入学初日。
ホームルームが終わり、教室内が休み時間特有のざわめきに包まれ始めた頃。
俺は教科書とノートを机の上に並べ、次の授業の準備をしていた。
すると、不意に隣から声をかけられた。
「なあ、ちょっといいか?」
「ん?」
顔を上げると、そこにいたのは黒髪の男子生徒――織斑一夏だった。
このIS学園で、俺と同じく男子生徒として入学した、もう一人の人間である。
「えっと、まだちゃんと自己紹介してなかったよな。俺は織斑一夏。よろしく!」
そう言って、一夏は気さくに笑いながら手を差し出してきた。
俺もその手を握り返す。
「士道優紀だ。よろしく、一夏」
「優紀か。じゃあ、俺のことも一夏って呼んでくれよ」
「分かった。俺も優紀でいい」
「おう!」
互いに名前を呼び合っただけだが、少しだけ距離が縮まった気がした。
それにしても、こうして改めて見ると不思議な光景だ。
周囲を見渡せば、教室にいる生徒のほとんどが女子。
その中に男子が二人だけというのは、やはり普通ではない。
「しかし、まさか男子が二人しかいないとはな……」
「本当だよな。俺も入学するまでは、こんなことになるなんて思ってなかったよ」
「俺もだ。まあ、せっかく入学したんだ。お互い頑張ろうぜ」
「そうだな。分からないことも多いけど、よろしく頼むよ」
「こっちこそ」
俺たちは軽く笑い合った。
これから始まる学園生活。
面倒なことも多そうだが、少なくとも話のできる相手がいるのはありがたい。
……まあ、この時点では、これからどれだけ騒がしい日々が待っているのか、俺はまだ知らなかった。
* * *
やがて予鈴が鳴り、生徒たちが席へと戻っていく。
教壇に立ったのは、柔らかな笑みを浮かべた小柄な女性教師だった。
「皆さん、席に着いてくださいねー。それでは、ISの基礎について授業を始めますよー」
山田真耶先生。
このクラスの副担任であり、ISの基礎教育を担当する教師だ。
山田先生は教科書を開き、ISの基本的な操作方法や、操縦者の認証、機体の起動に関する説明を始めた。
俺はノートを開き、先生の説明を聞きながら要点を書き留めていく。
ISの基礎知識については、入学前からある程度勉強していた。
仕事の関係で触れる機会があったこともあり、完全な初学者というわけではない。
もちろん、知識があることと、実際にISを自在に動かせることは別問題だ。
座学で理解できても、実際の操縦では思いどおりにいかないこともあるだろう。
だからこそ、基礎をおろそかにするつもりはなかった。
「ISは、操縦者の生体情報などをもとに認証を行い、使用者に合わせて機体を制御します。機体の性能を十分に引き出すためには、機体そのものへの理解も大切なんですよー」
先生の説明に合わせて、俺はノートに補足を書き込む。
その一方で、隣の一夏はというと……。
「…………」
教科書と黒板を交互に見つめ、完全に頭を抱えていた。
どうやら、かなり苦戦しているらしい。
まあ、無理もない。
ISを動かせることと、ISについて詳しく知っていることはイコールではないのだから。
しばらくして、山田先生がこちらを見た。
「士道君、ここまでの説明で分からないところはありませんか?」
「はい。今のところは大丈夫です。もし疑問点が出てきたら、後で質問させてください」
「分かりました。予習をしてきたんですね。とてもいいことですよー」
「ありがとうございます」
先生は嬉しそうに頷き、今度は一夏の方へ視線を向けた。
「織斑君はどうですか? 少し難しかったでしょうか?」
「えっと……正直、ほとんど分かりません!」
……おい。
もう少し取り繕う努力をしろ。
教室のあちこちから、困惑したような声が上がった。
「えっ、あれだけ説明してもらったのに?」
「本当に大丈夫なのかしら……」
「でも、ISを動かせるんだよね?」
女子たちの視線が一斉に一夏へ集まる。
一夏は居心地が悪そうに頭をかいた。
「いや、その……ISを動かせるのと、勉強ができるのは別っていうか……」
「まあ、そういうこともありますよねー」
山田先生は苦笑しながら、もう一度教科書の該当箇所を説明してくれた。
その間も、一夏は必死にノートを取っていた。
……うん。
少なくとも、やる気はあるようだ。
