[完結]迷子の沈丁花   作:高鹿

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08 この夏の日が、始まり

青い空が晴れ渡る日だった。

 

早朝特有の涼しさがあって、夏の蒸し暑さが不思議と消え失せている。自室の窓から庭を見下ろすと池のほとりに那切の姿があって、とうに着替えた状態で透き通る空を見上げていた。表情は見えない。何を考えているかも本当ならわからない。

 

それでも、わかる気がした。

今日はあいつが俺の手を取った最大の理由────"家族"の命日だ。

 

 

 

 

やけに静かな朝食の時間は終わって、俺たちは車庫の方に移動する。昨日のうちに軍手とか雑巾だとかの必要なもんは詰め込んであるから、あとは供えるもんと花を買って行くだけだ。もう当たり前のように助手席に乗り込んできた那切は、新品のYシャツとデニム、そしてこの間麗日と出掛けた日に紛れ込ませるように買った黒いスカーフを三角に折って首に巻いている。

 

「供える食いもんに何かリクエストあるか? 普通は落雁とか饅頭みてえなんだけど」

「……桃って、もう出てますかね」

「あぁ、この間見かけたぞ」

「じゃあ、それで。桃、好きだったんで」

 

思ったより落ち着いた声。懸念したようなパニックはとりあえずなさそうだが、どうなるか。今日は一日中気が抜けねえなとハンドル握る手に力を籠めた。目的地の霊園は県外。墓に行く前に昼飯の時間になるな。

 

 

 

 

駐車場に車を停めて、那切に案内されるままに着いていく。じわじわと蝉の音が聞こえて、太陽も昇り切って気温も上がりつつあるって言うのに風が吹いてるせいか体感はそんなでもない。慣れた足取りでたどり着いた墓。調書にあったこいつを引き取った家族の苗字が刻まれている。

 

区切られたそこはそれほど荒れちゃいなくて、ここ最近誰かが来たのかと思うような状態だった。砂利の間から新しい草が生えて枯れ草は殆どない。

 

「あれやる前に一回来たんです。お墓参り、出来ると思ってなかったので」

 

シャツの袖を捲って軍手をつける那切が、俺の疑問を見透かしたように言う。外だからか僅かに伏せた表現で。

 

「でも駄目ですね。夏場は直ぐに草が繁っちゃって」

 

一礼してから段差を昇ったそいつの横顔は、どこかきりりと張り詰めていて、思わず口を引き結ぶ。たった一人残されて掃除する墓っていうのは、どんなもんなんだろうか。

 

「水、汲んでくるな」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

来る途中に見た水場に爪先を向けて、那切のことを、ひいてあいつの環境について思考を流す。いまだに身内の葬式に出たことのねえ俺が考えたって仕方のねえことだとは思うが、理解しようとすることを止めちまうのは、何か違うだろ。

 

 

 

 

備え付けの桶に汲んできた水を近くに置いて、俺も軍手を嵌めて砂利の下にある根っこごと引き抜き始めた。するとうっすら汗をかき始めた那切が顔をあげて口を開く。

 

「別に、一緒に掃除とかしなくてもいいんですよ」

 

それは拒絶か遠慮か。

 

「馬鹿言え。おまえの家族だろ。俺にも手伝わせろ」

 

どっちにしろそんなんで引いてやるつもりはねえんだけどな。緑谷の座右の銘らしい『お節介はヒーローの本質』っていうのは確かにそうなんだろう。俺の言葉に那切はわずかに目を細めて、何も言わずにまた手を動かし始めた。

 

 

 

 

玉砂利のなかから生えた草を取り、薄く砂とか汚れがついた墓を磨き、すこし赤くなった花受けを洗って、抜いた草とかを廃棄場所まで持っていって、墓は綺麗になった。

 

汚れた軍手を取って手を洗った那切は献花し敷き紙の上に桃やら干菓子やらを置いて、オーソドックスに手順を踏んでいく。そうして膝をついて手を合わせたそいつは、死んで何を思うこともできないと考えている存在に、どんなことを報告してるのか。

 

暫くして立ち上がり一礼して敷地から一段降りて退いた那切に続いて、俺も墓の前で手順を踏んで挨拶を果たした。

 

 

 

 

「ありがとうございました」

 

墓参りの後始末をして駐車場まで歩いてると、若干俯いたままの那切がぼそりと呟いた。

 

「さいごに来れて良かったです」

 

さいご。たぶん、最期って意味だ。間違いない。

 

「……んな風に言うなよ」

「でも、長くないのはわかってることじゃないですか」

「それでも、今直ぐ死ぬ訳じゃねえだろ」

 

