SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第一部   作:大野 紫咲

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2章の最終話。
湖に墜落したムラサキ達は、その後湖畔のセーフハウスへ避難する。
目が覚めたヨハネに、ムラサキは衝撃の打ち明け話を……?


2-15 湖畔

第15節 湖岸

 

「うぐっ、げほっ、ごほっ……!」

 

 水に叩き付けられた衝撃で、一時的に体がごぼごぼと深い底に沈み込んだ。

 水をかきながら、重い和服に引き摺られないように必死で手を動かし、どうにか顔を水面に出す。

 一応私は泳げる人間なのだが、着衣水泳の経験はないので、さすがに焦った。

 咳き込んで水を吐き出し、真っ暗な周囲に呼び掛ける。

 

「ヨハネさ〜ん!?」

 

 近くでばしゃばしゃと、不規則に水をかく音が聞こえた。姿が見えなくても、そこにいるのが分かる。

 

「うぶっ、ここ……! ボク泳げな……っ、がはぁっ」

「うわわっ、大丈夫!? ほら、行くから肩つかまって……!」

 

 なんと、我らがSOAT隊長は足のつかない湖で溺れかけていた。

 慌ててそっちに急行するけど、いくら私が泳げて浮力があるとはいえ、人一人の体重を掛けられると一気に負担が増える。ただ立ち泳ぎをしているだけでも、とにかくこの和服が手足に絡みついて邪魔で仕方がない。

 

(ええい、こうなったら……!)

 

 ものすごい勿体ないけど、命には代えられない。

 意を決すると、暗がりなのをいいことに、私は水中で、身に纏った着物と袴を全て脱ぎ捨てた。素っ裸でヨハネさんを担いで息継ぎをさせていると、すぐ近くに、水中からぼうっと発光する何かが浮かび上がってくるのが見えた。

 

「あれは……!」

 

 ヨハネさんを浮いていた丸太に掴まらせ、ばしゃばしゃと泳いで行って、浮いてきた青い光の源を掬い上げる。

 ぷかぷかと仰向けで浮いていたのは、すっかり元のサイズに戻ったあの鳥だった。掌で掬い上げると、その体がだらんと垂れ下がる。

 

「し、しっかり! しっかりして……!」

 

 まだエレメントの残滓が残っていたのか、弱々しい光があったおかげで発見が早く済んで助かった。

 泣きそうになりながら丸太へ連れて帰り、仰向けのままお腹を人差し指で押すと、ぷーっと水を吹いた鳥が、弱々しく声を上げる。

 

「ぴい……ぴい」

「よ、よかった……! 生きてる、生きてるね! 死んじゃダメだよ! 今助けてあげるからね!」

 

 冬場なので、落ちた瞬間は凍り付くような冷たさを想像してぞっとしたのだが、幸いなことにスケート場の需要は街中だけで足りていたらしく、この湖は平時と同じ快適な水温を維持していた。

 あんまり水泳が出来る体調とは言えないが、これなら岸まで引っ張って泳ぐくらいは出来るかもしれない。ラッキーだ。

 

「ヨハネさん、ヨハネさん。仰向けになれる? 多分、一番体力消耗しないし楽な浮き方だから」

「う……胸の上になんか乗ってる……?」

「ごめん、一緒に引っ張るから鳥さんとちょっと我慢してて……」

 

 仰向けに浮いたヨハネさんの胸元に鳥を乗せ、その肩を私が押したり引っ張ったりする形で、岸に向かっていく。

 バシャバシャとバタ脚で勢いをつけていたら、朦朧としていたヨハネさんが呟いた。

 

「ごめん、助けてもらっ……ボク、あんたに触ってると……なんか、眠く……」

「あああっしまったっ!?  お願いヨハネさんもーちょっとだけ頑張って! せめて水は飲まない程度に起きてて!?」

 

 水の外から見ても分かる程度に、ぼんやりと私の紋が紫と桃色の光を発している。さっき鳥に使った以前から、もうとっくに淫がキャパオーバーして植能が暴走しているのは明白だった。

 幸いなことにすぐ足のつくところには着いたが、寝そうになるヨハネさんをなんとか叩き起こすのに必死で、一息つけるのはまだまだ先になりそうだった。

 

 

 

「う……ここ、は……?」

 

