[完結]迷子の沈丁花   作:高鹿

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本編
01 散る花、君は


誰も来ない夜の廃ビル。とうに朽ち果て捨てられ取り壊されることもなく残ってしまった遺物。入る光は外の街灯やビルの明かりだけで、ぬるい梅雨の風がたまにそよぐ。そんなコンクリートむき出しの場所で、私は黒髪の男といた。

 

「うあっ、ぐぁ……っ」

「痛い? 痛いかな? 痛いといいな」

 

仰向けに倒れて呻く男の指は、中途から削げ落ち、ぽかりと開いた断面からだらだらと血が流れ続けている。床を上半身だけでも転げ回ろうとする男を下に見ながら私は問いかけた。けれど男の口から出るのは何も意味を成さない声ばかりで、ため息をついてしまう。

 

「ねぇ、ねぇ、そんなに喚かないでよ」

 

左手はもう親指と小指を、人差し指と薬指を"くっつけている"からもう使えない。逃げようとする男の足は"固定している"。だから、逃げられる筈もないのにどうして逃げ惑うのだろう。意味なんてないのに。そろそろ諦めてほしい。

 

右手を掲げ座標を確認して、私は親指と人差し指で今度は男の下腕を圧縮した。

 

「────!」

 

ぶちりぶちりと筋肉のつぶれる感触が手に伝わってくる。気持ち悪い。空間のなかに赤がぶちまけられて、それでも外には飛び散らない。私が右の指を離すと、ばしゃり、男の傍らに赤い液体が降り注いだ。

 

「こうやって生きたまま体が圧縮されるってどんな気分? いい気分かな?」

「……っ」

 

ぎりりと私を睨み付けたその瞳には、嬉しいことに生気がまた宿ったみたいでにこりと笑う。よかった。ここで気を失われたら、明日もまたここに足を運ばなきゃいけなかった。どうせなら、もう、一回で終わらせよう?それぐらいの慈悲ならお前になくても私にはあるんだよ。

 

「くる……狂ってる! おま、えは……っ」

 

くるってる。狂ってる。うん、理解語彙だ。私の辞書にも載ってる。何度となく使った言葉だ。でも。

 

「私が狂ってるなんて、そんなことどうでもいいでしょ?」

 

また座標を確認、指定、圧縮。薄暗い辺りを彩るのは赤とコンクリートのモノクロばかりで、人によってはもしかしたらきれいだと思う配色かもしれない。絵画のようだとは思えないけれど、まぁ、絵になる色彩ではあるんじゃないだろうか。

 

「私はね、貴方を殺したいだけだから」

 

そう呟いた私の瞳に何を見たのだろうか。男は声にならない悲鳴をあげて、腰だけで退こうとするのは本当に滑稽だ。こんな、こんな情けない人間だったのか。

 

「……駄目だなぁ」

 

どうやら私は拷問に向いていないらしい。どうしても楽しめない。なんとか楽しもうと思っても別の感情が先に入ってきてしまって早く殺したくなってしまう。この命が一分一秒生き長らえていることそのもの自体が嫌悪の対象だ。この時期に見つかるなんて何て僥倖なんだろう。

 

「もういいや」

 

左手は合わせたまま、右手の五指を伸ばして、起点を定めていく。座標、空間把握、空間角固定完了、────圧縮開始。全部の指先の距離をじわじわ縮めていくと、見えない壁が男の体を折り曲げ始める。腕が、足が、胴体が、首が、あらぬ方向に曲がりはじめて、何か叫ばれたような気がした。それでも空間はもう閉じている。声は通らない。だって音を伝える空気が遮断されているのだから。下卑た声がもう聞こえないことへの安心感が心のなかを占める。

 

「さようなら」

 

右手を握り込んだ瞬間、"黒髪の男"の存在は消え去った。残るのは、真っ赤な真っ赤なキューブだけ。

 

自分から離したところでそれを解放すると、男だったものが床に落ち、嫌な臭いを辺りに立ち込めさせる。いやだな、あいつの臭いになっちゃう。

 

扉が壊れた部屋を後にして扉向かいの壁に背を預ける。ふぅと詰めていた息を吐くと、ぽたり、鼻から血が落ちた。それを適当に袖で拭いてからゆっくりとケータイをポケットから取り出し、警察に電話をした。

 

「人を殺したので、捕まえに来てください」

 

そう言ったとき、私はどんな表情をしていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

人を殺したという電話があったと事務所に協力要請が来て、警察に同行して廃ビルに向かった。サーチ系の個性の人間が下調べをして、確かにビルに一人いるというものだから、ビルの入り口からそいつを凍らせ動けなくしてから突入したわけだ。

