朝。
カーテンの隙間から差し込む日差しが、学生寮の一室をゆっくりと照らしていた。
ここは、俺――士道優紀と布仏本音が共同で使っている自室だ。
二人分のベッドと机が並ぶ部屋。そのうち俺の机には、授業で使う教科書やノートに加えて、IS関連の資料がいくつも積まれている。
一方、本音のベッド周辺はというと……まあ、本人の性格をそのまま表したような、のんびりとした空気に包まれていた。
俺は机の前でノートを整理しながら、今日の授業に必要なものを鞄へ詰め込んでいた。
忘れ物はない。予習も済ませてある。
あとは朝食を食べて、教室へ向かうだけだ。
……そう思っていたのだが。
「ユウユウ~」
「ん? どうした、のほほんさん」
背後から聞こえた声に振り返る。
すると、自分のベッドから起き上がった本音が、こちらに向かって両手を伸ばしていた。
「おんぶ~」
「…………はい?」
「おんぶして~」
「いや、もう朝だぞ。そろそろ食堂に行かないと」
「だから、おんぶ~」
「いや、だから理由になってないんだが……」
本音は、いつもどおりのふにゃりとした笑顔を浮かべている。
寝起きだからなのか、普段以上に力の抜けた雰囲気だ。
「歩くの、めんどくさいの~」
「朝から堂々と言うことじゃないだろ、それ」
「ユウユウなら、おんぶしてくれるかな~って」
「…………はぁ」
まったく、この人は。
自分の部屋だからといって、ここまで遠慮がないのもどうなんだろうか。
もっとも、今さら本音のマイペースぶりに驚くつもりもない。
ここで断ったところで、彼女はきっと同じ調子でおんぶをねだり続けるだろう。
それなら、さっさと応じてしまった方が早い。
俺は小さく息を吐き、本音の前で背中を向けてしゃがみ込んだ。
「ほら。これでいいか?」
「わ~い!」
本音は嬉しそうに俺の背中へ身を預け、両腕を首の前に回した。
「落ちないようにつかまってろよ」
「は~い。ユウユウ、大好き~」
「はいはい」
彼女の体を支えながら立ち上がる。
思ったよりも軽い。これなら食堂まで歩くくらい、どうということはないだろう。
俺は自分の鞄を肩に掛け、部屋の中を一度見回した。
忘れ物はない。
よし。
「それじゃ、食堂に行くか」
「しゅっぱ~つ!」
こうして俺たちは、二人で使っている自室を後にした。
……まさか、朝からおんぶで寮内を移動することになるとは。
入学して間もないというのに、俺の学園生活はなかなか先が読めない。
もっとも、その原因の半分くらいは背中にいる彼女のような気もするが。
「ユウユウ、あったかいね~」
「人肌で暖を取らないでくれ」
「えへへ~」
「褒めてないからな?」
返事はない。
どうやら、聞き流されたらしい。
……まあ、本人が楽しそうならいいか。
俺は小さく苦笑しながら、食堂へと足を進めた。
◆
食堂に到着すると、見知った顔がこちらに気づいて手を振ってきた。
「あ、優紀くん! 本音ちゃんも!」
谷本癒子だった。
その隣には、夜竹さゆかと相川清香の姿もある。
「おはよう、三人とも」
「おはようございます。……って、本音ちゃん、どうして優紀くんにおんぶされてるの?」
さゆかが不思議そうに首を傾げた。
「歩くのがめんどくさかったの~」
「理由がすごい……」
清香が思わず苦笑する。
「それで普通におんぶしてあげる優紀くんも優しいよね」
「まあ、頼まれたからな。食堂までくらいなら別にいいだろ」
「ユウユウ、やさし~」
「はいはい。そろそろ降りてくれ。朝食を食べよう」
「は~い」
本音を背中から下ろし、俺たちは三人が座っているテーブルへ向かった。
それぞれ朝食を受け取り、五人で席を囲む。
俺が選んだのは焼き魚の定食。味噌汁を一口飲んでから、箸を手に取った。
「そういえば、優紀くんって今日も授業が終わったら勉強するの?」
癒子が尋ねてくる。
「そのつもり。ISの基礎理論で、もう少し確認しておきたいところがあるからな」
「優紀くんって、本当に勉強熱心だよね」
「知らないことが多いから、覚えておきたいだけだよ」
これは別に謙遜でも何でもない。
ISについては、知れば知るほど知らないことが増えていく。
俺の場合、自分の専用機を扱う以上、一般的なISの知識だけでは足りない部分もある。
機体の構造、操縦時の挙動、装備の特性。それらを理解していなければ、いざというときに自分の判断が遅れる。
