覇王への道   作:発破六十四

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第3話でございます。
レースの描写難しい……精進あるのみですね。
段々独自要素と独自解釈が多くなってきたような。


盾の栄冠、そしてそれぞれの宝塚へ

『はぁっ…はぁっ…さすがトゥインクル現役トップ……敵いませんわね』

何度目かの併走トレーニングを終えて、その芦毛の先輩は息を切らせながら言った。

『はぁっ…ふぅっ…よ、よく言いますね。とてもトゥインクルを退いたウマ娘の走りとは思えない。マックイーン先輩が現役だったら何度か負けてますよ』

栗毛の後輩も、額の汗を拭いながら答える。

『ふふっ、そればっかりは、やってみないと分かりませんわね。でも、今のあなたなら天皇賞――取れますわよ』

『あなたの太鼓判ほど心強いものはないですね』

2人のウマ娘が笑い合う。

『まあボクは今年は覇王として、全部勝つつもりでやってますから』

『……へぇ、天皇賞だけではなく、他のシニアレースも……まああなたなら夢物語ではないですわね』

マックイーンの顔から笑みが消える。

『しかし、憶えておくと良いですわ。勝ち続ければそれだけ敵は増えていきます。全てのウマ娘が敵に回る展開もあるかもしれません』

『……覚悟しているつもりです』

『いい顔してますわね。天皇賞、楽しみにしてますわ』

そんな“ターフの名優”とのやり取りを、オペラオーは京都に向かう新幹線の中でふと思い出していた。

 

 