 

そこには一人の────おそらく少女と呼ばれるだろう年齢の人間が足の膝まで凍った状態で蹲っていて、どこか途方に暮れたような視線で俺たちを見た。

 

電話の主かと問えば、力なく頷いて、自分の目の前を指差す。そこには扉が消失した、おそらく部屋だろう場所。

 

「そこに殺した男が……あれは居るっていうのかな? まぁいいや。とにかく存在してるから確認どうぞ。あ、手錠かけます?」

 

凍結を気にした風もなく両腕を差し出してくるものだから、全員に緊張が走って空気が張り詰めた。それでもそいつはただただ両腕を差し出しているから、個性制御が乗っかった手錠を預かり、ぱきりと帯状に床を走った氷を踏みしめて近づけばあっけなく手錠はかかり拍子抜けする。

 

「どうも」

 

足が固定されたまま壁に背を預けたそいつを警察に頼み、示された部屋に入る。そこには、赤が広がっていた。床に描かれたそれは、明らかに人間の血の臭いで、だっていうのに異様なほど"他のもの"がない。ここまで血液が散らばってるなら犯行現場がここだってのは間違いねえんだろう。だけど見当たらない。部屋の外にもビルの外にも血液はない。致死量どころの騒ぎじゃない血液だけを残して、死体はどこに消えたのか。

 

「死体はないから、まぁ適当にDNAとかから本人確認してください」

 

そこで耳元の無線に連絡が入る。

 

『顔から識別できました。三年前から行方不明になっていた室間那切・18歳、無職、登録個性は空間圧縮です』

 

そこで振り向いたとき、そいつはただただ感情の読めない黒い瞳で虚空を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、面会希望って誰かと思ったら、あの時のヒーローの方じゃないですか」

 

数日経ったあと、留置場の面会室で相手を待っていると、第一声でそんなことを言われた。面会希望が来たって話をされるときに名前が伝えられるはずなんだがな。聞いてないのか。

 

椅子に座る際に机にかけた室間の手には中世の鎧にあったガントレットについているような指甲が全ての指に嵌まっていて、自分の意思じゃぴくりとも動かせないようになっていた。

 

「ん? あぁ、これ、酷くないですか? ご飯だってフォークを手に固定して食べなきゃいけないんですよ」

 

調書を読んだ限り、こいつの個性の発動条件はどうやら指と指を合わせるということらしく、そういう対処になるだろうことは想像に難くない。最大五つなのか、十なのかはわからないが、とにかく指を遊ばせると危ないって判断だ。

 

「言われなくたって危害を加えるためには使わないのに」

 

不便そうに固められた指を眺めた後、室間は机に両頬杖をついて俺を見る。

 

「それで、どうされたんですか?」

 

促された俺は軽く頷いて、口を開くことにした。

 

「勝手だとは思ったが、おまえについて調べさせてもらった」

「へぇ。何か面白いものでも出てきました?」

 

あぁ、と返すと、まぁ出てきますよね、と最初から諦めているのか肩を竦めてそう返してくる。

 

「おまえは、十年前に両親が事故で死亡し、その数年後に引き取り先であった友人一家を惨殺された。学校の委員会活動で帰宅が遅れたおまえだけが生き残ったんだ。そしてその犯人は」

 

そこで切ると、室間は朗らかに笑顔を浮かべる。

 

「そう。死んでますね。殺しました。人を殺したんだから、殺される覚悟なんていつでも持っていて然るべきじゃないですか?」

 

警察さえも補足できずにいた犯罪者を、齢18歳で捕まえて私刑に処した。個性も探索能力とかもすげえとは思うが、そんなことをやっちまう前に、俺たちを頼ってくれたらよかったと自分の無力さを歯噛みするしかない。こいつにとってヒーローは頼れる存在じゃないんだろう。

 

「それを、彼女が望んでいる、って?」

 

問えば、瞬間、空気が変わった。

 

この空間だけが切り離されたような感覚。遠く聞こえていた外の音が全く聴こえなくなった。室間の指には確実に指甲は嵌まったままだっていうのに、確実にこの部屋は"閉鎖されて"いる。

 

────まずい、指を合わせなくても使えるのか。

 

「う、あ……!」

 

目を見開き頭を抑えた室間は、ひきつった表情のまま固く固く瞼を閉じる。するときりきりとした感覚は消え、またざわざわとした微かな外の音が聴こえるようになった。

 

「……わかったような口を利かないで」

 

