翌朝。
教室に足を踏み入れた俺を待っていたのは、いつもとは少し違う視線だった。
「おはよう、士道くん!」
「おはよう。昨日の代表候補戦、すごかったね!」
「代表候補生相手に、あそこまで戦えるなんて思わなかったよ!」
席に向かう途中、次々と声をかけられる。
昨日の代表候補戦。
セシリア・オルコットとの戦いは、どうやらクラスメイトたちの間でかなり話題になっているらしい。
「いや、俺もあそこまで長引くとは思ってなかったよ。セシリアの射撃精度が想像以上だったしな」
「でも、最後は士道くんが勝ったんでしょ?」
「結果だけならな。あの戦いで得たものは、俺のほうにも多かったよ」
そう答えると、話を聞いていた男子生徒が感心したように声を上げた。
「へえ、勝ったのに反省するところがあるんだな」
「勝ったからこそ、見えるものもあるからな」
俺がそう返すと、彼は妙に納得した顔で頷いた。
別に格好をつけたつもりはない。
実際、昨日の戦いでは機体の制御や武装の切り替えなど、改善できる点がいくつも見つかった。勝利したからといって、そこで満足してしまえば次の戦いで足元をすくわれる。
それに、相手は代表候補生のセシリアだ。
彼女が昨日の戦いを振り返り、対策を練ってくるのなら、こちらもそれに応えられるように準備しておく必要がある。
――まあ、その前に今日の授業を乗り切らなければならないのだが。
「ユウユウ、おはよぉ~」
聞き慣れた、のんびりとした声が横から飛んできた。
「おはよう、のほほんさん」
「ん~? 朝から人気者だねぇ、ユウユウ」
「昨日の代表候補戦の話だよ。別に大したことじゃないさ」
「そうかなぁ? みんな、ユウユウのことをいっぱい褒めてるよぉ~」
本音はそう言いながら、俺の隣に並んだ。
いつもと変わらない、眠たげで柔らかな笑顔。
ただ、彼女の視線が一瞬だけ、俺に話しかけていた女子たちのほうへ向いた気がした。
「……のほほんさん?」
「ん~? なぁに?」
「いや、何でもない」
「そっかぁ~」
本音は気にした様子もなく、ふわふわとした足取りで自分の席へ向かっていく。
その後ろ姿を見送りながら、俺は首を傾げた。
気のせいだろうか。
ほんの一瞬、いつもとは違う表情をしていたように見えたのだが……。
考えても仕方がない。
俺は鞄を机に置き、授業の準備を始めた。
その間も、教室のあちこちでは昨日の代表候補戦の話題が続いていた。
セシリアの遠距離射撃。
俺の機体が見せた独特の動き。
最後の一撃が決まるまでの攻防。
断片的に聞こえてくる言葉から察するに、昨日の戦いはクラスメイトたちにとっても、なかなか刺激的なものだったらしい。
もっとも、俺としてはあまり大きな騒ぎにならないことを願うばかりだった。
ただでさえ、男性操縦者というだけで注目を集めているのだ。
これ以上目立つのは、できれば遠慮したい。
……まあ、今さら手遅れなのかもしれないが。
* * *
「――それでは、そろそろ本題に入りますね」
ホームルームが始まると、山田先生は教卓の前で出席簿を閉じた。
いつもどおりの穏やかな口調。
しかし、その表情には普段より少しだけ真剣な色が混じっている。
「昨日の代表候補戦も終わりましたので、今日はクラス代表を決めたいと思います。まずは、代表候補生のセシリアさんにお願いしたいのですが……どうでしょうか?」
教室中の視線が、一斉にセシリアへと集まった。
彼女は背筋を伸ばし、いつもの優雅な所作で立ち上がる。
「申し訳ありませんが、今回は辞退させていただきますわ」
「えっ、セシリアさんが辞退?」
予想していなかったのか、クラスのあちこちから驚きの声が上がった。
国家代表候補生という立場を考えれば、彼女がクラス代表に選ばれるのは自然な流れだ。
だが、セシリアは周囲の反応にも動じず、言葉を続けた。
「昨日の代表候補戦を通じて、わたくしには改善すべき点が数多くあると分かりました。今はクラス代表としての責務を担うよりも、操縦者として自分を鍛え直すことを優先したいのです」
彼女の声には、迷いがなかった。
負けたことを恥じているのではない。
敗北から得た課題を、そのままにしておきたくないのだろう。
