SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】第一部 作:大野 紫咲
そしてサヤコと別れた後日。
ヨハネが揉め事に巻き込まれている様子を見たムラサキは……?
第7節 交錯
灯りを落としたホテルの部屋は、高層ビルの瞬く星屑みたいな光を残しては、すっかり暗がりに沈んでいた。
まっさらなシーツの上で、膝立ちのままバスローブを解くと、先に横になっていたサヤコさんが、意外そうに目を見開く。
「その入れ墨は、自分でやったの?」
「ええ。まあ。一応、ここでの規則には禁止されていませんので」
体の前側に、うっすらと浮き出て光る花や蝶を、サヤコさんの掌がするりと撫でる。
「まるで、光っているみたい」
「セブンスコードって、多少はアクセサリーをいじったりできるから便利ですよね」
「素敵ね。私、こういう模様は好みだわ」
「ふふ、ありがとうございます」
だいたいの人は、これから行うことに気持ちが持って行かれていっぱいいっぱいになってしまうので、純粋にこの入れ墨に興味を持ってくれたお客さんは、久しぶりだ。過去に一人――そして、今は友人でもあるその一人のせいで、これがただの〝入れ墨〟ではないことがわかってしまったのだが、それを他の人に告げる必要はない。
「……
そっと相手の体を辿りながら、誰にも聞こえないように囁くと、街灯りに白く浮かび上がる部屋の中で、紋が静かに熱を持って輝く気配がする。
この、どちらかというと私にとっては弊害でしかない植能が、何の役に立つのかは、いまいちよく分からない。
けれど、これを使って誰かを悦ばせることができるのなら、それに越したことはない。
ただでさえ、私は現実世界で大して誰の役にも立たない存在――ただ無駄に酸素を消費して生活を繰り返すだけで、金銭も糧も人頼みの、何も生み出せない存在なのだから。
タイマーが鳴り響くまでの時間をきっちり終わらせて、シャワーから上がったあとの体に長襦袢を纏いながら、私は何とはなしに、窓際に腰掛けた。
防音のはずだが、それでもガラス窓を越えて聞こえてくるほどに、外で人々の怒号と轟音が鳴り響いている。
シャツのボタンを留めていたサヤコさんが、小さく眉をしかめた。
「一体何の騒ぎ?」
「外で、デモを起こしてる連中と治安維持部隊がぶつかってるみたいです。まあ、じきに鎮圧されるとは思いますけど……」
裏通りにあるとはいえ、このあたりのホテル街ならまだ静かだと思ったのに、こんなところまでデモ隊は進出してきてるのか。商売あがったりだ。ここの地区で予約を受ける時には、使うホテルを変えた方がいいかもしれない。後で店にも報告しておこう。
ミネラルウォーターの水を二人で分け合って、喉の渇きを潤しながら、サヤコさんと何とはなしに、下での騒ぎを眺める。
「今のセブンスコードになって、争いごとは減ったと思ったのに、まだ騒ぎを起こそうという輩がいるの?」
「人の意志は、いつだって一枚岩じゃないですから。前みたいに無秩序な世界の方が、都合のいい人達だっていますよ。それに……」
デモは、まだ続いているようだった。
押し合いへし合いするその末尾の方で、看板を掲げながら拡声器で怒号を上げる人達の声が聞こえる。
「オレたちの居場所を奪うなぁあ!」
「あいつらは、正義の名を盾に自分らの都合のいい世界にしようっていう気だ!」
「SOATの連中は、捕縛の時と同じ世界にオレらを閉じ込めるつもりだぞ!」
何とも言えない気持ちで、私は小さく溜め息をつく。
「世の中には、必要悪ってものがある。
それを裁くのも、悪であり続けることも、世界には必要なことですから。……私は、ここで見てるだけだけどね」
ぱさり、と着物を羽織り、袴の穿く前の帯を締めてしまえば、いくら発動中で光っていても、体の入れ墨は完全に隠れてしまう。
ふとホテルに面した街路を覗き込めば、圧し潰されそうな人並みの中で、盾を持ったSOAT隊員たちの矢面に立ち、必死で指揮を執る一人の少年の姿が目に入った。凛とした目鼻立ちに、綺麗にカットされた前髪の下に覗く、華やかさを感じる大きな目。
まあ、当然向こうは私のことを知らないけれど、ゲームで見慣れた衣装とは異なる隊服姿に、一抹の寂しさを覚えながら、私は微笑む。
「私はここで、見てることしか出来ない。ただの傍観者だ。
それでも、君が正義の側につくと言うのなら……この場に留まり続けることが、私の闘いなんだろうな。
何をするでもなく、加担するでもなく。ただ、正義の枠組みから外れてしまう人達の味方でいる為に」