ついに迎えた春の天皇賞当日。他のレースが行われる中、オペラオーとトレーナーは与えられた控室で待機をしていた。

レース前の予想では、今年に入って好調のオペラオー有利。人気も一番人気であった。

昨年の有記念以来の勝負服に身を包んだオペラオーは鏡に映った自分を眺め、トレーナーは落ち着かないのか貧乏ゆすりをしている。

「………緊張しているのかい?」

オペラオーが鏡から視線をそらさず問いかける。

「…ああ、初めての天皇賞やし、今年最初のG1や。緊張もするやろ」

トレーナーは大きく息を吐いて鏡の中のオペラオーに答えた。

「なぁ、もっかいレースの作戦確認せえへんか?」

「もう今日だけでも7回もしただろう?」

勝負服のマントの位置を直しながら、オペラオーはやや呆れ気味に言った。

「食事でもしたらどうだい。確か弁当を買ってたろう?」

「喉を通りそうもないわ。分かってても不安がどんどん湧いてくるんや。あぁ情けない」

トレーナーは天井を仰いだ。

「全く、覚悟は決めた筈だろう?それに戦う前に負ける事を不安に思うほど、無駄な事はないと思うけど」

オペラオーは当然の事のように言う。

もしも今日負ければ、アンタレスでこのトレーナーと共にG1に出る事は二度とない。

だが負ける事など、微塵も考えてはいないのだろう。

トレーナーは顔を上げて自分の顔を両手で叩いた。

「……なるほど、『やる前から負ける事を考えるバカがいるか!』か…確かにそうやな」

自分自身の心が、落ち着ついていくのをトレーナーは実感していた。

「へぇ、良い言葉だね。誰の言葉だい」

「知らんのか?日本一有名なプロレスラーの言葉や」

「プロレス……ボクの守備範囲外だな。エル先輩なら知ってるだろうけど。君も妙な所で博識だね」

格闘技もええもんやぞと、答えるトレーナーが笑顔を見せる。

「ようやく笑ったね。2日前ぐらいから君、ずっと仏頂面だったんだよ」

「………すまんな、本当ならトレーナーがウマ娘の緊張を、ほぐしてやらなアカンのに」

申し訳なさそうに謝るトレーナー。だがオペラオーは鏡越しに笑っていた。

「ハッハッハ、気にしなくていいさ。ボクは緊張なんかしないし、君に足りない所があるのはよーく、よーく分かってる」

「そうやな。まだまだ力不足や」

「そうさ。そんなどうしようもない君が、ボクという覇王の担当をしている事を、神に感謝するんだね」

言葉だけ聞けばバ鹿にしているように聞こえるが、いつも通りのオペラオーだ。つまりこれも彼女なりの気遣い。

それを分かっているからこそ、トレーナーはならば自分も普段通りにしようと言い返す。

「おいおい、そこまで強調せんでもいいやろ。それに緊張せんゆうてもお前も皐月賞の時は、平気な顔しながらターフに行く時、手と足同時に出てたやんか」

その言葉を聞くと、オペラオーは鏡から目を離しトレーナーの方を向いた。

「あんなのいつまで覚えてるんだい!さっさと忘れるんだ!大体君だってあの時は今以上に緊張しきってて、トイレに6回行ってたよね」

「6回も行ってへん!5回や」

「同じだよ!同じ!」

アンタレス名物となりつつある、漫才のような言い争いは、後輩たちが控室にやって来るまで続いた。

 

 

曇天の京都競バ場。

盾の栄光を賭けて戦う伝統の一戦。レース前の引き締まった空気の中、テイエムオペラオーはゲートの後ろで腕組みをしていた。

「なーに考えてんの、今日の作戦?」

そんな彼女の肩を叩き話しかけたのは、ナリタトップロードだった。

「……ああっ、トップロードか。今日のウイニングライブの振り付けのイメージをちょっとね」

オペラオーでなければ冗談としか思えない言葉に、トップロードは笑顔で返して見せる。

「なるほどサイドの振り付けね。メインで歌うの私の為に随分熱心ね」

「流石はボクのライバル。いい意気込みだね」

同期の好敵手に軽口に笑って見せるオペラオー。しかしその好敵手は少しだが顔をゆがめた。

「ら、ライバル?そうね…」

「ん?」

ライバルと言う言葉に一瞬見せたトップロードの戸惑い。

それを不自然に感じたオペラオーだったが、すぐに係員からの出走準備に入って下さいという声にその疑念はかき消された。

促され出走するウマ娘たちがゲートへと入っていく。

『さあ、各ウマ娘ゲートインです………体勢完了、スタートしました!』

ガシャコンと勢いのいい音と共にゲートが開いて、12名のウマ娘たちが一斉に駆け出した。

まず飛び出したのはトキオアクセルとレオリュウホウ。それに少しだけ遅れてタマモイナズマも駆けている。

先行する3名の後ろにはオペラオーに次ぐ、2番人気のトップロードが位置している。

(やっぱりオペラオーは中位差し狙い。なら逃げにプレッシャーをかけつつ差を広げておく4位がベスト!)

それがナリタトップロードの狙いだった。

『2バ身から3バ身差。人気のテイエムオペラオーは中段につけています』

(トップロードはそう来るか。でもボクのやる事は変わらないさ…それよりも気になるのは…)

自身の前を走る黒髪のウマ娘が視界に入る。

(キンイロリョテイ先輩……この人だけは分からない)

2歳上の先輩。トゥインクル5年目だが、未だにG1未勝利の為シルバーコレクターやブロンズコレクターと呼ぶ心無い者もいる。

それに加えて個性的なウマ娘が集う学園でも、一二を争う変人だという話もあった。

曰く気にくわないトレーナーを蹴り飛ばした。曰く他のウマ娘に乗りかかりながら噛みつこうとした等々。

レースでもどう仕掛けてくるか、皆目分からない不気味さがあった。

しかしその走りは本物でこのレースでも、オペラオー・トップロード・ラスカルに次ぐ四番人気だ。

(……まあ、あんまり考えても仕方ないけどね)

すぐに自分の走りに意識を集中させる。

3強と目されているラスカルスズカは、後段に控えているようだ。

(今日こそ、追い込んで勝って見せる!そして、G1初勝利を姉さんに報告するんだ!)