 ぱちぱちと、暖炉が爆ぜる懐かしい音で目が覚めた。

 ここは、湖畔のセーフハウスの一階? そういえば、あの湖に落ちた後気を失って……

 まだ夜明け前らしい。あたりを見回すと、薄暗かった周囲に目が慣れて、だんたんと周りの状況が見えてきた。

 ボクは暖炉の近くのソファに寝かされていた。服はすっかり渇き、ボクの近くではエレメントの力を失った小鳥が、ふわふわの毛を暖炉の火に照らされながら気持ちよさそうに蹲っている。なんか顔がくすぐったいと思ったらこいつか。

 

「ムラサキ……?」

 

 身を起こし、一緒にいたはずの彼女の名を呼ぶと、近くのドアの蝶番が軋むのが分かった。

 隙間から、オレンジの明かりが漏れてくる。どうやら、隣の部屋にいるようだ。

 

「ムラサキ? そっちにいるの?」

「あっ。ヨハネさん。目が覚めた?」

 

 普通に返事はしてくれるが、何故かドアは開かない。

 不思議に思いながらそっちに近づくと、木製の白い扉越しに、隙間を開けたままでか細い声が聞こえて来た。

 

「ごめん、その……泳ぐのに邪魔で、湖にいた時に服全部脱いじゃった。だから、そっちには……」

「っ、あ……そうか……ごめん、ボクらのために」

「いっ、いいの! こっちの部屋にも暖炉あるんだ。私はあったかいし、気にしないで」

 

 慌てたように、扉の向こうの影が動く。

 さすがに裸を覗き見る訳にはいかないけど、彼女の具合が気に掛かった。

 

「ごめん。あんたを守るって言ったのに、結局無理させて……。

大丈夫なの? この間から確か、ずっと植能の反動で、具合が悪いって……」

「あ、うん、あれはその、落ち着いて……っていうか。あの時に比べれば、今はまだ全然マシっていうか……けど、さすがに疲れちゃったな」

 

 ふぅっと声の力が抜けると、とさりと扉の奥で座り込む音が聞こえて、ボクは焦った。

 

「お、おい……!」

「あんまり、私に近寄らない方がいいよ。……落ち着くまでは、迷惑掛けちゃうと思うから」

 

 扉を隔てていても、尚眩暈がしてくるような、甘い香りが漂っていた。

 体が熱くなるような、奥底の敏感な場所が、ぞわりと撫でられるような――

 

「ッ、」

 

 思わず一歩後ずさると、分かっていたというように、部屋の中から自嘲するような笑い声が聞こえた。

 

「そう。それでいい。……私は元々、SOATのお堅いお役人さんが、目を掛けていいような人間じゃない」

「でもキミは、色んなボクを知ってるんでしょ。だったら、SOATの顔だけがボクの――(クヌギ) 夜翰(ヨハネ)の顔じゃないことも、知ってるはずだ。……あんたが見てたのは、ボクの派手な衣装だけだったの?」

 

 これは、かまかけ。

 もし心の中を読めるならば、ボクしか知りえないことを、彼女は知っているはず。

 と同時に、理解して欲しいという願いが、ボクの内には芽生えていた。

 好奇心に動かされているわけでも、見殺しにしたいわけでもない。自分がムラサキの味方でいたいのだということを、たとえ不器用でも遠回しでも、伝えるために。

 ぱちぱちと燃える薪をBGMに、ふっと笑い声が聞こえる。

 

「そんなわけないじゃん。知ってるよ。ヨハネさんが本当は、自分を巻き込む全ての人を、何とか救おうとせずにいられないほど、お人好しで優しい人だってことも。損な役回りを受けても、誰かを守るために一生懸命走り回ってくれる人だってことも。それを偽善にしないために、他人にわざと冷たい態度を取ってるんだってことも。

……あんたがいいコなことぐらい、全部、知ってるんだから」

「さすがに、それはちょっと買い被りすぎじゃない? ボクは……」

 

 涙混じりの声に即答されて、ボクは戸惑う。

 言葉を探しているボクの前で、座り込んだままの彼女の白い肌が、微かに隙間から覗いた。

 

「……ごめん。これでも、本当はちょっと反省したんだよ。ヨハネさんは、リアルの自分の体のこと、好きじゃないんだよね?」

「!」

 

 はっとしたボクの反応が見えているわけじゃないだろうけど、湖畔に寄せる水音すら聞こえないほど静かな部屋で、ムラサキはわかっているというように、姿を見せないまま話し続ける。

 座り込んだまま膝でも抱えているのか、より声が小さくくぐもって聞こえて、ボクは反射的に扉の外側へ背中合わせで座りながら、話の続きに耳を傾けていた。

 