「それに、クラス代表という大切な役目を、中途半端な気持ちで引き受けるわけにはいきませんもの」
「なるほど……。分かりました。セシリアさんの意思を尊重しますね」
山田先生は少し残念そうにしながらも、頷いた。
そして、次に視線を向けたのは――俺だった。
「それでは、士道くんはどうでしょうか?」
「俺ですか?」
思わず聞き返す。
「はい。昨日の代表候補戦での戦いぶりもありますし、クラスの皆さんからの信頼もあるようですから」
なるほど。
セシリアが辞退した以上、次の候補として俺に声がかかるのは不思議ではない。
ただ、答えは最初から決まっていた。
「申し訳ありませんが、俺も辞退させてください」
「士道くんも、ですか?」
「はい。機体の調整と、自分自身の訓練に時間を割きたいというのもありますが……それだけではありません」
俺は一度、教室を見渡した。
クラス代表という役目は、単にクラスの先頭に立つだけの仕事ではない。
クラスをまとめ、学園行事に参加し、時には他のクラスや代表者との調整も行うことになる。
責任のある仕事だ。
だからこそ、引き受ける以上は中途半端にはできない。
「俺はこの学園の生徒であると同時に、企業代表という立場も背負っています。機体の開発や調整に関わる以上、学園での活動だけに集中できるわけではありません」
教室の空気が、少しだけ変わった。
俺が専用機を持っていることは、昨日の戦いで広く知られた。
しかし、その機体が単なる個人用の専用機ではなく、企業の開発や技術に関わる立場と切り離せないものだという点まで、詳しく理解している生徒は多くないだろう。
「企業代表として関わっている以上、機体の調整や開発に関する責任もあります。クラス代表を兼任して、どちらかの仕事が疎かになるのは避けたいんです」
もちろん、学園生活を軽視しているわけではない。
むしろ逆だ。
企業側の立場を持つ人間が、学園のクラス代表まで兼ねることで、余計な誤解を招く可能性もある。
俺個人の判断が、企業の意向だと受け取られることだってあるかもしれない。
そうした問題まで考えれば、今は引き受けないほうがいい。
「それに、クラス代表は責任のある役目ですから。時間を確保できないと分かっている状態で引き受けるのは、かえって無責任だと思っています」
「そうですか……。確かに、士道くんにはそういう事情もあるんですね」
山田先生は納得したように頷いた。
その一方で、クラスの生徒たちは少し困ったように顔を見合わせている。
代表候補生と企業代表。
クラス代表にふさわしそうな二人が、そろって辞退してしまったのだから、無理もない。
「うーん……。そうなると、どうしましょうか……」
山田先生が名簿を見ながら考え込む。
教室にも、微妙な沈黙が流れた。
そのときだった。
「――では、織斑。お前に任せる」
教室の入口から、凛とした声が響いた。
振り返ると、そこには織斑先生が立っていた。
「えっ、俺!?」
突然名前を呼ばれた一夏が、椅子から半分ほど腰を浮かせる。
「何か問題があるのか?」
「いや、問題っていうか……俺、まだ入学したばかりだし、ISのことだってそんなに詳しくないんですけど!」
「だからこそ、周囲に助けを求めろ。クラス代表だからといって、すべてを一人で背負う必要はない」
「そ、そういうものなんですか……?」
「そういうものだ」
織斑先生は一切の迷いなく言い切った。
一夏は助けを求めるように周囲を見回す。
箒は何か言いたげにしているものの、織斑先生の前で口を挟むことはできないらしい。
俺は苦笑しながら、一夏に声をかけた。
「まあ、困ったことがあったら相談してくれよ。俺も企業側の仕事や機体調整で手が空かないときはあるけど、できる範囲なら手伝うからさ」
「優紀……。助かるよ」
「ただし、最初から全部こっちに投げるのはなしな」
「分かってるって!」
少しだけ表情を明るくした一夏を見て、俺は小さく笑った。
結局、クラス代表は織斑一夏に決まった。
本人は最後まで不安そうだったが、クラスメイトたちも少しずつ納得した様子を見せている。
こうして、クラスの新しい役目が一つ決まった。