なら、あとは本人の努力次第だろう。
* * *
授業が終わり、休み時間。
俺がノートを整理していると、一夏が机を寄せてきた。
「なあ、優紀。さっきの授業なんだけどさ……」
「分からなかったんだろ?」
「うっ……。そ、そのとおりです」
「正直でよろしい」
「いや、そこは少しぐらい慰めてくれてもいいだろ!」
「慰めて理解できるようになるなら、いくらでも慰めるぞ」
「ひどい!」
大げさに肩を落とす一夏に、思わず笑ってしまった。
「まあ、冗談はさておき。どこが分からなかったんだ?」
「えっと……最初から最後まで?」
「よし、まず教科書を開け」
「はい……」
俺は一夏の教科書を指さしながら、授業で扱った範囲を確認させた。
「いいか。一度に全部覚えようとするな。まずはISがどうやって操縦者を認証するのか、そこから理解していけばいい」
「なるほど……」
「それと、俺が全部説明して終わり、っていうのも駄目だからな。自分で教科書を読んで、分からないところを整理する。そのうえで質問しろ」
「えー……」
「えー、じゃない」
「分かったよ。ちゃんと勉強します……」
不満そうではあるものの、一夏は教科書に目を落とした。
俺だって、最初から何でも知っていたわけではない。
調べて、覚えて、分からないところを一つずつ潰してきた。
だからこそ、最初から誰かに頼りきりになるのは勧められない。
もちろん、分からないことを質問するのは悪くない。
ただし、自分で理解しようとする努力は必要だ。
そんなことを考えていると、一夏の背後から声がかかった。
「一夏。少しいいか?」
振り向くと、長い黒髪をポニーテールにした少女が立っていた。
篠ノ之箒。
どこか凛とした雰囲気をまとった少女で、先ほどから一夏の様子を気にしていたらしい。
「箒? どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもない。先ほどの授業だ。お前、まったく理解できていなかっただろう」
「うっ……」
「まったく。ISを動かせるからといって、勉強をおろそかにしていい理由にはならんぞ」
正論である。
一夏も反論できないのか、気まずそうに頬をかいた。
「いや、俺だってちゃんと覚えようとは思ってるんだぞ?」
「なら、なおさら努力しろ」
箒の言葉は厳しいが、心配しているのだろう。
少なくとも、俺にはそう見えた。
「まあまあ。最初から全部理解できる奴ばかりじゃないだろ」
俺が口を挟むと、箒はこちらを向いた。
「……君は?」
「ああ、悪い。自己紹介がまだだったな」
俺は席から立ち上がり、姿勢を正した。
「士道優紀だ。よろしく、篠ノ之」
「私は篠ノ之箒だ。よろしく頼む」
箒は一度頷いた。
「それで、士道。先ほどの授業は理解できていたのか?」
「一通りはな。入学前に少し勉強していたから、基本的なところは分かる」
「そうか。なら、一夏に教えてやればいいのではないか?」
「質問に答えるくらいなら構わないさ。ただ、最初から最後まで俺が教えてしまったら、一夏自身のためにならないだろ」
「……それは、そうだな」
箒は納得したように頷いた。
「一夏。聞いたか? まずは自分で勉強しろ」
「はいはい、分かってるって」
「返事は一度でいい!」
「はいっ!」
……うん。
この二人、なかなか騒がしい。
ただ、付き合いは長いようだし、箒も一夏のことを放っておけないのだろう。
俺は苦笑しながら、再び席に座った。
* * *
「失礼いたしますわ。少々、よろしいかしら?」
その声が教室に響いた瞬間、周囲の空気が変わった。
優雅な足取りでこちらへ歩いてきたのは、金色の髪を縦に巻いた少女だった。
整った顔立ちに、自信に満ちた表情。
その姿を見た女子たちが、小さくざわめく。
「セシリアさんだ……」
「イギリスの代表候補生よね?」
セシリア・オルコット。
イギリス代表候補生として知られる少女だ。
俺も入学前に彼女について調べたことがある。
代表候補生という立場は、単に国から選ばれたというだけではない。相応の実力を認められ、厳しい訓練や努力を積み重ねてきた者に与えられるものだ。
もっとも、肩書きだけで実力のすべてが決まるわけではないが。
セシリアはまず一夏と箒に視線を向けた。