憧れであり目標である偉大なる姉に追いつくために。彼女もまたこの一戦にかける思いは強い。

そんなウマ娘たちの思いが伝播したのか、観客席は早くも盛り上がりを見せていた。

「うぅ~、G1ってこんなに緊張するっスか?」

「自分が走る訳じゃないのに、口から心臓が出てきそう…」

その観客席で青い顔でこぼしているのは、アンタレスの後輩たちだ。

初めて生で目にするG1レース。それもチームの先輩が走っているので当然とも言えたが。

「でも先輩とトレーナーさんは流石よね。控室でもいつも通りだったし」

「やっぱり経験者は違うなぁ」

(なんか知らんけど、良い方に勘違いされとるな…)

そんな声を後ろに聞きつつ、トレーナーは戦況を見守っていた。

(ここまでは作戦通り。いける…頑張れ、オペラオー!)

トレーナーがそう思った時、タマモイナズマがトップの位置を奪い、そのまま先頭で駆けていく。

それ以外は殆ど順位は動かないまま、レースは第3コーナーに差し掛かる。

だが坂路の頂点の辺りで変化が起きた。レオリュウホウがタマモイナズマを抜き先頭に立った。

それに合わせるかのように、トップロードも外の位置から順位を上げる。

タマモイナズマをかわし、2位の位置まで押し進む。

(オペラオーの思い通りにはいかせない!)

しかしオペラオーも動き出していた。眼前のキンイロリョテイがペースを上げるのについていくようにピッチを速める。

「うおおおおおーっ!どけぇー!」

(勘か作戦か知らないけど、ここでペースアップは良い狙いだよリョテイ先輩!)

中位から勢い良く上がってくる2人は、一気にナリタトップロードの後ろまでやって来た。

それらの動きに釣られるように、中段後段の皆がペースを上げて差が詰まった状態になった。

『さあ先頭はレオリョウホウ体半分。そしてナリタトップロード、2番手から先頭。テイエムオペラオーは2番手から3番手!さあ2人が固まってくる、その後ろのグループ3人から4人!』

そしてレースは最後の第4コーナーまで進む。ここでラスカルスズカが仕掛けた。

(ここだ…!もらう!)

スパートをかけて、凄まじい勢いで外からぐんぐんと伸びていく。

(来たね、ラスカル!)

(後ろからあの2人に加えてリョテイ先輩までが追ってくると思うと、さすがに圧が凄いわ……!)

背後に感じるぞくりとしたプレッシャー。

だがそれでもトップロードは、歯を食いしばり腕を振り前へと進む。

(オペラオー、あなたは気軽に私の事ライバルって言うけどね……何回負けてると思ってるの?………このままじゃいずれ私“ライバル”じゃなくなっちゃう!)

トップロードは昨年の有から前回の阪神大賞典まで、オペラオーにはずっと負けている形だ。

このままでは同期に置いて行かれる。そんな思いが脚を出す力に変わる。

やがて訪れる最後の直線。レオリュウホウは持たずに沈んでいく。

対称的に上がってきたのはやはり3強とキンイロリョテイだ。

熱狂する観客たちの応援。アンタレスのメンバーとトレーナーも声も枯れんばかり叫んでいる。

意地と信念とそれぞれの思いが交錯し、そしてぶつかり合う。

「ああああぁっ!」

「うぉおおおおっ!」

「負けるかぁぁぁっ!」

高速の競り合いから、一つの影が抜けだす。

「いっけぇえぇえ!!オペラオー!後ひと踏ん張りや!」

トレーナーの声援が彼女に届いたのかは定かではない。

むしろ大歓声の中の事。聞こえている可能性の方が遙かに少ないだろう。

だがまるで声に応えたように最終百メートル手前でオペラオーが、再加速し一気に競っている三人を引き離つ。

『先頭テイエムオペラオー、ゴールイン!やりましたテイエムオペラオー、人気に応えました!』

歓声が賛辞の声となってオペラオーに降り注ぐ。

オペラオーはゴールを駆け抜けたまま、走りつつ1等を表すように左手の人差し指を立て、その後ねぎらうように自分の脚をポンポンと叩いた。

(最後、良く伸びてくれた……!流石ボクの脚だよ!)

