[完結]迷子の沈丁花 作:高鹿
「すこし聴きたいことがある。今いいか」
休みの日、居間で勉強道具を広げていた那切にそう話しかけると、いいですよ、と頷かれた。ぱっぱと教科書ノートを端に寄せ、机の上の消しクズなんかを手箒で掃き、近くに置いているポットから急須にお湯を入れて、茶碗を進めてくる。流れるような動作だ。
「それで、どうしたんですか?」
手元にあった自分の湯飲みにも茶を淹れて、座布団にしっかり腰を下ろした相手は首を傾げ問うてくる。
本来なら、もっと早くに質問するべき事柄だったとは思う。先延ばしにしていた感覚はあるが、今なら大丈夫かもしれないと言う妙な期待感が生まれたんだ。
「言いたくなかったら、言わなくてもいいってことは先に理解してくれ」
「……はい」
平穏ではない前置きに、那切の背筋が伸びる。
「おまえ、どうやってあの男を見つけたんだ?」
調書には、その辺りの流れは取れなかったと書かれていた。しかし誰も気が付いていなかったんだ。その街の警察もヒーローも、そいつが数年前の殺人鬼だって。今回の調書を見たって、警察はそいつが事件現場に残していたDNAの一致からようやく本人だと断定していた。
「あぁ、そのことですか。別に大丈夫ですよ」
さっき茶を淹れていた雰囲気と全く変わらず、和やかに那切はそう言った。
「実は、偶々だったんです」
長い話になるだろうと、台所から煎餅を持ってきた那切がぱきんと口でそれを割る。俺も和紙っぽいふわふわしたパッケージを破り、口に入れると米と醤油の味が広がって、うん、うまい。
「偶然って、つまり覚えてたって言うのか?」
いや、そんなこと、あるわけがない。過去の惨殺事件の調書には一切、そう言った物が載っていなかった。
そもそもこいつが事件に気が付いたのは、犯人が逃げおおせていた後。だからこそこうして生きていると言える。いや、もしかしたらこいつの個性なら、撃退出来ちまったかもしれねえけど。
那切はすこし曖昧な表情を浮かべて、話し始めた。
「人……いえ、すべてのモノには存在しているだけであらゆる数値が付きまといます。それらを空間認識するときに、私は一緒に認識してしまうんです」
身長、体重、胸囲、腕の長さ、足の長さ、果ては重心移動のクセなど、すべてを感覚数値として瞬時に『認識できる』らしい。さもありなんだ。空間圧縮は、空間がどれだけの大きさなのか、そこにあるものが、圧縮したいものがどういった形なのか、それを正確に把握できるからこそズレもなく行使可能なんだろう。
「昔の私は、それに気が付いていなくて、みんなそうなんだろうって、思ってました。うまく説明も出来なかったんです」
一斉カウンセリングとかでちゃんと言語化出来ていたら、と那切は後悔の言葉を落とす。
「そしてそれは、空間に残ります。そこに居たのが長ければ長いほど、人の痕跡は深く刻まれ、"いなかった"ことには出来ません」
"空間"。それは捉えようのない、概念のようなものだと思っていた。しかし那切や、おそらく他の空間把握個性の人間にとっては違う。それは確かに手で掴めるモノだったりする、実体のあるもんなんだろう。俺たちで言う足跡みたいなもんだ。
前時代的に言えば、サイコメトリの部類だ。母親と父親の個性の複合結果か、あるいはどちらかの個性を色濃く受け継いだか。事例は少ないけど先祖返りもありうる。
個性が違えば、見ている世界、知覚できる情報、ありとあらゆる全てのものが異なることはある。これもそういう話だ。
「私はその跡を、覚えました。家の中に確かにあるのに消えていく男の痕跡を何度も何度も反芻して」
家族がいた家。家族の気配が残り上回るだろう家で、蜘蛛の糸になって行くカタチをなぞることの危うさ。どうして誰も気が付かなかったんだ、と心の中で歯噛みする。
「私は、他の人がそれを認識できないというのを感覚的にも言語的にも理解が出来ていなかったんですよね。今と違って。かくれんぼとかは強かったんですけど、誰も気にしてませんでしたし」
思わず、リミッターに視線を落とす。そうか、つまり今回こうして誰かの家に連れてこられたことについては那切にとっては初めて、誰の何の痕跡もない広い場所に放り込まれたってことと同義なのか。いまいちピンとは来ねえけど、そういうことなんだろう。
「そうして、私は中学卒業と同時に動き始めて、粗大ごみ処理の会社に拾われたんです。私自身が処理機なので、物を動かさずに自分が動いた方が安上がりだって言うことで、いろんな地方を転々として」
「そこで、見つけたのか」
自分の家族を殺した男を。
「もちろん、記憶とすべてが一致するわけじゃなかったんです。当たり前ですよね。でも、有り得ない程すべての値が近似値を示していたんです。そして変えようのないところが、おなじでした」
一瞬だけの、硬い声。それは、誰も理解が出来ない那切だけの領域の話だと言うことを強く知らしめる。
「取り敢えずそこから一ヶ月ぐらい後をつけたりなんだりして、計画を実行しました。あとはショートさんが知ってる通りですね」
湯飲みを口に運んで、ほっと喉を潤す那切は、いつも通りだった。
「なるほどな。誰も捕まえられなかった奴を見つけた経緯が分かった」
チートみたいなもんだ。ズルってわけじゃねえけど、空間関係の個性なんてどれもこれも日本語で言うところの『チートレベル』と言っても差支えない話だ。ワープする、壁を抜ける、ゲートを作る、亜空間へと放り込む。どれもこれも、頭回さねえで太刀打ちできるもんじゃない。
「やっぱすごい個性だな」
端的に感想を零すと、那切は湯飲みに入った茶に視線を落とした。
「……どっかヒーロー科に進学とかしてたら、ショートさんみたいになれたのかな」
「へ」
俺が呆けた声を出しちまった次の瞬間、そいつはぐいっと煽って中身を空にする。
「なーんて、冗談ですよ」
そろそろ晩用のご飯仕込みますね、と笑って立ち上がり台所の方へ。
その背中をうっかり呆けた声で見送りながらも、頭の中ではさっき零された言葉がぐるりぐるりと回ってる。
『ショートさんみたいになれたのかな』
それはまるで、親の職業に憧れる子供のよう。
(……わりかし嬉しいもんだな)
たとえ冗談だと言われても、そう言ってくれるのが、そう言えるようになったと言うのが、どうしようもなく心を暖かくした。
(少女の冗談のようなユメを、"英雄"は心の糧へと昇華する)