・11月1日 14:16 旧埼玉県秩父市荒川付近 国道140号線
「真琴ちゃんて、なんか変だよね」
同級生の女子からそう言われるようになったのは、真琴が小学三年生に進学して間もない頃だった。
「スカート履かないのって女の子じゃないみたい」
そう言われ、自分でも自身の感覚に疑問を持つようになった。
当時の女子たちに流行っていたズーブルズやヘアコレカチュールにはまるで興味がなく、どちらかと言えば男子が夢中になっていたヴァンガードやダンボール戦機に興味があり、おもちゃ屋へ行く度に母の由加にせびっていた。
小学二年生くらいまではそうしたことも違和感がなかったが、男子は男子として、女子は女子として育ち始める三年生になると自分の趣向に違和感を覚えていった。というより、覚えざるを得なかった。
真琴が通っていた小学校では、進級してすぐの4月末に学習発表会がある。各学年、演劇や合唱などの出し物を披露する場である。真琴たち三年生は三上という民俗学者が書いたという童話を演じることになった。夏休み、宿泊学習で田舎の宿坊を訪れた小学生たちが、河童や天狗といった妖怪たちと出会い、仲良くなるといった内容だ。
「主人公の女の子、三崎さんが良いと思います」
主人公となる少女を演じるのは誰が良いか、各クラス推薦か立候補で選出し、学年集会で決める算段をするため、クラス内で主人公役候補を決める会でのこと。
同級生の女子、陽菜乃ちゃんが真琴を推してきた。陽菜乃ちゃんはクラスのリーダー的存在で、授業や学級会でも真っ先に手を挙げ発言する積極的な女子だ。一・二年生とクラスは違ったが、通学路が同じこともあって真琴とは比較的仲が良かった。
「えー?陰キャの真琴がやるってヘンじゃね??」
そう囃子立てる男子もいた。
「でも真琴ちゃんて、きっと舞台の上で存在感発揮してくれると思う」
「真琴ちゃんかわいいから、良いじゃない」
学級委員であるガリ勉二人がそう養護すると、賛成~!と同調する声が相次いだ。
「みんなこう言うんだけど、真琴さん、あなたはどうしたい?」
担任の先生に訊かれ、しどろもどろに「いや・・・陽菜乃ちゃんの方が・・・」と小さな声で答えるのが精いっぱいだった。
「先生、たしかにお話の主人公・燿香ちゃんは明るくて活発な女子って書いてあります。けれど、委員長が言う通り真琴ちゃんて舞台の上で存在感光ると思います。だから私より、真琴ちゃんを推薦しようと思います」
陽菜乃ちゃんがそう話したことで、クラスの雰囲気はまとまった。
「じゃあ、うちのクラスは三崎さんを推薦しましょう」
担任の一言でクラスのみんなから拍手される中、真琴は顔を真っ赤にして俯いたが、悪い気はしなかった。
その後の学年集会で、各クラス代表の中から誰を主役にするか話し合ったところ、他のクラスからも真琴を推す声が多かった。これで真琴が主役を演じることになった。
劇の主役を演じるなど当然産まれて初めてのことだったが、自分では感じなかったもののみんなが言うように、真琴の澄んだ声は舞台の上で良く通った。陽菜乃ちゃんが言うには、遠くから見ても真琴ちゃんが真琴ちゃんてわかるくらい存在感強いよ、とのことだった。他のクラスの先生からも褒められた。ちょっとこそばゆかったが、真琴は次第にみんなが選んでくれた役を一生懸命こなそう、そう考えるようになった。
ところが、初めての衣装合わせで各々劇中の衣装を着る際、問題が起きた。
それまでは学校の体操着で練習していたから違和感はなかったのだが、主役が「スカートを履いた活発な女子」ということで、必然的に真琴もスカートを履くこととなった。
だが河童や天狗役の子たちが恥ずかしそうにしながらも衣装を着てはしゃぐ中、真琴だけは赤面が収まらず、これまでの練習ではご愛敬で済んでいたセリフや動作の間違いが多くなった。
