SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第一部 作:大野 紫咲
彼女はそこで、意外すぎる相手と再会を果たす。
第2節 見解
その日の夜。
仕事を終えたムラサキは、馴染みのママの店に行き、お気に入りのドリンクをつまみと一緒にひっかけていた。
骨格のがっしりしたママが、今日はタキシード姿に身を包んで、シェイカーを振りながらカウンターの中を動き回っている。
「それにしても、個人営業が順調みたいでよかったわ~」
「ママが、いいお客さん紹介してくれたおかげだよ。色々大変なこともあるけど、あんまり店にいた時と変わらない感覚でお仕事できてるし、それにまあ、正直なこと言うと、稼ぎがまんま自分の懐に落ちてくるのも、ありがたいしね……。
ママに紹介料払った方がいいんじゃないかってぐらい」
「ここに来て、元気な顔見せてくれるだけで十分よ。けど、あんま飲み過ぎないようにね。あんたアルコール弱いんだから」
「だいじょーぶ、ママが作るカクテル、ノンアルのも美味しいし。むしろごめんね、アルコールばっか飲めなくて……」
「ココは大人が夜を楽しむ場所だから、なんだっていーの。ムラサキはいちいち気にし過ぎよ」
一人飲みが多いカウンター席は今日は空いているようで、奥の角にあるテーブルが数組の客で賑わい、あとは間隔を置いて数名の単身客が、キャンドルの灯るテーブルで、静かに物思いに耽っている。
氷が砕かれて割れる音。棚に並んだ酒の瓶がぶつかり合う音。マドラーでグラスをかき混ぜる音。ミキサーの音。決められた正確な手順をなぞるように、どんなに忙しくても危なげなく動いていくママの立てる音色を、じっと目をつぶったまま聞くのが、ムラサキは好きだった。
訳アリの人間も多くやってくるこのバーは、とにかく居心地がいい。ママはやさしいし、やって来るお客も、会話好きなら話に加わるし、そうでなければ適度な距離で放っておいてもらえる。
透明なグラスと綺麗なカクテルの奏でる音色に耳を澄ませながら、カウンターに腰掛けたムラサキがじっと頬を緩ませていると、不意にドアベルの音色が響いた。
新しい客が入って来たらしい。
「あら、いらっしゃい。お客さん、はじめて?」
「そう……だね。えっと、度数が弱いやつ、頼める……?」
「アルコールには弱い方かしら? はい、よかったらこれ。メニューあるわよ」
(……うん?)
なんとなくその声に聞き覚えがあるような気がして、ムラサキは目を開ける。
手渡されたメニューを開こうとした隣の人間と目が合って――双方瞳が真ん丸になった。
「っえ、んえええええええええ!?」
「あっ、あんた、なんでこんなとこに……!?」
向こうも本気で驚いたようで、ムラサキからすれば馴染みのある方の格好――制服姿ではなく、赤いクチュールに身を包んだヨハネが、メニューを手に唖然とこっちを見ていた。カウンターのスツールに腰掛けた姿勢で惜しげもなく晒される長い手足と、黒いブラを纏った開いた胸元が、露出面積など欠片もないSOATの制服姿に比べればあまりに綺麗で、目をちかちかさせながらムラサキが辛うじて口を開く。
「そ、それはこっちのセリフ……! え、あ、う……まっ、ママ! お会計! 私帰る!」
「あらあら、どうしたのよそんなに慌てて」
「まっ……ちょっと待って! おい待てって!」
SOATに捕まる可能性を思い浮かべたのか、赤くなった次に青くなって逃げ出そうとするムラサキの腕を、カウンターから降りかけたヨハネがはっしと掴んだ。
「待ってよ。お願い。このカッコでうろついてるのは、あんたを捕まえるためじゃないんだ」
「……え?」
「会えたら、話がしたいと思ってた。……ボクを、信じてくれない?」
大きな瞳にひたむきに見据えられながら、振り返ったムラサキが動きを止める。
じっと、頭ひとつぶん高い位置にあるその顔を見上げながら、ムラサキがおずおずと言った。
「……本当に、捕まえない?」