私は臆病者だから。
独り言をつぶやく私を、サヤコさんが不思議そうな目で追っているのを感じた。
「正義も法の準拠も、世界に平安をもたらす為には必要だよ。それこそが、治安維持部隊のお仕事だろうからね。だから、私はそれが間違っているとまでは言わない。
……ただ、その声が届かない人達の側でありたいだけ」
「あなたも、はみ出た人間の側だと言いたいのね」
「春を売って金を稼ぐなんて、SOATとしては黙認したくない仕事でしょうから。私としては、リアルの世界でやるよりもこっちの方が楽なんですけどね」
じんじんと、股下が痛む。服を纏っていても疼く熱と快感をやり過ごすように、私は一度だけ、熱い息を吐き出した。
疲れはするし、痛みもあるし、多少の副作用はあれども、もしリアルの世界でやってたら、こんなの身が持たない仕事だっただろう。
「時には世の中で『悪』と叫ばれることの方が、誰かにとって心地良い揺籃になりうることもあるんですよ。……現実世界で、存在することすら許されない。そんな人達が、こちらの世界でまで居場所を失ってしまったら、彼らは」
サヤコさんが、沈黙で私の言葉に応える。
「正しい」場所で生きることを許されない人間は、どうしたらよいのだろう。
どこの世界であろうと、秩序を作ってしまった時点で、そこに当てはまらない人間は必ずいる。
それを救うなんて大事は決してできないけれど、せめてその人達の上げる声は、聞こえる人間でありたいのだ。
ガラス窓に指先を当てながら、私は見慣れた褐色肌の少年を見下ろした。
「君の向かう行く末次第によっては、もしかして私たちは敵同士にもなり得る存在なのかもしれないね。……ヨハネ」
あの子がどういう面持ちで今隊長という職に当たっているのか。
結局は、私はそれを知るのが怖いだけなんだと思う。
ずっと――この世界に出入りする前から、君のことを見つめてきた私にとっては、嫌われるのは悲しすぎるから。
「さて、それじゃあ行きましょうか」
ばさり、と何食わぬ顔で紫の袴を翻す。
まだ、ピロートークならぬアフターのデートのお仕事が残っているのだ。
いくつかお洒落な喫茶店の候補を上げながら、私はサヤコさんに並んで、寝乱れたシーツの残るホテルの部屋を後にした。
こんな感じで、私のお仕事は、率直に言えば、対価を払ってやって来たお客さんを抱くことがメインだ。
お得意さんや常連さんには、今日はデートで話だけ聞いて欲しいということもあるし、初見の人が様子見でデートコースを利用することもあるけれど、大概の場合はホテルでの時間を所望される。
まあ、リアルじゃなかなか経験することのないこと――しかも女性間の性行為となるとなおさら――だから、多少ハードルは高いにしても、折角そこを乗り越えるからには経験してみたい、と思う人がいるのは当然だと思う。
リアルじゃこの業界に携わったことはないし、女性に抱かれた経験なんて、それこそ一度や二度しかない私が、何とか生き残れているのは、ひとえにお客さんがいい人だからということと――もうひとつ、この妙な植能のおかげでもある。
(なんなんだろうなあ、これ)
サヤコさんと別れてから、数日後のこと。
常連のお客様をホテルの前でお見送りして別れてから、私は空調が個々に調整されたセブンスコードの中にいても、抑えきれない身体の火照りを冷ますように、胸元に合わせた着物をぱたぱた仰いでみた。
こんなことで涼しくなるはずもないのだが。
隙間から覗き見れば、常は紺色をしている蝶の形の文様が、うっすらと桃色に蛍光色の輝きを放っている。
(うう……これ、部屋に帰ったらまた、一人で籠り切りコースかなぁ)
当然ながら、現在のセブンスコードにおける主要植能は、SOATのみ保持が許可されているが、以前クロカゲの周辺に複製や劣化品が出回っていた影響で、今も街中に植能保持者はごろごろいる。
が、それとは関係なく、私には何故か渡航当初からこの力があって、しかも現在発見されている植能のどれにも当てはまらない。見つかるとどうなるやらわからないので、ソウルくん達に頼んで、SOATの目につかないよう匿ってもらっているのは、それが理由だ。
そして未発見だからそれ相応のチート能力なのかと思いきや、出来ることと言えば他人を誘惑して戦意を失わせるというデバフ的な効果が出るくらいで、護身用になるかならないかって程度だし……正直、能力を使った時の反動を考えると、弊害の方がデカい。
(つーか植能使うと代償に副作用があるとか、私聞いてないんですけど!?)
