その幻の名は   作:hey-car

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幻と現 後編

 秋川理事長との対面までまだ時間に余裕はあるということで、学園内にあるレース場まで足を運ぶと二人のウマ娘が走っている事に気づく。

 

「あれは……マルゼン?」

 

 アタシの可愛い後輩の一人である"怪物"。その名に違わず、アイツ以来の全戦全勝を成し遂げてドリームトロフィーリーグへその歩みを進めた優駿。

 普段の気風の良い姉貴肌としての顔ではなく、鬼気迫る競技者としての顔をしていた。

 

 ()()()()()()()()()()。彼女が持つ伝説の一つ。

 

 その走りは規格外のエンジンで自然と前へ出て、そのままぶっちぎってしまうほどのもの。

 実況でも一人旅のフレーズでお馴染みとなってしまい、彼女が出るレースはいずれも出走を拒否するウマ娘が続出し、ついぞ十人以上のレースが実現した事はなかった。

 出力そのものが違う──"スーパーカー"なんていう洒落た異名で呼ばれているのも納得するぐらいだった。

 

 そんな彼女が、誰かの背中を追っている。そんなマルゼンスキーを見るのは初めてだった。

 

「先頭を走っているのは一体……」

 

 視線を向けた瞬間、息が詰まった。

 

 先頭を駆けるそれは、一時たりとも忘れもしない深緑の勝負服を纏っていた。

 最後のコーナーに入るとマルゼンスキーが文字通りギアを一段階上げ、先頭に立つウマ娘に食らいつかんとする。

 しかし、それをあざ笑うかのように再加速する深緑のウマ娘。

 

 マルゼンスキーは最後まで追いつく事は叶わず、一バ身の差をつけられてゴール板を通過する。

 

 気がつけばアタシは駆けていた。マルゼンスキーと、もう一人のウマ娘へと。

 いつの間にかあのウマ娘はいなくなっていた。幻のように。

 

「ああん、もう叶わないわね……! って、あら? 先輩、先輩じゃない! もう来てたのね!」

「マルゼン、細かい話は後だ。アイツは、アイツは……どこだい!?」

 

 負けてもなお清々しさが残る顔から、アタシを見るなりぱあっと明るくなったマルゼンスキーに詰め寄り、両肩を掴みながら揺さぶる。

 

「え、ちょ、ちょっと落ち着いて!」

「これが落ち着いていられるかい! あんたね、あれは一体どういうことなんだい!」

「き、気持ちは分かるけれど話を聞いてよお~!」

「やめてやれ、彼女は走ったばかりだぞ」

 

 後から追ってきたであろう声が耳に入る。

 

「アンタねえ、ンな冷静に──!」

 

 振り返りながら怒鳴ろうとして、強く握りしめながら震えている両手が目に入る。

 ──ああ。アンタもあの幻影に囚われているんだな。

 そう理解すると、頭にのぼった熱気が瞬く間に冷えていくのが分かった。

 

「……悪かったね、マルゼン」

「ううん、あの人のライバルだったんだもの。当たり前田のクラッカーよ」

「それで、説明してくれるかい」

 

 アタシの横から発せられた、かすかに震えた低い声。

 それを聞いてもマルゼンスキーは優しい笑みを浮かべたまま、「モチのロンよ」とまたもや懐かしい言い回しをしながら、片目でウィンクした。

 

 

 どうやらアグネスタキオンという競技者にして研究者でもある変人が、あの幻影を作り出したらしかった。

 それは短距離、マイル、中距離、長距離とそれぞれの距離を週に一度の頻度で走り、今日は2000メートルの中距離が残っている。

 

 ──そして、何より聞き逃がせなかったのは、あれは本人が走っているのだという。

 

 理屈は知らないが、アイツとまた走ることができる。

 思考がそれに至った時には、既に口を開いていた。

 

「願いがある」

「ふふ、そう言うと思って枠は確保してあるのよ。先輩もすっごい鍛えているようだし……ね?」

 

 

 

 

 

 

 ゲートに入り、高鳴る胸と逸る心を一つの呼吸で静める。

 

「ふう──ッ……」

 

 引退後もアタシは練習を辞めることはなかった。むしろ、現役時代よりも過酷なトレーニングを重ねてきた。

 教官という立場で実戦形式を取るためという建前をもって、現役のウマ娘たちとの併走を幾度もなくこなしてきた。

 そんな日々を繰り返す中で、ふと何故こんなことをしているんだろう、と考えることもあった。

 

 アイツと走る機会はもう二度と訪れないというのに。

 

