SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第一部 作:大野 紫咲
現場に到着した、ヨハネ達一行。
現れた「青い女」について、何故か知っているらしい素振りを見せるムラサキ。
逃げ惑う中で、なんとか撃退法を見つけ出すものの……?
第15節 八尺
「ねえ、いくらなんでも、もうちょっとやり方あると思わない?」
先ほどとは打って変わり、憮然とした表情でヨハネの隣を走るムラサキ。
混乱の影響で通信障害が起きているらしく、FZ地区の近くまでしか瞬間移動は使うことが出来ず、そこから先は徒歩で移動するしなかなったのだが、しかし。
出動することを第一目的として、相手のペースなど気に掛ける余裕もなく走るヨハネに、引き摺られるようにしながら街中を移動するムラサキがぶうたれている理由は、その右手の手錠だ。
SOATが被疑者や犯人を確保する時に使う、淡い燐光を放つ電子錠。
その片側に拘束されたムラサキの右手首は、反対側の輪で括られたヨハネの左手首に繋がれていた。
ぢゃりんっ、と短い鎖に繋がれた手錠が鋭い音を立てる。
「ねえちょっと! 痛いってばッ! もうちょっとゆっくり歩いてよっ、いくら戦闘用に改造されてるとはいえ、この袴走りにくいんだから!」
「さっさとしないと犯人が逃げるだろ! だいたいあんた、さっきから何回ボクの足踏んでんだよッ! 仕事の邪魔しないでもらえるかな!?」
「はあぁ!? あんたが勝手に連れて来たのに仕事の邪魔もクソもあるか! イヤなら置いてけ! ばーかばーか、ヨハネのばーか!」
「なっ……あっそう! だったら今すぐここに放り出していってあげるよッ! その低能な返ししか思いつけない頭で、どこまで生き残れるか見ものだね!」
「むきぃぃぃぃ! いいもんっ、自分の身くらい自分で守れますよぉーだ! てゆーか、だったら早く離しなさいよ!」
「ああ離してやるよ、SOATに連れ帰ってあんたの嫌疑が晴れてかr……ぎゃああああ! コイツブーツの踵で踏みやがった! もう絶対許さないから!」
「ヨハネが思いっきり引っ張るからでしょ! わざとじゃないもん!」
「あんた達、元気ねぇ……」
まったく馬が合わずに、ぎゃあぎゃあ押し合いへし合いしながら進むヨハネとムラサキを、呆れたように見守るミカがその隣に続き、通報のあった大通りに飛び出すと、スクラップの残骸が広がる道路に、SOATの隊員が倒れていた。
駆け寄ったヨハネに合わせて、ムラサキもしゃがみ込む形になる。
「おいっ! 何があった!?」
「あ、あっちに……化け物の群れは、となりの地区にまで、浸食を……青い、女が……」
そこで意識を失った隊員が、地面にぐったりと倒れ伏す。
「青い女……さっきから聞いてるこれは、いったい何のことだ……?」
「リーダー格の奴がいるのかもしれないわね。アタシ達は現場に急ぎましょ」
「まだ走るのぉ~???」
既にへとへとなムラサキが、ヨハネ達の後に続く。途中で見かねたミカが何度かおぶってくれようとしたのだが、同じ手錠に繋がれたヨハネが断固拒否したので、いやでも走るしかない。
そして、何かを破壊する音や爆音の続く市街地に出たムラサキ達は、衝撃の光景に呆然と立ち尽くした。
ヨハネ達に通報があったFZ地区やそこに隣接するいくつかの地区は、色欲の柱のすぐ隣にある街だ。
象限の端にある海の方へ近づくにつれ、高いビルは姿を消していくものの、このあたりはまだオフィスビルや商業向けの建物、宿泊施設なども多く、都会の様相を呈している。
その街の中を――ブロック塀や標識を優に超える背の高さの怪物が、青いゼリーのような体を揺らし、二足歩行で歩いていた。それらが何体も、街中を占拠しているのだ。
「ヤダ、ちょっとなんなのこのキモい奴!」
ミカが代表して声を上げるが、周りの人間達は驚く間も余裕もなく、逃げ惑っているようだ。
某作品の言葉を借りて言うなら、ダイダラボッチの縮小版。
もうちょっと可愛く言うならば、巨大化したクリオネに足が生えたやつ、と言うこともできる。
ぷるんっ、と水と個体の中間のような、妙に潤い豊かな体を揺らし、好き勝手にガラスや壁にぶつかって、破壊の限りを尽くす青い怪物は、すべて二本足で――おまけに、全員が白いスカートを纏い麦わら帽子をかぶっている。
こんな巨大な人影に被せるスカートなんてどうやって作ったのかという疑問がムラサキ達の脳内を闊歩するが、実際目の前で着ているのだから、考えたって仕方がない。
顔も手足もろくに判別できない、ただ水っぽい体内で細胞間物質が蠢いているだけのように見える怪物にも関わらず、青い「女」と呼ばれているのは、この服装のせいなのだろう。
「何なんだこれ……ほんとに、なんなんだよ……」
くるくると優雅なスカートで回りながら、軟体生物じみた柔らかさで、ビルの壁に這い上った青い女が、ビルの客たちを脅かしている。もう一体は、ぐにゅぐにゅの体で看板に巻き付きながら、それをへし折っていた。物凄い力だ。
それまで、闘うにしても人間相手、どれほど人間離れしているにしても悪魔の「審判」を受けている最中の人間達や、
そんな中、ムラサキの反応だけは、二人と少し違っていた。
「なんだこれ……?