次の検診で、この間のMRIだのの結果が出る筈だ。リミッターがきちんと寿命を伸ばすのに一役買ってるかどうかようやくわかる。こればっかりは時間をおかないとどうにもなんねえから宣告余命ギリギリになっちまったけど、たぶん、まだ生きられるだろ。おまえ。

 

「希望、持たせないで下さい。死ぬのが怖くなる」

 

持ち上がった顔は、もう未練なんてないかのように晴れやかで、それは逆に心臓がいたくなるような表情だった。家族の墓を綺麗にして、仇を討って、やることは全部やったもう逝けるとでも言いたげな。

 

「私が死んだら、骨とかは好きにしてください」

 

そうはっきりと口にして、この世にいない"家族"へ手を伸ばし続けるお前に、怖くなってほしいと思う俺はヒーロー失格なんだろうか。

 

 

 

 

「……室間ちゃん?」

 

それから沈黙が落ちたまま霊園の駐車場へ向かっていたところで背中から声がかけられ振り向くと、紺色の作務衣を来た剃頭の男がそこに。

 

「あぁ、やっぱり室間ちゃんか。大きくなったなぁ」

 

親しげに話しかけてくる男から那切の方へ視線を移すと、小さな動揺が見て取れた。

 

「あ、えっと。お久しぶりです。和尚さん」

 

ひきつりそうになってる声はそれでも挨拶をして、俺を見上げてきた那切は指を揃えて男の方へ向け口を開く。

 

「六年前のお葬式の際にすごく助けてくださった方なんです」

 

次いで坊さんらしい男の方に向き直り、

 

「和尚さん。この人は今、私の保護者となってくれてる人で……」

 

何て言ったらいいのか、みてえな雰囲気を醸し出すもんだから内心ため息を吐いて一歩前に出る。

 

「轟と申します。那切がお世話になっていたようで、挨拶に伺いもせずすみません」

「いや、世話と言っても私に出来ることと言ったら葬式ぐらいだ」

 

そう苦笑する相手と軽い握手を交わした。

 

「それにしてもまさか会えるとは思ってなかったなぁ」

「ほんと、偶然、ですね……」

 

ぎゅ、と下ろした腕の肘を掴んで何かに耐えるように返答する那切に対して、坊さんの方は首を振る。

 

「実はニュースを見てね」

「……え?」

「あの事件の犯人、惨い死体で発見されたらしいじゃないか。やりきれないね」

 

那切がテレビを見るようになったのはここ最近の話だ。三週間前から一週間ぐらいは大々的に放送されてたそれ。法改正でとっくのとうに殺人の罪に対する時効は撤廃されちゃいるが、まぁ事件が起きた日付近くに犯人が死んだって言うのはセンセーショナルな話題だったんだろう。

 

ただもう下火でどの局も話題には上らせない。だからあれが報道されていたって言う事実を、那切は知らなかった。

 

「それで思い出したんだ。あぁもう直ぐ命日だって」

 

那切の顔も、名前も、すべて守られてる。世間的な罪には現状問われない。それをこいつはどう思うんだろう。

 

「────そう、ですか。ありがとう、ございます」

 

掠れた小さな声。何かに混乱してんのか、小せえ肩はより一層頼りなく見えた。

 

「おい」

「すみません、お墓に忘れ物したみたいで、取ってきます。ここにいてください」

 

話しかけると同時に踵が反転し那切は走っていく。忘れるようなモノなんか持ってねえだろ、とはさすがに言えなかった。

 

「彼女は、元気にしてるかい」

 

ひらひらと動きに靡いたスカーフの結び目を見送っていたら隣から声がかかって、視線をそっちに。紺の作務衣着た坊さんはさっきの俺と同じように那切の消えた方向を見ていた。

 

「おおむね元気にしてます」

「そうか。それなら良かった」

 

ほっとした表情でその人は安堵のため息を漏らす。その表情が例の事件を担当していた刑事の人に似ていて、心臓の辺りが痛くなった。気遣われている。忘れられず他人の記憶に存在している。それでも那切は中学卒業と同時に姿を消した。犯人を殺すために、犯人を見つけられない世界を見限って。

 

手を離したのは、どっちからだったんだろうな。

 

 

 

 

その後、坊さんと別れたあとに手ぶらの那切が帰って来て、車を回して家への道を取った。途中で晩飯食ってから帰るかって訊いたら無言で首を振られたからそのまま直帰だ。

 

車庫から玄関に歩いて行って鍵を開けてたたきに足を踏み入れる。俺が靴を脱いでも後ろから足音は続いて来なかったから振り返れば、そいつは敷居の外で立ち尽くしていた。

 

「どうした」

 