「それは知ってたのに、こっちでは女の子だから、なんて私が勝手に決めつけてさ。結構デリケートな問題なのに、すぐ裸なんか見せようとしたこと、後悔してる」

「いや……いい。そのことなら、もう気にしないでいいから」

「……私の植能のことを、調べたかったんでしょ? ヨハネが知りたいことは、この体を見せないと、どうしても説明できなかったの。だから……露出狂みたいな真似するつもりじゃ、なかったんだけど。そう見えてもしょうがないよねぇ。

あは、私って、信頼されてるって思ったら、すぐ距離感間違うからさぁ。バカなんだよ、基本的に」

 

 無理したような笑い声を聞いていられずに、被せるようにボクは口を開いた。

 

「ボクの方こそ、悪かったって思ってる。イサクに言われたんだ。あんたは、ボクのことを信頼したから、本当は人に見せられない部分を、ボクにだけ晒そうとしてくれたんじゃないかって。……この場合、大事なのは打ち明け話の方だった。あんたの気持ちとか、孤独だったあんたが勇気を出してくれたことに比べたら、裸がどうなんて、騒ぐことじゃなかったのに」

 

 ぼんやりと明け始めた空が、穏やかな光を窓の外から投げかける中で、沈黙が流れる。岸辺の波止場に、ボートが波と一緒に打ち寄せて、櫂の触れる音がする。

 何も言わなくなってしまったムラサキに焦れて、ボクは彼女の命を繋ぎ止めたグローブの掌を、強く握り締めた。

 

「傷付けたんなら、ゴメン。でもほんとに……っ、ボクが他人の裸を見るの慣れてなくて、苦手なだけなんだよ。女だったら、なおさら。

……あんたは知ってるのかもしれないけど、現実の自分には、見た目へのコンプレックスがあるから。余計にカラダっていう容れ物には、頓着するのかもしれない。自分のことも、他人のことも、傷付けたくない」

「……ヨハネさんて、こんなに素直にごめんなんて言う性格だったっけ」

「ッ、うるさいなぁ。これでもだいぶ、普段とキャラ変えてんだよ」

 

 少し笑いを交えた思いがけない言葉が返ってきたもんだから、ムキになって振り返ったその時に、さっきまで感じていた強い香りが消えていることに、ボクは気が付いた。

 

「少し、落ち着いた?」

「……ん。多分、もう、大丈夫」

 

 鼻を啜り上げる音がしてから、ムラサキがこっちを向くのが気配で分かった。

 

「もう、遅いかもしれないけど……。今からでも、あんたの話を聞いていい?」

「! うん…………うん」

 

 わずかに息を飲む気配がして、頷いた彼女の泣き出す声が聞こえる。

 

「お、おい、泣くことないだろ!?」

「だって、……安心したんだもん。あんなことして、もうヨハネに嫌われてたらどうしようって。私既婚者のくせに、こっちじゃまともって言われる職に就いてないし、なんか変な植能で迷惑掛けてばっかだし、私のこと知ったら、嫌いだって言うんじゃないかって、友達やめるって言うんじゃないかって……っ、ずっと怖かった……っ」

「あ、あのなあ……そんなことぐらいで……クロカゲでもっとヤバい奴らぐらい幾らでも見てるよ。だ、だいたい、ボクが友達でなくなったって、あんたみたいな奴には別に関係ないだろ? ソウルとかウルカとか、よっぽどあんたの言う『役人』じゃなくて、ウマの合いそうな奴がいるじゃんか」

 

 ああ、もう、この扉……すごくジャマ。今すぐ開けて傍に歩み寄りたいのに、服がないってだけでセクハラ扱いされそうで、イライラする。

 うっかり爪を口にやって噛んだボクに向かって、小さく笑ったムラサキの声が言う。

 

「関係あるよ。……だって、私はヨハネのこと好きだもん」

「……っえ」

 

 今度こそ、動揺で何を言ったらいいか分からなくなった。

 ……植能のせい? いや、関係ないはず。だってウームを発動させるのはあいつの方だし、それが当たったボクじゃなくてあいつが言うってことは……えっと、どういうこと?