その一つが、体中が異様にムラムラするというもので、確かに仕事中なら役に立つんだけど、酷い時には家に帰って一日中体を慰めていないと、この火照りが消えないこともあるのだ。
まぁ、でも……それも、女性客だけ選べる今の方がずっといい。不本意ながら男を相手にすることもあったけど、性別による違いでもあるのか、その時の方が反動はもっと酷かった。思い出したらイライラしてくるぐらい。
傍から見たら発情期の女みたいでしかないので、誰かに相談するにしても惨めな事この上ないし、もう早く帰りたい、と思いながら、瞬間移動が出来るポイントまで、すたすた路地を歩いていた時だった。
「おい、どーしてくれんだよっ。ここはオレたちの住処だったのによぉ!」
「移動にあたる費用と立ち退き料は、十分に払ったと思うけど。そもそも、ボク一人に文句言ったってしょうがないコトだろ。そういう正式な話は、ちゃんと窓口があるからそっちに行って言ってくれないかな」
「なんでぇ、役人風情が生意気な! 貴様らなんか、民間団体のくせして、役にも立たない政府の無能どもの犬でしかねぇくせによぉ!」
(……何やら前が揉めてるな)
ぴたり、とブーツの脚を止めてから耳を澄ます。
いつもなら速やかに回れ右して迂回するけれど、どう聞いても聞き間違いようのない大人びたその声に、心が引っ張られるまま、路地の奥からゴミ箱に隠れてそっと覗き見た。
数人の大柄なごろつきに囲まれていても、170cmを越える背丈を持つその少年は、背筋を伸ばして堂々としている分、凛としてちっとも存在感が霞んでいなかった。
私の知るその人――ヨハネは、華奢な体に余る隊服を纏ったままで、誇らしげに腕の腕章を揺らしながらぴしゃりと言い放つ。
「民間か公営かは関係ない。ボクたちは、ボクたちの決めた秩序に基づいてこの街を守る……それだけだ」
「けっ。どうせ、裏で省庁に貢ぐための金でも搔き集めてんだろ。表でいい顔するためには、オレらがいくら不利益被っても仕方ありませんってなァ」
「そんな事言っても、ここは元々クロカゲ込みで違法な営業を黙認されてた地区だったんだからね。あんた達にとって意に沿わないこともあるかもしれないけど、全体の治安を向上させるためにも、少しずつ取り組んでいかないと……」
「うるせぇ! 正義面しやがって!」
にわかに場が殺気立つ。さて、救援に入るべきだろうかと、私は躊躇した。
SOATに見つかりたくないなら、SOATにバレていない植能を保持している私が首をつっこむのは、明らかに愚策だ。
仮にも隊長であるヨハネさんが、この人数を相手に勝てないということはないだろう。倒すまではいかなくても、逃げ切るくらいは余裕に違いない。
その一方で、胸の内に湧き上がるのは、もう一つの完全にどうでもいい方の私情だった。
――すなわち、ここで「窮地を救う」という、無理矢理にでもヨハネさんとお近づきになれそうなチャンスを、みすみす逃してもいいものだろうかという。
(いやっ、でも……。既婚者かつ風俗関係者の女と、ヨハネさんが友人以上に親しくなるルートなんて、どう考えてもありそうにないしな……。
ここは、程よい距離感で推しを見ているのが、今は辛くとも一番幸せに違いない。うん、そうするべき……)
そう言って踵を返しかけたその時。
「やっちまえ!」
そう言って目の前で振りかざされる巨大な鉈のようなナイフに、彼が息を飲む様を見たら、もう私の頭を渦巻いていた余計な懸念は、すべて吹っ飛んでしまっていた。