放課後。
今日の授業を終えた俺――士道優紀は、織斑一夏と一緒に学生寮へと向かっていた。
「いやー、やっと授業が終わったな」
「そうだな。慣れない環境だと、いつも以上に疲れるよ」
「分かる。俺なんて、まだ授業についていくだけで精一杯だよ」
そんな他愛もない話をしながら、俺たちは寮へ続く道を歩いていた。
今日から、ここが俺たちの生活拠点になる。
もっとも、俺の場合は男性のIS操縦者という特殊な立場もあって、部屋割りには特別な配慮がされているらしい。
「そういえば優紀、お前の部屋ってもう決まってるのか?」
「ああ。山田先生が案内してくれるらしい」
「そっか。俺も寮に行くところだから、途中まで一緒だな」
「一夏も今日から入寮か?」
「そうそう。ようやく落ち着いて生活できそうだよ」
確かに、一夏も俺と同じく男性のIS操縦者だ。
入学してから何かと注目を浴びているのは、お互い様である。
そんなことを話していると、前方から見覚えのある人物がこちらへ歩いてきた。
「あっ、織斑君! 士道君!」
書類を抱えた山田先生が、俺たちを見つけて小走りで近づいてくる。
「お二人とも、これから学生寮に向かうところですよね?」
「はい。俺は部屋を確認しに行くところです」
「俺も山田先生に案内してもらうと聞いていたので待っていた所です」
「それならちょうどよかったです! では、一緒に行きましょう!」
山田先生は、にこにこと笑いながら俺たちを促した。
こうして俺たちは、山田先生と一緒に学生寮へ向かうことになった。
◇
学生寮に到着すると、そこには多くの生徒たちが行き交っていた。
そして、俺たちの姿を見つけた女子生徒たちが、何やらひそひそと話し始める。
「ねえ、あれって織斑君と士道君じゃない?」
「本当に男のIS操縦者が二人もいるんだ……」
「しかも、士道君の方は専用IS持ちなんでしょ?」
……やっぱり、目立つよな。
俺は聞こえてくる声に苦笑しながら、山田先生の後についていく。
「それでは、織斑君。こちらが寮のお部屋の鍵です」
「ありがとうございます」
山田先生から鍵を受け取った一夏は、鍵についている番号を確認した。
「じゃあ、優紀。また明日な」
「ああ。また明日」
一夏は手を振りながら、自分の部屋へと向かっていった。
その背中を見送った俺は、山田先生へと視線を戻す。
「では、士道君のお部屋に案内しますね」
「お願いします」
山田先生に連れられて、俺は寮の廊下を歩いていく。
やがて、ある部屋の前で山田先生が足を止めた。
「ここが士道君のお部屋ですよ」
そう言って、山田先生は俺に鍵を手渡した。
「士道君のお部屋については、学園側で特別に調整してあります。男性のIS操縦者という事情もありますから、生活面で不便がないように配慮したんですよ」
「ありがとうございます。ちなみに、同室になるのはどんな人なんですか?」
「同じクラスの生徒ですよ。とってもいい子ですから、きっと仲良くなれると思います!」
同じクラスか。
そう思いながら、俺は扉へと目を向ける。
山田先生が扉をノックした。
「布仏さん、いますかー? 士道君を連れてきましたよー」
「はぁーい……」
少し間延びした返事が聞こえた後、扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、どこか眠たげな雰囲気をまとった少女だった。
ふわりとした髪に、のんびりとした表情。
その姿には見覚えがある。
「あれぇ……山田先生。ユウユウ、連れてきたのぉ?」
「はい。今日から同室になる士道君ですよ」
「ん~、分かったぁ~」
……ユウユウ?
今、俺のことをそう呼んだのか?