「先輩ーっ!最高っス!」

「オペラオー先輩ー!おめでとうー!」

アンタレスのメンバーも歓喜していた。中には泣いている娘もいる。

「うっ、ううっ……すごいよぉ先輩…これがG1…私も、いつか…」

「そうや、良くあのオペラオーを見とくんや。そしてお前たちもいずれこの舞台で勝つんや」

泣いている娘の肩に手を置き、トレーナーは威厳たっぷりに語る。

「トレーナさん、関西弁出てるっスよ」

「あ、ホントだ。いつもは先輩と話してる時だけなのに」

「私たちと話してる時は標準語なのにねー。よっぽど嬉しかったんだ」

「な、何を言うとんねん!関西弁は関係ないやろ関西弁は」

赤面するトレーナー。キメようにも締まらないのはある意味彼らしさか。

(やれやれ、何を騒いでるんだい?ボクのトレーナーと後輩たちは)

その光景をターフから遠目で見ているオペラオーの表情は、優し気な笑顔だったと後にトップロードは語った。

 

 

『去年がボクの伝説の“前奏曲”とするならば、今日の勝利は“序曲”と言ったところかな!まだまだお楽しみはこれからさ、期待しておいてくれ全国のボクの“臣民”諸君!』

勝利後のインタビュー。多くの記者に囲まれながら、オペラオー勝者の証である盾を抱えて自信満々にそう締めくくってみせた。

「全く、自分のファンを臣民って……お前じゃなきゃ許されんな」

レース後のウイニングライブも終えて、控室から着替えたオペラオーが出てくるなり、トレーナーは呆れ半分にそう呟いた。

「ボクを変人みたいに言うのは止めてくれないか。リョテイ先輩やゴールドシップ君じゃあるまいし」

「なんや、自覚なかったんか?」

「…ニヤケてるんじゃないよ。全く、G1一つ取ったからって満足してないだろうね?」

「嬉しいは嬉しいけど、満足なんかしてへんわ。今年後4つ取るんやろ。荷物、貸せ。走って踊って歌って疲れとるやろ」

トレーナーが手を伸ばす。

「………分かってるじゃないか。流石はボクの臣民1号だよ。次の宝塚ではアヤベさんも復帰するし、気を引き締めていかないと」

オペラオーは穏やかな表情を浮かべつつ、荷物をトレーナーに手渡す。

アヤベさんとは同期のアドマイヤベガの事で、去年のダービーウマ娘でありオペラオーがライバル視している一人だ。

だがオペラオーの表情には嬉しさもある。同期のライバルが休養を経て戻ってくるのだから。

「そうかそうやったな。確かにあの子が戻って来るなら強敵や……って誰が臣民やねん。ホラ、行くで」

「祝勝会をするんだろう。高級ホテルかな?それとも京懐石?」

「アホ、リギル時代とちゃうねん。チームの皆でたこ焼きパーティーや。もう準備しとる」

想像との落差に、オペラオーは一瞬だが体勢を崩した。

「……ま、まあ良いだろう。今日は気分がいいから、特別にボクが皆に振舞おうかな」

そう言いながら大仰にタコ焼きをひっくり返す仕草をする。

「お前の祝勝会でお前が作ってどうするんや」

「なに、太陽であり覇王である、ボクからのねぎらいだと思えばいいさ。ああっ、なんと慈悲深いんだボクは。まるで皇帝ティトゥス」

少女漫画ならば背後にバラでも背負っていそうなポーズでオペラオーは語る。

