SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第一部 作:大野 紫咲
少し前から抱いていた希望を、ムラサキは思い切って雇い主に打ち明ける。
第11節 独立
「すごいわねぇ。今月もまた一番よ、ムラサキ」
「ありがと、ママ」
平凡なビル街の一角に作られた、こぢんまりとした事務室。
その日仕事を終えて、風俗店の事務所に戻ってすぐ、そう言って出迎えてくれたオーナーであるママに、私は曖昧な笑みを向ける。
「折角だから、休憩がてら何か飲んでいく?」
「いいの?」
「丁度新作が出来たところだったのよぉ。ムラサキにも試して欲しくってね」
野太い声をしたママが、筋肉の盛り上がる丸太みたいに太い手で、レモンをカットし、シェイカーを振る。見た目のごつさからは、信じられないほど繊細な動きだ。
ママは……何て定義されるのか知らないけど、女装をしてる男の人。オカマって呼ばれることが多いだろうけど、ママの心の性を知らないから、実際はそれも合ってないのかもしれない。とりあえず、筋骨隆々な強さと美しさを持つ、憧れの人だ。
自身の恋愛対象は男性でありながらも、思うところがあってレズ風俗――今は女性間風俗という呼び名も出て来つつあるけど――を経営しているらしい。
ママは事務所での風俗経営者としての仕事と、個人がもつバーのお仕事を掛け持ちしている。
ママが持つお店は、クロカゲに近い裏通りにあって、ここより狭くゴミゴミとしているけれど、地価が安かったらしいここの事務所は、白を基調としたオフィスらしい洗練されたデザインだ。白いカウンターキッチンの内側で、器用に果物の皮を剥くママから目を離して、私は壁に掛かった出欠札を見た。
私の他に、数名の子の名前が、派遣中・待機中などの各列に掛かっている。
私の札――コン、と書かれたプレートは、もう今日の仕事が終わったので、引っ繰り返して休業中の意を示してあった。
コン、というのは風俗業での源氏名みたいなものだ。
私の持っている袴が、紫色の他にもう一色、紺色だからコン。
最初は本人を特定されないようこっちを名乗ろうと思っていたんだけど、なんだかんだでママもみんなも私をムラサキと呼ぶので、名前を名乗り分けるのは性に合わなくて、こっちを使うようになってしまった。
まあ、セブンスコードで着物を普段着にしている人間なんて私くらいのものだから、紺だろうが紫だろうが悪目立ちはするし、過去から来ている以上、身バレも顔バレも知ったこっちゃないというところだが。
むしろ、ある程度の素性が知れていた方が、相手には安心感を与えられるみたいだ。
「すっごーい!綺麗ね」
「ふふっ。どう? 冬だからって閉じこもってばかりじゃ、気分も下がっちゃうでしょ。ちょっとトロピカルなフルーツも入れて、淡めの色にしてみたわ」
ママの作ったカクテルは、仄かに色づいて泡の浮いたミルキーな白が、かまくらの壁に反射して灯る雪明りみたいで、とても綺麗だった。
表面に浮かんでいる泡は、銀色の雪のようなものをグラスに降らしている。
「あ、そうか。こっちは今冬か……」
「何ボケたこと言ってるのよ。確かにセブンスコードの中じゃ季節感ないけど、外で流れてる時間は一緒でしょ」
あんまり気にしたことなかったけど、私は過去の世界からログインしているので、真夏にログインしてもこっちは冬、ということだって往々にしてあるのだ。
けれどそれには触れずに、私は極上の舌触りをもたらしてくれるカクテルをストローで味わいながら、ふと思い出して顔をあげた。
「あ、ママ。あのね、私の成績、他の人には……」
「わかってるわよ。うちじゃ、競走目当ての子以外には、売上と名前は公表しないことになってるの。変わってるわねぇ、業績トップなのに、それを人に知られたくないなんて」
「だって、嫉妬とか恨みとか、面倒くさいもん」
「ま、それもそうね。それも世の中を賢く渡る方法だわ」
素直な笑顔でママが笑う。
ママが人の業績を他人に誇らしげにひけらかすような人じゃなくて、助かった。
私としては、ママだけが私の成果を知っていて褒めてくれれば、それで十分だ。
水滴のついたグラスを持ち、カウンターを立って応接室のソファに深く腰を沈めながら、私は溜め息をつく。
「それに……私なんか、トップ取っていいような人間じゃないと思うんだけどな、本当は。今でも何かの間違いって思いたいくらい」
「あら。お客さん達には概ね好評なのよ、ムラサキは。細かい気配りが行き届いてて、一緒にいると居心地がいいんだって、みんな言ってくれるわ」
