年が明け、2022年を迎えた。
世界総人口75億の人類のうち、これまででもっとも多くの人間が重苦しく先の見えない絶望感に苛まれた新年を迎えることとなってしまった。
年が明けて2日目、かねてより財政危機が叫ばれていたカリフォルニア州が州債務の支払いを継続できなくなり、事実上の破産状態となった。
地方政府の独立性が高い米国においては、地方自治体のデフォルトは珍しいことではないが、全米最大の人口とGDPを誇るカリフォルニア州の財政破綻は米国経済に深刻な影響を及ぼすばかりでなく、行政や警察力の執行不能状態となりギドラ襲撃による被災地域の治安悪化に歯止めがかからず、もはや世界でもっとも治安の悪い地域となったことで、経済の回復はおろかさらなる無法地帯化が避けられぬ情勢となった。
またニューヨーク証券取引所はかかる事態を受けて、過去類を見ない株価下落に見舞われ、1929年の世界恐慌をはるかに上回る経済的パニックに陥った。普段は煌々たるニューヨークの摩天楼も、ビルからの飛び降り自殺防止のため午後4時以降は軒並み閉鎖され、折りからの電力不足も相俟って闇夜に不気味な墓標が聳え立つ街に変わってしまった。
1週間後の1月9日には、前年にギドラの襲撃を受けて主要都市が壊滅していたオーストラリア政府が自国での被災再建と行政執行権を放棄。オーストラリア全土は日本の関東地方に続いて国連管理区域となることが決まった。
ただし国連管理とはいえ事実上米国主導の被災復旧と治安維持が図られている日本と異なり、オーストラリア大陸へ派遣された国連軍の構成比は圧倒的に中国が勝っていた。一連の怪獣災害で米欧を中心とした西側諸国が計り知れない損失を被った中、世界でただ一国不気味なほどの経済成長を遂げている中国がオーストラリアに進出した事実は、中国による世界覇権主義の初手と見られていた。現にオーストラリアでは強引な治安維持と中国からイナゴのように渡ってくる中国人に現地住民の不満と不安がピークに達し、暴動と強権的な鎮圧が毎日のように報道されるようになった。
そして怪獣災害最大の被災国となった日本であるが、年明けから1ドル240円という超円安状態が続き、これまで以上に輸入へ頼っていた日本経済はもはや救いようのない奈落へと落ち込み続けていた(これでもカリフォルニア州破綻によって、米ドルが急降下したことで救われた部分すらあったのだが)。
ガソリン価格はレギュラーで1リットル280円を突破し、海外産の農産物が高騰したことで、ただでさえ希少となった国内産農産物が急騰。かねてより囁かれていた第二次大戦中及び直後以来となる食糧難の時代に足を踏み入れることになった。
各地で農作物・食料の奪取や闇取引が横行し、政府による適正価格買取の呼びかけや、異例とも言える農水省主導の価格・流通への安定介入執行も虚しく、また作物の生育が期待できない冬季を迎えたことで、食料の流通量そのものが減退。燃油価格高騰によりインフラが断絶し始めた地方では餓死者・凍死者すら出始めた。
そんな中、失われた東京に代わって日本の玄関となった大阪は、雪崩れ込んでくる中国の富裕層によって経済は近年類を見ないほど肥大化し続けていた。地価は往時の東京をはるかに上回り、郊外の1K安アパートですら家賃月額17万円という、異常ともいえる物価高を迎えた。もちろん給与が減り続ける日本人に支払える額ではなく、富める者が府内に住まい、貧しい者はより郊外を目指す、といった現象が加速していた。
アメリカ、日本と世界有数の経済大国が極めて不安定な経済状況を迎え、煽りを喰らう欧州諸国も経済対策に頭を抱える中、事実上世界唯一の超大国となった中国は不気味な動きを見せていた。
連日ニューヨークとロンドンの株価暴落が叫ばれる中、ベトナムとラオス国境に人民解放軍が侵攻。名目上は軍事訓練だったのだが、威圧感ある戦闘車両や装甲車が国境を越えていく様を、ベトナム、ラオス両軍は指を咥えて見ている他なかった。