 そもそも、これってどういう「好き」なんだろう。

 あいつは結婚してて、でもボクのことを友達だと思ってて、だけど多分、ボクが男だってことを本当は知ってて……でもあいつは女の子のことも好きで、だからつまり……

 

 頭がぐるぐるしていたら、ボクの考えを遮るように、くしゅん、と小さくくしゃみの音が聞こえて我に返った。

 

「! やっぱりあんた風邪引きかけてるじゃないか! ちょっと待って、このセーフハウスの二階の部屋に、まだ使ってない服が残ってるかも。ボクちょっと見て来るから……」

「あっ。あのあの、ヨハネさん。行く前に……今、見る覚悟ある? 私の体の紋」

「紋?」

 

 思わず目を見開くと、少し隙間を開いた扉の向こうに、ムラサキの裸が覗く。

 

「この間見て欲しかったのは、これなの。これが、私の植能の力の源。……子宮(ウーム)の発動の度、光ったり広がったりして、所有者の体を蝕んでる紋様」

 

 覚悟を決めた瞳を見て、もう騒いだり逃げ出したりは出来なかった。

 ごくりと唾を飲んでから、ボクは立ち上がる。ゆっくりと扉を手前に開くと、向こう側に一糸纏わぬ姿のムラサキがいて――その色香に、とかではなく、ボクは純粋に驚いて息を飲んだ。

 

「なんだ……これ。こんなの、見たことない」

「私は、淫紋って呼んでる」

 

 ムラサキが左目を光らせて発動すると、紫色の痣のような胸元の蝶や、脇腹の花、下腹部のハート柄の紋が、うっすらと光る。他にも腕の真ん中や足元には、植物のような薄桃色の柄が浮かび上がって見えるし、後ろを向けばその背中や腰には、彼女のイメージに不釣り合いな、髑髏の天秤と蛇が背負われている。

 まるで、全身入れ墨を施したかのような様相に、ボクは目を眇めた。

 

「これが……全部、植能のせい?」

「植能ありきなのか、淫紋ありきなのか……とりあえず、私がこの世界に来た時からずっとこうだった。

なんか、私が植能を使えば使うほど、広がっちゃうみたいなんだ、これ。使い過ぎると、体も怠くなるし、紋のある場所が締め付けられたり痛くなったりもするの。

最初はもう少し小さかったんだよ。お腹のこれとか参っちゃうよね〜。もう、ほぼまんま『子宮です』って感じじゃない?」

「……確かに、言われてみれば、そう見える、かも」

 

 苦手な裸体を前に、怖じ気づいていることを気取られないようにしながら、なるべく紋だけを目にするようにして、必死に観察する。

 

「本当は、股っていうか太腿の内側にまであるんだ。でも、そこはさすがに見なくてもいいから」

「股の内側って……そんなとこ、脚広げないと見えないじゃないか。なんでそんなとこに……」

「さあー。なんかその方がいやらしいからじゃない? どう考えても、私の植能に起因する模様っぽいし。子宮の上にもあるんだからさ」

 

 部屋の中にあったベッドのシーツを取ると、ムラサキは目のやり場に困らないよう、それを体に羽織ってくれた。ぽすんっ、と軽い着地の音を立てながらベッドに腰を下ろす。

 

「だから、これが私が着物着てる理由。別に長袖のシャツとかズボンでもいいんだけど。ほら、この肘のやつ、半袖ではギリギリ隠れない大きさでしょ。毎回長袖だけ選んで着替えるのも面倒だし、それならもういっそ、最初からお洒落なのがいいかと思って」

 

 そう言いながら、腕を伸ばしてみせるムラサキにボクは一旦納得しかけたけれど、すぐに気が付いて首を傾げた。

 

「でも、着物を着てても肘や腕が見えることはあるよね? ボク、全然気付かなかったんだけど」

「それも一つ、理由かな。私の着物の繊維データに、肌を隠す特殊なプログラムが組み込んであるの。何故か、スキンのデータでは上書きしても消すことができないんだよね、この淫紋。だから、日常生活してる分には、そんなに目立たないと思うよ」

 

 そんな気苦労までしていたのか、とボクは驚いた。

 ムラサキが着ていた着物は、見ていた限りではごく一般的なそれに見えたけど、そこまでの仕様があるのなら特注品だろう。もしくは、市販品を改造してもらったのかもしれない。

 

「なんかゴメン、そんな大事なもの脱ぎ捨てさせて……」

「あ、いいのいいの! 一応古着で原材料は高いヤツじゃないし……そういうの改造してくれる子がいて、頼めばまたやってくれるからさ」

 

 気にするな、というように慌てて手を振ってくれたムラサキの体温が近い。

 腰掛けたベッドで隣に肩を並べながら、ムラサキが喋り続ける。

 

「ただ、布で覆える範囲にしか効かないから、限りがあって……袖で包まれてる両腕はいいんだけど、脚は対象外みたいなんだよね。そもそも袴の時は、上の着物も丈短くしてることが多いし、スカートみたいに両脚まとめて纏ってる分、効果も弱まるみたい」