思えば、これまでズボンやハーフパンツばかり履いていた真琴だったが、特に意識はしていなかった。ただなんとなくスカートは履かないだけだと自分でも思っていたのだが、初めて履いたスカートがこれほどまでに心地悪く、そして恥ずかしいものだとは思わなかった。
その後の練習でも、スカートが恥ずかしいあまりセリフが読めず、練習が進まないことが増えた。あるとき、真琴は思い切って担任にスカートではなくズボンを履いて劇に出たい、と申し出た。
怪訝な顔をしながらも、担任は学年の先生たちと相談すると言ってくれた。だが次の練習のとき、学年主任の
「あなたは女の子なんだから、スカートを履きなさい。お話の燿香ちゃんもスカートを履いた元気な女の子って設定なんだから」
という一言で、真琴の具申は却下されてしまった。小学三年生で、学年主任の先生にそこまで言われなおも食い下がる子はかなり少ない。言いようのない虚しさと恥ずかしさを抱えたまま、真琴は劇の衣装であるスカートを履いた。
だが、そのときの練習はいままで以上に上手くいかなかった。劇の半分もいかないうちにとうとう真琴はしゃがみ込んでしまった。羞恥に耐えられず、顔を覆ったまま動けなくなってしまったのだった。
「何やってるの!こんなことくらいで恥ずかしがって!あなたを選んでくれたみんなにもうしわけないと思わないの!?」
学年主任の金切り声で、真琴は涙が止まらなくなった。立ちなさい!と言われても、不可解さと怪訝さを含めた学年全員の冷めた視線が突き刺さり、身体も、そして心も沈んでしまっていた。練習はそこで打ち切られた。
泣きながら家に戻ってからしばらくすると、ちょうど母の由加が出先から戻ってきたタイミングで担任が訪ねてきた。今日、真琴に学校で起きたことを話しにきたのだ。だがそれは、真琴を案じてというより、事を大きくしないように保護者へ釈明に来たようにしか思えなかった。
「ねえ、前から思ってたんだけど、真琴はスカートはイヤ?」
話を聴いた由加は、担任が帰ったあとそう訊いてきた。
「・・・・・うん」
女の子がスカートがイヤだなんておかしいんだ、だから正直に言わない方が良いのかもしれない・・・そうも思ったが、由加には素直に話した。
「・・・そうっか」
それだけ返すと、由加はご飯にしようと言って鍋のカレーを温め始めた。
それだけ?なんでスカートがイヤなの、とか、これから劇はどうするの?とか訊いてくれるんじゃないの?
不安になる真琴をよそに、由加は何も言わず鍋の中のカレーをかき混ぜていた。その顔は微笑んでいるようであり、どこか不安を押し殺しているようにも思えた。
翌日、真琴は主役を降ろされた。発表会まで10日を切っていた。
急遽他のクラスの子が主役となり、練習は再開された。スカートを履いたその子は本番も役の子そのままに元気に舞台をかけまわった。
真琴は、発表の日以来学校に行けなくなった。
みんなで選んだのに、役割を果たせなかった子。そんなレッテルを貼られてしまった。陽菜乃ちゃんのようにそんな真琴をかばう子もいてくれたが、面白がったり、嫌がらせをしてくる子も少なくなかったからだ。
布団にこもり、ご飯も食べようとしない真琴を由加はひきずり出すでもなく、気が向いたときに食べなさいとパンを置き、仕事に出かけた。
本当は心細かった。由加にかまってほしかった。仕事が忙しいのは、わかっていたけれども。
置かれたパンを食べ、袋をその辺に放った。由加に見つけて叱ってほしかった。
だが帰宅した由加はそんな真琴を咎めなかった。黙って袋をゴミ箱に捨て、スープが出来てるからいつでもあっためて食べなさい、とだけ告げて部屋を出た。
次の日、真琴は由加が仕事に出てから部屋を散らかした。作ってくれたスープも流しに撒き散らした。それでも由加は怒らなかった。
