時間は流れ、四月上旬。
ついに、IS学園への入学初日を迎えた。
「皆さん、揃っていますねー。それでは、
黒板の前でにこやかに微笑むのは、1年1組の副担任、山田真耶先生だ。
小柄な体格に、やや童顔な顔立ち。黒縁眼鏡を掛けていなければ、とても教師には見えない容姿をしている。
本人としては大人っぽく見せるために眼鏡を掛けているのかもしれないが、少々ずれているせいで、むしろ幼さが際立っている気がする。
そして、もう一つ特徴を挙げるとするならば――その小柄な体格には不釣り合いなほどの、見事な胸部装甲だろう。
「それでは皆さん、これから一年間、よろしくお願いしますね!」
「はい。よろしくお願いします」
山田先生の挨拶に返事をしたのは、俺だけだった。
……おいおい。挨拶は人としての基本だろう? これから一年間お世話になる先生なんだから、もう少し愛想よくしてもいいんじゃないか?
そんなことを考えていると、山田先生がぱっと顔を輝かせた。
「は、はい! よろしくお願いしますね、士道君!」
どうやら、俺が返事をしたことが相当嬉しかったらしい。
……もしかして、この先生、生徒になめられているのではなかろうか。
「じゃ、じゃあ、自己紹介をお願いしますね。出席番号順でいきましょう!」
先生の言葉を聞きながら、俺はそっと周囲を見渡した。
教室内にいるのは、俺を除けば全員女子生徒。
当然といえば当然だ。世界で唯一、男性でISを操縦できる人間が現れたことで、世間は大騒ぎになっている。
そして、俺の隣には、もう一人の男性操縦者がいる。
織斑一夏。
こいつがISを動かしてしまったせいで、俺までこうしてIS学園に通う羽目になったわけだ。
いや、別に学園生活そのものが嫌なわけじゃない。
ただ、入学前から散々騒がれてきた身としては、周囲から向けられる好奇の視線に、いまだ慣れないのである。
(……同性がもう一人いるのは、せめてもの救いか)
そう思ってから、隣の一夏を見た。
(いや、そもそもお前がISを動かさなければ、俺までこんなことにはならなかったんだが……)
そんなことを考えていると、不意に教室内に大きな声が響いた。
「織斑一夏君っ!」
「は、はいっ!?」
「っ!?」
山田先生の大声に、一夏が肩を跳ねさせる。
そして、なぜか俺まで反射的に肩を震わせてしまった。
やめてくれ。こっちまで驚くだろうが。
周囲からは、くすくすと笑い声が漏れる。
一夏も居心地が悪そうに肩をすくめていた。
そう、今はこれから一年間を共に過ごすクラスメイトへの自己紹介の時間。
つまり――この空気の中、俺もいずれ自己紹介をしなければならないわけである。
「……マジで言ってる?」
思わず、小さく呟いてしまった。
順番が来ればやるしかない。そんなことは分かっている。
分かっているのだが……この雰囲気で自己紹介をするのは、なかなかに厳しいものがある。
「あっ、あの、お、大声を出しちゃってごめんね!? も、もしかして怒ってるかな? ごめんね! でも、自己紹介が『あ』から始まって、今は『お』の織斑君なんだよね。だから、自己紹介してくれるかな? だ、駄目かな?」
……うん。
この弱腰な態度が、生徒になめられる原因なのではないだろうか。
もちろん、初めて担任する生徒たちを前に緊張する気持ちは分からなくもない。だが、もう少し堂々としてほしいものである。
「あの、そんなに謝らなくても……。自己紹介しますから、落ち着いてください」
「ほ、本当? 本当ですか? や、約束ですよ!」
そう言うなり、山田先生はガバッと顔を上げ、一夏の手を取って身を乗り出した。
先生、落ち着いてください。
そして、今度は一夏に視線が集中している。
当の本人は困ったように頬を掻きながら、ようやく自己紹介を始めた。
「えーっと……織斑一夏です。よろしくお願いします」
……うん。名前は言えたな。
しかし、当然ながら、それだけで女子生徒たちが満足するはずもない。
教室中から『えっ、もう終わり?』『ほかには?』とでも言いたげな視線が一夏に突き刺さっている。
おい、一夏。
まさか、それで終わりじゃないよな?