 その答えは出ず、ただ走り続けたいという心の底から湧き出る渇望に従い続けた。

 そうして追い求めてやまなかった答えが、今ここにある。そう思った。

 

 

 その瞬間、身震いするほどの悪寒が背筋に走る。

 気づけば周囲の風景が変容していた。

 

 鉄で作られているはずのゲートが懐かしい()()()()()()()()になり。

 いなかったはずの観客たちが内バ場まで埋め尽くされている。

 そして、聞こえないはずの歓声がターフに響き渡る。

 

 

『いけ、██████!』                

                 『██████、がんばれよ!』

 

『三冠の夢を見せてくれ!』

 

 

 思わず隣にいる幻影の方に目が向いた。口より上は影で包まれているそのウマ娘は、闘志を漲らせた笑みを口に浮かべた。

 他に並んでいるウマ娘たちは気にする様子がない。いや、あれは見えていないのか。

 

()()……! 実体を持たない身で、かい!)

 

 ぱあんと自分の頬を両手で張る。先程まで感じていた高揚感が冷えていく。

 ──むしろ臨むところだ。冷静になれ。冷酷になれ。かつて走った東京優駿という舞台よりも。

 

「……よしッ!」

 

 ゲートが開くと同時に、思い切り右脚で地を蹴る。生涯で最高の、最速のスタートが切れた手応えを感じた。

 

「……ッ!」

 

 だが、深緑の閃光が最速の先をゆく。まるで撃鉄を上げて放れた弾丸のように、飛ぶような瞬間加速をもってそのまま勢いよく集団から抜け出す。

 質の高い精神集中(コンセントレーション)によるスタートダッシュはアイツが特に得意とするものである事は理解していたが、あれほどの速さは見たことがなかった。

 

 その勢いのまま、地を這うような低い姿勢でぐんぐんとアタシたちを突き放す。

 アタシ含めた先行の集団が第二コーナーに差し掛かった時点で、先頭にいる幻影との差は優に十バ身を超えている。

 

「速い……! サイレンススズカ先輩と同じタイプかしら……」

 

 そばで走っていた子たちの呟きが聞こえる。

 

 サイレンススズカ。

 "異次元の逃亡者"として序盤から他を圧倒的に突き放し、そのまま先頭を駆け抜けるという"大逃げ"をする子だったか。

 

 確かにアイツの脚質は便宜上"逃げ"とされている。だが、アイツは"逃げている"という自覚は全くないだろう。

 序盤から終盤までどんな存在も気にかけず、自分のペースで走り続けるだけ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、それを追い縋る事ができる奴がいないだけだ。

 超えられない壁が立ち塞がり、格の違いという紛うことなき現実を見せつけられる。それに心が折れ、追うのをやめた者を幾度なく見てきた。

 

 奇しくも同じような桁違いのバリキと、硝子の脚を持ち合わせていたマルゼンスキーもそんなアイツを憧れた。

 だから似たような走り方をするし、それもまた似合っていた。

 最も、彼女はアイツのように壊れはせず、ドリームトロフィーリーグという新たな舞台で走り続けているわけだが。

 

「大逃げでも関係ない。足を溜めて、最後に差し切る……!」

 

 ふ、と笑いがこぼれる。周りを見ても心を折れられた者はいなく、むしろみなぎる闘志を身体中に巡らせている。

 だが、アイツを抜くのはアタシだ。それは今も昔も変わっちゃいない。

 

 

 ──君には伝えておこう。もし彼女が万全の状態であれば、第三コーナーに差し掛かる前に……

 

 

 かつてトレーナーだった男から言われた言葉を反芻する。

 

 万全のアイツならばそうするという事は私も同意見だった。アイツはそれだけの力を持っていた。

 だから第二コーナーを抜けたここで先手を打つ。あらん限りの力を振り絞り、地を踏みしめる脚に鞭を入れる。

 

「ふっ……!」

 

 短く息を吐き、スパートを掛ける。周囲から戸惑いと驚きの声が聞こえた。

 傍から見れば大逃げに釣られた無謀なロングスパート。しかし、こうでもしなければ後半でさらに加速するであろうアイツには追い付かない。

 後はアタシがどれだけ持つかだけの勝負。否、持たせてみせる。

 

 先行集団から抜け出し、先頭との差が少しずつ縮まっていく。

 

 

 四バ身差。

 朝日杯ステークス。

 初めてアイツと出会ったレースであり、初めて挫折というものを味わった日。

 

 

 三バ身差。

 選抜ハンディキャップ競走。

 レコードタイムを叩き出された後、五回目のレコードと聞いた時の衝撃は今でも思い出せる。

 