また中国海軍は南沙諸島、台湾沖での軍事演習を活発化させた。通常であればすかさず米軍の偵察隊が発進し中国を牽制するところなのだが、軍事再編成を受けたことで米軍の対応が遅れ、結果的に『南沙諸島、台湾沖で中国が演習を始めても、米軍は介入しない』という既成事実が出来上がってしまった。
そして中国国営企業配下の商社連合は、世界各地で原油や小麦といった資源を高値で買い占め始めた。もはや中国の言い値に対抗できる国家も企業もなく、中国による物資価格の世界的な策定がじわじわと進みつつあった。
・2022年1月12日 14:36 大阪府大阪市中央区 大阪ビジネスパーク内 KGI損保本社
緑川杏奈が進藤と共にKGグループ社長の山路耕の介から呼び出されたのは、新成人が着慣れない振袖やスーツに身を包み大阪城ホールへ集まった1月12日のことである。
昨年からKGI損保を含めたKGホールディングスでは役員体制が一新され、緑川たち新役員は恒例の社長面談をすることになっていた。
「ねえ、大丈夫?」
緑川は一緒に歩き、しきりにネクタイを気にする新藤に声をかけた。
「大丈夫なワケないやろ。お前、よく緊張せんなあ」
普段大きいことを口にする割に小心者なところがある進藤は、こういうとき手先が落ち着かなくなる。そういえば入社式のときもこうだったな、と緑川は少し微笑んだ。
「一杯ひっかけてきたからね」
「おっ?お前、なんちゅうことしてんねん?」
「ウソウソ、冗談だって」
実のところ、緑川が言ったことは冗談でもなんでもなかった。前までは朝一番に栄養ドリンクを一気飲みして出社していたが、ここ数年では焼酎やウイスキーをあおってからでないと、まともに仕事ができない身体と精神状態になっていた。
社長室の前に立つと、進藤は大きく息を吸った。そんな進藤を尻目に、緑川はドアをノックする。
「お、おま・・・わしまだ心の準備できてへんねんけど」
小声で焦る新藤。「どうぞ」と、男性秘書の声がして、ドアが開いた。
「「失礼します」」
緑川と進藤が揃って頭を下げると、男性秘書は恭しく返礼し、応接間に2人を通した。既に社長の山路は応接間におり、窓の外から見える大阪城公園に目を馳せていた。
「社長、失礼します」
いつもと変わらぬ声色の緑川と対照的に、進藤はうわずった声で「失礼します」と頭を下げず言う。「新喜劇じゃないんだから」という緑川のツッコミに過剰に顔をしかめる進藤。
「見てごらん、2人とも」
山路は穏やかで温かそうな声で、2人に声をかけた。
「いろんな価格が上がった結果、振袖のレンタル代も去年の2倍近くになってるそうだね。それでも、数少ない若者たちは必死にお金を貯めて今日のために振袖と髪を整えてきてるんだ。こんな世の中にしてしまった私たち大人の責任は大きいと思う反面、若者たちは若者たちなりに状況を受け入れてなんとかしようとしている。巷で言われるように、将来、決して悲観ばかりじゃないと思わんかね」
それだけ言うと、「さあどうぞ、座りなさい」と2人を促す山地。一礼して腰を下ろすと、緑川と進藤は姿勢を正した。
「忙しいところすまないね。父の代から、こうして役員の率直な意見を聴く場を大切にしているものだから」
山路は一見すると大企業の代表とは思えない、穏やかで優しそうな笑顔で話す。
「いえ、私たちもこうして社長とお話できる機会を楽しみにしておりました」
緑川の臆しない性格は、山路にも伝わっていた。感心したようにウンウン頷く山路と、気が気でなさそうに緑川をあおぐ進藤。
「今年でもう2年になるか。東京を始めとした南関東が壊滅し、日本の中心がここ大阪に移り変わったのは。君たちもいろいろご苦労があったことと思う。どうだね、いまの仕事は?」
社長面談はあまり堅苦しいものではなく、雑談レベルであるとはきいていた。だが山路はただの好々爺ではなく、油断ならない部分もあるとも耳にしている。
「おかげさまで、責任ある立場になり、これまで経験したことを総動員して業務に当たっております」
緑川が答えた。
