[完結]迷子の沈丁花 作:高鹿
「ただいま」
玄関を開けた瞬間、思わずそう言っちまって、頭を掻く。小脇に抱えた骨壺を落とさないように踵で適当に靴を脱いで、板張りの床を歩いた。
家の中はやけにしんとして、空気が妙に冷えているような気がしてくる。外はスーツで汗ばむ程度の暑さだって言うのに、だ。もしかしたらあいつは家に来た当初、こういう感覚に襲われていたのかもしれないと今更理解出来た。なるほど、こわい、か。
居間の襖を開けると、汚れた畳を取り外した場所はそのままで、あぁ危ねえなと思いつつも俺しかいないからまぁいいか、なんて考えちまう。
座卓の上に風呂敷に包んだままの壷を置いて、撫でた。
「おまえ、小さくなっちまったな」
別に生きてる時だって特に大きいなんてことはなかったし、むしろ栄養不足でがりがりだった。薄かった。だっていうのに、余計こんなんになっちまって。
……たぶん、これはあいつの家族の墓に入れてもらうのがいいんだろうとは思う。死亡の連絡を入れた例の坊さんにもそれを勧められた。
だけど、すこし考えさせてください、なんて言っちまって。もう本当に惨めったらしいが、即答できることでもなかったのも確かなんだ。
「……」
じゃあ、出来ることからやるしかない。
まずは部屋の整理だ。
階段を昇って俺の隣の部屋を開けると、部屋の主はいなくなったって言うのにまだ那切の気配が色濃く残っていた。当たり前だけどな。
机に置かれた参考書、ノート、筆箱。机真正面に貼られた数々の付箋は、数枚落ちつつもそこに佇んでいる。落ちた付箋を手に取ると、米を炊く時間だとか、掃除する時の注意事項だとか、生活の上で気を付けることが書きつけられていた。
こうしてると、居間に降りればまだ居るんじゃないかという気すらしてしまう。でもそんなことはない。あるわけがない。さっきまで那切は俺の腕の中に収まっていたんだから。
「……っし」
頬を叩いて、放心しかけた頭に喝を入れる。
こうしてても仕方ねえと、立てかけてある参考書やノートを机備え付けの棚から出していく。
勉強し始めの頃に買ってやった子供大百科は、二ヶ月も経ってないっていうのにもうくたくたで、どれだけ読み込んだのかわかって頬が緩んだ。本屋でこれ買ってやった時は店員が笑ってたのも仕方ないぐらいそわそわしてたな。どんだけ楽しんだんだ。
あぁ、そういえば廊下に貼り紙もしてたな。あれも剥がさねえと。迷子もいないわけだし、残したって意味がねえ。
常備菜は一人にしちゃ作りすぎてるから、今日から消費を早めにして、作る量やペースを落として、三ヶ月前に戻るだけだ。そう、それだけ。
"何か"を考えたくなくて、必死に別の物に焦点を当て続けながら、机の上にあった丸められたチラシを捨てる。それから一番最後に使っただろう机の上に出ていた参考書を手に取った瞬間、息が止まるかと思った。いや、止まった。
轟 那切
参考書のつるつるした紙にシャーペンで書いてるもんだから薄くて気が付かなかった。だけど目を凝らすと確かにそう書いてある。
「────」
なぁ、おまえは何を考えてた?
ずっと、ずっと、それこそたぶん俺がお前を見つける前から家族が出来ることを怖がって、泣いて、自分がいると家族ってもんが消えるんだと思ってて、だから拒絶して、叫んで、死にたいって。だっていうのに。
室間の名前を手放してもいいって、思ってくれてたって言うのか。
そうして、不意に耳の中に声が響く。サイレンを鳴らして走る救急車の中、意識が落ちる最期の瞬間にあいつが何を言ったのか。
「……あぁ、俺も、」
呟いて顔を上げた窓から見える残夏の空。
「一緒に生きていたかった」
それは、酷く滲んで、輝いて。