うちの動画でコラボしましょう』

 

『共同で取材させてもらいたい』

 

『これまでの取材結果を是非弊社で本にまとめませんか』

 

こうして言い寄ってきたYouTuberや同業者、はたまた出版社たちは、皆例外なく目に円マークを浮かべていた。無論、食べて行く以上収入増はありがたいが、必ずしも金儲けのために活動を続けているわけではない。

 

中には会ったこともない親戚や知人を名乗る者から、共同で事業を起こしたいだの金の無心だの、話にならない連中も混じっていた。

 

「調査会社・・・興信所の類か。それで、オレに何を?」

 

「少し話をさせてもらいたい。ああ、そりゃ不審がるのも無理はないが・・・おたく、KGI損保の緑川取締役と知り合いでしょ?」

 

近藤の顔が一気に険しくなったことで、斉田は狼狽気味に手を振った。

 

「いや、実はオレ以前KGI損保に勤めてて。彼女同期入社だったんだ」

 

なんだったら本人に訊いてみてもらっても良いぜ、とまで言われたことで、多少警戒を和らげた。少なくとも緑川と同期だった、ということはウソではなさそうだ。

 

「それで、話っていうのは?オレと彼女の関係性でもお尋ねしたいとか?」

 

「そうじゃない。できれば少し時間を拝借して、落ち着いた環境で訊きたいんだが・・・腹も減ったしな」

 

困ったように腹をさする斉田。まだ訝しい相手だが、京都の嵯峨野にある大澤蔵三郎の別邸を訪ねるには時間がある。さきほどワインとチーズとカナッペを嗜んだとはいえ、腹ごしらえもしたいところだ。

 

「駅の構内に吉野家がある。そこで良いなら」

 

「乗った」

 

それからややあって、2人は大阪駅構内南口にある吉野家のテーブル席に腰をかけた。白髪を後ろで束ねた威勢の良い老婆が注文を聴きにきて、いずれも牛丼大盛りと味噌汁を頼んだ。まだ出勤時間前で客足も少なく、ものの数分で牛丼と味噌汁が出てきた。

 

食事が出される前の時間を過ごすには気まずい相手であることから、近藤は一度外に出て大澤の従者に連絡を入れた。元より午前中に訪ねてくれば良いと言われたこともあり、久しぶりの牛丼を腹にかきこんでからでも充分間に合うはずだ。

 

「うまい。朝から牛丼なんて久々だな。いっつもカミさんお手製の大して美味くもない朝飯なモンで」

 

勢い良く牛丼をかっ込みながら、斉田は言った。物を食べながら喋るもので、咀嚼中の口内が丸見えなのは褒められたことではないが、こういった同業の者は多い。概してこういう人種は良くも悪くも飾らない性格をしている。そうした姿に、近藤は斉田に対し少しばかりの親近感を沸かせていた。

 

「近藤さんも、もしかして牛丼は久々?日本にいなかったってウワサきいたけど」

 

「まあね。いや吉野家は日本国外にもあるんだが、この味はやっぱり日本でなきゃ味わえない」

 

実際その通りだった。日本に帰国したのも久しぶりだ。

 

「いままでどこにいたの?」

 

「シンガポールだよ」

 

「そりゃ良いや。資産運用しながら暮らすにはもってこいだし、貧しくなる一方の日本よりはるかに快適だったでしょ。で、今回は日本に用事があったんでしょ?どんなこと?」

 

ガツガツと米をかっこみ、味噌汁で残渣を飲み干しながら斉田は訊いた。

 

「野暮用だよ」

 

この斉田という男、親近感を振りまきながらも飄々とした様子で尋ねてくる。近藤は改めて警戒心を働かせた。

 

「近藤さん、長いこと日本離れてたんでしょ。それなのに戻ってくるんだもん。野暮な用事なんてことないでしょ」

 

「いや、そろそろ日本の生活が恋しくなったからな。いい加減こっちで住まいを探そうかと思って」

 

「緑川のことも恋しくなったの?」

 

近藤は箸を止めた。

 

「あ、気を悪くしたら謝るよ。大人の付き合いだもんな」

 

斉田はモジャモジャ頭をボリボリと掻いた。

 

「斉田さん、あんたこそいい加減何を知りたいんだよ?まさか世間話をしにオレを待ち伏せてたワケでもないだろ」

 