「織斑さん、篠ノ之さん。少しお話ししたいことがあるのですが……」
そこで、俺の存在に気づいたらしい。
「あら? こちらの方は?」
「ああ、俺の友達だよ」
一夏が答えるより先に、俺は立ち上がった。
「士道優紀だ。よろしく、セシリアさん」
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしはセシリア・オルコットですわ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
セシリアは少し意外そうに目を瞬かせたあと、上品に微笑んだ。
「まあ。随分と礼儀正しい方ですのね。織斑さんとは大違いですわ」
「おい、俺だって挨拶くらいするぞ!」
「先ほどの授業で、先生に『ほとんど分かりません』と堂々とおっしゃっていた方が何を言っているのかしら?」
「ぐっ……!」
「一夏、そこは言い返せないだろ」
「優紀まで!」
箒が小さくため息をつく。
「一夏。日頃から少しは勉強しておけばよかったものを」
「分かった、分かったって……!」
セシリアは俺たちのやり取りを見て、くすりと笑った。
「ふふっ。仲がよろしいのですね」
「まあ、ついさっき友達になったばかりだけどな」
「えっ、そうなんですの?」
「そうそう。自己紹介したばかりなんだ」
「それなのに、随分と息が合っていますわね」
「こいつが分かりやすいからな」
「どういう意味だよ!」
一夏の抗議を聞き流しながら、俺はセシリアへ向き直った。
「それで、セシリアさん。俺たちに何か用か?」
「ええ。先ほどの授業について、少し気になりまして」
セシリアの視線が一夏へ向く。
「織斑さんは、ISについてあまり詳しくないご様子でしたわね」
「うっ……。まあ、そうなんだけど」
「ISを動かせるというだけでは、十分とは言えませんわ。操縦者としての知識も身につけていただかないと」
「それは俺も分かってるよ。だから勉強しようとしてるんだ」
一夏の声には、先ほどまでの軽さとは違う真剣さが混じっていた。
セシリアは少しだけ目を細めた。
「……そうですか。それなら、結構ですわ」
その後、彼女は俺へ視線を戻した。
「ところで士道さん。先ほど、わたくしのことをご存じのようでしたが?」
「イギリスの代表候補生だろ? 入学前に少し調べたんだ」
「まあ。わたくしについて調べてくださったのですね」
「代表候補生について知っておくのは、悪いことじゃないからな」
「ふふっ。確かにそうですわね」
セシリアは満足そうに頷いた。
「では、士道さんは代表候補生という立場について、どのようにお考えですの?」
試すような問いかけだった。
俺は少し考えてから答えた。
「代表候補生に選ばれるのは、簡単なことじゃないと思う。実力を認められるまでに、相応の努力をしてきたはずだ。だから、その努力は素直に尊敬するよ」
セシリアの表情がわずかに変わった。
「……そうですの」
「ただ、肩書きだけで全部が決まるわけじゃないとも思う。実際に何ができるのか、どう行動するのか。結局は、そこが大事なんじゃないか?」
代表候補生という肩書きは、確かな実績と努力の証だ。
しかし、それを理由に相手を見下したり、逆に肩書きだけで相手を判断したりするのは違うだろう。
人を見るなら、その人自身を見なければならない。
セシリアはしばらく俺を見つめていたが、やがて柔らかく微笑んだ。
「……なるほど。士道さんのお考え、よく分かりましたわ」
「そうか?」
「ええ。わたくしの立場だけでなく、そこに至るまでの努力を評価してくださったこと。そして、肩書きだけでは判断しないというお考え。わたくしは、とても好ましく思いますわ」
「それならよかった」
「もしよろしければ、今度ISについてお話ししませんこと? 士道さんとは、もう少しじっくりお話ししてみたいですわ」
「俺でよければ、もちろん」
「ありがとうございます。楽しみにしておりますわ」
セシリアは満足げに微笑むと、自分の席へと戻っていった。
その背中を見送ったところで、一夏が俺の肩を軽く叩いた。
「……なあ、優紀」
「なんだ?」
「お前、セシリアと普通に話せるんだな」
「普通に挨拶して、質問に答えただけだろ」
「いや、なんかこう……すごく気に入られてなかったか?」