「なるほど? まあ、和服で下が二股に分かれてるっていうと、指貫とか作務衣とか、それぐらいの物だからな」

「よく知ってたね? 草履じゃなくてブーツを使ってるのは、単に動きやすいっていうのもあるけど、この紋のせいもあるの。足袋だと透けるかもしれないけど、ブーツなら隠せるし」

 

 ムラサキは背中からクッション代わりの羽毛枕に寄り掛かって、天井を見上げていた。

 その緩んだ胸元に目がいかないよう、慌てて目線を逸らしながら、脚に巻き付いた蔦をボクは眺める。どちらの脚も、両膝にぐるぐると蔦が絡まっていて……右足首の方にだけ、それが伸びているようだ。

 

「さっき見えた限り、濃淡にも随分差があるよね。胸とかのに比べて、その足のは随分薄いし……」

「発動中も、浮き出てるところとそうじゃないところがあるんだよね。このピンクと紫の奴って、模様に何か差があるのかな。私には何もわからないんだけどさ。分からないことだらけ」

「なんで、それさっさとSOATに言わなかったんだ」

「この自称ド淫乱の象徴みたいな植能のことを、どうやったら他人に言い触らす気になるのよ。ましてや公的機関に登録しろなんて、晒し者でしかないじゃん!? これ、闘いじゃ何の役にも立たないのに!」

 

 ぷう、と子供じみた顔で頬を膨らまされた。

 ……いや、それはちょっと卑下し過ぎじゃないかな。ボクが言うのも何だけど。

 でも、確かに彼女の言い分も分かるので、ボクは黙っておいた。

 

「あんたの植能の効果と、この紋のモチーフ……何か関係があるんだろうか」

「今回のことではっきりわかったけど、光ってる淫紋の位置によって……子宮(ウーム)の効果がちょっとずつ変質してるみたい。昨晩はここ。胸元の蝶だった」

「……各々の紋に、違う効果が付与されてるってこと?」

「かもしれない。けど、今んところどれが何なのか、さっぱりなんだよね。昨日の〝催眠〟は、たまたま上手くいってよかったけど……」

 

 私が傍にいたらヨハネも鳥さんも起きないかもしれないから、部屋を隔離してたのもある、とムラサキは説明しながら首を捻った。

 

「かつてのユイトみたいに、一人の人間が大量の植能を保持できる例もあったけど、一応これは植能としては一つだろうしね。……七つ以上揃うとどうなったかは、ヨハネも覚えてるでしょ?」

 

 今更だけど、髪を下ろした彼女を見るのは初めてかもしれない。裸にシーツを羽織って下ろした髪って、もうそれだけでとんでもなくしどけない状態だけど、話の深刻さのあまりそっちはあまり気にならないまま、ボクはその台詞に反応する。

 

「……ってことは、もしかしてその淫紋は、七つ以上発動すると」

「どうなるかは、わかんないんだけどねー? っていうかそもそも、こんな模様身体に七個も光らせて歩きたくないし。歩く痴女だから襲ってくださいって言ってるみたいなもんじゃん」

「それは言い過ぎでしょ、いくら何でも」

 

 貢献度の割に自虐が過ぎると軽く睨んだら、愛想笑いで誤魔化された。

 小さく溜息を零してから、ボクは躊躇いがちに口にする。

 

「……これ、何とかする方法はないの?」

「だからこその、風俗業なんだけどね?」

「?」

 

 話が読めずに眉を顰めると、ムラサキは手を広げた。

 

「男の人から精力を貰うと酷くなるんだけど、不思議なことに女の人から精力貰った時だけは、淫紋の暴走がちょっと抑えられるみたいなんだよね。

だから私は、すこーし他の人が気持ち良くなるお手伝いの報酬として、お金もだけど、精力も頂いてたの。意図的にっていうか、子宮(ウーム)が勝手にやってくれてたんだと思うけど。まあ、貰えるのに十分なほど精力が湧くぐらい、相手を気持ち良くするのが私の仕事だし」

 

 ということは、男から精力を貰った経験も、一応はあるということになる。

 ウルカに聞いたチョコレートの件と、そこから推察される事を想像して内心は気が気じゃなかったけど、なんとかそこには突っ込まずに、ボクはふと思いついたことを尋ねてみることにした。

 

「それだって所詮は対処療法だろ。っていうか、そんな面倒なことしなくても、そもそもそいつは、殻に寄生してる原因不明のバグみたいなもんって風には考えられない? アバターごと削除して、別の殻に乗り換えればいいんじゃ」