ただし――これが新たな騒動の始まりになることを、このときの俺はまだ知らなかった。
* * *
昼休み。
食事を終えた俺は、午後の授業が始まるまでの時間を利用して、昨日の代表候補戦のデータを確認していた。
端末の画面には、戦闘中の機体挙動やシールドエネルギーの推移、武装を切り替えた際の反応速度などが表示されている。
特に気になっているのは、接近戦へ移行した直後の機体制御だ。
あの場面では、セシリアの射撃を突破することに意識を割きすぎた。
結果的に勝利できたとはいえ、同じ状況で必ず成功するとは限らない。
「……ここは、もう少し切り替えを滑らかにできそうだな」
「何を見ているんですの?」
声に顔を上げると、セシリアが立っていた。
「昨日の代表候補戦のデータ。改善できるところを探していたんだ」
「まあ。勝った側も、ずいぶんと熱心ですのね」
「負けた側が熱心に研究しているんだから、勝った側が油断しているわけにもいかないだろ?」
「……ふふっ。確かに、そのとおりですわね」
セシリアは小さく笑い、俺の向かい側に腰を下ろした。
昨日までなら、彼女がこうして気軽に話しかけてくる光景は、なかなか想像できなかったかもしれない。
少なくとも、最初に教室で会ったときの彼女は、もっと張り詰めた雰囲気をまとっていた。
「それで、何か分かりましたの?」
「武装の切り替えと姿勢制御の連動に、まだ改善の余地がある。あとは、射撃を回避した直後の動きだな。セシリアの攻撃を避けることに集中しすぎて、その後の行動が少し遅れている」
「なるほど……。確かに、わたくしの射撃を回避したあと、あなたは一瞬だけ動きを止めていましたわね」
「やっぱり、そっちから見てもそうか」
「ええ。わたくしとしては、その隙を突けなかったことが悔しいところですが」
セシリアの表情が、少しだけ引き締まる。
「昨日の戦いでは、あなたの接近を許した時点で、わたくしの優位が崩れました。遠距離から相手を制圧する戦い方は、わたくしの強みです。ですが、距離を詰められた場合の対応には、まだ課題が残っていますわ」
「得意な距離を維持するための手段を増やす、ってことか」
「ええ。接近された際の迎撃手段を増やすのも一つですし、相手の接近経路そのものを限定するのも有効でしょうね」
セシリアは俺の端末を覗き込みながら、画面上の軌跡を指で示した。
「ここですわ。あなたは一度、わたくしの射撃を避けるために大きく進路を変えています。その結果、わたくしの次の射撃に対して、回避方向が限定されました」
「そこを読んで、次の射撃を置いておけばよかったわけか」
「そのとおりですわ。ただし、あなたの機体は姿勢を崩してからの立て直しが速い。わたくしが想定していたよりも、ずっと」
「そこは機体の制御に助けられた部分もあるな」
「それでも、使いこなしていたのはあなたですわ」
そう言って、セシリアは真っすぐに俺を見た。
「昨日の戦いで、わたくしは自分の未熟さを知りました。ですが、それ以上に、まだ伸ばせる部分があることも分かったのです」
「それなら、昨日の戦いはお互いに意味があったってことだな」
「ええ。次に戦うときには、同じ結果にはさせませんわ」
「望むところだよ」
俺たちは、自然と笑みを交わした。
勝者と敗者。
昨日までは、そんな言葉で分けられていたかもしれない。
だが、少なくとも今の俺たちは、互いの技術を認め合い、次の戦いを見据える者同士だった。
もっとも、次も俺が勝つつもりではいるが。
「ところで、士道さん」
「ん?」
「先ほど、一夏さんがクラス代表に任命されましたわよね?」
「ああ。本人はかなり驚いていたけどな」
「当然でしょうね。入学して間もないうえ、ISについても学ぶべきことが多いのですから」
「それでも、周りに助けを求めながらやっていけばいいと思うよ」
「……あなたも、そうお考えですのね」
セシリアは少し考えるように目を伏せた。
「でしたら、わたくしも一夏さんの訓練に協力しようと思いますわ」
「一夏の?」
「ええ。クラス代表という役目を担うのであれば、最低限、自分の機体を扱う技術を身につけていただかなければなりませんもの」
なるほど。
確かに、クラス代表になった以上、一夏にもそれなりの実力が求められる。