空腹とさみしさ、やるせなさで、布団の中で泣きじゃくった。
次の日、由加は朝からハンバーグを焼いた。漂ってきた匂いをかぐと、すぐにでもリビングへ行き、口いっぱい頬張りたかった。だがもうしわけなさと、恥ずかしさが意固地となって真琴は布団の中で固まった。
「真琴」
ほかほかのハンバーグを皿に盛り、由加が部屋に入ってきた。
「一緒に食べるよ」
それから、涙の味しかしないハンバーグをたいらげた真琴に、由加は学校に行きなさいでも、ここ数日の所業を咎めるでもなく、ただ微笑みかけた。
「学校に行きたくないんなら、行きたくなるまで休んじゃおう」
その一言で、どこか自分の中に残っていた「学校へ行く」という常識が霧消した。
それから、陽菜乃ちゃんが時折家に来てくれた。学校であった話、勉強の話なんかを他愛なくしてくれた。担任も幾度か訪ねてきたようだが、真琴は顔を合わせたくなかった。何回か、あの金切り声を上げる学年主任と由加が話す声がしたが、しばらくすると来なくなった。
学校へ行かなくなるのが当たり前になると、真琴は布団から出るようになった。
朝はしっかり目を覚まし、由加と一緒に食事の支度をする。保険外交員の仕事をしている由加が出勤すると、家を毎日キチンと掃除して天気の良い日には布団を干した。学校にも行かないで、というご近所さんの視線や声に傷つくこともあったが、夏休みになる頃には聞こえなくなった。
「真琴、今日はお台場行こう」
由加に明るい声で言われたのは、8月になろうかという良く晴れた暑い日だった。平日なのに仕事を休んだのか、朝の食事を終えると真琴を連れ出した。こんな暑い日はエアコンがよく利いた家にいたかったが、お台場という響きが真琴を動かした。
「お台場行く前に、ちょっと病院寄っていこう。夏バテしないように予防注射しなきゃね」
そう言われ、バスに乗って江東区にある大きな大学病院に連れていかれた。注射は並の小学生くらいにはイヤだったが、夏バテしてお台場で美味しいもの食べられなくなるのイヤでしょ、と言われれば、我慢しても良っか、くらいに病院へ入った。
ずいぶんと奥まった部屋に入ると、白髪頭の優しそうな先生が笑顔でいろいろ訊いてきた。普段どんな遊びが好きなの、とか、どんなこと言われて嬉しい、とか。それから注射をされた。チクッとした後、別室に案内してくれた優しい看護師さんといろいろお話をした。由加は先生と何か話しているようだった。
お昼近くなり、いい加減お腹が空いてきた頃、由加がやってきた。
「今日は真琴の好きなもの、なんでも食べよう!」
それからお台場に連れていってくれた由加は、笑顔でそう言った。目元だけお肌の色が少し変だな、とは思ったが、お台場で食べた大きなハンバーガーがその日の印象を大きくまとめてくれた。
由加は夏休みが終わる前に、保険外交員を辞めた。自宅の一部を事務所にして、保険代理店を開業したのだ。
「これで真琴が学校行かなくても大丈夫、いつでも一緒だよ」
そう話してくれた。夏休みが終わっても、真琴は学校へは行かなかった。たまに陽菜乃ちゃんが家に来てくれることも続いた。
真琴は学校に行かないまま四年生になり、やがてもうすぐ五年生になろうかという春休み前、陽菜乃ちゃんがやってきた。
「真琴ちゃん、今度クラスが替わるから学校においで!また一緒のクラスだし、先生たちも代わるみたいだから」
真琴は迷った。正直、学校へは行きたくない。だけども陽菜乃ちゃんがそこまで話してくれると、後ろ髪が引かれる思いがしたからだ。
「・・・真琴、また江東区の病院、行こっか」
由加に相談すると、そう言ってきた。あの病院・・・聖都大学附属病院だったか、一度夏バテ予防の注射を打ちに行ったきりだ。なのに、なぜ・・・。