初対面の相手に、いきなりあだ名をつけられたような気がする。
俺は少女の顔を改めて見た。
「……布仏さん?」
「はぁい。布仏本音だよぉ」
やっぱり、同じクラスの布仏本音だった。
クラスメイトたちからは、よく「のほほんさん」と呼ばれている少女だ。
「えっと、改めてよろしく。士道優紀です」
「うんうん。よろしくねぇ、ユウユウ~」
「……ユウユウ?」
「そうだよぉ。優紀君だから、ユウユウ~」
「えっと……それ、俺のあだ名?」
「うん。ダメ~?」
首をこてんと傾げる本音。
その表情には、からかっているような様子も、特別な意味があるような様子もない。
ただ思いついたから、そう呼ぶことにした。
そんな感じだった。
「いや、ダメってわけじゃないけど……」
「じゃあ、決まりだねぇ。よろしくね、ユウユウ~」
……決定権は俺にないらしい。
まあ、呼びやすい名前ではあるし、別に構わないか。
「……よろしく、のほほんさん」
「ん~? のほほんさん?」
「ああ。クラスのみんなもそう呼んでるだろ?」
「うん~。じゃあ、のほほんさんでいいよぉ」
こうして、俺は本音から「ユウユウ」というあだ名をつけられ、彼女のことを「のほほんさん」と呼ぶことになった。
「では、私はこれで失礼しますね。士道君、明日からも頑張ってください!」
「あ、はい。案内ありがとうございました」
「本音さんも、士道君のことをよろしくお願いしますね」
「はぁい、先生ぇ」
山田先生は満足そうにうなずくと、廊下を戻っていった。
その背中を見送ってから、俺は改めて部屋の中へと足を踏み入れた。
◇
部屋の中は、思っていたよりも広かった。
二つ並んだベッドに、二人分の机と棚。生活に必要なものは一通りそろっているようだ。
これなら、特に不自由はなさそうだな。
俺が部屋を見回していると、本音が自分のベッドに腰掛けた。
「ここが今日からユウユウのお部屋だよぉ」
「そうみたいだな。……ところで、俺が男だってことは分かってるよな?」
「ん~? もちろんだよぉ?」
「いや、ほら。男と同じ部屋で生活することになるわけだし、何か抵抗とかないのかなって」
俺がそう尋ねると、本音は不思議そうに首を傾げた。
「でもぉ、ユウユウはユウユウでしょぉ?」
「……まあ、そうだけど」
「だから、だいじょうぶ~」
あまりにもあっさりとした返答だった。
普通なら、もう少し気にしてもよさそうなものだが……。
いや、俺が気にしすぎなのかもしれない。
「そっか。なら、よろしく頼むよ」
「うん~。よろしくねぇ」
俺は荷物を置き、ひとまず自分のベッドのそばに鞄を運んだ。
制服や日用品を整理しようとすると、本音はベッドの上でごろりと横になった。
「……のほほんさん、少しは手伝ってくれてもいいんじゃないか?」
「えぇ~? のほほんさんは、ユウユウを応援してるよぉ~」
「応援じゃなくて、手伝いが欲しいんだけどな……」
「がんばれぇ~、ユウユウ~」
「……はいはい」
どうやら、荷物の整理は自分でやるしかないらしい。
俺は苦笑しながら、黙々と荷物を片付けていった。
しばらくして、ようやく一通りの整理が終わった。
「ふぅ……これでよし、と」
「おつかれさまぁ~」
「ありがとう。……そういえば、のほほんさんって、いつもマイペースだけど、仲のいい友達とかいるのか?」
「いるよぉ。かんちゃんとかぁ」
「かんちゃん?」
「うん~。更識簪ちゃん。小さいころからのお友達なんだよぉ」
本音は、まるで当たり前のことを話すように答えた。
「へぇ、幼馴染みなんだ」
「そうなのぉ。かんちゃんはねぇ、ちょっと人見知りだけどぉ、優しい子なんだよぉ」
「そうなんだ。今も仲がいいのか?」
「うん~。でもねぇ、かんちゃんは好きなことになると、すっごく集中しちゃうんだよぉ」
「好きなこと?」
「アニメとかぁ、ISとかぁ……そういうお話をしてるときは、いつもよりいっぱいお話しするのぉ」
ISという言葉に、俺は思わず反応した。
「へぇ。ISにも詳しいのか?」
「う~ん、詳しいっていうかぁ……かんちゃんは、そういうのを一生懸命考えるのが好きなんだと思うよぉ」
「なるほどな」
俺は何となく、その少女のことが気になった。
IS学園に通っている以上、ISに興味を持つ生徒がいるのは当然だ。
けれど、本音の話し方からすると、どうやら単なるクラスメイトという関係ではないらしい。
「かんちゃんねぇ、昔から頑張り屋さんなんだよぉ。だから、ときどき無理しちゃうのぉ」
「……それなら、心配にもなるな」
「うん~。でもぉ、かんちゃんは自分で決めたことは、ちゃんと最後まで頑張る子だからぁ」
本音は、そこで少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
いつもの眠たげな表情は変わらない。