「それが出来るんなら、とっくにやってるよ」

 

 今度は、ムラサキが溜め息をつく番だったらしい。

 日が昇り始めた窓辺から、外の湖を覗きながら、ムラサキが遠い目になって話し始める。

 

「この淫紋は、使用者に取り憑く悪魔や、感情を増幅させる審判やエレメント、普通の植能とは多分違う。……私自身の『存在』に、深く根を張っているものなんだ」

「……存在に根を張るっていうのは? IDのバックアップさえあれば、殻の乗り換えは可能だろ」

「文字通り、この体から強引に淫紋を剥奪すれば、私はセブンスコードから消滅する」

 

 淡々と答える彼女の声のトーンは、へらへらと喋っていた時のそれとは、違っていた。

 一瞬で掛ける言葉を失ったボクに、ムラサキは逆光の中で、安心させるようににこりと一度微笑んでみせる。

 

「消えるのは体だけじゃないんだ。ちょっとした友人が、興味本位で調べてくれてたんだけどね。

私がこの世界で経験した記憶や経験全部に、この淫紋の配列がデータ化されて組み込まれてるんだって。これを破壊すれば、私のここでの思い出も全部失われる」

「っ、そんな……ッ!?」

「それはちょっと寂しいから嫌だな。こんな私だけど、一応それなりに、この世界に愛着があるし。それに……」

 

 衝撃の真実を知らされ、愕然としたボクの前で、ムラサキはタオルの端を胸元で握ったまま俯いた。

 

「……それに?」

「私はずっと、『捕縛』の時のヨハネさんのことを見てたから。知らないかもしれないけど、一緒に、傍で闘ってきたから。君にも、愛着があるんだよ。もちろん、みんなにも」

 

 まっすぐな黒い瞳が、ボクを見る。朝日に輝くその瞳が、微かに桜桃色に染まっていた。

 そのはにかんだみたいな微笑みと同じくらい、優しい目。

 「一緒に闘ってきた」っていうのは、どういうことなんだろう。

 彼女の言葉にも、その体と植能にも、謎が多すぎる。けれど、少なくとも彼女はボクにとっての敵ではないと、感情のどこか深い部分が、理屈じゃない場所が、ボクにそう告げていた。

 それどころか、なんだかずっと、懐かしくて――ずっとボクを見守ってくれていた誰かのことに、やっと今気付いたような。そんな不思議な気持ちになる。

 

(……対処療法、か)

 

 けど、一時的にでも、何とかなるのだとしたら。謎めいたそのあんたの体の紋が、こうしてあんたが無茶する度、あんたを苦しめるのだとしたら。

 ボクは知らないうちに、一歩彼女に近づいて、眩しい窓辺の光の中でその肩に触れていた。

 

「それ、ボクが……」

「?」

「……ボクが、あんたの相手をすれば、その……役に立てる、のか?」

 

 中身はどうあれ、殻が女性なんだとしたら。その体の紋は、ボクをどう裁くんだろう。

 言葉の意味を理解したムラサキが、その瞳を見開いて、小さく息を飲んだその時だった。

 

「ヨ~ハネぇ~っ! 迎えに来たよぉ……ってひょおおおおおおおお!?!?!?!?」

 

 信じられないくらい間の悪い珍客が、唐突にドアを開けて素っ頓狂な声を上げながらその場にブレーキを掛けた。

 頭痛がする頭で振り返りながらボクは怒鳴る。

 

「あのねぇ、にな……! 部屋に入る前にノックぐらい……」

「よっ、よっよっよヨハネが人妻を脱がせて押し倒そうと……!?!? こっ、これは見逃せませんなぁ! スクープスクープ、大事件だぁ!」

「これのどこがそう見えるんだよッ!? バカみたいな事言ってる暇があったら、さっさと二階で着替えの一つや二つ……っ」

「うわあああああ大変だぁ大変だたいへんだ! ヴァイスのみんなにも報告しなきゃ!」

「おい、しなくていい! 人の話を聞けーッ!」

 

 大騒ぎしながらも、ドタドタという足音が上に上って行ったので、着替えは取りに行ってくれた

らしい。頭を抱えるボクの後ろで、ぽかんと一部始終を見ていたムラサキは、くっくっくと肩を揺らしておかしそうに笑い始めた。

 