「それは、嬉しいけど……私、他のキャストさんみたいに、自分を磨くような努力なんてしてないし、自分を演出しようというよりは、自分がありたい自分のままでいるから来たい人は付いて来てねってスタンスだし……現実じゃ、多分こうも上手くいかないっていうか」
「だとしても、これも貴女の実力ってことよ。誇りに思って頂戴な」
口紅を塗って微笑むママに褒められると、嬉しいけれど、その反面こんなに喜んでもいいのかな、と戸惑う。
努力に見合わずに、与えられる勲章。
調子に乗って足を滑らせるのは、いつもの私の悪いクセ。
あんな思いを経験するのは、もう現実だけで十分だ。こっちでは堅実に生きたい。
(平常心、平常心……)
もう、誰かと比べて上に立とうとか下にいるとか、そう思うのはやめるんだ。
少なくとも、この世界や「この業界」には私が比べたい相手も、見下したい相手もいない。
誰と競うこともなく、ただお客様を見据えて一対一で、やるべきことに全力を掛けられる自分がいる。
そう思ったら、前々から抱いていた欲求が、むくむくと頭をもたげてきた。
「あの……ママ」
「あら。なぁに?」
「相談があるんだけど……」
「前言ってた、お店の独立の件のこと?」
驚いて目を見開くと、ママはお見通しだというようにばちっとウィンクしてみせた。付け睫毛で風が起きそうだ。
セブンスコードでも、蝶の羽ばたきっていうのは起こりうるのだろうか。
「なんでわかったの?」
「これでも、長年この場所で店を構えてやってきたんですもの。いいわねぇ、若いって」
そう言うとママは、ドレッサーの前で肘をつきながら真剣な顔になる。
「でも、正直言って大変よ。うちは事務員も雇ってるけど、個人営業になったら、ホームページの更新から予約の管理まで、全部一人でやらなきゃいけないんだから。もちろん金回りのこともね」
「やっぱり。それはそうですよね」
思わず溜息が出る。
しがらみから自由になれば、その分責任も増える。
この店もスタッフも嫌いではないけれど、商売、ということに関して言えば、やっぱり何から何まで一人でやった方が気が楽だ、という気持ちの方が強かった。
仕事も自分一人が把握していれば済むし、誰にも説明しなくていいし、自分の方が早く出来る仕事なのにと同僚に気を揉んだり、反対に自分が苦手な仕事で同僚に迷惑を掛けるのではと気を遣わなくてもいい。
正直、一人になって経営が上手くいかなくなったところで、リアルの私は夫のおかげで身入りも堅実だから、何一つ困ることはない。
それでも、出来ることなら採算が取れる程度には軌道に乗ればいいなと思う。
それに、こんな道楽にも見える私の仕事と将来の道筋のことを、ママはいつも真剣に心配してくれているのだ。
「……」
「難しい顔しないで。貴女がやってみたいと思うことなら、やってみなさいな」
「でも……」
「ここはセブンスコード、でしょ。現実では叶えられない、貴女の夢や希望が叶えられる街よ。少しくらいそんな世界に縋っても、アタシいいと思うわ」
そんな言葉に背を押されて、私は頭を下げる。
こうして、私は自分が勤めていた派遣型の風俗を退店して、自分で店を構えることになった。
店を構えると言っても、出張型の個人経営なので、拠点はNT地区にある鄙びた自宅のマンションだけだ。
SOATの詰所からも、裏通りからも、そしてクロカゲからもそこそこ離れているせいか、人通りが少なく割と閑静で綺麗な場所だった。
嫉妬の柱、と昔呼ばれていた場所の跡地が、ぼんやりと遠くに見渡せる。捕縛を思い出させる忌々しい場所として敬遠されがちなのもあって、人がいないのかもしれないけど、結構な穴場だと思う。
「……やってみるしか、ないよな」
廊下から手すり越しに身を乗り出せば、どこからか吹いた風が頬を撫でていく。
セブンスコードの中では、閑散とした場所までは空調のプログラムが行き届いていないのか、たまに寒暖の差が起きたり、こんな風に風が吹いたりもして、恒常性を望む人達には不評のようだけれど、私はこの場所が割と好きだ。
現実ではどんなに無理なことでも、ここではリアルの私に関係なく、やってみたり行動したりしてみようかな、と思える。
そう、この間ヨハネさんに出くわしてしまった時や、クロカゲでクソ客を追い払った時みたいに。
(……ヒーロー気取り、か)
誰の目も気にせずにいられるから、私、自分に酔っているんだな。
そう思って自嘲に頬を緩めながら、まずはホームページの立ち上げからやってみるか、と思いつつ、私は燃えるような夕焼けに染め上がるセブンスコードの空を見つめた。