[完結]迷子の沈丁花 作:高鹿
病理解剖が終わって戻された那切の首からはリミッターが外されていて、そこにはうっすらと日焼けの痕が残っていた。
夏の終わりのことだった。
轟くんから報せが届いたのは、彼女の死亡診断がなされて数時間もしない深夜。
身よりもねえから通夜もすっ飛ばして火葬するけど、来れたら来てほしい、なんて用件だけのメッセージだったけれど、それがどんな思いで書かれたのか画面から伝わってきた。
火葬は診断から24時間経過しないといけないから、きっとその間にいろんなことを済ませるつもりなんだ。
そんなの、行かないわけがないだろ。
それから二度、夜が明けた朝。
指定された遺体安置施設に着いてメッセージに書かれてた番号を受付で告げて案内をされると、そこにはもう轟くんがいて、黒いスーツの人と何か話しこんでいるのが見えた。
「緑谷、ほんとに来てくれたのか」
足音に気が付いて振り向いた表情が、ほんのわずかに緩む。髪の毛や火傷の痕でわかり辛いけど、きっと満足に眠れてない。
「当たり前じゃないか」
「急なことだったからな、悪ぃ」
「轟くんが謝ることじゃないよ」
それに、人の死はいつだって突然だ。それを僕らは痛いほどに分かってる。今までも、ヒーロー活動の中で命を落としていった知り合いはそれなりにいるんだから。
「それでは、また後ほど」
「はい、よろしくお願いします」
たぶん葬儀屋さんだろうその人に頭を下げる轟くんの横で、僕も同じようにそうした。
「こんなかに那切が寝てる」
こんこん、と轟くんが叩いたそこは、一面大きな引き出しの壁。この中が全部遺体安置用のクーラーボックスになっているらしい。
ヴヴ、とポケットの中の端末が震えて、二人で同時に取り出す。麗日さんと飯田くんからの連絡だ。
「あともう少しで飯田とか麗日も着くみたいだな」
そろそろ納棺始めてもらうか、と歩き出した轟くんの背中を、僕は何も言えずに追いかけた。
おなじ電車だったのか、連れ立った二人が着いたのは室間さんの身体が綺麗に棺に納められたところだった。おぉ、と轟くんが手を挙げて、駆け足が近寄ってくる。落とした視線の中で彼女はうっすらと化粧をされて、綺麗に整えられている。けれども生きている人のそれじゃない。たくさん見てきて、わかるようになってしまった。
「事故ったとかじゃねえからな、綺麗なもんだろ」
今来たばかりの二人に呟いた轟くんの横顔は比喩じゃなく真っ白で、乾いていた。
「な、ぎり、ちゃん……」
「なんということだ……」
室間さんとすごく仲が良かった麗日さんはハンカチを握りしめ、ぽろぽろ涙を零しながらもその頭を撫でた。飯田くんは彼女がひとつ式が解けるようになるたびにいつものように実直に褒めていた彼女を、沈痛な表情で見ている。
あんなに楽しそうにしていた彼女は、もう目覚めない。
暫く別れを惜しんでいると、革靴が足早に近付いてくる音。誰だろうと顔を上げると、黒服の男性。
「轟様、先程弔電がこちらに届きましたのでお持ちしました」
「ありがとうございます」
受け取った轟くんは綺麗な布がかかった分厚いそれを開いて、視線を落とす。暫くして、那切に関わってくれてた刑事さんからだ、と一言。
「火葬には行けねえけど、納骨したら教えてくれって」
彼女は愛されていた。彼女がヴィランとなったきっかけの事件の担当者さんや、県外の和尚さん、麗日さん、飯田くん、そしてもちろん轟くんに。
ごく少数であっても、彼女は確かに愛されていたんだ。
そうして、霊柩車を追いかけるための車に乗り込んだ時、麗日さんはハンカチを握りしめて泣き終えていた。飯田くんはここまでに泣くことはなかったけれど、口元を引き締めて前を見据えて。
だけど助手席に座った轟くんの表情は、どうしても見ることが出来なかった。
火葬は数時間かかるから、終わるまで待合室で待つことになる。朝早くだからか他のお客さんの気配はなく、建物の中はしんと静かだった。
僕らは最後の、本当に最後のお別れを言って、その場を離れる。
「じゃあな」
離れる僕らに直ぐには続かず、棺の顔扉を閉める轟くんの声が、やけに耳に残った気がした。
火葬を待つための待合室まで案内された時、最後に入ってきた轟くんは入口近くの椅子を引いてどかりと座る。組んだ手に額を預けて、重い呼吸。
僕らはここまで、何があったのか知らされていなかった。何かあったことは容易に想像が出来るから、聴くことも憚られたんだ。
あれだけ元気にしていた彼女が、亡くなった。しかもあんな綺麗な状態で。個性事件に巻き込まれたとか、致命的な身体上の問題が見つかったとか、それとも────"個性"を使ったとか。
「今日は、来てくれてありがとうな。正直助かった」
「くる、くるに決まってるやん。那切ちゃんとは、友達やから」
僕たちは来ただけだけれど、それでも、轟くんが独りであの場に立つことにならなくて本当に良かったとは思ってる。納棺の準備をして、黒塗りの車で霊柩車を追いかけて、火葬場でお別れを言うのをたった一人でしなけばならなかったとしたら、僕なら耐えられない。
「あいつな、たぶん俺を救けようとしたんだ」
それから、轟くんはその時ことを話してくれた。
ヴィランと戦っている時、急にアラートが響いたとほぼ同時に相手が動きを止めたこと。その止められた、気の張った空間に覚えがあったこと。そうしてリミッターを介して見た彼女の健康状態。急いで帰宅して目の当たりにした、血まみれの畳と伏せる体。そして無機質に流れるニュースの音声。