二人の隣に立ちながら、ぽかん、として上を見上げるムラサキの言葉に気付き、ヨハネが問い返す。
「ハッシャクサマ? て何?」
「知らない? 有名な都市伝説。すんごくでっかい……ええと、一尺は昔の単位で30cmくらいだから、八尺で240cm身長があるって言われてる、女の化け物だよ。
だいたいが麦わら帽子に白いワンピースっていう服装で、お話に出て来ること多いみたい。少なくとも、頭に何か被り物してるのは確からしいよ」
「そいつは、何者なの……?」
「さあ。何者だかわかんないから、都市伝説なんだと思うけど」
思いもがけない情報源に、ヨハネが目を丸くしながらも、手を引っ張って物陰に隠れつつ問い掛けた。
とりあえずは、怪物の視界から逸れた場所で、作戦を考えるつもりだ。
「たしかに……240cmくらい、あるように見えるかも。言われたら、あの頭から出てる青いぴろぴろが髪の毛っぽい」
「人間サイズのアバターじゃ考えられない大きさねえ……何かのバグでなきゃ、起こりっこないと思うんだけど」
「こっちの世界は知らないけど……とりあえず、私の知ってる八尺様は、とりあえずバカでかくって女の人で、あと、鳴き声。……あんな感じの」
ひそひそと、気付かれないように三人が話す。
ふと会話が途切れて耳を澄ませると、破裂音のような「ぽぽぽっ」という声を出しながら、大股の八尺様が往来を我が物顔で歩いていく。
ヨハネの横にくっつく形で、塀の傍をのっぺりと歩く八尺様を隠れて見上げながら、ムラサキが言った。場違いなほど青く晴れて広がった空に、長身の八尺様の白いワンピースと帽子の色が眩しい。
「でも、強いて言うならその……お化け? なんじゃない? 八尺様って、気に入った相手を憑り殺しちゃうらしいよ」
「意味不明なんだけど……なんで気に入ってるのに殺しちゃうのさ?」
「ほら、ウイルスだって生きるために寄生した結果宿主殺しちゃうっていうし……」
「ていうか、お化けって何さ。ここセブンスコードだよ? そんな怪談じみたことなんて、起こるわけが……」
そう言い掛けたヨハネを、何事も疑ってかからないことはない、と話していたユイトの台詞が、脳内で押し止める。
一度頭を振ると、ヨハネはミカとムラサキを見た。
「まぁ、いい。仮にオオノさ……いや、もういいや、ムラサキが今言った通りの化け物に似てるとして、奴が何者かに関わらず、とりあえず何とかして集めなきゃ。ボク達だけで倒すには、数が多すぎる」
「一か所に呼び寄せてから、まとめて倒すってことね。アタシに任せて頂戴。でもヨハネ、集めた後にどうやって攻撃するかは考えてるの?」
「それは今から考える……。武器として何が通るかは分からないし、それも試しながら、どこか広い場所にあいつらを集めよう。最悪、集めた場所に鉄条網で封鎖を施せば、混乱を収めることはできる」
「了解。じゃ、アタシはさっき行った奴の後ろから、一太刀浴びせてみるわねん。あのブヨブヨ、この刀で切れるかしらぁ」
その手に
その時、訝しみながらムラサキが言った。
「ねえ。この先の道、行き止まりだったのに戻って来ないなんておかしくなぁい?」
「奴ら、歩いてった先の壁でも壊して暴れてんのかしら」
「そうかもしれないけど……なんか妙に静かだし」
「そうだよね……あれだけ煩かったのに、鳴き声も足音も急に聞こえなくなって、」