「うん。この格好でいる間は、あんたのことは捕まえないし、強引にSOATに連れて行くこともしない。……約束する」
「……」
手を掴まれたままで彼を見つめていたムラサキは、さっきより席一つ分詰めると、ヨハネの隣に黙ってすとんと腰を下ろす。ほっとした様子でスツールに戻ったヨハネが言った。
「マスター。ボクにジンジャーフィズを。あと、彼女の次のカクテルはボクの奢りで」
「えっ」
「ふふっ、そんな堅苦しい呼び方じゃなくていいわよぉ、ママで。了解。ちょっと待っててね。ムラサキは次何にする?」
「えっ……あっ、えっ、んと、じゃあ同じやつ……!」
何かを感じ取ったママは、ふふふと穏やかに笑いを一つだけ浮かべ、カウンターで作業に入る。
驚いているムラサキに、気にしなくていいという風に手を振ってから、ヨハネはミネラルウォーターを一口飲む。
「今まで追い回しちゃった分のお詫び……と、この間八尺様のこと手伝ってもらったお礼。まあ、これじゃ安すぎると思うけれど」
「いやそんなん、私がやりたくてやったんだから気にしなくていいけどさ……て、いうか、ヨハネさん大丈夫だったの?」
「色々あったけど首の皮一枚繋がった。今はまだ、こっちで特別警備の任に当たってる」
厳密にいえばムラサキに関わる任も兼ねているが、それは仄めかさずに、ヨハネは作られて来た飲み物を口に運びながら、話し始めた。
ムラサキもその隣で、しゅわしゅわと泡を弾けさせる黄金色のグラスへ口を付ける。
「あれから、色々考えたんだけどさ。あんたに言われたこと……本当は、前からボク自身も思ってたことだった。SOATは、制度や体裁を前面に押し出すあまり、都合の悪いものを無視し過ぎたんじゃないかって。
確かに、カシハラがトップになって前よりは良くなったよ? それでも、全部は救えないだろうからって……ボクは目を背けようとしてた。改革には犠牲が付き物だから仕方ない、少しくらい頑張ったところで意味はないって言い聞かせてさ。
……でも、それじゃダメだったんだ。救えないだろうって思う者を救うことこそが、ボクのSOATとしての務めだったのに」
ぎゅ、と手袋の手を握り締める。
カウンターで、ポニーテールの房を揺らして前を向いたムラサキは、隣で語るヨハネの言葉に、じっと耳を傾けていた。
半分くらいグラスを減らしてから、ヨハネが口にする。
「前からボクはこの地区の担当班長だったんだけど、この間SOATでみんなに提案してみたんだ。こっちの巡回パトロールに、私服で回る時間も設けさせてくれって」
「……私服警官みたいな?」
「まあそんな感じ。やってみたら賭場の周りの人間は、やっぱりSOATの制服姿よりも、こっちの姿の方が話し掛けてきてくれる。
SOATって知られるだけで作られてしまう壁が、知らないうちに取り去られてるのを感じた。オージがいつまで経っても人に好かれてるのが、なんとなくわかったよ」
「そうなんだ! ……そっか。街に住んでる人と、距離感が縮まるのはいいよね。近くで見ると、遠くからは見えなかったことも沢山見えるでしょ」
「本当にそう思う。巡回の時だけじゃ見れなかった、『綺麗』じゃない方の姿っていうか……色んな人が本音でぶつかってくる。全員の望みを解決することはできないってのは、わかってるんだけど、それでもちょっと楽しいかな。色んな見方があるって気付いて、びっくりするんだ」
「別にそれでいいよ。お役所の人の仕事は、人の願いを何でも叶えてあげることじゃないんだから」
そう言うムラサキと会話が弾み、何杯かグラスを空にしてから、ヨハネがふと零した言葉を、彼女は耳に留めた。
「……それで、あんたに会えるのをずっと待ってた。また会えたら、あの時は出来なかった話を、色々聞けたらいいなって思ったんだ。この世界であんたが見てきたことも、あんた自身の世界のことも」
「ヨハネ……」
まっすぐに見つめられたムラサキの瞳に、キャンドルの炎が揺れた。
隣り合った席、キラキラ光を反射するカクテルのグラス越しに、二人の視線がぶつかる。
(……これ、お酒のせい?)