本人の意思とは関係なく役目を任されたとはいえ、引き受けたからには必要なことだ。
「それはいいと思う。セシリアの射撃訓練は、一夏にとってもいい経験になるはずだ」
「そうでしょう? 遠距離からの攻撃に対して、どのように対応するべきか。身をもって理解していただくのが一番ですわ」
セシリアは自信たっぷりに胸を張った。
その姿を見て、俺は思わず苦笑する。
……一夏、頑張れよ。
どうやら、クラス代表になった途端、なかなか厳しい訓練が待っているらしい。
* * *
放課後。
ホームルームが終わると、案の定、一夏の周囲には人が集まっていた。
「一夏、クラス代表になったからには、もっとしっかりしてもらわないと困る!」
箒が腕を組み、厳しい表情で言い放つ。
「いや、俺だって好きでなったわけじゃないんだけどな……」
「引き受けた以上は、責任を持つべきだと言っている!」
「分かってるってば!」
箒の勢いに、一夏はたじたじになっていた。
そこへ、セシリアが優雅な足取りで歩み寄る。
「でしたら、わたくしが訓練に付き合って差し上げますわ」
「えっ?」
「クラス代表として恥ずかしくない操縦技術を身につけていただくためです。遠慮する必要はありませんわよ」
「いや、でも……」
「何か問題でも?」
「い、いえ! お願いします!」
一夏が慌てて頭を下げる。
その様子を見ていた箒の眉が、ぴくりと動いた。
「待て。お前が一夏の訓練を見るというのか?」
「ええ。何かおかしいかしら?」
「別におかしくはないが……一夏の訓練なら、私も付き合う!」
「まあ。篠ノ之さんも?」
「当然だ! 一夏のことは、私が一番よく分かっている!」
「それはどうでしょうか。わたくしは、昨日の代表候補戦を通じて、実戦における戦術の重要性を改めて理解しましたわ。織斑さんにも、その点を教える必要があると思いますの」
「実戦なら、私だって経験している!」
「でしたら、どちらがより適切な指導を行えるか、試してみるのも面白いかもしれませんわね」
「何だと……!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 二人とも、落ち着いて!」
一夏が慌てて二人の間に入る。
しかし、箒とセシリアは互いに譲る気がないらしい。
周囲の生徒たちは、また始まったと言わんばかりに距離を取っていた。
俺も思わず頭を抱えたくなる。
クラス代表の訓練について話していたはずなのに、どうしてこうなるのだろうか。
「……あの二人、仲が悪いのかなぁ?」
隣から、のんびりとした声がした。
振り返ると、本音が首を傾げている。
「悪いというか、何というか……。お互いに譲れないものがあるんだろうな」
「そっかぁ~。おりむーも大変だねぇ」
「まったくだ」
俺たちがそんな会話をしている間にも、箒とセシリアの言い合いは続いていた。
「――そこまでだ」
その声に、周囲の空気がぴたりと止まった。
入口に立っていたのは、織斑先生だった。
「訓練に協力するという意気込みは結構だ。だが、指導者同士が争ってどうする」
「も、申し訳ありません!」
箒とセシリアが、そろって姿勢を正す。
「織斑。お前は二人の意見を聞き、自分に必要な訓練を考えろ。どちらか一方に任せきりにする必要はない」
「は、はい!」
「篠ノ之、オルコット。お前たちも、自分が何を教えたいのか整理しておけ。相手を言い負かすための訓練ではない」
「……はい」
「承知しましたわ」
織斑先生はそれだけ告げると、教室を後にした。
残された三人の間には、何とも言えない沈黙が流れる。
やがて、箒が小さく咳払いをした。
「……とにかく、訓練の時間と内容は、あとで相談する」
「ええ。織斑さん本人の希望も聞いたうえで決めましょう」
「そ、そうしてくれると助かるよ……」
一夏は心底ほっとした顔をしていた。
俺はその様子を見ながら、肩をすくめる。
「一夏、頑張れよ。クラス代表の仕事もあるし、訓練もある。しばらくは忙しくなりそうだな」
「他人事だと思って……」
「いや、俺もできる範囲では協力するって」
「その言葉、忘れないからな!」
「はいはい」
苦笑しながら答える。