イラつきを隠さず、近藤は訊いた。

 

「発端は、去年緑川から調査依頼を受けた案件だったんだ」

 

軽く咳払いをし、丼の牛肉を平らげてお茶を含むと、斉田は話し始めた。

 

「去年東シナ海で沈没した大和客船のあかつき号。あの船の保険を緑川ンとこで受け持っててさ。あの事故の中、2名だけ生き残った双子の姉妹の話、近藤さんもきいたことあるだろ?」

 

「知ってるよ。まあワケあって時間経過してから詳しく知ったんだけどな」

 

ちょうど近藤がニューギニアの奥地に潜伏、テレビもネットもつながらず原始人生活をしていた頃だった。

 

「不思議なことに怪我もなく、事故の衝撃からか記憶喪失状態のまま沈没現場から鹿児島の病院に収容。その後病院を脱走したが、直後に桜島が大噴火を起こし、鹿児島市と垂水市が壊滅。その上噴火口から怪獣バラゴンが鹿児島市を蹂躙したことで彼女たちの捜索もままならず、数日後遺体となって発見されたんだったな」

 

「その通り。当時緑川は船舶損害保険部の責任者で鹿児島市の現場へ飛んでてな、かといって社内も過去最大規模の海損事故対応で余裕なく、零細調査会社のオレにその姉妹の身上を調査してほしいって依頼があったんだ」

 

代表取締役がみずから動き回るということは、部下なし経営者なのだろう。零細と自嘲したのは間違いなさそうだ。だが緑川が斉田に仕事を回すのは、元同期のよしみという事情だけではなさそうであることは窺え知れた。

 

「経緯はわかったが、それで?」

 

ひとしきりしゃべった後、斉田は勢いをプッツリと途切らせてゆっくりと茶をすすり、店員にお代わりを頼んでいる。焦らすほどの間を持たせることで、こちらの興味を惹かせるのだろう。苛立ちも手伝って近藤はまんまと斉田の術中に堕ちているのを自覚していた。

 

「本題はここからなんだが・・・その双子ちゃん、人格がまるっきり入れ替わったという話をしたら、近藤さん信じるかい?」

 

「話の意図がよくわからないんだが」

 

「去年、怪獣がジュラシックワールドみたいに出現しまくったよな。その中に、蝶々というか、蛾のような怪獣・モスラっていただろう?」

 

「ああ。怪獣、とはいうが、なんだろうな、恐ろしさとか禍々しさとはまったく違う・・・むしろ神々しさと美しさの権化」

 

「そう。鹿児島じゃあ、噴火の被害受けた人々がモスラに励まされたかのように感じたって話もあったよな。そのモスラ、伝承によれば人間とのコミュニケーションを仲介し、祈りを捧げる巫女というのが存在したらしい」

 

聞いたことはあったが、近藤はその話を口にすることはしなかった。昨年ゴジラとギドラの東京襲来以降廃刊状態となっているオカルト雑誌『UTOPIA』にもそんな話題が載っていたような気もしたが、どこのどんな伝承にそんなものが書かれてあったのか、まったく書かれていなかった。執筆者の創作ではないかとすら思えたほどだ。

 

「そのモスラの巫女がね、あかつき号生存者となっていた双子に・・・その、憑依したようなんだ」

 

近藤はそうきいて目を丸くした。

 

「オレの常識を疑いたくなる気持ちはわかるよ。オレだって未だに半信半疑なのが正直なところだからな。だが、彼女らが祈りを捧げたことで、モスラ進化を遂げ、ギドラ撃破に一役買った現場を見たからなあ」

 

「ちょっと待て、じゃああんたは・・・去年千葉で怪獣たちの争いを直に目撃した上、双子と行動を共にしていたってことになるぞ?」

 

「そう、間違いない」

 

近藤は絶句した。だが斉田の表情をうかがうと、デタラメをしゃべっているようには見えない。

 

「じゃあ、彼女たちが鹿児島で遺体となって見つかったのは?」

 

「・・・信じてもらえなくても良い、ギドラを倒してから、彼女たちは力尽きたように光になって空へ飛んでいったんだ。言っとくが、その現場にいたのはオレばかりじゃない。複数人が目撃してる。当然、緑川もな」

 

「・・・いや、あんたを信じないわけではないんだが・・・」

 

「そうなるよな。オレがあんたでもそう思うよ」

 