ぬとり。
足元に液体が落ちて来て、三人は宙を見上げる。
そして思わず、小さく悲鳴を上げながら身を引いた。
6、7体の八尺様が、べたべたっ、と路地のビル壁に貼り付きながら、3人のことを見下ろしていた。
赤い細胞核のようなものと、プランクトンのような物質がくるくると踊る頭を向け、目がなくても見ていると分かるほどの纏わりつくような視線を浴びせながら。
「ぽぽっ」「ぽぽぽっ」「ぽぽ、ぽっ」
「「ぎゃああああああああああっ!?」」
悲鳴を上げながら、反射的に身を翻す。
三人をどう食べるか、と相談しているような様子で身を寄せていた八尺様達は、べたん、と高いビルの壁面から下へ飛び降りてきた。
一瞬だけ後ろを振り返ったムラサキの視界に、ばしゃん、と地面に落ちて砕け散った八尺様の体が、液体から宇宙人が構成されるようにしてたちまち元通りになるのが映った。
「ぽぽぽっ」
(そういえば私、前に賭場の帰り、この声聞いたような……じゃあ、あの川の傍にいたのって、やっぱり八尺様?)
腕を手錠ごと引っ張られて疾走しつつ、ムラサキはぼんやりと物思いに耽る。
「でも、八尺様がこんな風にスケスケしてるなんて、聞いたことないなあ」
「わかったからッ! そこまで知ってるなら、あんたその、八尺様の倒し方知らないの!? 弱点とか!」
「それは知らない。だって倒したって話聞いた事ないよ。部屋の隅に盛り塩すれば、入って来られないようには出来るらしいけど、そっから後はもう、八尺様に追い付かれないように全力で安全な場所まで逃げるしか」
「あーもう! この役立たず!」
「人の知識に頼るだけ頼っといて役立たず言う!? 悪うございましたね役立たずで!」
その図体とは思えないほどの恐るべきスピードで、カエルかペンギンのような足を使い、べたん、べたんっと足音を立てながら八尺様が迫って来る。
慌てたムラサキが、繋がれた手首の痛みも忘れながら叫んだ。
「人間の足じゃさすがにあの歩幅に勝つの無理だよ! バイクか車に乗んないと追い付かれる!」
「バカ言ってんじゃないよッ! セブンスコードにそんなものあるはずないだろ!? みんな瞬間移動ばっか使ってんのに!」
「じゃー今すぐこの手錠外して!」
「はぁア!? この緊急時に……」
「緊急時だから言ってんのッ! なんとかなるかもしれない可能性に掛けるのと、このままぺちゃんこに二人揃って捻り潰されるのと、どっちがいいの!!」
「ああもうッ、わかったよ……ッ!」
ぎゃあぎゃあムラサキに叫ばれて迷った末、さすがのヨハネも、しぶしぶ鍵を取り出してなんとかロックを解除する。
ヨハネの手首から離れて、ざんっと足を踏ん張りながらその場に振り返ったムラサキは、開いた指先を目元に当てながら声高らかに叫んだ。
「
植能の発動と同時に、如実にマゼンタの輝きを帯びる瞳。
すぐ目前まで、触手のような手を伸ばしてきていた八尺様の群れの動きが、ぴたりと止まる。
かと思うと、酒に酔ったかのように、或いは興奮しているかのように、体をくねくねさせながら人間離れした動きで踊り始めた。まるで人型イソギンチャクだ。地面に倒れ伏したまま、ミミズのように暴れている者もいる。
発動させたムラサキが、思わず顔を顰めた。
「うえ、気持ち悪い……使わない時の方がまだマシだったかも……」
「……! ミカ! 今!」
「言われなくても!