クラス代表に任命された一夏。
その訓練を巡って張り合う箒とセシリア。
まだ入学して間もないというのに、教室の中はずいぶんと賑やかだ。
そして、そんな日常の中に、俺も少しずつ馴染んできている。
企業代表という立場がある以上、学園生活だけを考えていればいいわけではない。
機体の調整も、開発に関わる責任もある。
それでも――ここで過ごす時間が、思っていた以上に悪くないことも確かだった。
* * *
夜。
学生寮の自室で、俺は机に向かっていた。
画面に映し出されているのは、昨日の代表候補戦で取得した機体データ。
武装の切り替えに要した時間、回避行動後の姿勢制御、シールドエネルギーの消費量。
それぞれの数値を比較しながら、改善案を一つずつ書き込んでいく。
「……ここは、制御系の調整だけじゃなくて、操縦側の入力も見直したほうがいいか」
機体性能を上げれば解決する問題もある。
だが、機体に頼りきりになってしまえば、操縦者としての成長は止まる。
機体と自分自身。
その両方を磨いていく必要があるのだ。
そう考えていると、不意に背中に柔らかな感触が重なった。
「ユウユウ~。何してるのぉ?」
「うおっ!?」
驚いて振り返ろうとしたが、背後から腕を回されていて動けない。
視界の端に映ったのは、狐の耳がついた着ぐるみパジャマだった。
「……の、のほほんさん?」
「せいか~い♪」
耳元で、のんびりとした声が弾む。
どうやら、本音がいつもの調子で後ろから抱きついてきたらしい。
「何してるんだよ……」
「ん~? ユウユウがずぅっと画面を見てるから、何してるのかなぁって」
「昨日の代表候補戦のデータを確認してるんだよ。明日までに調整案をまとめておきたくてさ」
「そっかぁ~。お疲れさまぁ」
本音は俺の背中に頬を寄せたまま、画面を覗き込んだ。
狐の耳が、頭の動きに合わせてぴこぴこと揺れている。
「……ところで、のほほんさん。その格好は?」
「これぇ? 狐さんだよぉ~」
「いや、それは見れば分かるけど……」
「かわいいでしょぉ?」
「まあ、似合ってるとは思うけど」
「えへへ~。ありがとぉ」
素直に褒めると、本音は嬉しそうに笑った。
そのまま俺の背中に体重を預けてくる。
「……で、何か用事があったんじゃないのか?」
「ん~? そうだったぁ」
ようやく思い出したように、本音が顔を上げた。
「ユウユウ、お菓子持ってない?」
「お菓子?」
「うん。甘いのぉ。できれば、クッキーとかぁ……」
「机の引き出しに少しあるけど」
「ほんとぉ!?」
急に声が弾んだ。
「ただし、昨日買った分だからな。食べるなら少しだけにしてくれよ」
「はぁい♪」
返事をした本音は、俺から離れる――かと思いきや、なぜか腕を解かなかった。
「……のほほんさん?」
「ん~?」
「お菓子、取らなくていいのか?」
「あとでぇ~」
「あとでって……」
「今は、こっちのほうがいいかなぁって」
そう言って、本音は再び俺の背中に頬を寄せた。
まるで、ここが自分の定位置だとでも言うように。
俺たちは同じ部屋で生活している。
入学してから何度もこうしてふざけ合っているし、本音が距離の近い人間だということもよく知っている。
だから、特別に気にすることもなかった。
「……まったく。調整が終わったら相手をしてやるから、少し待っててくれ」
「むぅ~。ユウユウはつれないなぁ」
「企業の仕事もあるんだよ」
「分かってるよぉ~。でもぉ、わたしも一緒にいたいんだけどなぁ」
いつもと変わらない、甘えるような声。
ただ、その最後の言葉だけは、ほんの少しだけ違って聞こえた。
俺は画面に視線を戻しながら答える。
「一緒にいるだろ? 同じ部屋なんだから」
「……そうだねぇ」
本音の声が、少しだけ柔らかくなった。
「えへへ~。そっかぁ。ユウユウと、ずっと一緒のお部屋だもんねぇ」
「そういうこと」
「じゃあ、もうちょっとだけ、こうしててもいいかなぁ?」
「……作業の邪魔にならない程度にな」
「はぁい♪」
満足したらしい本音は、それ以上何も言わず、俺の背中にくっついたまま画面を覗き込んだ。
しばらくして、彼女の視線がデータの一部で止まる。
「ねぇ、ユウユウ~」
