[完結]迷子の沈丁花 作:高鹿
「うわ、何ですかこれ」
「家だろ」
「こういうのは屋敷って言うんですよ」
マンションとか大きくても一軒家だと思ったのに普通じゃないなら心の準備ぐらいさせてください、と恨みがましい声が隣から聞こえてくる。普通だとか普通じゃねえとかそいつの尺度なんだからあんまり当てになんねえだろ。
「おい、荷物運び込むぞ」
留置場から出て、そのまま車を走らせて服とかの日用品を買い込んだ。曰く、殺したら出頭してそのまま余命を終えるつもりだったようで、携帯端末に至るまで全部処分したらしい。当日通報に使った電話はプリペイドに切り替えて到着と同時に破壊したという、用意周到と言うべきか後先考えていないと言うべきか。自殺の選択肢がまるでないだけマシか。
とは言え、荷物はそんなに多くない。室間があんまり物を欲しがらなかったせいだ。布団はありものでいいとか言うし、外に出るつもりも殆どないからと簡単なTシャツとデニムを二セットに、Yシャツ一つ、あとは寝巻きと少しの下着。端末を一つ。他は歯ブラシとかの小物類。最低限を最低限で削ぎ落としたようなラインナップだ。
「これぐらい自分で持てます」
「そうか」
後部座席に置いておいた紙袋を取ってするっと室間は助手席から降りる。本当は助手席に座るのさえ嫌がったのを、慣れろ、と言って押し込めた。体重がまるでなくて何とも言えない気分になったのは誰にも言えねえ話だ。
駐車場から玄関まで歩いて鍵を開ける。からからと開いた中に招けば、おそるおそるといった風情で室間が顔だけ覗き込ませ、ゆっくりとたたきに足を踏み入れた。食いもん投げられた野生動物か。
「俺がついててやれねえから外には出るなよ。ただ家のなかだったら俺の部屋以外どこ覗いてもいい。庭も歩いていいぞ。自分の部屋は好きなところに決めとけ。昼飯は適当に台所のもん使っていい」
「……」
聞いてるんだかいないんだか、室間は寒々とした廊下の向こうを眺め続けている。
「それと、絶対、個性は使うな。リミッターついてるから、使おうとしたら俺の端末に連絡が入るようになってる。外しても同じく、だ。というか無理に使おうとしたら頭壊れるぞ」
出所時に持っていった長袖のサマータートルの服の襟が、少し不格好な形に盛り上がっている。警察から渡されているチョーカー型の個性抑制装置だ。指は、いろいろ考えて素手にしてもらった。さすがに指甲はどうかと思うし、本人も使うつもりはないって言ってるしな。抑制装置の方は余命を伸ばす意味合いの方が強い。
「こんな個性、日常生活で使うとしても大掃除の時ぐらいですし、お墓参り以前に死ぬ気はありません」
「それがわかってりゃりいい。っと、悪ぃ。仕事にいかなきゃなんねえ」
免許取得祝いに姉さんからもらった黒のダイバーウォッチに目線をやると、ほんの一瞬、室間が俺に視線を寄越した。
「そう、仕事」
その呟きと共にとっとと行けと言わんばかりに背中を向けられて、苦笑しながら、行ってくる、と声をかけても当たり前のように返事はなかった。
たまりまくった事務作業の合間にパトロールをしていると、緊急通報が入って現場に急行すれば既に緑谷が対峙していてスマッシュを決める場面だった。
「お疲れ」
ヴィランを引き渡したところに近寄っていくと、相変わらずのどんぐりみてえな目が、轟くん!、とパッと輝く。
「何か久しぶりだね」
「そだな」
何だかんだであの頃の同期とは連絡を取り合っちゃいるが、こうして実際顔を合わせるのはあんまりねえ。緑谷なんかは特に忙しいしな。
「なぁ、今度時間あるか?」
「え? 作ろうと思えば作れるとは思うけど、どうしたの?」
用件聞く前からそう言ってくれるのが、持つべきものは、ってやつなんだろう。
「いま未成年のヴィラン預かってんだ」
「あぁ、更生プログラムの。参加してるんだ。ああいうの興味ないかと思ってた」
「興味があるわけじゃねえんだけど、まぁ、ほっとけない奴がいてな」
更正プログラム自体は数年前から始まってる試みではあるんだが、どうもそっち方面の仕事をやる気になれなかったってのは、そうだ。緑谷の言うとおり興味もなかったし、ああいうのはカウンセリングとかヒーラー系の個性のやつがやるもんだとも考えてた。そもそも向いてるとも思えねえしな。
だけど、きっとあいつはそんなプログラムを知らないだろうし、知ってたとしても知らんぷりするか突っぱねただろう。その突っぱねを突っぱねて、あいつの事情を汲んで接することが出来るやつは、そうそういないんじゃないかと思って名乗りをあげた。例の惨殺事件を担当してたっていう刑事さんからは何度もお礼を言われたが、別にそういうのが欲しくてやったわけじゃない。端的に言えば俺のエゴだ。
「そいつ、あんまり人と関わってこなかったみてえだから、少しずつでも世界広げてやれたらなって」