鳴り出した心臓の鼓動が、自然と速くなる。
ママがレコードに落とした針から流れ出す、サックスとジャズバンドのBGMが、その場の雰囲気を柔らかく穏やかにしていた。
オレンジの光に照らされるヨハネの顔が、いつもよりずっと優しい。
優しい灯りが灯る暗がりのテーブルで、ムラサキがそっと微笑む。
「私服警備のこと、勇気出して、SOATの人たちに言ったんだね」
「ボクが思ってたより、ずっと簡単だった。反対するヤツもいたけど、見えづらいトコに目を向けたいと思ってたのは、隊長たちも他のヤツらも、みんな同じだったみたいで……何かしたいって思いながら、手をこまねいてるばっかりだったって、言ってたから。
少しずつでも、やろうって思って声出すのは、意味あったんだなって思った」
「すごいよ。私なんて、こうすればいいのにーって文句だけはいっちょ前に言いっぱなしで、何もしない人間なんだから。
……この世界の人のことを、そこまで考えてるんだね。すごいね」
そんな打ち明け話に感謝するように、ムラサキは淡い紫色の満ちたカクテルグラスを、ちんとヨハネのグラスにぶつけてから、ふと例の事件に思いを馳せて、考えたことを口にした。
「あの、八尺様のことね。多分だけど、あの男に堕胎させられた女性って、あの人だけじゃなかったんじゃないかなぁ」
「え?」
ヨハネが、意外そうに目を丸くする。つまみのオリーブを口に運んで、ムラサキが爪楊枝を指先で振り回した。
「水と堕胎って聞いて思いつくのは、水子の霊でしょ。あの子はたまたま男に階段から突き落とされて、流産したし意識不明になっちゃったってパターンだったろうけど、なんか……SOATに入隊してそこそこ羽振りがよかったはずの男が、そこまで金銭的に困窮してたのって、もしかして他の女にも堕胎費用を迫られてたからじゃないかって」
「……なるほど。胸糞悪い話だけど、そういう線もあり得るのか」
「ほら、ニュースで出てたけど、取り調べではあの子以外にも、レイプの被害に遭った女性がいたって話でしょ。店で女遊びするような金があるのに、堕ろすにしよ産ませるにしよ、あの子にだけ金が出せないっていうの、何か腑に落ちないなって……学生だからって見くびってたのかもしれないけどさ」
そこまで吐き捨てるように言い切って溜め息をついてから、ムラサキはたんっとおかわりした長いグラスをテーブルに置く。
「あの八尺様……の形をした水紋? は、あの女の子に憑りついたのかもしれないけど、あの子が喋っていた言葉は、あの子だけの気持ちじゃないような気がしたんだ。
あの子のお腹にいた子や、実際に被害に遭った子、他の罪なく殺された子、そういう子達がまるで、みんな彼女の力添えをしてたみたいな……」
「水子の幽霊や他の被害者たちが、彼女を通して制裁を下したっていうのか? そんなバカな……」
「いやいや、あくまで私の思い付きだよ!? そんな、生まれてもない子のIDなんてこの世にあるはずもないんだし。でも、もしかしたら……ね? と思って。私、そういうこと考えるの好きな人だから」
いかにも怪談らしい推理に息を吐きながら、ヨハネが青じそのカクテルの入ったグラスを揺らす。
馬鹿げている……と思いながらも、あの時現場で見た数々の光景を思うと、あながち否定も出来なかった。巨大化する前の「八尺様」は、一人ではなく沢山いたのだ。その一つ一つが意志を持って動いていたと、そんな風に思えなくもない。