腹減ってるだろ、と声をかけて上がった顔からは昼間の奇妙な晴れやかさは消え失せて、代わりにこの家に来た初日の深い黒が那切の瞳を覆っている。

 

「私、ここに居ていいんでしょうか」

 

意図の見えない問いだと思った。今更何言ってんだ。荷物を床に置いて、外履きサンダルに足を突っ込んで近付くと、一歩退かれる。

 

「……私は、あの男が、普通に生きてるのが許せなくて、あの男を殺したことを、未だに後悔してないんです」

 

惨いとも思ってないんです、と落ちた呟きにようやく昼間のことを引きずってるんだと理解した。

 

「ここまでしてもらってるのに、私、ずっとヴィランのままなんです」

 

自分の行いの正しくなさを目の当たりにし、それでも罪を犯したことを罪だと思えていない。だけどこいつはそれこそが罪だと感じそうになってる。殺したこと、ではなく、罪を罪だと思えないことについて。半端な倫理観の欠如。いっそ全部欠けて突っ走れてたら楽だったかも知れねえ思考。

 

はぁ、とため息をついて、うなじを掻いてから口を開く。

 

「あのな、言っとくが別に俺はおまえをヴィランから更生させようなんて、これっぽっちも考えてねえぞ」

 

問題にもならねえ話だ。

たたきに落ちてた視線が僅かにこっちに戻ってくる。雨に濡れた小動物みてえな目だ。

 

「確かに俺がおまえを預かる制度の名前はそういう大層な名前がついちゃいるけどな、なんて言うか、昔の俺に似てて放っておけねえって思っただけだ」

 

するとまた視線は外されて、強く唇を噛むのが見える。

 

「似てるなんて、そんなこと……あるわけ」

 

ヴィランであるこいつと、ヒーローである俺。そりゃ立場は似ても似つかない。でもそれだけだ。今、立ってる場所が違うだけ。

 

「俺もな、正直存在を否定したいぐらい憎んだ相手がいた」

 

言いながら腕を組んで壁に背中を預ければ、え……、とはっきり那切の顔が上がるのが見えた。

 

「意外か?」

 

こくり、素直な頷き。

 

「でも本当のことだ。ただ、それについての感情の整理は一人じゃ出来なかった。そいつが居なかったら今頃どうなってたかわかんねえ」

 

高校時代。もう十年も前のことだ。

短くない年月が経ってる筈だっていうのに、今でもあの頃のことは思い出せる。まぁ忘れようがないとも言うんだが。

 

壁から背中を離して、外に立つ那切の前に、一歩。今度は逃げない。黒い瞳が俺を見上げて、敷居は境界線みてえにそこにある。

 

傍にいてくれた友人。支えてくれた母さんや姉さん。遠くの兄貴。個人的感情じゃ気に入らねえけど、それでもやっぱりヒーローをやれていた親父。そして、あの人。いろんな人の顔を思い浮かべたら、

 

「なぁ、轟の家に入らねえか」

 

するりと言葉が出た。

 

「は……?」

 

今まで見たことないぐらいハッキリと"何を言っているんだこいつ頭おかしいのか"って表情をした那切がそこにいて、笑っちまう。留置場の比じゃねえ。

 

「轟の人間にならねえか、って、言ったんだ」

「いや、聴こえなかったわけじゃないです」

 

実は、姉貴が家に来た辺りから考えてたことだ。懐いてるって指摘されて柄にもなく嬉しくなって、麗日からのメールを読み返して笑いが零れて。おまえの本当の家族になれたらいい、なんて考えちまった。

 

それでもこいつの苗字を取り上げる話になるから言うか言わないか迷ってたし、苗字が変わろうが変わらなかろうが家族にはなれるとも思ってた。でも今、この日を迎えて、こうして話をして、それじゃ駄目だって分かったんだ。こいつは今みたいにずっと立ち尽くしてるんだから。

 

「わた、しは、ヴィランですよ……? 人殺しなんですよ? また、自分勝手をするかもしれないんですよ!」

 

リミッターを見せつけるようにスカーフをずり下ろして、その銀色に指を這わせる。警察管理下にいる紛れもない証拠。現状ヴィランであること。それは確かに事実で覆しようもない。

 

でも、そう叫ぶお前なら、大丈夫だって俺は思う。

 

「そん時は俺が殴ってでも止める」

 

リミッターを押さえる、力が籠ったそれに手を伸ばして、そっと指先をゆっくり開いて重ねるように。

 

「おまえが殺そうとした相手がヴィランなら捕まえてやる」

 

それがおまえに関わろうとした俺の責任だ。俺はおまえに関わる権利を自分で手にしたんだ。おまえがまた罪を犯そうとして、それではいさようならなんてするつもりはねえ。

 

「だから、そんなこと言うな」

「────」

 