ヨハネの合図で、その体に猛毒を纏った刃を斬り付けたミカは、未知の感覚を味わいながら驚愕で目を見開く。
「こいつ……全然効かない……ッ!?」
「な、ウソだろ……!?」
リバーは、ヨハネが知る中で最も一撃の威力が強い武器だ。
その広い刀身が、ぶにょんとした青い身体に食い込んだかと思いきや、勢いよく跳ね返される様を見て、ヨハネも拳銃を取り出した。
「こうなったら……」
ユイトの植能・
その銃口を躊躇いなく向け、だんっ、だんっと発砲しても、その瞬間だけ八尺様の体は跳ね上がるが、芋虫のような動きは止まりそうもない。
しかし、ミカの刀身に纏っていた毒は効いてきたようで、八尺様の体が気持ち悪い濁った紫に染まったかと思うと、真っ黒な煙を上げてしわしわになり始めた。
ナメクジのように縮んだ八尺様達は、その形態をもはや失くし、通りには汚水のような液体だけがどろどろと広がっている。しんとなった通りで、ミカが言った。
「なんとかなった……のかしら?」
「多分ね。危なかった……」
そう言いながら、ムラサキの手と己の手を、またちゃっかり手錠で拘束するヨハネ。
ムラサキが抗議の声を上げる。
「ちょっとおおおおお!? なんで!?!?」
「今のでミカの猛毒が効くってことは分かったから。次はボクらで何とかする。連れて行きたくても、あんたに触れたらまた植能にやられるかもしれないだろ」
「そうじゃなくてもうちょっと何かこうさああああああ」
「あの動きと、液体じみた性質……まさかこれは、『水』のエレメントか? だとしたら、犯人の背中には紋があるはず……」
ぶーぶー言うムラサキを完全に無視しながら、顎に手を当てて考え始めるヨハネ。
その時、何かに気が付いたミカが、大声で叫んだ。
「ちょっと! あの化け物の中に、何か入っていたみたい!」
汚れた水を跨ぐようにして近づいたミカは、どろどろとしたゼリーの残り滓のようなものに塗れた物体を慎重につついていたが、驚きに目を見開いた。
「ねえ! これ人よ! あっちにもこっちにも倒れてる! 多分、あのゼリーみたいな奴が本体で、乗っ取られてたのよ!」
ミカに助け起こされた男が、呻き声を上げる。気を失っているだけのようだ。
他にも、水溜まりの中で溺れそうになっていた人達が、次々と地面に現れ始めた。
「! ミカ! ちょっとそいつの服、背中の方だけ捲ってみてくれ!」
「やああああ! ちょっとヨハネさん、私を連れたまま水溜まりの中入んないで! 袴の裾汚れるってば! ひいいいヘドロみたい気持ち悪いいいいい」
悲鳴を上げるムラサキを引き摺りながらやってきたヨハネが、男の背中を覗く。
素肌の上に浮かび上がっていた、藍色の水を象った紋が、じゅうっと焼けるような音を立てて煙となり、宙へ消えた。
「やっぱり……」
「これ、写真撮った方がいいわね。アタシ、他の被害者を調べてくるわ!」
「頼む。……これで全部、か? 到着した時は、まだいたように見えたけど」
「結構数いたわね。もしかしたら、隣の地区に逃げ込んだ奴がいるかも……」
そう言いながらミカが、倒れた他の人間達の救護活動に当たろうとした時。
べたん、べたん、と新たな足音が道に響いた。
「こいつら、どこから……!」
「どんどん寄って来てるみたいね。でも、こっちから出向く手間が省けただけ、ラッキーだわッ!」
闘志を宿したミカが、刀を手に立ち上がる。
ところが、新たに表れた八尺様の群れは、ヨハネ達と適当な距離を保ったまま、動こうとしない。襲ってくることはなく、広場のような場所で、互いに手を繋ぎぐるぐると回り始めたのだ。
「あいつら、何してるの……?」
「ぽぽっ」「ぽぽっ、ぽぽっ」「ぽぽぽぽっ」
ぽかんとするミカ達の前で、踊るように回転の速度を上げる八尺様達。
その姿が洗濯機の水のように、輪郭を失くし溶けて見えなくなり、膨れ上がったと思った瞬間、ビルの合間には、先ほどの何倍にも増して巨大な女が、ワンピースと麦わら帽子姿で鎮座していた。
ひょろながい背が、そのへんのビルと同じくらいの高さなのだ。