ひとり頷くと、斉田はお茶をふくんでおしぼりで手を拭いた。

 

「近藤さん、オレはあれ以来、個人的にだが怪獣に興味を持ってね。たとえばバランは北上地方に古来からおとぎ話として伝わっているとか、モスラやバトラは超古代文明における神のごとき存在で、ギドラと激しく争ったとかね。そういうのに詳しい先生と一連の流れで懇意にできたってのも大きいが・・・。それでだ、近藤さんも怪獣には詳しいよね?」

 

「そんなことはないと思うけどな」

 

「ご謙遜を。あんたはおととし、ゴジラとガイガンの戦いをもっとも近くで目撃し映像に収めた人だ。あんたの映像から、ゴジラやガイガンについて研究が進んだ点も数知れない。いまや事実上学問のひとつとなりつつある、怪獣学の第一人者といっても過言じゃない」

 

「おだてても何も出ないぞ」

 

「はは、まあここの食事代くらいは持ってくれるとありがたいけどね。まあ、そんなわけで怪獣への知識を深めたくて、そういった分野の先進者と仲良くしたかったから、オレはあんたにアプローチしたんだ」

 

「そういうことか。なら教えてもらいたいんだが、オレがあのホテルに滞在していることをどうやって知った?」

 

そう訊くと、斉田は一瞬黙りこくった。

 

「ひょんなことの調査をしててね。少なくとも、あんたが帰国してたのを知ったのは偶然だ」

 

「本当はオレではなく、彼女を探ってたんじゃないのか?」

 

再び黙りこくった。まさか近藤が日本に入国した記録から居場所を探り当てるなど、いくら斉田でも警察まがいのことはできないはずだ。となれば、近藤に接触できたのは本当に偶然で、真の調査対象は緑川と考える方が自然だ。

 

「彼女はあんたと親しいんだろう。そんな相手を気づかれぬよう付け回すなんざ、穏やかな話だとは思えないぞ」

 

「誤解ないように言っとく。緑川を調査しているのは間違いない。で、守秘義務ってのがあるから目的は言えないが、少なくとも緑川が不利益を被る内容じゃないことは信じてほしい」

 

「信じられないような話をふっかけてくる相手の話を信じろと?」

 

近藤の言葉尻には明らかに怒りが混じっている。これは微妙な部分だと判断したのか、斉田は咳払いをして財布から小銭を取り出した。

 

「近藤さん、これに懲りずまた会えたら嬉しい。連絡先なぞもらいたいんだが」

 

やや躊躇したが、近藤は名前とフリーアドレスのみ記載された名刺を渡した。対象の素性が信用ならない場合、渡しているものだ。そうした意図が通じたのか斉田は口を「へ」の字に曲げたが、今日のところはと思い直したのか、握手を求めてきた。

 

「ありがとう。これが終わったら、大澤蔵三郎のところにでも行くんでしょ?」

 

大澤蔵三郎という単語を耳にし、せめて握手くらいなら、と握った近藤の手が強張った。斉田はしてやったりといった表情でにんまりと笑った。

 

しまった、と近藤は手を引っ込めた。どうやら斉田のハッタリだったらしい。だが大澤の名前を耳にしたリアクションで、斉田は理解したようだ。いまさら否定しても通じないだろう。

 

「今度は酒でもご一緒しましょう」

 

自分の代金を置くと、斉田は立ち上がって店を出て行った。近藤は忌々しげに斉田の後ろ姿を見遣った。少なくともこちらから連絡を取るようなことはしないつもりだった。

 

とはいえ、斉田が話した内容に興味を惹かれていることもたしかだった。超古代の人間の魂が現代人に憑依するなど、まるで三文のSF小説だ。にわかに信じろという方が無理だ。

 

だが、近藤が去年グミピ長老から預かった緑色の勾玉を考えると、あながちおとぎ話と片付けられぬようにも思えてくる。

 

『最後の希望、ガメラ 刻のゆりかごに託す 禍の影、ギャオスと共に目醒めん』

 

あの碑文には、そう書かれていたという。

 

「この石を持つことでの、巫女としてガメラの目醒めを祈る者がどこかにいるはずじゃ」

 

ニューギニアを離れる際、グミピ長老はそうも話していた。斉田ではないが、これこそまともに信じられるはずもないだろう、普通ならば。

 