「なにを一人で浸っとるんや。それに俺は腹壊したくあらへんから、お前の作ったんはパ……うぐっ!?」

トレーナーの言葉は最後まで続かなかった。オペラオーから背中を叩かれたのだ。

「なにすんねん!」

振り返ってみれば覇王は怒りの眼差しを、自分のトレーナーに向けていた。

「………決めた。今日は君が満腹になるまで、ボクが作ったタコ焼きを食べてもらう。絶対に!」

「はぁ?なんでそうなるんや!?」

「――うるさい!しばらく話しかけないでくれ!」

つかつかと歩いていく、オペラオーと慌てて追いかけるトレーナー。

「なんや、あれ」

「痴話ケンカちゃうん?」

「いや、もっとレベルの低い争いやろアレは」

一部始終を目撃していた、数名のURA職員たちは口々にそう語り合っていた。

 

 

『以上で天皇賞のニュースを終わります…いやー、テイエムオペラオー強いですね~次の宝塚記念にも期待しましょう。それとその宝塚記念での復帰を目指していた休養中の昨年のダービーウマ娘・アドマイヤベガですが…』

アナウンサーの言葉は途中でテレビの電源と共に切れた。

「最後まで見ないんですか」

「アドマイヤベガの、宝塚回避は私も既に知っている。残念な事だが大勢に影響はほぼないだろう」

そう言ってチームリギルを率いる、東条ハナはテレビのリモコンを置いた。

ここはリギルの部室。椅子に腰かけているのは、東条と一人の栗毛のウマ娘。

「それよりもグラスワンダー……本当に出るんだな?」

「はい。せっかくファンの皆様に、選んでいただけそうなんですから」

東条の問いにグラスワンダーはにっこりと微笑んで答えた。

「そうか。だが、本命のオペラオーは強敵だぞ。ウチにいた頃とは別人だと思った方がいい」

「……分かっています。はたから見ていても、心技体の充実を感じます。まさに全盛期を迎えつつある印象ですね」

全盛期と言う言葉に東条は複雑な心境になった。

今年に入ってからのグラスワンダーは2連敗。それも負けの質が良くなかった。惨敗と言ってもいい内容だった。

トゥインクル4年目となれば仕方のない事なのかもしれないが、スペシャルウィークらと鎬を削ったあの走りとは程遠い。

“最強世代”。多士済々な顔ぶれのグラスワンダーの同期たちはそう呼ばれた。

しかし4年目の現在、彼女のライバル達――スペシャルウィークやエルコンドルパサーはすでにトゥインクルを去り、セイウンスカイは長い休養に入っている。

キングヘイローは元気で、先日の高松宮記念で悲願のG1初勝利を挙げてはいたが、世代交代の波は最強世代にも確実に訪れていた。

「でも勝ち目が無いとは思っていませんよ。そう簡単に世代交代してあげるつもりも無いですし、私はご存じの通り相手が強ければ強いほど燃える性分ですしね」

エルコンドルパサーが『グラスが怖い時の笑い方デース』と評する、笑顔を浮かべてグラスワンダーは言い切る。

東条もそれを受けて不敵に微笑んだ。

「ふっ、同感だ。オペラオーの連勝、終わらせに行くぞ。宝塚に向けて練習開始だ」

「はいっ!」

気心知れた師弟コンビは、勢い良く立ち上がり部室を後にした。

 

 