「あれがになちゃんかあ、ふふっ、元気な子。ごめん、なんかとんでもない誤解されちゃったみたい」

「あんた、ヴァイスのメンバーのことも知って……?」

「あ、うん。『捕縛』の裏で奮闘してくれてた子達だよね。勿論会ったことはないんだけどさ」

 

 そうこうしている間に、嵐のように戻って来たになが、ワンピースを突き出した。

 

「はーい! ムラサキ、これー! ちょ~っと大きいけど、着たらサイズは合うと思うからっ!」

「ありがと、になちゃん」

「えへへ、どういたしましてぇ! ヨハネはまだここにいたのー? 乙女の着替えを覗くなんてぇ、早々に退散しないと、変態さんだって思われちゃうよ?」

「うるッさいなっ、別に興味本位でいたわけじゃないんだよッ!」

 

 最後まで笑いの止まらないムラサキに見送られながら、一旦部屋を出るなり、になが興味津々な様子でついてきた。やれやれ、こっちへの説明も骨が折れそうだ。

 

「迎えは有難いけど、もうちょっと静かに来てよね……」

「ヨハネが持ってた通信機の履歴を辿ったら、最後にこのあたりで途絶えてたから慌ててすっ飛んで来たんだよー? あのデカい鳥もいなくなっちゃったし、一見落着だね!

それは置いといてぇ、ねーねーぶっちゃけどーいう関係なの? あのムラサキとヨハネってー!」

「……警護対象と警備員」

「またまたぁっ。そういうのって、愛を育むための『口実』って奴なんじゃないのかいっ? んにしても、あたしの裸で鼻血出してぶっ倒れてたヨハネが、既婚者ゲットしてくるなんて~、どんな心境の変化か気になりますなぁ。たとえ障害の多い恋でも、になは応援してるからねっ」

「だから、そういうんじゃないって言ってるだろッ!」

 

 ……ダメだ。事実を言ってるはずなのに全然通じない。

 久しぶりのになのハイテンションさにげんなりしていたボクは、ぴちちちと鳴く声で我に返った。

 そういえば、あの鳥が目を覚ましたみたいだ。カーテンの前で翻ったシルエットが、逆光になって視界に映る。こっちの肩にぱたぱたと飛んできて止まる姿に、ボクはほっとしつつも呆れて話し掛けた。

 

「ったく。別にお前が悪くないのは知ってるけどさぁ、お前のせいでボクもムラサキも割と大変な目に…… ……? っっっ!?!?!?」

 

 普通に話し掛けようとして、ぴぃぴぃ鳴く鳥の違和感に気付いたボクは、思わず大声でムラサキを呼んでしまった。

 

「サキ! ねえムラサキ! ちょっと来て!」

 

 ん? とになは隣で首を傾げている。

 紋の入った脚が目立つ、膝上丈の袖が膨らんだワンピースに着替え終わったムラサキは、扉の向こうから顔を出した。ボクがシェルターで拾った髪留めを返したから、頭はいつものハーフアップに結い上げている。

 

「何? どしたのどしたの、大声出して」

 

 思った以上にその洋装が似合っていてぽかんとしたボクの元に、裸足のムラサキがフローリングを踏んでたったとやって来る。

 そして、ボクの肩に止まったそいつを見て、わああ、と驚きと喜びに目を輝かせた。

 

「色! 色が、変わってる……!」

「そうなんだ。こいつが黄色かったのは、雷のエレメントに影響を受けてたせいみたいだね」

 

 白いお腹と黒い模様はそのままだったが、朝日の中で少しぼろぼろになった翼をぴっと掲げてみせる件の鳥は――その羽毛が真っ青に変わっていた。

 

「湖に落ちた時に、この子が青く光ってたのは、元の色が青かったからなんだ……! あはは、よかった!」

 

 こっちに手を差し伸べたムラサキの方へ、鳥はぴょんぴょん飛んで腕から乗り移ると、ふわふわの顔をムラサキの頬にすり付ける。

 

「あっ! そーだ! ごめんっ、あたし靴持ってくんの忘れてたー! ムラサキ、ちょっと待っててー!」

 

 思い出したように再び上の階のクローゼットに駆けていくになを見送って、ボクらはリビングの窓を開けた。外側に開いた格子窓から吹き込んだ爽やかな風が、白いカーテンを揺らす。

 

「さ、お行き」

 

 少し寂しそうな顔をしたムラサキが腕を差し伸べると、首を傾げた青い鳥は、光の中でばさりと翼をはためかせてから、風に向かって力強く羽ばたいていく。

 ……が、湖の岸辺を旋回したかと思うと、すぐに窓辺に戻って来てしまった。

 