それだけは避けたかった。
「そういう癒子たちは、今日の授業で何か楽しみにしてることでもあるのか?」
「うーん、特にないかなあ。強いて言えば、授業が早く終わってほしいくらい?」
「それは分かるかも~」
さゆかが本音の言葉に頷いた。
「本音ちゃんは、授業中に寝ちゃ駄目だよ?」
「寝ないよ~。たぶん~」
「たぶんって……」
清香が呆れたように笑う。
そんな他愛のない会話を続けながら、俺たちは朝食を食べ進めた。
そのときだった。
「箒、昨日のことなんだけどさ……」
少し離れた別のテーブルから、聞き覚えのある声が響いてきた。
織斑一夏だ。
俺たちの席からは距離があるため、会話の細かな内容までは聞き取れない。
ただ、食堂が一瞬静かになった拍子に、続く声が耳に入ってきた。
「……織斑。馴れ馴れしく名前で呼ぶな」
篠ノ之箒の声だった。
「えっ、いや、箒……」
「名前で呼ぶなと言っている!」
「……はい」
最後の返事は、妙にしょんぼりしていた。
……何をやっているんだ、あいつは。
俺はそちらへ視線を向けることなく、黙々と箸を動かした。
昨日、二人の間で何かあったのだろう。
もっとも、事情を知らない俺が無理に首を突っ込む話でもない。
「……何かあったのかな?」
癒子が小さな声でつぶやく。
「さあな。本人たちにしか分からないこともあるだろ」
「それもそうだね」
本音はというと、そんなやり取りなど気にしていない様子で、のんびりと魚を食べていた。
「のほほんさん、そっちの煮物も食べるか?」
「食べる~」
「じゃあ、これもらうぞ」
「は~い」
俺は本音の皿から煮物を少し分けてもらい、自分の食事を続けた。
朝から誰かの人間関係に巻き込まれるのは御免だ。
特に、あの二人の間に何があったのか分からない以上、下手に口を挟めば余計な面倒を招きかねない。
今は目の前の朝食に集中しよう。
食事を終えた俺は、最後にブラックコーヒーを口に運んだ。
「うわっ、優紀くん、それ苦くないの?」
癒子が露骨に顔をしかめた。
「ブラックだからな」
「よく飲めるね……」
「慣れれば普通だぞ」
「私は無理だなあ」
「わたしも~」
さゆかと本音も首を横に振る。
どうやら、ここにブラックコーヒーを好んで飲む仲間はいないらしい。
……少し寂しい気もするが、無理に仲間を増やすものでもない。
俺はコーヒーを飲み干すと、食器を片づけて席を立った。
「それじゃ、先に教室へ行ってるよ」
「は~い。ユウユウ、またあとでね~」
「おう。またあとでな」
こうして俺は、いつものように授業へ向かった。
このときまでは、今日も普段どおりの一日になると思っていたのだ。
……少なくとも、面倒事に巻き込まれるまでは。
◆
午前の授業が始まった。
俺は黒板の内容をノートに書き写しながら、教科書の余白に別のことを書き込んでいた。
――追加装備の構想。
授業の内容を聞き逃さないようにしつつ、頭の片隅では専用機のことを考える。
現状の装備でも、戦闘そのものに支障はない。
だが、相手の戦い方や戦闘状況によっては、対応しきれない場面が出てくる可能性がある。
だからこそ、今のうちに選択肢を増やしておきたい。
ただし、装備を増やせばいいという単純な話でもない。
重量が増えれば機体制御への負担も大きくなるし、既存の装備との相性も考えなければならない。
火力を上げるだけなら、それほど難しい話ではない。
問題は、機体本来の動きを損なわず、必要な場面で確実に使えるようにすることだ。
(……もう少し、運用方法から考え直すか)
ノートの端にいくつか案を書き並べ、俺は小さく息を吐いた。
自分で設計や調整に関わっているとはいえ、まだまだ試行錯誤の段階だ。
机上で考えたことが、実際の操縦でも通用するとは限らない。
このあたりは、山田先生に相談してみるのがよさそうだ。
ISの基礎理論や装備の運用について、先生から学べることは多い。自分だけでは気づけない問題点も見つかるかもしれない。
そう考えて、俺はノートに小さく印をつけた。
そのとき、教室の前に織斑千冬先生が立った。
「授業を始める前に、一つ連絡がある」
教室内のざわめきが静まる。
「このクラスのクラス代表を決める。クラス代表はクラスの取りまとめだけでなく、他クラスとの交流や代表者同士の試合にも参加することになる」
その言葉を聞いた途端、教室の女子たちがざわつき始めた。