ましてや、ニューギニアの密林から持ち出された禍の影なるギャオスとやらの卵を、孵化前に焼き払ってきた話など、他人に話したところでどこの誰がまともに受け取るだろうか。そういった意味では、斉田の話を眉唾物と一蹴できる資格はない。

 

近藤はイヤな夢を振り払うように頭を振ると、勢い良く味噌汁とお茶を飲み干し、2名分の勘定を済ませた。斉田が置いた小銭はレジの横に置いてある『令和2年 怪獣災害義援金』と書かれた募金箱に放り込んだ。

 

店を出ると、出勤時間に差し掛かったことで消沈した表情の人々が駅構内をせわしなく往来している。あの日以来、日本からは明るさが失われたかのようだ。それは概して日本でも陽気な人が多いとされるここ大阪も例外ではないようだった。

 

憂鬱な雰囲気に呑まれるように近藤はひと息吐き出すと、京都を目指すべく阪急梅田駅を目指し歩き始めた。

 

 

 

 

 

・同日 6:08 中華人民共和国広東省珠海市 水湾社口区国際埠頭港

※日本より1時間遅れていることに留意

 

 

濃密な霧に支配された埠頭の一角は、夜明けにも関わらず密輸品をたんまり積載した大型船が停泊していることで賑やかな活気に満ちていた。

 

スリランカとニューギニアから正規の税関手続きを経ずに持ち込まれた動植物や鉱石、あるいは物価の安い地域で作られた食糧や耐久消化剤を求めるバイヤーや山師と密輸業者が、大声で競りを行なっているのだ。

 

少しでも高く売りたい、少しでも安く売りたい、そんな双方の思惑が激しく衝突し、納得づく、あるいは片方が妥協した際に赤い人民元札がけたたましく積まれ飛び交う。中国では電子決済が世界有数のレベルで普及しているが、殊闇市場においてはいまだに毛沢東が描かれた現金が好まれている。

 

声が枯れんばかりの怒声を張り上げる同業者が買い手たちと神経衰弱を繰り広げる中、ニューギニアからの密輸品を取り仕切っている陳馬怜は早々に品物がなくなったことで、暇そうにタバコをふかしていた。

 

「陳さん、今回は大漁だよ!見たこともない鳥をたくさん捕らえたんだ」

 

ニューギニアを出港した後、現地ブローカーの揚が弾んだ声で電話をよこしてきた。

 

これまでもニューギニアのジャングル奥深くから、希少性の高い動物を捕らえては国内や欧米の希少動物マニアに販売、あるいは希少性がなければ広東省や福建省の市場や精肉業者に“のちの鶏肉や豚肉として”売り渡していた。

 

食用としての販売ならともかく、希少動物マニアに売り捌く場合は販売価格が大きく跳ね上がる。陳にはまるで理解できないが、連中は趣味としての収集には金に糸目をつけない。ときにはこちらの言い値以上で買い取ってくれる場合もある。陳にとってニューギニアの動物密輸ルートはドル箱であった。

 

したがって揚の報告には大きく胸を躍らせた。曰く、「三角頭の羽毛がないコウモリ」らしく、その大きさも「孵化後でニワトリの倍近く」だそうだ。どうやらこれまで発見されていない新種の可能性も出てきた。これならば何もコレクターではなく、政府の生物学研究局にでも売りつけて高音を稼いでやろう・・・そう考えていたのだ。

 

「残念だけど陳さん、あいつら一晩のうちに共食いしやがった。しかも急に成長して船員にも噛みついてさあ、憶病な船長が殴り殺しちまったよ」

 

当然陳は怒ったが、成長したその鳥はとても獰猛だったようで、商売がかかっている揚を除いて全員が駆除を推したようだ。

 

「鳥はみんな死んだが、奴ら卵を産んだんだ。これだけでも持ち帰るよ」

 

それが入港2日前だったため、孵化に期待して待つこととした。ところが、ニューギニアからの船が入港した途端、今度は珠海の密輸業者を束ねている彾というマフィアの幹部がやってきた。

 

「お前等が持ち込んだ卵をすべて出せ」

 

そうしてワケもわからずせっかくの収穫品を奪われると、石のように硬くパイナップルよりも大きな卵にガソリンをかけ、火を放たれた。

 

「省政治委員の把先生からの依頼でな。この卵を買い取った上で処分してくれだそうだ。これだけあれば足りるだろう」

 