先ほどまでの雰囲気は完全に消え失せ、ぎらりと瞳が輝き俺を視線で居竦めようと睨んできた。頭から手を離し上がった顔には鼻血が流れ、室間はそれを指甲に包まれていない手首辺りで乱暴にぬぐう。

 

「あの子はもういない。私のしたことを咎めることも応援することももう出来ない。止めることだって一緒に手を汚すことだってしてくれない!それを!あいつが!奪った!」

 

叫びと共に、がん、とアクリル板で隔てられてはいるが繋がった机を叩かれ、室間側の外で控えていた警備が入ってこようとする。手で問題ないことを伝え追い返して、ふ、と短く息をついた。ここで連れていかれたらたまったもんじゃねえ。

 

「私は私のしたいことをしただけ。あの子は関係ない」

「……悪かった。お前の意思だな」

 

僅かに収まったぎらつきはそれでも完全には落ち着いてはいなくて、あぁ敵だと認識されちまったなと思う。

 

「それでも私刑は違法だ」

「あの子のことを守れずそれどころかあの男がのうのうと生きている社会のルールを私が守る必要なんて、ないじゃないですか」

 

"あの子"。それは、こいつを引き取った一家の一人娘だ。そしてこいつの親友だったらしい存在。安心できる場所。それを一気に奪われた。その憎悪。それは、理解出来ちまう。だから来たんだ。

 

「ヴィランに復讐をしたらヴィランになる。おまえはおまえが恨んだ存在になってるんだぞ」

 

すると、はっ、と鼻で笑い室間は机を指先で軽く叩く。

 

「私はヴィランを恨んでるんじゃないんです。あの男を、恨んだだけで」

 

つまり自分に絡んでこないからヴィランという概念ついては本当にどうだっていいわけだ。長い間憎悪を募らせ続けたくせに、刹那的な考え方をしてやがる。

 

「時間です」

 

警備の人間が入ってきて、室間が立ち上がる。その顔を見て警備が怪訝な表情をするものだから室間は、単に鼻血が出ただけです、と吐き捨て扉の方へ。

 

「もう来ないでくださいね」

 

最後にそう言って室間は部屋を出ていった。全く、強情なやつだな。

 

 

 

 

 

 

 

「ヒーローって暇なんですか? 来るなって言いましたよね?」

 

首に個性抑制のチョーカーが新たに付けられた室間は、えらく不機嫌そうな顔で指甲が嵌まった指でかつかつとアクリル板を叩く。

 

「じゃあ何でおまえは面会に応じてるんだよ」

「……」

 

一応これは拒否することも出来る話だ。そういうことも言われてはいるだろう。聞いてるかどうかは怪しいが。

 

「別に、どうだっていいじゃないですか」

 

どかりと横向きに椅子に座った室間は頑張って俺を見ていないようにしてはいるが、視線がこっちに来てるのは見てわかる。本当になんにも訓練してない素人なんだな。

 

「大人しくしてろよ。もうすぐ、命日だろ」

「……」

 

誰の、とは言わないが伝わるはずだ。忘れるはずがないよな。おまえがここまでした人間のことなんだから。

 

「いい子にしてたら俺が連れて行くぐらいしてやる」

「……頼んでませんけど、連れていってくれるなら、まぁ」

 

ここで笑わなかったことを誰かに褒めて欲しいと思っちまった。"あの子"が関わるとすげえ素直だな。

 

「わかった。約束だ」

 

右手をあげて掌全体をアクリルに当てると、そろりと指甲のせいでゴツくなってる左手が合わせられる。うん、たぶん、ああやって激怒したのも、こうした姿も、ヴィランを殺したのも、全部こいつの本質何だろうな。どれも嘘じゃない。隠すことは得意じゃないんだろう。だから警察を呼んだ。

 

「別に、破ったって殺しに行きませんから。安心してください」

 

そんな風に、つまり期待していないと言っちゃいるが、それは逆に期待してるって言ってるようなもんだぞ。まぁいいか。

 

 

 

 

それから布団が固いだとか飯が食いづらいだとか、そんな軽い愚痴のような他愛もない話を聞いて、警備の人間が時間だと告げる。

 

あ、と一瞬呆けてからガタリと勢いよく立ち上がった室間はくるりと背中を向けた。時間忘れて喋ってたのが恥ずかしいんだろう。最初はあんなに感情が見えないと思ってたのに、ふたを開けてみればこれだ。

 

「じゃあな、また来る。おとなしく元気にしてろよ」

 

言いながら立ち上がると、室間は動かそうとしていた足を止め、半身だけ振り返ってくる。ん?