数日後、またあの優しい白髪の先生が迎えてくれた。今度は、少し難しい質問もされた。マークシートのような書類も何枚か書いた。今度は看護師さんが3人も付き添い、由加が先生と話す間におしゃべりの花を咲かせた。
だが前と違い、しばらくして真琴も由加と先生の話し合いに呼ばれた。看護師さんたちもついてきた。
「真琴くん。あなたを、性同一性障害と診断します」
先生は慎重に、言葉を選ぶように告げてきた。そう言われても、よくわからなかった。
「あなたは身体は女の子なんだけれど、心は男の子なんだ。だから、ズボン履くことや、ヴァンガードだっけ?ヴァンガードが好きなんだよ」
それから、先生はたくさん話した。どれも真琴の耳には入らなかった。自分自身が否定され、肯定されたんだと、だいぶ後になって気づいた。
由加は隣で涙を流していた。それでも、先生の話すことに、力強く頷いていた。
「真琴くん。これからたくさん大変なことがあると思う。けれどね、あなたはあなたなんだ。ちっともおかしいことなんてない、あなたが思ったように生きていこう」
そう言われても、そのときはよくわからなかった。看護師さんたちも泣いていた。当の自分だけ、よくわからないままぼんやりとしていた。
「・・・あんたが大きくなったら、話すことにしてたの。いままで、ごめんね・・・・」
家に帰ってから、由加がボロボロ涙を流して抱きしめてきた。それでも、よくわからなかった。
真琴は五年生に進級した。よくわからないまま、学校へ行くことにした。
陽菜乃ちゃんも、新しいクラスの子たちも、新しい担任も、真琴を迎えてくれた。後になって、由加が担任や陽菜乃ちゃんに事情を話し、「障害と言われたけど、上手につきあっていくから、どうか一緒につきあってください」とお願いしていた、と聞かされた。
陽菜乃ちゃんには毎日一緒に帰ろう、と言われた。嬉しかったのは、始めだけだった。
だんだんと、一緒に並んで帰ることが恥ずかしいというか、むず痒くなっていった。陽菜乃ちゃんと一緒にいること、お話することが、照れくさくなっていった。
家が反対方向なのにも関わらず、仲の良い男子たちと下校することが増えた。男子たちは妙な顔をしていたが、なぜか真琴自身はその方が落ち着いた。
あるときから、男子に教わり髪型を少しいじってみた。
「真琴ちゃん、髪もっと切ったらカッコ良くね?」
そう言われ、肩くらいまであった髪を耳にかかる程度まで切ることにした。通っていた美容室ではなく、床屋さんに切ってもらった。由加は微妙な表情を浮かべつつ、「凛々しくなったね」と笑顔を見せた。
次の日登校すると、男子が色めき立った。
「やべー、真琴ちゃんカッコ良い」
そう言って、本来禁止されている整髪料をつけられた。仕上がった髪を見て、真琴もまんざらではなかった。担任にはこっぴどく叱られたが、その日はなんだか嬉しくて楽しかった。
男子と遊ぶようになり、ゲームの腕前も人並み程度になると、学校での話題はそのことが中心になった。
女子とは・・・特に陽菜乃ちゃんとは、相対的に話さなくなっていった。
「真琴ちゃんが楽しそうにしてるんだもん、私も嬉しいよ」
そう言う陽菜乃ちゃんの顔は、どこかさみしそうだった。
六年生になり、中学進学の話題がクラスに漂い始めた頃、真琴は学校で問題を起こした。
違うクラスの意地悪な男子が真琴をからかってきた。オメー男みてぇ、宝塚・・・そんなことを言われても、真琴は堪えた。だが、お前胸出てきてね!?とあざけ笑ったことに、我慢ならなかった。
この男子にからかわれた女子は、大抵泣き出すか強く言い返すかしていた。だが真琴は手を出した。人を殴ったことなどなかったが、怒り任せに頬を殴りつけた。そこから取っ組み合いになり、誰かが先生を呼んでくるまで手を振り回した。
「やめなさい!女の子に何てことするの!」