 

 二バ身差。

 東京オープン、皐月賞。

 皐月賞ではアタシも従来のレコードを更新する程の走りができたが、それ以上を行かれた。

 

 

 一バ身差。

 東京優駿。

 アイツが初めてスタートに失敗しても、アタシが絶好調のコンディションでもなお、負けた。

 

 

 そして、アイツは幻になってしまった。

 

 

 それから長年、見続けてきた夢と幻。それを追い抜くためにアタシは走り続けてきた。

 でも、今こうしてぐんぐんと迫る背中は夢でもなければ、幻でもない。

 

 紛れもない(うつつ)なのだ。

 

「ハッ、ハッ、ハッ……!」

 

 肺が痛い。苦しい。

 熱いはずの息が、冷たく感じる。それと裏腹に、アタシの中にある闘争心がごうごうと燃え盛る。

 とっくに限界を通り越している脚を止めることはない。あれから追い続けてきたものが、目の前にあるんだ。諦めてたまるか。

 

 第三コーナーへ差し掛からんとする所で、とうとうそれと肩を並べる。

 

「やっと、追い、ついたぞ……!」

 

 軋む身体。横目で睨みながら、息も絶え絶えに声を絞り出す。その耳には届かないかもしれない。

 それでも、声に出したかった。ずっと、追いつけないまま終わってしまった自分とのけりをつけるべく。

 

「…………!」

 

 影に覆われているはずの目と合った。温和な笑みをたたえた口がなにかを紡ぎだすように、動いている。

 その言葉を理解する前に、それはさらに加速する。駆けていく()()には一切の歪みすらなかった。

 瞬く間に遠くなっていくその姿を見て、脳裏に"完璧"という言葉が浮かんだ。

 

 ──嗚呼。あれこそが、見せられなかった本当の姿なのだな、と理解した。

 

「……『ありがとう』、ね。そりゃアタシの台詞だってのに」

 

 アタシの呟きは、背後から迫ってきたバ群に沈み込まれていった。

 

 

 

 ◆ ◇ ◆

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 

 ()()()()()()()()

 

 

 普通のウマ娘にとってはごく当たり前の事であり、そして私の見果てぬ夢だったもの。

 スタートダッシュは彼女が最も得意とするものである事は理解していたはずだったが、最初から最高速でそのまま抜け出すの程のバリキ。

 その速度を一切緩めずに維持していくかと思えば、第三コーナーへ差し掛かる前の位置でさらに加速する健脚。

 

 ぐんぐんと先頭で駆けていくそれは一切の歪みすらなく、早い段階からスパートを掛けた彼女含めた他のウマ娘たちを突き放していく。

 

 

 先頭に立ち続け、レースそのものを支配するウマ娘として理想の走り。

 直視すれば目が焼かれてしまうほどのまばゆさ。それはまさしく光だった。

 

 

「夢を……見ているのか……?」

「いいえ。あれは幻ではありますが、紛れもない(うつつ)ですよ」

 

 呆然としたまま呟く私に、隣から返事が返ってきた。

 ちらり、と彼女の走りを視界に入れながら横目で見ると、白衣を着たウマ娘がいた。

 相当な才能を感じさせる両脚だった。だが、それはかつての彼女と同じように危うさも孕んでいる、とトレーナーとしての直感が告げていた。

 

「君は? 無礼をすまない、あの走りをこの目に焼き付けておきたくてね」

「構いませんよ。あなたにはその権利がありますし、私はそういった些細な礼儀など気にしませんとも。申し遅れましたが私はアグネスタキオン。僭越ながら本人の協力の下、あの幻影を作り出させていただきました」

 

 どういう原理かはわからなかったが、ターフ上に幻影を投影させているということだった。

 

「なぜあの幻影を?」

 

 アグネスタキオンと名乗ったウマ娘は小さく笑みを浮かべると、私の視界に入るように手を差し出してきた。

 その手には、かつて私が記録としてまとめていた資料とビデオがあった。

 その資料にはかつての彼女のレースをまとめただけでなく、日々記録した両脚の状態、そしてそれを治すべく幾夜を徹してありとあらゆる方法を模索した日々も記したと記憶していた。

 

「これを拝見させていただきました。かくいう私もこのビデオを見て、魅せられましてね」

「なるほど、それで……」

「あなたの目から見ていかがですかね。あなたの見果てぬ夢だったものは、叶えられましたか」

 

 つん、と目頭が熱くなった。視界がぼやけていく。

 