「それなら織斑くんがいいんじゃない?」
「千冬先生の弟だし、男のIS操縦者だし!」
「確かに、話題性なら一番だよね!」
……なるほど。そういう決め方もあるのか。
俺は興味がないので、ノートに視線を戻した。
正直、クラス代表なんて役職にはあまり関わりたくない。
クラス全体の取りまとめだの、他クラスとの交流だの。どう考えても、俺が積極的に引き受けたい役目ではなかった。
何より、俺には自分の専用機について考えたいことが山ほどある。
できることなら、余計な仕事を増やさずに済ませたいところだ。
「織斑一夏。立候補するか?」
「えっ、俺!?」
一夏が驚いた声を上げる。
「他に候補がいないなら、やってみてもいいんじゃない?」
「いや、俺、まだISのこともよく分かってないし……」
戸惑う一夏を見て、俺は考えた。
話題性だけで決めるのは、どうなんだろうな。
クラス代表は、単に目立つ人間が務めればいいというものでもないだろう。
だったら、もっと適任者がいる。
「先生」
俺は手を挙げた。
「士道か。何だ?」
「セシリア・オルコットさんを推薦します。彼女は代表候補生ですし、実力も知識もあります。クラス代表として適任だと思います」
教室の視線が一斉にセシリアへ向いた。
「まあ……士道さん。わたくしを推薦してくださるのですか?」
「実力と経験を考えたら、妥当な判断だと思っただけです」
俺としては、それ以上の意味はない。
代表候補生として訓練を積んできた彼女なら、役割を果たすだけの能力がある。
少なくとも、話題性だけで選ぶよりは合理的だ。
「なるほど。オルコット、お前はどうだ?」
「わたくしは構いませんわ」
セシリアは堂々と答えた。
よし。これで話はまとまる。
……と思ったのだが。
「じゃあ、俺は士道を推薦する!」
「…………は?」
隣から聞こえた一夏の声に、俺は思わず振り返った。
「お前、今なんて言った?」
「いや、優紀も強いだろ? それに、いつも勉強してるし、代表になったら頼りになりそうだと思ってさ!」
「待て。俺は推薦していないし、立候補もしていない」
「でも、セシリアを推薦しただろ?」
「だから何だ!?」
思わず声が大きくなった。
教室中の視線がこちらに集まる。
……やってしまった。
こういう目立ち方は望んでいないというのに。
千冬先生は腕を組み、俺たちを見比べた。
「……なるほど。では、織斑、士道、オルコットの三名を候補とする」
「先生!?」
「異論があるなら、実力で示せ。代表を決めるため、三名で代表候補戦を行ってもらう」
「ちょっと待ってください!」
俺はすぐさま手を挙げた。
「俺は今、セシリアを推薦しただけです。自分が候補になるとは一言も言っていません」
「推薦した者が候補になることもある。問題はない」
「いや、問題しかありませんが!?」
「黙れ。代表候補戦の日程はアリーナの使用状況を確認してから伝える。以上だ」
千冬先生はそれだけ言うと、何事もなかったかのように授業の準備へ戻った。
……終わった。
完全に巻き込まれた。
俺はゆっくりと隣に座る一夏へニッコリと笑いながら視線を向けた。
「一夏」
「は、はい」
「あとで覚えておけよ」
「悪い! でも、優紀なら大丈夫だって!」
「そういう問題じゃない!」
頭が痛い。
せっかく追加装備の調整について考えていたのに、どうして代表候補戦に出ることになったんだ。
そもそも、俺はクラス代表になりたいわけでもなければ、目立ちたいわけでもない。
ただ、自分のやるべきことをやっていたいだけなのに。
……どうしてこうなった。
とはいえ、決まってしまったものは仕方がない。
代表候補戦が行われるなら、それまでに確認しておきたいことは山ほどある。装備の構成も、機体の調整も、もう一度見直しておく必要があるだろう。
もちろん、手の内を不用意に明かすつもりはない。
相手がどんな戦い方をするのか分からない以上、こちらの準備を整えるのは当然だ。
俺はため息をつきながら、ノートの隅に新たな項目を書き加えた。
――代表候補戦までに、装備構成と機体調整を再確認する。
書き終えたところで、俺はペンを置いた。
……まあ、勝手に推薦した一夏には、あとでしっかり文句を言わせてもらうけどな。
こうして俺は、望んでもいなかったクラス代表候補の一人になってしまったのだった。