一歩で車の一台や家の一軒も跨げてしまう、そんな怪獣映画さながらの規模に、ヨハネ達は呆然と声を上げた。
「これ、もしかして、合体したのか……!?」
「八……いや、これじゃ八十尺様だよ……24メートルはあるんじゃない……?」
「やだ、もう! さすがにこんなドでかいの、アタシの刃でも通らないわよぉ!」
ミカが地団駄を踏む。
ずがん、と巨大な膝が歩こうとしてコンクリートの壁に刺さり、よろめきながらも、巨大八尺様はこちらに近づいてきた。
距離を縮められる前に、と思いながらミカとヨハネがとりあえずは拳銃で応戦するものの、動きが鈍る程度で相変わらず大した効果はない。
ゆらり、とこんにゃくのように揺れた八尺様の頭部を、ヨハネが狙う。しかし、ムラサキと手を繋がれた状態の片手撃ちでは命中率が悪く、撃ち放った弾丸の一つが逸れて帽子の縁に命中し、麦藁帽ごと吹き飛ばした。触手のような青い髪の毛が垂れ下がった顔が、露わになる。
「あ……」
思わず息を飲みながら、ムラサキはその様子を観察していた。
大きな帽子が飛ばされてしまった八尺様は、一瞬狼狽したような動きを見せた。
しかし、その直後、今までにない速さで、差し出すように伸ばされた右手が、巨人が人間を掴もうとするかのごとく、ムラサキ達に迫った。
「危なっ……!」
思わず、ヨハネを庇いながら前に出たムラサキは、空いた左腕を広げて、その青い手を受け止めようとした。
ゼリーのような腕が、ムラサキ達を体ごと二人とも包み込む。ざぶん、と水に飛び込んだような音がして、青い水の中で息が出来ないまま、ムラサキはごぼりと水泡を吐き出した。
巨大な手の中で旋回し、上も左も右も下も、平衡感覚が分からぬまま、ぐるぐると水中を漂う。洗濯ものになった気持ちで眩暈を味わっていたその時、微かな声が、ムラサキの頭の中へ響いた。
『――かえして』
(……え?)
その時。ばしゃん、と水が弾ける音と同時に、ムラサキとヨハネは地面に投げ出される。
ごほごほせき込む横で、ミカが刀剣を握りながら、怒りの形相で八尺様を睨みつけていた。
「てめェ、あんまり調子に乗って好き勝手やってんじゃねェぞォ!」
「ぽぽ、ぽ……」
くらくらする頭で、ずぶ濡れのまま身を起こしたムラサキとヨハネが見れば、八尺様の右手首から下が、ばっさり切り落されていた。ムラサキ達が巻き込まれていた部位ごと、ミカが切除したらしい。
地面に落ちたまま、膿んだように腐った色をしていく右手と、切り落とされた断面がそのまま真っ青な色をしている右の手首。
そこから血のように滴り落ちる青い液体が、コンクリートに水溜まりを作っている。その青い水びたしの地面を見ていたムラサキは、ふと気が付いてヨハネの肩を思いっきり叩いた。
「ヨハネさん! ちょっと! あれ!」
我に返ったヨハネも、しまったという表情を浮かべる。
さっきの水流に飲まれて、服の中に入れておいた手錠の鍵が、落ちてしまっていたのだ。
慌てて拾いに行こうと、ばしゃりと音を立てながら、我先に水溜まりを立ち上がる二人。
そのタイミングで、そのまましばらくじっとしていた八尺様が、急に動きを見せた。再びミカに襲われることに恐れをなしたのか、しゅるしゅると縮んで、その巨大な体を液状化させ始めたのだ。
「あッ、こら逃げんのかてめェ!」
キレたミカの漢気溢れる怒声にも構わず、しゅうしゅうと蒸発するような音を立てながら、八尺様が一か所に集まり、消えていく。
周囲の倒された八尺様のなれの果てや、今しがた零れた水までをも巻き込んで。ぽちゃん、と音を立てて鍵を吸い込んだ水も、海の潮が引くように八尺様の本体へ集まっていく。
「「ああーーーーーー!!!!!!」」
「ぽぽぽっ」
二人揃って絶叫したムラサキとヨハネの目の前で、しゅう、と音を立てた八尺様が消えた。
慌てて地面に這いつくばるも、さっきまで路上を埋め尽くしていた水は、もう跡形もない。
途方に暮れたまま、ムラサキとヨハネはその場に立ち尽くした。
――互いの右手と左手を、がっちり手錠に拘束されたまま。