怜は人民元の札束を渡してきた。額はそれなりだが、ショバ代と流通経費を差し引けば利益が出るかどうかギリギリの金額だ。しかもこうした場合、支払いを仲介する者がいくらかマージンを抜いているのが暗黙の掟となっている。

 

苦労には見合ってないが、怜に逆らうワケにもいかない。燃え盛る炎の中で弾ける卵を見ながら、陳は歯噛みした。

 

他の収穫物もめぼしいものがなく、せいぜい市場に流れて市井の屋台で豚肉や羊肉として焼かれるトカゲやイタチくらいしかいない。

 

収支を考えれば今回は赤字か、良くて学生の小遣い程度の利益が残る程度だろう。

 

しかも今朝早く、ニューギニア入りしている山師の洪から気が滅入るような電話があった。

 

「ニューギニアでまた大きな山火事が起きて、気が立った現地の奴らに襲われた。車が焼かれて当分密林に入れない」

 

災難が続いて商売あがったりだ。活気溢れる競りの様子を忌々しくにらみつけ、陳はフィルターまで火が達したタバコを踏み消した。

 

海面から昇る湿気混じりの熱波は皮膚とシャツを容赦なく汗で接着させる。今日は早めに切り上げ、副業として小銭を稼いでいる売春ホテルでビールでも飲みながら新人を味見しよう、そう思って現場を立ち去ろうとしたときだった。

 

「おい、お前」

 

積み荷の上げ下ろしをしている角刈りの青年に声をかけた。

 

「いま出発したトラックにうちの積み荷があったぞ」

 

大声でなじったが、まだあどけなさが残る青年は困ったように眉をひそめるばかりだ。思い出した、こいつは広東語も普通話も話せないようなど田舎からやってきた出稼ぎ労働者だったのだ。

 

「焼き払った卵は全部で64のはずだぞ。なんで残ってたんだ?」

 

言葉が理解できるかどうかもわからないが、陳はスマホの履歴を見せながら青年に詰め寄った。だが画面の伝票を見せても、青年は首をひねることしかしない。

 

「陳さん、どうしたの?」

 

競りにも負けない声をあげたことを気にしたのだろう、競りを終え汗まみれのシャツに札束をいくつかはさんだ揚がやってきた。どうしたもこうしたも、と陳は事情を説明した。

 

「ああ、こいつ字が読めないんですよ。でも福建語ならたしか通じたはずです」

 

すると揚は福建語で話しかけた。ようやく青年は喋り出したが、方言が強いのか揚は何度も訊き返していた。

 

「どうやらこのボンクラ、数を勘定するのもまともにできないらしい。とにかく親方にどやされながら卵を集めて火をつけたことはしたが、今朝になって倉庫のわきに一個残ってたのを見つけたようだ。親方に話すとまた怒鳴られるからって、知り合いの山師に渡しちまったらしい。で、売れたんでしょうな」

 

「くそったれが!」

 

陳は青年を思い切り平手打ちした。涙目で頬を押さえ、青年はトボトボと歩いていってしまった。

 

「さっき出たんなら、たぶん広州行きのトラックでしょう。売っちまった山師をつかまえて、トラックを呼び戻しますか?」

 

陳が訊いてきたが、怒りと派手に動いたことで顔中に汗がにじんできた。

 

「もういい。あの卵は全部燃えちまったことにする」

 

どうせ孵化したところで、すぐに焼肉にされるだろう。とにかくもうたくさんだ。さっさとビールをあおってどこかから売られてきた女を抱こう。陳はタバコに火をつけると、自分の車に向かった。

 

「そういえばあっちの競りはずいぶん盛り上がってたな。何かあったのか?」

 

陳は揚に訊いた。

 

「ああ、台湾ルートを仕切ってる馬ってヤツいるでしょう。あいつが違法操業の漁船から変なもの引き揚げたらしいですぜ」

 

「なんだそりゃあ?」

 

「ええ、なんでも台湾沖でマグロくらい大きな青い岩を引き揚げたようなんですがね、これが鉄クズやら包丁やら、なんでも引き寄せちまうものみたいで。珍しいって福州の物好きが買い取ってったらしいんですわ」

 

「なーに、プランクトンでも繁殖した磁石か何かだろ」

 

つまらなそうに吐き捨てると、陳はタバコを投げ捨ててBMWのエンジンをかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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