「考えすぎだ」
「そうかなぁ……」
箒が呆れたように口を開いた。
「一夏。お前も少しは士道を見習ったらどうだ?」
「俺、そんなに駄目か!?」
「少なくとも、勉強についてはな」
「ぐあっ!」
またしても一夏が撃沈した。
……本当に、騒がしい奴だ。
とはいえ、こうして誰かと冗談を言い合うのは、思っていたよりも悪くない。
そんなことを考えていると、授業開始のチャイムが鳴った。
「ほら、一夏。席に戻れ」
「分かってるよ!」
「次はちゃんと授業を聞くんだぞ」
「努力します……」
「そこは『頑張る』って言えよ」
俺たちは笑いながら、それぞれの席へ戻った。
* * *
昼休み。
午前中の授業を終えた俺は、一夏と一緒に昼食を取ることにした。
食堂へ向かう途中も、一夏は今日の授業についてあれこれと話していた。
「いやー、ISって思ってた以上に覚えることが多いんだな」
「そりゃあな。あれだけの性能を持った機械なんだから、仕組みも操作も簡単ってわけにはいかないだろ」
「優紀は本当に詳しいよな。入学前から勉強してたって言ってたけど、そんなにISが好きなのか?」
「興味はあるよ。知れば知るほど奥が深いし、仕組みを理解するのも面白い」
「へえー……。俺なんか、動かせるって分かったときは驚くばっかりだったよ」
「まあ、最初はそんなもんだろ」
実際、俺だって何もかも理解しているわけではない。
知識を得れば得るほど、知らないことが増えていく。
それが面白くもあり、厄介でもあるのだ。
「そういえば、一夏」
「ん?」
「さっき、箒とはずいぶん親しそうだったな」
「ああ、箒とは昔からの知り合いなんだ。小さい頃に一緒に過ごしてた時期があってさ」
「なるほどな。道理で遠慮がないわけだ」
「遠慮がないっていうか、あいつは昔からあんな感じだよ」
「そうか。まあ、心配してくれる相手がいるのはいいことだと思うぞ」
「……そうだな」
一夏は少し照れたように笑った。
その顔を見て、俺も小さく笑う。
こういう何気ない会話も、学園生活の醍醐味なのかもしれない。
……まあ、問題があるとすれば。
「ところで優紀、午後の授業も難しかったら助けてくれよ!」
「まず自分で勉強しろ」
「ですよねー!」
やっぱり、こいつはこいつである。
* * *
午後の授業も、決して楽ではなかった。
ISの構造、操縦者の認証、機体の制御に関する基礎知識。
座学だけでも覚えることは山ほどある。
一夏は相変わらず苦戦していたが、午前中よりは少しだけ理解が進んでいるようだった。
分からない箇所に印をつけ、授業のあとで教科書を読み返している。
少なくとも、本人なりに努力はしているらしい。
俺が声をかけると、一夏は少し得意げにノートを見せてきた。
「どうだ、優紀。午前中よりはマシになっただろ?」
「そうだな。ちゃんと自分で整理してるじゃないか」
「だろ? 俺だってやればできるんだよ!」
「そこで調子に乗らなければ、もっと褒められるんだけどな」
「ひどい!」
そんなやり取りをしながら、俺たちは放課後を迎えた。
* * *
帰り支度を整えながら、俺は今日一日のことを振り返っていた。
一夏と友達になった。
箒とも知り合いになった。
そして、セシリア・オルコットとも話をすることができた。
入学初日としては、かなり濃い一日だったと思う。
これから先、座学だけでなく実技の授業も始まる。
IS学園での生活が本格化すれば、今よりも忙しくなるだろう。
それに、この学園には一癖も二癖もありそうな人間が多い。
今日の様子を見る限り、退屈することだけはなさそうだ。
「優紀、帰ろうぜ!」
教室の入口から、一夏が手を振っている。
「ああ、今行く」
俺は鞄を持ち上げ、彼のもとへ向かった。
理不尽なことも、面倒なことも、きっとこれからいくらでも起こる。
それでも、今はまだ始まったばかりだ。
せっかく手に入れた新しい生活なのだから、まずは目の前のことを一つずつこなしていこう。
……まあ。
できれば、平穏な日々であってほしいものだが。
そんな願いが叶うほど、このIS学園は甘くない。
このときの俺は、まだそれを知らなかった。
ヒロインアンケート
-
のほほんさん
-
簪ちゃん
-
束さん
-
楯無おねーさん