「緑川君は、加入再保険担当だったね。保険の切り替え提案や、支払い後のフォローを担当する部署だ。して、君になってから、その業務が以前より活発になっている、ときいたのだが」
思った通りだった。山路が切り出す話題は。
「加入再保険業務が活発になる、ということは、従来の保険契約について支払いが進んだということになる。もちろん、一昨年あんなことが起きたことだし、だからこそより魅力ある保険契約をお客様に勧めることは素晴らしいことだ。だが、いずれも一度は保険契約に従って保険金を支払ってからの話だからね。緑川君、君は保険会社というものをどういう存在だと捉えているかな?」
そう突きつけられても冷静な緑川と違い、進藤は顔に汗を浮かべ出した。昨年から、KGI損保の役員会でよく突っ込まれていた話題だったからだ。すなわち、緑川が役員になってからというもの、保険金支払いの速度と件数が上昇しているのだ。
「私は入社以来、保険会社とは万が一への備えになる役割を果たすべきとずっと考えて参りました。人は長い人生を送るうち、いろいろなことが起きるものです。予期せぬ事故や病気、はたまた災害。そんなときに困ることのひとつに先立つもの・・・すなわち資金の心配が尽きません。そんなとき、資金を出してお客様を安心させることが、私たちの役割だと思っております」
「うん、そうだね。まあ保険会社の常だが、今回のように大規模な災害が発生すると、あまりにも対象件数と支払い額が増えてしまうため、何かにつけて理由をくっつけて支払いを渋ったり、減額するのが常套だ。して、君の仕事を見ていると、どうもそういったことをせず契約通りキチンと進めているように思えていたのだが、やはり君の信念に基づいて実行した行為だったようだね」
「はい、間違いありません」
それが問題でしょうか、言外にそう匂わせて返事をした。
「そんな君の行動をだ、問題視する役員もいるようでね」
一杯茶を啜り、2人にも勧めてから山路は言った。
「私はあくまで、契約に則った範囲でのみ支払いをしております。個々の事情はもちろん精査しておりますが、あまつさえ難癖をつけるようにして契約より少ない金額を支払うことこそ問題ではないでしょうか。万が一の備えにならない保険会社には存在する意義はないと考えておりますし、もし支払いが多額で経営に支障が出るようでしたら、利率の上昇と資産運用で乗り切るべきです。そうしてお客様に満額、ないしは契約通り支払いをして、結果的に危機的状況を迎えている日本経済へ寄与していくのが、我々に求められていることではないでしょうか」
この席に限ったことではない、KGI損保の役員会で緑川が幾度も話したことだった。だが渋面、あるいは呆れ顔を浮かべる他の役員と異なり、山路はウンウンと話を聞き入れ、笑顔を浮かべた。
「当たり前のことを当たり前にやる。できるようでできないことだが、緑川君、君はそれを実践しているようだね。うん、私としても、君と考えは同じだ。もちろん、出て行く資金は気にするが、目先に囚われずやがて資金は還流してくるという発想を、我々は持つべきなのだろうな」
山路の言葉に、緑川は内心ホッとした。隣の進藤はそれ以上に安堵した表情を浮かべていた。
「今日もこれから経団連の会合なのだが、君の考えを披露させていただくとしよう。この時勢、本当に我々が果たすべきことは何ですか、とね。いやどうも、他の企業の社長連中が口にすることはわかるのだが、もはや国家存亡の事態となっても自身の任期中は保守的、保身ばかり、ひたすら問題を起こさない姿勢ばかり感じられてね。怪しからん話だ」
そこで茶を一杯含むと、すかさず秘書がお代わりを用意する。お茶の苦味とまろみを存分に味わうように目を瞑る山路。この絶妙な間が、時に相手へ興味と緊張感を高める作用を果たしている。
「なあ、緑川君、進藤君。日本は、そして私たち日本人は過去、欧米列強との戦争に負け、ゴジラとアンギラスによって2度も帝都を焼かれ、それでも復活を果たしてきた。そしてここ2年、それらの被害に匹敵する・・・いやそれ以上の災厄に見舞われた。どうだろう、今度こそ、真に日本は生まれ変わるべきだとは思わんかね?」