周囲の期待を察したのか、一夏は深く息を吸い込んだ。
そして、わずかな間を置いて――
「以上です」
ガタタッ!
教室のあちこちで、女子生徒たちが盛大にずっこけた。
踏みとどまった者もいれば、机に突っ伏す者もいる。
そして、俺は勢い余って額を机にぶつけた。
(もう少し喋れよ! 期待させておいて、それだけかよ!)
いや、自己紹介としては間違っていない。間違ってはいないのだが、もう少し何かあるだろう!
そんな一夏の背後に、一人の女性が音もなく近づいていた。
手に持っているのは出席簿。
そして――
バシィッ!
「げぇっ、関羽!?」
「誰が三国志の英雄だ。馬鹿者」
本日二度目となる出席簿アタックが、一夏の頭に炸裂した。
……いや、出席簿から出ていい音じゃないだろ、それ。
低く、威圧感のある声。
あの人には、絶対に逆らわないほうがよさそうだ。
「あ、織斑先生。会議はもう終わられたんですか?」
「ああ。すまなかったな、山田君。クラスへの挨拶を押し付けてしまって」
……ん?
さっきまで一夏の頭を出席簿で叩いていた人と、同一人物とは思えないほど優しい声だ。
「い、いえ! 副担任ですから、これくらいはしないといけませんから……」
山田先生も、どこか照れくさそうに微笑んでいる。
なるほど。教師同士の関係は良好らしい。
そんなことを考えていると、女性――織斑先生が教壇の前に立った。
「さて、諸君。私がこのクラスの担任を務める、織斑千冬だ」
その瞬間、教室の空気が引き締まる。
「君たち新人を、一年で一人前のIS操縦者に育て上げるのが私の仕事だ。私の言うことをよく聞き、よく理解しろ。できない者には、できるまで指導してやる」
そこで一度言葉を切り、千冬先生は教室を見渡した。
「……ああ、逆らっても構わん。ただし、私の指示には必ず従え。いいな?」
……無茶苦茶だ。
教師というより、完全に鬼教官じゃないか。
しかし、そんな俺の感想とは裏腹に――
「「「キャーーーーッ!!」」」
「ッ!?」
教室中から、一斉に黄色い歓声が上がった。
耳が痛い!
お前らの声帯には、何か兵器でも仕込まれているのか!?
「本物の千冬様よ!」
「ずっとファンでした!」
「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです! 北海道から!」
「お姉様のためなら死ねます!」
「抱いてー!」
……気づいてくれ、女子生徒の皆さん。
ほかのクラスにも迷惑だし、何より当の千冬先生の顔が引きつっているぞ。
「……はぁ」
千冬先生は深々とため息をついた。
「毎年毎年、よくもこれだけ馬鹿者が集まるものだ。ある意味、感心するぞ。それとも何か? 私のクラスにだけ、馬鹿者を集中させるように仕組んでいるのか?」
しかし、そんな言葉で女子生徒たちが静かになるはずもなかった。
「お姉様、もっと叱って!」
「もっと罵って!」
「でも、時には優しくして!」
(……駄目だ、こいつら)
織斑先生に会えて嬉しいのは分かった。
分かったから、せめて声量を落としてくれ。
何度でも言うが、迷惑だからな。
「……で、だ」
千冬先生の視線が、一夏へと向いた。
「お前は挨拶も満足にできんのか」
「千冬姉、俺は――」
バシィッ!
