[完結]迷子の沈丁花   作:高鹿

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04 口にすることがこわい

熱を出した後日、何となく、ショートさんが玄関から出ていくのを見送ろうと思った。行ってくる、と視線を合わせて言われたから、いってらっしゃい、と。すると笑って、外へ。あれはたぶん『嬉しそう』って言うんだと思う。その表情がどこか懐かしいような気がして、胸が痛んだ。

 

 

 

 

ショートさんを送り出して、唇を噛んですこし気合いをいれ背中に振り返る。すると視界の中でしんとした暗がりの廊下が、手をこまねいているように見えて、背筋がぞっとした。

 

ようやく自室や居間、台所とかの生活必需の場所以外にも足を伸ばしてみようと思ったのに、未だこの家はこわい。だって、もう、広い。びっくりするぐらい広い。下手なところに歩いていったらもう戻れないんじゃないかと思うぐらい。一回歩こうとして、長い廊下の5mぐらいで諦めた。

 

連れてこられた初日、ショートさんは悪い、と謝ってたけど、謝ってくれるならこの家の全部の案内でもしてほしい。知らないところが多すぎてこわい。でも仕事で疲れてる人にそんなこと言えるわけもなく、生活上必要になる場所は案内して貰ってるから、もうずるずると一週間経ってしまった。五日ごとの定期検診に行くほどの日数も過ぎてるというのに、私は自分がどこに住んでいるのかも知らないし、どんなところに住んでいるのかもわからない。

 

最初のうちは、それでもいいかと思ってた。もう長くないんだから覚えることは最小限の方がいいと、深入りしない方がいいと。だというのに。知りたいと、欲が出た。興味を持ってしまった。ここに住む人はどんな人なんだろう、って。

 

だから、足を進めようと思った。六月も盛りでじんわりと湿気が肌にまとわりつく季節だというのに、体温を奪うようにひんやりとしている足元から恐怖を煽る板張りの廊下に。

帰って、これますように。

 

 

 

 

渡された端末を手に握りしめながら、ひたひたと縁側を歩いていく。さすがに日が当たってるところはつめたい何てこともなく、すこしほっとした。それに外が見えてたら、いざって時は庭の壁沿いに歩けば玄関にはつくから。迷わない。大丈夫。

 

ひとつひとつ障子を開けて中を覗いてみると、大体、客間?っていうのかな。そういうので、押し入れと低い机、床の間とかがある部屋で、何か小さな甲冑が飾ってあったりした。ショートさんの趣味なのか、はたまた代々そういうことになっているのかはわからない。でも、埃っぽかったからあんまり使われてないんだと思う。

 

歩いてるとようやく突き当たりに行き当たって何となしに端末を見て驚いた。これだけでもう一時間弱は経過してる。縁側歩いて部屋を細かく覗いたっていっても一時間って……やっぱり普通じゃない、この家。でも広いせいかあんまり掃除とかはされてないみたいで、すこし足がじゃりじゃりする。

 

だけど踵を返してようやく意識した庭は、綺麗に整っていて、そこだけみれば、写真とかで見る旅館みたいだと思った。庭師さんとかが定期的に来てるのかな。それならお手伝いさんとかもいそうなのに。……あ、私が来たから暇を出してるのかな。あり得なくは、ない。

 

来た道を戻ってると外側には出入口のない場所があることに気がついた。熱をもった板張りの壁。外からは入ることの出来ない場所。ここだけ世界が切り離されているような気がした。……すこし。すこしだけ。中に入ってみよう。

 

日陰に入ると急に気温が冷えた。何かいるんだろうか、この家。……ううん、考えるのはよしておこう。きっとそれがいい。

 

壁伝いに入口を見つけて障子を開けると、二重扉で虚を突かれた。木材に見える引き戸はガラスが嵌め込まれていて中を覗けるようになっているので、ひょい、と首を伸ばしてみると中にはいろんなジムとかにありそうな器具。板張りで和風内装のトレーニングルームだ。え、家の中にそういうのってあるものなのかな、と疑問が落ちたけど、ヒーローだから必要なんだろうな、とひとり頷く。

 

ヒーロー。

そうか、ヒーローなんだ。

 

急速に黒い影が自分に満ちるのがわかった。思考を部屋の中から切るように体を返して、お腹辺りの服を強く掴んで、視線は爪先に。

 

ヒーロー。絶対的な英雄。国家に保証された職業。公務員。私とは縁のない人。……ヒーローっていうのは、助けてくれないんだと、思ってた。派手で、人目につきそうな事件でばっかり、ヴィランを退治してるんだって。だから私のお父さんもお母さんも死んじゃったし、あの子とおばさんおじさんも死んじゃったし、自首してようやく私の手を取ってくれた。そういうものだと、思ってた。

 

……わかってる。八つ当たりだって。お父さんとお母さんが死んだのは事故だし、あの子とおばさんおじさんが殺されたのだって、誰にも防ぎようのないことだったって、わかってる。一般家庭に押し入ったヴィランをその時に捕捉しろなんて土台無茶な話だって、理解は、してる。でもしたくない。わかりたくない。だってなんで死ななきゃいけなかったんだろう。なんで私だけ生き残ってるんだろう。

 

 

わたしも いっしょに いきたかった。

 

 

は、と荒ぐ息を吐いて扉に背中をつけてずるずるとその場にへたりこむ。引き寄せた膝に額を預けて、耳を押さえた。

駄目。自殺だけはしないって、あの時に決めた。あの男を殺しても、自首だけはするって、自分の罪だけは、認めてもらおうって、決めた。逃げたらあの男とおんなじところに堕ちるから、それだけはいけないって。なのに、ここでこんな風にしてて、いいの?