山路はにこやかな目を鋭く光らせた。
「過去何度も、考えを改める機会があったにも関わらず、日本は経済的成長ばかり追求し、真に追求すべき精神的成長を果たそうとしてこなかった。世の話題を見渡してみたまえ、やれ、どこで経済的苦境から自殺者が出ただの、企業倒産件数が戦後最大に達しただの、気が滅入るような話題ばかりだ。先代の社長・・・私の父だが・・・ゴジラとアンギラスに工場を含めた本社社屋を破壊されたときも、『必ず会社を復興させて大阪の発展に寄与する』と言って憚らなかった。当時も、能天気だのなんだのとだいぶ周囲から叩かれたものだが、結果的に海洋漁業KKは日本有数の企業に成長できた。これは父が常々、語っていたことだ。『耕の介、良いかい?他所様が何を言おうと、自分が正しいと思ったことは貫き通しなさい。ただし正しい答えを見つけ出すまで、とことん考え抜きなさい』・・・・・緑川君、君のように信念を持ち、自分で答えをつかんで仕事に当たれる人間が我が社に、いや、この日本にどれほど存在するやら・・・・・」
山路は遠い目をして、席を立った。外の大阪城公園では、成人式が終わったのか久しく見なかった若者たちが色とりどり、華やかな衣装で談笑したり、記念写真に興じている。
「うん、君の考えを聴けただけで、私は嬉しい。今日の経団連会議でもしっかり話をさせてもらおう。ああ、進藤君。もちろん君の実績にも注目しているよ」
「へっ?い、いや、そんな私なんぞ・・・・」
「何を言うのかね。先日の会議で、『真っ先に怪獣被害を受けたウチらこそ、怪獣被害保険の先駆者となって世界に売ってくで!』と吠えたそうじゃないか。実際、君がコネを持つロンドンでは我が社の怪獣保険契約がうなぎ上りのようだね。その意気だよ。うん」
進藤は顔を真っ赤にさせ、「こ、こ、光栄です!」と素っ頓狂な声を上げた。
・同時刻 大阪府大阪市中央区大手前 大阪府庁舎5階
「以上、経産省による来年度の復興計画案でした。ご質問があれば、どうぞ」
佐間野による説明が終わると、座長を務める望月が列席の閣僚に問いかけた。誰ひとり、質問を発する者がいなかった。計画はケチのつけようがないものだし、そもそもこの閣議は先に結論ありきの既定路線をひた走るものである。野党でもあるまいし、難癖をつけて計画を阻害するなどできようはずもない。
「では以上で、本日の閣議を終了します。以後業務連絡ですが、この後15時30分よりホテル阪急インターナショナルにて、経団連との会合がございます。出席される閣僚の方はお支度くださいました上、ご移動をお願いいたします」
望月はメガネを外し、そう話した。瀬戸総理と佐間野に秘書官が数名駆け寄り、経団連との会談内容のおさらいを矢継ぎ早に話し始める。
概要を聴いて経団連会議へ出席するべくゆっくり立ち上がる閣僚に、慌ただしく荷物をまとめてくっついていく幾人かの秘書官と、泰然として正面と背後に回るSP。
「やれやれ、お若いのにもうすっかり、内閣の重鎮だな。佐間野さんも」
メガネを拭きながら、岡本文部科学大臣がボヤいた。
「まあ、日本復興の要となるポジションに就いている上に、事実上防衛大臣も兼ねてますからなあ」
氷堂外務大臣が苦笑いしながら答えた。昨年10月、国会答弁中に脳溢血を発症して倒れ、政治家を引退せざるを得なかった奈須野前防衛大臣の後任には、当時防衛政務官を務めていた駒野が昇格してその任に就いた。だが駒野は44歳、当選3回目のヒヨッコ議員である上、佐間野陣営から強力な選挙応援を受け当選した、いわば佐間野子飼いとされる人物であり、口さがない議員や党職員の中では「佐間野先生の傀儡」呼ばわりされる始末だった。
実際、将来的な米国製の新兵器導入は佐間野がトップである経済産業省主導で行われていることもあり、佐間野の言う通りにしか大臣職を進められない実情がある。経験不足も相俟って、駒野は現瀬戸内閣の顔ぶれではもっとも存在感に乏しい人物だった。