ずっと泣きそうな顔をしていた那切は息を飲んで、ぐしゃり、と顔を崩して伏せやがる。そうして、俺が掴んでない手でこっちの胸板をゆるい力で押してきた。嫌だ嫌だと言うように小さく頭を振ってやがるのに、握った手は、振り払われない。

 

「嫌、か?」

 

少し意地の悪い問いかけだってのは、分かったうえでそう言った。震える小さな背中。それを一番近いところで守ってやりたい。

 

「……私の家族が知ってる私は、室間なんです。だからこそ私はあの時のことを忘れないでいられて、それを、そんな」

 

押してきてた指が、僅かに服に絡む。俯いた顔を隠す頭を撫でると肩が頼りなく揺れて、あぁ仕方ねえなって。

 

「あのな、親友やその家族のことは忘れなくてもいい、両親の思い出だって大切にしたらいい。だけど、室間の名前がおまえを過去に、あの事件に縛るなら話は別だ」

 

立ち尽くしたまんまのお前を放っておけなかったから、俺はこのプログラムを利用しておまえを外に連れ出した。

 

那切が今の名前から絶対に離れたくない、轟の姓になるのなんか真っ平御免だって言うならそれはもう仕方ねえ話だ。この話は直ぐに終わる。終わる筈なんだ。

 

 

「────私なんかを家族にしたら、死んじゃい、ますよ」

 

 

掠れ、潰れ、晒された本心。

 

いろいろ言いはしたが、これが根底にあったわけだ。まぁ大体は想像できてた話でもある。だってこいつ、この話で一度も嫌だとは言ってない。

 

「やっぱりな。それでおまえ、俺の名前を呼ばねえんだろ」

 

呼んでみろ、って初日に言ってから以降、呼ばれた回数はゼロだ。姉さんとの会話で気付かされた。

 

「……」

 

同じ家に住んで、名前を声に出して、意識の上でも家族になっちまったら俺が死ぬ。それを恐れてる。逆に言えば恐れるぐらいにはここに心を寄せてるってことだ。

 

「約束したろ」

 

また、手を弾ませるように頭を撫でて、あの日のことを思い出す。

 

「明日も明後日も明々後日も、そんで一ヶ月後も、傍にいる。おまえより先に逝かねえよ」

 

ヒーローって生き方をしてる以上、どうしても命の危険は付きまとう。それでも家にいる奴を悲しませないようにって心に置いたら、何が何でも帰ろうって思えるだろ。

 

「おまえはもっと、未来の為に生きていいんだ」

 

『いつか』のことだけを考えてその目標を果たして、それから直ぐに命を散らせることに勘づいて展望を持たずにここまで来た。自分の未来のことなんてとんと考えちゃいない。いや、考えないように努めてきたんだろう。

でもな、怖くなれよ。それが生きてるってことだ。

 

そうして

 

重ねた手は 握り返されて

掴んできた手は 強くなり

俯いてた顔は上がり 見える濡れた瞳

 

「あの」

 

でもそれは深く沈まず、星空みてえに光ってる。

 

「苗字の件は、いきなりでまだ決められないんですけど、でも……」

 

芯の通った張りのある声。消えそうでも掠れても潰れてもない。

 

「家族だって、思って、いいですか」

「最初っからそう言ってるだろ」

 

涙を零しながらひっでえ顔で、それでもお前が笑ってくれたのが本当に嬉しかった。

 

 

 

 

「……あ、言っとくけどプロポーズじゃねえぞ」

 

そうして暫く、那切が俺の胸に頭を預けてきたからそれを撫でてやったりしながらそう言葉を落とすと、予想外だったのか肩が思いっきり震え出して咳き込み始めやがった。

 

「おい笑ってんじゃねえ」

 

体を離して額を叩くと、叩かれたそこを自分の手で覆いながらさっきとは別の意味で涙になってる那切が、無理です、と笑い声のまま言い切りやがる。

 

「……ったく。ほら、入ってこいよ」

 

那切を置いてサンダルを脱いで家に上がって指先を上に軽く手招きすると、素直に頷いて敷居を跨いで入ってきた。もうそこに境界はない。

 

「────おかえり、那切」

 

一瞬、何を言われたのかわからねえ、みたいな表情の那切が俺を見る。おまえ、この家だといつもは出迎える側だったからな。いいだろ、こういうのも。

 

「ただ、いま。……ショートさん」

 

聴きなれない言葉を二つ携えて、始まりはここから。

 

 

 

 

「……あの、近いうちにもう一回、車回してもらえますか」

「別に構わねえが、どこにだ?」

「今日行ったお墓に……あの子に写真、見せたいな、って」

「あぁ、そだな。わかった」

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