 

「……私のこと気にかけてくれるなら、健康診断の結果でも見てくださいよ。まぁ、どうにも出来ませんけど」

 

室間はそれだけ言い残して、警備の後を追っていった。

 

……健康診断?

 

 

 

 

 

 

 

数日後、いろいろなことを調べて腹の方に詰め込んで、俺は今後どうするか決めてまたここに来た。相変わらず嫌そうな顔をしながら面会には応じるのは笑うしかない。いや、表情には出さないが。本人は気づいてねえみたいだが、根本的には寂しがり屋なんだろう。

 

「ここから出る日が決まったぞ」

「そうですか。それより何処に連れて行かれるんですか? 少年院?拘置所?刑務所? 私あんまりそういうこと知らないんで心の準備だけでもしておきたいんですが」

 

警察の方にももう話は通したし、許可は取った。あとはこいつがどういう反応をするか。

 

「俺の家だ」

「……は?」

 

親父はもうあの家を俺に明け渡して轟家を継いだのは俺になってるし、別に結婚もしてねえから住んでるのは一人だ。居住に関して俺が許可すれば問題はない。

 

「未成年ヴィランを保護して教育するのも、ヒーローの役目だからな」

 

そこまでやる奴がいるかどうかっていったら、あんまりいないが、まぁ完全にいないわけじゃない。

 

ただ俺はそういうタイプじゃない。でも放っておけないと思った。復讐に燃えつきた、あの空虚な途方にくれた表情は、きっと今でもなかに残ってる。そんなやつをそのままにしておけるかって話だ。

 

「……馬鹿じゃないですか? 殺人を犯したヴィランですよ?」

「それに関しては更正の余地アリってことで書類通した。惨殺事件を担当してくれた刑事さんが奔走してくれたってよ」

 

ちょっと裏技使ったことは否定しないが、まぁそんなことは伝える必要もないし、申請が通っている現状どうだっていいことだ。

 

「いや、それにしたって、貴方いい歳した男性ですよね。この歳の人間を連れ込んでたら周りになんて言われるか考えないんですか?」

「なんだ、心配してくれるのか」

 

すこしおどけて言えば、きっ、とまなじりを赤くして室間が大きく口を開く。

 

「────心配、するに決まってるでしょう!」

 

喉がひきつったようなからっけつの叫びは、部屋全体に響いてまた前みたいに警備の人間が覗いてくる。大丈夫だと目線だけで示せば、会釈と共に戻っていった。

 

「私は、別に、無差別に誰かの人生をめちゃくちゃにしたいとかそんな願望持ってないんです。私がしたかったのは、あの男を殺して、刑を受けて、そうして」

 

続く言葉は落ちはしなかったけどわかる気がした。わかっちまった。なぁ、本当にそれでいいのか。今までの人生全部をつぎ込んだ結末が、そんな。

 

「おまえ、もう長くないんだろ」

 

叫んだ際に下に向けられていた視線が持ち上がって、本当に見たんですね、とへったくそに笑う。

 

「診断結果を見て、個性研究所に行って聞いてきた。空間座標を正確に把握するってのは、脳にすげえ負担がかかるらしいな。それを独学で修練して、使い込んで、人間一体を簡単に潰す程の力を得るなんてことは、無茶苦茶だって」

 

ワープが稀少な個性だってのはそれが一端を担ってるとも聴いた。耐え切れないんだ。普通は。よしんば使えたとしても、実用に足るほどの精度も頻度も距離も、鍛えるのは難しいと。そう聞いて、あの頃に出会ったヴィランを思い出した。

 

「頑張ったな」

 

使い方は間違ってるけど、それでも、こいつは頑張ったんだ。たった一つの目的のために、真っ直ぐに。脇目も振らず。

 

「何ですかそれ、同情ですか? 家族を殺された私に?余命が長くない私に? 止めてください。反吐が出る」

「そんなんじゃねえ。頑張ったのは事実だろ」

「……」

 

重ねて言うと、どうも表情作りそこなったらしく唇を噛んで俯いた。

 

「それに、おまえがこれを断ったら墓参りの件はナシだからな。外出許可が下りねえだろうし」

 

落ちていた黒い深い瞳が見開かれて、そのまま視線を逸らし思いっきり舌打ちされた。どう聞いても聞き間違えようのない盛大なレベルで。

 

「……わかりました。私が死ぬまでせいぜい養ってください」

「そう簡単に死なせる気はねえよ」

 

そう言うと、はぁ、とため息をついた室間は諦めたように頬杖をついた。

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