「今度は何だ?」
「ここぉ。武装を切り替えたあと、次の動きに移るまで、ちょっとだけ間があるよねぇ?」
俺は手を止めた。
「……ああ。そこが気になってたんだ」
「切り替えそのものを速くするのもいいけどぉ、切り替えたあとの動作も調整したほうがよさそうだよぉ~」
本音は、画面の軌跡を指でなぞった。
「ここで姿勢を立て直してから動いてるでしょぉ? だったら、武装の切り替えと姿勢制御を一緒にできるようにすれば、次の動きに早く移れるかもぉ」
「なるほど……。切り替えた直後の動作を、別々に処理するんじゃなくて、連動させるのか」
「うんうん。もちろん、急に動かしすぎるとバランスが崩れちゃうからぁ、そこは少しずつ調整しないとだけどねぇ」
俺はすぐに端末へメモを取った。
言われてみれば、そのとおりだ。
俺は武装切り替えの反応速度ばかりに目を向けていて、その後の動作との連動を十分に検討していなかった。
「……さすがだな、のほほんさん。助かったよ」
「えへへ~。どういたしましてぇ」
本音は嬉しそうに笑った。
「ユウユウの機体、どんどん使いやすくなるといいねぇ」
「ああ。そのためにも、もう少し頑張らないとな」
「でもぉ、頑張りすぎて寝不足になっちゃだめだよぉ?」
「分かってるって」
「ほんとかなぁ~?」
疑わしそうに見つめられ、俺は苦笑した。
「今日はこの辺で切り上げるよ。明日も授業があるしな」
「やったぁ~。じゃあ、お菓子食べよぉ♪」
「結局、それが目的だったのか……」
「えへへ~。ばれちゃったぁ?」
狐の耳を揺らしながら、本音は机の引き出しを開けた。
その姿を見て、俺は思わず笑ってしまう。
昼間はクラス代表の選出があり、放課後は一夏を巡る騒動があった。
企業代表としての仕事も、機体の調整も、これから先は忙しくなっていくだろう。
それでも、こうして誰かと他愛のない話をしながら過ごす時間は、案外大切なものなのかもしれない。
「ユウユウ、はい。半分こぉ~」
本音がクッキーを一枚、俺の口元へ差し出した。
「……自分で食べられるって」
「いいからぁ。あ~ん♪」
「はいはい……」
俺が仕方なく口を開けると、本音は満足そうに笑った。
その笑顔を見ていると、不思議と肩の力が抜けていく。
――まあ、たまにはこういう時間も悪くない。
俺はそう思いながら、差し出されたクッキーを受け取った。
* * *
同じ頃。
IS学園の一室。
薄暗い室内に、複数のモニターが淡い光を投げかけていた。
そのうちの一つには、昨日行われた代表候補戦の記録が映し出されている。
画面の中で動くのは、セシリア・オルコットと、見慣れない機体を操る少年。
少女は椅子に腰掛け、手にした扇子をゆっくりと開いた。
「ふぅん……この子が、士道優紀くんかぁ」
映像が一時停止する。
少年の操縦技術。
機体の独特な挙動。
そして、セシリアの射撃を突破するまでの戦術。
どれも興味深い。
だが、少女の関心は、戦闘データだけに向けられているわけではなかった。
別の画面へと切り替える。
そこには、教室でクラスメイトたちと話す少年の姿が映っていた。
さらに、もう一つの記録。
学生寮へ向かう途中の様子。
そして、少年の隣で、いつものように眠たげな笑顔を浮かべている少女の姿。
「本音ちゃんとも、ずいぶん仲が良さそうだし♪」
扇子の向こうで、少女の口元が楽しげに緩んだ。
戦いの中で見せた一面と、日常の中で見せる一面。
その両方に、彼女は興味を惹かれていた。
「企業代表っていう立場もあるみたいだし……いろいろと面白そうな子ね」
少女はモニターを見つめながら、楽しそうに目を細めた。
まだ分からないことは多い。
彼が何を考え、何を目指しているのか。
あの機体に、どんな秘密が隠されているのか。
そして――本音が、彼に対してどんな感情を抱いているのか。
今の段階では、どれも確かなことは言えない。
だからこそ、興味が湧く。
「一度、直接会ってみたいわね♪」
少女は扇子を閉じ、椅子から立ち上がった。
その瞳には、好奇心と、これから起こることへの期待が浮かんでいた。
少しずつ変わり始めた、少年の日常。
その変化を見つめる者が、また一人。
静かに動き始めていた。