それでも、その笑顔には、長い時間を一緒に過ごしてきた相手にしか向けられないような、特別な親しみが感じられた。
「そっか。いい友達なんだな」
「うん~。のほほんさんの大切な幼馴染みだよぉ」
そう言い切る本音の声は、いつもよりほんの少しだけはっきりしていた。
更識簪、か。
同じ学園にいるのなら、いつか会う機会もあるかもしれない。
そのときは、どんな話をすることになるのだろう。
……まあ、今から考えても仕方ないか。
俺は小さく笑って、話題を変えることにした。
「そうだ。のほほんさん、甘いものは好きか?」
「ん~? 好きだよぉ。ケーキとかぁ、クッキーとかぁ……」
「それなら、ちょっと待っててくれ」
俺は荷物の中から、小さな包みを取り出した。
中身は、事前に用意しておいたアップルパイだ。
実は、俺は料理やお菓子作りがそれなりに好きだったりする。アップルパイは妹の妃が好きなお菓子の一つだった。
新しい環境で暮らすことになるのだから、せめて同室の相手とは良好な関係を築いておきたい。
そのための、ちょっとした手土産というわけだ。
「じゃーん。自作のアップルパイだ」
「……アップルパイ?」
「そう。俺が作ったんだ。よかったら食べてくれないか?」
包みを開くと、焼き色のついたパイ生地と、甘いリンゴの香りが部屋に広がった。
本音は、さっきまでの眠たげな表情から一転、パイをじっと見つめている。
「わぁ~……おいしそう~」
「口に合うといいけどな。これから同じ部屋で暮らすわけだし、お近づきの印ってことで」
「ユウユウ、これ作ったのぉ?」
「ああ。まあ、そんなに大したものじゃないけど」
「すごぉい……!」
本音は感心したように声を上げた。
そして、俺が切り分けたアップルパイを受け取ると、さっそく一口かじった。
「……ん~!」
頬が、ほんの少し緩む。
「おいしい~!」
「本当か? よかった」
「うん~! リンゴが甘くてぇ、パイ生地がサクサク~!」
どうやら、気に入ってもらえたらしい。
俺も自分の分を一口食べる。
うん。焼き加減も悪くない。
「よかったら、もっと食べてくれ。まだあるから」
「いいのぉ~?」
「もちろん。遠慮しなくていいよ」
「わぁい~。ユウユウ、ありがとぉ~!」
本音は嬉しそうにアップルパイを頬張っている。
その姿を見ていると、こちらまで自然と笑みがこぼれてきた。
……うん。手土産を持ってきたのは正解だったな。
少なくとも、初日の空気としては悪くない。
「そういえば、ユウユウはお菓子作りが好きなのぉ?」
「好きというか、作るのが楽しいんだよ。機械いじりとか、ロボットものを見るのも好きだけどな」
「ろぼっとぉ?」
「ああ。大きな機械が動いたり、戦ったりするのを見るのが好きなんだ」
「ふぅん~。じゃあ、ユウユウは機械もお菓子も作れるんだねぇ」
「いや、機械は見るのが好きなだけで、何でも作れるわけじゃないぞ」
「でも、アップルパイは作れるんでしょぉ?」
「まあ、それはそうだな」
「じゃあ、すごいよぉ~」
基準がよく分からない褒め方だった。
それでも、本音が心から感心してくれているのは伝わってくる。
俺たちはアップルパイを食べながら、しばらく他愛もない話を続けた。
「おいしい~! ユウユウ、これすごいねぇ~」
「気に入ってくれたならよかったよ」
「かんちゃんにも食べさせてあげたいなぁ~」
「かんちゃんにも?」
「うん~。かんちゃん、こういうの好きかなぁ?」
「どうだろうな。今度会う機会があったら、聞いてみたらどうだ?」
「ん~……そうだねぇ」
本音はアップルパイをもう一口食べると、何かを思い出したように小さくつぶやいた。
「かんちゃん、最近も頑張ってるのかなぁ……」
「最近、何かあったのか?」
「ん~ん。なんでもないよぉ」
そう答えると、本音はいつもののんびりした表情に戻った。
けれど、一瞬だけ見せたその表情が、俺の頭の片隅に残った。
幼馴染みを気にかけるのは、ごく自然なことだ。
だから、このときの俺は、それ以上深く考えなかった。
この学園で、いつかその『かんちゃん』と顔を合わせることになるなんて――まだ、想像もしていなかった。
◇
窓の外を見ると、空は夕焼けに染まり始めていた。
今日一日、慣れない授業に新しいクラスメイト。そして、これから暮らすことになる部屋。
まだ始まったばかりなのに、ずいぶんと濃い一日だった気がする。
俺は窓から差し込む夕日を眺めながら、小さく息を吐いた。
「……まずは、ここでの生活に慣れるところからだな」
「うん。のんびりいこうねぇ、ユウユウ」
「ああ。よろしく頼むよ、のほほんさん」
「こちらこそぉ。これからも、おいしいお菓子よろしくねぇ~」
「……そこは期待しすぎないでくれよ」
「えぇ~?」
のんびりとした声が、部屋に響く。
こうして、俺のIS学園での寮生活は、手作りのアップルパイと、何とも気の抜ける同室者とともに始まったのだった。