本日三度目の出席簿アタック。
「学園では織斑先生と呼べ」
「……はい、織斑先生」
……なるほど。
名字が同じだから気にはなっていたが、二人は姉弟だったらしい。
一夏の反応を見る限り、事前に知らされていなかったのだろうか。
それにしても、身内相手でも容赦がない。
千冬先生、恐るべし。
そして、このやり取りをきっかけに、教室のあちこちから疑問の声が上がり始めた。
「え……? 織斑君って、あの千冬様の弟なの?」
「じゃあ、男性でISを使えるっていうのも、何か関係があるのかな?」
「でも、もう一人いるよね?」
「もしかして、士道君の家族もすごいIS操縦者だったりするのかしら?」
(……残念ながら、うちの家族にISパイロットはいないんだよな)
企業関係者ではあるが、織斑家のような操縦者一家というわけではない。
もっとも、うちの場合は別の意味で面倒な事情があるのだが……。
「さて、SHRはこれで終わりだ」
千冬先生がそう告げた。
ようやく解放されるか。
そう思ったのも束の間だった。
「……と言いたいところだが、このクラスにはもう一人、男性操縦者がいる。最後に自己紹介をしておけ、士道」
……ですよねー。
「よろしいので?」
「むしろ、今言わなければ休み時間がなくなるぞ」
「それもそうですね。ちなみに、あのことも話して構いませんか?」
「構わん」
「では、失礼して……」
逃げ切れるとは思っていなかったが、やはり甘くはなかった。
俺は小さく息を吐き、席を立った。
教室中の視線が、一斉にこちらへ集まる。
……この感覚には、いつまで経っても慣れそうにない。
「士道優紀です。千葉出身で、趣味は読書。勉強は、まあ、それなりにできます」
まずは当たり障りのない情報から。
「そして、皆さんもご存じのとおり、俺もISを操縦できます。……ただ、俺の場合は偶然動かせてしまった、というのが正しいんですけどね」
ここまでは、予想の範囲内だろう。
「それと、俺は企業所属のパイロットでもあります」
教室が、わずかにざわついた。
まあ、ここまでは想定どおり。
「これから一年間、よろしくお願いします」
俺は一礼し、顔を上げた。
そして、最後に一言だけ付け加える。
「ちなみに、所属先は『Re:RISE』です」
――一瞬、教室が静まり返った。
「……え?」
「い、今……Re:RISEって言った?」
「うちの会社だよ」
そう答えた瞬間。
「「「えええええええっ!?」」」
教室が爆発した。
「もう企業にスカウトされてるの!?」
「ち、ちなみに、どこの会社!?」
「だから、『Re:RISE』だって」
「えっ、あのRe:RISE!?」
「今、最も注目されてるIS企業の一つじゃない!」
「ちょっと待って! 今、『うちの会社』って言わなかった!?」
「うん。言ったね」
俺は苦笑しながら、もう一つの事実を明かした。
「言葉どおり、俺は『Re:RISE』の御曹司ってことで合ってるよ」
「「「ええええええええええっ!?」」」
……うん。
騒がしい。
とにかく騒がしい!
千冬先生が登場したときにも負けないほどの大騒ぎである。
いや、原因は分かっている。
間違いなく、俺だ。
(……もう少し言い方を考えるべきだったか?)
いや、別に嘘をついたわけでもないし、隠し通すつもりもなかった。
それに、千冬先生から許可ももらっている。
だから、これは仕方のないことなのだ。
……仕方のないこと、なのだが。
「士道君! Re:RISEって、どんな会社なの!?」
「専用ISは持ってるの!?」
「いつからパイロットをしているの!?」
「御曹司ってことは、社長の息子さん!?」
「好きな食べ物は!?」
質問の洪水が、容赦なく押し寄せてきた。
「いや、ちょっと待って! 一つずつ! 一つずつ答えるから!」
……駄目だ。
まったく収まる気配がない。
結局、その後の俺は休み時間が終わるまで質問攻めに遭い、まともに一息つくことすらできなかった。
入学初日。
これから始まる学園生活に、少しばかり不安を覚える俺だった。