『表はあっても占い』トレセン学園の片隅に建てられたマチカネフクキタルの占い屋。

今日はそこには『本日休業』の張り紙が貼られている。

しかしそれを無視するかのように、入口のヴェールをめくる者がいた。

「はーい………今日はお休み…なんだ、ドトウですか。用事ありって顔ですね」

フクキタルは愛用の水晶玉を磨いている途中だった。綺麗な水晶の表面に彼女の金色の瞳が反射して映る。

立派な体躯にも関わらず、超がつく引っ込み思案の助手だったが今日は何やら雰囲気が違う。

「……フクキタルさん、今度の宝塚記念出るんですよね」

「おや、そんな話ですか。そう言えば貴方も出るんでしたね。では、先日の金鯱杯のリベンジと行きますか……まあ1位と10位じゃそれ以前の問題ですかね」

自嘲気味に笑うフクキタル。しかしメイショウドトウの顔は笑っていない。

「……宝塚で引退するって本当ですか?」

フクキタルの水晶を磨く手が止まった。

「…誰に聞いたんです?」

「噂になってます。学園中で」

フクキタルは息を吐いて顔を上げ、メイショウドトウの顔を見つめて答えた。

「その噂、誰から広まったか知りませんが、本当ですよ。私は次の宝塚を最後にトゥインクルシリーズを引退します」

「………ドリームリーグに行かれるんですか」

「トライアルは受けるつもりですよ。受かるかどうかは分かりませんが」

淡々と事務報告でもするような口調でフクキタルは言った。

「元々トレーナーさんとも話してて、潮時を見計らってはいたんですよ。私はリョテイさんみたいに頑丈じゃないですしね」

まだまだ元気いっぱいの同期生の名を言いつつ、靴下の上から自分の足をさする。その言葉は、一転して寂し気に聞こえた。

「脚、やっぱり本調子にならないんですね」

「うーん…まぁそれなりにね……あ、でももちろん宝塚記念は頑張りますよー。ドトウにも、オペラオーちゃん達にも負けませんからね」

言いながら拳を握りしめた両手を前に出して、気合を入れるようなポーズをとる。

カラ元気にも見えたその態度に、メイショウドトウは真剣な面持ちで言葉を紡いだ。

「フクキタルさん、私を占いの助手にしてくれたのって、私がこの国にやって来て最初のころ、友達もできずに独りぼっちだったからですよね」

およそ彼女らしくないはっきりとした口調の言葉。

アイルランドからやって来たメイショウドトウ。異国の地で暮らす事に、性格も相まって中々馴染めなかった。

「なんの話ですか?」

「とぼけないで下さい。私が学園の中庭で、一人でご飯食べてたら『そこのあなた、占いとかに興味とかありませんか~』って声をかけてくれましたよね」

「そうでしたっけ。もう忘れちゃいましたよ」

「嬉しかった……学園で初めて親し気に話しかけてくれたのが、フクキタルさんだったんですよ。それから占いの助手にしてくれて、それを通して色んな子と話したり、知り合ったり…いつの間にかすっかりここに慣れてました」