「だ、だめだよ。こっちは自然界じゃないんだから。どこでも好きなところへ行っていいんだよ」

「ぴぃ?」

 

 もう一度腕に上らせて飛ばせてみるものの、何度やっても同じ。

 鳥はボクらのところへ戻って来て、黒い粒のような目で、不思議そうにボクらを見上げている。

 

「……あんたのことが気に入ったみたいだな。もうそのまま飼えば?」

「え、ええ? でも、私が飼ってると、また植能にやられちゃうかもしんないし……大体野鳥とか勝手に飼って大丈夫なの?」

「それも承知の上で、こいつは戻って来るんじゃないの? あんたの植能でやられて元に戻ったんだから、十分わかってるよ、そんな事。それにこっちの世界の動物は、命ってより単なるデータって扱われ方をしてるから、うるさく言う奴はいないと思う。たしかに、ちょっとここらじゃ見ない鳥だけどね。何ならボクが許可は出すよ」

 

 驚いたように目を丸くするムラサキの肩で、鳥もそれがいいというようにぴぃぴぃ鳴く。

 潤んだ瞳を向け、その頭を指先で撫でながら、ムラサキが聞いた。

 

「私が、怖くないの? 私の植能のせいで、怖い目に遭ったのに」

「ぴぃ♪」

「……一緒に、いてくれるの?」

「ぴーっ!」

 

 ぽろぽろ涙を零すムラサキに、額から頭をぶつけに行く青い鳥。なんだかその眺めは、幸せの青い鳥みたいで、見ていて悪くはなかった。

 なんとかこっちも片が付いたなと思いながら、ボクは胸に温めていたもう一個の提案を口にした。

 

「ムラサキ。SOATに行こう」

 

 はっと見開いた瞳から、雫が落ちる。

 その目をまっすぐに見つめて、ボクは告げた。

 

「カシハラが、あんたの植能を調べたがってる。あんたが警戒するのももっともだけど、うちの職員と研究員が、あんたに怖い思いをさせることはないから。

それに、もし研究に協力してくれたら、あんたの紋が持つ詳しい効果や、暴走を抑える方法も分かってくると思う。そうすれば、そいつを傷付けない役にも立つと思うんだ」

 

 少し狡い言い方だったかもしれないけど、ムラサキはそれを聞いて、考え込むようにじっと俯いた。

 

「……お堅い役所人間が、バーチャル風俗を続けたいっていう一身上の都合で紋を背負ってる私の話を、傾聴してくれるとでも?」

「それでもボクは、仲間を信じる。『捕縛』でボクらはみんな、誰かを失う痛みやそれぞれの抱える苦しさを知った。

ボクの仲間に、あんたの在り方を嘲笑う奴なんかいない」

 

 今なら、確信を持ってそう言えるから。

 SOATにいる仲間一人ひとりの、誇りに満ちた顔つきを思い浮かべている間に、ムラサキとの間には長い沈黙が流れた。ボク自身、信じることの難しさを知っているから、たとえどんな返事があっても、強制することはできない。

 

「……」

「……信用、出来ないよね」

「わかった。いいよ」

「!」

 

 ついに頷いてくれた彼女の顔を、ボクは思わず穴の空くほど見つめてしまった。

 穏やかな日差しが雲の隙間から差し込んでくるのを浴びながら、ムラサキは照れたように笑う。

 

「まあ、ぶっちゃけ100%の信用はできてないけど、ヨハネのことは信じてるから」

「……ありがとう」

 

 彼女の信頼に、応えたいと思った。

 また一歩、新たな方角に進むこの曲がり角が、いいものか悪いものかはわからないけれど。けれど、きっといい方に進めてみせると思いながら、ボクはになに手渡された靴へと履き替える、彼女の手を引いた。

 

「ねぇ、ヨハネさんさぁ」

「うん?」

「さっき私のこと、サキって呼んだ?」

 

 ワープの光が体を包み始めた時。離れないようにと手を繋いだままの彼女が、こっそりと呼び掛ける。

 鳥の色が変わっていたことへの興奮で、ついそう呼んだことをすっかり忘れていた。

 

「あ、い、いやなら別に、忘れて……」

「んーん、イヤじゃない。嬉しかったの。ヨハネさんになら、これからもそう呼んで欲しい」

 

 ぎゅ、と温かさを取り戻した手が強く握り返してくる。

 微笑んで見上げてくる顔を見返せないままで、ボクは返事の代わりに黙って彼女を引き寄せた。

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