隣のクラスの担任が怒鳴った。真琴は動きを止めた。しまった、とその先生は表情に浮かべたが、憎悪を込めた真琴の視線に顔を背けた。
お互いの親が呼ばれ、取っ組み合いの件はひとまず手打ちとなった。だが真琴は、次の日学校を休んだ。
心配した陽菜乃ちゃんが、放課後お見舞いにきてくれた。真琴は、それまでのように家に上げ、いろいろおしゃべりをしなかった。いや、できなかった。
「大丈夫だから!ウザいからもう帰って!」
何度も食い下がる陽菜乃ちゃんに、強く言った。顔を紅潮させた陽菜乃ちゃんは、強く踵を返していなくなった。
「あんた、女の子に何てこと言うの」
由加の言葉に、真琴は嗚咽を上げた。自分はいったい、何なのだろう・・・。
それから、真琴は再び学校へ行けなくなった。
小学校の卒業式、自分は女子の席に座り、スカートなんて履きたくない・・・そんな心配もせずに済んだ。卒業式すら、出席しなかったのだ。
前後して、そのまま中学校へ進学するに当たり、女子の制服であるスカートを着るべきか否か、小学校と中学校の教員、果ては区の教育委員までやってきた。
「そうおっしゃられても・・・区としても、前例のないことですからねぇ・・・」
この子には男子の制服を着させてほしい、と強く由加に言われても、情けなく答える教育委員と小中それぞれの校長を睨みつけ、真琴は部屋に閉じこもった。
中学校へは、1日も行かなかった。
陽菜乃ちゃんも、訪ねてくることはなくなった。
15歳になり、「学年も学校も枠がない、私服で通える民間のフリースクール」とやらを由加が紹介してくれるまで、真琴は家で家事をし、テキトーにゲームをし、ネットで動画を見たりする生活を送った。由加は一度も、そんな真琴を注意しなかった。
フリースクールとやらは、赤羽にあった。少し遠かった上、生徒は非行や犯罪歴があったり、軽い知的障害、統合失調症など、問題のある子ばかりだった。
生徒も先生も、みんな優しかった。だからこそ感じた。
この人たちは、他人に深く干渉しないんだ。だからこんな優しくできるんだ。干渉することは、ある種のタブーなんだ、と。
登校は週に3回、それなりに楽しかった。生徒の入れ替わりも激しかったが、それなりにうまく付き合えた。
干渉しなかったので。
そんなある日、下校時に陽菜乃ちゃんとすれ違った。浅草の公立高校へ進んだと聞いていたが、制服姿の陽菜乃ちゃんはすっかり大人びていた。
「真琴ちゃん、ひさしぶり!」
小学校以来の再会に、陽菜乃ちゃんは顔をほころばせた。
「元気だった?学校行ってるんでしょ」
矢継ぎ早に訊かれ、真琴は答えに窮した。激しく胸が波打ち、顔が熱くなるのがわかった。
「ごめん、急いでいるんだ」
ぶっきらぼうに言うと、真琴は走り出した。振り返らずとも、陽菜乃ちゃんがさみしそうに見つめる姿が目に浮かんだ。
「・・・ねぇ、今日陽菜乃ちゃんに会ったらしいじゃない?」
その晩に夕飯のカレーを食べながら、由加が訊いてきた。陽菜乃ちゃんか、はたまた彼女のお母さんにでも聞いたのだろう。
「せっかく久しぶりに会ったのに、話すことなかったの?」
責めるでもなく、ただ疑問を口にしたのだろう。だが真琴はスプーンを置いた。
「なあに?久しぶりで照れちゃった?」
「・・・そんなんじゃねえよ・・・」
怒気を込めた言葉に、由加はハッとしたように手を止めた。
「・・・じゃあ、どうしたの?」
なおも訊いてくる由加。真琴は乱暴に席を立ち、部屋へ戻ろうとした。
「知らない・・・わかんねぇんだよ、わかんない」
絞りだすように言うのが精いっぱいだった。部屋へ戻り、布団の中で泣いた。
陽菜乃ちゃんとは、それっきり顔を会わせていない。
次に会えたのは、彼女の告別式だった。
2019年6月。
入部していた吹奏楽部の遠征で列車に乗っていたとき、他の生徒ともども襲ってきたカマキラスの犠牲になったのだった。