 視線をターフに戻す。彼女が他のウマ娘たちと大差をつけてそのままゴール板を通過する姿。

 そして最初からいなかったかのように、掻き消えていく。

 

「ああ、ああ。長年、夢に見続けてきたものよりも……遥かに鮮烈なものだとも。ありがとう……」

「……それでしたら何よりです。最後の最後まで、あらゆる可能性を諦めなかったあなた方に敬意を表します」

 

 

 

 

 

 

「いい走りだった」

 

 息を切らせながら、地に寝転がっている彼女に声をかける。

 第二コーナーを抜けたところでロングスパートをかけ、先頭と肩を並べるところまで行ったものの、途中で失速しバ群に呑み込まれた上での五着。

 中央という第一線に立つ猛者たちが揃うレースにおいて、掲示板に入るほどの走り。

 

 その第一線から身を退いた彼女がここまで走れたのは弛まぬ鍛錬と、何よりただならぬ執念に他ならない。

 

「はっ……引退した身で一瞬でも肩を並べりゃ上出来かね」

「それで、どうだった。彼女の走りは」

「……悔しいけど、"完璧(パーフェクト)"って言葉はあれのためにあるんだろうね」

 

 悔しい、と口にしながらもその表情は非常に晴れやかなものだった。

 完璧。かつて彼女が呼ばれていた言葉に、思わず頬が緩む。

 

「アンタが『全く違う。完璧とは程遠いものだ』と否定したのも頷ける。当時のアタシ達はなんて理想が高いんだい、と思っていたんだけど間違いだったね」

「いかにも、彼女にはそれほどの力があった。だが当時の私ではそれを引き出す事は叶わなかった。君には酷だろうが……」

「ふん、気遣わなくていいよ……ん?」

 

 息を整えた彼女が立ち上がるとぴく、と彼女の耳が動く。

 後ろから聞こえてくる足音に振り返ると、あの頃から一切変わらないとても懐かしい顔がいた。

 ここまで走ってきたのだろうか、かすかに息を切らせているものの深緑の事務服には一切の乱れもなく、温和な笑みをたたえていた。

 

「久しぶりだね、たづな」

「ええ、お久しぶりです。その……とてもいい走りでした」

「アンタが言うのかい。でもそうだね……『ありがとよ』、悔いはないさ」

 

 たづなが一瞬目を丸くすると、はいっ! と満面の笑みを浮かべた。

 

 じゃじゃウマだった彼女が随分と丸くなったものだ。

 そんな事を考えているとたづなが温和な笑みをたたえたまま、こちらへ目を向ける。

 

「……先ほどのレースはいかがでしたか? 気になるウマ娘はいましたか?」

「そうだな、先頭を走っていたあのウマ娘──私が長年見続けてきた、()()()()()だったよ」

「あらあら。あなたにそう言われるなんて、ウマ娘として冥利に尽きるでしょうね」

 

 口を手で抑えながら、上品にくすくすと笑うたづな。

 この日本一とも謳われる日本ウマ娘トレーニングセンター学園において、まだ幼い理事長を支えながらもありとあらゆる仕事をこなす懐刀。

 その敏腕ぶりは私のいるトレセン学園にも広まっており、事務員の中にはこのたづなを憧れる者も少なくない。

 

「さて、ト……ふふっ、申し訳ございません。今は違いましたね、理事長補佐さん?」

「ふ……君もだろう、理事長秘書くん?」

 

 ふふ、と笑い合う。彼女もまた立派な大人になり、あの頃の私達はもういない。

 

「こほん……さて、"一番星"、そして"ダービーの英雄"。そんなお二方に臨時教官、特別講師としてしばらく滞在していただけるということで、理事長も張り切っておられていますよ。ご案内いたしますね」

「あのチビッ子がねえ。ま、求められた仕事はするよ……それと、ミツとトラの奴がアンタの事を気に掛けてたよ。どうだい、あいつらを呼んで同窓会と洒落込むのは」

「まあ! 随分となつかしい方々ですね。ええ、ええ。構いませんよ」

「見た目麗しい淑女たちに囲まれるのは、少々肩身が狭そうだな」

「もう、そんなことありませんよ~! 積もる話もありますし、ぜひ参加してくださいね!」

 

 それでも、かけがえのないこの思い出を胸に、これからも歩み続けるのだろう。

 

 

 

 

 ──ああ。今日は、とてもいい夢が見れそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本来ならば1話目で完結のつもりでしたが、かつてのトレーナーやライバルがこの幻について聞きつけないはずがない、という事で続きました。
読んでいただきありがとうございました。

アオハル杯のサポカ枠で走るたづなさんを楽しみに待っています。
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