本来経団連との会合には防衛大臣が出席する機会はないはずだが、将来的に米国企業であるガルファー社から購入することになるメーサー戦車の打ち合わせの席として、そして佐間野の忠実な太鼓持ちとして駒野は出席する手筈が整えられたのだ。
「ホント、すっかり偉くなっちゃいましたよねえ」
閣議の資料に目を落としながら、北島が同調した。佐間野とは年齢が近く、また同期当選を果たして以降政治家としてのキャリアも似たような部分があったため、彼女の声色からは複雑な心境が読み取れた。
「しかしまあ、ガルファー社の後ろ盾を得て国内産業の隆盛と、臨時とはいえ首都大阪の地価上昇及び超円安をむしろ好機として捉え、世界中の投資を大阪へ集中させて国力を回復させるというのは、この時勢に於いては悪くない発想でしょうしなあ。そこを実現させ得るだけの力もあるでしょうし」
氷堂が天井を仰いでつぶやくと、「あのー」と背後から声がかかった。首都が大阪へ遷って以降、内閣参与として閣議に参画している大阪府知事の原田だった。
「私の立場上、申し上げ難い部分なのですが・・・」
顔を俯けがちながらも、原田の口調は確固たるものだった。
「いまの大阪は物価が高騰し、これまで普通に暮らしていた府民が満足に食糧も買えない、1DKのアパートを借りるにも金銭的に苦労するほどになりました。豊かな暮らしを送れるのは一握りの府民・・・いやそれだって、所得以上に物価高が進行してこれから同水準の生活を送れる保証はありません。満足に生活できるのは訪日外国人や外国の駐在員くらいなものです。グローバル化を謳い文句に国策として大阪を変えていくといいますが、それは私たち大阪府民の暮らしを土台にしたものなのでしょうか」
原田の弁舌は熱を帯びていた。それ以上に、府民の怨嗟をすべて吸収して吐露したようにも思えた。
「大臣方、私は今日も、いやいままでもずっと大阪のためと思って国が進めようとする政策に黙ってついていこうとしてました。ですが、どうしても我慢ならないんです。このままじゃまるで、大阪が大阪ではなくなるのではありませんか?」
そうは言っても・・・そんな表情で氷堂と岡本は顔を見合わせたが、北島は真剣な眼差しで原田が繰り出す言葉に向き合っていた。
「日本という国家のため、大阪は大阪の個性を喪うことになってしまう。そんな府民の声を耳にします。我々は大阪府民のために働いてますから、直に聞こえてくるんです。そりゃあ、国全体を見渡さなくてはならないみなさん方にも、ご事情があることは充分理解しています。しているんですが・・・!」
原田は言葉に詰まり、やがて「・・・いやはや、熱くなってしまいました。いまの件、忘れてくだすっても良いですが、少しでも大臣方の心の片隅に残るのなら」と消え入るような声で言うと、頭を下げて退室していった。
「まあ・・・原田さんのおっしゃることもわかるんだが、もう止めようがないものなあ」
岡本がつぶやいた。
「しかし、原田さんがおっしゃるような、地方が地方らしさを喪う事例。総務省の長として今回の件に限らずとも、いくつか事例を見てきました」
地方を統べる立場にある北島が言った。
「ご心中はお察しするが、いまは地方らしさとか言っている場合ではない。まずは国家の存続を第一に考えなくては」
銀縁メガネを直して資料に目を落としながら、氷堂が言った。
「いつまで、こんな状態が続いていくんでしょうか」
北島がため息のごとく出した言葉に、氷堂も岡本も答えられなかった。
・同日 18:57 京都府京都市右京区嵯峨観音寺 茶懐石「翁庵楼」
一昨年のギドラ襲来以降、どういうわけか日本列島は平均気温が軒並み3〜5℃上昇していた。夏は激しい酷暑に、冬は暖冬傾向にあったのだが、ここ数日の京阪神地方は身を切るような冷たい風が吹き荒び、今日夕方には風が治まったのと入れ替わるように凍てつく空気が京都盆地を支配した。京都盆地のやや高台にあり、夜になると市街地を一望できるこの料亭に、経団連との会合を終えた瀬戸と望月の乗った高級車が到着する頃には、キラキラ輝く細やかな雪がチラつきだしていた。