メイショウドトウのその言葉と表情には感謝の念が滲んでいた。

「私はただ適当に目を付けたあなたを、強引に助手にしただけですよ。感謝には及びません」

「それぇ、嘘ですよね。フクキタルさんって、物凄く周りを正確に見てます。占いのアドバイスもその観察眼のお陰では?」

観察眼が鋭いのはあなたじゃないですか?という言葉をフクキタルは飲み込んだ。

「…仮にそうだとしても、ネタバラシは感心しませんよ?」

フクキタルが再度水晶玉に視線を落とす。

「フクキタルさん、本当にありがとうございます。私がこの国、この学園に馴染めたのはフクキタルさんのお陰です」

「なんだか、身内にそう正面からお礼を言われるとむず痒いですねぇ。どうです?占っていきませんか。ドトウなら無料サービスですよ」

「いえ、今日は大丈夫です。フクキタルさんと走る最後のトゥインクルのレースの前に、お礼を言いたかっただけですから……宝塚、お互い全力を尽くしましょう」

頭を下げるメイショウドトウに、フクキタルは一瞬だけ考え込むと意外な言葉を吐いた。

「……ふぅむ、全力ね……そう言えばドトウ、あなたは何のために全力を尽くすのですか?」

「え?」

「禅問答じゃないですよ。以前言ってましたよね、あの娘の隣に立ちたい、並びたいって。今もそれが目標ですか?」

あの娘とは当然メイショウドトウの同期、テイエムオペラオーの事だ。

以前フクキタルがメイショウドトウに、何か目標はあるのかと尋ねたら俯きがちに答えたことがある。

『同期のテイエムオペラオーさん……とても華やかで堂々としてそれで実力もあって、まるで太陽のような人!……あの人の隣に並び立つような、ウマ娘になりたいでぇす』

その時のメイショウドトウの顔は、憧れのスポーツ選手について語る少年の様だったのをフクキタルは憶えている。

「はい、そうです。それがついに叶うレースまで辿り着いたんです。だから頑張らなくちゃ…!」

メイショウドトウの瞳に憧れと闘志が灯る。

「…そうですか。分かりました、ではまた」

そう言われメイショウドトウは再度頭を下げフクキタルの元を後にした。

助手が去った後フクキタルは物憂い気な表情を浮かべ、水晶玉を軽く弄った。

「……ドトウ、気持ちはよーく分かります。けど、それじゃあ足りないんですよ……」

絞り出したような助手への言葉は虚空に消えていった。

 

 

夕暮れのトレセン学園。すでに季節は5月を迎えていたが、この時間に半袖はすこし肌寒い。

その夕陽を背景に歩いているのはテイエムオペラオーだった。いつもの調子はどこへやら、何かを考え込むような表情であった。

「……題名をつけるなら、“覇王の苦悩”って感じ?」

不意に声をかけられ、オペラオーは歩みを止めた。

「…トップロードか。何か用かい?」

「行ったんでしょう。ベガの所」

オペラオーの問いに、ナリタトップロードはそう答えた。

「良く分かったね」

「私も行ったからね……それで、ベガとは会えた?」

オペラオーは黙って首を横に振った。

「……やっぱり、私もしばらく顔を合わせたくないって言われた」

「……繋靭帯炎…なんでアヤベさんが…!」

2人ともがやるせなさを滲ませた表情で沈黙する。

繋靭帯炎とは競争ウマ娘にとって致命的な病気であり、治療には最低でも一年近くを要するという難儀な物だった。

トゥインクルの短い期間で、一年も治療に費やすというのは致命的なロスとなる。

その繋靭帯炎にアドマイヤベガは侵されてしまったのだ。

「まさか、引退するとか言い出さないわよね」

あながちそれは心配しすぎとは言えない。ウマ娘にとってそれほどの病気だ。

「引退!?そんなバカなっ、あのアヤベさんが引退なんてするもんか!ボクも君も倒したダービーウマ娘だぞ!」

拳を握りしめ、奥歯を噛み締めるオペラオー。

「ボクは……ボクはまだ、ダービーの借りを返してない…!」

「私だってそうよ!また3人で走りたかった…だけどっ!」

昨年の日本ダービー。3人で覇を競い、全身全霊の力をぶつけ合った。最高の時間、それがもう二度と味わえないのか。

無力感が2人を包む。どれだけ嘆き、どれだけ憤ろうとアドマイヤベガの不幸と病魔を、払ってやることは出来ない。

再び沈黙が訪れる。どこか遠くで、お疲れさまでしたというウマ娘の元気のいい声が聞こえた。

「………トップロード。次の宝塚記念、アヤベさんと一緒に見ててくれないか?」

「……何考えてるの?そりゃ私は今回の宝塚は出るつもりないけど」

「頼むよ」

オペラオーはしっかりと、トップロードの瞳を見つめて言った。

その表情には決意の色が伺える。

「……分かったわよ。私だってベガの力になりたいし」

「恩に着るよ。じゃあ、帰ろうか。いい加減夜になってしまう」

「そうね。食堂のご飯、先輩たちに全部食べられちゃう前に」

などと言いながら、2つの影は並んで寮へと向かっていった。

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