数値的にはあと残り一ヶ月程度だと言われる命だとはいえ、18歳だ。もっといろんなものを見せてやりてえ。諦めるにはまだ早いって。無意識による個性の出力自体をなるべく抑えて、メンタル元気に過ごしてれば、どうにか一年ぐらいは伸ばせるんじゃねえか。
「そっか。わかった。僕でいいなら喜んで。麗日さんとか、難しいかも知れないけど飯田くんにも声かけてみるよ」
快諾してくれる緑谷に、ありがとな、って言えば、轟くんのお願いだからね、と笑ってくれる。まったく、だからおまえはおまえなんだよな。変わらない、根っこのところがヒーローだ。
退勤直前にヴィランが現れるってこともなく、割合早めに上がることが出来た。一応更正プログラムに参加したってことは言ったし、周りも気ィ使ってくれたんだろう。
飯は歓迎も含めて旨い蕎麦を頼んであるから、俺が帰ったぐらいに届く筈だ。
そんなことを考えながらいつものようにランニングを兼ねた帰宅で見えた家は一切の明かりがついてなくて、一抹の不安が胸に落ちる。……いや、そんな無意味な行動はしないはずだ。ここから出ていったとしてもメリットがねえ。
「────那切?」
鍵を開けて声をかけてもしんとした廊下が見えるだけで、人の温度はまるで感じられない。板張りの廊下を進んでいって、食卓、台所、洗面所、いろいろ見て回ってどこも"使った痕跡"すら見当たらない。
「おーい、那切ー。いないのかー?」
と、何回目かの名前を呼んだところで、ガラリとちょうど横にあった居間の襖が開いて暗闇の中から那切が現れた。真っ暗な闇からそれを煮詰めたような瞳が覗くのはちょっと怖えな。
「います。大きな声で何度も呼ばないでください」
「いるなら電気点けろよ」
居間に入って電灯をつけると、ため息と共に着替えてすらいない那切が部屋の隅で膝を抱えて腰を落ち着ける。横には大きめの紙袋。朝見た記憶にあるやつだ。
「そんなの私の勝手です。それに、どうせこれ、GPS埋め込まれてるんでしょう」
かつかつ、とタートルネックで隠れたままの首元を指先で叩く。そりゃヴィランにつけるもんだからな。それぐらいのもんはついてる。
「そういう問題じゃないだろ」
「……」
じゃあどういう問題なんだという機嫌の悪い視線が返ってきて、逆に俺が困る。そりゃ一人で置いていっちまったのは悪かったとは思うけどよ、18歳っていったらもうちょっとこう子供らしく好きに振る舞っていい歳で────そうか、教える奴が傍にいなかったんだよな。
十年前に両親他界、五年前に引き取り先惨殺、三年前から行方不明ってことは中学卒業とほぼ同時に姿を眩ましたってことで、自我を健やかに形成することも出来ないどころかぐちゃぐちゃな筈だ。
あぁ、ちくしょう。やっぱりこういうのは得意じゃねえ。昔は個性にかまけて力押しとか散々言われちゃいたし、それに準じて他人の気持ちを推し量るってのが苦手な部類だってのはもう理解してる。
それでも手を掴んだのは俺で、責任を持つって決めたのも俺だ。
膝を抱える那切の前に腰を下ろすと、少し伸びてた足がますます抱えられて小さく縮こまられちまう。
「悪かった、一人にしちまって。寂しかったろ」
ぴくりと肩が動いて、膝を抱えた腕に半分埋まった状態で睨まれた。
「ただいま、那切」
寂しいって分かってた筈なのに、どうして独り置いて行って大丈夫だと思ったんだろう。八百万辺りに知られたら、轟さんは女性への配慮が足りないんですわ、なんて言われそうだ。
「……さっきから思ってたんですけど、なんで名前呼びなんですか」
「一時的にとはいえ家族だろ」
別に単なる更正保護で養子縁組じゃねえから轟那切になるわけじゃねえけどな。まぁ、そうだったとしてもこいつに室間の名前を捨てろってのは酷だ。もうそれぐらいしか両親のもんは残ってねえだろう。
「……止めてください。どうせ居なくなる人間です」
「そのことと名前呼びは別に相反したりしねえぞ」
ぎゅ、と膝を抱えて二の腕を掴んでいた手に力が籠る。そういや、こいつから呼ばれた記憶ねえな。
「おまえも名前で呼んでみろよ」
「……」
「……」
覚えてるかどうかすら怪しいもんだが、と思ったところで顎が上がって、視線が。
「……ショートさん」
「なんだ、覚えててくれたんだな」
「……っ。あんだけ留置場の人に言われたら覚えます」
そこで不機嫌さに隠れた照れが見えて、不器用だなってとうとう笑っちまった。
「……なに笑ってるんですか」
「いや、何でもない」
何でもないんだ、とくつくつ笑う俺に牙が削げて気が抜けたのか、ぐう、と那切の腹から空腹を示す音が聞こえる。そういや台所すら使った形跡がなかったか。そうして、タイミングよくインターホン。
「飯、食うか」
立ち上がりながらそう言って居間から出ると、黙ったまんまの黒いひよこが、ついてきた。
「ところで、部屋決めたのか」
「……」
「まぁ荷物が片付いてないってことは決めてねえんだろうが」
「……そっちの部屋は」
「俺のは二階の突き当たりだ」
「じゃあ、その隣でいいです」
「そうか」
「考えるのが面倒だっただけですから」
「(何も言ってねえんだけどな)」