最後に集まって巨大化したのも、霊魂っぽいといえば霊魂っぽく思える所以だ。
ちびりちびりとウイスキーを運ぶムラサキの隣で、ヨハネが目を細めた。
「でも、もしそうなんだったら……少しでも供養になってるといいな。事件の被害者はもちろんだけど、今、リアルの世界で生きられない人や、性被害に遭った人が掛ける相談ダイアルとも連携取ってて、出来るだけセブンスコードに逃げて来る子達の取り零しがないようなシステムを、作ろうとしてる。
すぐには無理だろうけどね。もうあんな事は起きないといいなって思う」
「うわ、すごい。めちゃくちゃ進展したじゃん。さすが仕事のできる女」
「別に、起きちゃったコトは取り返しなんてつかないし、ボクが罪滅ぼしに出来そうなことが、そのぐらいしかなかったってだけだよ」
称賛にも控えめにそう返しながら、照れたように赤らんだ顔へ面映ゆい表情を浮かべていたヨハネは、ふと気が付いて言う。
「……ところでさ、これ、さっきから全然酔わないような気がするんだけど。本当にアルコール入ってる?」
「あら、未成年の子にアルコールはダメよ。ここがセブンスコードである以上、追い返しはしないけど、誕生日を越したらまた出直してらっしゃい☆」
「……っで、え、ママっ、気付いて……!?」
会話に乱入してきたママは、身をのけぞらせるヨハネに向かって、ウインクしながら小さく指を振った。
「ふふ、長く生きて来た人間の年の功を見くびらないで頂戴。最初から、ちゃんと全部ノンアルコールで出してたわよ。SOATの隊長サン」
「う……おみそれしました……」
「あははっ、ヨハネがママ相手にしおらしくなってる……っ」
「あんたは笑い過ぎ……っていうか、ちょいちょい名前呼び捨てするよねッ!? 別にいいけど、あんた幾つさ」
「ヨハネより年上に見える? 年下に見える?」
カウンターに肘をついてじーっと見つめるムラサキの赤い頬を、ヨハネが見つめ返す。
「……下」
「ぶはっ。即答かぁ。だってさ、ママ」
「ムラサキじゃ仕方ないわねぇ。いいじゃないの、若く見られるってことで」
「んで? ホントは幾つなの」
「おしえなーいっ。内緒!」
「はあぁ!? 酔っ払い過ぎでしょあんた! ほら、いい加減店出るよ!」
また来てちょうだいねぇ、と見送るママを扉の向こうに残し、二人はセブンスコードの街中に出た。まだまだ眠らない夜のネオンが瞬き、送風機からの風が人いきれや街の匂いを運んでくる。
季節感を出すためにシステムで再現されたイミテーションの雪が、ちらちらと頭上から降ってきていた。
「時間は? まだ大丈夫なの?」
「うん……そろそろ、いい感じかな。ヨハネさんもまた、見回りのお仕事戻る?」
「ああ、いや、仕事はもう上がってるから。この後は寮に戻るかな」
「そっか」
風景だけは真冬なのに不思議と寒くはない街中で、肩を並べてどちらからともなく、歩道橋の上で足を止める。眼下に広がる眩い灯りと、サーキットエリアを走る車たちの群れを眺めながら、ムラサキが呟いた。
「……ありがと。会えて、うれしかった」
「そ、そっか」
まだ、帰りたくないな。
沈黙が支配しても、どちらからともなく、そんな雰囲気が二人の間に漂う。
ためらいがちに睫毛を伏せたムラサキが、白い息を吐いて問い掛けた。
「……ね、あのさ」
「何?」
「ダメもとで聞いてみるんだけど……。
こ、今夜って、ヨハネの部屋、泊めてもらえたり、しない?」