 

お墓参りだって、もう、諦めてたのに。それをすることより、見つけたあいつを殺すことを優先したんだから仕方のないことだって。でも手を伸ばせば届くところに差し出されて、取っちゃって。

 

────もうすぐ、あの子がいなくなって、六年だ。六年も生きた。もう十分なのに、どうして、私はあの人に繋がれた縁をそのままにしたんだろう。わかんない。わかんない。

 

わかんないことだらけだよ……ショート、さん。

 

 

 

 

たすけて

 

 

 

 

ひとしきりうずくまって、短い袖で無理矢理濡れた目とか何だとかを拭いたら、お腹が鳴って、こんな時までお腹が減るんだから体っていうのは正直だ、とぼんやり思う。……お昼食べなかったら心配かけるし、ごはん炊こう。

 

立ち上がって、薄暗い廊下から縁側の方に出る。すこし太陽が傾いたその場所はきらきらと照らされていて、つやつやとした緑が元気に光っていた。おおよそ私の人生と重なったことのない現実感の薄い光景で、もしかしてもうここはあの世なのかもと思ったところで再度お腹が。残念、やっぱりまだ生きてるってことか、なんて自分の頬をつねってから台所へ向かった。

 

ご飯を半合炊いて、おにぎりを作る。暑いからちょっとしょっぱめにして、何入れよう。棚に梅干しと大根の漬け物。冷蔵庫にいんげんをおかかで和えたもの。あ、いかなごの釘煮もある。うん、全部包もう。入らなさそうなのは適当に刻んだら大丈夫。野菜は……きゅうり二本でいっか。

 

五つおにぎりをつくって、乱切りのきゅうりは爪楊枝をつけて小皿に。それらをお盆に乗せて、ポットに急須に湯飲みを持って、さっき歩いた縁側へ。

相変わらず庭はきらきらしてて、これからくる暑さを主張していた。

 

腰を下ろして、足を投げ出して、いただきます。

 

おにぎりの中身は美味しくって、視界のなかは綺麗で、だっていうのに、夏が来る。あの子が消えた夏が、また。でももうあの男はいないから、もしかしたら、心安らかにあの日を過ごせるかもしれない。そうして、息絶えられるのは、過ぎたしあわせって言うんだろう。

 

……そんなものに、手を伸ばして、いいのかな。

 

誰もいない縁側で、私はぽつりと呟きをおとした。

 

 

 

 

「おかえりなさい」

 

門が開く音が聞こえて玄関の方に行くと、ちょうどショートさんが引き戸を開けたところで、すこし驚いた顔をしてるのが見える。まぁ、私が出迎えるなんて初めてだし、何より服のそこかしこが汚れてるってが大きいかもしれない。……もしくは、私の目尻の赤さにか。この人の観察力ならそれぐらい見えちゃうだろう。だからこそ何もなかったようにしよう。なんたって心配性だ。

 

「えっと、ただいま。那切」

 

面食らった表情からすこし戻って、微笑みながら。

 

「……それで、何してたんだ?」

「掃除です」

「掃除」

 

言葉をおうむ返ししたところで、靴を脱いで床に上がったその人は立ち止まる。

 

現状で、出来る限りのことをしようと思った結果そうなった。この人が私を保護をすることで害を被らないように、『善い人間』であろうと、思う。社会的に。

 

手始めに個性に付随した空間把握が出来なくなったから自分で地図をつくって、人が普段通らない廊下にうすくつもった埃とかを濡らした雑巾でぬぐって、今日はそれだけで終わっちゃった。出来れば客間の方とかも掃除したいから、ちゃんと和室の掃除の仕方勉強したい。

 

「ようやくこの家をた……歩いてみたら、いろいろ汚れてたので、掃除用具見つけてやってました」

 

探検、と言いそうになって言い方を改める。いやでも気分は未知の場所に踏み入るとかだったから、本当に、気分としては間違ってない。子供の頃にやった探検ごっこみたいな明るい気持ちでは全然なかったけど。でも、ちゃんとそれをしたからか、こわいって気持ちは薄れた。うん。ここが、わたしの、今いられる場所。それはたぶん間違いないから。

 

「別に、んなことさせようと思って家に連れてきたわけじゃ」

「わかってます。びっくりするぐらい暇だっただけで」

 

それに、やることがある方がいいんです、と言うと、何を受け取ったのかショートさんは口をつぐんだ。私の本心と目尻を見て見ぬ振りをしてくれたその優しさに感謝しよう。

 

「ありがとな」

 

やさしく笑んだショートさんに、ぽん、と頭を撫でられる。そのあたたかさが、いつかの日を思い出してしまいそうになって、ぐっと心の奥底に仕舞い込む。家族だと思ったら、いけない。重ねたらいけない。そんなことをしたら、きっとまた────。

 

それでも、しあわせすぎて、現実が輪郭を喪いそうだと、思った。

 

 

 

 

「あ、夜のご飯炊いておきました」

「ほんとにおまえ今日どうした」

「なんですか、失礼ですね」

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