車を降り、茶楼の玄関に案内されるわずかばかりの時間にも、2人の肩に雪が残る。身をすくめながら入ると、奥の座敷に座っている老人が泰然と日本酒に口をつけていた。
大澤蔵三郎。日本政界に隠然たる力を持ち続けるその老人は、瀬戸と望月が頭を下げても応えず日本酒を嘗めるように嗜むばかりだった。
「ここ京都も、成人の儀だったようだな」
ふいに口を開く。瀬戸と望月は言葉を発することなく同調する。
「一見、暗い世の中に差した明るい話題のように思えるが、衣服を新調して成人の儀に出られる若者なぞ、経団連関係者のような大企業勤めを親に持つような者たちしかおるまい。ほとんどの若者は今日が成人の儀だとしってか知らずか、明日の日銭を稼ぐことに精一杯なはずだ。あるいは、米国の尖兵として軍事訓練に勤むしかあるまいて。そして彼らの親世代、祖父母世代も、年老いたからと優雅に暮らす暇もなく働き続けなくてはならぬ。なんたる世になってしまったことか」
大澤自身、こうした世の中を経験するのは3度目なのだ。それもいま現職の政治家と異なり、ある程度の年齢になって終戦後の混乱とゴジラ襲来後の大不況を味わっている。
「今度ばかりは、日本が割譲され明日はおろか数年先も読めない事態となってしまった。どうにかして日本の国体を維持せんと奮闘した先達たちに、もうしわけが立たぬ」
長くなるから食べなさい、そう瀬戸と望月に促したのだが、上品で洗練された茶楼の料理も、大澤の言葉の前には砂の味に等しかった。
「本題に入ろう。君たちはいつまで、ガルファー社を頼りに日本を復興させるつもりかね?」
やはりその話題だったか・・・時の首相すら平気で呼びつけ、今後の日本の在り方を話し合ってきた日本の裏の権力者は、進駐軍のこれ以上の参画を大いに嫌っているのだ。
「先日、衆参両院を可決した復興法案は5年間の時限立法です。それまでの間に筋道をつけ、ガルファー社果ては米国の参画なく日本の領土と経済を復興させる方向でございます」
瀬戸が答えると、その言葉を幾度も噛み砕くように目を閉じて頷く。大澤はいまだ病気ひとつせず矍鑠としているが、さすがに年齢による反射速度の低下を瀬戸と望月は感じ取っていた。
「計画通り、進められる見込みはあるかね?」
「は。既にガルファー社とは計画の策定はおろか、旧遠州地域を復興特区とした実証を進めております。無論、米国政府の理解と協力を得たものでございます」
「んん。ところで、ガルファー社と日本政府との橋渡しになっている若いのがいるそうだが」
「はい。たしかに、先代の頃より米国企業、とりわけ軍産複合体や金融機構と関係が深い地盤を持つ男が現在の復興の旗振り役でございます」
「んん。そのことなのだが・・・」
大澤はチラリ、と望月に視線を向けた。瀬戸がその視線を追うと、望月は静かに目を閉じた。
「なんにせよ、1日も早くこの国から国連を隠れ蓑にした米国を追い出していく必要がある。それが叶ったときこそ、我が国家はより独立国として歩んでいく第一歩になる。戦後77年に及ぶ事実上の属国から抜け出さんとする良い機会になる。現内閣には、その点を推し進めてもらいたいものだ」
そう言って大澤が合図すると、柔道選手のような大澤の従者が襖を開け放った。隣席には日本の影の重鎮が3人。いずれも首相経験者、元財界総理、そして日本最大の右翼団体である誠和会の現会長が座していた。
「いいかね、これは現職の君たちを糾弾すべく揃えた人材ではない。明日のこの国を如何に良くしていき、立派な若者を育てていくか、今晩はとことん話し合ってもらいたい」
大澤が言うと、それぞれが座した姿勢のまま頭を下げてきた。瀬戸と望月も同じように返す。
「総理、お話の前に少し中座させてくださいますか」
いざ向き合おうとしたとき、望月が瀬戸に囁いた。瀬戸が首を縦に振ると、望月は一度立ち上がって大澤たちに一礼すると、玄関わきの茶楼で待機している自身の秘書官たちに何かを告げた。
2、3電話したいところがあるのだ。