それらすべてが、リミッターを無視し生放送を介して無理矢理"個性"を発動させたことを物語っていたと。
それは、どれだけの出力をしたんだろうか。一度だけそういうリミッター研究をしている一般企業の開発最終段階に協力したことがあったから、どういった類のものなのかは多少知ってるつもりだ。
だからよしんば命が助かっていたとしても、脳に被害が出ただろうことは、想像に難くない。それでも、それでもきっと、轟くんはあの子に生きていて欲しかったんだと思う。あんなに昏い瞳をしていた子が、笑えるようになったんだから、出来れば長く、ずっと。
「……実際のところあいつは、どう、思ってたんだろうな。俺の我儘で連れ出しちまったようなもんだし」
それについては聞いたことがある。ちょっと警察に根回しして、更生プログラムの書類の提出をさっさとやってしまったって。殆ど事後承諾で、本人には目の前にぶどうをぶら下げて最後の承認をさせたとか。
でも。
「轟くん。それは、君が言っていいことではないだろう」
硬い声で、飯田くんが掠れた声ではっきりと異議を唱える。飯田くんも、麗日さんも、彼女を見ていた。轟くんに懐いて、信頼して、家族のように隣に居て不自然じゃなく、笑っていた姿を僕らは知っている。
轟くんはそんな声に、この部屋に入ってから初めて僕たちの方を見た。
「彼女は君を誰よりも慕っていた。それは、身元引受人だからといった単純なことではない筈だ。俺が室間くんを見ていたのはここ一ヶ月半程度の話だが、それが間違っているとは思わない」
真っ直ぐな声は、部屋の中に静かに響く。誰も反論しない。当たり前だ。何故ならそれが僕らにとっての真実だから。
「僕も同感だな」
室間さんはリミッターを越えた出力をした。それが褒められた行動じゃないってことは事実だけれど、それでも、それが出来た理由はどう考えたって一つっきり。
どうでもいい相手を救けるためにリミッターを越えた出力を発揮して、手の届かない場所にいる人に個性を行使しようとするだなんてことは、普通出来っこない。そもそも考えもしないだろう。
制限を、常識を、理性を、全部を無理矢理飛び越えた結果だ。そんなことが出来てしまう相手が、どうでもいいとか、好ましく思ってないとか、そんなことがある筈ない。それがたとえ、こんな結末だったとしても。
僕らは彼女の力になりたかった。ヒーローとして、ヒーローと言う存在がみんな──室間さんを助ける存在だと、知ってほしかった。なのに彼女は自分で解決しようとした。
それはヒーローを信用していなかったからなんだろうか。いいや、ちがう。話を聞く限り、時間はなかった。考えるタイミングがなかった。考える隙がないことは如実に思考を鈍らせる。
彼女は、頼る時間がなかったんだ。
「最後に会った時、彼女は笑ってた。二ヶ月前とは見違える表情で。だからさ、それが答えだろうし、誰をおいても轟くんだけはそれを受け止めてあげないと、きっと悲しいよ」
そう、君だけは、彼女が気持ちを寄せていた君だけは、その心を疑ったらいけないと、思う。彼女を想うならせめて。
すると、一瞬だけ目を伏せた彼は、ちいさく頷いた。
それから、今までの室間さんがどうだったのか、とか、逆に最近はどうだったのか、とか、はたまた勉強の時の様子など、お互い今まで知らなかったことを話したりした。最初の遭遇した事件について詳しく聴いてみたらわりとシャレにならなくて、本当に強い個性だったんだなと感心してしまう程。
たまに不意に沈黙が落ちたりもしたけど、それでも、話が尽きることはなかった。
その後、骨壺に骨を入れるのは静かに滞りなく終えて、白い壷を風呂敷で轟くんが抱えたところで、一連の流れは収束を迎えた。
火葬場を後にする直前、麗日さんと飯田くんが車の方へ向かって行ったところ。一番後ろを歩いていた轟くんがすこし後ろに足を止めた気がして、僕も立ち止まる。視線を向けると思った通り、彼は半身だけ振り返っていた。誰もいないロビーの向こうを見て。
「……轟くん、泣いた?」
それが酷く焦燥感を煽って、ずっと気になっていたことを口にした。もしかしたら酷かもしれないけれど、訊ねておきたかった。泣かないにしても、感情の整理の付け方を知っているのかと。
「……わかんねえ」
轟くんは力なく首を振る。
「ずっと頭ん中ぐるぐるしっぱなしなんだ」
大切にしてた人が、亡くなる。その感覚は僕にも覚えがある。おなかのなかが空っぽになって、どうしたらいいのかわからない。どんな感情が前面に出ることも無くて、ただ風景が過ぎ去って行く。誰かに話しかけられたら理解は出来る、会話は出来る、それでも心だけがついていくことを拒んでいた。
轟くんもそうとは限らないけれど、こうしていろんなことを整えて進められる分だけ、危ないと思ってしまう。僕はあの時、本当の意味での会話は出来ていなかった。彼は、大人だからと言う面子もあるせいか、冷静で居られているように見える。見えてしまう。
「そっか。何かあったら……ううん、何もなくても、遠慮なく言ってね」
「あぁ、おまえら相手に取り繕ったって今更だからな」
うん、だから、どうしようもなくなった時、僕らは傍に行くから、その選択肢だけはどうか忘れないでほしいと思ったんだ。後を追うとは露程も脳裏に浮かびはしなかったけれど、一応。
「ありがとな」
そう言って、"彼女"を抱える轟くんは、どこか穏やかにも見えた。